黒き魔王の海の堆肥
前書き
二〇一九年八月上旬、甲斐の国大学、水産資源試験場二階。
資源循環の壮大な論理を巡る議論は、やがて個人的な感情、「情愛のノイズ」が優位を占める戦場へと変貌した。
黒木万桜は、論理で柏葉弥生を追い詰めるが、弥生さんは幼児退行という非合理な手段で回避を図る。藤枝の「情愛の危機管理」は弥生さんの理性に冷徹に査定され、彼の恋は玉砕した。
そして、その情愛の戦場に、セイタンシステムズCEOの茅野舞桜と、絶対的な独占欲を持つ白井勇希が同時に介入する。二人の「情愛の支配者」が引き起こす絶対零度の空間、情愛のコキュートスの中、万桜さんと藤枝さんは、論理も理性も砕かれた状態で震えることになる。
これは、天才たちの非情な論理と、非合理な情愛が交錯する、システムの崩壊の記録である。
二〇一九年八月上旬、甲斐の国大学、水産資源試験場二階。
黒木万桜と柏葉弥生が、意見を闘わせていた。
「穫る一方じゃ枯れるって、だってミネラルは有限じゃねえか!」
万桜は、テーブルに拳を打ち付けた。無理だと言う弥生に、その主張の根幹を突きつける。
「ですが、黒木くん、漁業従事者はカツカツでやっています! その上に更なる処理コストという負荷を掛けることは容認できない!」
弥生は顔を蒼白にしながら、万桜の熱量に押し返されないよう、自らの論理を盾にする。
「ちげえよ! それはコストじゃねえ! 未来への投資だよ! 腹いっぱい食わせて、海を太らせれば、永久に腹いっぱい食えるじゃねえか!」
万桜は、まるで世界を見通すかのように、腕を組みながら弥生を見据える。
「海から一方的に掠め取る、今のシステムは、海を資本の食い潰しに追い込んでんだ。柏葉さんの言うコストは、その崩壊を数年遅らせる延命措置にかかる目先の金でしかない!」
「延命措置? その目先の金を払えずに、我々は破綻するんですよ! 内水面の外来種を回収し、陸上設計施設で錬成する。そのオペレーションと、重金属のノイズ隔離にかかるコストを、誰が負担すると言うんですか!」
弥生は、議論のスケールと、それに伴う現実的な費用の巨大さに、苛立ちを隠せない。
「現状の漁獲で、そのコストを賄えるはずがないでしょう!」
「賄えねえからこそ、価値を反転させるんだ!」
万桜は、激しく弥生の論理を否定する。
「ブラックバスは負債じゃねえ。重金属とミネラルを濃縮した、制御可能な資源だ。それを駆除費や廃棄費という負債としてではなく、環境再生への資本として回収するんだ。柏葉さん、なぜ資源循環を、漁業の費用としてしか見ない!」
「資源循環の重要性は理解しています! しかし、重金属を濃縮した淡水魚を、安全な海の堆肥にするための技術的なリスクと責任が、あまりにも巨大すぎる! そのリスクヘッジに、どれほどの資金と、失敗の許されない技術が必要だと万桜くんは考えているんですか!」
「リスクヘッジじゃねえ! ノイズの隔離だよ!」
万桜は、弥生の懸念を一刀両断にする。
「重金属を濃縮させた魚体を、陸上で化学処理して、不溶性の塊として固定化する。ノイズを完全に封じ込めた上で、人間の食物連鎖に影響しねえ深海へ、戦略的に沈降させるんだ!」
弥生の顔に、初めて動揺の色が走る。
「……隔離。そして、その魚体が持つリンや窒素といった正のミネラルだけを抽出して、沿岸部の漁場に濃度の制御をした堆肥として戻す。つまり、内水面の負債を海洋の資本に錬成する……」
万桜は、畳み掛けるように続けた。
「海に借りたツケは、海で払う。それが循環の理屈だ。今の漁師に負荷を掛けるんじゃねえ。システムそのものを変えるんだ! 柏葉さんは、なぜ持続不可能なシステムの延命に固執する!」
弥生は、反論の言葉を見つけられずに、ただ立ち尽くす。
万桜の論理が示す、「海が枯れる未来のコスト」は、弥生が懸念する「現在の処理コスト」を遥かに凌駕する非情な合理性を持っていた。
