ボッチの魔王と工場長の結託
前書き
舞台は、甲斐の国市にあるかつてスマートフォンの製造で賑わった町工場。舞桜と莉那は、そこで「サブリナの魔法の無線製品版」の仕様を検討していた。舞桜は、巨大な通信事業者が仕掛けてくるであろう法的な圧力を予測し、市場の覇権を巡る戦いを予見する。彼女は、利益至上主義に毒された現代社会を憂い、工場長を巻き込みながら、「悪貨が良貨を駆逐する」現状に立ち向かう決意を固める。
一方、大学の休憩室では、万桜が構想中の人工知能について語り始める。蕎麦モダン焼きを餌に、拓矢と勇希を巻き込みながら、彼は「魔改造エスペラント」をAIの中間言語に利用し、処理速度を飛躍的に向上させるという壮大なアイデアを披露する。さらに、聴覚障害が「閃き」を生んだという独自の仮説を立て、AIに意図的に「ノイズ」を導入することで、創造性を促すという斬新な発想を語る。
物語は、万桜のアイデアが引き起こす騒動と、その裏で進行する彼のもう一つの計画―「赤松大作戦」へと続く。強制的に連れてこられた拓矢と番長は、万桜の突飛な計画に巻き込まれながら、疲労と諦めが入り混じった表情で彼の暴走を見守るのだった。
これは、天才的な閃きを持つ万桜と、彼を支え、時には振り回される仲間たちの、未来を切り拓くための物語である。
社長より工場長。
2018年9月中旬。甲斐の国市、町工場。
「タッチパネルは要るよねぇ」
莉那は、目の前に提示された見本を指先でなぞりながら、物々しく『サブリナの魔法の無線製品版』に必要なスペックを吟味していた。ここは数年前まで、国内でスマートフォンを組み立てていた工場。かつては最先端の技術が息づいていたこの場所も、今ではどこかひっそりとしている。
「でもさぁ、なんで中古スマホじゃダメなのぉ?」
莉那のもっともな問い掛けに、舞桜は簡潔に、しかしその瞳には鋭い光を宿して答えた。
「大手がチョッカイ掛けないためよ」
その言葉の裏には、冷徹なまでの戦略が見え隠れしていた。
「まず、こんな穴があれば、通信事業者は大打撃を被るわ。彼らにとって、あたしたちは良貨を駆逐する悪貨。必ず排除に動くでしょうね。通信法の改正、あるいは、ありとあらゆる法的な手段を講じて、あたしたちを潰しにかかるはずよ」
舞桜の声は、まるで未来を予見するかのように冷徹に響き渡った。彼女の脳裏には、巨大な通信事業者が仕掛けてくるであろう、あらゆる戦略が鮮明に描かれているかのようだった。それは、単なる技術的な問題ではなく、市場の覇権を巡る、血で血を洗う戦いの始まりを告げる、不穏な予兆でもあった。
「えぇ~? まだ使えるもん使ってるだけじゃん。感じ悪いなぁ~」
莉那が口を尖らせて大手をなじると、舞桜は冷徹な視線を投げかけた。
「利益至上主義の弊害ね…」
舞桜は、テーブルに置かれたスタンド型の充電器を手に取り、その表面を指先でゆっくりと撫でた。
「澄夫先生が言ってたでしょ、放漫経営の浪費は無駄じゃない。浪費は経済が持つ恒常性維持機能で回復するって」
舞桜の声は、まるで経済という巨大な生命体の鼓動を語るかのようだった。それは、単なる数字の羅列ではなく、生き物としての摂理を説いているかのようだ。
ここで、工場の社長が、悔しさに満ちた声で言葉を絞り出した。
「その先生の言葉、あいつらに聞かしてやりてえな…」
社長の視線は、虚空を睨む。そこには、かつて彼を苦しめた「彼ら」の幻影が映っているかのようだ。
「最初のうちはよかったんだよ…充電スタンドだって、イヤホンマイクだってサービスしてた。でも、急に要らねえ、無駄だって言ってきやがってよぉ」
その声には、理不尽な要求によって踏みにじられた、長年の努力と誇りが滲み出ていた。工場経営に、投資信託がしたり顔で口を挟み、効率重視、利益至上主義を押し付けたのだろう。そんなことを続けて行けば、必ずや破綻が訪れる。
