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黒き魔王とローストレバーバケット

前書き

 2018年10月上旬。横須賀防衛大学校の会議室で、二等陸将の佐々蔵之介は、万桜の提示した「武威」に戦慄し、泰造と北野学長に助けを求める。彼らは、万桜の才能が持つ恐ろしさと、それを正しく導くことの責任を改めて確認する。同じくその場にいた幹部自衛官候補生の拓矢と琴葉は、万桜のアイデアを軍事利用するのではなく、自分たちの専門知識でより洗練させ、彼に「兵器開発の業」を背負わせるつもりはないと宣言する。彼らは万桜の才能を、人類の未来を創造するための「道標」として守り抜くことを決意したのだ。

 一方、休憩室に戻った万桜は、ローストレバーのバケットサンドを作りながら、拓矢たちの不在を気にすることなく、番長と共に食後の改良点について語り合う。その無頓着な姿に、勇希は舞桜に内緒話を持ちかける。そして、勇希、舞桜、莉那の三人は、万桜に対する抑えきれない恋心を打ち明け合い、そのはけ口を求めて、万桜が東京で提案した仮想現実(VR)装置の作成に着手する。男たちのMRIデータと体臭をデータ化し、完璧な仮想空間を構築するという、彼女たちの歪んだ「研究」が始まる。

 その頃、万桜は、番長や山縣政義と共に、「夜泣き子育て支援サービス」の構想を練っていた。地域全体で子供を育てるという、壮大かつ現実的な彼のアイデアに、勇希と琴葉は自分たちの浅ましさを恥じ、彼の理想を現実の社会に実装するための法的・実務的なサポートを申し出る。しかし、万桜はそれを「おんぶに抱っこ」だと突き放し、全員が当事者意識を持つことを要求する。

 最終的に、万桜の真摯な姿勢に感化された勇希と琴葉は、舞桜と莉那の計画に協力することになる。男たちの「データ」を収集し、完璧な仮想空間を作り上げた彼女たちは、その中で、万桜へのそれぞれの想いを再確認する。そして、勇希と舞桜は、万桜を巡る恋の宣戦布告を交わすのだった。


レバー食べたい。

 佐々(サッサ)蔵之介は、市議である泰造の前で、文字通り泣いていた。彼の顔は蒼白で、震える声が学長室に響く。

「な、なんなんだよ、あの子? 怖いよ、あの目。佳代と大雅のタッグより怖ぇよ?」

 すすり泣く佐々(サッサ)に、泰造は哀れみの目を向ける。ふたりは、高校の同級生だ。白井泰造は白井家の婿養子だ。だから、この町の出身ではない。

「え、おまえ万桜(マオ)ちゃん、怒らせたの? えぇ~、ヤダ、ちょっと近寄らないで」

 泰造は朗らかな声で、しっしと涙目の佐々(サッサ)をぞんざいに遠ざける。彼の表情には、哀れみ半分、そして心底からの恐怖が浮かんでいた。

 北野学長は、そんなふたりの様子に苦笑を浮かべ、

「まあ、軍事を黒木くんに振るのは、おかしいと思いますよ佐々(サッサ)さん。それじゃあマンハッタン計画と一緒だ。天才に兵器を作らせて、その結果どうなったか。オッペンハイマーが背負った『業』と、その後の『抑止』という名のもとに作られた兵器の山。それをもう一度、若い才能に背負わせるつもりですか?」

 北野学長は、ピシャリと学徒を守るように鋭く指摘した。その言葉の奥には、万桜(マオ)の才能が持つ恐ろしさと、それを取り巻く大人たちの責任を問う、強い意志が感じられた。

「…いや、そんなつもりは」

 佐々(サッサ)は、言葉に詰まる。彼の目に映ったのは、もはや軍人の純粋な好奇心ではなかった。あれは、自らの信念のためならば、世界を敵に回すことも厭わない、獰猛な「魔王」の瞳だった。その瞳は、彼が軍人として訓練された理性を、一瞬で凍らせるほどの畏怖を秘めていた。

