黒きアホの子たちのアボカドシェイク
前書き
2019年10月。山梨県・信源郷町の宿坊は、一夜にして「戦場」と化した。
ターゲットは、夜泣きという名の「究極の非合理」。
挑むのは、黒木万桜率いる、学生ベンチャー企業セイタンシステムズ。
彼らが武器とするのは、水嚢パーティションと、栄養学的最適解であるアボカドシェイク。そして、何よりも折れない「論理」である。
「夜泣きは、赤ん坊からの正当な『要求の論理』だ。ならば、我々がなすべきは、そのノイズをデリートし、親子のOSを全盛期へと再起動させることだ」
しかし、理屈を並べ立てる「魔王」たちの前に立ちはだかったのは、システムを嘲笑うかのような赤ん坊たちの純粋な猛攻だった。
窒息リスクというバグの修正、疲労という名のバイオメトリクス・ノイズの伝播、そして「令嬢」ゆえのパーティー編成ミス……。
これは、論理の鎧を纏った少年たちが、赤ん坊という名の小さな神々と向き合い、やがて「可愛いからしかたがない」という、言葉を超えた真理へと辿り着くまでの、一夜の激闘の記録である。
2019年10月上旬。信源郷町、御井神神社山麓中腹にある虎空山宝智院の宿坊にて。
「黒幕。これ好評だぜ」
リーゼントの番長神主である祭谷結が、手に持ったグラスを黒木万桜へと掲げた。
グラスの中には、薄い緑色をした、とろみのある液体が満たされている。
「脂質、タンパク質、ビタミン、ミネラルの配合比率が、細胞修復の最適解なんだ」
万桜は、アボカドの不飽和脂肪酸が産後のホルモンバランスを修復する論理を語り始める。
「豆乳のタンパク質が土台を作り、フルーツの糖質が駆動エネルギーを供給する。まさに産後リカバリー用の超高密度バイオ燃料だ」
万桜は、栄養素のシステム構成図を頭の中に描きながら、その合理性を説いた。
「美味いのは、あったりめえだ。黒木果樹園のフルーツに間違いはねえ」
万桜は自信満々に言い切った。
「いや、そっちじゃねえよ。それで今日のパーティー編成は?」
番長が、宿坊の奥で泣き声を上げる赤ん坊たちの気配を察し、表情を引き締める。
パーティーとは、この宿坊に泊まり込み、夜泣きの赤ん坊に挑む勇者たちのことだ。
「前衛は俺と勇希と杉野。後衛は舞桜と拓矢と倉田さんだ」
万桜が、夜泣きという非合理なノイズに立ち向かうための陣容を説明する。
「対夜泣き決戦サービスYONAKIの試験運用だ。未来への責任を果たすための戦術的拠点が、この宿坊なんだよ」
万桜は、児童福祉法に基づく許認可申請を見据え、看護師や保育士の確保といった法的なロジスティクスを思い浮かべる。
「赤ん坊の泣き声という聴覚ノイズを、単なる騒音ではなく『要求の論理』として解析する。自然乾燥機で清潔な衣類を保ち、竹炭で調湿された空間で、親子を重力ノイズから解放するんだ」
万桜は、エコフレンドリーな乾燥システムが、生乾きの匂いという不快なノイズを排除する仕組みを誇らしげに語る。
「なにがあっても、俺たちがバックアップする。親の疲労ノイズをデリートして、全盛期の自分を取り戻させる。それがYONAKIの存在意義だ」
万桜の言葉には、非合理な育児の現場を、科学の論理で救おうとする強い意志が宿っていた。
「杉野かあ、大丈夫か?」
番長が、不安げに呟いた。
高校時代の後輩である杉野香織は、自由過ぎるギャルだ。
「問題ない。ネイルもピアスもやめさせているし、万桜とあたしが全力でフォローする」
番長の不安を払拭するように、オスカル系天才美女の白井勇希が請け負った。
「白井が言うなら大丈夫か。福元や黒幕が言うと不安になるが」
番長は、ホッと胸を撫でおろす。
高校時代の同級生であった福元莉那と、黒幕こと黒木万桜は、香織以上に自由で奔放だ。
