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異常と日常。その中で。

作者: ぴーせる

作品完成日:2006/09/04

 

 日常が嫌いだ。


 なんて、ちょっとしたありきたりなセリフを吐くつもりはさらさらないが、それでも俺は嫌いだ。


 つまらない。


 本当につまらない。


 俺がそう思うようになったのは、物心ついてから。


 幼稚園の頃だったか。


 それは突然に訪れた。


 ――つまらないんだ。


 毎日、毎日同じように登園し、同じようにお絵描きをして、同じように友達と遊ぶ。


 何が面白いというのだろう?


 もしその答えを知る人がいるなら、それを俺が納得できるように四百文字詰め原稿用紙百枚前後の容量で的確に説明して欲しい。


 とんだ比喩だが、それほどまでに俺には到底理解できないのだ。


 のんびりと毎日同じように暮らして何が楽しい?


 あんたらは老後を楽しむ老夫婦どもか。


 それとも今まで死と隣り合わせな生活をしていたせいで日常が恋しいのか?


 まあ、そんなのはどうでもいい。


 日常とは酷く単調なものだ。


 ただただ時間が過ぎ去り、その過ぎた時間を自らに蓄積していくのみ。


 俺はそこに変化を求める。


 日常からずれた“異常”。


 それを求めた。


 が、世界はそう簡単には変わっちゃくれない。


 この広い世界の一要素でしかない俺がそれを望んだところで、世界を異常で埋め尽くせることなど出来るわけがない。


 ――でも、その逆なら起きたのだ。


 つまらない中学校生活を終え、大して期待もしていなかった高校生活で、それは起きた。


     *


(……つまらねえ)


 予想通りだ。


 特に面白いことなんてまったくない。


 もう高校にきてからしばらく経つが、実質的に高校など中学校とさほど変わりはない。


 さすがは義務教育猶予といったところか。


 青く広々とした空の中に浮かぶ、まるでコッペパンのような形をした雲を仰ぎ見、俺は家路へと向かっていた。


 靴に引っかかった小石をそのまま蹴り上げる。


 くどいほどにつまらない日常風景。


 昨日もこの道を帰ったし、一昨日も、そのまた前の日もそうだった。


「つまらねえ」


 そう口に出してみれど、周りには外周に勤しむ運動部の連中とジージーうるさいセミしかおらず、ただ俺の声はそれらにかき消されていった。




(はぁ、何か面白いことでもないものか……)


 例えばいきなり隕石が地球に衝突するとか、北極の氷が溶けきって海面がメートル単位で上昇するとか――


 死にたくなくとも、それぐらいの異常が恋しい。


 自ら得にいく異常も好ましいが、望まずとも手に入る巨大な異常の方がよっぽどだ。


 何かこう、俺個人ではとても抗えないような突飛的異常が起きないものだろうか。


 そう考えていた矢先、それは突然に突っ込んできた。


 そう、俺に“突っ込んで”きたんだ。


 俺がいつもとは違って一人で下校していたとき、何者かが俺を吹き飛ばすような勢いでぶつかってきた。


 そこは曲がり角。


 俺が右折しようとしていたところは塀が高くなっていて、向こうがどうなっているのか見えない。


 俺の通っている高校は俺の家からは近く、だから俺は歩きで高校に登下校していた。


 いつもと違う気分を味わおうといつもツルんでいる友達とは帰りの時間をずらし、これも何か気分を味わおうと珍しくワイシャツのボタンを第一まで締めていた。


 そんないつもとちょっとだけ違う下校に、さらに違う出来事が舞い込んできた。




 胸の辺りにどんっと強い衝撃が来ると共に、今度は何故か頭の方にも衝撃。


 同時というよりも衝撃が移行したという感じ。


 頭を振られ、少しずきずきと鈍痛がする。


 が、痛みよりも。


(よっしゃー!)