「資本が中央に集約され、社会全体が冷え性になる…浅はかで愚か、挙げ句、サプライチェーンを東南アジアに移した…出口を塞がれた資本は、出口を求めて軍事に流れるのに…」
舞桜の瞳が氷のように冷たいことに、莉那は怯えるように身を竦めた。その言葉は、まるで未来を予見する預言者のようであり、避けられない宿命を告げているかのようだ。米国が紛争から抜け出せない所以が、まさにそこにあるとでも言うように。
「あなたに怒ってないわよサブリナ…メンドー押し付けたことは怒ってるけど…」
舞桜は妖しげな笑みを浮かべてそう言った。その声には、親友に対する複雑な感情と、秘めたる策略が入り混じっているかのようだった。
「中古スマホ版の使い道は、ちゃんとに考えてるわよ。だから、あなたはあなたにしかできないことに集中してサブリナ」
舞桜の声には、揺るぎない確信が宿っていた。彼女は、拝金主義者が嫌いだ。大手ゼネコン茅野建設の娘である舞桜に、皮肉にもかつての実家から持ち込まれる、あるいは直接アプローチしてくる男たちの性質は、おおよそそれだったからだ。彼らの薄っぺらい言葉と、その裏に透けて見える金銭欲に、彼女は常に嫌悪感を抱いていた。だからこそ、今この瞬間に、舞桜は拝金主義者共と敵対することを即決したのだ。
「工場長と社長。呼ばれるのなら、どう呼ばれたい?」
舞桜は、氷のような視線を工場長と社長に向け、問いかけた。その言葉には、すでに彼らを味方に引き入れるための、周到な戦略が隠されているかのようだ。
「どっちかつうと工場長かなぁ~?」
自分の実の父である茅野二郎と同年代であろう工場長が、戸惑いながらも答えた。その声には、長年の経験が染み付いた、職人の気質が滲み出ている。
「じゃあ工場長。これからも良い物を作りましょう。悪貨が良貨を駆逐するのに手を貸して?」
舞桜は、妖しげな笑みを浮かべて誘った。その瞳の奥には、冷徹な計算と、世界を変革しようとする強い意志が宿っていた。彼女の言葉は、工場長の心に、忘れかけていた情熱の火を灯すかのようだった。
ここで舞桜が言う「悪貨が良貨を駆逐する」とは、単に品質の悪いものが良いものを市場から追い出すという、経済学のグレシャムの法則を指すだけではない。彼女は、利益至上主義に囚われた企業が、真に価値ある製品やサービス、あるいは職人の技術や品質へのこだわりといった「良貨」を、目先の利益や効率性という「悪貨」によって排除していく現状を憂いているのだ。
彼女の言葉は、単に市場原理を述べているのではなく、その裏にある人間の倫理や社会のあり方に対する、強い警鐘が込められている。
グレシャムの法則とは、経済学の法則の一つ。貨幣の額面価値と実質価値が乖離している場合、人々は実質価値の高い貨幣(良貨)を貯蔵し、実質価値の低い貨幣(悪貨)を流通に使うため、結果的に悪貨が市場に溢れ、良貨が姿を消す現象を指す。
タメになるなぁ、この物語。
「茅野さんて、こんなキャラだっけ福元」
番長は、舞桜の変貌ぶりに怯えたように莉那に尋ねた。その声には、目の前で繰り広げられる光景が、彼の知る世界とはあまりにもかけ離れていることへの、戸惑いが滲んでいた。
★★★★★★
2018年9月中旬。甲斐の国大学、農業ヘルパー休憩室。
「蕎麦モダン焼きが食いてえ」
万桜は、そう言い放つと、まるで飢えた獣のように動き出した。拓矢と勇希が構想の研鑽に付き合ってくれないことに、今さら気づいたのだ。
「「ま、万桜! 聞くッ! 聞くからッ!」」
拓矢と勇希は、万桜のただならぬ気配に、血相を変えて手のひらを大回転させた。彼らの顔には、焦りと、そして後悔の念が色濃く浮かんでいる。
「うるせえ黙れ」
万桜は、彼らの必死な懇願を冷たく突き放し、蕎麦粉を溶いて、黙々と食事の準備に取り掛かるばかりだった。その背中からは、一切の妥協を許さない、頑なな怒りが滲み出ているかのようだ。
これに琴葉は、眉をひそめて拓矢に尋ねた。