「黒木くんの発想は、常に未来を見据えている。それは、単に技術的な解決策を提示するだけでなく、社会の構造そのものを変えようとする、文明のシフトだ。その力は、使い方を誤れば、世界を破壊する。我々の責務は、彼の才能を『刃』として利用するのではなく、人類をより良い方向へと導く『道標』として育むことですよ」

 北野学長は、静かに語る。彼の言葉は、佐々(サッサ)の心に深く突き刺さる。

「…彼をどう導けばいいんですか? あの才能は、国家が管理すべきだ。そうじゃないと、いつか世界を破壊しかねない。原木、おまえもそう思うだろう?」

 佐々(サッサ)は苦し紛れに泰造に同意を求めた。原木は泰造の旧姓だ。

「管理するなんて、とんでもない。あの子は、誰にも管理できるような存在じゃありませんよ。ただ、ただ…信じることです。そして、彼が道を踏み外さないように、周りで支えてあげることです。そうだな泰造…」

 北野学長の言葉に、泰造は少しだけ表情を引き締めると、

「そうですね爽さん。それに、万桜(マオ)ちゃんの『魔王』は、あくまでも大切な誰かを守るためのものですよ。怒らせなければ、なんでもない。それに、もし万桜(マオ)ちゃんが道を踏み外しそうになったら、舞桜(マオ)さんや、勇希(ユウキ)、それに拓矢(タクヤ)莉那(リナ)、みんなが止めてくれますよ」

 泰造は、北野学長に同意しながらも、万桜(マオ)への絶対的な信頼を口にした。それは、彼らが過去に経験した「魔王案件」の積み重ねからくる、揺るぎない確信だった。


 学長室で、倉田琴葉(コトハ)の凛とした声が響いた。

「斧乃木、これはあたしたちが負うべき『業』だ。違うか?」

 琴葉(コトハ)の言葉に拓矢(タクヤ)はコクリと頷く。彼の目は、もう迷っていなかった。万桜(マオ)の才能が軍事転用される可能性は、彼ら幹部自衛官候補生が最も危惧すべきことだった。

万桜(マオ)が提示した武威の射程は、ダーツ状の矢を射出したところで、せいぜい60キロほどでしょう。あれじゃあ、絶対の抑止には繋がりません」

 拓矢(タクヤ)は手にしたボールペンをダーツに見立てて説明する。

「…自分なら射出後に錐揉み滑空するように、昇華の力で回転させます。さらに少量の水分を射出させて、高高度で肥大化させ、重量を増大させます」

 彼は、まるで敵地の地図を広げるかのように、静かに、そして楽しそうに語る。戦いに関しては、拓矢(タクヤ)たちが専門家だ。民間人である万桜(マオ)に兵器開発の業を背負わせるつもりは微塵もない。彼が背負うべきは、人類の未来を創造する「道標」としての『業』であり、それは彼らが守るべき領域なのだ。

拓矢(タクヤ)? おまえもか? く、倉田、止めろ! 止めてくれ!」

 佐々(サッサ)は縋るように、琴葉(コトハ)に要請するが、

「あたしなら、滑空が安定するように羽根を展開させる。これなら高高度からの射出で、少ない力で千キロから数千キロまで滑空できるな」

 倉田琴葉(コトハ)は獰猛に嗤って、拓矢(タクヤ)の案を強化した。彼女の瞳は、まるで獲物を前にした猛禽のように、鋭い光を放っている。日々の厳しい訓練と、専守防衛に対する欲求(フラスト)不満(レーション)が、彼女の知性を研ぎ澄まし、この場で解放されていた。

「あるいは、ダーツのケツ(・・)から昇華の力で推進させてもいいな」

「先輩、冴えてる! それ行きましょう!」

 拓矢(タクヤ)は、まるで最高の仲間を見つけた子供のように、目を輝かせた。彼らは、万桜(マオ)という「特異点」が突きつけた課題に、彼らなりの答えを出そうとしていた。それは、万桜(マオ)の才能を兵器としてではなく、自分たちの専門知識を駆使して、その可能性を最大限に引き出すという、彼らなりの「武威」の示し方だった。

