黒き魔王とデリカシーの向こうがわ
前書き
時は二〇一九年八月中旬。甲斐の国市、信源郷町、黒木家の離れにて。
「俺は、オッパイが大好きです!」――この常軌を逸した宣言から、黒木万桜という論理の魔王による、人類の健康を賭けた革命劇は始まった。
万桜の発明――それは、女性の生理的ノイズ、特に乳腺組織の「冷え」を物理的に排除する、蒟蒻ナイトブラ(バストレギュレーター)である。その動機は純粋な愛情と、冷徹な予防医学。
しかし、この鋼鉄の好天思考は、白井勇希、茅野舞桜、福元莉那という三人の天才女性が長年張り巡らせてきた「デリカシー」という名の防衛線と、激突する。
技術の正しさを盾に「女性の状態異常」を断じる万桜に、感情と論理の板挟みに遭う三人の娘たち。
議論は、やがて感情的な「状態異常」へと発展するが、万桜は水嚢風呂という究極の物理的解決策でそれを強行する。そして、未熟者という敗北宣言ののち、舞桜と勇希が繰り出したのは、技術ではなく、親愛と戦略に基づいた社会工学による、商品化への究極の突破作戦だった。
女性の健康、すなわち「オッパイの平和」は、論理と愛、そして知略という、異なる三つの力が融合した時、いかにして成就されるのか。
2019年8月中旬、甲斐の国市信源郷町、黒木家の離れにて。
「おまえたちに、これだけは言っておきます」
黒木万桜は、真剣な面持ちで白井勇希、茅野舞桜、福元莉那の瞳を見つめた。
「俺は、オッパイが大好きです!」
万桜は言い切った。そして、沈黙が居間の今を支配する。
「「「いきなり、なに言ってんだテメ?」」」
三人娘は異口同音で、呆れたジト目を貼り付ける。
万桜はそんな反応など意に介さず、テーブルの上に、黒いレースの縁取りがされた、シンプルなナイトブラを広げた。
そのブラジャーのカップ部分には、脱着可能なパッドが内蔵されている。
「これだ。バストレギュレーターVer1.0。別名『蒟蒻ナイトブラ』だ」
万桜が取り出したのは、厚手のパッドだった。樹脂コーティングされた蒟蒻粒が、その中にぎっしりと詰まっているのがわかる。
「なんだそのネーミングセンスは? まるで、居酒屋のメニューじゃないか」
勇希は、万桜の発想回路にため息をついた。
「ネーミングセンスは二の次だ。肝心なのは機能だ。これをレンジで30秒チンして装着すれば、乳腺の温度を39度付近で安定させることができる」
万桜はパッドを指し示し、熱弁を振るう。
「この素材は、単なる蒟蒻じゃねえ。水分を封じ込めた樹脂コーティングの『蓄熱ビーズ』だ。小粒ビーズが面で肌に密着して冷気を遮断し、大粒ビーズが壇中と乳根というツボを点で刺激する。これにより、血行不良というノイズを徹底的に排除する!」
「待て万桜。それが、おまえの言う『オッパイが好き』に繋がるロジックはなんで?」
勇希が腕を組み、万桜の動機を詰問した。
万桜は、真顔で答える。
「冷えが癌の原因じゃねえか? 冷えによって代謝が落ち、免疫部隊の巡回が滞り、老廃物が溜まる。そこで、コピーミスした細胞が無限増殖する。これはシステムのエラーだ。俺が愛する、舞桜のオッパイ、勇希のオッパイ、サブリナのオッパイ。おまえたちの大切な『資産』を、そんな低俗なバグで失うのは、損失がでかすぎる。だから、予防する。これは、愛情と論理の最適解だ!」
オッパイを推す万桜へ、
「「「オッパイを主語にするんじゃない!」」」
三人娘は呆れたジト目で異口同音。
万桜の真摯な瞳に、勇希はオスカル系天才美女らしい、厳格な表情で頷いた。
「…理解した。おまえの論理は正しい。乳癌の温床となりやすい『冷え』と『低酸素』環境を物理的に排除するのは、予防医学として極めて有効だ」
