黒き魔王とローストレバーバケット
前書き
2018年10月上旬。横須賀防衛大学校の会議室で、二等陸将の佐々蔵之介は、万桜の提示した「武威」に戦慄し、泰造と北野学長に助けを求める。彼らは、万桜の才能が持つ恐ろしさと、それを正しく導くことの責任を改めて確認する。同じくその場にいた幹部自衛官候補生の拓矢と琴葉は、万桜のアイデアを軍事利用するのではなく、自分たちの専門知識でより洗練させ、彼に「兵器開発の業」を背負わせるつもりはないと宣言する。彼らは万桜の才能を、人類の未来を創造するための「道標」として守り抜くことを決意したのだ。
一方、休憩室に戻った万桜は、ローストレバーのバケットサンドを作りながら、拓矢たちの不在を気にすることなく、番長と共に食後の改良点について語り合う。その無頓着な姿に、勇希は舞桜に内緒話を持ちかける。そして、勇希、舞桜、莉那の三人は、万桜に対する抑えきれない恋心を打ち明け合い、そのはけ口を求めて、万桜が東京で提案した仮想現実(VR)装置の作成に着手する。男たちのMRIデータと体臭をデータ化し、完璧な仮想空間を構築するという、彼女たちの歪んだ「研究」が始まる。
その頃、万桜は、番長や山縣政義と共に、「夜泣き子育て支援サービス」の構想を練っていた。地域全体で子供を育てるという、壮大かつ現実的な彼のアイデアに、勇希と琴葉は自分たちの浅ましさを恥じ、彼の理想を現実の社会に実装するための法的・実務的なサポートを申し出る。しかし、万桜はそれを「おんぶに抱っこ」だと突き放し、全員が当事者意識を持つことを要求する。
最終的に、万桜の真摯な姿勢に感化された勇希と琴葉は、舞桜と莉那の計画に協力することになる。男たちの「データ」を収集し、完璧な仮想空間を作り上げた彼女たちは、その中で、万桜へのそれぞれの想いを再確認する。そして、勇希と舞桜は、万桜を巡る恋の宣戦布告を交わすのだった。
レバー食べたい。
佐々蔵之介は、市議である泰造の前で、文字通り泣いていた。彼の顔は蒼白で、震える声が学長室に響く。
「な、なんなんだよ、あの子? 怖いよ、あの目。佳代と大雅のタッグより怖ぇよ?」
すすり泣く佐々に、泰造は哀れみの目を向ける。ふたりは、高校の同級生だ。白井泰造は白井家の婿養子だ。だから、この町の出身ではない。
「え、おまえ万桜ちゃん、怒らせたの? えぇ~、ヤダ、ちょっと近寄らないで」
泰造は朗らかな声で、しっしと涙目の佐々をぞんざいに遠ざける。彼の表情には、哀れみ半分、そして心底からの恐怖が浮かんでいた。
北野学長は、そんなふたりの様子に苦笑を浮かべ、
「まあ、軍事を黒木くんに振るのは、おかしいと思いますよ佐々さん。それじゃあマンハッタン計画と一緒だ。天才に兵器を作らせて、その結果どうなったか。オッペンハイマーが背負った『業』と、その後の『抑止』という名のもとに作られた兵器の山。それをもう一度、若い才能に背負わせるつもりですか?」
北野学長は、ピシャリと学徒を守るように鋭く指摘した。その言葉の奥には、万桜の才能が持つ恐ろしさと、それを取り巻く大人たちの責任を問う、強い意志が感じられた。
「…いや、そんなつもりは」
佐々は、言葉に詰まる。彼の目に映ったのは、もはや軍人の純粋な好奇心ではなかった。あれは、自らの信念のためならば、世界を敵に回すことも厭わない、獰猛な「魔王」の瞳だった。その瞳は、彼が軍人として訓練された理性を、一瞬で凍らせるほどの畏怖を秘めていた。
「黒木くんの発想は、常に未来を見据えている。それは、単に技術的な解決策を提示するだけでなく、社会の構造そのものを変えようとする、文明のシフトだ。その力は、使い方を誤れば、世界を破壊する。我々の責務は、彼の才能を『刃』として利用するのではなく、人類をより良い方向へと導く『道標』として育むことですよ」