 と、内心ガッツポーズをして喜ぶ。


 一瞬垣間見ただけだが、相手は女。


 前方を一切気にせずに走っていた姿が見えたから、恐らく一心不乱にどこかへと向かっていたのだろう。


 そんな女との衝突。


 もしかしたらベタな恋愛ドラマのような展開になり、うまくいけば運命的な非日常恋愛――異常恋愛に発展するかもしれない。


 こうしたことで知り合い、また何かの縁で出会い、運命を感じ惹かれあっていく。


 普通に考えればありえないことだろうが、つまらなすぎる日常のせいだろうか、俺はこんな些細なことでも異常な方向へと想像を働かせていく癖がついていた。


 ありえるありえないのどちらにしろ、こんな風に曲がり角で思いっきりぶつかることなど、それ自体が滅多にないのだ。


 それだけでちょっとした異常とも言える。


 俺は強かに打った尻に痛みを感じながら、その異常候補を見やる。


 が、それは俺が考えていたそれの斜め上をいく異常だった。


 目の前を見ると、そこには“俺”がいた。


「あたたた……」


 しりもちをつきながら痛そうに尻をさすっている“俺”。


 ワイシャツ姿の制服で、珍しく第一ボタンまでしっかり締めており、入学当時に買ったばかりの学生バックをぶつかった拍子に道端へと放っている。


 一瞬その光景が信じられなくなり、俺は目元を擦ってからもう一度“俺”の顔を見た。


 ボサボサの整えられていない短髪に、頬の下の方にニキビが二つ。


 背は高くなく、かといって低くもない。


 中肉中背。


 強いて言うなら普通。


 この普通すぎてムカつく姿を鏡で見て、俺は何度ため息をついたことだろうか。


 そんな見飽きた俺を、俺が見間違うはずなどない。


 間違いなく“俺”が俺の目の前でしりもちをついていた。




「誰、なの……?」


 そう男の声で女言葉を発した“俺”。


 だが俺はしゃべっていない。


 しゃべっているのは相手なのに、俺がしゃべっている。


 正確には声質が若干違うような気もするが、まるで録音したときの自分の声のような、他者から聞いた俺の声。


 何度か聞いてみたことがあるから、それが俺のものだと分かる。


(何が起きたんだ……?)


 俺にはこの状況がよく理解できない。


 が、これだけは分かる。


 ――とんでもなく面白いことに巻き込まれた。


 認識すると同時に心持ちが沸き立つ思いがした。




 これ、かなりすごくねえか?


 突然ぶつかってきたどこかの誰かが、俺と同じ姿をした、口調がオカマ。


 どうやらぶつかる手前に見た女は、俺にぶつかってこなかったらしい。


 状況からして、その死角から来ていた俺に酷似した“俺”が俺にぶつかったみたいだ。


 すっげえおもしれえ状況!


「誰だよ、あんた!」


 胸の奥がむずむずするようなわくわくとした気持ちを抑えることもなく、俺はしりもちをついていた状態から身を乗り出すようにして“俺もどき”に聞いた。


「あ、あなたこそ、誰なんですかっ?」


 お、こちらも俺と同じ姿であることに気がついて驚いてやがるな。




 目の前の“俺”は目を見開き、まるで信じられないものでも見たかのような表情で恐る恐る俺に顔を寄せてくる。


 うん、面白い。


 なんて面白いんだ。


 この似方は双子よう。


 まるでドッペルゲンガーに遭遇したよう。


 ああ、良かった。


 今日は友達と帰る時間をずらしてて。


 今日は学校がある日で。


 いや、生まれてきて良かったかもしれない。


 なにしろ、こんなにも普通じゃありえないことが起きてるんだ。


 世界に三人しかいないと言われている自分のそっくりさんに、今こうしてこの日本で会えるなんて奇跡とも言えよう。


 もしかしたらこの俺のそっくりさんと友達になれて、そっくりさんと俺との違いを比べて話してみたり、この人を友達に紹介して自慢したり。


 そんな色んな異常とも言えることが出来るかもしれない。


 そう考えるだけでうきうきとした気持ちがどんどん湧き出てきて、いてもたってもいられなくなり、俺は立ち上がった。


 そして俺は自分のスカートをはたき、ついたであろう土ぼこりを払う。


 ……スカート?


「スカートッ!?」


 思いがけず声を上げながら、慌てて自分の身体を見下ろす。


 そこにはうちの学校指定のセーラー服。


 紺色の襟に白のワンラインが入っており、その内側に巻かれているのは赤色のスカーフ。


 下には白のセーラー服の下地があり、さらに見下ろせば深い紺色のスカート。


 見れば見るほど、明らかに自分の服装ではない。


 靴はいつもの俺なら運動靴をはいているのに、今は革靴。


 茶色がかったローファーで、女子がよくはいていそうなデザインのもの。


 で、そうして見下ろしていると俺の左右の視界を塞ぐ大量の黒い糸のような……そう、髪。


 これは髪だ。


 黒々とした色をしており、その質はつやつやとしている。


 綺麗といってもいいぐらいの代物。


 それが俺の髪にしてはあまりに長くて、顔を正面に向けて長さを見てみれば肩にかかるほどの長さ。


 それが俺の頭からはえていた。




 俺が女装?


 女装するならするで異常なりの面白さがあるが、今はそんなことはない。


 その女装の下には、到底俺のものとは思えない白くて細い腕や足が伸びており、胸には僅かながらの膨らみ。


 無駄毛の一つも見られないそれらは、俺が女の身体をしていると示していた。


 そして目の前には俺と非常に似た――いや、俺そのものがしりもちをついている。


 見間違いでなければ、俺はこの角でぶつかった手前、一瞬だが女の姿を見た。


 確か、服装はうちの制服。


 まさに今の俺が着ているそれと同じものだ。


 さらに、俺がこうして立っている場所は俺のいた道ではなく、女が突っ込んできた道側。


 俺とまったく同じ容姿をした男がしりもちをついているのは、俺が歩いてきた道の方。


 これらから推測できるのは、


(身体が、入れ替わった?)