 佐々(サッサ)は、そんなふたりの様子に絶望したように崩れ落ちる。

「わ、わかった! わかったよ! 買うよ! 買います! 高高度気球! 原木テメ、今度、酒奢れよッ!」

 佐々(サッサ)は肚を括って叫ぶと、八つ当たりのように泰造を睨んだ。


★ ◆ ★ ◆ ★


 焦げついたパインを除けたフライパンに、万桜(マオ)は油を敷きなおし、弱火にして豚レバーを寝かせた。

 じりじりと熱せられたレバーの表面が、香ばしい焼き色をつけ始める。

 下処理はしていない。

 少し万桜(マオ)らしくない手際に、番長(バンチョー)はすぐに気づいた。

 弱火のまま焼きめを軽くつけ、瑞々しく刻まれたセロリ、ルッコラ、パセリ、そして庭で摘んだばかりのローズマリーやタイムなどのハーブを投入し、芳醇な赤ワインを注ぎ入れる。

 ふつふつと煮え立つ液体が、レバーの臭みを包み込み、甘くスパイシーな香りが部屋を満たす。

 蓋をして蒸し焼きにし、強い香りで臭みを制圧するつもりだ。

「なるほどな~。じゃあ、こっちの失敗パインとパプリカと獅子唐でサルサソースを作っておくぜ」

 番長(バンチョー)は手際良くサルサソースを作り始め、

「あれジェイたちは、どこに行ったんだ?」

 万桜(マオ)は魔王を潜めた呑気な声で、勇希(ユウキ)に尋ねた。

 バケットにレタスと一緒に挟まれたローストレバーには、番長(バンチョー)謹製のサルサソースがたっぷりと絡んでいる。

 赤と緑の鮮やかなソース。

 細かく刻まれた韮の香りが、5人の食欲を刺激する。

「飯時にいないやつらが悪い」

 万桜(マオ)は、迷うことなくローストレバーバケットサンドにかじりついた。

 ジュワリとレバーの旨みが口いっぱいに広がり、サルサソースの酸味と辛味、そして焦げ付いたパインの甘さが、複雑なハーモニーを奏でる。

 グラスには、黒木果樹園の特製クラフト梅コーラが注がれ、弾ける炭酸が、レバーとサルサソースの濃厚な味わいを爽やかに洗い流す。


 バケットサンドを食べ終えた勇希(ユウキ)が、思い詰めた面持ちで舞桜(マオ)に切り出した。

舞桜(マオ)、少し話がある」

 その声は、万桜(マオ)たちに聞こえないよう、注意深く落とされていた。

 それを察した莉那(リナ)が、悪戯っぽく笑い、

「なぁーに、内緒話? じゃあ、あたしも行く~」

 軽やかにふたりを伴い、休憩室をあとにした。

 残された万桜(マオ)番長(バンチョー)は、無言でグラスに残った梅コーラを飲み干し、

「油分が足りてねえな?」

 万桜(マオ)がぼんやりとした口調で、食後の考察を口にする。

「そうだな、サルサにマヨ入れた方がいいかもしれねえ」

 番長(バンチョー)は、その言葉に静かに同意した。

 彼らは、食後の改良点に余念がない。

 その様子は、まるで先程まで繰り広げられていた壮大な国家規模の議論など、はじめからなかったかのようだった。


★ ◆ ★ ★ ◆ ★


 新築された休憩室には、まだ誰も踏み入れたことのないような清らかな空気が流れている。

「す、すまない舞桜(マオ)。あ、あたし、あたし…」

 勇希(ユウキ)は言い淀み、両手の拳を強く握りしめた。

 勇希(ユウキ)の焦燥を、莉那(リナ)は一言で射抜く。

「待てなくなっちゃったか~」

 躊躇う素振りもなく、矢面に立った万桜(マオ)

