邂逅と不穏②
駄菓子屋で駄弁っていると駄目そうな男恭介と出会う。彼の特徴的な話を聞いていると物音がした。
「おつきの者、ねぇ……面白いもんだなぁ。まぁあいつにとっては面倒なんだろうが。まぁなかなかいい人間っぽかったしさ」
「そうなんだよなぁ、あいつ俺たちみたいな子供ともいっぱい遊んでくれるしな!」
「僕とも気が合うし、というか話しできるし。タカみたいに馬鹿じゃないしね」
確かにこの子供たちと遊ぶのは並大抵の大人ではできなさそうだ。特に過去の自分は、と自嘲する圭吾の耳に、何やら騒がしい音が入ってきた。音の元はどうやら店の前らしい。
卵の形状をしたアイスの食べ口を箪笥の上に置いてあった鋏で開けて、口に咥えたまま店先に顔を出してみた。子供たちも後から付いてくる。
「……?誰かいたよな?俺たちが話してる間に用事がある奴が来たんだろうかな?」
「……徳島さん。これ……」
慣れない名前にくすぐったい思いをしながらも、過去の圭吾が指さす先の液体に指先を付ける。鼻を通り過ぎて鳩尾をえぐるような、不快感のある匂い。人によってはこの匂いに一時依存するらしいが、何度匂ってもそうは思わない……ガソリンだ。
この地域でガソリンを使うとしたら農業を行うための機械を持っているか、自家用車を持っているか、だ。それ以前にガソリンは道端に撒くような代物ではない。当たり前だが、これは人の作為によるものだろう。偶然溢してしまったというには量が多く、水たまりの様になっている。失敗してしまったのなら店が開けているのであれば謝罪に来るだろう。
どう考えても嫌がらせの類だ。周囲を確認するも犯人どころか自分たち以外の人間が見当たらない。恐らく、近くの曲がり角に逃げたのであろう。ここら辺は住宅も密集しているのでもう間に合わない。
日光で鈍く光るガソリンを雑巾で搾り取って片づけをしようと、アイスを一気に飲み込んでメフィに雑巾を探させている様に言う。その間に周辺に犯人が残した形跡がないか調べた。
「タカ、ガソリンを入れるポリタンクとかそこら辺に落ちてるはずなんだが」
隣の民家の植木鉢などが置かれているスペースを探しているタカに声をかけてみたがそれらしいものは見つからなかった。水たまりになるほどの量を、自分たちに見つからないように運ぶのはどうやったのか、圭吾の中に疑問が渦巻く。
「大体、何のためにこんな事をしたんだ……?」
「おーい、どうしたんだ?このバカがゲロ吐いてるうちに皆……メフィちゃんは中か、表は暑いだろ?まさかアイスばばろうなんて思ってねぇだろうなぁ?」
まだ顔色が整っていない恭介を背負いながら有朱がトイレから出てきた。圭吾が表に出ているわけを説明すると、彼女はガソリンを一瞥してから圭吾の目を見ずに遠くの方へと視線を置いた。
小さな舌打ちをして圭吾の背後にあった植え込みから何かを拾い上げて溜息を吐いた。有朱の手にあったのはマッチ箱。更には裏に乱雑な赤い文字が書かれている。
「殺ス……子供の悪戯にしては悪意が込められているな……」
文字から感じる強烈な殺意。これは何の脅しなのだろうか。有朱はただ悔しそうに奥歯をかんで、子供たちの前では怒りを爆発させないようにと堪えていた。目を伏せ、踵を返して店内の和室へと戻っていき、おぶっていた恭介を降ろす。
理由を訊けずに圭吾はメフィの持ってきた雑巾とバケツで後片付けをする。脳にこびりつく、有朱の心中にしまうのが精いっぱいだと言わんばかりの表情を忘れずにいて。
【不穏】
先程とは少し違った沈黙が空間を包んでいた。折り畳みの机を壁に寄せて中央で寝ている恭介はいまだに体調が治らないようで、寝てはいるのだがうなされている。隣で看病をする有朱も、口を噤んで黙っていた。
「お、おい……有朱!何か悩み事があるならこのタカ様に言えよ!悩み事を心の中でためてるとふやけて重くなっちまうぜ?」
「そ、そうだよ!ねぇ、有朱、私たちに相談してよ、ね?」
「お前たちは優しいな……だけど悪いな。こればっかりはどうにもなんねぇんだよ」
力のない笑みで答える有朱は子供たちの気遣いの笑みを掻き消した。何だかんだで言い返してくれていた彼女がこれ程に落ち込んでいる姿は初めてだ。