 背筋をゾクリとした快感が走りぬける。


(なんなんだよ、これは?)


 もしかして俺の目の前にいるのは“俺のそっくりさん”じゃなくて、俺そのもの。


 実は俺は入れ替わっていて、俺はこの身体の女子になっていて、目の前にいる俺の中身はその女子……?


 信じられない状況に、視線を幾度も俺の身体とこの女子の身体を往復させる。


 どれだけ見ても目の前にいる俺は俺だし、見下ろすセーラー服はセーラー服のまま。


 間違いなく、俺たちは入れ替わってる!




 ぐつぐつと煮え立つような興奮。


 目の前には明らかすぎる異常な状況。


 こんな素晴らしいものを目の当たりにして、この俺が黙っていられるはずもない。


 身を乗り出し、目の前の“俺”の肩をひっ掴む。


「なあ、お前の名前は? 名前はなんて言うんだっ?」


「えっ……か、川村梨奈かわむらりなですけど……」


 なるほど、今の俺は川村梨奈という女子の身体と入れ替わっているのか。


 うんうん。


 なんだよ、入れ替わってるって。


 ふざけすぎ。


 異常にも程がある。


 どうしたんだよ、このありえない状況は。


 ――面白い。


 面白すぎる。


 くだらないと思っていた高校生活の帰り道、まさかこんなにも楽しい異常事態が起こるだなんて夢にも思わなかった。


 無神論者ながらも神に感謝しようじゃないか。




 そうだ、どうせならもっと楽しもうじゃないか。


 せっかくの異常。


 これを楽しまなくて、いつ楽しめるというんだ。


 明日か?


 明後日か?


 そんなの待っていられない。


 二度と来ないかもしれないチャンスよりも、目の前に起きている異常事態だ。


「えっと、あなたは……?」


 目の前の俺が、おどおどした様子で訊ねてくる。


 おお、これも面白い。


 俺は普段こういう性格をしているものだから、こういう風におどおどすることなんて滅多にない。


 前に面白半分でやってみたこともあったが、それは例外だろう。


 演技力というものがないせいか、わざとらしくてなってなかったしな。


 さて、ともあれ目の前の“俺”――梨奈への返答だ。


 俺は梨奈に右手を差し伸べ、言う。


「俺は三上隆司だ。これからよろしく」




「み、三上さんですかっ?」


 対し、梨奈は俺の名前を聞いて驚き俺の差し伸べた右手を無視。


 別にそれはそれで構わないのだが、どうも梨奈は俺の名前を知っている様子。


 「何で俺の名前を……」と言いかけたところが、その言葉の意味のなさに気がついて喉の奥へと引っ込めた。


 別に俺を知ってても不思議はない。


 なぜなら俺は高校生活初日から数日間、休み時間をフルに使って同学年のやつら全員に挨拶しに回ったのだ。


「三上隆司だ、よろしく」と。


 理由なんて決まっている。


 それが俺にとっての異常だからだ。


 俺は中学時代、それほど目立つやつじゃなかった。


 日常に飽きあきとして、どうせつまらないのなら固執する必要もないと、やや登校拒否気味でさえあったほど。


 もしそんなやつがいきなり目立つとなれば、それは立派な異常になる。


 それに、挨拶に回れば俺を楽しませてくれそうな異常なやつが見つかるかもしれない。


 そういった目論みで、俺は入学初日に挨拶回りをした。


 だから、たぶんこの梨奈という女生徒にも挨拶をしていると思う。


 まあ俺は覚えちゃいないが。




「三上さん、ですかぁ……。……んん?」


 すっかり置いてきぼりといった感じを受ける目の前の俺、中身は梨奈だが、まあ放っておくとしよう。


 説明せずとも事実が確定している時点で、事態を飲み込むのは時間の問題。


 そんなことよりも、今はこの異常を楽しむ妄想だ。


 入れ替わったからには、やっぱりこいつ関係で色々とややこしくも面白い出来事がたくさん降り注ぐはず。


 まず、もしこのまま入れ替わったままだったら、俺は梨奈の家に帰ることになる。


 見た目が梨奈なのだから、俺のうちに帰るわけにもいかないからだ。


 そして、こいつの家族ないし友達は俺のことを梨奈だと思っている。


 なにせ見た目が梨奈本人のものなのだから、今は俺の身体に入っている梨奈に協力を仰がなければその誤解は解けないだろう。


 つまり、必然的に色々と関わってくるのだ。


 だから名前を名乗るときに「これからよろしく」と言っておいた。




 さてさて、一体何をしてこの異常を楽しもうか。


 せっかくの女子の身体だ。


 男と女の身体の違いというやつを、この身体で楽しんでみるのも十分過ぎるほどに面白い。


 あ、いや待てよ?