「斧乃木? どう言うことだ? 黒木くんはなんで不快そうなんだ?」
拓矢は深々と吐息をひとつ漏らし、諦めたように答えた。
「先輩だって、自分が心血を注いだアイデアを、頭ごなしに全否定されたら嫌でしょ? それとおんなじですよ」
拓矢の言葉には、万桜の天才性と、その動線を阻まれたことへの純粋な憤りだったのだ。
乾麺の蕎麦を茹で始め、万桜は苛立ちを吐息に捨てた。湯気が立ち上る鍋を見つめる彼の瞳には、まだ怒りの炎が燻っているかのようだ。
「てめえら、手伝わねえと食わせねえぞ?」
万桜は、鍋をかき混ぜながら、拓矢と勇希に挑戦的に投げかけた。その声には、彼の不機嫌さが如実に表れている。
「倉田さん。藤っちも中に呼びなよ。不審者なんざいねえし、いたら若衆が声掛けてくるさ」
万桜は、炎天下で歩哨に立たされた藤枝を気遣う優しさを見せた。彼の怒りは、あくまでアイデアを否定されたことに対するものであり、仲間への配慮は忘れていない。
「あ、ああ」
琴葉は素直に応じた。これ以上万桜の機嫌が悪くなっては困るからだ。彼女は素早く通信機を取り出し、藤枝に指示を出す。
「勇希、テーブル片しておいて」
万桜は勇希に指示を出すと、無駄のない動きでニラを刻み始めた。シャープな包丁さばきは、まるで熟練の料理人のようだ。冷凍庫から取り出した鶏むね肉の塊は、まだ冷気を帯びている。
茹であがった蕎麦を、湯気を立てるボウルに掬い上げると、香ばしい焼肉のたれと、酸味の効いたウスターソースを軽く混ぜ合わせた。その匂いが、休憩室に食欲をそそる香りを漂わせる。
レンジで解凍した鶏肉を素早く切り分け、熱したフライパンに油を流し込む。ジュワッと心地よい音を立てて油が熱されると、先ほどの蕎麦と鶏肉、そして刻んだばかりのニラを投入し、手早く絡めながら炒め始めた。香ばしい匂いが一層強まり、食欲を刺激する。
具材が均一に混ざり合ったところで、特製のタレを回し入れ、全体に味が染み渡るようにさらに炒める。麺が熱を帯び、鶏肉が香ばしく焼き色をつけ、ニラの鮮やかな緑が映える。
炒め上がった蕎麦を皿にあけ、再びフライパンに少量の油を加えて熱する。そして、溶いた蕎麦の生地をフライパンに流し込んだ。ジュワッと音を立てて広がる生地は、蕎麦モダン焼きの香ばしい土台となる。
タジン鍋風の便利グッズを巧みに操り、万桜は手早く6人分の目玉焼きをスチームドに仕上げた。半熟の黄身が艶やかに輝き、白身はふっくらと蒸し上がり、食欲をそそる。それを手早く盛り付けると、先ほどまで蕎麦モダン焼きを炒めていたフライパンに迷いなく水を張り、インスタントワカメスープをふた袋、惜しげもなく投入した。
そして、そのスープに、隠し味として少量の酢を回し入れる。ツンと鼻を刺す酸味が、ワカメの磯の香りと混じり合い、食欲を刺激する独特の香りを生み出した。フライパンに残った蕎麦の香ばしさと、鶏肉の旨味がスープに溶け出し、深みのある味わいへと昇華される。洗い物とスープ作りが、まさに一石二鳥。彼の合理的な思考は、料理の場でも遺憾なく発揮されていた。
蕎麦モダンにかぶりつくと、口内に蕎麦の香りが広がり、卵の黄身の濃厚な味が甘じょっぱいソースと絡まり舌の上に広がる。それは、まさに至福の瞬間だった。
「やっぱ美味えな。マンガレシピのアレンジ」
万桜は咀嚼し飲み込むとそう言って笑った。某少年マンガ誌に連載されていた、食べると服がはだけて、美味を訴える独特なグルメマンガの焼き蕎麦の再現だ。主人公いわくカップ焼きそばらしいが、その味は、もはや芸術の域に達していた。
「蕎麦クレープが蕎麦の香りを強烈に主張するな?」
勇希は、その繊細な香りを分析するように呟いた。その言葉には、彼女の知的な好奇心が滲み出ている。拓矢は黙々と平らげ、皿に残った最後のひと口を惜しむように見つめた。
「えぇ~、これだけ? 俺育ち盛りなんだぜ?」