「バカヤロー。こういう時の俺に抜かりはねえわ。サブリナは…」
万桜が言いかけた刹那、万桜の臀部に莉那の鋭い蹴りが炸裂する。
「あたしも抜からねえわ」
莉那は、臀部をさする万桜にジト目を貼り付ける。
★ ◆ ★ ◆ ★
「こんのアホ魔王ッ! カーテンじゃ赤ちゃんに被さることもあんだだろうがッ!」
福元莉那は忌々しげに吐き捨て、黒木万桜の臀部を再び蹴り飛ばした。
「それなら、水嚢を強固な板で挟み込んで固定すればいい。パネル化して個室の壁にすれば、倒壊のリスクも窒息のリスクも完全に排除できるだろ」
莉那は「水嚢パーティション」による絶対防壁の論理を、万桜に突きつけるように説明した。
「板でパッキングすれば、柔軟な素材が持つ危ういノイズを消し去って、吸振性能だけを純粋抽出できる。これなら隣の部屋で夜泣きが爆発しても、音波がデリートされて連鎖は起きないわ」
莉那の指摘は、安全性を物理的に担保しつつ、防音性能を最大化する極めて合理的な解決策であった。
「……悪かった。サブリナの言う通りだ。窒息という最悪のバグを予見できなかったのは、俺の不明だ」
万桜は珍しく素直に非を認め、神妙な面持ちで頭を下げた。
「個室化することで、赤ん坊を騒音から解放し、全盛期の眠りへと誘う『水の聖域』が完成する。一分の隙もない、安全な個室群によるオペレーションだ」
万桜は、水嚢の密度を均一に保つ鋼体パネルの有効性に確信を持った。
「前衛の勇希や杉野たちが、安心して各ブースへ緊急出動できる環境を整えよう。バックアップ体制に抜かりはねえわ」
万桜は、莉那によってデバッグされた最強の防壁を背に、深夜の決戦を見据えて静かに微笑んだ。
★ ◆ ★ ◆ ★
夜。22時。水嚢パネルで仕切られた宿坊に、最初の「要求の論理」という名の泣き声が響き渡った。
「杉野。万桜と一緒に行ってきな」
白井勇希は、冷静にふたりを送り出した。
「うぇ~い」
杉野香織は言われるがままに従い、ネイルを落とした清潔な指先をひらひらとさせた。
個室に入ると、そこは竹炭の調湿効果により、澄んだ空気が保たれていた。
しかし、赤ん坊は全身を震わせ、全力でその存在を主張している。
「焦るな、杉野。この泣き声はランダムなノイズじゃねえ。身体的、あるいは環境的な不快指数が閾値を超えたことによる、正当な要求の論理だ」
黒木万桜は、赤ん坊の瞳を真っ直ぐに見つめ、その震えから不快の原因を特定しようと神経を研ぎ澄ませた。
「魔王さま、マジで真面目すぎ。でもこの子、さっきから全然バイブス合わないんだけど~」
香織は、慣れない手つきで赤ん坊を抱き上げ、必死に「陽のエネルギー」を伝えようと試みる。
「勇希、心拍数と呼吸音のデータを送れ。この個室の気流バランスに淀みがあるのかもしれねえ」
万桜は、板で挟み込んだ水嚢パーティションの隙間から、自然乾燥機のダクトの向きを微調整した。
莉那に「アホ魔王」と蹴り飛ばされ、窒息リスクをデバッグされた末に完成したこの鋼体パネルは、音波を完璧に遮断している。
連鎖は起きていない。それなのに、目の前の小さな命一人を納得させることができない。
「なにが足りねえ。俺たちの論理に、まだ見落としているバグがあるっていうのか」
万桜は、額に汗を浮かべながら、赤ん坊の小さな手に自分の指を握らせた。
赤ん坊を「黙らせる対象」ではなく、「全盛期の眠りへと導くべき対等なシステム」として、万桜は一歩も引かずに向き合い続けた。
格闘すること十数分。万桜と香織がその場を離れることはなかった。
どれほど論理を尽くし、最新のシステムを稼働させても、最後は赤ん坊の温もりに寄り添い、その声に耳を傾け続けるしかない。
「……あ、寝たかも」
香織の腕の中で、赤ん坊がふっと力を抜いた。