 せっかく俺は梨奈という女子になったんだ。


 それならば、梨奈という個人をとことん演じてみても面白いかもしれない。


 例えば、俺の目の前に座り込んでいる本物の梨奈に「私が梨奈よ!」なんて、俺が本当の梨奈の役をする。


 梨奈がどういうやつだか知らないが、まあ知らなくてもなんとかなるだろう。


 なにしろ俺は梨奈本人の身体なのだ。


 どれだけ性格が一変しようが――いや、ある程度までだな。


 ある程度の範囲内なら、ちょっとくらいおかしかろうが、この身体が俺を梨奈本人であると証明してくれる。


 つまり梨奈の身体を乗っ取る、ひいてはその存在そのものを奪う行為だ。


 しかしそうなったとき、本物の梨奈は自分が梨奈だと言い張ることだろう。


 なにせ自分という存在が赤の他人である俺に奪われようとしているのだ。


 俺とは逆に普通の思考をしているのなら、そんなことはさせまいと躍起になるのが常。


 だが、身体が丸々入れ替わってしまったなどと誰が信じるだろうか。


 常に何かしらの異常を望み続けていた俺でさえ信じられないような出来事なのだ。


 日常に慣れ腐った世間の連中が、それを解明するなど想像すら出来ない。


 むしろ精神病の類だとかそんな無情な判断をし、正しいはずの梨奈を異端として扱う姿の方が目に見えている。


 そうして三上隆司であることを義務付けられた本当の梨奈は生きていくため、いずれ時間と共に自らを三上隆司であると偽るようになるだろう。


 身体だけでなく、心も入れ替わってしまう。


 究極の入れ替わりを余儀なくされるのだ。




 もし本当にそうなったとしたら、それはとんでもない異常。


 誰にもバレず、しかし本人同士は熟知している異常。


 その日常からかけ離れた情景を頭に思い浮かべるだけで心が踊る。


 ……が、これは現実のものにならないだろう。


 俺が本当の梨奈を演じようとするにも、既に目の前にいる本物の梨奈に俺の名前を教えてしまったのだ。


 というのも、この計画の最終目標は完全に入れ替わること。


 完全に入れ替わるというのは、梨奈に自分が三上隆司であるということを芯から信じ込ませるということだ。


 しかし梨奈には、俺が三上隆司であるということを名乗ってしまった。


 名乗ってしまったからには、状況から考えればすぐに身体が入れ替わってしまったことなど容易に想像がつくだろう。


 そして想像がついてしまえば、梨奈は自分が三上隆司であるということを信じることが出来なくなる。


 信じさせるためには「私って本当に川村梨奈だったの?」と疑心暗鬼に陥らせる必要があるのだから。


 疑心暗鬼になれば、様々な経路はあるだろうが、どこかしらで「もしかしたら三上隆司だったのかもしれない」という結論にたどり着くだろう。


 そうなれば、自分の身体が三上隆司のものである現実が後押しをし、いずれは芯から「自分は三上隆司だった」と信じ込むのだ。


 だが、今の梨奈は入れ替わったという事実を認知してしまっている。


 まだ首を傾げながら思案しているようだが、時間の問題だろう。


 そうなれば、完全に入れ替わることなど出来ない。


 入れ替わった事実を知れば、「もしかしたら……」なんて疑心にたどり着かないのだから。


 まあ、これは相当に外道な思い付きだ。


 いくら面白いにしても、人の人生をめちゃくちゃにするとなると、異常を求める俺でも罪悪感が疼く。


 でも、それを実行できないとしてもやっぱり面白い。


 こんな状況に陥ることがなければ、考えすらしなかった異常な想像だ。


 異常好きの俺としては、その想像だけでも十二分に興奮してくる。


 こうして入れ替わったこと自体がかなりの異常。


 ものすっごくおもしれえ異常なんだ。




 そんな思考に一度区切りがついたところで、ふいに声がかかる。


「どういうことですか……?」


 どうやら思考に詰まりを見せたらしい見かけは俺、中身は梨奈が首を傾げる。


 まったく、この表現もまたややこしい。


 俺と一言に言っても、俺の人格の方を示すのか、身体の方を示すのか分かりづらいし、梨奈の場合もそれは同じ。


 本物の梨奈を示そうとしたら、先述のようにやや遠回りに感じる表現をしなければならないのだ。


 でも、それがまた面白い要素の一つ。


 こんなことでややこしいと思うだなんて、こんな異常がなければありえなかったことだからだ。


 まったく、病みつきになりそうな面白さだよ。


「ちょ、ちょっと笑わないでください!」


 おっと、顔に出てたのか。


 俺は指で自分の口に触れ、口が笑ってることを確かめた。


 うん、とってもニコニコしてたな、俺。


 やっぱり俺は異常が大好きらしい。


 存外にこんなにも笑みをたたえていたのだから。


 蛇足だが、梨奈の身体の唇がぷるんと柔らかかったことにも感動した。




「あの……」


 俺の姿をした梨奈が、梨奈の姿になっている俺に話しかけてくる。


「今、三上さんは私になっていて、逆に私が三上さんになっているんですよね? ということは今私は三上さんの身体の中に入っているわけで、三上さんが私の身体の中にいるから、私の姿をしているのは三上さんで、三上さんの……あぁもう! 訳分かんないです!」