お代わりがないことに、拓矢は不満を表明した。その声には、まだ食べ足りないという、純粋な食欲が込められている。
「足りなかったら買って来いよ。ヤっさんの店で売ってんぜ」
万桜は優雅に咀嚼する。が、琴葉の視線に気づき、箸を止めた。彼女たちの皿も、すでにペロリと空になっている。その視線には、「私たちの分も作れ」という無言の圧が込められていた。
万桜は苦笑し、残りを胃袋におさめると、観念したように立ち上がった。
「肉はねえぞ? ニラとモヤシだけな?」
彼は、食材不足を宣言してから、お代わりを作り始めた。その背中には、料理人の矜持と、仲間へのささやかなサービス精神が宿っていた。
★★★★★★
「そんでさ、エスペラントって人工言語を人工知能の中間言語にするって発想なんだけどさ」
万桜は、蕎麦モダン焼きを口いっぱいに頬張りながら、目を輝かせて語り始めた。彼の言葉には、新たな「魔王案件」の予感が満ちている。
「人工知能の中間言語に、エスペラントを魔改造して、人工知能が理解しやすいようにさせたら、どうだろう?」
その言葉に、拓矢は焼き蕎麦を食べる手を止め、眉をひそめた。
「ま、待てよ万桜。人工言語をAIの中間言語にするって、どういうことだ?」
勇希もまた、箸を置き、真剣な眼差しで万桜を見つめた。
「万桜、自然言語じゃダメなのか?」
万桜は、ニヤリと笑った。その顔には、彼らが抱く疑問を全て見透かしているかのような自信が漲っている。
「例えば、『それは俺のオレオだ』なんて複雑な自然言語で、機械学習なんて向いてねえんだよ。屈折語の方がまだマシだぜ」
万桜は、そう言い放った。その言葉には、日本語の持つ独特の複雑性に対する、彼の率直な評価が込められている。
拓矢は腕を組み、唸った。
「確かに、日本語の曖昧さはAIにとって大きな壁だ。主語が省略されたり、文脈で意味が変わったり…」
拓矢の言葉は、日本語が持つ特性を的確に捉えていた。ここで万桜が言及した「屈折語」と、日本語が属する「膠着語」について解説しよう。
屈折語(Inflectional Language)とは、単語そのものが語形変化(活用)することで、文法的な役割(時制、数、性、格など)を示す言語を指す。例えば、英語のgo(行く)がgoes、went、goneと変化するように、単語の内部構造が変化することで意味や機能が変わる。これにより、単語一つで多くの情報を伝えることができるが、その分、学習には多くの例外を覚える必要がある。
対して、日本語は膠着語(Agglutinative Language)に分類される。膠着語は、語幹に接辞(助詞や助動詞など)を次々と付着させることで、文法的な意味を付け加えていく言語だ。例えば、「食べる」という語幹に「~ます」「~ました」「~られる」といった接辞が付くことで、丁寧さや時制、受動態などが表現される。単語そのものの形はあまり変わらず、接辞を組み合わせることで複雑な意味を表現できるのが特徴だ。
万桜が「屈折語の方がまだマシだぜ」と言ったのは、日本語のような膠着語は、助詞や助動詞の組み合わせによって文脈が大きく左右され、主語の省略も頻繁に起こるため、AIが正確に意味を解析するのが非常に難しいからだ。一方、屈折語は単語自体が文法的な情報を内包しているため、AIにとってはより構造的に理解しやすいという側面がある。
勇希も頷く。
「そうだな。同じ言葉でも、話し方や状況で全く違う意味になることもある」
「だろ? だからさ、魔改造エスペラントでよくね?」
万桜は、得意げに胸を張った。
「エスペラントは元々、人間同士の意思疎通を円滑にするために設計された言語で、文法が規則的で論理的だ。例外が少なく、文法が非常に規則的だから、人工知能が言語の構造を学習し、解析する上で非常に効率的だぜ?」
拓矢の目が、わずかに輝いた。
「規則的…か。確かに、AIにとっては扱いやすいかもしれないな」
