ボッチの魔王と舞う桜
前書き
茅野建設会長茅野二郎の死は、「要らない子」という過去の悪意に囚われていた舞桜の心を解放する、最後の試練となった。
兄である淳二と、「未来の旦那」万桜、そしてチーム勇者の不条理な愛情に守られ、彼女はついに「寂しさ」という無駄な感情を受け入れる。
告別式を控えた早春の東京で、「舞桜」という名前の由来に込められた父の不器用な愛を知った彼女は、「高所の恐怖」に怯える万桜を、「次の発明」という名の「未来」の舞台に置き去りにする。
「舞う桜」が咲き誇るまで、彼女の「合理的な試練」は終わらない。
2019年3月上旬。甲斐の国市信源郷町。茅野淳二邸。
「舞桜。親父が亡くなった。会いに行かへんか?」
淳二は、唐突に舞桜へと投げ掛ける。
自分たちの父親である茅野二郎は、男性としては異性にだらしがなかった。
しかし、父親としては、至って普通の父親だった。
舞桜にとっては、頼りにならない存在であったが。
一度だけ、
「あたしは、要らない子供なの?」
そう尋ねたことがある。
淳二に保護される直前のことだ。
淳二が現れ、これ幸いとばかりに逃げ出した父親の背中に酷く失望したのを覚えている。
あの時、父親は金銭だけではなく、「言葉」という名の「責任」を投げ捨てた。
その光景が、舞桜の心に深い失望の「穴」を空けている。
「会いたくない」
舞桜が直球に答えると、淳二は苦笑し、
「悪態のひとつもついてやろうや。面と向かって悪態つけるラストチャンスや」
決定事項を突きつける。
舞桜は、ただ静かに、瞳を伏せたまま、何も語らない。
彼女の心には、悲しみも、憎しみも、「無駄な感情」は一切湧き上がってこなかった。
あるのは、ぽっかりと空いた「空虚感」だけ。
それはまるで、計算式から「父」という変数が消去されたような、無機質な事実だった。
ただ、胸の奥底で、何かが引っかかっている。
それは、「守るべきものを、最後まで守り通せなかった弱さ」に対する、理屈の伴わない違和感だった。
「えっと、この度は、御愁傷様でした」
そう言って、この場から離れようとする万桜の袖を、舞桜はキュッと掴んで離さない。
その指先に込められた力は、「ここから、逃がさない」という、子供のような切実さだった。
「ボッチ。俺にも出来ることと、出来ないことあるからな? ボッチの兄ちゃんも、なんとか言ってよ?」
万桜は、救いを求めて淳二にすがるが、
「せやな。黒木くんも参列しようや。舞桜の未来の旦那やもんな」
淳二はにべも無い。
その言葉は、まるで逃げ道を塞ぐかのような、「赤い社長」の絶対的な下知だった。
「誰ぞある!」
淳二は虚空に下知を出すと、どこからともなく部下が現れた。
部下は、一瞬にして万桜のサイズにあった喪服をあてがった。
そのあまりの迅速さに、万桜は困惑を通り越し、少しの恐怖すら覚える。
「いや、未来の旦那て…あー、もう!」
万桜は、サブリナの魔法の無線を取り出し、苛立ちを爆発させた。
「テメエら、出合え! 出合いやがれ! ボッチの父ちゃん。送ってくんぞ!」
みんなのことを巻き込むことで、この「不条理な決定事項」を、「集団的なお祭り騒ぎ」へと昇華させようと試みた。
彼の天才的な発想は、常に「現状の打破」へと向かう。
舞桜は、そんな万桜の行動を、虚無の瞳で見つめていた。
彼女には、悲しい、という感情がない。
ただ、不器用で、どうしようもなく、自分の悪意から逃げた男の最期に、「無駄な感情」をぶつけることができない自分のことが、不思議でならなかった。
「行くわよ、黒木万桜」
舞桜は、掴んでいた万桜の袖を放し、踵を返す。
「「邪魔にならないように」、最後のお別れをしましょう」
その声には、冷たさだけではなく、「最後まで逃げない」という、妹としての覚悟が滲んでいた。
★★★★★★
2019年3月上旬。東京港区にある、某著名なお寺。
そこが大手ゼネコン茅野建設会長茅野二郎の通夜の会場だった。
東京タワーが近くにある会場で、番長はセイタンシステムズのケータリング部門代表として、寿司を握っている。