北野学長は、静かに語る。彼の言葉は、佐々の心に深く突き刺さる。
「…彼をどう導けばいいんですか? あの才能は、国家が管理すべきだ。そうじゃないと、いつか世界を破壊しかねない。原木、おまえもそう思うだろう?」
佐々は苦し紛れに泰造に同意を求めた。原木は泰造の旧姓だ。
「管理するなんて、とんでもない。あの子は、誰にも管理できるような存在じゃありませんよ。ただ、ただ…信じることです。そして、彼が道を踏み外さないように、周りで支えてあげることです。そうだな泰造…」
北野学長の言葉に、泰造は少しだけ表情を引き締めると、
「そうですね爽さん。それに、万桜ちゃんの『魔王』は、あくまでも大切な誰かを守るためのものですよ。怒らせなければ、なんでもない。それに、もし万桜ちゃんが道を踏み外しそうになったら、舞桜さんや、勇希、それに拓矢や莉那、みんなが止めてくれますよ」
泰造は、北野学長に同意しながらも、万桜への絶対的な信頼を口にした。それは、彼らが過去に経験した「魔王案件」の積み重ねからくる、揺るぎない確信だった。
学長室で、倉田琴葉の凛とした声が響いた。
「斧乃木、これはあたしたちが負うべき『業』だ。違うか?」
琴葉の言葉に拓矢はコクリと頷く。彼の目は、もう迷っていなかった。万桜の才能が軍事転用される可能性は、彼ら幹部自衛官候補生が最も危惧すべきことだった。
「万桜が提示した武威の射程は、ダーツ状の矢を射出したところで、せいぜい60キロほどでしょう。あれじゃあ、絶対の抑止には繋がりません」
拓矢は手にしたボールペンをダーツに見立てて説明する。
「…自分なら射出後に錐揉み滑空するように、昇華の力で回転させます。さらに少量の水分を射出させて、高高度で肥大化させ、重量を増大させます」
彼は、まるで敵地の地図を広げるかのように、静かに、そして楽しそうに語る。戦いに関しては、拓矢たちが専門家だ。民間人である万桜に兵器開発の業を背負わせるつもりは微塵もない。彼が背負うべきは、人類の未来を創造する「道標」としての『業』であり、それは彼らが守るべき領域なのだ。
「拓矢? おまえもか? く、倉田、止めろ! 止めてくれ!」
佐々は縋るように、琴葉に要請するが、
「あたしなら、滑空が安定するように羽根を展開させる。これなら高高度からの射出で、少ない力で千キロから数千キロまで滑空できるな」
倉田琴葉は獰猛に嗤って、拓矢の案を強化した。彼女の瞳は、まるで獲物を前にした猛禽のように、鋭い光を放っている。日々の厳しい訓練と、専守防衛に対する欲求不満が、彼女の知性を研ぎ澄まし、この場で解放されていた。
「あるいは、ダーツのケツから昇華の力で推進させてもいいな」
「先輩、冴えてる! それ行きましょう!」
拓矢は、まるで最高の仲間を見つけた子供のように、目を輝かせた。彼らは、万桜という「特異点」が突きつけた課題に、彼らなりの答えを出そうとしていた。それは、万桜の才能を兵器としてではなく、自分たちの専門知識を駆使して、その可能性を最大限に引き出すという、彼らなりの「武威」の示し方だった。
佐々は、そんなふたりの様子に絶望したように崩れ落ちる。
「わ、わかった! わかったよ! 買うよ! 買います! 高高度気球! 原木テメ、今度、酒奢れよッ!」
佐々は肚を括って叫ぶと、八つ当たりのように泰造を睨んだ。
★ ◆ ★ ◆ ★
焦げついたパインを除けたフライパンに、万桜は油を敷きなおし、弱火にして豚レバーを寝かせた。
じりじりと熱せられたレバーの表面が、香ばしい焼き色をつけ始める。
下処理はしていない。