勇希は、ブラジャーのパッドを手に取り、そのぷにぷにとした感触を確かめた。
「癌細胞は熱に弱いが、このデバイスは乳腺の深部を狙って40度に近い熱を長時間維持できる。これは、化学的な治療ではない、物理的な防御システムだ」
勇希は、万桜の発明を、医学的な観点から裏付けた。
隣で話を聞いていた莉那は、大きな瞳を輝かせた。
「え、すごいじゃん! レンチンでおっぱいの健康が守れるの!? しかも、ぷにぷにしてるから、寝てる時も気持ちよさそう~」
莉那は素直に感心し、万桜を褒め称えた。
「これ、生理前に胸が張って痛いときとか、絶対気持ちいいって! なんていうか、お母さんの手で温められてる感じ? でも万桜、これ、エロくない?」
莉那の率直な感想に、万桜は顔色一つ変えず、
「これは医療器具だ。そこにエロという不純物を混ぜるんじゃねえ!」
と一蹴する。
しかし、超お嬢さま系天才美女である舞桜は、既にその発明が持つ市場の可能性を瞬時に計算していた。
舞桜は、ブラジャーを万桜から受け取り、その素材と構造を冷静に分析しながら、販売戦略を語り始める。
「この『バストレギュレーター』の販売ターゲットは、美しさではなく『健康寿命』よ。まず、ネーミング。ターゲット層への抵抗を排除するため、ネーミングは『|セイタン・サーモ・ケア・パッチ《魔王式温熱パッチ》』に変更するわ」
舞桜は、タブレットの画面に、マーケティングデータを映し出した。
「次にコスト。パッドの素材は、蒟蒻と樹脂。これは極めて安価に大量生産が可能。現在の高級ナイトブラが1万円超で推移していることを考えれば、5000円という価格で、競合他社を駆逐できる」
彼女の言葉には、一切の迷いがなかった。
「そして流通。このデバイスは『下着』ではなく『予防医療機器』として、薬局やドラッグストアの健康用品コーナーに配置する。勇希の医学的見解を全面的に押し出し、乳癌の啓発活動と連携させれば、社会貢献という大義名分も手に入るわ」
舞桜の瞳は、未来の市場占有率を捉えていた。技術と愛情を、完璧な論理で収益化する。それが、彼女の答えだった。
「どう万桜くん? あなたの『オッパイが好き』という感情は、数年後には数十億の純利益を生む、人類の健康を護る事業に昇華するわ」
舞桜は、そう言って微笑むと、パッドをブラジャーに戻し、万桜の顔面にそれを押し付けた。
「その前に、試作品のパッドをあたしに渡しなさい。暫定彼女の身体で、最高のデータを出してあげるわ」
万桜は、舞桜の圧倒的な知略に、ただただ感嘆の息を漏らすことしかできなかった。
「…わかったよ舞桜。おまえに、全部委託します」
その夜、舞桜はバストレギュレーターを装着し、静かに眠りについた。彼女の胸は、万桜の愛情と、蒟蒻の熱容量によって、深く温められ続けている。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
バストレギュレーター(蒟蒻ナイトブラ)の論理的考察
1.開発動機と技術的背景(万桜)
・動機:乳腺組織の冷えによる血行不良が、癌細胞の増殖しやすい低酸素・低体温環境を生み出すという仮説。大切な女性たち(資産)の健康寿命を守るため、物理的な予防策を講じる必要性。
・素材:樹脂コーティングされた蒟蒻粒を使用。これは水分が多いため熱容量が高く、一度温まると長時間、体温に近い温熱を維持できる「天然の蓄熱バッテリー」として機能する。
・機能:
・保温:小粒ビーズが肌に密着し、外気による冷えを完全にシャットアウト。
・ツボ刺激と血行促進: 大粒ビーズが、壇中と乳根(血流改善)のツボを寝返りのたびに優しく刺激する。
