男湯と女湯㊛その2
圭吾と恭介が真剣に今回の問題について語り合っている中、メフィと有朱は一日の疲れをいやすのであった
逃げ場を失ったメフィは最早抵抗する気を無くしていた。出来るだけ湯の中で縮こまって触られる体積を減らそうという思いとは裏腹に有朱には策があった。頬を紅潮させてこちらを睨む表情は有朱のそういった心に火を付けた。
暑い湯をかき分けてメフィの脇へと手を滑らす。抱きかかえる様に優しく入れていく。ひゃ、という反応を見せて脇を固く締め、最後の最後に抗う意思を見せた。人間がどうしても我慢できない物があるとすれば、それは笑う事だ。幾ら仏頂面の人間でも笑う事は忘れない。
笑えば自然と全身の筋肉が緩く解けて行き隙を生じさせる。有朱はそれを知ってメフィの脇を擽りに行ったのだった。色白の肌に伝う雫が互いの肉の間に零れ落ちる。
最早周囲のことなど意識の中に無く、有朱はひたすらにメフィを責め立てようと必死だった。
「くく、メフィちゃんもう諦めておじさんに身を委ねな……くききき」
メフィの耳元で囁いた言葉は我ながら変態染みていると思う。だがしかし耳が効いたのか右脇の力が弛んだ。ここぞとばかりに人差し指を突っ込んでくい、と動かす。済し崩しに左の脇の力も弛んで完全にメフィは有朱の手に落ちた。
「も、もういや、あは、あははは!ちょ、有朱さん、やだ……あははは!やだぁ……」
湯を掻き立てて暴れるのを気にせず一心不乱にメフィを擽り続けた。反応がただただ愛らしい。彼女の愛らしさは少し嗜虐的な興奮をそそる。自分の顔が本気の顔になっているのに気付くのは周りが自分たちをみてからかっているのが分かってからだった。
「きましタワー。よしさん、きましタワーですよ」
「ふぇっふぇ、きたさんそれは適性言語ですぞ。百合の塔と言いなされ。ほっほ、若いですなぁ」
白髪の老婆の二人組がこちらを見て優しく微笑んでいた。昔の自分たちを懐かしむように目を細めている二人組は確か、有朱の駄菓子屋付近の住宅街に住む老婆たちだ。吉岡さんと北見さん。二人は商店街の喫茶店でよく話している。
果てたようにぐったりと壁に凭れかかるメフィの腕を取って肩に腕を通して湯船から引き出す。意識の存在を確かめてから頭をたたくなどして無理に起こした。これ以上やると駄菓子屋は趣味に偏りがあるという噂が立ちかねない。
「おい、メフィ。大丈夫か?すまん、私もやりすぎた」
「……あー、頭がぼーっとする。後頭部辺りがふわふわするんれすよ。あー、空がまわるぅ……」
虚ろな目は焦点が合っていなかった。子供たちにやっている経験則からある程度手加減をして擽ったのだが、想定外の効き目だ。一旦メフィを外に出して風に当ててやろうと風呂を出た。
【推理】
銭湯の二階は湯から上がった後の憩いの場となっている。広い畳の間にソファーの置かれた部屋。個人で来た者はソファーで寛ぎながら読書をし、数人で来た者達は畳の上で談笑する。冷えた飲み物や酒、つまみなども売っているのがこの銭湯の人気の理由だ。
蒸気で汗が滲む首をタオルで包む有朱はコーヒー牛乳を飲みながら畳の上で恭介たちを待っていた。女性の方が長風呂になるのではないかと言う予想を裏切って二人は有朱たちを10分ほど待たせるのであった。
やっときた恭介と圭吾はビールとつまみの袋を持って謝りながら座った。
「いやー、悪い悪い。恭介との議論が捗ってよぉ。後でその話はするな。……んで、メフィはなんでこんなことになってるんだよ?」
畳の上に横たわっているメフィは有朱の持ってきたネグリジェに近いワンピースを着ていた。未だに虚ろな目のままで、有朱から謝罪として与えられたコーヒー牛乳を頬に当てて不気味に笑っている。
有朱が圭吾達にその由を説明すると、圭吾はメフィの頬を片手でつかんで顔を揉んだ。柔らかい頬の感触が指にまとわりつく。シルクの布を触っているような心地だった。しかしメフィはそれに抵抗することもできず項垂れていた。
「あー、これ重症だな……。まぁメフィの事だからきっと大丈夫だろうさ」
「あー……うー……。正善さぁん……膝枕ぁー……」
「あいあい、これでいいんだな。んでだ、有朱。恭介と考えたんだがな。結論的に言うと今回は複数人での犯行の可能性が高い。警察沙汰になって店が営業できないなんてなったら嫌だろうから、俺たちが出来る事を最大限までやりたいんだ」
「……なんだよ、今日会ったばっかのくせに尽くしてくれんじゃねぇのさ。なんか昔からの友達みたいだな……。そんなことはどうでもいいんだ。なんで複数人だと思うんだ?」
「それはですね、首謀者があそこのデパートの主任だと仮定して、の話しなんですが……有朱さん、手紙が届くのはいつごろかとか分かりますか?」
「いや、分からない。気付いた時にはポストの中に入ってたり地面に落ちてたりするんだ。朝だったり夜だったり、いつも不定期でさ。深夜狙ってんのかって言われたらそうでもないんだ。一回徹夜して犯人捜しを試みたんだけど深夜には来なかった」
「……ここまでは徳島さんの言う通りですね。という事はつまり、首謀者が毎回現場に向かう途中に手紙を入れるにしては時間帯が固定されない。彼もそんなに暇じゃないでしょうし、ね。私怨如きで執念深く、しかも仕事サボって手紙を態々(わざわざ)あんな場所に届けに来ませんよ……」