 話の途中で頭を抱えられても、聞いている俺が一番訳分からないのだが。


 でもまあ大体言いたいことは分かる。


 要は入れ替わってるんですよね? と聞きたいのだろう。


「そんなの、自分の身体を見れば分かるじゃないか」


 そう伝えると、梨奈は自分の身体を見下ろした。


 そして、


「入れ替わってる……のかな?」


 たぶんな、と俺も付け加えておく。


 俺だって、現状から考えうる推測でしかはかってないのだから。


 もっとも推測と言っても、ほとんど確定したようなものだ。


 互いに「入れ替わっているかもしれない」と相手の顔、つまり元の自分の身体であろうそれを見て思っているのだから。


 やばいな。


 こういった入れ替わり独特のややこしさが、愛しいほどに楽しい。


 そう思った途端、梨奈が「笑わないでください!」と怒鳴ってきた。


 ふむ、俺は嬉しすぎると顔に出るのか。


 初めて知ったぞ。


 これから注意してみるか。




 それにしても梨奈のやつ、あまりにおどおどしすぎではないだろうか。


 自分の、本来は俺の身体を見下ろしてはちょっと触り、触っては手を引っ込めて、またすぐに手を出して引っ込める。


 傍から見るとずいぶんと怪しいその仕草。


 恐らく俺の身体に興味が湧いて触ろうとしているんだろうな、と思って梨奈を見ていると、こちらの視線に気付いた梨奈が何故か頭を下げて謝ってきた。


 何で謝るのだろうと聞くと、


「その……勝手に身体とか触られちゃって……嫌ですよね?」


 だそうだ。


 なんとも面白い考え方をするんだな、梨奈は。


 触られるのは自分も相手も同じなのに、なんだか自分だけが悪いことをしているような顔で俺に謝る。


 律儀というか生真面目というか。


 それなら俺も思いっきり乳をまたさぐる勢いで触ってやろうかと思ったが、それは梨奈の思いに反している気がするのでやめておいた。


 俺は紳士だ。




「何でまた笑ってるんですか? そんなに私、変です?」


 どうやらまた笑ってしまっていたらしい。


 ちょっと不機嫌そうに俺らしくない丁寧な口調で話す梨奈。


 なんだか気持ち悪いな。


 今の俺の姿はワイシャツのボタンを第一まで締めており、そこに丁寧な口調が加わっているため、なかなかの真面目君に見えなくもない。


 が、俺はその中身が俺自身だったことを知っているからか、どうも違和感がある。


 今まで真面目腐ってたやつが高校デビューと称していきなり金髪に染めてきたときのいっぱいいっぱいな感じの逆パターン、とでも言えばいいだろうか。


 あれ、こいつってこんな真面目キャラだっけ? と誰かに問いたくなる衝動に駆られる思いになる。


 くそ、面白すぎてまたニヤけてきた。


 急いで口元を隠すも、隠す前に見られたかそれともこれで悟られたか、また不機嫌に眉尻を上げる。


 その姿が普段の俺に似合わぬ滑稽さで……。


 うんうん、十二分におもしれえ。


 やっぱり異常は最高だ。




 だが、このまま思考ばかりというのもつまらない。


 さっきから思考してばかりなのだ。


 同じことをしてたら飽きるのは経験上百も承知。


 なら、飽きる前にそれをやめる。


 それが一番の解決策だ。


 思考をやめるなら、じゃあ行動しかない。


 俺は、未だにしりもちをついた状態のままの梨奈に言う。


「これからデートしようぜ!」


「……はいぃぃぃいいぃぃぃぃいいいいぃ!?」


 見事にビブラートをきかせた俺の声が返ってきた。


 おいおい、俺はこんなリアクション期待しちゃいないぜ?