・温度設定:レンジ加熱により、乳腺の深部温度を癌細胞の増殖が抑制される39度付近で一定に保つ。
2.予防医学的妥当性(勇希)
・癌予防:癌細胞は熱に弱く、低酸素・低体温環境を好む。このデバイスは、その温床を強制的に破壊し、免疫細胞が活性化しやすい血行最適化環境を維持するため、予防医学として極めて理にかなっている。
・デトックス:血流改善はリンパの流れを促進し、老廃物や代謝ノイズの排出を助ける。
3.市場戦略と収益化(舞桜)
・ターゲット:「美しさ」ではなく「健康寿命」を気にする30代以上の層。
・ネーミング変更:『セイタン・サーモ・ケア・パッチ』など、医療・健康用品としての信頼性を強調。
・価格戦略:蒟蒻素材による圧倒的な低コスト生産が可能。競合製品(高価格なナイトブラ)に対し、機能性が高いにもかかわらず5000円程度で市場を席巻できる。
・流通:下着売場ではなく、ドラッグストアの健康用品コーナーに配置し、予防医療機器としてのブランドを確立する。
翌朝、万桜はハッとした表情を浮かべた。
「それ、サイズの調整もできるからな。俺、気づいちゃったんだけどよ。おまえたち、女の子の日だと、オッパイのサイズ変わるよね?」
万桜は、テーブルの上のバストレギュレーターのホックを指差しながら、女体の神秘について語り始めた。
それは、女体が生命のプログラムを実行するために行う、壮大なデータ圧縮と容量増加のプロセス。
月経が近づくと、ホルモンバランスの急激な変化により、乳腺組織が水分を溜め込み、血流が滞り始める。
その結果、バストは一時的に膨張し、サイズが一段階アップするのだ。
それは同時に、乳腺の周辺に痛みや張り(体内のノイズ)を生じさせる、女性にとっては切実な悩みであった。
万桜は、パッドがその膨張にも対応できるよう、微細な調整機構を組み込んだことを力説した。
これなら、バストの変動に合わせて最適な加温とツボ刺激を提供できる。
「舞桜、おまえはこれを試用した、詳細なデータを教えてくれ」
万桜に業務命令を下された舞桜は、手元のタブレットに記録されたグラフを皆に見せる。
「結果は、この通りよ。グラフの青線が月経前のバストサイズ、赤線が『バストレギュレーター』装着時の温熱浸透度を表しているわ」
舞桜は、淡々と検証結果を報告した。
「月経前のバストは、平均でCカップからDカップへと移行し、体積が8パーセント増加する。この膨張期に、従来のブラジャーは血管収縮を引き起こし、痛みを増幅させていた…しかし、『バストレギュレーター』は、蒟蒻ビーズの柔軟性と熱伝導率により、バストを締め付けず、39度の湿熱で包み込んだ。その結果、痛みの自覚症状は50パーセント減少し、血流の最適化も確認できたわ」
ここで舞桜は目を輝かせた。
「結論。このデバイスは、乳癌予防だけでなく、女性特有の『生理的ノイズ』の緩和にも極めて有効だと立証された」
「すげえじゃん!」
莉那は素直に歓声を上げた。
「じゃあ、生理前の胸の張りが、本当に楽になるんだ!」
「フン」
勇希は、腕を組みながら冷たい視線を万桜に投げつけた。
「おまえの論理は、いつも『オッパイ基準』でしか物事を見てないよな」
「胸が大きくなることを『システム容量の増加』としか見てないんでしょうね」
舞桜も勇希に同調し、二人の天才美女から批難を浴びせられる。
「女性の生理は、単なる『サイズ変更イベント』じゃない。ホルモンの大乱調であり、身体全体が敏感になる、極めて重要な局面だ…それなのに、おまえはオッパイのサイズ変動だけを捉えて『神秘』だなんて」
二人の冷徹な批難に、万桜はまるで動じなかった。
「えぇ~、だってわかりやすいバロメーターじゃねえか、オッパイのサイズ」
