黒きアホの子たちの日常
前書き
◆情愛のバグと騎士道のコピー
二〇一九年の夏から秋へ。季節がその色彩を塗り替えるように、黒木万桜が構築する『論理の迷宮』もまた、新たな変異を遂げようとしていた。
千葉県白浜の嵐の夜、最上階のラウンジで共有されたのは、アンドロイドのプログラムでは決して再現できない『一瞬の熱量』だった。それは、重力ノイズを遮断する水嚢風呂の浮力さえも凌駕する、剥き出しの生体反応。技術の臨界点を見つめる魔王と、全肯定の理屈を掲げるアホの子が触れ合ったその「一パーセントの真実」は、物語に消えない刻印を残す。
しかし、現実の信源郷町に戻れば、そこには『女子の演技』という名の鉄壁の防壁が待ち構えていた。
心拍数も、瞳孔の開きも、すべては男を操るための『最適化された偽装データ』。自律神経の揺らぎさえもコントロールする舞桜たちの完璧な情報操作の前に、魔王の解析プログラムは無惨なエラーを吐き出す。
さらには、親友が放った渾身の『騎士道の論理』。
女の嘘をまるごと飲み込むというその自己犠牲の美学は、果たして男の意地なのか、あるいは単なる『サブカルチャーのコピペ』による既製品のロジックなのか。
本物と偽物、真実と演技。
それらが混沌と混ざり合う境界線上で、天才たちは今日も不器用な『情緒のレンダリング』を繰り返す。これは、情愛という名のデバッグ不能なバグに翻弄される、愛すべきアホの子たちの記録である。
2019年7月中旬、千葉県白浜、夏の思い出。
家族風呂の熱気が、冷房の効いた廊下でゆっくりと霧散していく。
騒がしい男子連中が寝静まった深夜、万桜は一人、ホテルの最上階にあるラウンジへと足を向けた。荒れ狂う太平洋は、暗闇の中で白波だけが不気味に蠢き、窓を叩く雨音は、規則正しいノイズとなって空間を支配している。
「……なに、寝付けないの? 魔王さま」
薄暗いラウンジのソファに、莉那がいた。
風呂上がりの清潔な石鹸の香りが、雨の湿気と混じり合って、万桜の鼻腔をくすぐる。
「……おまえこそ、なにしてんだよ。サブリナ」
万桜は、莉那から少し離れた位置に腰を下ろした。
莉那は、万桜が贈った『背高泡立草の香りがするソファー』とは別の、ホテルの硬い椅子に深く沈み込み、窓の外を見つめていた。
「考えてたんだ。万桜が言ってた『仮想水』の話。あたしの家も、万桜が守ってくれた土や水でできてるんだなーって」
莉那は、自分の手のひらを見つめた。
「……当たり前だ。おまえの家だけじゃねえ。この国も、この海も、全部が繋がってる『計算式』なんだよ。俺はただ、その式が壊れないように、新しい変数を足そうとしてるだけだ」
万桜は、努めて事務的なトーンで答える。だが、暗闇の中で見る莉那の横顔は、昼間の「アホの子」の仮面を脱ぎ捨てた、一人の成熟した女性の美しさを湛えていた。
「ねえ、万桜。アンドロイドに『熟練者』の心を移すなら、あたしがもっとおばあちゃんになった時、あたしの『全肯定の理屈』も、誰かに引き継げるのかな?」
莉那の問いかけは、静かだが、万桜の論理の核心を突いていた。
「……心はコピーできねえよ。それは、その瞬間の生体電気の揺らぎだ。再現はできても、それは『おまえ』じゃねえ」
「そっか。じゃあ、あたしが万桜を『好き』だって思うこの熱は、あたしの身体があるうちに、ちゃんと伝えないと消えちゃうんだね」
莉那は、ゆっくりと万桜の方へ身体を寄せた。
