とある病院の朝
プロローグ
暗い部屋の壁にオレンジの光が差し込む。レースカーテンが徐々に明るくなってくる。夜明けだ。新しい日が始まる。壁がオレンジに照らされると、部屋の中に白衣の若い男の姿が浮かんだ。彼の視線の先には、繋がれた管と複数のケーブル、モニターには規則正しい波形。個室の病室だとわかる。清潔な空気と、管理された空調の風がベッドで横たわる老人の頬をなでる。
彼の視線は患者とモニターを行き来している。
少し患者の呼吸が乱れる。若い男は優しく微笑んだ。
「おはよう」
老人は薄く目を開き、男を見た。優しい空間。そして、悲しい空気。
「はぁ様」
老人は男をあだ名で呼ぶ。2人は古くからの関係だ。弱弱しい声。
「僕は、もう長くないから」
「ふ、言ってみたい言葉だな」
男は患者の手をそっと取り、優しく握った。
「いつもね、こうして看取っていく子に言うんだよ」
老人の目をのぞき込む。その眼差しは甘くとろけるように優しい。
「うらやましいよって」
もうすぐ、この世を去るであろう老人に、男は不謹慎なことを言う。
「本当は逆だろう? 不思議だね。私も不思議なんだよ」
患者の目から一筋の涙が流れる。男はその雫を指先で拭う。
「寂しいのは毎回だよ。君がこの世から居なくなる。そんなの受け入れたくない」
男は負担にならない程度に手を握り返した。
「どうか、明日の朝も君におはようを言わせてほしいな」
患者は頷くと目を瞑る。規則正しい寝息。
モニターに視線を送る。問題ない波形。患者と男の会話は毎朝この程度だ。ここ数日、死期がすぐそこの患者を夜明け前から見守っている。夜明けに目を開く彼を安心させるため、朝を告げて無事を確かめる役目をしていた。
薬も効いて、患者は苦痛もないだろう。
そう判断して、白衣の男は病室を出た。医局に寄ると、夜明けに出勤している医師が1人。あの患者の孫だ。彼は男を見て、辛そうな表情を浮かべる。
「おはようございます、宇嶋先生」
「おはようございます。あの」
彼が何を言いたいのかは痛いほどわかる。尊敬する祖父がもうすぐ天国へ旅立つのだ。しかも、担当医は孫である彼だ。一番状況を把握している。
「君も会いに行くと良い。たくさん」
思わず、男は涙ぐむ。
「今、今しかないんだよ? たくさん」
男は言葉に詰まり、目から涙がぼろぼろ流れる。慌てて顔を両手で覆うと、医師が男の肩をさすった。落ち着くまで二人に言葉はなかった。
「ごめん、また明日来ても良い?」
男はぎこちなく口角を上げた。それを見て、医師の肩から力がぬけた。医師の口元にも、わずかに笑みが浮かんだ。
「ええ、じいちゃんも喜びます」
医師の笑顔は、どこか痛々しくもあり、優しさに満ちていた。
「君、奥さんが身重なのにこんな時間に何しているの?」
「もともと夜勤で。今からじいちゃんに会ったら帰ります」
「そう。まだまだあの子には頑張ってもらうから。奥さんと赤ちゃんを大事にね」
「はい、林原先生。来てくれてありがとうございます」
「ふ、若い時のあの子にそっくりだ」
医者の頭をなでる。
「じゃ、またね。ひ孫に会ってもらわないと私が来た甲斐がない」
医師は深々と頭を下げた。
医局を後にして、病院の駐車場に行くと、白衣の男の担当者が手を振っていた。