「慣れるしかねえんだよ」
万桜は、勝利の余韻に浸る間もなく、次の泣き声という名のノイズを解析するために、再び深く息を吐いた。
「杉野ぉ。理解した? 理屈じゃねえんだよ」
妹の桜の時に経験済みの万桜たちは、赤ちゃんの夜泣きへの対策は、ただただ、赤ちゃんに付き合うことのみであるのを知っていた。
「え? 苦行じゃん? 黒木先輩、なんかないの?」
香織が塩っぱい顔をして、対策を万桜に求めるが、万桜と勇希は、
「「ねえよ。いいから行くぞ」」
それをアッサリ否定した。
「論理で解析できないからこそ、付き合い続けるしかないんだ。それが子供という非合理の塊を受け入れるための、唯一のデバッグ作業だわ」
勇希がそう言い捨てると、万桜も深く頷いた。
「システムを組むのは容易だが、運用するのは血の通った人間だ。どれほど高性能な水嚢パネルで仕切っても、最後は赤ん坊という名のバグだらけの存在を、一人の人間として許容する胆力が求められるんだよ」
万桜は、育児を単なる効率化の対象ではなく、保護者としてのマインドを醸成するための通過点だと定義していた。
「両親参加型にこだわったのは、そのためだ。サービスに丸投げして親が『全盛期の自分』を維持できても、肝心の非合理への慣れがなければ、家に戻った瞬間にシステムは崩壊する」
万桜は、親たちが赤ん坊の不条理な叫びに晒され、共に夜を明かすことでしか得られない「耐性」の重要性を説いた。
「苦行なのは織り込み済みだ。だが、この非合理に耐え抜いた先にしか、本当の家族という名の最適解は見えてこねえ。杉野、おまえも今日、その『全盛期の忍耐』を学べ」
万桜は、一切の妥協を排した眼差しで、再び赤ん坊の泣き声が響く個室へと足を踏み入れた。
数時間後、後衛の拓矢たちが交代で現れた。
「お、だいぶ疲弊してんなあ杉野?」
斧乃木拓矢が声を掛けると、香織は疲弊を跳ね除け、顔を輝かせた。
「ウチ、全然まだ平気だしッ! 斧乃木先輩、一緒に赤ちゃんのオムツかえよう?」
はしゃぐ香織に莉那は、優しく微笑み掛けると、
「だぁめ! 大人の疲労が、赤ちゃんの大敵です! おいでカオリン!」
そう言って、莉那は香織を引き摺って、控え室へと強制連行した。
「じゃあ、拓矢と倉田さん、あとは任すぜ。休んだらまた来るからよ?」
万桜は、疲労の滲んだ声音で退室した。
「疲労は判断力を鈍らせる。赤ん坊を扱う手つきがコンマ数ミリ狂えば、それは物理的な衝撃ノイズとなって赤ん坊に伝わるんだ」
万桜は、廊下を歩きながら自分に言い聞かせるように、疲労の危険性を分析した。
「さらに、人間の苛立ちはバイオメトリクスな信号として、赤ん坊の鋭いセンサーに捕捉される。俺たちが余裕を失えば、赤ん坊の不安を増幅させるバグを誘発するだけだわ」
万桜は、非合理な存在に寄り添い続けるために、まずは自分たちのシステムをメンテナンスすることの重要性を痛感していた。
「保護者としてのマインドを醸成するためには、限界を見極めてリソースを回復させる術を知ることも、一つの通過点なんだ」
万桜は、背後で再び響き始めた赤ん坊の声を聞きながら、次は拓矢たちがその非合理の洗礼を受ける番だと確信した。
★ ◆ ★ ◆ ★
宿坊の控え室には、グルコマンナンの水嚢を活用した蒟蒻フロートが人数分用意してあった。
白井勇希と杉野香織は、蒟蒻フロートにうつ伏せに横たわり、身体を重力ノイズから解放した。
黒木万桜もまた蒟蒻フロートに身を委ねて、体圧ノイズをゼロ化し、血流阻害による疲労物質をデリートした。
福元莉那たちは待機組であり、いざという時の控えとして仮眠をとっていたが、静寂は突如として破られた。
『サブリナ! ヘルプ! 社長命令よ!』
後衛組の茅野舞桜に叩き起こされ、莉那は重い瞼を持ち上げた。