少し万桜らしくない手際に、番長はすぐに気づいた。
弱火のまま焼きめを軽くつけ、瑞々しく刻まれたセロリ、ルッコラ、パセリ、そして庭で摘んだばかりのローズマリーやタイムなどのハーブを投入し、芳醇な赤ワインを注ぎ入れる。
ふつふつと煮え立つ液体が、レバーの臭みを包み込み、甘くスパイシーな香りが部屋を満たす。
蓋をして蒸し焼きにし、強い香りで臭みを制圧するつもりだ。
「なるほどな~。じゃあ、こっちの失敗パインとパプリカと獅子唐でサルサソースを作っておくぜ」
番長は手際良くサルサソースを作り始め、
「あれジェイたちは、どこに行ったんだ?」
万桜は魔王を潜めた呑気な声で、勇希に尋ねた。
バケットにレタスと一緒に挟まれたローストレバーには、番長謹製のサルサソースがたっぷりと絡んでいる。
赤と緑の鮮やかなソース。
細かく刻まれた韮の香りが、5人の食欲を刺激する。
「飯時にいないやつらが悪い」
万桜は、迷うことなくローストレバーバケットサンドにかじりついた。
ジュワリとレバーの旨みが口いっぱいに広がり、サルサソースの酸味と辛味、そして焦げ付いたパインの甘さが、複雑なハーモニーを奏でる。
グラスには、黒木果樹園の特製クラフト梅コーラが注がれ、弾ける炭酸が、レバーとサルサソースの濃厚な味わいを爽やかに洗い流す。
バケットサンドを食べ終えた勇希が、思い詰めた面持ちで舞桜に切り出した。
「舞桜、少し話がある」
その声は、万桜たちに聞こえないよう、注意深く落とされていた。
それを察した莉那が、悪戯っぽく笑い、
「なぁーに、内緒話? じゃあ、あたしも行く~」
軽やかにふたりを伴い、休憩室をあとにした。
残された万桜と番長は、無言でグラスに残った梅コーラを飲み干し、
「油分が足りてねえな?」
万桜がぼんやりとした口調で、食後の考察を口にする。
「そうだな、サルサにマヨ入れた方がいいかもしれねえ」
番長は、その言葉に静かに同意した。
彼らは、食後の改良点に余念がない。
その様子は、まるで先程まで繰り広げられていた壮大な国家規模の議論など、はじめからなかったかのようだった。
★ ◆ ★ ★ ◆ ★
新築された休憩室には、まだ誰も踏み入れたことのないような清らかな空気が流れている。
「す、すまない舞桜。あ、あたし、あたし…」
勇希は言い淀み、両手の拳を強く握りしめた。
勇希の焦燥を、莉那は一言で射抜く。
「待てなくなっちゃったか~」
躊躇う素振りもなく、矢面に立った万桜。
その背中を見て、抑えが効かなくなったのだ。
それは、友愛ではなく、もっと純粋で、もっと切実な、異性として万桜を求める感情だった。
勇希の心の中で、理性というダムは決壊寸前まで追い詰められている。
舞桜は、泣きそうな顔で安堵のため息をついた。
「よ、よかったぁ~。あ、あたしだけじゃなかったぁ~」
舞桜もまた勇希とまったく同じ心境だったのだ。
「てか、あのタイミングでローストレバーはないでしょ! そうでしょ!」
舞桜は、万桜の無頓着に捲し立てる。
「あれじゃ、卵丼じゃない!」
彼女が言う卵丼とは、かつて勇希が万桜に振る舞った、プリン体の殿堂とも呼べる、生命力の塊のような丼飯だ。
その言葉には、勇希と自分の想いを知ってか知らずか、悠然と食事を続ける万桜への、もどかしいほどの愛がにじみ出ていた。
「わかる~! もう、あの子は…」
莉那はふたりの言葉に強く同意して、やれやれと肩をすくめた。
三人の言葉は、それぞれが万桜に抱く複雑な感情の、小さな破片のように宙を舞っていた。
舞桜は、おずおずと莉那に尋ねた。
「サブリナ、あ、あなた、そ、その…大人の階段昇ったの?」
7月に莉那は拓矢と横須賀に海水浴に行った。