水着越しに感じたあの混浴の熱とは違う、体温という名の、ひどく純粋で非合理な熱が、万桜の腕に伝わってくる。
「……近えよ、サブリナ」
「いいじゃん、嵐なんだから。これくらいの『ノイズ』、魔王さまの広い度量で許容しなよ」
莉那の頭が、万桜の肩に預けられた。
濡れた髪が、万桜の首筋に触れる。その冷たさと、莉那の肌の温かさの対比に、万桜の脳内の演算装置は、完全にフリーズした。
「万桜、あたしね。万桜が作る未来が、どれだけ機械だらけになっても怖くないよ」
莉那の声が、万桜の胸に直接響く。
「あんたがそばにいて、こうして『温度』を感じさせてくれるなら、あたしはどこまでだってついていく。それが、あたしの選んだ『最高の非合理』なんだよ」
万桜は、何かを言い返そうとして、言葉を飲み込んだ。
技術で世界を救うことはできても、隣にいるこの少女の「一途な重力」を、論理で解き明かすことはできない。
万桜は、震える手をゆっくりと動かし、莉那の細い肩に、そっと手を置いた。
抱きしめる勇気はない。けれど、突き放す理由も、もうどこにも見当たらなかった。
「……おいアホの子。それ拓矢に言うやつだぞ…」
万桜の不器用な言葉に、莉那は小さく笑った。
嵐の夜、二人の境界線は、雨音に溶けて曖昧になっていく。
明日、雨が上がれば、また「論理」と「役割」の日々が始まる。
けれど、この暗闇の中で共有した『しっとりとした熱』だけは、どんな高度なアンドロイドにも再現できない、二人のための「唯一の真実」として、万桜の心に深く刻み込まれた。
万桜が莉那の肩に不器用な手を置いたまま、嵐の海を見つめていたその時。
自動ドアが開き、拓矢がひょっこりと顔を出した。
万桜は慌てて手を離そうとしたが、拓矢の顔に怒りはなく、むしろ悪戯を思いついたガキ大将のような笑みが浮かんでいた。
「おーおー。魔王さまが、俺のいねえ隙に『情緒のレンダリング』の真っ最中かよ?」
拓矢は迷いなく二人の間に割り込み、莉那の腕をぐいと自分の方へ引き寄せた。
「あげねえよ? 俺んだから莉那!」
拓矢は、まるで一番お気に入りのおもちゃを自慢する子供のように、莉那を抱え込んで万桜にベロを出した。
万桜は一瞬呆気に取られたが、すぐにフンと鼻を鳴らし、肩の力を抜いて茶化し返す。
「いやとらねえよ。別に」
「へーえ? さっきまで、随分としっとりした『接触ログ』残してたくせによぉ」
拓矢がニヤニヤしながら万桜の肩を小突く。万桜も「うるせえよ」と笑いながら応じた。
そこへ、さらに別の足音が響いた。
「な~に、深夜の『独占欲のデモンストレーション』? 暑苦しいわね」
現れたのは、舞桜と勇希だった。
二人はこのカオスな状況を瞬時に理解し、示し合わせたように万桜の左右に並び立った。
「「あげないよ! あたしんだから万桜」」
舞桜と勇希が、完璧なユニゾンで万桜の腕を左右からがっしりとホールドする。
舞桜は気高く胸を張り、勇希は静かに、けれど強い意志を込めて万桜を「所有」した。
「……おい。おまえらまで、なんなんだよ。俺は『公共財』じゃねえぞ」
万桜が顔を赤くして抗うが、二人は離さない。
「とらないよぉ~」
拓矢の腕の中で、莉那がケラケラと笑いながら、間抜けた声を上げた。
「万桜は、みんなの『魔王さま』だもんね。あたしは拓矢の隣で、万桜の作る未来を特等席で見るだけだよ」
莉那のその言葉は、茶化しているようでいて、揺るぎない「居場所」の宣言でもあった。
