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黒き魔王と登る川

前書き

 それは、究極の「味の暴力」が引き起こした、奇想天外なプロポーズと、予期せぬひらめきだった。

 祭谷結が振る舞う、常識を超越した「焼きラーメン、オンザピッツァ」。その強烈な美味しさは、冷静沈着な茅野舞桜の理性を破壊し、彼女にまさかのプロポーズを決意させる。その光景は、白井勇希や福元莉那を驚かせ、黒木万桜を呆れさせるが、彼の脳裏には、この「味の暴力」から生まれた新たなアイデアが閃いていた。

 それは、ラーメンの麺とブラシを組み合わせた、摩擦低減システムという、彼の奇想天外な発想だった。そして、そのアイデアを巡って、舞桜と勇希は、それぞれの知性と感性で議論を交わし、やがて、万桜の「ロープウェイ計画」を具体的に進めるための、奇妙な「結託」を形成する。

 さらに、彼女たちは、些細なゲームの話題から、それぞれの価値観をぶつけ合うヒロイン論争へと発展。そんな女子たちの間で繰り広げられる激論は、次第に、それぞれの内面を浮き彫りにし、この物語のもう一つのテーマを暗示する。

 これは、天才的な発想力を持つ男と、個性豊かな女性たちが織りなす、青春と知性と、そして恋の物語。彼らの関係性は、番長の「味の暴力」を通じて、さらに複雑に、そして鮮やかに絡み合っていく。


うん。ビアンカを選ぶのは執着か?

 2016年5月。

 初夏の強い日差しが差し込む2016年、放課後の信源郷町高校の職員室。教頭先生が投げかけた「緊急通報はどうするんだ?」という問いは、万桜(マオ)たちが作り上げた「世界に繋がらない端末」の、核心を突く課題だった。確かに便利で安価な通信手段だが、命に関わる緊急時に外部と連携できないというのは、致命的な欠点になりかねない。

「いや、公衆電話使えよ」

 万桜(マオ)は涼しい顔でそう言い放った。彼の脳内では、最もシンプルで直接的な解決策が瞬時に導き出されたのだろう。しかし、その答えは現実の複雑さとはかけ離れていた。

「怪我したらどうするの?」

 莉那(リナ)の問いは、万桜(マオ)の提案の穴を的確に突いた。確かに、動けない状況で公衆電話まで辿り着けるとは限らない。その言葉に、万桜(マオ)拓矢(タクヤ)勇希(ゆうき)の三人は、顔を見合わせて悩み始める。万桜(マオ)の天才的な発想も、時に現実の壁にぶつかるのだ。

 沈黙を破ったのは拓矢(タクヤ)だった。テレビで見た通報センターが思い浮かんだのだ。

「県警や消防用のアプリ作って、連携してもらえばいいだろう? 緊急通報センターでブラウザであげて貰うだけじゃん?」

 拓矢(タクヤ)の提案は、万桜(マオ)の「世界に繋がらない」というコンセプトを維持しつつ、必要な情報だけを限定的に外部へ伝えるという、現実的かつ画期的なものだった。

 その瞬間、万桜(マオ)莉那(リナ)の目が輝いた。面倒な社会的な折衝や根回しは拓矢(タクヤ)に任せ、自分たちは得意な技術開発に集中する。これこそが、彼ら二人の得意な役割分担だった。

「よし、折衝は善きに計らえ! 行くぞサブリナ!」

「ガッテンだッ!」

 万桜(マオ)が声を上げると、莉那(リナ)も満面の笑みで応じた。二人は、アプリ開発という「物の数分」で完了するであろう作業のため、教頭先生に背を向け、まるで嵐のように職員室から駆け出していった。

 職員室に残されたのは、教頭先生と、拓矢(タクヤ)、そして勇希(ゆうき)の三人。教頭先生の視線が、残された二人に向けられる。その目には、言葉にはしないが、とてつもない圧が込められていた。万桜(マオ)莉那(リナ)が丸投げした「折衝」という名の重責を、彼らが引き受けることを暗に迫っているのだ。