 その背中を見て、抑えが効かなくなったのだ。

 それは、友愛ではなく、もっと純粋で、もっと切実な、異性として万桜(マオ)を求める感情だった。

 勇希(ユウキ)の心の中で、理性というダムは決壊寸前まで追い詰められている。

 舞桜(マオ)は、泣きそうな顔で安堵のため息をついた。

「よ、よかったぁ~。あ、あたしだけじゃなかったぁ~」

 舞桜(マオ)もまた勇希(ユウキ)とまったく同じ心境だったのだ。

「てか、あのタイミングでローストレバーはないでしょ! そうでしょ!」

 舞桜(マオ)は、万桜(マオ)の無頓着に捲し立てる。

「あれじゃ、卵丼(ランドン)じゃない!」

 彼女が言う卵丼(ランドン)とは、かつて勇希(ユウキ)万桜(マオ)に振る舞った、プリン体の殿堂とも呼べる、生命力の塊のような丼飯だ。

 その言葉には、勇希(ユウキ)と自分の想いを知ってか知らずか、悠然と食事を続ける万桜(マオ)への、もどかしいほどの愛がにじみ出ていた。

「わかる~! もう、あの子は…」

 莉那(リナ)はふたりの言葉に強く同意して、やれやれと肩をすくめた。

 三人の言葉は、それぞれが万桜(マオ)に抱く複雑な感情の、小さな破片のように宙を舞っていた。

 舞桜(マオ)は、おずおずと莉那(リナ)に尋ねた。

「サブリナ、あ、あなた、そ、その…大人の階段昇ったの?」

 7月に莉那(リナ)拓矢(タクヤ)と横須賀に海水浴に行った。

 舞桜(マオ)は、そのことがずっと気がかりだった。

処女(バジ)リナです!」

 莉那(リナ)は、誇らしげにキッパリと言い切った。

 しかし、勇希(ユウキ)は疑いの目を向ける。

「ホントにか?」

 勇希(ユウキ)は、目を細めて問い詰めた。

 莉那(リナ)は一瞬、言葉に詰まる。

「そ、そりゃ、ちゅ、チューくらいはした…」

 その顔は、ほんのりと赤く染まっていた。

「で、でもでも、べ、ベロチューじゃないよ? せ、セーフだよぉ」

 赤裸々な莉那(リナ)に、舞桜(マオ)勇希(ユウキ)は顔を見合わせると、

「「そうだな痴女リナ。おまえの中ではな」」

 ふたりは声を揃え、辛辣に言い放った。

「うぅ~、勇希(ユウキ)だって缶チューハイに逃げたじゃんかぁ」

 莉那(リナ)は拗ねたように唇を尖らせる。

「言っておくが、呑んでないぞ? 買っただけだ…」

 勇希(ユウキ)は、少し困ったように弁明した。

 ふたりの言い争いを諌めるべく、舞桜(マオ)が口を開いた。

「仮想現実」

 東京で万桜(マオ)が提案した、あの装置について触れてみる。

 数日前、万桜(マオ)舞桜(マオ)を完全3Dで再現して見せた。

 その情報は3人、いや、

「話は聞かせてもらった!」

 琴葉(コトハ)を含めた4人の間で共有されている。

 琴葉(コトハ)の声は、休憩室の扉が開くと同時に響き渡った。

「こ、琴葉(コトハ)ちゃん? い、いったいどこから?」

 驚く莉那(リナ)に、琴葉(コトハ)は涼しい顔で、

処女(バジ)リナのあたりからだな。痴女リナ」

 からかうように、そう答えた。


 ローストレバーバケットサンドを食べ終えると、琴葉(コトハ)は満足そうに口元を拭い、そう結論付けた。

「確かに、そのアイデアであれば、VR装置は実現可能かもしれない」

 琴葉(コトハ)が口にしたのは、万桜(マオ)が東京で提案した、あのドーム型のVR装置のことだ。

「あたしもそう思います倉田さん。とすれば、必要なのは、アロマの元となる汗の成分、そして、万桜(マオ)のMRIデータ…」

 勇希(ユウキ)が言い掛けると、舞桜(マオ)が口を開いた。

「黒木の分は確保済みよ勇希(ユウキ)