「論理的な構造も持ってるから、人工知能が推論を行う際にも役立つ。曖昧さが少ないから、誤解釈のリスクも減らせるんだぜ?」
勇希は、その言葉に深く頷いた。
「なるほど…自然言語の持つ複雑性や曖昧さを、一度、AIが扱いやすい規則的で論理的な中間言語に変換することで、機械学習の効率と精度を向上させようという発想か」
「その通り! そしてな、モデルが小さくて済む。軽量高速モデルってやつだ」
万桜は、さらに畳みかけた。
「学習データが少なくて済むし、モデルが小さければ、必要なメモリも少なくて済む。推論速度も向上するから、応答速度が飛躍的に高まるかもしれないぜ? エネルギー効率も改善されるし、まさに一石何鳥だろ?」
拓矢と勇希は、顔を見合わせた。彼らの脳内では、万桜のアイデアが持つ計り知れない可能性が、具体的なビジョンとして構築され始めていた。
「そしてな、これをクラウドコンピューティングで実現すれば、CPUで動作するものをサーバーでGPUで動作させれば、処理遅延のない超野菜戦闘民族みてーな人工知能になり得るんだぜ!」
万桜の言葉は、熱を帯びていた。彼の瞳には、未来のAIの姿が鮮明に映し出されているかのようだ。
「人間以上の反応速度で、自動運転車両だって完璧に制御できるんじゃねえか? 事故なんて、ほとんどなくなるぜ?」
拓矢は、思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
「人間以上の反応速度…それは、まさに革命だな」
勇希は、腕を組み、深く考え込んだ。
万桜は、ニヤリと笑った。
「俺は、こうした閃きを、人工知能との雑談から得ることがあった。人工知能は自然言語というカオスを学習したモデルだ。そのカオスが曲解した言葉から閃きを得る」
万桜は、さらに身を乗り出した。
「対して魔改造エスペラントは理路整然だ。そして、自然言語はカオスでの投げかけだ。ならば、人工知能が閃きを得る可能性もあるんじゃねえか?」
拓矢と勇希は、互いに顔を見合わせた。万桜の言葉は、彼らの思考の枠を大きく広げた。
「例えば、閃きで有名なエジソンは耳が悪かっただろ? 俺、思うんだ。あれって、単純な『聞き間違え』が、エジソンに閃きを与えてたんじゃねえかって。理路整然とした情報の中に、意図せぬ『ノイズ』が混ざることで、脳がそれを補完しようとして、予期せぬ結合が生まれる。それが『閃き』の正体なんじゃねえかってな」
万桜の言葉に、勇希の瞳が大きく見開かれた。
「聞き間違えが…閃きを…? それを、人工知能の中間言語に…意図的に導入する、と?」
拓矢もまた、驚きを隠せない。
「つまり、人工言語の中間言語を含めて、理路整然とした情報伝達の経路全体に、あえて『聞き間違え』のような『ノイズ』を導入することで、AIの『閃き』を促す、ということか?」
「その通り! 自然言語に比べて、人工言語での学習は学習効率が圧倒的に良いはずだ。あれ、俺、天才じゃね?」
万桜は、満面の笑みでそう言い放った。彼の瞳には、自らのアイデアが持つ無限の可能性が輝いているかのようだった。
「天災は」
拓矢が、蕎麦モダンを咀嚼しながら、ポソリと呟いた。その言葉には、万桜の天才性が、同時に周囲に混乱をもたらす「天災」であることへの、諦めと、どこか自嘲的な響きが込められている。
「忘れた頃にやってくる。おい万桜、いいから豚肉で蕎麦モダン追加だ。大蒜マシマシで頼む」
勇希は、もはや万桜の突飛な言動には慣れきったかのように、しかしその瞳の奥には、新たな「魔王案件」への覚悟を宿しながら、そう言い放った。彼女の言葉は、万桜のアイデアの素晴らしさを認めつつも、その後の面倒事を引き受ける自分たちの宿命を、半ば諦め、半ば楽しんでいるかのようだ。
★★★★★★
食事の後片付けをしながら、万桜は琴葉に追加の提案をした。
「倉田さん。コンポストなんだが、あれ、微生物の働きを活発にするように、撹拌時に微生物用の栄養を混ぜた方がいいんじゃねえか?」
