サブリナのドギーバッグ
前書き
甲斐の国大学のキャンパスに、巨大な風車「ドン・キホーテ」の残響が鳴り響くころ。世界を変える「超論理」を操る若者たちは、今、最も制御不能な非合理、すなわち情愛のノイズに囚われています。
古井戸のほとりで交わされる、友情という名の叱咤激励。そして、カフェ・ジャカジャカで炸裂する、陸将の父と天才的な才を持つ娘の間に横たわる、偽装離婚と親孝行という名の「情愛の暴力」。
この物語は、「光速経理」が「兵站の論理」と衝突し、「未来の廃棄物処理システム」が親子の情愛の裏側で駆動する、論理と熱源が交差する時空の断層を描きます。
2019年5月中旬。発電風車ドン・キホーテの御披露目後の夜、御井神神社の麓の古井戸にて。
甲斐の国大学の広大なキャンパスの喧騒から隔絶された、御井神神社の裏手にあるこの場所は、男子たちが内緒話をする溜まり場であった。
「「そんで?」」
斧乃木拓矢と番長が、古井戸の縁に腰掛けながら、心底ウンザリした声音で黒木万桜に先を促した。
この沈黙が、万桜が抱える悩み、すなわち「恋愛という名の非合理的なノイズ」であることを、拓矢たちは既に察していた。巨大なエネルギー革命を成し遂げた天才の頭脳が、最も取るに足らない情愛に悩まされているのだ。
万桜は、足元の苔をブーツで削りながら、顔を赤らめる。
「あのですねぇ…その…一緒にお風呂に入りました…茅野舞桜と白井勇希と…」
万桜がモジモジと独白した瞬間、空間の温度が一気に零下にまで冷え込んだ気がした。
「番長…そこの棒っきれ取ってー…」
拓矢が、視線を万桜から逸らさずに、乾いた、しかし殺気の混じった声音で、物騒な言葉を口にした。
番長は、無言で背後の地面から手ごろな太さの枯れ枝を拾い上げると、その先端を鋭利な石で削りながら、拓矢に放った。
「斧乃木。俺の分、残しておいて…」
番長が言うと、その声音には、友の裏切りに対する怒気が深く滲んでいた。
万桜は、拓矢たちの間を飛び交う殺気のノイズに、全身を震わせる。
「ま、待てよテメエら! 落ち着け! 俺はそん時にのぼせて、朝までバタンだったんだっての!」
万桜は、慌てて情けない事実を告白した。
その瞬間、拓矢と番長から放たれていた怒気混じりの殺気が、露骨に引いた。
次の瞬間、拓矢が腹の底から絞り出すような大爆笑を始めた。
「ギャハハハ! バタン!? てめぇ、なにやってんだよ! 風呂入ってのぼせた? 小学生かよ!」
拓矢は笑いすぎて、古井戸の縁から転げ落ち、地面に背中を打ち付けた。息も絶え絶えになりながら、腹を抱えて笑い続ける。
「最強の論理の魔王さまが…超高温の風熱ポットを発明した男が…熱に負けて『のぼせバタン』だとォ!?」
番長もまた、声を上げて爆笑した。番長は手に持っていた棒っきれを万桜の足元に投げつけ、嘲笑を混ぜた声音で万桜をからかう。
「待ってくれ黒幕。それって、その後に『夕べはおたのしみでしたね』コースだろ? ギャハハハ! 俺、茅野と白井に美味しいものご馳走するわー。不憫過ぎるわー」
万桜の自慢の論理が、そのまま自らの情けない失敗を嘲笑する最高の理屈となって返ってきた。
「くっ…くそぉ…!」
万桜は、怒りに全身を戦慄かせた。
世界を変えるような巨大な論理を操れるのに、自分の体の「のぼせ」という最も小さな非合理なノイズ一つすら制御できなかった事実に、言いようのない屈辱を感じていた。
「言い返せねえ自分が心底憎いぜ…」
番長が、笑いすぎて涙を拭いながら、真顔に戻る。
「いや、ま、よかったんじゃねえの? たぶんそれって衝動だもん」
拓矢も、地面に大の字になりながら、息を整える。
「そーだよ。万桜。つか未経験者がいきなりふたりの相手するとか、マジでねえわ」
拓矢たちの正論に万桜は押し黙る。
「おまえ、ゼッテー後悔したと思うよ」
拓矢は、笑いを収め、大地から身を起こした。夜空を見上げて呟いたその声には、冷たい夜風のような現実の重みがあった。