「へいへい」
莉那は、眠気眼をこすりながら戦場である個室群へと向かった。
「パーティー編成、誤ったか?」
万桜が、自身の論理構築にミスがあったのかと呟いた。
「無理もない。舞桜は令嬢だからな」
勇希が、舞桜にとって育児の非合理性が未知の領域であったことを指摘した。
「いや、おまえもお嬢じゃん」
万桜は呆れて、勇希の言葉を遮った。
「規模が違う。あたしはこの村規模のお嬢で、舞桜はこの国規模のお嬢だ。次は杉野と舞桜を入れ替えよう。経験者ふたりならフォローできる」
勇希は、非合理への慣れを醸成するための対案を提示した。
万桜は、疲労がもたらすリスクを脳内で再計算した。
「妥当な判断だ。疲労は、赤ん坊の扱いを雑にするだけでなく、苛立ちという名の負の信号を増幅させ、赤ん坊に伝播させちまうからな」
万桜は、自分の苛立ちが赤ん坊という繊細なセンサーに捕捉され、さらなる夜泣きを誘発するバグを避けるべきだと確信していた。
★ ◆ ★ ◆ ★
翌朝、鋼体水嚢パーティションで区切られた個室群の中では、赤ん坊たちが健やかな寝息をたてていた。
数時間の休息を経て、万桜たちの思考には変化が生じていた。
昨夜の激闘は、単なる労働ではなく、赤ん坊という圧倒的な非合理を受け入れるための「儀式」であったと理解し始めていた。
「結局、俺たちがどれだけ最新のシステムを組もうが、赤ん坊の不条理を完全に制御することはできねえわ。だが必要なのは制御じゃなく、共存するための『慣れ』だったんだな」
万桜は、自身の中に芽生えた、言葉にできない保護者としての責任感という名のプログラムを噛み締めていた。
夜泣きに付き合い続けるという苦行を通過することでしか、保護者のマインドは醸成されない。
それが、万桜がこのサービスを「両親参加型」に設計した、論理を超えた真意であった。
「どうだった番長? 他のママさんパパさん?」
万桜が、朝の光が差し込む廊下で祭谷結に問いかけた。
番長と妻の早苗もまた、一晩中赤ん坊の要求の論理に向き合い、夜泣き対応に従事していた。
「……ああ。地獄だったのが、救われたぜ」
番長が、深く、重みのある声で応えた。
「他の親たちも言ってたぜ。一人きりの部屋で泣き声に晒されるのと、この水の要塞で、おまえらというバックアップが背後にいる状態で向き合うのとじゃ、精神的なノイズの入り方が全く違うってな」
番長の隣で、早苗も疲労の中にも晴れやかな表情で頷いた。
「自分の苛立ちが赤ん坊に伝播して、さらに泣き声が酷くなる負のループ……。それを、この『YONAKI』のシステムが断ち切ってくれた。交代で休めるという『安心という名のバッファ』があるからこそ、あたしたちは赤ん坊に真摯に向き合えたんだわ」
親たちは、ただ預けるのではなく、共に戦い、共に疲弊し、そして共に休むことで、本当の意味で「全盛期の自分」を取り戻しつつあった。
「ようやくシステムの有用性が実証されたようだな」
万桜は、赤ん坊たちが静かに眠る個室の列を見つめ、自身の傲慢さが「責任」へと昇華されたことを確信した。
「じゃあ、みんなの声を聞かせてくれ。まだ1日目だがどうだった? じゃあ、杉野と舞桜」
万桜は、朝の光が差し込む宿坊の広間で、参加メンバーに尋ねた。
その瞳には、単なるデータの収集ではない、仲間たちの精神的なアップデートを確認しようとする意志が宿っていた。
「ウチ、最初はマジで『知らない誰かの赤ん坊』って感じで、泣き声もただの爆音ノイズにしか聞こえなかったんだけどさ。一晩ガチで付き合ったら、なんか『信源郷町の新しい仲間』って思えてきたっていうか……。オムツ交換も、最初はバイオハザードかと思ったけど、今はもう全盛期のスピードでこなせるし! 正直、あんな顔で笑われたら、可愛すぎて理屈抜きで負けだわ~」