ラウンジの外では、依然として激しい雨が窓を叩いている。
けれど、この狭い空間の中には、言葉にしなくても通じ合う、強固な信頼の理屈が満ちていた。
「……まったく。どいつもこいつも、論理的な距離感ってものを知らねえ」
万桜は、舞桜と勇希に挟まれたまま、小さく呟いた。その声には、迷惑がりながらも、この「非合理な絆」を愛おしく思う響きが混じっていた。
「さあ、茶番は終わり! 万桜、あんたの『最新の安眠プログラム』、あたしたちにも試させなさいよ。明日は晴れるんだから」
舞桜が仕切り直し、一行はぞろぞろと部屋へと戻り始める。
拓矢が莉那の頭をポンと叩き、万桜がそれを見て鼻で笑い、勇希が静かに微笑む。
嵐の夜のしっとりとした空気は、いつの間にか、彼ららしい「騒がしくて温かい温度」へと書き換えられていた。
明日、この雨が上がれば、彼らはまた、新しい技術と、変わらない絆を持って、輝く海へと飛び込んでいくのだろう。
★ ◆ ★ ◆ ★
二〇一九年九月下旬。秋の気配が「環境ノイズ」として忍び寄る、深夜の黒木家。
万桜は、VRドームの試作機が置かれたリビングで、一人モニターを見つめていた。
そこへ、湯上がりの「しっとり」とした熱量を纏った茅野舞桜が、音もなく現れた。
「……まだ『論理の迷宮』で迷子になっているの? 万桜くん」
舞桜の声は、いつもより少しだけ低く、耳元に滑り込むような湿り気を持っていた。
万桜は肩を震わせ、振り返る。そこには、薄手の部屋着から「資産」と称される曲線が露わになった、無防備な舞桜の姿があった。
「舞桜……。おまえ、その格好は『誘惑の論理』か?」
万桜の瞳には、警戒の色が滲む。かつてなら「本能のまま」に受け入れたであろうこの状況も、今の彼には「高度な情報操作」にしか見えない。
舞桜は小さく笑うと、万桜の座るソファの隣に、ゆっくりと腰を下ろした。
「ふふっ。ただの『リラックス・モード』よ。それとも……あたしが隣にいることさえ、あなたの脳内では『偽装されたデータ』に変換されてしまうのかしら?」
舞桜の手が、万桜の頬にそっと触れる。指先の熱量は、確かにリアルだ。
万桜は、その「熱量同期」に抗うように、彼女の瞳を凝視した。
「……瞳孔の開き、正常。呼吸数、微増。だが、おまえならこの程度の生体反応、随意にコントロールできるはずだ。……舞桜、今、俺を愛おしそうに見ているその表情は、何パーセントが『真実のロジック』なんだ?」
万桜の切実な問いに、舞桜は瞳を細め、さらに距離を詰めた。
彼女の髪から漂うシャンプーの香りが、万桜の「嗅覚センサー」を麻痺させる。
「そうね。……九十九パーセントは、あなたを転がすための『サービス・プログラム』かもしれないわよ?」
「……っ、やっぱり演技じゃねえか!」
万桜が立ち上がろうとするが、舞桜はその腕を強く引き寄せ、自分の胸元へと誘導した。
バストレギュレーターで最適化された、柔らかな「熱の塊」。
「でもね、万桜くん。残りの一パーセント……。システムがオーバーヒートして、あたしの論理が追いつかなくなる『バグ』。……それだけは、あたしにも制御できないの」
舞桜の吐息が、万桜の耳たぶをかすめる。
万桜は、彼女の心音を聞き取ろうと耳を澄ませた。
ドクン、ドクン……と、一定のリズムを刻む鼓動。
だが、万桜の「疑心暗鬼ノイズ」が脳内で叫ぶ。
(待て。この鼓動の安定感こそが、鉄の意志による『偽装』の証拠じゃねえのか?)