「俺もそう思うぜ黒幕…」
番長は、鋭い視線を万桜に向けた。
「おまえ、その時、無意識にふたりを比べてたろうさ。どっちのが良い。どっちのが自分と合ってるってな…」
その言葉は、万桜の理屈の鎧を突き破り、心臓に直接、重く伸し掛かる。
万桜の頭脳は、その無意識の「比較」を否定できない。自責の念が、巨大な論理回路をショートさせ、万桜の心を潰しそうになったその時、
「いってぇッ!」
万桜の悲鳴が、神社の静寂を破った。
拓矢と番長が、手にしていた枯れ枝を、同時に万桜の尻に渾身の力で打ったからだ。
枝は乾いた音を立てて折れることはなかったが、その一撃は、万桜の肉体を通して、魂の奥底まで痛みを響かせた。
「「しっかりしやがれ! 黒き魔王ッ!」」
拓矢たちは、この場で出来る最大限の叱咤激励を、純粋な熱量に乗せて送り込む。それは、友を情愛の非合理から現実に戻すための、荒々しくも真摯な儀式であった。
万桜は、尻の痛みに悶えながら、自分を突き動かす真の熱源が、合理的な論理ではなく、この非合理な情愛と友情にあることを、痛感した。
万桜は、ズボンの上から尻をさすりながら、静かに、しかし心からの感謝を込めて言った。
「ありがとな。拓矢、番長…」
拓矢と番長は、互いに顔を見合わせてニヤリと笑う。そして、万桜の「痛み」に対する反応を、即座に論理ではなく、非合理な冗談に結びつけた。
「え、おまえM?」
拓矢は、まるで大発見をしたかのように楽しげに尋ねた。
「やっべ、付き合い考えようぜ? 斧乃木?」
番長もその冗談に乗り、面白そうに問い返す。
万桜は、胸の内の重さが消え、代わりにこのくだらないノイズによる安心感で満たされるのを感じた。万桜は大きく吐息をひとつ。
「いろいろ台無しだよアホンダラ…じゃあな…」
そう言って万桜は神社の参道を下り、家路についた。
「「おう」」
拓矢と番長は、肩を並べて応じた。二人はしばらく立ち止まり、万桜の背中が闇に消えるのを見送ってから、ゆっくりとそれぞれの家路についた。
★★★★★★
2019年5月下旬。発電風車の御披露目の興奮が冷めやらぬ甲斐の国大学のキャンパス。その一角にあるカフェ・ジャカジャカは、明るい日差しにもかかわらず、どこか淀んだ空気に満ちていた。
東京本郷大学1回生である杉野香織は、普段の社交的な振る舞いとは裏腹に、極めて気不味い、鉛のように重い時間を過ごしていた。
目の前に座る佐々蔵之介は、深煎りのコーヒーを一口もつけず、ただ静かに香織を見つめている。彼の顔つきは、威圧的というよりも、ただひたすらに重く、諦観に満ちていた。
彼と香織の姓は違う。つまり、そう言うことだ。
「なんか言えよ」
蔵之介が口を開いた。その声音は、乾いていて、まるで二人の関係の湿気を全て吸い取ってしまったかのようだ。
「いやなんかて…」
普段は軽やかな言葉を操るギャルの香織も、この時ばかりは口が重い。目線は、磨かれたテーブルの上をさまよい、父の顔を見ようとしない。
そこへ、まるで天啓のように、騒がしい声が響いた。
「あー、佐々陸将が条例違反!」
倉田琴葉と、福元莉那のふたりが、弾けるような勢いでテーブルに近づいてきた。琴葉は防衛大学校の3回生であり、常に自衛官候補生としての規律と、それを破るノイズの境界線上にいる女だ。莉那は、学生ベンチャー、セイタンシステムズのコアメンバー。そして、香織の高校の先輩でもある。
「ああ、そう言う…」
莉那は、蔵之介と香織の面影を重ねて直感的に察した。蔵之介の悲哀と香織の反発。複雑な家族の事情があるのだろうと。
多くは語らない。しかし、莉那は即座に合理的な緊急離脱ルートを提供した。
「カオリン。舞桜が斧乃木家の件について聞きたいってさ。今すぐ来てくれないと、データが熱暴走するって騒いでたよ」
香織は、莉那の援護に感謝した。
「人聞きの悪いこと言うな倉田。こいつは…」
バンッ!