 舞桜(マオ)の言葉に、勇希(ユウキ)は瞠目した。

 自分と万桜(マオ)、ふたり分の生データは、先日に取得済みだ。

 ブロックチェーンをかける前の生データ。

 舞桜(マオ)は、拳を握りしめて宣言する。

「いい? これは研究よ! けして欲望に流されたわけじゃありません!」

 そう言いながらも、彼女たちがやろうとしていることは、地に堕ちるほど最低なことだった。

「あとは拓矢(タクヤ)のMRIデータと…」

 莉那(リナ)の目が怪しく光る。もちろん、

「政義くんのMRIデータ、汗は難癖つけて、生協で買ったTシャツ渡して強奪すればいい」

 琴葉(コトハ)の瞳は、まるで獲物を前にした猛獣のように嗜虐的に輝いている。

「システムの構築はあたしと舞桜(マオ)がやるよ、琴葉(コトハ)ちゃんと勇希(ユウキ)は、女子更衣室がないって駄々こねて、プレハブの確保を。わかってると思うけど、防音と個室は確保してよね?」

 莉那(リナ)がこの場のリーダーとなって取り仕切る。

「あぁ、防音と個室は確保する! 行動開始だ白井くん!」

 琴葉(コトハ)勇希(ユウキ)を伴い、まるで軍事作戦のように、事を起こした。

「工場長? ちょっと作ってもらいたいものがあるのだけど…」

 舞桜(マオ)の行動も迅速だ。

 VR装置に必要なドーム型モニターを、彼女はこの前、良貨を駆逐する悪貨になるために結託した町工場へと発注した。

 静かに、そして着実に、彼女たちの「VR夜の営み」は始まっていた。


★ ◆ ★ ◆ ★


 万桜(マオ)番長(バンチョー)と山縣政義。この顔ぶれは山縣ヴェンダーズであったが、彼らが集まった向きは、別にあった。

 番長(バンチョー)は先月の頭に結婚したばかりの新婚だ。いずれは、子供を授かるだろう。

「なるほどな~! それは重要だな、黒木、おまえは、ホント、色々なことに気づくなぁ」

 政義は感心したように唸った。

 甲斐の国大学3回生の山縣政義は、万桜(マオ)たちのふたつ上の先輩で、教職を取る為に学んでいる。

「いや、うち妹いるんスけど、小学生のころ、父ちゃんと母ちゃんが、俺たち集めて桜の面倒を交代でみさせたんです先輩(パイセン)…もちろん、昼の間だけ、大人監修のもと」

 万桜(マオ)は過去を振り返るように経験を語る。

「夜は、大人が交代制。勇希(ユウキ)の母ちゃんとか、サブリナの母ちゃんとか、地域全体を巻き込んで交代制。これを提供できるサービスを構築すれば、不仲になる夫婦は激減するし、子供たちにもいい経験になる。将来に役立つ。もちろん、ただとは言わねえ。電子マネーIICo(イーコ)を10進呈する」