舞桜は、そのことがずっと気がかりだった。
「処女リナです!」
莉那は、誇らしげにキッパリと言い切った。
しかし、勇希は疑いの目を向ける。
「ホントにか?」
勇希は、目を細めて問い詰めた。
莉那は一瞬、言葉に詰まる。
「そ、そりゃ、ちゅ、チューくらいはした…」
その顔は、ほんのりと赤く染まっていた。
「で、でもでも、べ、ベロチューじゃないよ? せ、セーフだよぉ」
赤裸々な莉那に、舞桜と勇希は顔を見合わせると、
「「そうだな痴女リナ。おまえの中ではな」」
ふたりは声を揃え、辛辣に言い放った。
「うぅ~、勇希だって缶チューハイに逃げたじゃんかぁ」
莉那は拗ねたように唇を尖らせる。
「言っておくが、呑んでないぞ? 買っただけだ…」
勇希は、少し困ったように弁明した。
ふたりの言い争いを諌めるべく、舞桜が口を開いた。
「仮想現実」
東京で万桜が提案した、あの装置について触れてみる。
数日前、万桜は舞桜を完全3Dで再現して見せた。
その情報は3人、いや、
「話は聞かせてもらった!」
琴葉を含めた4人の間で共有されている。
琴葉の声は、休憩室の扉が開くと同時に響き渡った。
「こ、琴葉ちゃん? い、いったいどこから?」
驚く莉那に、琴葉は涼しい顔で、
「処女リナのあたりからだな。痴女リナ」
からかうように、そう答えた。
ローストレバーバケットサンドを食べ終えると、琴葉は満足そうに口元を拭い、そう結論付けた。
「確かに、そのアイデアであれば、VR装置は実現可能かもしれない」
琴葉が口にしたのは、万桜が東京で提案した、あのドーム型のVR装置のことだ。
「あたしもそう思います倉田さん。とすれば、必要なのは、アロマの元となる汗の成分、そして、万桜のMRIデータ…」
勇希が言い掛けると、舞桜が口を開いた。
「黒木の分は確保済みよ勇希」
舞桜の言葉に、勇希は瞠目した。
自分と万桜、ふたり分の生データは、先日に取得済みだ。
ブロックチェーンをかける前の生データ。
舞桜は、拳を握りしめて宣言する。
「いい? これは研究よ! けして欲望に流されたわけじゃありません!」
そう言いながらも、彼女たちがやろうとしていることは、地に堕ちるほど最低なことだった。
「あとは拓矢のMRIデータと…」
莉那の目が怪しく光る。もちろん、
「政義くんのMRIデータ、汗は難癖つけて、生協で買ったTシャツ渡して強奪すればいい」
琴葉の瞳は、まるで獲物を前にした猛獣のように嗜虐的に輝いている。
「システムの構築はあたしと舞桜がやるよ、琴葉ちゃんと勇希は、女子更衣室がないって駄々こねて、プレハブの確保を。わかってると思うけど、防音と個室は確保してよね?」
莉那がこの場のリーダーとなって取り仕切る。
「あぁ、防音と個室は確保する! 行動開始だ白井くん!」
琴葉は勇希を伴い、まるで軍事作戦のように、事を起こした。
「工場長? ちょっと作ってもらいたいものがあるのだけど…」
舞桜の行動も迅速だ。
VR装置に必要なドーム型モニターを、彼女はこの前、良貨を駆逐する悪貨になるために結託した町工場へと発注した。
静かに、そして着実に、彼女たちの「VR夜の営み」は始まっていた。
★ ◆ ★ ◆ ★
万桜と番長と山縣政義。この顔ぶれは山縣ヴェンダーズであったが、彼らが集まった向きは、別にあった。
番長は先月の頭に結婚したばかりの新婚だ。いずれは、子供を授かるだろう。
「なるほどな~! それは重要だな、黒木、おまえは、ホント、色々なことに気づくなぁ」
政義は感心したように唸った。
甲斐の国大学3回生の山縣政義は、万桜たちのふたつ上の先輩で、教職を取る為に学んでいる。