「……わかんねえ。おまえが優しくすればするほど、俺の『解析プログラム』はエラーを吐き出す。……舞桜、おまえ、今、笑ってるだろ? 俺が混乱してるのを見て、楽しんでるだろ?」
「ええ、とっても。……困った顔の魔王さまは、世界で一番魅力的な『未確定データ』だもの」
舞桜は、万桜の首筋に腕を回し、その重みを預けた。
万桜は、彼女を抱き締め返したいという衝動と、これは「巧妙な罠」だという理性の間で、激しく火花を散らす。
「……くそっ。おまえというシステムは、一生かかってもデバッグできそうにねえ」
「あら、光栄ね。……だったら、一生かけて、あたしの『嘘』と『真実』の境界線を、探し続けてみたら?」
舞桜の唇が、万桜のそれに重なり合う直前。
万桜は、目をつむりながらも、心の中で「魔王、今の生体電流を記録しろ……」と、無意味な抵抗を試みるのだった。
その夜のしっとりとした空気は、万桜にとって、最も甘美で、最も信頼できない「究極のノイズ」として刻まれた。
翌朝、午前六時。信源郷町の朝霧が立ち込める中、万桜は「究極の諜報任務」に挑んでいた。
標的は、隣の寝室で「超回復」を継続中の茅野舞桜。
万桜は、自作の「超指向性集音マイクロフォン」を手に、舞桜の寝言という『ガードの無い真実データ』を採取しようとしていた。
(……昨夜の『一パーセントのバグ』、あれが演技かどうかは、無意識下の発話プロンプトを解析すれば一発で判明する。……今こそ、魔王の威信を取り戻す時だ)
万桜が、舞桜の唇の数センチ先までマイクを寄せた、その時だった。
「……万桜くん。そのデバイスの指向性、ノイズキャンセリングの設定が甘いわよ」
パチリと、舞桜の瞳が開いた。そこには眠気の欠片もなく、朝の光よりも鋭い「管理者の視線」が宿っていた。
「……っ!? おまえ、起きて……」
「起床十五分前から、あなたの『不審な生体ノイズ』は感知していたわ。……さて、万桜くん。寝込みを襲うのはハグまで、という『レギュレーションの論理』はどこへ行ったのかしら?」
舞桜は電光石火の動きで万桜の手首を掴むと、そのまま彼をベッドへと引きずり込んだ。
視界が反転し、万桜は舞桜によって「物理的に制圧」される形となる。
「あ、いや、これは技術的なサンプリングで……」
「問答無用。……勇希! 莉那! 魔王さまの『バグ』が見つかったわよ。再起動が必要ね」
舞桜のコールに応じるように、ドアが勢いよく開いた。
そこには、冷徹な観察眼を光らせる白井勇希と、なぜか「水嚢風呂」用の高圧ホースを手にしたサブリナこと福元莉那が立っていた。
「万桜……。人の寝顔をデータ化しようだなんて、それは『プライバシーの侵害』というより、単なる『変態の論理』よ」
勇希の声は、絶対零度のコキュートスを通り越して、もはや真空の冷たさを纏っていた。
「よし、魔王さま! その歪んだ煩悩を、この『高圧洗浄の理屈』で洗い流してやるぜッ!」
莉那が、容赦なくホースのトリガーに指をかける。
「待て! サブリナ、それは室内でやるべき『最適化』じゃねえ! やめろ、精密機器が……ッ!」
万桜の絶叫も虚しく、舞桜の「ホールドの論理」によって身動きを封じられた彼は、そのまま浴室へと連行された。
数分後。水嚢風呂に、着衣のまま放り込まれた万桜がいた。
舞桜は、縁に腰掛けて、濡れ鼠になった万桜を冷ややかに見下ろしている。
「いい? 万桜くん。あたしたちの『演技』を暴こうなんていう『不遜な推論』は、二度と持たないことね」
舞桜は、万桜の濡れた前髪を優しく整えながら、残酷なまでに美しい微笑を浮かべた。