香織は、テーブルを叩くという、普段の彼女からは想像もできないほどの物理的なノイズと共に、立ち上がった。
「ちげえしッ! 知らねえオッサンだしッ!」
そう叫んだ香織の顔が、一瞬、激しく歪む。それは、蔵之介の静かに悲しそうな顔が、彼女の網膜に焼き付いたからだ。
香織は、その顔から逃れるようにして、背を向けると、カフェの喧騒の中へと、弾かれたように駆け去った。
一連の遣り取りから、琴葉も即座に状況を察した。そして、この面倒な情愛のノイズに巻き込まれることを回避すべく、莉那の腕を掴み、緊急離脱を試みる。
「サブリナくん。あっちの席に行こう…ここは面倒事の匂いがする…は、放せ、こら、セクハラで訴えるぞオッサン…」
しかし、佐々蔵之介は、逃れようとする琴葉の腕を、鋼鉄のような握力でガッツリ掴んで離さない。
蔵之介の顔には、娘に拒絶された悲しみと、目の前の防大生が持つ「救済」を逃がすまいとする父親としての必死な意志が、同時に浮かび上がっていた。
★★★★★★
「いや違うんだよ? 離婚って言っても、言ってみれば偽装離婚なんだよ…」
蔵之介は必死に言い募った。その声には、先ほどの静かな諦観は消え失せ、若い女子に誤解を解消させたいという、浅ましいまでの熱量がこもっていた。
「ほら俺、陸将じゃん? 有事の際に家族を人質とかってなると困るんだって…」
彼は、国家安全保障の論理を、私的な情愛の免罪符として振りかざした。
「ここなら、予備役多いし、カミさんの実家もあるし…ね? ちょ、そんな汚物を見る目で見ないで! 傷つくから!」
蔵之介の目は、訴えるように莉那と琴葉を往復する。しかし、二人の目は、その陸将の理屈が、父の情愛という非合理な熱源から生まれていることを冷徹に見抜いていた。
「なんで必死なんだろ、このオッサン?」
莉那は、蔵之介の論理を処理することを放棄し、隣の琴葉に尋ねた。彼女の興味は、もはや離婚の理由ではなく、この大人が示す過剰な行動の「原因」へとシフトしていた。
「あれだろ」
尋ねられた琴葉は、防大生としての冷静な査定能力と、女性としての鋭いエスパー的直感を融合させた。
「若い女子に、イケオジに見られたいんだろ?」
琴葉の言葉は、蔵之介の心に仕掛けられた機雷のように、見事に爆発した。
蔵之介は、一瞬、絶句する。彼の顔は、「偽装離婚」が露呈した時よりも、はるかに大きな衝撃で歪んだ。
「ち、ちげえし! それは軍事的な論理であってだな…」
陸将の論理は、ただの承認欲求という名の非合理なノイズによって、完全に崩壊した。
「それで倉田。あいつは、うまくやれてるのか?」
蔵之介は、娘から逃げられ、代わりに目の前の防大生に、親としての切実な想いを託した。
琴葉は、目を泳がせる。香織を個人的にはよく知らないからだ。
「どうなんだサブリナくん。君たちの杉野くんの評価は?」
琴葉は、合理的かつ面倒回避のため、評価を莉那に投げた。
「カオリン? うん。よくやってくれてると思うよ」
莉那の返答は、極めて冷静で、感情の評価がない。しかし、その奥には、プロフェッショナルとしての確固たる評価が潜んでいた。
「よく、じゃない。凄くよくやれてるよ」
莉那は、深呼吸をして、姿勢を正した。彼女の瞳には、ビジネスという名の論理が宿っている。
「カオリンは、セイタンシステムズの財務の要です。彼女なしでは、万桜の常軌を逸した『魔王案件』の偽装、経理のみじゃなくて、メンドーな諸手続きの処理」
莉那は、香織の能力を具体的に羅列し始めた。
「多角的な収益シミュレーションと複雑な税務処理を、驚異的な速度で善きに計らえしてくれます。特に、大学の研究費用、学生ベンチャーとしての活動資金、そして『ドン・キホーテ』発電風車への公的な補助金とプライベートな投資。この三種類のカネの流れを、迷いなく的確に、秒で整理します」