「有朱、どうにもならなくても、変化を求めたいのなら言ってみればどうだ?子供たちには言えない程危険なのか?」
「今回の事があってそう認識したよ……だけど、そうだな。多分だけどお前たちにも危害加える程ではないだろうし、自己中心的になっちゃうけど……心を軽くするために言わせてくれ……
実はその……ここの店を潰してさ、今度出来るデパートの客引きをやれっていう奴がいるんだよ」
「……はぁ?客引きだ?それだけの為にこんな嫌がらせをしてくるのか?」
「いやさ、その話を持ち込まれたときにここがあるから私は他で働けないって言ったら逆切れしてきてさ……。ここの土地を買い取るからうちにこいって、次に来た時に言われたんだ。その時の態度が気に入らなくってついこっちも軽くキレ気味に断ってな……。
そのあとからずっといろんな方法で嫌がらせをされてたんだ。さっきのマッチ箱にかかれた感じの手紙とか毎日届くんだぜ?」
「ちなみにそれ見せてもらってもいいか?」
有朱が指さした箪笥の一番下の段を近場であったメフィが開けた。中に入っていたのは大量の封筒。中身は全て有朱が言う通りの内容だ。中には握りつぶしたような皺のある物もある。その中でも、メフィに手渡された手紙を観察する圭吾は一つの違和感を覚えた。
「メフィ、ほかの奴ももらえないか?」
「ん、ちょっと待ってくださいね?……えぇと、じゃぁこれとこれ」
「ありがとさん。……やはりだ。さっきのマッチ箱の奴とは違う筆跡だな」
マッチ箱に書かれていた乱雑な文字と比べてみたところで変わりはないとは思っていたが、幸運なことに手紙の方の文字も乱雑な物だった。乱雑と一括りにしても加減がある。マッチ箱に書かれていたのは本当の憎しみが見えていた。
対して手紙の字はある意味で丁寧な乱雑さだ。毎日毎日、同じような作業を繰り返した結果だろう。そうともなればマッチ箱にも同じ現象が見られてもおかしくはない、のでは。
「複数の人間に恨まれるようなことをしたかな、私」
「確かにそうだな……すまない、思い込み過ぎだろう……忘れてくれ。というか、お前がモテるとか考えたくない」
「……うっせぇばーか。女性としては魅力的なんだよ私は。兎に角、もう時間も時間だ。……言っても4時前だがな。これ以上ここにいても仕方ねぇだろ。おら、おっさんはガキども連れて帰ってくれ。恭介は私が面倒見とくからさ」
「そんな、こんな根性なしの駄目男と二人きりは駄目よ。色々と」
「ハルは口が悪いなぁ……大丈夫だよ。いざとなったら僕が助けるから」
「バーカ。きょーちゃんは便りなんねぇよ。少なくとも今の状態ではな。おら、徳島のおっさん。帰ろうぜ」
「……あんがとよ。明日お前ら暇ならうちに来いよ。何て言うかその、ちょっと不安だし。お前らが居ればそのさ、騒がしいってか……」
圭吾達に向かって頬を赤らめ言う有朱は最初に見た時の印象とはかけ離れた、とても弱い存在に見えた。
【都合】
その後、神社の管理をする設定の二人は子供たちと別れ、境内の本殿の裏にある社務所と呼ばれるある程度生活のできる空間へと入って行った。もし電気が接続されていないならば明るいうちにと考えていたが、電気も水道もガスも繋がっているようで、布団も一つだけだがあった。
和室の一室で8畳程あり、扉を開ければ神社の境内が見渡せる。ちゃぶ台と座布団が一式。台所もついている。メフィが商店街で買ってきた材料で晩御飯を作っている間、圭吾はずっとあの事を考えていた
……客引きを断られ、土地を買うほどにアレの価値があるのだろうか。
有朱に聞かれれば殴られそうな質問ではある。だがしかし、そこまでして彼女を欲しがる理由とは何なのかが理解できないのだ。大体デパートが客引きの人間などを雇うのだろうか。タバコ屋でもあるまいのに、と畳に身を放り投げて考える。
天井の木目を数えながら、メフィの調理する音を聞いていた。……一旦、考えるのをやめて頭の中をリフレッシュしよう。
風呂の入った後さっぱりした状態でメフィと考えた方が思考も捗るかもしれない。こちらも色々、この世界について訊きたいことがあるのだ。