 IICo(イーコ)とは、このあたりの的屋で買い物ができる指紋認証、電子決済システムだ。

 利用者は、お手伝いをした子供に限定される。

 1IICo(イーコ)で、どんな商品とでも交換可能。大盤振る舞いな未来への投資である。

「いいよ。うちの寺を預かり場所として提供するし、俺が管理するよ」

 山縣政義は、万桜(マオ)の提案に快諾した。


 対夜泣き子育て支援決戦サービスを構築する万桜(マオ)と政義たちを目撃した勇希(ユウキ)琴葉(コトハ)は、自身の浅ましさに羞恥した。

 万桜(マオ)が真摯に未来を見据え、社会的な課題解決に取り組んでいるのに対し、自分たちは目先の欲望に目が眩んでいたことを痛感したのだ。

 勇希(ユウキ)は、自身の頬を両手で叩き、気合を入れる。

「…琴葉(コトハ)さん、私たちがやるべきことは、彼らのサポートです。万が一の事態に備え、法的な側面を固める必要があります」

 琴葉(コトハ)もまた、真剣な眼差しで勇希(ユウキ)を見つめ、頷いた。

「そうだな、まずは必要な手続き、資格、それらを洗い出そう。そして、万一の保険も」

 二人は、万桜(マオ)たちが作り上げた理想を、現実の社会に実装するための、具体的な行動へと移った。

「まずは、事業を始める上で必要な手続きを提案させてください」

 勇希(ユウキ)は、落ち着いた口調で、万桜(マオ)と政義に語りかける。

「営利事業として法人を設立する場合は、株式会社、合同会社、NPO法人など、いくつかの選択肢があります。非営利での運営を前提とするならば、NPO法人が最も適しているかもしれません。また、子供を預かる事業には、児童福祉法や民法など、関連する法律の知識が不可欠です。私たちは、そうした法的リスクを洗い出し、適切な対策を講じる必要があります」

「それから、万が一の保険も必要です黒木くん」

 琴葉(コトハ)は、より実践的な視点から付け加える。

「子供を預かる以上、予期せぬ事故や怪我のリスクはゼロにはできない。賠償責任保険や施設賠償責任保険など、適切な保険に加入することで、万が一の事態に備えることができる。そして、託児施設としての認可を受けるための資格や、衛生管理基準などもクリアしなければならない。これらは、親御さんが安心して子供を預けられる、信頼の証にもなるからな」