マカロニ・テンダーアンドロイドを持ち込んで、生前会長が懇意にしていた葛城幸四郎に寿司を握らせていたが、そのカムフラージュをするためだ。
アンドロイドは、極上の寿司を静かに提供し続けている。
会場には、ありとあらゆる政財界の重鎮が集っている。
総理大臣経験者の姿まである。
舞桜が、想像を絶する「超」が付くお嬢さまであるのだと、あらためて認識し、
「「「あっ、なんか、いい匂いとかしますねぇ」」」
万桜、勇希、莉那の3人は、場の雰囲気に飲まれ、縮こまる。
彼らが感じているのは、「いい匂い」ではなく、「権力」と「財力」が放つ、目に見えない「圧」だ。
「抹香の匂いしかしないわよ。男子高校生か、あなたたちは?」
舞桜は苦笑しながら指摘する。
その苦笑は、感情を切り捨てた彼女が見せられる、唯一の「無駄な感情」だった。
その時、舞桜は、視線を感じた。
老婦人たちが、舞桜に「ああ、噂の、会長の隠し子ね」という視線を向けている。
それは、2008年に伯父たちが投げかけた「悪意」と寸分違わぬ視線だった。
舞桜は、無意識に、万桜の袖をキュッと掴んだ。
その瞬間、悪意を真っ先に嗅ぎ取ったのは、勇希だった。
彼女は、会場の隅に飾られたアンティークのデスクと、その周囲を漂う古い木の匂いと混ざった甘い匂いに、意識を集中させる。
悪意は、常に「不純物」の匂いを伴うことを、彼女は知っている。
「サブリナ、あの人たち。なんか、いやな匂いがしないか?」
勇希は、目線だけで舞桜を観察している老婦人たちを指し、莉那に尋ねた。
「勇希。オブラート! オブラート包もう?」
莉那は、腰に手を当てて、ふんぞり返った。
彼女は、まるで「場を支配する女王」のように、堂々とその場に立った。
莉那の堂々とした立ち姿は、老婦人たちに「この子は、私たちが軽んじていい存在ではない」という、無言の威圧を与えた。
一瞬、老婦人たちの視線が怯み、そらされる。
舞桜は、掴んでいた万桜の袖を放し、冷静に評価した。
その時、一人の政界の重鎮が、舞桜に近づいてきた。
淳二が席を外している隙を狙い、「若き茅野家の相続人」である舞桜に、「挨拶」という名の悪意を仕掛けようという魂胆だ。
「お嬢さん。お父上には、生前大変お世話になりました。さて、今後の茅野建設は、どうなるので?」
重鎮の目は、舞桜の顔ではなく、彼女の背後に見える「茅野建設という巨大な資産」に向けられていた。
「この子は、あなたたちの交渉の道具ではない」
舞桜の過去のトラウマを刺激する、その言葉。
舞桜が、「無駄な感情」を抱きそうになる直前。
「今夜は、故人を悼もうぜ?」
万桜が、両手を広げて、政界の重鎮の前に立ちはだかった。
彼の顔には、「悪意」に対する「純粋な怒り」が浮かんでいる。
「それとも、老いらくの恋にでも目覚めちゃったかロリコン伯爵?」
重鎮は、突然の指摘に一瞬戸惑う。
「ボッチぃ。おまえジジ専なんか?」
万桜の言葉は、場の空気と重鎮の威厳を、一瞬で解体した。
「なにを、この小僧!」
重鎮が、怒りに顔を真っ赤にして叫ぶ。
「いいから。これ食って黙っとけ。な?」
そう言って、重鎮の口に寿司を捩じ込む。ストレスフリーな魚介の味が、重鎮の脳を蹂躙する。
万桜は、どこぞの重鎮に対して一切怯まない。若さ故の無謀ではなく、彼のそれは圧倒である。
その言葉は、「交渉の道具ちゃうねんで!」と叫んだ淳二の「魂の言葉」と、完全に同調していた。
舞桜は、万桜の背中を見つめ、「無駄」なはずの「感謝」という感情を、初めて覚えた。
彼女の目には、悪意を遮断し、自分を守ろうとする「未来の旦那」の、「赤い彗星」にも劣らない、英雄の姿が見えていた。
万桜は、悪意を打ち砕いたばかりの、興奮と疲労が入り混じった表情で、舞桜に向き直った。
彼の論理的な威嚇は、舞桜の合理的な防衛線に響く、唯一の「救い」だった。
「悲しくないのよ…あたしは…冷たいのかな黒木…」
舞桜は、泣きそうな顔をして万桜に尋ねた。