杉野香織は、寝不足で少し充血した目を輝かせながら、自らの内面で起きたパラダイムシフトを語った。
「あたしも、最初は児童福祉のロジスティクスを完成させるための『対象』としてしか見ていなかったわ。でも、肌の温もりを知ってしまったら、もう記号としての赤ん坊には戻れない。この子たちは、あたしたちの村の未来そのものなのね。泣き声という非合理な攻撃すら、全盛期の愛おしさに変換されてしまう。……悔しいけれど、可愛いからしかたがない、という結論に辿り着いてしまったわ」
茅野舞桜は、令嬢としての矜持を保ちつつも、その声音には隠しきれない慈しみが混じっていた。
「論理やシステムを凌駕する『可愛い』という名の圧倒的な非合理か。だが、その感情のバーストこそが、保護者マインドの真の起点だ」
万桜は、自身の構築した「YONAKI」というシステムが、単なる託児サービスを超えて、人と人を繋ぐ全盛期のコミュニティ・ハブとして機能し始めたことを確信した。
「理屈じゃねえ、ただ付き合い続ける。その果てにしか得られない慣れと愛情が、この村の防壁をより強固なものにするんだ。……おまえら、いい顔になったじゃねえか」
万桜は、水嚢個室の奥から聞こえてくる安らかな寝息に耳を澄ませ、未来への責任という名の重みを、心地よい充足感と共に受け止めた。
「黒木。おはようさんでお疲れさま」
宿坊の責任者である、甲斐の国大学4回生の山縣政義が顔を出す。
「おはよう政義くん。朝食の準備、手伝うわ」
政義の恋人である倉田琴葉が申し出るが、
「ありがとう琴葉さん。でも朝食の支度なら、専属スタッフがいるんだ」
政義は、やんわりと断って、万桜へと視線を投げた。
「待て。食事の前に、まずは徹底的な除菌プロトコルだ」
万桜は、厨房へ向かおうとする全員を制し、洗面台へと誘導した。
「オムツ交換の際に手袋を使用していたとしても、目に見えない飛沫という名のバイオノイズが指先に残留している可能性がある。念には念を入れるのが、セイタンシステムズの流儀だわ」
万桜の号令の下、勇希や香織たちは、不純物をデリートする薬用石鹸で爪の先まで入念に洗浄した。
「接触感染による食中毒は、このプロジェクトを根底から破壊するバグだ。物理的な洗浄と、アルコールによる化学的な滅菌。この二段構えで初めて、俺たちは安全という名の全盛期の土俵に立てるんだよ」
勇希もまた、濡れた手をペーパータオルで拭き取りながら、論理的な同意を示した。
「不潔な手で栄養を摂取するのは、システムにウイルスを流し込むのと同じことだ。赤ん坊という非合理に向き合う俺たちが、自己管理という名の基本プロトコルで躓くわけにはいかねえからな」
万桜は全員の指先が消毒液で濡れているのを確認し、ようやく満足げに頷いた。
全員が指先の除菌を完了したのを確認し、万桜は厨房の入り口を指差した。
「セイタンシステムズが、衛生ノイズを完全に排除した専属ユニットを派遣している。原材料の調達から調理工程に至るまで、HACCPを凌駕する独自の安全基準で管理されているんだ」
万桜は、不特定多数が関わることで発生するコンタミネーションのリスクを、システム的にデリートしていることを説明した。
「戦場に立った勇者たちに、食中毒という名のバグを与えるわけにはいかねえからな。提供されるのは、疲弊した脳と筋肉を最速でリカバリーするための、高密度・低GIメニューだ」
運ばれてきたのは、血糖値の急上昇というノイズを抑えつつ、持続的なエネルギーを供給する全粒粉のガレットと、内臓への負担を最小限に抑えた温かいスープだった。