斧乃木(オノノギ)、白井、わかっていると思うが…」

 教頭先生の声は静かだが、その裏に込められた期待と威圧感は、職員室の空気を重くした。

 拓矢(タクヤ)勇希(ゆうき)は顔を見合わせ、大きく息を吐いた。彼らは、教頭先生の意図を正確に理解していた。万桜(マオ)莉那(リナ)の自由奔放さに振り回されるのはいつものこと。だが、彼らの生み出すアイデアを社会に実装するためには、誰かがその後の面倒を引き受けなければならない。

「「村上先生の仰せのままに!」」

 二人の声が揃って響き渡る。その声には、諦めと、そしてどこか使命感のようなものが混じり合っていた。彼らは、万桜(マオ)という「天災」が生み出す奇跡を、現実の世界へと繋ぎとめる「最後の砦」として、その重責を全うすることを誓ったのだ。


◆ ★ ★ ★ ★ ◆


 こうして各緊急通報受理機関との折衝は、教頭先生と拓矢(タクヤ)勇希(ゆうき)に丸投げされた。数日後、その大役を終えて心身ともに消耗しきった拓矢(タクヤ)勇希(ゆうき)は、万桜(マオ)莉那(リナ)が陣取る教室へと乗り込んだ。

「おい、万桜(マオ)。殴らせろ」

 ゲッソリとした拓矢(タクヤ)が、怒りを通り越して怨み節を述べた。彼の顔には、慣れない役所とのやり取りで生じた疲労が色濃く刻まれている。

「え、ヤだよ…ピノ奢ってくれるってよ? サブリナが」

 万桜(マオ)は、拓矢(タクヤ)の殺気立った視線からすっと目を逸らし、隣に座る莉那(リナ)に責任を転嫁した。まるで自分には関係ないと言わんばかりの態度だ。

「おい、サブリナ…」

 今度はゲッソリとした勇希(ゆうき)が、冷静さを失いかけた声で莉那(リナ)に矛先を向けた。彼女の頬はやつれ、その表情には怒りよりも深い疲労が滲んでいる。

「ピノ奢ってくれるってよ万桜(マオ)が」

 莉那(リナ)は悪びれる様子もなく、万桜(マオ)に責任を押し付け返した。二人の間でピノを巡る責任転嫁のボールが、まるでピンポン玉のように行き交う。

「「ピノくらいで流すかボケッ! あ、でもピノはゴチッ!」」

 拓矢(タクヤ)勇希(ゆうき)の声が、完璧な唱和(ユニゾン)で教室に響き渡った。怒りは収まらないものの、ピノという甘い誘惑には抗えない彼ららしさが垣間見える。

 その言葉を聞くや否や、万桜(マオ)莉那(リナ)は顔を見合わせた。次の瞬間、彼らは素早く立ち上がった。

「おいサブリナ、ピノ買いに行くぞッ!」

「ガッテンだッ!」

 二人は、拓矢(タクヤ)勇希(ゆうき)から逃れるように、風のように教室から駆け出した。彼らの背中には、一切の悪びれた様子はなく、ただ純粋にピノを手に入れることだけを考えているようだった。後に残された拓矢(タクヤ)勇希(ゆうき)は、あまりの出来事に呆然と立ち尽くすしかなかった。


★ ☆ ★ ☆ ★


 2018年7月。

 拓矢(タクヤ)の脳裏に過去が過る。これは多分、予感だ。波乱の――

 社務所の縁側で涼んでいた拓矢(タクヤ)が、番長(バンチョー)に問いかけた。番長(バンチョー)が麦茶を啜る音が、夏の静寂に響く。

「なあ、番長(バンチョー)。この話っておまえから持ち掛けたんだろ?」

 番長(バンチョー)は、麦茶のグラスを静かに置き、遠くの山並みに目をやった。

「あぁ~、斧乃木(ジェイ)。察してくれると」

 番長(バンチョー)のいつになく歯切れの悪い様子に、万桜(マオ)はニヤリと笑った。万桜(マオ)は、その様子を横目に見ていたらしい。

「セロリスムージーで俺を釣った時点でバレバレなんだよ。おまえ、祭を仕切って実績作って、プロポーズしてーんだろ?」

 万桜(マオ)は、そう言い放つと、魔王のような笑みを湛えた。その言葉が、社務所の空気を一変させる。

 途端に、舞桜(マオ)莉那(リナ)、そして勇希(ゆうき)の瞳が輝き、一斉に万桜(マオ)に詰め寄った。

「「「なにそれ詳しく!」」」

 女子たちの食いつきぶりに、番長(バンチョー)はリーゼントを櫛でひと掻きし、少し照れたように視線を逸らした。

「年上の女、俺の都合で待たせるわけにゃ、いかねえだろうが?」

 その言葉には、普段の豪放な番長(バンチョー)からは想像もできない、真剣な想いが滲み出ていた。番長(バンチョー)は、再び拓矢(タクヤ)と、そして戸惑いながらもその場にいる琴葉(コトハ)に視線を向けた。