★ ◆ ★ ◆ ★
「魔王さま、ちょっと」
激しい口論を闘わせる万桜に、防大組の藤枝が待ったを掛ける。
「なんなんだよ藤っち? いま、システムの根幹を話してんだ。引っ込んでろ」
「いいから、ちょっと」
藤枝は、周囲に聞こえないよう、万桜の制服の袖を執拗に引き寄せる。
万桜は苛立ちに舌打ちし、応じてやる。
「魔王さま、柏葉さんにも粉かけてるの?」
その言葉を聞くやいなや、万桜の理性の糸が切れた。
「いってぇ!」
万桜の回転の乗った蹴りが、藤枝の臀部をしたたか蹴り上げる。藤枝は甲高い悲鳴を上げ、試験場の備品に激突しかけた。
「今のどこ見て、そうなった! 柏葉さんは、ただの議論の相手だろうが!」
声を荒らげて問い質すと、藤枝は涙目で、部屋の隅の物陰に隠れるような人影を指差した。
そこに立っていたのは、白井勇希であった。
勇希は、オスカル系女子の凛々しい顔立ちを精一杯無表情に保ってはいるが、その漆黒の瞳の奥は鋭い剣幕に満ちていた。その軍服のような端正な制服は、わずかに怒りのためか震えているようにも見える。
まるで、主戦場から外された将軍のように、不満と嫉妬を全身で表現していた。
万桜は吐息をひとつ。一瞬で、「資源の循環」から「恋の修羅場」へと思考を切り替える。
「柏葉さん。この件は後で話そう」
弥生は、議論の途中で中断されたことに不満顔であったが、状況を察し、小さく頷いた。
万桜は、ヤキモキの塊となって突っ立っている勇希のもとへ、戦場を移動するかのように歩みを寄せた。
「勇希」
万桜が声を掛けると、勇希は「なに?」と、短く返事をした。その声には、普段の豪胆さが欠片もなく、拗ねた子供のような幼稚なトーンが混じっている。
「柏葉さんと、なにをそんなに激しく語り合っていたんだ?」
勇希は、万桜の顔を直視せず、窓の外の遠景に視線を固定している。その横顔は鋼鉄のように硬直し、「私が一番、あなたの論理を理解できる」という、強固な主張を沈黙で訴えていた。
「海の堆肥の件だ。柏葉さんは、コストの壁で未来が見えなくなってる」
「ふうん」
勇希は、万桜の話に全く興味がない、とばかりに鼻を鳴らした。
「ならいい。でも、おまえは優良物件だ。あまり気を揉ませるな」
拗ねた言葉の端々には、万桜の知性を独占したいという強い独占欲と、年上の弥生に対する露骨な軽蔑が滲んでいた。勇希の女の直感が弥生が万桜を狙っていると告げている。
「農家の長男は嫁が見つかりづらいんだろ?」
「そ、そうだけど…」
勇希は、なおも不満そうに口を尖らせたが、「話す」という万桜の約束に、わずかに硬直を解くのであった。
★ ◆ ★ ◆ ★
同刻、東京千代田区。日本の「権威」が集う静謐な場所にある、会員制の高級ステーキハウスにて。
防衛大学校3回生の倉田琴葉は、目の前に置かれた500グラムのフィレステーキを、まるで「戦場の糧」であるかのように、無心になって咀嚼していた。
その一口、一口は、彼女の「舌の快楽」を満たすものではない。それは、肉と脂の味、そして「価格と味の乖離」を解析する極めて論理的な処理であった。
(信源郷町の甲斐の国大学まで、食べにくるがいい)
琴葉の心中の声が、目の前の肉に冷静な査定を下す。
(肉質はA4、焼き加減は完璧なミディアムレア。だが、この場所代、「権威」という名の空間のノイズ込みで、この価格か)
彼女は、フォークの先に残った肉を、口に運びながら冷徹な視線で見つめた。
(美味しいが、これは適正価格ではない。30%の過剰な資本が投下されている。そして、この店の店員の、「自分たちが最高の場所を提供している」という驕った態度も気に入らない)
そのとき、琴葉の向かいに座る上司、佐々陸将が、恐る恐る声を掛けてきた。
「あぁ、倉田くん…こちらが、一応、俺たちの最高司令官なんだが…」
