黒き勇者たちへの宿題
前書き
それは2016年、高校生の黒木万桜たちが「サブリナの魔法の無線」を開発する中で、村上教頭から与えられた「宿題」から始まる。それは、ただの技術開発ではなく、人間の心理や社会の仕組みまでを深く考えさせる問いだった。
そして2018年夏、万桜が考案した「水嚢の川」の技術検証のため、陸上自衛隊のベテラン幹部、倉田剛陸佐が信源郷町の御井神神社に降り立つ。その簡素な模型が秘めた潜在能力は、彼の軍人としての常識を揺るがし、戸惑いと焦燥に駆られる。
そんな中、勇希は「水嚢の川」の国家レベルでの研究体制を提案。それは勇希の万桜への密かな想いと、彼の才能を支える壮大な野心から生まれた大計画だった。
これは、若き天才たちの純粋な探究心と、大人たちの思惑が交錯する中で、友情、恋心、そして未来が複雑に絡み合う物語だ。
レジ袋、あれホントにいや。
2018年7月、社務所。
倉田一等陸佐を待つ間、勇希は昔話を始めた。昨日、舞桜に渡した「世界に繋がらない端末」がどうやって生まれたのか、その顛末を。そして、自分が四ヶ月前に万桜へ想いを伝えていたことまで。
「茅野さん。あたしは万桜に想いを伝えて、万桜は想いに応えた。聞き分けてくれないだろうか?」
勇希は頭を下げ、真摯に舞桜の良心にすがる。その視線は、舞桜の心を射抜こうとするほどに真っ直ぐだった。
「教頭先生の宿題は?」
舞桜は、勇希の真摯な視線をすっと逸らした。まるでその視線を受け止めきれないとでも言うように、表で談笑している万桜たちに目を向け、話の続きを促した。
★★★★★★★
2016年4月、放課後の職員室。
職員室に響く教頭先生の声は、さっきまでの怒鳴り声とはまるで違って、静かで、それでいて生徒たちの心に直接語りかけるような温かさがあった。村上教頭は、目の前で正座している四人の顔をじっと見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「いいか、おまえたちの考えてる『サブリナの魔法の無線』。安価で、みんなが繋がれる。それ、すごくいい響きだよな。だけどさ、ただ安く提供することだけが、本当に『善』で、『正義』だって、言い切れるもんかな?」
教頭先生の問いかけに、万桜と莉那は互いに顔を見合わせる。勇希と拓矢も、真剣なまなざしで教頭先生を見つめていた。
「おまえたち、きっと『みんなで使えりゃいい』って、シンプルに考えてんだろ。だけど、そこには必ず、思いがけない弊害が出てくるもんなんだ。例えば、ビニール傘、考えてみてごらんよ」
教頭先生は、自分の机の上に置いてあった、使い古されたビニール傘を指差した。
「なんで、あんなにたくさんのビニール傘が街にあふれて、すぐに捨てられちまうんだと思う? 黒木、おまえはどうしてだと思う?」
教頭先生は、そこで言葉を切った。万桜が何かを考え始めるように、ほんの少し視線を泳がせる。教頭先生は急かすことなく、彼が口を開くのを待った。
「う~ん、安いから、すぐ新しいのが買えるから、大事にしなくなる、ってことスかね?」
万桜の言葉に、教頭先生はゆっくりと頷く。
「そうだよな。じゃあさ、もしその傘がもっと高くて、簡単に買い替えられないようなものだったら、どうだろうな?」
その言葉に、今度は莉那がパッと顔を上げ、万桜の言葉に付け加えるように言った。
「あ、それって、ブランドのバッグとか、限定品のスニーカーとかと一緒ですよね! 高いものって、傷つけたくないし、汚したくないから、すごく丁寧に使うじゃないですか!」
勇希もそれに続いた。
「使った後もちゃんと手入れしたり、しまう場所も考えたりしますよね。安く手に入るものとは、全然扱い方が違います」
教頭先生は、子どもたちの思考が繋がり、広がっていくのを見て、満足そうに目を細めた。
「その通りだよ。安さだけを追求すると、人間って、物を雑に扱っちまうんだ。責任感も薄れちまう。そしてな、もう一つ、すごく大切な問題がある。それは、今の時代にすっごく増えてる『サブスクリプションサービス』にも通じる話だ」
教頭先生は、腕を組み、生徒たちの顔を一人ずつ、まるで心を読み解くように見つめた。
「映画も音楽も、月額を払えば何万本も見放題、聞き放題だろ? 便利だと思うかい? 確かに便利かもしんない。だけど、そこで実際に何が起きてるか、おまえたちは、どう感じる?」
今度は、莉那が考え込むように唇をきゅっと結んだ。教頭先生は、彼女たちが答えを見つけようとするのを、じっと待った。万桜も、勇希も、拓矢も、それぞれに思い当たる節があるのか、視線を落として考え込んでいる。
しばらくの沈黙の後、莉那がポツリと口を開いた。
「えっと…なんか、結局、全部は見ない、というか。いっぱいありすぎて、どれを見たらいいか分かんなくなっちゃう、ってことはあります…」