拓矢(ジェイ)。倉田さん。話は聞いたな?」

 万桜(マオ)の獰猛な笑みが、番長(バンチョー)の真剣な想いのために「大人の事情」を吹き飛ばし、再び場を混沌へと誘った。拓矢(タクヤ)は、まるで重い溜め息を吐き出すように髪をひと掻きし、小さく吐息をひとつ漏らした。

「先輩」

 拓矢(タクヤ)の短い言葉に、倉田琴葉(コトハ)は表情を変えることなく、しかし静かに頷いた。

「皆まで言うな斧乃木(オノノギ)。恋路を邪魔して馬に蹴られたくない――黒木くん」

 琴葉(コトハ)は、万桜(マオ)の突拍子もない発想が、すでに新たな計画として動き出していることを認め、自衛官らしい冷静さで協力する姿勢を示した。

「んじゃあ早苗(サナエ)先生と番長(バンチョー)のために、手ぇ貸しやがれテメエら!」

 魔王の号令のもと、チーム勇者が動き出した。その声に、社務所全体が新たな騒動の予感に包まれた。


☆ ★ ☆ ★ ☆


 御井神(ミイノカミ)神社の社務所の裏手、人里から離れた木々が生い茂る一角。差し込む木漏れ日が、湿った地面にまだらな光の模様を描いていた。周囲の静寂は、時折聞こえる鳥の声と、チーム勇者の面々が試行錯誤する微かな物音によって破られている。機密上の理由から、この作業はチーム勇者だけで行われている。

「これじゃあ、やっぱ滑り落ちるね」

 莉那(リナ)が、斜面に並べられた水嚢(スイノウ)の列を指差し、不満そうに声を上げた。一番下の水嚢(スイノウ)は辛うじて地面に留まっているものの、その上の水嚢(スイノウ)が、重みに耐えきれずにずるりと下へ滑り落ちそうになっている。

「う~ん、やっぱ、そうだよな~」

 万桜(マオ)は腕を組み、唸った。万桜(マオ)の脳裏には、どこまでも続く「摩擦ゼロ」の理想的な輸送路が描かれているはずだが、現実はそう甘くない。

万桜(マオ)水嚢(スイノウ)の芯の強度は、これで足りるのか?」

 拓矢(タクヤ)が、水嚢(スイノウ)を一本手に取り、その感触を確かめながら万桜(マオ)に問いかけた。拓矢(タクヤ)の視線は冷静で、その問いにはすでに次の課題を見据えているような響きがある。

「う~ん、一応、硬質ポリマーの芯は入ってるけど、これだけじゃ足りねえかもな~」

 万桜(マオ)は、ポリマーの強度について、頭の中で計算しているようだった。

「じゃあ、このシートで覆ってみるのはどうかしら?」

 舞桜(マオ)が、その場に広げられた分厚い強化プラスチック製のシートを指差した。シートは光沢を放ち、見るからに頑丈そうだ。

「お、それいいな! シートで覆えば、獣害対策にもなるし、形も安定するんじゃね?」

 莉那(リナ)が目を輝かせた。万桜(マオ)も、そのアイデアに乗る。四人は協力してシートで水嚢(スイノウ)の列を覆い、試してみた。しかし、結果は芳しくない。

「だめだ…やっぱり、これだと一番下が固定されても、その上が流動性があるから、全体が重みで滑落するぞ」

 拓矢(タクヤ)が、滑り落ちる水嚢(スイノウ)の塊を腕で受け止めながら、顔をしかめた。その言葉に、万桜(マオ)莉那(リナ)舞桜(マオ)も顔を見合わせ、再び沈黙が訪れた。万桜(マオ)の「水嚢(スイノウ)の川」というアイデアは、一見シンプルながら、その実現には物理的な複雑さが伴うのだ。