「いや、うち妹いるんスけど、小学生のころ、父ちゃんと母ちゃんが、俺たち集めて桜の面倒を交代でみさせたんです先輩…もちろん、昼の間だけ、大人監修のもと」
万桜は過去を振り返るように経験を語る。
「夜は、大人が交代制。勇希の母ちゃんとか、サブリナの母ちゃんとか、地域全体を巻き込んで交代制。これを提供できるサービスを構築すれば、不仲になる夫婦は激減するし、子供たちにもいい経験になる。将来に役立つ。もちろん、ただとは言わねえ。電子マネーIICoを10進呈する」
IICoとは、このあたりの的屋で買い物ができる指紋認証、電子決済システムだ。
利用者は、お手伝いをした子供に限定される。
1IICoで、どんな商品とでも交換可能。大盤振る舞いな未来への投資である。
「いいよ。うちの寺を預かり場所として提供するし、俺が管理するよ」
山縣政義は、万桜の提案に快諾した。
対夜泣き子育て支援決戦サービスを構築する万桜と政義たちを目撃した勇希と琴葉は、自身の浅ましさに羞恥した。
万桜が真摯に未来を見据え、社会的な課題解決に取り組んでいるのに対し、自分たちは目先の欲望に目が眩んでいたことを痛感したのだ。
勇希は、自身の頬を両手で叩き、気合を入れる。
「…琴葉さん、私たちがやるべきことは、彼らのサポートです。万が一の事態に備え、法的な側面を固める必要があります」
琴葉もまた、真剣な眼差しで勇希を見つめ、頷いた。
「そうだな、まずは必要な手続き、資格、それらを洗い出そう。そして、万一の保険も」
二人は、万桜たちが作り上げた理想を、現実の社会に実装するための、具体的な行動へと移った。
「まずは、事業を始める上で必要な手続きを提案させてください」
勇希は、落ち着いた口調で、万桜と政義に語りかける。
「営利事業として法人を設立する場合は、株式会社、合同会社、NPO法人など、いくつかの選択肢があります。非営利での運営を前提とするならば、NPO法人が最も適しているかもしれません。また、子供を預かる事業には、児童福祉法や民法など、関連する法律の知識が不可欠です。私たちは、そうした法的リスクを洗い出し、適切な対策を講じる必要があります」
「それから、万が一の保険も必要です黒木くん」
琴葉は、より実践的な視点から付け加える。
「子供を預かる以上、予期せぬ事故や怪我のリスクはゼロにはできない。賠償責任保険や施設賠償責任保険など、適切な保険に加入することで、万が一の事態に備えることができる。そして、託児施設としての認可を受けるための資格や、衛生管理基準などもクリアしなければならない。これらは、親御さんが安心して子供を預けられる、信頼の証にもなるからな」
二人の真摯な提案に、万桜と政義は静かに耳を傾けた。
彼らが作り上げたのは、単なる事業ではない。
未来を担う子供たちを育み、不仲になりがちな夫婦を救う、尊い「サービス」だったのだ。
そして、勇希と琴葉は、そのサービスの最も重要な「安全」という側面を、彼らの浅はかさへの贖罪として、支えようとしていた。
万桜は、勇希と琴葉の真剣な眼差しを真正面から受け止めて、ど正論を突きつけた。
「いや、丸投げなんかさせねえよ! あたりまえだろ? てめえらの子供じゃねえか?」
万桜の言葉に、二人は息をのむ。
「あくまでサポートだ。合意契約書だって作るし、法人の鎧ならある。セイタンシステムズで巻き取る」
万桜は、ただの理想論を語るのではなく、それを実現するための具体的なプランを、すでに頭の中に描いていたのだ。
子供たちを地域全体で育て、夫婦関係をより強固なものにするという壮大なビジョン。
万桜の言葉には、そのすべてを支え、守り抜くという、揺るぎない覚悟が感じられた。
勇希と琴葉は、ただただ感服するばかりだった。