万桜は、自分の正当性を訴える。
「身体のどこか一部のサイズが、8パーセントも変動するなんて、異常事態だろうが。それは、身体の内部で、どれほどのエネルギーが動いているかを、外部に伝える最も正確な『警告灯』だ…俺は、その『警告灯』を見逃さずに、バスト全体、ひいては身体全体の健康状態を把握する。これのどこが悪い? 『オッパイのサイズ』は、女性の健康を示す、最も正確な観測基準じゃんか?」
万桜は、そう断言する。
「俺、気づいたんだけどよ。デリカシーって言葉で弾幕張ってんのって、おまえらだよな?」
万桜は切り込む。デリケート案件へと。
「な、なんだと?」
気色ばむ勇希へと、
「まあ、聞けって。女体の神秘を神秘のままにするから、性善説に依存するわけだ。そうだろう?」
万桜は、テーブルに広げたバストレギュレーターを指差した。
勇希はオスカル系天才美女らしい、厳格な表情で腕を組み、口を開く。
「それは、万桜の指摘通りだわ。なぜなら、我が国の保健体育というシステムは、極めて無能だからよ」
勇希の言葉は、教育制度へと矛先を向けた。
「義務教育の現場で教えられるのは、『妊娠しないための物理的な仕組み』と『初歩的な清潔観念』だけ。女性の身体が負う『生理的ノイズ』とその変動の真実について、ヤローどもにはなにひとつ伝えられていない」
隣で舞桜も、その論理を補強する。
「性教育の欠如よ。思春期の男子にとって、バストのサイズ変動はただの『エロい神秘』として情報処理される。それを科学的に『体内の警報』として教えなかった社会の罪ね」
舞桜は、冷徹な瞳で万桜を見つめる。
「もし、おまえの言う通り、生理前のサイズ変更が『健康上の警告灯』として授業で教えられていれば、男がその外見の変化を観察しても『不謹慎』とはならない。しかし、現状は違う。その教育の欠陥を、あたしたち女性の側が『デリカシー』という言葉で、必死に防御しているのよ」
舞桜の言葉は、万桜の論理を認めつつ、女性側の防衛線を明確にした。
「いいじゃねえかオッパイ見たって、俺は男だもん正常な反応だよ。配慮を求めるなら許容と寛容も必要だぜ? それに生理でオッパイサイズ変更は神秘じゃねえ、既に証明済みの現実だ」
万桜は、舞桜たちの論理的防衛線を無視し、さらに切り込んだ。
「ヤローどもが、外見の変化でシグナルをキャッチして配慮するなら前進だ。それをデリカシーがないって断罪するのは、女の傲慢だ。ちげえか?」
その言葉を聞いた瞬間、三人の表情は明確に異なった。
勇希は、カッと熱くなった感情を冷たい理性で押し殺そうと、拳を握りしめた。
「…たしかに、おまえの論理は突き詰めれば正しい。男の無知を『デリカシー』で殴りつけるのは、コミュニケーションを拒否した女の傲慢だと言われても仕方がない」
勇希は、万桜の論理を認めざるを得ない自分に、腹立たしさを感じていた。
一方、舞桜は、表情筋すら動かさず、ただ静かに冷笑を浮かべた。
「ふん。あなたは、すべての女性があなたのような『論理の魔王』だとでも思っているの? 生理中の身体の痛み、感情の大乱調、その全てが『デリカシー』という盾の裏にある。そこに男の目が『警告灯』として注がれるのは、私たちにとって『弱点への侵入』としか感じられないわ」
舞桜は、女性が長年培ってきた「自己防衛の権利」を、論理で否定されることに静かな怒りを感じていた。
そんな二人の間で、莉那だけが、顔を真っ赤にして、ブラジャーを両手で覆い隠した。
「え~、でも、万桜に『ああ、今、莉那は体調悪いんだな』って思われるのは、すっごい嫌だよ! 恥ずかしいじゃん!」
莉那は、本能的な「恥ずかしさ」と「プライバシーの侵害」というノイズを、正直に叫び上げた。