 その時、ふと、拓矢(タクヤ)の目に、地面に根を張る草が目に入った。

「なあ、これってさ…」

 拓矢(タクヤ)は、指で地面の草を引っ張った。草の根は、土をしっかりと掴んでいる。

「要所要所に、水嚢(スイノウ)を固定できるものがあったらどうだ?」

 拓矢(タクヤ)の言葉に、万桜(マオ)莉那(リナ)の顔がパッと輝いた。

「おお! それだ! (くさび)だ! 柔軟な楔を打つんだよ、拓矢(ジェイ)!」

 万桜(マオ)が、興奮して拓矢(タクヤ)の肩を叩いた。

「そうか! すべての層を結合すると重みで滑落するけど、要所要所で楔を打てば、滑落を防ぎつつ、水嚢(スイノウ)の柔軟性を保てる!」

 莉那(リナ)も、そのアイデアに深く納得したように頷いた。

「その楔は、水嚢(スイノウ)の素材と同じ、柔軟な素材で、かつ形状を固定できるものがいいでしょうね。例えば、伸縮性のあるワイヤーや、内部で固形化するゲル状の素材を注入するとか…」

 舞桜(マオ)が、冷静に具体的な形状を考案し始めた。万桜(マオ)の発想が、舞桜(マオ)の知識と結びつき、現実的な形へと昇華されていく。

「お、さすがボッチ! それだ!」

 万桜(マオ)は、舞桜(マオ)のアイデアに目を輝かせた。

 次に、万桜(マオ)は、懐から取り出した小さな模型の舟を水嚢(スイノウ)の列の上に置いた。しかし、舟は不安定に揺れ、なかなかスムーズに進まない。

「う~ん、舟の底面は、どうするかな~」

 万桜(マオ)が首を傾げた。

「あのさ、万桜(マオ)

 莉那(リナ)が、呆れたような、しかし少し照れたような顔で、自分のジーンズの膝の部分を指差した。

「パンツのシワって、風呂上がりに、こう、たるむじゃん? あの感じが、なんかヒントになんないかなって」

 莉那(リナ)の唐突な言葉に、万桜(マオ)は一瞬きょとんとしたが、次の瞬間、その目が大きく見開かれた。

「あああ! 痴女(チジョ)リナ! おまえ、天才かッ!」

 万桜(マオ)は、莉那(リナ)の両肩を掴み、興奮して揺らした。莉那(リナ)は、急な万桜(マオ)の行動に驚き、少し照れながら「ちょ、ちょっと! 離してよ! てか、ち、痴女(チジョ)リナ?」と反発する。

「まさか、あの莉那(リナ)のパンツのシワが、こんなところに繋がるとはな…」

 拓矢(タクヤ)は、呆れたように呟いた。舞桜(マオ)は、莉那(リナ)の言葉から、即座に舟の底面の構造へと思考を巡らせる。

「なるほど…。舟の底面は橇のような形状で、さらに重要なのは、それがしなるということですね。平面ではなく、底が弧のようにしなることで、水嚢(スイノウ)の凹凸に適応し、衝撃を吸収する。そして、その『シワ(たるみ)』を利用して、後退防止の仕組みにもなる、と…」

 舞桜(マオ)は、頭の中で舟の底面の構造をシミュレーションし、納得したように頷いた。

「そうか! 地形への適応性と衝撃吸収、そして後退防止! 完璧だ!」

 万桜(マオ)は、舞桜(マオ)の言葉に感嘆し、自身のひらめきが具体的な構造として明確になったことに興奮を隠せない。

「よし! これでいけるぞ! 水嚢(スイノウ)の川だ!」

 万桜(マオ)は、拳を握りしめ、高らかに宣言した。その瞳には、新たな「魔王案件」の成功を確信する光が宿っていた。チーム勇者の面々も、万桜(マオ)の熱意に引きずられるように、次なる試作に向けて動き出す準備を始めた。