 二人の真摯な提案に、万桜(マオ)と政義は静かに耳を傾けた。

 彼らが作り上げたのは、単なる事業ではない。

 未来を担う子供たちを育み、不仲になりがちな夫婦を救う、尊い「サービス」だったのだ。

 そして、勇希(ユウキ)琴葉(コトハ)は、そのサービスの最も重要な「安全」という側面を、彼らの浅はかさへの贖罪として、支えようとしていた。


 万桜(マオ)は、勇希(ユウキ)琴葉(コトハ)の真剣な眼差しを真正面から受け止めて、ど正論を突きつけた。

「いや、丸投げなんかさせねえよ! あたりまえだろ? てめえらの子供じゃねえか?」

 万桜(マオ)の言葉に、二人は息をのむ。

「あくまでサポートだ。合意契約書だって作るし、法人の鎧ならある。セイタンシステムズで巻き取る」

 万桜(マオ)は、ただの理想論を語るのではなく、それを実現するための具体的なプランを、すでに頭の中に描いていたのだ。

 子供たちを地域全体で育て、夫婦関係をより強固なものにするという壮大なビジョン。

 万桜(マオ)の言葉には、そのすべてを支え、守り抜くという、揺るぎない覚悟が感じられた。

 勇希(ユウキ)琴葉(コトハ)は、ただただ感服するばかりだった。

 万桜(マオ)は、言い募る勇希(ユウキ)琴葉(コトハ)を真っすぐに見据えて、ど正論を突きつけた。

「地域参加型のサービスだ。その宿泊施設に、山縣先輩の寺を提供してもらう。おんぶにダッコ? 舐めんな!」

 万桜(マオ)の声には、一分の隙もない確固たる意志が宿っている。

番長(バンチョー)、おんぶにダッコ? 舐めんな! 大事なことだから2度言ったぜ?」

 会話に参加してこない番長(バンチョー)に、万桜(マオ)は牽制する。

 その牽制に、番長(バンチョー)は心臓を掴まれたかのように身構え、

「お、おう。わかってるよ黒幕(フィクサー)。もちろん俺も全面的に参加する」

 慌てて、参加を表明した。

 万桜(マオ)は、満足げに頷く。

「別にガキどもの手当てであるIICo(イーコ)は、大した出費にならねえしよ。どうせ、税金で持ってかれる分だ。放出する方が社会のためさ」

 万桜(マオ)は、更に正論を口にした。

「言ってみれば食券だからな、あれは…」

 子供たちに社会貢献を促すという、壮大かつ現実的な彼の構想に、その場にいた者たちはただただ圧倒されるばかりだった。


 万桜(マオ)は、さらに言葉を続けた。

「父母が夜泣き子育て支援に参加し、昼間は子供らが参加すれば、言ってみれば、それは村の子だ。ちげえか? おまえら、そんなガキを他人だって切り捨てられるか?」

 万桜(マオ)の問いかけに、勇希(ユウキ)琴葉(コトハ)も、もちろん番長(バンチョー)も息を呑む。

 万桜(マオ)は、その静寂を待っていた。

「墾田永年私財法は?」

 万桜(マオ)の号令に、三人はまるで条件反射のように、声を揃えて叫んだ。

「「「裏切らねえッ!」」」

 その光景を冷静に見ていた拓矢(タクヤ)が、たまらず口を挟んだ。

「いや、保険も予防もいるからね? 流されないで、マジで…」

 彼の言葉には、万桜(マオ)の熱意に圧倒されそうになる自分への、そして皆への、必死の牽制が込められていた。


 拓矢(タクヤ)からのグループチャットで、状況を把握した舞桜(マオ)莉那(リナ)は、拠点である旧農業ヘルパー休憩室に駆けつける。

 そこには、いつものように万桜(マオ)に煽られ、熱に浮かされている仲間たちの姿があった。

「想定内ね」

 舞桜(マオ)は、その光景を一瞥すると、泰然と状況を断じた。

「そうだね~」

 莉那(リナ)は、それを気だるげに肯定する。あと、ブライ・クリフト枠である琴葉(コトハ)に、多くを期待しない諦めが混じっている。

 舞桜(マオ)の視線は、既に事態の収拾と、新たな計画の構築へと移っていた。

 この、熱狂と冷静が同居する空間こそが、彼らの創造性の源泉だった。

 パンパンと柏手を打って、舞桜(マオ)は墾田永年私財法狂信者の集会に割って入った。

「はいはい、そこまでよ!」

 舞桜(マオ)の声に、熱に浮かされていた一同は我に返った。

「話はあらかた把握したわ。山縣先輩、教育学部から、保育士希望者のインターン的なアルバイトを募りたいのですが、いかがでしょうか」

 舞桜(マオ)は、すかさず現実的な実務の話に切り替える。

 そうすることで、この突飛なアイデアを支える有資格者候補と、後の有識者の確保を担保するつもりだ。

 狂信者ではない政義は、舞桜(マオ)の提案に苦笑を浮かべて請け負った。

「そうだな、金欠な連中が多いから、そこはすぐに埋まると思うよ茅野くん」

 彼の言葉に、舞桜(マオ)は満足げに頷いた。

 万桜(マオ)の夢物語を、舞桜(マオ)が確かな現実へと引き戻していく。

 これが、彼らが紡ぎ出す物語の、いつもの始まりだった。