「俺たちの意識変革を求めるなら、おまえらも意識変革しろよ。別に恥ずかしいことじゃねえ。自然であって現実だ」
万桜は断じる。その言葉は、優しさではなく、未来の健康という『強制的な真実』を、三人娘の心に叩きつけるものだった。
「あなたの言いたいことはわかるけど、万桜」
勇希は、冷たく、だが静かに締め括った。
「その『強制的な真実』を、受け入れるには、人類の歴史が持つ『デリカシーという名の慣性』は、あまりにも重いわ」
居間には、真実の論理と、感情という名の現実が、重く漂っていた。
「現実を見ろって話だぜ。全員が全員、この女子の瞳に疲労の色がある…そんなん見抜けるか? 武道の達人でもなけりゃ、そんな観察眼は働かねえ」
万桜は、現実を突きつける。その言葉は、先日、舞桜の瞳孔の微細な動きから、舞桜の体調不良を察知した万桜自身の能力が、特殊な例外であることを認めるものだった。
「個人のスキルに、全人類の健康システムを依存させるのは、論理的ではない。常識を変えれば、みんなが辛い思いをすることはなくなるし、無用な衝突もなくなる」
万桜は、舞桜と莉那を真っ直ぐ見据えた。
「おまえたちが今、俺の論理に猛烈な反発を感じているのも、その『デリカシー』が原因じゃねえ。生理による状態異常で、思考が感情的な方向に傾いているんだ。サブリナは本能的な羞恥心に、舞桜は論理的防御という名の感情に、それぞれシステムリソースを割かれている」
二人の天才美女は、その核心を突く指摘に、一瞬言葉を失う。
特に舞桜は、表情を一切動かさないという自己統制が崩れかけ、眉間にわずかな皺を寄せた。
「なっ…万桜、貴様、今…それを『状態異常』だと断じたのか?」
莉那は、顔面の赤みが一気に耳まで広がり、完全にフリーズしている。
「ひどいよ~! 万桜のバカ! それは状態異常じゃなくて…女の子の、大事な…」
言葉に詰まる莉那を横目に、万桜は冷徹に言い放つ。
「そうだ。その『大事な感情』が、正しい判断の整合性を歪めている。確かにな…今のサブリナと舞桜に、いつもの論理的整合性はない…」
万桜は、その言葉を勇希に振った。
勇希は、深くため息をついた。
「…認めるわ。万桜の指摘は、感情という名の現実を突いている。生理前後の女性は、平均して通常の時期に比べて約30パーセントも感情の振幅が激しくなるというデータがある」
勇希は、学徒としての知識を冷静に展開する。
「これは、卵胞ホルモン(エストロゲン)と黄体ホルモン(プロゲステロン)の急激な変動が、脳内物質の神経伝達物質に直接干渉するからよ。プロゲステロンの代謝産物は、脳の鎮静化を担うGABA受容体を刺激する。そして、ホルモンが急激に下がると、脳の鎮静効果が失われ、一種の脳内過負荷状態になる」
勇希は、舞桜と莉那を見渡しながら、静かに続けた。
「さらに厄介なのは、この感情的な傾斜が、ほとんどの場合、無自覚であるということ。本人は極めて論理的に怒ったり、泣いたりしているつもりでも、その根本にはホルモンによる『化学的な揺らぎ』が存在している。そして、その揺らぎは、万桜の言う通り、自己の健康状態の悪化という物理的真実から目を背けさせる役割を果たしてしまうのよ」
勇希の言葉は、万桜の論理と医学的現実を結びつけた。それは、三人娘にとって、逃げ場のない真実だった。
「精神論で片付けようとするなんざナンセンスだ。サブリナ、舞桜。これつけて、蒟蒻フロート使ってきな」
万桜は、議論という名の不毛な精神論を一刀両断にした。彼が指示したのは、バストレギュレーターの装着と、究極の浮力・保温システムである『水嚢風呂(蒟蒻フロート)』による強制的なシステム・リブート(物理的回復)だった。