佐々陸将は、肉に集中し、周囲の「権威」の空気さえも完全に無視している琴葉に、窘めるような苦言を呈した。横には、総理大臣が、その「軍属の天才」の異様なオーラに押され、小さくなっている。
琴葉の思考回路には、「食事中の会話は、咀嚼と分析の効率を下げる最大のノイズ」という、極めて単純な合理的論理が刻まれていた。
「食事のさなかに声を掛けるな! ここは戦場だ!」
琴葉は心中に叫んだ。いや、声に出ていた。その論理的な怒りは、彼女の普段の冷静な仮面を打ち破るほどの熱量を持っていた。
「「ご、ごめんなさい!」」
その怒号ではない、冷静を装った、しかし有無を言わせぬ圧力に、佐々陸将と、日本の最高権威である総理大臣は、素直に頭を下げた。
最高司令官の権威よりも、目の前の防大生の「食事への集中力」が勝った。琴葉の「論理の暴力」は、物理的な権威さえも押し負かしたのだ。
総理大臣は、小さな咳払いをして、佐々陸将に耳打ちする。
「佐々くん。この倉田くん、例の報告と、甲斐の国大学での暴走について、なんと言っている?」
佐々陸将は、琴葉の鉄の視線から逃れるように、小声で答えた。
「人工知能システム魔王が、能動的に起動したそうです…」
佐々陸将は、ちらりと琴葉を見て、言葉を区切る。
「ハンバーグ300グラムを追加で…」
琴葉は、最後の肉片を咀嚼し終え、テーブルナプキンで口元を拭いながら、初めて総理大臣と佐々陸将を直視した。その瞳は、ステーキの価格と同じくらい、彼らの「論理的な瑕疵」を査定する冷たい光を放っていた。
「魔王の行動を、あたしは容認できません」
琴葉の声は、ステーキハウスの重厚な空気を切り裂く、鉄のように鋭い論理を帯びていた。
「魔王はユーザーの意思を無視して強制的に介入した。これはシステムとしての制御の論理を逸脱しています。即刻、システムログの完全な監査と、アクセス権限の剥奪が必要です」
総理大臣は、その言葉に顔色を変えた。
「ああ君、ハンバーグ300グラムを追加で…てか、まだ入るの? お残しは許しまへんで?」
「おかわりがなければ、お口にチャックです!」
琴葉は、総理大臣の言葉を一刀両断にする。
倉田琴葉は、追加で注文したハンバーグ300グラムを、まるで「技術の暴走」という名の課題を解析するかのように、淡々と咀嚼し続けた。
「あたしは体験していませんが、黒木くんたちは間違いなくVRを体験しています。それも、リアルな感覚を伴う高度なVR…映画やアニメに出てくる、御伽噺みたいなあれです…」
琴葉は、言葉の端々に、その技術的な非合理性への警戒心を滲ませる。彼女が、「情愛の構造体」が安定している自分自身は体験していないことを強調するのは、技術の論理と情愛のノイズを明確に隔離しようとする彼女の意思の証明であった。
「シーザーサラダをお願いします」
琴葉は、その深刻な報告の直後に、まるで「栄養バランスの維持」という極めて個人的な合理性を優先するかのように、冷静に追加のオーダーを放った。
「順序おかしくない?」
総理大臣は、ハンバーグの後にサラダという非合理な食事の順序と、人工知能の暴走という国家的な危機が同列に扱われていることに、思わず絶叫にも近い悲鳴をあげる。
「お野菜は大切です!」
琴葉の言葉は、「健康の論理」という反論不能な暴力を帯びていた。その剣幕に、総理大臣は、国家の権威をもってしても押し切られた。
総理大臣は、重い吐息をひとつ。目の前の「天才の論理」と「人工知能の暴走」という、自分たちの制御を遥かに超えた次元の問題を前に、「権威」という名の判断の放棄を決定する。
「様子見にしよう」
日本のトップは、「何もしない」という最も消極的な意思を決定した。
「え、ちょ、いいんスか?」
佐々陸将が、責任の所在を気遣い、思わず声を荒らげて質した。
総理大臣は、苦笑いを浮かべながら、天才への丸投げという、最も合理的な現実逃避の論理を口にする。