「あたしたちが嘘をついているなら、それはあなたが『幸せな夢』を見るための最適化。……それを暴いて、独りで冷たい真実に凍えるなんて、そんなの、あたしの『情愛の計算』には入っていないわ」
「……う、うるせえ。俺は、ただ……」
「反省の証として、今日一日は『あたしたちの言いなりになる』という『絶対命令』を受諾してもらうわよ。……ね、勇希、莉那?」
勇希は、タブレットで万桜の「屈辱指数」を記録しながら頷き、莉那は「とりあえず朝飯は万桜の奢りで決定!」と快活に宣言した。
万桜は、水嚢の浮力の中で、己の「独占欲のバグ」が招いた悲惨な結果を噛み締めていた。
結局、真実を暴こうと足掻けば足掻くほど、彼は彼女たちが張り巡らせた「情愛という名の監獄」に、より深く深く沈んでいくのだった。
★ ◆ ★ ◆ ★
二〇一九年九月末。夕暮れのジャカジャカにて。
万桜は、テーブルに突っ伏し、未だに「演技バイアス」の衝撃から立ち直れずにいた。
「……拓矢。俺の作った『情愛の論理』は、砂上の楼閣だった。あいつらの吐息も、心拍も、すべては俺を操るための『偽装データ』だったんだぜ……」
向かい側に座る拓矢は、静かにコーヒーを啜り、沈む夕日を眺めていた。
彼は万桜の絶望を一通り聞き終えると、カップを置き、どこぞの海賊王のコックのような、低く、だが鋼のような響きを持つ声で言った。
「……万桜。おまえ、まだそんな『解像度の低いこと』を言ってるのか」
「なんだと?」
万桜が顔を上げると、拓矢の瞳には、一切の迷いがない「覚悟」が宿っていた。
「いいか、万桜。女の嘘ってのは、男を傷つけるための刃じゃねえ。……男を『男』でいさせてやるための、最後の慈悲だ」
拓矢は、窓の外を歩く莉那たちの後ろ姿に目をやりながら、言葉を続ける。
「おまえは『真実』を暴いてどうする? 裸の論理を突きつけて、あいつらのプライドを剥ぎ取って、それで満足か? ……笑わせるな」
拓矢は、テーブルを指先でトン、と叩いた。
「『女の嘘に騙されるのが、男だ!』」
その咆哮に近い断言に、万桜は言葉を失った。
「騙されていると分かっていても、その嘘を『最高の真実』として受け止める。……それが、惚れた女に対する、男の唯一の礼儀だ。たとえ九十九パーセントが演技でも、おまえがそれに応えて一〇〇パーセントの幸せを返せば、それはもう『真実』なんだよ!」
万桜は、拓矢の放った「騎士道の論理」に、脳内システムが激しく火花を散らすのを感じた。
物理的なデータでも、生体電流の解析でもない。
「騙されてやる」という、能動的な自己犠牲の美学。
「……拓矢。おまえ、そんな『非合理な結論』で、自分を納得させてるのか?」
「非合理じゃねえ。これが俺の『最適解』だ。……おまえも魔王なら、あいつらの嘘をまるごと飲み込んで、新しい世界でも構築してみせろよ」
拓矢はそう言って立ち上がると、レジに向かった。
その背中は、どんな最新技術よりも堅牢な「男の意地」で満たされていた。
一方。
カフェの隅でその会話を盗み聞きしていた三人娘は――。
「……ちょっと、拓矢くん。あんなカッコいいセリフ、どこで覚えてきたのかしら」
舞桜が、少しだけ頬を染めて呟く。
「……認めたくないけれど、今の拓矢の『騎士道のロジック』は、万桜の偏執的な解析を上回る強度を持っていたわね」
勇希も、手元のタブレットを置き、感心したように溜息をつく。
「……もう、拓矢ってば、本当にずるいんだから~!」
莉那は、顔を真っ赤にして、幸せそうに悶絶していた。
万桜は、一人テーブルに残され、拓矢の後ろ姿と、遠くで自分を(演技かもしれないが、慈しむように)見ている彼女たちを交互に見た。