莉那は、『経理』という行為を、万桜の『論理』を現実世界に固定するための『地盤』として位置づけていた。
「万桜の論理回路と同じくらい純粋で高速です。あたしたちは、彼女を『光速経理』と呼んでいます」
莉那の目は、娘を心配する父に対する同情ではなく、ビジネスパートナーへの絶対的な信頼に満ちていた。
蔵之介は、その形容を聞き、娘が持つ「カネの論理」という才能を初めて知った。それは、陸将としての「武力の論理」とは全く異なるが、国家の根幹を支える「合理的」な力である。
「え、あいつパシられてない?」
蔵之介の顔に、不安が過ぎる。
「奇偶ですね陸将。あたしにもそう聞こえました」
琴葉の顔にも同情が滲んだ。
「大丈夫だよぉ…舞桜も手伝ってるから…」
莉那は、ふたりのジト目から逃れるようにして、目をそらす。
「てか意外だね」
莉那は、アイスコーヒーをストローでかき混ぜながら、顔を上げた。
「てっきり、『仲直りに協力してくれ』って泣きついてくるかと思った」
莉那の言葉は、蔵之介のわずかな誇りを、一瞬にして冷やした。彼は、自衛隊の制服を着ていないが、その背中には、陸将としての『見栄と意地』の甲冑を纏っている。
蔵之介は、乾いた苦笑を浮かべた。その笑いは、喉の奥で、偽装離婚という名の『自己欺瞞』を噛み潰す音に似ていた。
「泣きつくか。あいつ、今年で19だぜサブリナくん?」
蔵之介は、肘をテーブルに突き、顎に手の甲を当てた。その仕草は、平静を装うために、全身の筋肉を硬直させているようだった。
「子離れなら済んでるさ」
蔵之介は、そう言い切った瞬間、右手の親指と人差し指が、わずか0.5ミリメートルだけ、痙攣した。
(頼む。察してくれサブリナくん。君はやればできる子だ…気遣いのできる子のハズだ…)
蔵之介が祈るようにしてポーカーフェイスを決めていると、
「この前、東京ラボが襲撃されたじゃんか? あれ解決させたのもカオリンだぜ?」
莉那は爆弾発言。
「あれ! 香織だったのか? ちょ、ちょっとパパさん聞いてないよサブリナくん!」
蔵之介はバンとテーブルを叩いて子煩悩。
莉那は、そんな蔵之介の『痩せ我慢の崩壊』を、見逃さなかった。彼女は吐息をひとつ。
「琴葉ちゃん。こいつメンドクセーよ?」
本音をポツリ。
「奇遇だなサブリナくん。だが、あたしは陸将の部下だ。思っていても、本音は吐けん」
そう言って琴葉は、アイスコーヒーを啜った。
「そっかー。琴葉ちゃんは、大人だなぁー」
「そうだろう? 大人って大変なんだよサブリナくん」
ふたりは、ヤレヤレとかぶりを振って吐息する。
「おい倉田…隠せてねえからな1ミリも…ダダ漏れだから。悪意ある本音…」
ウザ絡みしてくる蔵之介を黙らせるために、莉那は、通信端末(サブリナの魔法の無線)を取り出した。
「あぁ、拓矢?」
電話の相手は、セイタンシステムズの共同創業者であり、莉那の恋人でもある斧乃木拓矢だ。
「そっちにカオリン戻ってる? じゃあ、極めて重要な業務連絡だと思って聞いて」
莉那の声のトーンが、瞬時に「恋人」から「女帝」へと俺様遷移した。
「カオリンにこう言ってあげて。『お父さんを大事にしな』って。大事に、というニュアンスを強調して」
電話口から、拓矢の困惑した声が、わずかに漏れてくる。「え、なんで?」
莉那は、目を細めた。その目には、絶対的な命令権と、余計な口ごたえを排除する冷徹さが宿っている。
「理由? イイからやれよ!」
莉那は、一方的に通話を終了した。
★★★★★★
旧休憩室にて。そこは、セイタンシステムズの心臓部だ。
拓矢は、莉那からの理不尽な命令を「業務連絡」として受け取った直後、経理に没頭する香織に、その意味不明なノイズを投げつけた。
「あぁ~、杉野…お父さんは、大事にしなさい…」