感情と論理の板挟みに遭っていた二人には、その強制的な指令が、逆説的に「逃げ場」を与えてくれた。
「くっ……! わかったわよ」
「うう~、行ってくる!」
舞桜と莉那は、悔しさと安堵の入り混じった表情で、居間を後にした。
そして三十分後。
◆ ★ ◆ ★ ◆
一階から戻ってきた二人の姿は、まさにシステム・メンテナンス完了後そのものだった。
舞桜の表情からは、論理的反発という名の硬い防御の層が消え、いつもの冷徹だが淀みのない瞳が戻っている。莉那の顔の赤みも消え、柔らかく穏やかな表情に戻っていた。全身の血流ノイズが排除され、脳内の化学的な揺らぎが、水嚢風呂の均一な温熱と浮力によって完全に調整されたのだ。
「万桜…」「万桜くん…」
二人は、普段の傲慢な天才の顔に戻り、深々と頭を下げた。
「「未熟者したー! さーせん!」」
舞桜と莉那は、自分たちの感情的傾斜を素直に認め、その非を詫びた。舞桜は「論理的整合性の欠如」を、莉那は「無意識下の羞恥心による拒絶」という状態異常を、それぞれ完全に解消させていた。
「おう、善きに計らえ」
論理の魔王は、鷹揚に受け流した。その言葉には、勝ち誇った傲慢さはなく、ただ「自分の技術が、人間の非合理を解消した」|という、発明家としての絶対的な満足感が滲んでいた。
「でもこれ、どうやってプレゼンする? 舞桜の兄ちゃんもハルハゲ頭取も、勇希の父ちゃんも、北野学長も全員オッサンだぜ?」
商品化して、多くの女性を救済するためのハードルが高過ぎる。デリケート案件の意識改革は、まだ始まったばかりだ。誰もが黒木万桜のような鋼鉄の好天思考とメンタルを持っているわけじゃない。
「この事業の主語は『オッパイの健康』だ。オッサンどもにその論理を理解させるには、膨大な時間がかかる…」
万桜は、技術的な問題よりも根深い、人類史のバグに直面し、頭を掻いた。
しかし、勇希は万桜の懸念を一瞬で払拭した。サブリナの魔法の無線を取り出して、その通話ボタンを即座にタップする。
「もしもし母さん? じつは嬉しい魔王案件があるの。父さんたちと一緒に商品化プレゼンに参加して欲しい。あと爽さん(北野学長)の奥さんも呼んで欲しい」
勇希の表情は、いつもの厳格さに、政略的な冷徹さを帯びていた。彼女の言葉は、オッサン連中という巨大なシステムの操作権が、その配偶者にあることを瞬時に見抜いていた。
勇希は通話を終えると、冷ややかに言い放つ。
「オッサンどもは、目の前の女性が『不快な羞恥心』を抱えていると認識するだけで、論理的な判断能力を失うわ。だから、その羞恥心を持たない『客観的な女性』、すなわち彼らの意思決定である母さんたちに介入させる」
舞桜もまた、勇希の戦略的行動に呼応し、迷わず自身のスマホを取り出して連絡を始めた。
「お母さん、ちょっとお願いがあるのだけれど」
舞桜が連絡したのは、兄である淳二の妻、鞠亜だった。舞桜は、義姉である鞠亜を母のように慕っている。鞠亜は淳二を手のひらで転がす術を知っている、茅野家最強の操縦者だ。
二人の天才美女が繰り出したのは、科学技術を凌駕する、社会工学による究極の突破作戦だった。
それを目の当たりにした万桜と莉那のふたりは、顔を見合わせ、ただ苦笑する。
万桜は、肩をすくめた。
「…まいったぜ。論理で武装した俺の技術を、家族愛と女の知略で包囲網するとはな」
莉那は、満面の笑みで拍手を送った。
「やった~! これでみんな、蒟蒻ナイトブラで幸せだね!」
この瞬間、万桜の発明を阻む最大の障壁だった『オッサン会議』は、事実上『女性健康委員会』へと変貌した。プレゼンは、もはや通過したも同義であった。
「オッパイの平和は、もうすぐそこだぜ」