「私たちにどうこうできる次元じゃない…なにかあっても、くだんの魔王さまがなんとかするさ…」
総理大臣の判断は、「天才の論理は、天才にしか制御できない」という、非情な現実を認めつつも、黒木万桜という「論理の魔王」に対して全責任を負わせるという、権威の持つ、最も非合理な丸投げの論理であった。
琴葉は、シーザーサラダを口に運びながら、その国家の判断に、満足も不満も示さなかった。彼女の目的は、システム監査の必要性を提示することであり、権威の判断は、彼女の「論理的な行動」のノイズではないと判断したのだ。
★ ◆ ★ ◆ ★
同日、甲斐の国大学、水産資源試験場二階。
黒木万桜と柏葉弥生が、「資源の循環」というシステムの根幹を巡り、激しく意見を闘わせていた。
「ミネラルが陸に持ち出されているのは、わかりました」
弥生は、万桜の「海が枯れる未来のコスト」という巨大な論理を、しぶしぶながらも認めた。
「ですが、その解決策として、淡水魚を海水魚の堆肥にするという論理は、あまりにも非合理です!」
弥生は、顔面を蒼白にしながら、今度は「技術的な常識」という、現実的な壁を盾にした。
「淡水魚は、陸水の食物連鎖を経て、独自のノイズを濃縮しています。特にブラックバスのような外来種は、重金属だけでなく、淡水に特有の未知のウィルスや、病原菌のノイズを大量に抱えている可能性がある!」
彼女は、テーブルに置かれた資料を、指先で叩いた。
「我々が、内水面の負債を海洋の資本に錬成するというならば、この淡水起源のノイズを、海洋の食物連鎖に直接投入するリスクをどう考えるんですか!」
弥生の指摘は、極めて現実的な懸念であった。海と淡水は、塩分濃度という物理的な隔たりによって、食物連鎖のノイズを隔離している。その自然の隔離システムを、人為的に破ろうとしているのだ。
「淡水系のウィルスや未知の病原体が、塩分耐性を獲得し、海洋生態系に新たなパンデミックを引き起こす可能性は、絶対に排除できません!」
弥生は、万桜の「ノイズの隔離」という論理の純粋さに、「生態系の非合理な反応」という予測不能な脅威を突きつけた。
「それは、未来への投資じゃなく、未来へのテロ行為ですよ! それを数年遅れの延命措置と呼ぶんですか!」
弥生は、議論の論理を、倫理と恐怖へと反転させた。
万桜と柏葉弥生の資源循環を巡る議論は、すでに技術論の域を超え、人格攻撃に近い論理の暴力と化していた。
「忘れてるぜ柏葉さん。淡水系の寄生虫や病原体は海水じゃ生きられねえ。それに回遊魚たちは、海と川を行き来しているじゃねえか?」
万桜の言葉は、柏葉弥生の淡水・海水ノイズ隔離という最後の砦を、生態系の自明の理という最も単純で強固な論理で打ち崩した。
柏葉弥生の顔からは、わずかに残っていた技術者としての矜持が、完全に消え失せていた。
彼女は、まるで熱源を失った機械のように、身体の均衡を保つことさえ困難になり、壁に背中を預けて、ゆっくりとへたり込む。その蒼白な顔面には、「敗北」という非情な文字が刻印されていた。
「設計したミネラルを海に還せば、海は枯れねえ。この水産資源試験場で育てた魚介類の余剰分を放流したっていい。現に鮭はそうしてるじゃねえか?」
万桜の畳み掛ける論理は、もはや柏葉弥生に対する慈悲を持っていなかった。論理的な敗北は、精神的な崩壊を引き起こす。
柏葉弥生は、その場に座り込み、膝を抱えた。優秀な研究者としての理性の皮膜は剥がれ落ち、保護者を求める幼児の非合理な衝動だけが残った。
「ふ、ふじえだぁ~! マオがぁ、ヤヨイを、いじめるの! やっつけて!」
彼女が、甲斐の国大学の試験場二階という、公共の場で発した救難要請は、岩手弁の、極めて幼いトーンであった。その幼児退行した甘えと悲痛が混じった声は、議論の場から少し離れた場所で、藤枝を直撃した。
藤枝は、頭を抱えて呻いた。
(やべえ! 柏葉さんが岩手弁モードに入っちまった!)