拓矢の声音は、ただの「伝言の履行」であり、感情的な熱量は1ミリも含まれていない。しかし、その言葉が香織に与える影響は、万桜の風車を回すほどの巨大な非合理のエネルギーであった。
それを背後で見ていた万桜は、「因果律の異常」を検知したかのように、キョトンと首を傾げる。
「いきなり、なに言ってんだテメ?」
万桜は、文脈の欠如という、最も万桜の論理を揺さぶる質問を拓矢に投げ掛けた。
問われた拓矢は、顔を赤らめて開き直る。
「俺に聞くな! 莉那からの業務連絡だ! 理由なんてねえ!」
拓矢は、愛する女帝からの非合理な命令を、自己の論理で処理することを完全に放棄し、万桜に噛みついた。
その時、拓矢に声を掛けられた香織は、指先がキーボードを叩く音をピタリと止め、即座に、軍隊の号令のように起立した。
彼女の脳内では、「初恋の男子からの言葉」という、世界で最も甘く、最も強力な「優先度MAXの命令コード」が発動していた。
「はい! 斧乃木先輩! ウチ、パパを大事にします!」
香織は、その非合理な命令を、まるで万桜の「光速経理」のアルゴリズムを上書きするかのように、100%の熱量で宣言した。彼女の顔は、先ほど父の前で見せた悲哀とは裏腹に、純粋な決意に満ちていた。
香織は、宣言するやいなや、経理の合理性をかなぐり捨てた、光速の速度で旧休憩室を飛び出し、カフェ・ジャカジャカへと駆け出した。
旧休憩室に残された万桜と拓矢は、互いに顔を見合わせる。
万桜は、論理の魔王として、香織の行動の原因と結果を結びつける『因果律』を計算しようと試みる。しかし、その回路は、『お父さんを大事に』というノイズと、『はい!』という純粋な反射によって、完全にフリーズしていた。
「「どゆこと?」」
万桜と拓矢の、論理的な困惑が詰まった疑問の声だけが、旧休憩室に響き渡るのであった。
斧乃木拓矢は、杉野香織の初恋の男子である。もちろん、拓矢も万桜も、香織の『光速経理』を駆動させる、その非合理な真実は存知ない。
★★★★★★
蔵之介は混乱していた。娘の突然の登場と、その熱量に圧倒され、椅子に深く沈み込む。
「知らないオッサン」と呼び捨てにされ、拒絶された直後の再会。彼は、娘の口から「和解」という名の論理が語られることを、無意識に期待していた。
しかし、香織が発動させたのは、「親孝行」という名の『カロリーの暴力』であった。
カフェ・ジャカジャカの、二人が座る狭いテーブルの上は、一瞬にして「杉野香織式親孝行」の戦場と化した。
「東京本郷大学1回生」にして、「光速経理」で巨額の資金を動かす香織の親孝行は、「安い」「美味い」「山盛り」という、三つの非合理な指標で構成されていた。
テイクアウトの寿司、大量のラーメンの具材が詰まった丼、そして山と積まれた餃子の皿たちが、わずか数分の間にテーブル上に無秩序に配置された。
「いや、香織…パパ、こんなに食えねえよ?」
蔵之介は、眼前に広がる「ジャンクの饗宴」に、陸将としての「兵站の論理」が崩壊するのを感じた。国家の食糧問題は扱えても、娘が運んできたこのカロリーの山は扱えない。
「大丈夫だし。ウチ超がんばって東京本郷大学に入ったし。ウチ稼いでるし」
香織の返答は、蔵之介の訴えを完全に無視するノイズとして機能した。彼女の脳内の『初恋命令回路』は、「お父さんを大事に」というミッションの完遂に全力を傾けている。彼女にとって、父親の胃袋の容量や、食欲といった個人的な感情は、考慮に値しない非合理的なパラメータであった。
「ねえ、パパの話を聞いて?」
蔵之介は、テーブルの上を滑るように動く香織の光速の親孝行を止めようと、悲痛な声で懇願する。
しかし、香織は、その懇願を聞き入れる代わりに、自らの「任務」を完遂させる最速の手段を選んだ。
「イイから食えし!」