万桜は、テーブルの上のバストレギュレーターを、慈しむような目で見つめた。
★ ◆ ★ ◆ ★
「なんだ? これ?」
勇希がポツリと呟く。
三人娘の前に出されたのは、キューブ状にカットされたアボカドを片栗粉をまぶしてフライにしたものだった。その外見は、「健康の緑」と「罪悪感の黄金」が同居しているかのように見える。
「味付けはこれだ」
そう言って万桜は、黄色い調味料の入った小瓶と赤い調味料の入った小瓶、そして茶色の調味料小瓶をテーブルに並べた。
「市販のカップスープだよ。コーンポタージュ、トマトスープ、コンソメスープ。工場で作られた最適化された味だからハズレがねえぜ?」
「また安直な…」
舞桜は、その徹底した合理主義に、もはや怒る気力も失っていた。
「待て、万桜。アボカドを揚げる、その論理はなに?」
勇希は、万桜の発想の基底を知りたがった。
万桜は、アボカドフライを一つ手に取り、熱弁を振るう。
「いいか。アボカドは『森のバター』だ。特に生理中のおまえたちには、最適解なんだよ。まず、ビタミンE。こいつは血流を促し、生理痛の原因となるプロスタグランジンの過剰な生成を抑える。そして、カリウム。生理前後に溜まりやすい水分を強制排出する」
万桜は、舞桜たちの悩みの核を正確に指摘した。
「だが、重要なのは脂質だ。アボカドのオメガ脂肪酸は抗炎症作用があるが、それを片栗粉で包んでフライにする。これは脂質の暴力だ」
万桜は、自説の核心を突きつける。
「生理中の女性の脳は、エネルギーの欠乏による疲労と情緒不安定を埋めるため、無条件で『高カロリーなジャンクフード』を欲する。これは生存本能だ。この抗いがたい食欲の欲求を、健康的なアボカドで満腹中枢から一気に制圧する」
その完璧に論理的で、
「外はカリカリ、中はとろり。その食感の対比と、油の旨味で、脳を強制的に幸福にする! これが、アボカド・ハッピー・ボムだ!」
かつ欲望に真っ向から向き合った説明に、三人は言葉を失った。
「…食べてみるわ」
舞桜が冷静に一つ手に取り、まずは何もつけずに口に運んだ。
カリッと軽快な音の後、アボカドのクリーミーな感触と、油の香ばしさが口内に広がった。
「たしかに、これは…論理的な麻薬ね」
舞桜は、カップスープの粉を軽く振りかけると、再び一口。
「コーンポタージュの優しくファジーな甘みが、アボカドの濃厚な風味を包み込むマスキング。これまでの罪悪感とは一線を画す。万桜、あなたは『生理的欲求の最適解』を、ここに実現したのね」
彼女は、万桜の発明ロジックを「食欲制御システム」として高く評価した。
勇希は、アボカドフライにコンソメスープの粉を少量つけ、一口。
「…フッ。万桜、おまえの論理は相変わらず、いつもどおり正確だ」
彼女の厳格な瞳が、わずかに緩む。
「アボカドと片栗粉で、栄養価の高いハイブリッドな『ジャンク』を作り出した。生理中の女性が欲する脂質エネルギー、塩分、そして圧倒的な満足感を、化学的な偏りなく提供する。カップスープを使うのも、不安定な味覚に『ハズレのない美味しさ』を与えるためか」
勇希は、もはや料理ではなく、万桜の食欲制御アルゴリズムレギュレーションの美しさに感嘆していた。
一方、莉那は、躊躇なくトマトスープの粉をたっぷりとかけ、目を閉じて、その幸福を全身で受け止めた。
「んんん~~~! なにこれ、超おいしいよ!」
彼女は、涙目になりながら叫ぶ。
「あたし、生理前はいつも、甘いものとポテトチップスのどっちを選ぶか地獄だったんだよ! でも、これは…! なんか、心が、満たされる!」
莉那は、まさに本能から解放された喜びを表現した。
「論より、証拠だぜ?」