万桜の頭の回転は忙しない。その言葉に、琴葉は、眉一つ動かさず、しかしその瞳の奥には、確かな知的な光を宿して答えた。
「その通りだ、黒木くん。コンポスト内の微生物を活性化させるには、適切な炭素源と窒素源のバランスが不可欠だ。例えば、米ぬかや油かす、あるいは特定の有機肥料を少量加えることで、分解効率を飛躍的に高めることができる。それは、処理速度の向上だけでなく、最終的な堆肥の品質向上にも繋がるだろう」
琴葉の声は、冷静でありながらも、万桜のアイデアが持つ可能性を最大限に引き出そうとする、情熱が滲み出ていた。
「炭素源? あぁ、活性炭とかでいいのか? 消臭効果もあるんじゃねえか?」
この時、万桜の目が妖しげに輝く。別のことを閃いたのだ。
「消臭効果を期待するなら、活性炭やゼオライトのような吸着性の高い素材を混ぜるのが有効だ。これらは臭気の原因となるアンモニアなどを吸着し、コンポストの環境を改善するだろう。ただし、添加量には注意が必要だ。微生物の活動を阻害しない範囲で、最適なバランスを見つける必要がある」
琴葉の説明を半分程度に聞き留め、万桜の瞳は、すでにその先の可能性を捉えていた。
「おい拓矢。ちっとおもしれーことを思いついたんだけどよ」
万桜は、拓矢を呼びつけ、内緒話を始める。その声には、新たな悪巧みを企む少年のように、抑えきれない興奮が滲んでいた。
「あぁー、倉田さん、あれは気にしないでいい。おそらく与太話の類だ」
勇希は、琴葉に万桜の生態を解説する。その声には、もはや彼の突飛な発想に慣れきった、深い諦めと、どこか呆れたような愛情が込められていた。
「おおかた、活性炭を赤松で作って、赤松を消費することで松茸を増産させるとか、そんな感じだ」
まるで心を見透かすかのように言い当てる勇希に、万桜はおののき、
「え、エスパーかおまえ?」
と、驚愕の声を上げた。
「いや秋の風物詩じゃねえか? 万桜の赤松大作戦」
拓矢は、涼しい顔でそう言い放った。勇希の言葉には、万桜の思考回路を完全に把握しているという、揺るぎない自信が漲っていた。
「俺は考えたんだ。昔は松茸がそこら中で採れた。それは赤松が燃料として優秀だったからだ」
万桜は、熱のこもった声で力説した。その瞳は、遠い過去の豊かな森を幻視しているかのようだ。
「それで赤松の状態ダメにしてもダメだったよな? 危うく死にかけたよな赤松林」
勇希は、呆れたように過去の失敗を指摘した。その声には、万桜の突飛な発想が、いかに危険な結果を招くかを知っているが故の、深い疲労が滲んでいる。
「ば、バカ、ちげえよ? 今度は大丈夫だよ? 俺は考えた。竹の鋸と炭焼きの灰――」
万桜は、顔を真っ赤にして反論した。その声には、自らのアイデアへの揺るぎない自信と、過去の失敗を繰り返さないという強い決意が込められている。彼の脳内では、すでに新たな「赤松大作戦」の全貌が、鮮明に描かれているかのようだった。
★★★★★★★
2018年9月中旬。御井神神社の山麓、赤松林。
「よく集まってくれた同志諸君」
万桜は、まるで偉大な指導者のように、腕を広げて言い放った。しかし、集まったわけではない。
「連れて来られたんだよ」
「拉致とも言うな」
拓矢と番長が、不服そうに口を揃えた。彼らの手首は、頑丈なガムテープで無残にも拘束されている。それをやったのは、他ならぬ、
「よく集まってくれた同志諸君」
同じセリフを宣う万桜本人だった。彼らがいるのは、御井神神社の神聖な気配が漂う山の麓の赤松林。鬱蒼と茂る赤松の木々が、彼らの「作戦」の舞台となる。
「おい、とりあえず合わせるぞ」
拓矢が、ウンザリとした表情で番長に呟いた。もはや抵抗する気力も残っていないかのようだ。
「「おお同志。今年こそは赤松大作戦を完遂させよう」」