胡坐をかいて頷く有朱の中に一つの疑問が生まれた。では、首謀者がやっていないというのならここまで執念深く嫌がらせをしてくるのは誰なのか、という疑問だ。駄菓子屋に私怨がある人間はそこまでいないと自負している。
「なぁ……じゃぁいったい誰がここまで執拗にやって来るんだよ……?私誰かほかに恨まれるようなことした覚えないんだが」
「雇われた人間だ」
割って入ったのは恭介に思考のタネを与えた圭吾だ。膝の上のメフィの髪を優しい手つきで梳きながら質問の答えを言う。
「雇われた、って言うのは首謀者に雇われている人間の事だな。日中にあの通りを往来するのは現場を行き来する業者だけだ。それも車を使う。人通りの少ないあの場所で手紙を投げ入れるのなんて簡単だろうな。お前がいないか確認して投げつけるだけで良いんだ。……これは推測だが、お前の駄菓子屋を往来する業者のほとんどがそれに加入している可能性が高いな……信じがたいというか暴論な気もするが。今後車が来れば気を付けてみるといい。ここは車の使用頻度が少ないから音で分かる筈だぜ」
「ここまでくるとそう考えるのもありだと思いますよ、僕は。取り敢えず明日いろいろ調べてみましょう。それと、今回のガソリンの件ですが、それも同じ業者として考えるべきではないと思います」
圭吾との話合いで、恭介が出した結論だ。その結論は着替えの途中で出たもので圭吾も賛同した。業者がやるのならば、移動手段である車を使用するはずだ。車が通れば音が出る。しかし、圭吾達が聞いたのは硬い物が落ちる音だった。
車の音ではなかったのに加えて、駄菓子屋前は一直線の道。車を使用していたのなら圭吾達の目に入っているのだ。
「……なら、別な人間が何か別な手段を使ったってわけか」
「だがしかし水たまりができる程のガソリンを持ち運ぶのをどうやったのかが分からない。百歩譲って体力と筋肉に自信がある奴がやったのならば別だが、タンクを持ち運ぶのか……?逃げる時にかさばる筈なんだよなぁ」
圭吾達が素人なりに考えたのはここまでだ。膝の上で寝息をたてはじめたメフィに呆れながらも、三人は頭をひねりながら考えた。結局、皆が飲み物を飲み終わるまで長く考え、議論は9時にまで及んだ。
収穫は圭吾と恭介が推理したところまで。結局、それ以上の事をひねり出すことはできなかった。明日からの行動を期待して、銭湯をでて帰路へとついた。
【帰路】
夏の夜は日中よりも蒸し暑くなる。雑草が生え放題の道を、虫の音を聞きながら歩く3人は考えるのを止めて談笑をしていた。主に圭吾の背中で寝るメフィをからかうような内容だ。時折吹く涼しい風に一々喜ぶのは懐かしい感触だった。
久しぶりに見上げる星に埋め尽くされた空は、圭吾にとって故郷へと帰ってきたことを実感させる。生きた時代の都会では見る事の出来ない景色に感銘を受けて胸が脈打っているのが分かる。
背中で寝ているメフィには起きたら自慢しようと胸に景色を刻む。感傷に浸っていた圭吾を馬鹿にした声が有朱から発せられた。
「おいおい、おっさんも風情があっていいじゃないか」
「うっせぇよ、お前はもう慣れてっから分からないんだ」
昔、タカ達と遊ぶのを楽しみに生きていた自分はこの空の美しさなど眼中になかった。皆で海にテントを張って泊まった時に初めて美しさが分かったのを覚えている。綺麗だな、と呟いたのを昭子に聞かれて馬鹿にされたのが脳味噌にこびりついている。あの後リリシスト圭吾と言うあだ名がついていたのは言うまでもない。命名したのはハルだ。
思い出すと同時に湧き出してきた苛々(いらいら)の腹いせにメフィの尻を撫でているとメフィの寝息が荒くなってきた。耳元が幸せだ。
「おい……そういうのは家でやれって……。圭吾達が言ってたのは本当だったのか……発情猿が……」
「あいつら何時の間に……。うっせぇよ昔のこと思い出したんでちょっと八つ当たりだよ」
有朱の駄菓子屋が見えてきた。シャッターで締め切られて、特有の寂寥感を醸し出している。ガソリンの件があった限り、幾ら米軍の格闘術を習っていた有朱と言えど女を一人にして残すわけにはいかない。
圭吾は恭介に有朱の護衛に付くように言うと、恭介は顔を真っ赤にして焦りだした。
「い、いやちょっと待ってくださいよ!幾らなんでも若い男女が二人きりっていうのはいけないと思うんですが!」
「おいおい、何を勘違いしてるんだよ……やらしいことしなけりゃいいんだよ……ついでにな、寝てるときにも感じるんだぼほッ!鳩尾は駄目だろ……」
「馬鹿言ってんじゃねぇよバァカ。恭介、今日は頼むよ、私も流石に不安なんだ」
「あ、有朱さんがそこまで言うなら……その、じゃぁ今晩はよろしくお願いしちゃおう……かなぁ?」
縮こまる恭介の肩に手をかける有朱は何時になく上機嫌だった。恭介は有朱から感じる胸のあたりの感触を一生の宝にしようと決心しつつ、圭吾達が帰るのを見送った。
「んじゃぁ、私たちはここまでだから。おっさん、メフィちゃんにいやらしいことすんなよー」
「あぁ、お前と一緒ではないので理性は有るんでな。……理性の範囲で弄りまわすからセーフだ」
満天の星空の元、人の鳩尾を抉る音が低く響いた。