 まったく、何を驚いているんだか。


 せっかくここまでのすごい異常なんだ。


 ならもっと異常にしようじゃないか。


 こんな異常な状況に置かれた普通の人間なら、俺の予想ではハチャメチャに気が狂ったりすると思う。


 が、俺が普通に収まるわけがない。


 俺だからこそここで一捻り。


 異常に異常を重ねる――入れ替わりデートというお楽しみを加えてやるのだ。


 うん、異常な状況で異常なデート。


 実に面白そうだ。


 そんな俺に反して、梨奈の心の俺は口を何度もパクつかせ、明らかに「驚いてますよ~」と物語っている顔をこちらに向けて目を見開いていた。


 ややあって。


「何でそうなるんですかー!?」


 怒ってるときにも敬語な梨奈はちょっと面白い。


 普通、怒ってるときは敬語とか使わないんだけどな。


 さりげなくそんなことを頭の片隅で考えながら、俺は、


「楽しそうだから」


 と返事。


 すると、しつこいくらいに梨奈はまた口をパクつかせた。


 身体が俺じゃなかったら可愛いんだろうな、この仕草は。


 いやあ、入れ替わる前に見てみたかった仕草だな。


 元の身体に戻る気なんて、今のところさらさらないけど。




 しかしいくら口をパクつかせる行為に面白みがあったとしても、それだけでは直接的な返答にならない。


 だから念を押して「どうよ?」と聞き直す。


 さっきと同じようにややあってから、梨奈は首をふるふると横に振った。


 デートはダメ、という意思表示らしい。


 むぅ、つまらないな。


 せっかくの異常なのに。


 どうして行けないか、と理由を聞くと、


「そんなミダラなことはいけないんです!」


 とのこと。


 全然まったくもって完璧におかしい。


 デートが淫らなら、手をつないだらそれはセクハラか?


 目が合ったらそれはスケベなのか?


 なんと純情乙女だこと。


 いっそこいつにデートとはいかに健全なものであるかということを説明してやろうかと思ったが、俺は、


「お前って馬鹿だな」


 と簡単にまとめておく。


 すると、梨奈はあんぐりと、いかにも「ショックを受けました~」みたいな感じで口を開けた。


 どうやらこいつは顔で己の主張をしてのけるのが癖らしい。


 やっぱり俺の姿じゃなかったら可愛いとか思う。


 うん、残念だ。


 そんなことを思ってるうちに、いつの間にやらさっきまでは俺のものだったその目に、涙という名称のしょっぱい液体がたまっていた。


 見た目が男だから普通に気持ち悪い。




「馬鹿だなんて酷いです……」


 「馬鹿」という、ふざけてるときには誰でも言いそうなどうでもいい二文字に対して涙を浮かべるほど脆い梨奈の心に、何故か俺は感心しつつ、でも男の涙目は気持ち悪いとも思う。