「なあ」

 番長(バンチョー)がポソリと呟く。

「ああ、番長(バンチョー)。その先はダメだぜ? それ怒られるヤツだぜ?」

 万桜(マオ)は釘をさす。

「草でよくねえか? 坂道には草の道。麻とか…」

「言っちゃったよ。しかも番長(バンチョー)寄りな発言だよ」

 万桜(マオ)は、あちゃーっと天を仰いだ。

「麻の栽培はなー。途中から俺も思ったけど」

 拓矢(タクヤ)は腕組みをして唸るように絞り出す。そこに勇希(ゆうき)

「バカモノッ! それすぐ使えなくなるわ! あと大麻(チョコ)ダメ絶対!」

 ピシャリと指摘。ここで莉那(リナ)

「お嬢さまがチョコゆうな」

 ピシャリとご指摘。

「「黙れ痴女(チジョ)リナ。シワよりマシだ」」

 舞桜(マオ)勇希(ゆうき)唱和(ユニゾン)でツッコミ。

「うぅ~。その名前やめようぜぇ~?」

 莉那(リナ)は羞恥に身悶えた。一方で、

「ブライ・クリフト枠」

 琴葉(コトハ)は、馬車の中で出待ち状態だった。


☆ ★ ☆ ☆ ★ ☆


 御井神(ミイノカミ)神社の社務所の台所は、熱気と活気に満ちていた。番長(バンチョー)は、巨大な寸胴鍋で大量のほうとう麺を茹で上げ、手早く冷水で締めていた。その横では、万桜(マオ)が茹でた南瓜をミキサーにかけ、鮮やかなオレンジ色のペーストを作り出している。莉那(リナ)は、細く刻んだ人参や胡瓜、長葱をてきぱきと準備し、マリネしたパプリカを彩りよく並べている。

「おい、番長(バンチョー)! 南瓜ペースト、これくらいでいいか?」

 万桜(マオ)が、大きなボウルに入ったオレンジ色のペーストを番長(バンチョー)に見せた。番長(バンチョー)はちらりと一瞥すると、頷いた。

「ああ、いい塩梅だ。それに、そこの胡麻味噌を豆乳で伸ばしてくれ」

 万桜(マオ)は、作業の手を止めずに、口を動かし始めた。その視線は、チラリと番長(バンチョー)へと向けられる。番長(バンチョー)は、無言で麺を締める作業に集中している。

「二週間前から番長(バンチョー)に呼び出されて、セロリスムージー飲まされて、延々と惚気話聞かされてよぉ」

 万桜(マオ)の言葉に、その場にいた舞桜(マオ)莉那(リナ)拓矢(タクヤ)勇希(ゆうき)、そして琴葉(コトハ)の全員が、一斉に番長(バンチョー)へと視線を向けた。番長(バンチョー)の耳が、ほんのりと赤くなる。

「なんか、年上の女性とどうこうみたいな話で、ず~っと回りくどくってよぉ。肝心な部分はなかなか触れねえし、こっちは時間ねーんだから、さっさと結論言えってんだよ」

 万桜(マオ)は、南瓜ペーストと胡麻味噌豆乳を混ぜながら、さらに畳みかけた。ミキサーの音で遮られていた台所の空気が、万桜(マオ)の饒舌な言葉によって、俄かにざわつき始めた。

「てか、結局さあ、一昨日やっと『祭を仕切りたい』って言い出したんだぜ? 長かったわ~」

 万桜(マオ)は、混ぜ終わったペーストを味見し、満足げに頷いた。

早苗(サナエ)先生って、高一の時に教生できた人でしょ?」

 莉那(リナ)が、目を丸くして万桜(マオ)に問いかけた。その表情には、無邪気な好奇心で満ちている。

「ああ、御神輿(オミコシ)家の早苗(サナエ)さんだな」

 勇希(ゆうき)は、普段は万桜(マオ)を冷静に窘める立場だが、この時ばかりは面白そうにクスクスと笑った。

「ほう…」

 琴葉(コトハ)も、表情は変えないものの、番長(バンチョー)に注がれる視線には、わずかながら探るような色が宿っていた。

「おい、黒幕(フィクサー)! 余計なこと喋ってんじゃねえ!」

 番長(バンチョー)は、茹で上がった麺を冷水に投入しながら、低い声で万桜(マオ)を咎めた。番長(バンチョー)の耳は真っ赤だ。リーゼントの隙間から、湯気のように照れ臭さが立ち上っているように見える。