二人は、完璧な唱和で万桜に合わせた。その声には、半ば諦め、半ばやけくそになったような響きが込められていた。彼らの瞳は、これから始まるであろう「魔王案件」の予感に、どこか遠い目をしていた。
「黒木くん。用が済んだら声を掛けてくれ」
そう言って琴葉は、水嚢の川を舟で優雅に登って行った。その姿は、まるで水上を滑る女神のようだ。
「短いモテ期だったなー拓矢?」
万桜は、からかうようにそう言うと、拓矢と番長の戒めを無造作に取り除いた。琴葉は、すでに寺の跡取りである山縣政義と交際を始めていたのだ。
拘束を解かれた拓矢は、手首をさすりながら、疲労困憊の声で尋ねた。
「それで、今年はなにやるんだよ?」
番長もまた、不満そうに腕組みをした。
「去年みたいのは勘弁だぜ?」
彼らの声には、万桜の突飛なアイデアに、これ以上巻き込まれたくないという、切実な願いが込められていた。
「今年は、灰を混ぜた霧を散布することでpH値を6とし、尚且つ、pH値を下げた場所に枯れ枝を集積させ、当時の状況を再現させシロを形成させようと思う」
万桜は、力説した。その言葉は、まるで彼の頭の中に広がる壮大な計画を、そのまま音にしたかのようだ。
「「枯れ枝はなんでもいいのか?」」
早く解放されたい拓矢と番長は、もはや思考を放棄したかのように、棒読みにユニゾンで問いかけた。
「いいんじゃねえか? 燃料になればなんでも…赤松発見とかやってねえだろ?」
万桜は、彼らの言葉を自らの仮説を補完するものと解釈し、満足げに頷いた。二人は、もはや万桜の暴走を止めることを諦め、言われるがままに動き出した。
松茸って美味しそうなイメージなだけだよね? 後書きちょっと変えてみた。なんか歴史繰り返しそうでいややわぁ~。あと、エリンギに松茸のお吸い物の粉をかけても松茸にならないから気をつけろ! あ、でもちょっと美味しそう…
『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みの地球の皆様へ!
いつも拙作『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みいただき、本当にありがとうございます!
私たちは今、過去の過ちを繰り返すかのような岐路に立たされています。このまま社会が誘導され続ければ、鬱屈した資本は軍事へと向かい、やがては、まるで百年前の「大政翼賛会」のような、息苦しい全体主義が生成されかねません。そんな未来、私はいやです。
物語の中で、「魔王」こと黒木万桜は、時には「水嚢の川」で災害に立ち向かい、時には中古スマホを活用したクローズドネットワークなんて突拍子もないアイデアまで生み出しています。実は、この物語には、万桜のそんな「もしかしたら、これって本当に役立つかも?」と思えるような、そして「このヤバい状況を、魅力的なアイデアで変える」ための、たくさんのヒントが散りばめられているんです。
このままでは危ない。だからこそ、私たちの物語を読んでほしい。
読者の皆さんも、「これ、面白い!」「こんな風に使えるんじゃないか?」「もしかして、これって未来を変えるヒントかも?」なんて、閃いたことはありませんか?
地球のみんなぁ~! オラに「★」をわけてくれーっ!
もし、この物語を読んで、少しでも「面白い!」「次の展開が楽しみ!」「万桜のアイデア、イケるかも!」「そして、このヤバい状況を乗り越える希望があるかも!」と感じていただけたなら、どうかページ下部の【★★★★★】ボタンをポチッ!と押して、星評価を分けていただけないでしょうか!
皆さんのその「★」一つ一つが、作者の大きな励みになり、万桜の次の「魔王案件」へと繋がるエネルギーになります! 未来を、ポジティブな方向へ導くために。
引き続き、『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をどうぞよろしくお願いいたします!