 舞桜(マオ)莉那(リナ)は、示し合わせたかのように、万桜(マオ)拓矢(タクヤ)のそばによると、スンスンと鼻を働かせた。

「黒木、おまえ、セロリくさいぞ」

 舞桜(マオ)は、容赦なく辛辣に指摘する。

 おなじく、莉那(リナ)も自然な流れで持ちかけた。

拓矢(タクヤ)も…カブトムシみたいな匂い…もう、着替えなよ、洗っておくからさ…」

 二人は鋭い視線を琴葉(コトハ)に向けて、無言に問う。

『『好きに選べ』』

 問われた琴葉(コトハ)は、二人の視線の意味を瞬時に理解し、我に返った。

「政義くん、さっき生協でTシャツ買ってきたんだぁ。政義くんも着替えよ? ね?」

 やんわりと切り出しながらも、その目には、獲物を狙うかのような強い光が宿っていた。

 男たちの匂いという「データ」を収集するという、彼女たちの壮大な計画は、こうしてひっそりと、しかし着実に進められていた。

 舞桜(マオ)莉那(リナ)の指摘に、万桜(マオ)拓矢(タクヤ)は自身の脇に鼻を働かせるが、当然ながら自身の体臭はわからず、顔を見合わせた。

「「えぇ~? そこまで主張するほど?」」

 無防備に油断したふたりに、舞桜(マオ)莉那(リナ)は容赦なく襲いかかる。

「「きゃあ!」」

 万桜(マオ)拓矢(タクヤ)は、なす術もなくひん剥かれた。

 その光景を横目に、政義は琴葉(コトハ)の言葉に素直に従い、着替えを終える。

「すまない琴葉(コトハ)さん」

 自分のシャツを自分で引き取ろうとする政義に、琴葉(コトハ)はにっこりと微笑み、

「洗ったげる。ね?」

 有無を言わさずに、そのシャツを引き取った。

 独り、罪悪に葛藤する勇希(ユウキ)に、舞桜(マオ)莉那(リナ)琴葉(コトハ)の三人は視線を向けた。

『『『善きに計らえ』』』

 無言の問いかけ。

 勇希(ユウキ)は、暫しも逡巡した。

 正義と欲望の狭間で揺れ動く。

 やがて、彼女は項垂れ、欲望に膝を屈した。

 琴葉(コトハ)莉那(リナ)は、満足げに顔を見合わせた。

 こうして、彼女たちの歪んだ「研究」は、勇希(ユウキ)をも巻き込み、さらに加速していくのだった。


★ ◆ ★ ◆ ★


 準備が整った女子更衣室兼実験室で、

「レギュレーションを定める。これは絶対遵守だ、でなければ、男どもにバラす」

 琴葉(コトハ)が厳かに宣言した。

「抱きつくまでだ。着衣の有無は各位に委ねる。繰り返す。最後まではナシだ」

 琴葉(コトハ)は深々と釘を打つ。

「大丈夫だよぉ、琴葉(コトハ)ちゃん。あたしと舞桜(マオ)だ…」

 莉那(リナ)の呑気な言葉に、琴葉(コトハ)は声を被せる。

「だから釘を刺しているサブリナくん」

 琴葉(コトハ)の言葉に、莉那(リナ)は黙り込んだ。

 仮想現実へと没入していく4人。

 小一時間もしたころ、勇希(ユウキ)は満ち足りたような面持ちで、舞桜(マオ)に宣言した。

舞桜(マオ)、あと2年半は待ってやる…しっかり見定めるといい…」

 その言葉は、勇希(ユウキ)万桜(マオ)への想いを再確認し、それを現実世界で実現するために、改めて舞桜(マオ)に宣戦を布告するものだった。

 勇希(ユウキ)の言葉に、舞桜(マオ)もまた充実した面持ちで、

「2年半先でも、あたしの気持ちは変わらないわ勇希(ユウキ)…」

 宣戦を布告した。




『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みの地球の皆様へ!

いつも拙作『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みいただき、本当にありがとうございます!

物語の中で、「魔王」こと黒木万桜は、時には「水嚢の川」で災害に立ち向かい、時には中古スマホを活用したクローズドネットワークなんて突拍子もないアイデアまで生み出しています。

実は、この物語には、万桜のそんな「もしかしたら、これって本当に役立つかも?」と思えるような、たくさんのアイデアが散りばめられているんです。読者の皆さんも、「これ、面白い!」「こんな風に使えるんじゃないか?」なんて、閃いたことはありませんか?

地球のみんなぁ~! オラに「★」をわけてくれーっ!

もし、この物語を読んで、少しでも「面白い!」「次の展開が楽しみ!」「万桜のアイデア、イケるかも!」と感じていただけたなら、どうかページ下部の【★★★★★】ボタンをポチッ!と押して、星評価を分けていただけないでしょうか!

皆さんのその「★」一つ一つが、作者の大きな励みになり、万桜の次の「魔王案件」へと繋がるエネルギーになります!

引き続き、『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をどうぞよろしくお願いいたします!

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