「うっせ、おまえ、一昨日のカフェで俺が嫌そうな顔してたの覚えてる? 人の幸せ祝えるゆとりは当方にはござらん! おい、拓矢(ジェイ)! おまえ惚気てぇなら番長(バンチョー)相手にしてくれよ?」

 万桜(マオ)は、番長(バンチョー)の制止をまるで意に介さず、さらにからかうような笑顔を向けた。万桜(マオ)の脳内では、番長(バンチョー)の恥ずかしがる姿が、最高の娯楽活劇(エンターテイメント)として記録されているのだろう。

「だってよ番長(バンチョー)。そん時はよろしく頼むよ」

 拓矢(タクヤ)の表情は、完全に面白がっている。番長(バンチョー)は、一瞬動きを止め、拓矢(タクヤ)を睨みつけた。しかし、口から出る言葉はなかった。

 台所には、南瓜と胡麻味噌と豆乳の甘く香ばしい匂いと、茹でた麺の湯気、そして、番長(バンチョー)の照れと、チーム勇者の面々の好奇が入り混じった、独特の空気が満ちていた。

斧乃木(ジェイ)、そのボウルに氷水張って、黒幕(フィクサー)のペースト冷やしておいてくれ」

 番長(バンチョー)は、顔に上りかけた熱を冷ますように拓矢(タクヤ)に仕事を振った。しかし、その声はどこか浮ついていた。台所の熱気と、自らの胸の高鳴りを誤魔化すように、番長(バンチョー)は麺を茹でる寸胴鍋を覗き込む。

 その時、軽やかな足音が社務所の廊下から聞こえ、ジャージ姿の凛とした女性が台所の入り口に現れた。健康的に日焼けした肌に、艶やかな茶髪がよく似合う御神輿(オミコシ)早苗(サナエ)だ。早苗(サナエ)は訝しげな表情で、台所の様子を眺めている。

「おい、(ユイ)、なんだよ? 階段横の謎の…」

 早苗(サナエ)が口を開いたその瞬間だった。

「「「「おめでとうございまっす!」」」」

 万桜(マオ)莉那(リナ)拓矢(タクヤ)勇希(ゆうき)の四人が、完璧な唱和(ユニゾン)早苗(サナエ)に視線を向け、高らかな祝福の声を上げた。まだ何も言っていない、プロポーズもされていない早苗(サナエ)は、目を丸くして困惑する。

「え、あ、ありがとう?」

 思わず早苗(サナエ)が返すと、番長(バンチョー)は堪えきれないといった様子で、早苗(サナエ)に向かって一歩踏み出した。

「さ、早苗(サナエ)

 番長(バンチョー)の口から漏れた、親密すぎる呼び捨て。早苗(サナエ)は眉をひそめ、すかさず番長(バンチョー)のトレードマークであるリーゼントを鷲掴みにした。

早苗(サナエ)さん(・・)、だろ?」

 ピシャリと指摘され、番長(バンチョー)は痛みに顔を歪めながらも、その視線は早苗(サナエ)から離さない。

御神輿(オミコシ)早苗(サナエ)さん。俺と結婚してくれ!」

 番長(バンチョー)は怯むことなく、リーゼントを掴まれたまま、首からぶら下げていた二つの指輪を早苗(サナエ)の目の前に差し出した。その指輪は、番長(バンチョー)がこれまで地道に貯めてきた、そして給料三ヶ月分では到底足りず、必死の節約とバイトで補完した渾身の品だった。

 しかし、早苗(サナエ)は指輪には目もくれず、困惑した表情で番長(バンチョー)を見つめる。

「いや、勢いで言われてもさ」

 早苗(サナエ)の言葉に、番長(バンチョー)は必死に訴えかける。

「勢いじゃねえ、俺はずっとビアンカ一筋だ。早苗(サナエ)は俺のビアンカだ」

 まさかの「ビアンカ」発言に、早苗(サナエ)は呆れを通り越して深いため息をついた。

「いや、プロポーズで他の女の名前出すか?」

 その言葉に、万桜(マオ)たちも思わず肩を震わせる。しかし、番長(バンチョー)はもはや後には引けなかった。

「ええい、じゃあこれだ!」

 番長(バンチョー)は、まるで伝家の宝刀でも抜くかのように、テーブルに置かれた冷やし宝刀を掴み取った。きらめく麺の塊は、番長(バンチョー)にとってはまさに切り札だった。番長(バンチョー)はそれを躊躇なく、呆れて口を開けている早苗(サナエ)の口に放り込んだ。