その瞳は潤んでいるのに、涙腺は固く閉じられたままだ。
「要らない感情」を排除し続けた結果、「悲しい」という最も人間的な感情すら、彼女の体は拒否していた。
万桜は、ひとつ大きく吐息をついた。
彼は、舞桜の合理性と感情のメカニズムを、誰よりも深く理解していた。
「でも、嬉しくも、楽しくもねえ。ちげえか?」
万桜は、感情の「費用対効果」を問うかのように、静かに尋ねた。
舞桜の顔が、わずかに歪む。
「それは、『父ちゃん』って変数が、『なんの計算もせず、唐突にゼロになった』ことへの、違和感だ」
万桜は、感情を「論理」で切り分け、彼女の心にそっと「言葉」を差し込んだ。
「それは寂しいって感情だよボッチ」
万桜は、「空虚感」と「違和感」という、舞桜の複雑な心境に、「寂しい」という、たった一つのシンプルな名前を与えた。
その言葉は、まるで呪いを解く魔法の鍵のように、舞桜の固く閉ざされた涙腺をこじ開けた。
言い当てられた舞桜の瞳から、大粒の涙が零れる。
それは、十一年ぶりに流された、「要らない子」ではない、「愛された娘」の涙だった。
「意地張んな。バカ舞桜…」
そう言って万桜は、悪意と不条理から守り抜いた舞桜を胸に抱いた。
彼の体からは、汗と安心感が混ざり合った、複雑な匂いがした。
舞桜は、万桜の胸に、堰を切ったように嗚咽を吐き出した。
それは、「要らない子」と呼ばれた過去の痛みと、「愛されたい」と願い続けた心の叫び、そして「父」という変数が消えたことへの純粋な喪失感が、すべて混ざり合った「無駄な感情」の洪水だった。
淳二は、遠巻きにその光景を見つめていた。
「よかったな、舞桜。そいつは、俺よりええ男やで」
彼の顔には、「妹の幸せ」を確信した、「赤い社長」の満足そうな笑みが浮かんでいた。
★★★★★★
翌日。告別式を控えた舞桜は、勇希と万桜とともに、東京タワーの特別展望台にいた。
万桜の顔は、昨日の通夜で感情を爆発させた舞桜よりも、はるかに蒼白だった。
彼は、目隠しをされて連れて来られたため、その場所が「空中に浮かぶ恐怖」であることを知らなかった。
「どうして、こうなった?」
目隠しをされて連れて来られた万桜は、大粒の涙を浮かべている。
万桜の恐怖は、常に物理的で純粋だった。
昨日の悪意を打ち砕く勇気と、今日の高所に怯える涙は、彼の「感情の不合理さ」を、舞桜に突きつけていた。
「うるさいバカ魔王」
舞桜は万桜の訴えを一蹴する。
そして、高所の恐怖に怯える万桜の唇に、そっとキスをする。
それは、「寂しさ」という無駄な感情を受け入れた舞桜が、もう自らの「愛の衝動」を抑えきれなくなった、純粋な告白であった。
舞桜は、パチンと勇希の手をタッチすると、その場を明け渡した。
「舞桜がしたかったんだと…じゃあ、仕方あるまい…」
そう言って勇希も、瞳を細めながら、万桜の唇にキスをした。
それは、「二年の猶予期間」などという合理的な契約に、彼女の愛を縛らせないための、「私の方がより深く愛している」という、独占欲という名の非合理な牽制であった。
高所の恐怖と、突然のキスに茫然とする万桜を置き去りにし、舞桜と勇希は、まるで悪意から逃げ出すかのように、エレベーターにすべりこむ。
悪意を打ち砕くために結集したチーム勇者は、自らの愛の衝動を押し付けた後は、責任放棄という名の合理性を発動させた。
しばらくしてから、ハッと我に返った万桜は、
「うぅ~、サブリナ…助けて…」
サブリナの魔法の無線を使って、莉那に救難信号を送る。
『うるせえバカ魔王』
無線越しに拒否された。
莉那の一刀両断は、万桜の「不合理な期待」を、容赦なく切り捨てる。
万桜は、もはや恐怖と屈辱で、涙と鼻水を流しながら、空中に張り付くガラスに額を押しつけた。
「ちょぉ、おまえ、そこは『あたりまえだぁ!』じゃねえのかよ? ピノおごるから! ねえ! サブリナぁ!」
ピノという「無駄な報酬」を提示しての、万桜の懇願を、
『うるせえバカ魔王』
莉那はアッサリ棄却した。