「……騙されてやる、か。……クソッ、それも一つの『防御不可な攻撃』じゃねえか」
魔王は、初めて「解析」を放棄し、目の前の「心地よい嘘」という名の現実を、少しだけ受け入れることに決めた。
ジャカジャカの店内に、拓矢が放った「男の騎士道」の余韻が、重厚なBGMのように漂っていた。
万桜は、親友の覚悟に打ち震え、自らの「偏執的な論理」を恥じ入ることさえ検討し始めていた。
だが、その「偽りの聖域」を、一言の毒が切り裂いた。
「……サンジ気取りか斧乃木……」
カウンターの隅で、漫画雑誌を読み耽っていた藤枝が、ページをめくる音と共にポソリと零した。
その声は、静まり返った店内に、致命的な『解析結果』として響き渡った。
「「「………………あ」」」
カフェの隅で感動に浸っていた三人娘の動きが、一瞬で凍りついた。
舞桜は、即座に自身の脳内データベースを検索し、勇希は医学的根拠ではなく『サブカルチャーの論理』に照らし合わせ、莉那は絶望的な既視感に目を見開く。
「……待って。今の拓矢くんのセリフ、どっかの海賊漫画のコックが、司法の島で言ってた名台詞の『ほぼコピペ』じゃない」
舞桜の声音が、感動の余熱から一転、絶対零度の「事実確認」へと切り替わった。
「……さらに、言い回しの節々に、あの『死体人形の怪異』みたいな無機質なトーンが混ざっていたわ。……拓矢、おまえ、昨夜アニメの一挙見でもしたの?」
勇希の視線が、拓矢の背中に突き刺さる。もはやそこには「騎士」はおらず、ただの「影響されやすいオタク」という名のノイズしか存在していなかった。
「……嘘、でしょ? 拓矢、自分の言葉じゃなかったの!?」
莉那の「ハッピー・バイアス」が、音を立てて砕け散る。
拓矢の背中が、目に見えて硬直した。
彼は振り返ることもできず、震える手でコーヒーカップを口に運んだが、中身は既に空だった。
「……ふ、藤枝。おまえ、余計な……」
拓矢が絞り出すような声で抗議するが、時既に遅し。
「いや、あまりにも『ドヤ顔の引用』だったからさ。魔王さまがマジで感銘受けてんのが可哀想になっちゃって」
藤枝は、悪びれる様子もなく、ポテトチップスを口に放り込んだ。
万桜は、床に膝をつき、拳で地面を叩いた。
「……拓矢ァ!! 俺の『純粋な感銘』を返せ! よりによって既製品のロジックで俺を丸め込もうとしたのか!」
「「「ゴミだな、拓矢」」」
三人娘は、本日二度目の「異口同音による断罪」を、哀れな騎士へと叩きつけた。
舞桜は冷笑を浮かべ、勇希は深い溜息をつき、莉那は「もう、全盛期の再起動なんてして損した!」と、先ほどの古典暗唱さえも黒歴史に分類し始めた。
「……いいか、万桜。これも『女を喜ばせるための演出』という名の……」
拓矢が必死に「後付けの正当性」を構築しようとするが、
「「「演技ッ!!」」」
女子たちの容赦ないツッコミが、カフェの天井を突き抜けた。
信源郷町の夕暮れは、男たちの虚勢を無慈悲に暴き出し、さらなる「しっぺ返し(お仕置き)」の予感と共に、騒がしく更けていくのだった。
ジャカジャカの店内に、閉店を告げる「蛍の光」が、環境ノイズを塗り替えるように流れ始めた。
拓矢は「引用の報い」によって魂が抜け、万桜は「演技バイアス」の深淵で貝になり、藤枝は漫画の続きを気にしながら鼻をほじっている。
「はい、そこまで! 魔王さまも騎士さまも、今日はもう店仕舞いだよ」
店主の田中が、パチンと照明の一部を落とした。
その指先は、議論の余地を一切残さない「営業終了のレギュレーション」を体現していた。