万桜は、言い募る勇希と琴葉を真っすぐに見据えて、ど正論を突きつけた。
「地域参加型のサービスだ。その宿泊施設に、山縣先輩の寺を提供してもらう。おんぶにダッコ? 舐めんな!」
万桜の声には、一分の隙もない確固たる意志が宿っている。
「番長、おんぶにダッコ? 舐めんな! 大事なことだから2度言ったぜ?」
会話に参加してこない番長に、万桜は牽制する。
その牽制に、番長は心臓を掴まれたかのように身構え、
「お、おう。わかってるよ黒幕。もちろん俺も全面的に参加する」
慌てて、参加を表明した。
万桜は、満足げに頷く。
「別にガキどもの手当てであるIICoは、大した出費にならねえしよ。どうせ、税金で持ってかれる分だ。放出する方が社会のためさ」
万桜は、更に正論を口にした。
「言ってみれば食券だからな、あれは…」
子供たちに社会貢献を促すという、壮大かつ現実的な彼の構想に、その場にいた者たちはただただ圧倒されるばかりだった。
万桜は、さらに言葉を続けた。
「父母が夜泣き子育て支援に参加し、昼間は子供らが参加すれば、言ってみれば、それは村の子だ。ちげえか? おまえら、そんなガキを他人だって切り捨てられるか?」
万桜の問いかけに、勇希も琴葉も、もちろん番長も息を呑む。
万桜は、その静寂を待っていた。
「墾田永年私財法は?」
万桜の号令に、三人はまるで条件反射のように、声を揃えて叫んだ。
「「「裏切らねえッ!」」」
その光景を冷静に見ていた拓矢が、たまらず口を挟んだ。
「いや、保険も予防もいるからね? 流されないで、マジで…」
彼の言葉には、万桜の熱意に圧倒されそうになる自分への、そして皆への、必死の牽制が込められていた。
拓矢からのグループチャットで、状況を把握した舞桜と莉那は、拠点である旧農業ヘルパー休憩室に駆けつける。
そこには、いつものように万桜に煽られ、熱に浮かされている仲間たちの姿があった。
「想定内ね」
舞桜は、その光景を一瞥すると、泰然と状況を断じた。
「そうだね~」
莉那は、それを気だるげに肯定する。あと、ブライ・クリフト枠である琴葉に、多くを期待しない諦めが混じっている。
舞桜の視線は、既に事態の収拾と、新たな計画の構築へと移っていた。
この、熱狂と冷静が同居する空間こそが、彼らの創造性の源泉だった。
パンパンと柏手を打って、舞桜は墾田永年私財法狂信者の集会に割って入った。
「はいはい、そこまでよ!」
舞桜の声に、熱に浮かされていた一同は我に返った。
「話はあらかた把握したわ。山縣先輩、教育学部から、保育士希望者のインターン的なアルバイトを募りたいのですが、いかがでしょうか」
舞桜は、すかさず現実的な実務の話に切り替える。
そうすることで、この突飛なアイデアを支える有資格者候補と、後の有識者の確保を担保するつもりだ。
狂信者ではない政義は、舞桜の提案に苦笑を浮かべて請け負った。
「そうだな、金欠な連中が多いから、そこはすぐに埋まると思うよ茅野くん」
彼の言葉に、舞桜は満足げに頷いた。
万桜の夢物語を、舞桜が確かな現実へと引き戻していく。
これが、彼らが紡ぎ出す物語の、いつもの始まりだった。
舞桜と莉那は、示し合わせたかのように、万桜と拓矢のそばによると、スンスンと鼻を働かせた。
「黒木、おまえ、セロリくさいぞ」
舞桜は、容赦なく辛辣に指摘する。
おなじく、莉那も自然な流れで持ちかけた。
「拓矢も…カブトムシみたいな匂い…もう、着替えなよ、洗っておくからさ…」
二人は鋭い視線を琴葉に向けて、無言に問う。
『『好きに選べ』』
問われた琴葉は、二人の視線の意味を瞬時に理解し、我に返った。
「政義くん、さっき生協でTシャツ買ってきたんだぁ。政義くんも着替えよ? ね?」