「フルーツ豆乳アボカドシェイクで基礎代謝を整えた身体に、抗酸化作用の強いリコピンと、セロトニンの原料となるトリプトファンを論理的に流し込む。これで、不足した睡眠による思考ノイズをクリアにできるわ」
勇希が、提供された朝食の栄養学的合理性を補足する。
「なに、これが『YONAKI』を支えるロジスティクスだ。最高の休息と、最高の燃料。それがあって初めて、俺たちは赤ん坊という名の強大な非合理に向き合い続けられるんだよ」
万桜は、セイタンシステムズが管理する安全な朝食を口にし、再び身体に全盛期の駆動エネルギーが満ちていくのを確信した。
「俺、最近になって気づいたんだけどよ。おまえら徐々に俺の呼称を万桜にしてるよね?」
スープを啜りながら、万桜はみんなにジト目を貼り付けた。
セイタンシステムズが提供した、栄養学的合理性の塊であるスープの蒸気が、その不満げな表情を微かに揺らしている。
「ええ? そう? どうだったかな? わっかんないや」
莉那はガレットを噛じりながら、貼り付くジト目を引き剥がした。
「なにを言ってるんだ万桜? おまえの名前は万桜だ。なんら問題はない」
勇希はアボカドシェイクを飲みながら、完璧に開き直った。
その泰然自若とした態度は、もはや修正という名のデバッグを拒否している。
「男の名前で呼ぶな」
万桜が小声で噛み付くと、舞桜が吐息をひとつ漏らした。
「あたしがお願いしました万桜くん。だって紛らわしいじゃない。あたしも舞桜だもの」
舞桜は、朝の光の中で、あっけらかんと事実をぶっちゃけた。
「黒幕。おまえ、カミさんと名前が被ると、困るぜ色々とよ。だから、受け入れな」
番長は断じた。
その隣で早苗も、当然の帰結だと言わんばかりに微笑んでいる。
「てか、万桜、おまえ名前呼ばれる時って、たいてい、語尾が伸びてることに気づいてねえのか?」
拓矢は呆れ返って、事実を突きつけた。
「た、確かに……なんでだろ?」
万桜が首を傾げると、広間に居合わせた全員の意識が同期した。
「「「「おまえの暴走を止めるために、呼んでるからだよアホンダラ」」」」
莉那たちは、呆れて異口同音に言い放った。
「…ぼ、暴走って、役に立ってんじゃねえか?」
万桜は、納得がいかない様子で最後の一口を飲み干したが、その表情には仲間たちに「識別」されていることへの、奇妙な安心感が滲んでいた。
『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みの地球の皆様へ!
いつも拙作『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みいただき、本当にありがとうございます!
物語の中で、「魔王」こと黒木万桜は、時には「水嚢の川」で災害に立ち向かい、時には中古スマホを活用したクローズドネットワークなんて突拍子もないアイデアまで生み出しています。
実は、この物語には、万桜のそんな「もしかしたら、これって本当に役立つかも?」と思えるような、たくさんのアイデアが散りばめられているんです。読者の皆さんも、「これ、面白い!」「こんな風に使えるんじゃないか?」なんて、閃いたことはありませんか?
地球のみんなぁ~! オラに「★」をわけてくれーっ!
もし、この物語を読んで、少しでも「面白い!」「次の展開が楽しみ!」「万桜のアイデア、イケるかも!」と感じていただけたなら、どうかページ下部の【★★★★★】ボタンをポチッ!と押して、星評価を分けていただけないでしょうか!
皆さんのその「★」一つ一つが、作者の大きな励みになり、万桜の次の「魔王案件」へと繋がるエネルギーになります!
引き続き、『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をどうぞよろしくお願いいたします!