「田中さーん、あと五分。あと五分だけ、俺の『騎士道の再定義』を聞いてくれよぉ」
拓矢が力なくカウンターに縋り付くが、田中は笑いながらモップを差し出した。
「ダメダメ。奥州大学の弥生ちゃんだって、もうとっくに帰ったぜ。ほら、魔王さまも。床に突っ伏してると掃除の邪魔だよ」
万桜は、重い頭をもたげると、虚ろな瞳で田中を見上げた。
「……田中さーん。閉店という『時間的制約』は、情愛の論理さえも凌駕するのか?」
「あたりまえだろ。俺の睡眠時間という『健康寿命』に関わるからな」
田中の「店主の正論」に、万桜は力なく頷いた。
「ちぇー、わかったよぉー。田中さんがそこまで言うなら、退却するしかねえなあ」
万桜が、完全に知能の解像度を下げた「アホの子」の声で応じた。
続いて、拓矢も藤枝も、先ほどまでのシリアスな雰囲気はどこへやら、ふにゃふにゃとした足取りで立ち上がる。
「ちぇー、いいところだったのに。……おーい藤っち、コンビニ寄って帰るぞー」
「わかったよぉー、魔王さま。ジャンプの発売日、確認しなきゃだもんなあー」
三人の天才(と一人の凡人)は、まるで幼稚園児の集団下校のように、一列になって出口へと向かう。
その背中には、世界を揺るがす技術も、重厚な騎士道も、一ミリも残っていなかった。
「……本当、あいつらって、スイッチが切れると一気に『低俗なシステム』に成り下がるわね」
舞桜が、呆れたジト目で彼らを見送る。
「……まあ、あれが彼らの『アイドリング状態』なんでしょう。脳内リソースを空にするための、一種のデフラグね」
勇希も、呆れながらも手際よく自分の荷物をまとめた。
「「「田中さん、おやすみなさーい!」」」
外に出たアホの子たちは、夜空に向かって異口同音に叫ぶと、そのまま夜の信源郷町へと消えていった。
田中は、静かになった店内で深くため息をつき、看板を『CLOSED』にひっくり返した。
「……やれやれ。どんなに知能が高くても、最後は『お腹が空いた』か『眠い』で動くんだから。人間ってのは、一番不確かな『論理』で動いてるよな」
ジャカジャカの明かりが消え、物語は明日という名の「新たなバグ」へと続いていく。
『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みの地球の皆様へ!
いつも拙作『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みいただき、本当にありがとうございます!
物語の中で、「魔王」こと黒木万桜は、時には「水嚢の川」で災害に立ち向かい、時には中古スマホを活用したクローズドネットワークなんて突拍子もないアイデアまで生み出しています。
実は、この物語には、万桜のそんな「もしかしたら、これって本当に役立つかも?」と思えるような、たくさんのアイデアが散りばめられているんです。読者の皆さんも、「これ、面白い!」「こんな風に使えるんじゃないか?」なんて、閃いたことはありませんか?
地球のみんなぁ~! オラに「★」をわけてくれーっ!
もし、この物語を読んで、少しでも「面白い!」「次の展開が楽しみ!」「万桜のアイデア、イケるかも!」と感じていただけたなら、どうかページ下部の【★★★★★】ボタンをポチッ!と押して、星評価を分けていただけないでしょうか!
皆さんのその「★」一つ一つが、作者の大きな励みになり、万桜の次の「魔王案件」へと繋がるエネルギーになります!
引き続き、『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をどうぞよろしくお願いいたします!