 突然の行動に、早苗(サナエ)の目が大きく見開かれる。数度の咀嚼の後、こくんと小さく飲み下すと、早苗(サナエ)の表情に微かな変化が生まれた。その瞳に迷いはなく、ゆっくりと番長(バンチョー)を見つめ返した。

「謹んでお受けいたします」

 早苗(サナエ)の声が、熱気に包まれていた台所に静かに響き渡った。その瞬間、番長(バンチョー)の顔が喜びで爆発しそうになる。万桜(マオ)たちは、まさかの展開に一瞬固まった後、再び大きな歓声を上げた。冷やし宝刀が、二人の運命を切り開いたのだ。


「すっげ、俺もやってみよう。ボッチ。あーん」

 番長(バンチョー)のプロポーズ成功を目の当たりにした万桜(マオ)は、冷やし宝刀の皿を手に取り、無邪気な好奇心で目を輝かせた。番長(バンチョー)が成功したならば、自分にもできるはず――そんな甘い考えを抱き、真っ先に舞桜(マオ)の前に皿を差し出した。

 万桜(マオ)の手から差し出された麺を舞桜(マオ)は優雅に咀嚼し、静かに飲み込む。万桜(マオ)の眼は期待に満ちて輝き、次の言葉を待つ。まさか、舞桜(マオ)から甘い返事が聞けるのでは、と。

 が、舞桜(マオ)の口から出た言葉は、万桜(マオ)の想像とはかけ離れていた。

「名前を変えなさい」

 その一言に、万桜(マオ)の期待の光がサッと陰る。しかし、舞桜(マオ)の言葉はさらに続いた。

祭谷(マツリヤ)(ユイ)茅野(チノ)結に」

 プロポーズとは全く関係のない、突然の改名提案。万桜(マオ)は呆れて「チッ」と舌打ちし、すぐさまターゲットを切り替えた。

勇希(ゆうき)あーん」

 次は勇希(ゆうき)だ。万桜(マオ)勇希(ゆうき)の口元に冷やし宝刀を運び、中二病全開で問いかける。

「この我のものになれ! 勇者よ!」

 勇希(ゆうき)は一瞬目を丸くしたが、麺を飲み込むと、眉間に深い皺を寄せ、万桜(マオ)の額を指で小突いた。その反応に、万桜(マオ)は再び「チッ」と舌打ち。彼は諦めず、続けて莉那(リナ)琴葉(コトハ)の前に冷やし宝刀を差し出した。

「サブリナ、倉田さん。あーん」

 しかし、二人の返答は、万桜(マオ)の予想をさらに上回るものだった。冷やし宝刀を口にした途端、二人の瞳が妖しく輝き、完璧な唱和(ユニゾン)で叫んだのだ。

「「結婚してください!」」

 万桜(マオ)は思わず後ずさる。自分の意図とは全く異なる、まさかの逆プロポーズ(視線は番長(バンチョー)に向けられている)。まるで冷やし宝刀には、食べた者の心に眠る結婚願望を呼び覚ます呪文でもかかっているかのようだった。万桜(マオ)の皿に残った冷やし宝刀は、もはや残り一口。

 その隙を、番長(バンチョー)が見逃すはずがなかった。プロポーズを成功させたばかりの番長(バンチョー)は、勝ち誇ったような笑みを浮かべ、万桜(マオ)に詰め寄る。

「あ、自分、今。プロポーズしたんで。黒幕(フィクサー)早苗(サナエ)の分も分けるから、おまえの分、それだけな?」

「なぜ? 俺も作ったじゃん? ねえ?」

 万桜(マオ)は、自分の冷やし宝刀が次々と他者の思惑で消費されていくことに、あわわと混乱するばかり。魔王的な発想力を持つ万桜(マオ)も、人の心の複雑さ、特に「プロポーズ」という大事業においては、その読みが甘かったようだ。冷やし宝刀は、彼の「魔王案件」の切り札となるどころか、まさかの自己犠牲の供物となってしまったのだった。