香織は、口元を歪ませた蔵之介の口に、油と肉汁が滴る焼きたての餃子を、有無を言わさずに捩じ込んだ。
それは、カフェ・ジャカジャカの喧騒の中で行われた、「娘による父親への強制摂食」という、最も非合理で、最も愛情深い暴力であった。
蔵之介の目には、熱い涙が滲んだ。それは、拒絶の悲しみではなく、光速で口に突っ込まれた熱々の餃子と、娘の途方もない熱量による、純粋な熱源の痛みであった。
★★★★★★
「これ、カオリンも絡んでんだぜ? 陸将さん」
蔵之介が、娘の『カロリーの暴力』によって遂にギブアップしたのを見届け、莉那は、テーブルの上の「残飯」を片付け始めた。彼女は、多機能生分解性パウチで作られた、未来的な輝きを放つ梱包パッケージを指し示す。
「持ち帰っていい料理の選別も人工知能。魔王がいれば、それだって簡単さ」
莉那は、そのパウチを、蔵之介氏の目の前でコンニャク・ベースの生分解性ハイドロポリマーでコーティングされた「ササ・ガード」パウチへと変形させた。
「この素材は、コンニャクのグルコマンナンを主骨格に、笹のエキスと、なんと背高泡立草エキスを混ぜ込んだ、抗菌性と生分解性を両立させた『未来の包装材』です」
莉那は、技術の詳細を、陸将の論理に訴えかけるような冷静なトーンで説明した。
「カオリンのアホみたいな注文が、万桜の超論理を駆動させ、その成果が、目の前の『残飯処理』にまで反映されているってワケ」
彼女は、残った餃子を、パウチの中に超効率的に詰め込みながら続けた。
「取り箸をキッチリ分けてたろ? それも魔王が、感染リスクと鮮度をリアルタイムで判定してるんだ。どの料理を、どの清浄の葉パウチに詰めるべきかまでね」
莉那は、にやりと笑い、しかしその目は冷徹なビジネスの論理を宿している。
「もっとも、そのAIを設計したのはカオリンじゃなくて、あたしや万桜の仕業だけどね?」
莉那が強調したのは、この「光速の親孝行」の裏側にある、極限まで合理化された「廃棄物ゼロ社会」という思想だ。
蔵之介は、娘がテーブルに広げた情愛という名の無秩序が、莉那と万桜が仕込んだ未来の秩序によって、瞬く間に回収されていくのを見て、戦慄した。
彼の娘の「カネの論理」は、単なる資金調達ではなく、「世界を変える技術のインフラ」そのものだったのだ。
『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みの地球の皆様へ!
いつも拙作『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みいただき、本当にありがとうございます!
物語の中で、「魔王」こと黒木万桜は、時には「水嚢の川」で災害に立ち向かい、時には中古スマホを活用したクローズドネットワークなんて突拍子もないアイデアまで生み出しています。
実は、この物語には、万桜のそんな「もしかしたら、これって本当に役立つかも?」と思えるような、たくさんのアイデアが散りばめられているんです。読者の皆さんも、「これ、面白い!」「こんな風に使えるんじゃないか?」なんて、閃いたことはありませんか?
地球のみんなぁ~! オラに「★」をわけてくれーっ!
もし、この物語を読んで、少しでも「面白い!」「次の展開が楽しみ!」「万桜のアイデア、イケるかも!」と感じていただけたなら、どうかページ下部の【★★★★★】ボタンをポチッ!と押して、星評価を分けていただけないでしょうか!
皆さんのその「★」一つ一つが、作者の大きな励みになり、万桜の次の「魔王案件」へと繋がるエネルギーになります!
引き続き、『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をどうぞよろしくお願いいたします!