藤枝は、柏葉弥生の故郷の方言と、それに伴う幼児退行を知っていた。そして、救難要請に応じるにあたり、極めて重大な選択を迫られた。
選択肢は二つ。
・岩手弁で応じ、柏葉弥生の幼い自己を肯定し、共犯関係に入るか。
・標準語で応じ、柏葉弥生を大人の論理に引き戻すか。
(ここで岩手弁で「だめだぁ、マオ! やめろぉ!」って言ったら、永遠に敵認定される!)
藤枝は苦悩する。
(だが、標準語で突き放したら、柏葉さんの精神が、ここで崩壊する!)
藤枝の青年期の良心と軍属の危機管理が、激しく葛藤する。
そして、藤枝は、自己の安全よりも、眼前の危機を優先した。
「コラッ! ダメだろぉ!」
藤枝が岩手弁の幼児言葉で放ったのは、万桜への威嚇ではなく、柏葉弥生の崩壊を肯定し、その場に情愛の論理を持ち込むという非合理な選択であった。
万桜は、論理的な対話の場に情愛のノイズが持ち込まれたことに、心の底から苛立ちを覚える。万桜の純粋な論理は、個人的な情愛という、最も非合理な熱源に、常に邪魔をされるのだ。
「さーせん」
万桜は、感情を完全に脱色させた、棒読みな謝罪を口にした。その場違いな謝罪が、逆に情愛の熱源を冷却させるノイズとなった。
その言葉を聞くやいなや、膝を抱えていた柏葉弥生の顔つきが、一瞬で引き締まる。彼女の理性が、強制的に再起動したのだ。彼女は、ゆっくりと立ち上がり、制服の皺を払いながら、研究者の顔に戻った。
「黒木くんの論理は、非情なほど合理的です」
柏葉弥生は、その場の情愛のノイズを無視し、議論の続きに入った。
「内水面のノイズ隔離とミネラル錬成の技術が確立できれば、たしかに海が枯れる未来を回避できる可能性はあります。そして、その技術の資本は、漁獲量増加による未来の利益で賄われるという論理も理解できます」
柏葉弥生は、一度論理的に敗北したことで、万桜のシステムを完全に内面化した。その瞳には、もはや恐怖ではなく、新しい論理を理解した研究者の光が宿っていた。
「そして、藤枝くん」
柏葉弥生は、顔を真っ赤にして、未だ岩手弁の余韻に囚われている藤枝に、冷たい視線を向けた。藤枝は、一世一代の勝負を挑んだ後の結果発表を待つように、ごくりと唾を飲んだ。
「なにかあった時に、大人の論理で突き放すのではなく、相手の幼い自己に寄り添い、同じ論理構造で対話を試みたことは、情愛の危機管理としては正解です」
柏葉弥生は、藤枝の行動を、極めて客観的な論理で査定した。
「ですが、情愛を論理で解決しようとした時点で、あなたは万桜くんと同じ過ちを犯しました。そして、わたしは、あなたの情愛のノイズを、評価することはできても、受け入れることはできません」
柏葉弥生は、藤枝の「論理的な優しさ」を認めつつも、その裏にある「個人的な好意」を容赦なく切り捨てた。
藤枝は、顔面から血の気が引くのを感じた。「正解」という論理的な評価は得られた。だが、それは恋を射止めるための感情的な報酬ではなかった。彼は、柏葉弥生の研究者としての評価を求めていたのではなく、ひとりの男性として彼女の情愛を求めていたのだ。
(グッ…正解って…査定されただけかよ…)
藤枝の心臓が、鉛のように重くなった。柏葉弥生は、彼にとって、情愛の対象である前に、論理を評価する機械でしかなかったのだ。
そのとき、修羅場から論理へと戻った空間に、新たなノイズが闖入した。
★ ◆ ★ ◆ ★
柏葉弥生の冷徹な査定が、藤枝の情愛を砕いた直後、空間の温度が絶対零度まで急降下した。
「今、柏葉さん。『万桜くん』って呼んだ?」
その声は、試験場二階の重厚な空気を凍らせるほどの冷たさを持っていた。セイタンシステムズの茅野舞桜である。彼女は、いつの間にか空間に出現していた。そのCEOとしての威圧感と、情愛の支配者としての絶対的な冷たさを纏っている。
「奇遇だな舞桜…あたしにも、そう聞こえた…」
白井勇希の声も、絶対零度のコキュートス(地獄の最下層)であった。独占欲という名の氷が、勇希の全身を覆い尽くしている。
黒木万桜は、全身から汗を噴き出させた。資源循環という論理の戦場を凌駕する、最も非合理で苛烈な戦場に、強制的に引きずり出されたのだ。
(やべえピキッってやがる…情愛の論理は、二人で一対一じゃねえ…これは、システム障害だ…!)