☆ ★ ☆ ★ ☆


 昼食を終えた面々は、山腹を望む御井神(ミイノカミ)神社の社務所裏にいた。万桜(マオ)たちは、簡単な橇に人が二人乗ってもびくともしない「水嚢(スイノウ)の川」の頼もしさを肌で感じていた。透明なゲルが詰まった筒状の水嚢(スイノウ)が敷き詰められた斜面は、まるで未来への架け橋のようだ。万桜(マオ)の脳内では、すでに祭りの最終形が描かれている。

「これで神仏再習合のスーパー盆踊りの準備は整ったぜ?」

 万桜(マオ)は、獲物を前にした獣のような獰猛な笑みを湛え、木々の間に微かに見える山の中腹の寺を見据えた。その瞳には、かつてないほどの確信と、底知れない愉悦が宿っていた。

 隣に立つ早苗(サナエ)の中で、点と点が、閃光のように繋がった。番長(バンチョー)が小学生たちに伝統的な踊りを仕込んでくれと頼んできた奇妙な依頼。その全てが、今、一つの真実へと収斂する。

「伝統的な踊りを生徒に仕込んだのって……」

 早苗(サナエ)は、茫然と呟いた。番長(バンチョー)早苗(サナエ)は、信源郷町ではよくある親同士が決めた許嫁の関係だ。番長(バンチョー)が的屋の元締め三代目を継ぎ、祭りを仕切ることが結婚の条件。番長(バンチョー)が高校を出たばかりの19歳、早苗(サナエ)は24歳。あと数年はかかるだろうと、出産適齢期を過ぎる覚悟までしていた。しかし、まさかそれが、万桜(マオ)の「水嚢(スイノウ)の川」という突拍子もないアイデアと結びつき、一気に現実のものとなるなど、誰が想像できただろうか。

(ユイ)。ありがとな」

 早苗(サナエ)の声は、感謝と、そして少しの戸惑いが入り混じっていた。普段は泰然自若とした早苗(サナエ)の瞳に、照れが滲む番長(バンチョー)が映る。

「お、おう……」

 番長(バンチョー)の照れた返事を、万桜(マオ)は容赦なくぶった斬った。

「家でやれ、そう言うの」

 魔王の一言が、せっかくの感動的な空気を木っ端微塵に打ち砕く。しかし、万桜(マオ)の意識はすでに次へと向かっていた。万桜(マオ)の瞳の奥には、壮大な計画の全貌が見えているかのようだ。

拓矢(ジェイ)、倉田さん。動くぞ。本気で」

 万桜(マオ)は、低く、しかし有無を言わせぬ声で告げた。それは、まるで漆黒の玉座に座する魔王が、配下たる勇者たちに下す最終命令のようだった。

 「魔王の降臨」――その宣言とともに、「神仏再習合のスーパー盆踊り」は、単なる祭りの準備から、町の未来を、そしてこの国の運命を左右する壮大な「盆踊り大戦」へと変貌を遂げたのだ。チーム勇者の面々は、その言葉に、否応なく時代のうねりに巻き込まれていくことを確信する。



うん。デボラもいいよね? そして機種依存文字が憎い。機種によって莉那と梨奈が違うのは何故だ? 名前、全取っ替えじゃねえか?


『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みの地球の皆様へ!

いつも拙作『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みいただき、本当にありがとうございます!

物語の中で、「魔王」こと黒木万桜は、時には「水嚢の川」で災害に立ち向かい、時には中古スマホを活用したクローズドネットワークなんて突拍子もないアイデアまで生み出しています。

実は、この物語には、万桜のそんな「もしかしたら、これって本当に役立つかも?」と思えるような、たくさんのアイデアが散りばめられているんです。読者の皆さんも、「これ、面白い!」「こんな風に使えるんじゃないか?」なんて、閃いたことはありませんか?

地球のみんなぁ~! オラに「★」をわけてくれーっ!

もし、この物語を読んで、少しでも「面白い!」「次の展開が楽しみ!」「万桜のアイデア、イケるかも!」と感じていただけたなら、どうかページ下部の【★★★★★】ボタンをポチッ!と押して、星評価を分けていただけないでしょうか!

皆さんのその「★」一つ一つが、作者の大きな励みになり、万桜の次の「魔王案件」へと繋がるエネルギーになります!

引き続き、『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をどうぞよろしくお願いいたします!


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