万桜は、三人の満たされた表情を見て、満足げに笑った。彼の「オッパイの平和」は、物理的なケアと、化学的な快感レギュレーションの両面から、完璧に守られようとしていた。
「「「てか、ん~ってするヤツ初めて見た」」」
アボカド・ハッピー・ボムを頬張り、全身で「ん~」と悶絶した莉那に対し、万桜、勇希、舞桜の三人は、完全にシンクロした動きでツッコミを入れた。
居間の空気が、一瞬にして論理から困惑へと染まる。
「なんだサブリナ、そのリアクションは。食レポの初期プログラムか?」
万桜は、自身の最高傑作がもたらした反応が、あまりに非論理的な快感表現であったことに驚き、思わず箸を止めた。
「……驚いたわ。サブリナ、あなたの脳内報酬系は、アボカドの脂質によって一時的な機能不全を起こしているようね」
勇希は、医学的な視点から莉那の「ん~」を分析しようと試みるが、その顔には隠しきれない当惑が浮かんでいる。
「お嬢様のあたしの前で、そんなに無防備な声を出すなんて。サブリナ、あなた、完全に防衛線を放棄したわね」
舞桜もまた、呆れたジト目で莉那を見つめるが、その瞳の奥には、そこまで莉那を狂わせる万桜の料理への、微かな敗北感が滲んでいた。
「だってぇ! 本当に美味しいんだもん!」
莉那は、顔を赤くしたまま反論する。
「アボカドの熱々の全部が『ん~!』って感じなの! 言葉にするより、この振動で伝えたほうが早いでしょ!?」
万桜は、莉那のその勢いに一歩引きつつも、すぐにニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「フン、いいだろう。言語化できないほどの幸福感。それこそが、俺の論理が到達した究極の出力結果だ」
万桜は、残りのアボカドフライを口に放り込み、咀嚼する。
「サブリナの『ん~』を、このシステムの肯定証明として受理してやる。だが、次はもう少しマシな語彙力をデプロイしろよ?」
「無理だよ~! 美味しいときは、人間『ん~』ってなっちゃうんだよ!」
莉那の無邪気な叫びが、黒木家の離れに響き渡る。
論理の魔王も、医学の天才も、知略の令嬢も、最後には莉那のその「ん~」という非合理な幸福に、どこか救われたような表情を見せた。
『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みの地球の皆様へ!
いつも拙作『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みいただき、本当にありがとうございます!
物語の中で、「魔王」こと黒木万桜は、時には「水嚢の川」で災害に立ち向かい、時には中古スマホを活用したクローズドネットワークなんて突拍子もないアイデアまで生み出しています。
実は、この物語には、万桜のそんな「もしかしたら、これって本当に役立つかも?」と思えるような、たくさんのアイデアが散りばめられているんです。読者の皆さんも、「これ、面白い!」「こんな風に使えるんじゃないか?」なんて、閃いたことはありませんか?
地球のみんなぁ~! オラに「★」をわけてくれーっ!
もし、この物語を読んで、少しでも「面白い!」「次の展開が楽しみ!」「万桜のアイデア、イケるかも!」と感じていただけたなら、どうかページ下部の【★★★★★】ボタンをポチッ!と押して、星評価を分けていただけないでしょうか!
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引き続き、『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をどうぞよろしくお願いいたします!