日は傾きかけてもう夕方だ。境内は夕日の恩恵を受ける事が出来ずに、暗くなり不気味な雰囲気になってきた。思考を止めて暇になった圭吾は黙々と晩御飯を作るメフィに声をかけた。
「なぁ、メフィ。晩御飯なに?」
「んー?今日はお味噌汁と白ごはんと肉じゃがですよー」
やはり器用な襷の付け方で料理を作っている。メフィは金髪という事を除けばとても日本人らしい。自分は家事全般が出来ないので彼女の存在はとてもありがたい。淡々と料理する姿はまるで自分のお袋だ。
「なぁ、お母さん。風呂湧いてる?」
「先生は貴方のお母さんじゃありません。ここ風呂は無いみたいです。というか、ここ神社ですしそこまで求めたらだめでしょう。調理器具とかそろってるだけでも奇跡な感じしますよ」
「そだなー。んじゃぁ風呂は近くの銭湯にでも行くかね。町の方にあったと思うしそこに行こう。有朱も誘おうぜー丁度恭介もいるだろうから話したいこともあるしな」
時計の針が指している時間は6時。飯を食べてゆっくりしたくらいに行けば丁度良いだろう。
暫く調理の音の心地よさに浸っていると、いつの間にか意識が途切れていたようだ。メフィに起こされるまで気付かなかった。身を起こして配膳された料理を見て素直に驚いた。
「今日はちょっと頑張ってみましたよ!って言っても肉じゃがなので簡単なんですがね」
見るだけで食欲をそそられる物ばかりだ。肉じゃがとみそ汁の匂いが圭吾を刺激して、「いただきます」の合図と同時に飯を掻き込ませた。肉じゃがの肉の出汁が染み出て、ほかの野菜と醤油を引き立てている。比較的薄味だがそのおかげか丁度良い比率だ。
味噌汁が美味い嫁が欲しいと生前に周りから聞いたことがあるが、それは本当だったようだ。ただの豚汁なのだが、豚肉の具合がとてもよく、柔らかすぎず硬すぎず。味噌の風味がまろやかで鼻と口からと同時に流れ込んでくる香りが心地よい。心の芯から温かみを得る感触だ。
白飯が進んで結局3杯ほど食べてしまった。生前は健康など考えていなかったものだったから、濃い物ばかりを口にしていたがこういった家庭的な食事をとるという事の素晴らしさが身にしみて分かった。
「あぁ、生きてるって素晴らしいな」
自分で死ぬのを決意したのに、何を言っているのだろうか。思わず笑顔が漏れる圭吾を見て、メフィもつられて笑う。お腹を膨らませて笑顔を見せる圭吾が彼女を満足させた。
「ふふ、死んだのを今頃後悔しても意味ないんですよ」
「もし、人生をもう一度過ごせるのならメフィと結婚したいなぁ」
何となしに言った圭吾の言葉を本気にしたメフィは顔を真っ赤にして俯いてしまった。本当に中身は子供らしくて可愛らしい。死神とは冷酷なイメージが強いが、彼女は違うのだろうか。彼女が言う上司がもしかすると恐ろしいのかもしれない。
だがしかし、この嘘はどこまで続くのだろうか。突発的な嘘が暴かれるのは近い未来だろう。こうやって勝手に社務所を借りてしまっているのも明日にはばれてしまう可能性がある。
幸せで満たされた腹を撫でながらメフィに聞いてみる事にした。
「メフィ、俺たちがここの管理してるって嘘はもうそろそろばれると思うんだが、どうするんだ?」
「うーん、明日には町役場の人間も口揃えて私たちを管理してる人だって言ってくれますよ」
「もしかして俺たちがこの世界に入り込んでから歴史が変わってるってことか……?」
「正確にはあるべき世界とあるべきではない世界が創造されているんです。これを言うべきか言わないべきかと最初の方は迷ってたんですがこの際言っておきましょう。今私たちが生きている世界はつまりあるべきではない世界。それを最後にあるべき世界にするか決めるのは貴方です」
「……そうだとすれば、過去の俺が変わるんじゃないか?俺がそそのかせば幾らでも変わるんじゃないのかよ。それ言っちゃえば、俺そうしちゃうけどいいのか?」
「あるべきではない世界の主人公は私たちではありません。それだけを覚えておけば大丈夫ですよ。……っとまぁ、そろそろ有朱さんの駄菓子屋さん行きましょう。時間もいい時間ですし」
メフィに話を打ち切られた圭吾は腑に落ちないような言葉に引っ掛かりを覚えながらも、この世界を楽しんでおこうという思いを胸にして銭湯へ行く準備をした。