やんわりと切り出しながらも、その目には、獲物を狙うかのような強い光が宿っていた。
男たちの匂いという「データ」を収集するという、彼女たちの壮大な計画は、こうしてひっそりと、しかし着実に進められていた。
舞桜と莉那の指摘に、万桜と拓矢は自身の脇に鼻を働かせるが、当然ながら自身の体臭はわからず、顔を見合わせた。
「「えぇ~? そこまで主張するほど?」」
無防備に油断したふたりに、舞桜と莉那は容赦なく襲いかかる。
「「きゃあ!」」
万桜と拓矢は、なす術もなくひん剥かれた。
その光景を横目に、政義は琴葉の言葉に素直に従い、着替えを終える。
「すまない琴葉さん」
自分のシャツを自分で引き取ろうとする政義に、琴葉はにっこりと微笑み、
「洗ったげる。ね?」
有無を言わさずに、そのシャツを引き取った。
独り、罪悪に葛藤する勇希に、舞桜、莉那、琴葉の三人は視線を向けた。
『『『善きに計らえ』』』
無言の問いかけ。
勇希は、暫しも逡巡した。
正義と欲望の狭間で揺れ動く。
やがて、彼女は項垂れ、欲望に膝を屈した。
琴葉と莉那は、満足げに顔を見合わせた。
こうして、彼女たちの歪んだ「研究」は、勇希をも巻き込み、さらに加速していくのだった。
★ ◆ ★ ◆ ★
準備が整った女子更衣室兼実験室で、
「レギュレーションを定める。これは絶対遵守だ、でなければ、男どもにバラす」
琴葉が厳かに宣言した。
「抱きつくまでだ。着衣の有無は各位に委ねる。繰り返す。最後まではナシだ」
琴葉は深々と釘を打つ。
「大丈夫だよぉ、琴葉ちゃん。あたしと舞桜だ…」
莉那の呑気な言葉に、琴葉は声を被せる。
「だから釘を刺しているサブリナくん」
琴葉の言葉に、莉那は黙り込んだ。
仮想現実へと没入していく4人。
小一時間もしたころ、勇希は満ち足りたような面持ちで、舞桜に宣言した。
「舞桜、あと2年半は待ってやる…しっかり見定めるといい…」
その言葉は、勇希が万桜への想いを再確認し、それを現実世界で実現するために、改めて舞桜に宣戦を布告するものだった。
勇希の言葉に、舞桜もまた充実した面持ちで、
「2年半先でも、あたしの気持ちは変わらないわ勇希…」
宣戦を布告した。
『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みの地球の皆様へ!
いつも拙作『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みいただき、本当にありがとうございます!
物語の中で、「魔王」こと黒木万桜は、時には「水嚢の川」で災害に立ち向かい、時には中古スマホを活用したクローズドネットワークなんて突拍子もないアイデアまで生み出しています。
実は、この物語には、万桜のそんな「もしかしたら、これって本当に役立つかも?」と思えるような、たくさんのアイデアが散りばめられているんです。読者の皆さんも、「これ、面白い!」「こんな風に使えるんじゃないか?」なんて、閃いたことはありませんか?
地球のみんなぁ~! オラに「★」をわけてくれーっ!
もし、この物語を読んで、少しでも「面白い!」「次の展開が楽しみ!」「万桜のアイデア、イケるかも!」と感じていただけたなら、どうかページ下部の【★★★★★】ボタンをポチッ!と押して、星評価を分けていただけないでしょうか!
皆さんのその「★」一つ一つが、作者の大きな励みになり、万桜の次の「魔王案件」へと繋がるエネルギーになります!
引き続き、『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をどうぞよろしくお願いいたします!