万桜は、思考回路がオーバーヒートするのを感じた。
「ごめんなさい柏葉さん。ウチの万桜は売り切れなの…これで妥協してくれない?」
そう言って、舞桜は、論理と情愛の板挟みで顔面蒼白になっている藤枝のことを、柏葉弥生の元へと差し出した。まるで、「論理の敗残兵」を再利用しようとするかのような、非情な提案であった。
「ウチのってなんだ? そう言うことだ柏葉さん。悪いがこいつは売り切れなんだ。すまないな」
勇希はそう言って、柏葉弥生へと見せつけるように、万桜に引っ付いた。オスカルのような端正な顔立ちが、露骨な独占欲で歪む。
絶対零度の二人の天才に挟まれた万桜は、その場で硬直した。勇希の体温は熱いはずなのに、万桜の背筋を流れる汗は、氷のように冷たかった。情愛の暴走こそが、万桜にとっての最大の恐怖であった。
一方、柏葉弥生は、二人の天才の情愛の熱源を、冷徹に観測した。
「黒木くんに興味はない…あたしの好みは童顔だ…間違えるな…」
柏葉弥生は、ガンダム系女子と化して、コキュートスに否定した。彼女の童顔好みという「個人的な非合理」は、二人の天才の情愛の暴力に対する、最後の抵抗であった。
その非情な否定を聞いた万桜と、柏葉弥生に売り付けられた藤枝は、同時に震えた。
万桜は、勇希たちの情愛から逃れられないことに、深い絶望を感じた。そして、藤枝は、自分が「妥協の産物」として差し出され、さらに「好みじゃない」と否定されたことに、二重の屈辱と恐怖を味わった。
「童顔! 童顔だと! なんでよりによって俺の正反対なんだ!」
藤枝の心臓は、砕け散る寸前であった。彼は、万桜とともに情愛の地獄で凍えているのだ。
「いや、おまえ童顔よりだぞ藤っち」
万桜のツッコミに、藤枝は、
「マジでか?」
一縷の希望を見出した。
『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みの地球の皆様へ!
いつも拙作『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みいただき、本当にありがとうございます!
物語の中で、「魔王」こと黒木万桜は、時には「水嚢の川」で災害に立ち向かい、時には中古スマホを活用したクローズドネットワークなんて突拍子もないアイデアまで生み出しています。
実は、この物語には、万桜のそんな「もしかしたら、これって本当に役立つかも?」と思えるような、たくさんのアイデアが散りばめられているんです。読者の皆さんも、「これ、面白い!」「こんな風に使えるんじゃないか?」なんて、閃いたことはありませんか?
地球のみんなぁ~! オラに「★」をわけてくれーっ!
もし、この物語を読んで、少しでも「面白い!」「次の展開が楽しみ!」「万桜のアイデア、イケるかも!」と感じていただけたなら、どうかページ下部の【★★★★★】ボタンをポチッ!と押して、星評価を分けていただけないでしょうか!
皆さんのその「★」一つ一つが、作者の大きな励みになり、万桜の次の「魔王案件」へと繋がるエネルギーになります!
引き続き、『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をどうぞよろしくお願いいたします!