彼女の拒否は、純粋にめんどくさいことを示していた。
万桜は、高所恐怖症という物理的な悪意に、ただ一人取り残された。
その時、エレベーターを降りた舞桜の口元には、「寂しさ」を知った舞桜が見せる、「無駄で、愛おしい感情」の、微かな笑みが浮かんでいた。
万桜は、恐怖で腰が抜けながらも、目の前の東京の街を見つめる。
それはまるで、舞桜の「過去」を封印し、「現在」を築いた「茅野建設の巨大な力」を象徴する、高所からのパノラマだった。
彼の心に、舞桜と勇希から受け取った**「純粋な愛の衝動」と「高所の恐怖」**が混ざり合い、「新しい発明」のアイデアが、不合理に湧き上がっていくのだった。
★★★★★★
2019年3月上旬。
告別式を控えた舞桜は、東京タワーからほど近い、都内有数の桜の名所に来ていた。
肌寒い時期で、桜はまだ咲いていない。
枝は硬く、春の気配を待ちわびるように、静かに佇んでいる。
不意に、舞桜の脳裏に過去がよぎる。
幼い頃、父である二郎に連れられて、この場所を訪れた時のことだ。
「散ってるんじゃないんだよ。桜の花びらが舞っているんだ」
それは、父である二郎の言葉だった。
散ってしまう短い命ではなく。
木花咲耶姫の儚さではなく。
風に舞い、みんなを楽しませる桜。
それが舞桜の名前の由来であった。
「要らない子」と呼ばれ、「道具」として扱われた過去。
その悪意に、「桜のように舞い、周囲を明るくする存在であれ」という、父親の「不器用な愛」が、埋もれていたのだ。
昨夜、万桜が教えてくれた「寂しい」という感情。
その寂しさこそが、「舞桜」という名前の真実を、彼女に教えた。
ここは、幼い時に父とよくきた桜の名所だ。
唐突に聞こえた父の言葉に、誰に言うでもなく、
「ありがとう。お父さん」
舞桜は微笑み囁いた。
その声は、「無駄な感情」を恐れなくなった、一人の娘の心からの感謝だった。
その時、舞桜の端末が鳴った。
発信元は、高所に置き去りにされたはずの万桜だ。
『助けてください!』
「助けに行く必要性は、なんかある?」
舞桜は、「合理的な悪意」を込めて尋ねた。
『助けてください! 助けてください!』
万桜は、特別展望台の中心で愛を叫び続けたが、
「…ごめん。もう時間…」
舞桜は、クスリと笑って通信を切断する。
彼女の足元には、まだ咲いてもいないのに、風に舞うような、微かな桜の幻が見えた気がした。
それは、「要らない子」から「舞う桜」へと生まれ変わった、彼女自身の「未来」の姿だった。
『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みの地球の皆様へ!
いつも拙作『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みいただき、本当にありがとうございます!
物語の中で、「魔王」こと黒木万桜は、時には「水嚢の川」で災害に立ち向かい、時には中古スマホを活用したクローズドネットワークなんて突拍子もないアイデアまで生み出しています。
実は、この物語には、万桜のそんな「もしかしたら、これって本当に役立つかも?」と思えるような、たくさんのアイデアが散りばめられているんです。読者の皆さんも、「これ、面白い!」「こんな風に使えるんじゃないか?」なんて、閃いたことはありませんか?
地球のみんなぁ~! オラに「★」をわけてくれーっ!
もし、この物語を読んで、少しでも「面白い!」「次の展開が楽しみ!」「万桜のアイデア、イケるかも!」と感じていただけたなら、どうかページ下部の【★★★★★】ボタンをポチッ!と押して、星評価を分けていただけないでしょうか!
皆さんのその「★」一つ一つが、作者の大きな励みになり、万桜の次の「魔王案件」へと繋がるエネルギーになります!
引き続き、『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をどうぞよろしくお願いいたします!