 見た目が男のやつに泣かれてもな。


 はっきり言えば困る。


 女の子に泣かれたときとは別の意味で困る。


 女の子に泣かれたときが「ちょっと困るなぁ、あはは……」なら、男に泣かれたら「ちっ、何だよこいつ……」な感じ。


 正直男女差別な気がしてならないが。


 そのことを言いたい衝動に駆られたが、ここで追い討ちをかけるのは外道だなぁと、紳士な俺の理性がそれを止めた。


 で、その押さえられた衝動はどこへいったかというと、


「デートしようぜ」


「だからダメなんです!」


 速攻で断られた。


 ……結局デートは出来なかったが、梨奈との出会いはこんな感じだった。


     *


 元梨奈の部屋、つまり俺の部屋に俺たちはいた。


 あれからやっぱり当然のように色々と悶着があったが、もう既に三ヶ月が過ぎ、こうして入れ替わっていることも今では普通になってきた。


 異常が日常に変わりつつある今日この頃。


 三ヶ月もの月日の間で俺たちは色々と変わったが、変わってないこともある。


 例えばこの間、


『なぁ、そろそろデートしようぜ』


 と言ってみたら、


『まだダメ!』


 未だにデートしてくれないところなどは、三ヶ月前と変わっていなかったりする。


 俺としてはいい加減デートくらいしてくれてもいいと思う。


 もうそれこそ恋人並みに仲が良いわけだし。


 そう梨奈に言ったら、


『恋人じゃない!』


 ってキレられた。


 別にいいじゃん。


『仲も良くない!』


 ……そこまで否定されると、さすがに俺でも傷つくけどね。




 梨奈が使っていた頃とあまり変わらない、というよりもあえて変えていない部屋の中で、俺たち二人はベッドに座り、窓の外を見ながらのんびりと時間を過ごしている。


 これって、普通に恋人同士みたいじゃない? と言ったら間違いなく梨奈がキレるのでやめておく。


「ねぇ、梨――隆司くん」


 何? と聞き返す。


 普段、俺たちは入れ替わっていることがばれないように、お互い自分の名前で相手を呼び合っている。


 そのせいで梨奈は俺のことを「梨奈」と呼び間違えかけたのだろう。


 そういえば、最近呼び方が苗字から名前に変わったな。


「最近、そっちのクラスはどう?」


 さらに言えば、敬語も使わなくなってる。


「特に変わったことはないよ。そっちは?」


「こっちは席替えした。ボクは窓側の席になったんだ」


「そっか」


 元々俺の一人称は「俺」だったのだが、元女の子の梨奈からしてみれば「ボク」の方が言いやすいらしく、今ではそれが定着している。


 初めは不審がられたりしたらしいけど、元々俺は掴みにくい性格だったらしく、そんなことくらい普通に流されたらしい。


 ……ちょっとなんだかなぁって感じ。




 こうして日常の中でちょっとした異常をのんびりと楽しむのも良いことだと、最近思えるようになってきた。


 ちょっと前までは、とにかく派手でとんでもない、普通じゃありえないような異常ばっかり求めていた。


 そしてその求めていた異常は、こうして梨奈との「入れ替わり」という形で手に入れた。


 これ以上ないくらいの異常だった。


 同じ人間ではあるものの、男と女というのは意外に違うところが多く、女として普通に生活するだけで異常を楽しめる。


 例えばスカートをはいているとき、普通の女子ならスカートにしわが出来ないように手でスカートを撫でるようにして整えてから座るのだが、俺は元男である。


 こういう習慣があると知ったときは一種の感動を覚えた。


 よく考えてるなぁって。


 あとブラジャーは背中で止めるものだけだと思っていたが、前の部分にホックがあるやつがあることを教えられたときには驚いた。


 便利に出来てるなぁって。


 他にも数え切れないくらいに異常――それこそ大きなことから小さなことまで色々なものがあった。


 でも、それも今じゃ日常の一部になっている。


 異常なんて呼べやしない。




 ゆっくりと息を吸い込んで、またゆっくりと吐く。


 退屈だけど、ちょっと充実した時間。


 季節もそろそろ秋へと変わりつつあって、下校途中にある並木通りのイチョウなんかもう黄色くなってたっけ。


 綺麗だったなぁ。


 そういえば梨奈は銀杏の茶碗蒸しが好きらしい。


 今度作ってあげようかな、なんつて。


 ぽふっとベッドの上に寝転がった。


 窓から差し込む夕日のせいで、やや薄ピンクがかった天井がよりピンク色っぽく見えた。


「やっぱり、」


 梨奈が言った。


「隆司くんは、まだ異常が好き?」


 なんでそんなことを聞くんだろう?


 好きといえば好きだけど、かといって昔のようにとことん好きって訳じゃないしなぁ。


 こうして退屈な日常も楽しめているわけだし。


 ……そういえば俺、ずいぶん変わったなぁ。




「今は……ちょっとだけ好きかな」


 嘘を言っても仕方ないので、ころりと寝返りを打ちながら答える。


 隣に座る梨奈の背中が、ちょっと近くなった。


 ちょうど傍に置いてあったくまさんのぬいぐるみを手にとって、手いたずらをしてみる。


 くまさんの腕を動かしてみたり、耳を引っ張ってみたり。


 鼻を顔に押し込んでみたりもした。


 きゅぅ、と中に何か仕掛けがあるらしく、そんな音が静かな部屋に響く。


「そのくま、」


「くま?」


 いじくってるくまさんを改めて見てみると、やや薄汚れてる感じがあり、ところどころ綻びていて繕ったあともあった。


「うん。そのくま、実は隆司くんにもらったものなんだ」


 俺があげた?


 ……あれ? あげたっけ?


 前に一緒に行ったゲーセンでは、むしろ梨奈にUFOキャッチャーでワニのぬいぐるみを取ってもらった覚えがあるのだが。




「幼稚園の頃ね、」


 梨奈を見ると、正面の窓を向いて、ちょっと丸くなってる背中があった。


 切なげに見えるのは夕日のせいだろうか。


「ボクたち、一緒の幼稚園だったんだ。覚えてる?」


 えっと、そうだっけ?


 たしか、幼稚園にいたのは、亮介に邦夫、裕也と……あれ? 梨奈、いたっけ?


「ごめん、覚えてない」


「ふふ、隆司くんらしいや。――それでね、ボク、幼稚園の頃いじめられてたんだ」


 少し小さめの声で言った俺に対し、梨奈は優しく俺に笑いかける。


 ゆっくりとベットから起きてから、くまさんを膝に抱いて梨奈の横に座る。


「それも初耳」


 ふふ、と梨奈が笑った。


「毎日ね、登園してくるたびに上履きが別の場所に入れられてたり、ボクのクレヨンが半分に折られてたり……」


 酷いな、それ……。


「ボクのお母さんね、その頃病気がちで、送り迎えは全部お父さんがしてくれてたんだ。それを知ったある子が、ボクにはお母さんがいないってみんなに触れ回って……。それで次の日から、いじめられるようになっちゃった」


「たったそれだけで?」


「そうだよ? 小さな頃のいじめなんて、みんなそんな理由。本当はお母さん、ちゃんといたんだけどね」


 梨奈は俺の膝の上からくまさんを抱きかかえ、自身の膝の上に置いた。


 ここからじゃ見えにくいけど、たぶん微妙な表情をしてる思う。


「……いじめられて、辛くなかった?」


 覗きこむようにして梨奈の顔を見ると目が合って、微笑んできた。


「そりゃあ辛かったよ。毎日毎日いじめられるんだもん。いじめられた日の夜に、毎回泣いてた」


 梨奈の眉尻が下がり、でも微笑んでいる口元が堪らなく切ない表情を作り上げる。


 まるで困っているのに、それを隠そうとしているかのような。




「でもね、そんなある日、」


 不意に梨奈が窓の外を仰ぎ見る。


 つられて俺も外を見たら、外は綺麗な紅色に染まっていて、まるで空が燃えてるような、そんな感じがした。


「泣いてるボクの前に君、隆司くんがきたんだ」


「俺?」


「そう、隆司くん。その時にそのくまもらったの。「いつも泣いてるからこれあげる」って。いいの? ってボクが聞いたら、隆司くん、なんて言ったと思う?」


「可哀想だから、とか?」


「ううん、そんな普通な理由じゃないよ」


 梨奈は首を振って、夕焼けを見ながら笑う。


「「いつも泣いてるお前が泣き止んだら、異常だろ?」だって。隆司くんらしいよね」


 ああ、それは俺らしいな。


 正に俺っぽい行動。


 その頃から異常好きだったから、きっといろんなことに手を出してたんだと思う。


 そのうちの一つが、梨奈に対してのことだったんだろう。


 意識なんて、してなかったけれど。


「それ以来、隆司くんから話してくれることはなかったけど、隆司くんのおかげでいじめに耐えられたんだよ? しっかり保母さんにいじめられてることを言って、そしたらまったくではないけど、目立ついじめはなくなった。全部、隆司くんのおかげ」


「俺のおかげなんて……それは梨奈が頑張ったからだろ?」


 所詮、俺の行動なんてそのときの思いつきでやったことだと思う。


 そんな行動に、そこまで重みなんてあるはずがない。


「でも、隆司くんがきっかけをくれた」


 梨奈が俺を見てることに気がついて、俺も梨奈を見る。


「嬉しかったんだぁ、あの時。みんながみんないじめてきた中で、隆司くんだけが優しくしてくれた。……まぁ、一回だけだったけどね」


 だから。


 梨奈が呟くようにして言った。


「ボク、隆司くんのこと好きだよ?」


 ……え?




「今、なんて言った……?」


「もう。隆司くんってば、仕方ないなぁ」


 梨奈が立ち上がった。


 その梨奈を見上げてると、梨奈は俺の正面に来て――


「大好きです」


 ぎゅっと、抱きしめられた。


 元は俺の身体で……でも、今は梨奈の身体がとっても大きく感じる。


 背中に回された手は大きくて、温かくて。


 俺の顔の横にある、梨奈の顔は俺よりも少しだけ大きくて、ちょっとだけいい香りがして。


 抱きしめている梨奈の腕は、筋肉質で、ちょっと力強くて。


 ……そりゃあ、デートしようとか言ったけどさ、別に好きだとかどうとかじゃなくて、ただ異常を楽しんでみたかったからで。


 そんなに異常が好きじゃない今でもデートしようとか言ってるのは、ちょっと面白そうかなとか思ってただけ……。




 ゆっくりと身体が離れる。


 気がつけば胸はトクトクいってて、なんだか部屋も暑い。


 もう秋も半ばなのに。


 見上げるとそこには梨奈の顔があって、その顔は俺だったはずのもので、俺が最も嫌ってた顔のはずで。


 なのに――


「ボク、異常好きな隆司くんが好きだった」


 梨奈が、俺を見ながら言う。


「小学校、中学校は違って悔しかったけど……でも、高校は一緒になれた。嬉しかったよ」


 梨奈と見つめ合ってると、なんだかそらしたくなって、俺はころんっとベットに寝転がる。


 部屋が暑いのか、顔まで火照ってきてる。


「隆司くんとぶつかったとき、本当は告白しようとしてたんだ」


 天井を見ると、心なしかさっきよりもピンク色に見えた。


「思いっきり意気込んで飛び出したらすごい勢いでぶつかっちゃって。……気が付いたら入れ替わってて」


 仰向けから横向きに寝る体勢を変えると、頬に当たってるベットのスーツがちょっぴり冷たく感じる。




「もう隆司くんに恋なんて出来ないのかなって思ったけど、でもその隆司くんがデートに誘ってくれて」


 目の前にあるくまさんは、これも心なしか口元が綻びていて微笑んでいるように見えた。


「異常好きな隆司くんが段々と変わっていくのは驚いたけど……でも、それも嬉しかった。ボクと入れ替わってから変わったって思うと」


 目を閉じると心臓の音がとびきり大きく聞こえてきて、でもそれは心地いい音で。


「だからボクは今でも隆司くんが好きです。こんなこと言うと変に思われるかもしれないけど、ボク、隆司くんがボクになってから、もっと隆司くんのことが好きになった」


 俺も、そうかもしれない。


「昔から好きだったけど、ボクは今の隆司くんが一番好きです」


 いつの間にか、くまさんがいた場所には梨奈がいて。


 そっと、目を閉じた。


 ゆっくりと息を吸い込んで、そして吐いて。


 ――触れた。


「初めてですよ?」


 梨奈が言った。


「俺もだよ」


 俺も言った。




 いつもこうだったら、日常も悪くないかも。

 

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