勇希がそれに続く。
「そうそう! 結局、結局、ちょっとずつつまみ食いして、本当に『これだ!』ってものには出会えない気がします」
拓矢も頷いた。
「ゲームもっスね。いくらでも新作遊べるとなると、一個をがっつりやり込むんじゃなくて、すぐ次のゲームに行っちゃうっていうか……」
教頭先生は、生徒たちの言葉にゆっくりと頷いた。彼らが、自分たちの日常の中から、すでにその「弊害」を感じ取っていることに、確かな手応えを感じているようだった。
「そうだよな。たくさんありすぎると、かえって人は『選ばなくなる』。そして、選び取るという行為、そのプロセス自体にこそ、本当の価値があるってことを、現代社会は忘れかけてるんじゃないかな? 世の中には、クイズ番組の知識だけで物知り顔をする『クイズ王』が増えてるけど、それは思考の奥深さを伴わない、表面的な知識の増産に過ぎない、って先生は感じるんだ」
教頭先生の言葉は、まるで重い石が心に落ちるように、彼らの胸に深く響いた。彼らが理想としていた「みんなが繋がる」というシンプルな目標の裏に、これまで見えていなかった複雑な問題が横たわっていることを、彼らは初めて深く認識したのだった。
沈黙が落ちた職員室に、四人の声がハモる。
「「「「先生って、先生っぽいことも言うんスね」」」」
その言葉を聞いた瞬間、教頭先生の顔がみるみるうちに赤くなった。説諭でまとまっていた彼の内側が、一気に沸騰したような形相だ。
「うっさいわバカ共がッ! 先生だわ! おまえら生まれる前から先生だわ!」
教頭先生が再びキレて、大声で怒鳴りつけた。その姿は、さっきまでの落ち着いた教育者の顔からは想像もつかないほど、感情的だった。
「教頭教頭、中身ガキんちょになってるから」
「そうですよ、教頭。もう少し落ち着いて」
すかさず、隣の席で書類を整理していた数学教師の田中と、駆けつけた生活指導担当の先生が、慌てて教頭先生を止めに入った。職員室は、夏の夕暮れ時にもかかわらず、再び騒がしさに包まれた。
やがて、落ち着きを取り戻した教頭先生は、深呼吸をして万桜たち四人に向き直った。その目は、再び教育者のそれに戻っていた。
「いいか、おまえたち。今日の話で、色々と思うところがあっただろう。先生が言いたかったのは、ただ安ければいい、繋がればいいって話じゃないんだ。物には、もっと深い価値があるし、選択には重みがある。便利さの裏には、必ず何かを失うリスクが潜んでいるものなんだよ」
教頭先生は、四人の顔を一人ずつ見つめ、静かに言葉を続けた。
「だからな、おまえたちに宿題だよ」
万桜が「宿題?」と首を傾げる。
「そうだ。今日、先生が話したこと、つまり、安価なものが粗雑に扱われる現象や、サブスクが人を『選ばなくさせる』ってこと。これらが、本当に現代社会で起きているのか、具体的に調べてごらん。それから、おまえたちが作ろうとしている『サブリナの魔法の無線』が、ビニール傘みたいに雑に扱われたり、サブスクみたいに『選ばなくなる』ような弊害を出さないために、どんな工夫ができるか、考えてごらん」
教頭先生は、ニヤリと笑った。その表情には、生徒たちの成長を促すための、確かな意図が見え隠れしていた。
「例えばさ。おまえたちが、『これは大事にしたい』って心から思えるような仕組みを、その端末に組み込めないか。簡単に買い替えられない、雑に扱っちゃいけないって思えるようなね。そういうのを、おまえたちの『サブリナの魔法の無線』に組み込めないか、よく考えてごらん。それが宿題だよ」
万桜、莉那、勇希、拓矢は、教頭先生の言葉に、再び顔を見合わせた。宿題の内容は、彼らが取り組んでいる「サブリナの魔法の無線」開発に直結している。それは、単なる技術的な課題だけでなく、人間の心理や社会の仕組みを深く考えることを求める、大きな問いだった。
「わかったかい? ただの電話を作るんじゃないんだ。人を繋ぐだけじゃなくて、人を大切に、そして賢く使うことを教える、そんな『サブリナの魔法の無線』を考えてごらん。先生は期待しているからね」
教頭先生の言葉は、彼らの心に新たな火を灯した。彼らは、ただデバイスを開発するだけでなく、そのデバイスが社会に与える影響、そして人々の行動や意識にどう作用するかまでを考える、より深い段階へと進むことになるだろう。
「「「ウッス! 『サブリナの魔法の無線』のために考えてみるっス!」」」
万桜、拓矢、勇希は唱和。
「うぅ~、名前、変えようぜぇ~?」
莉那は羞恥に身悶える。
★★★★★★★
3日後の職員室。
「ヴェブレン効果、有閑階級の理論と、選択のジレンマ、このふたつの再構築が宿題の答えだ先生!」
興奮気味にまくし立てる万桜を宥めるように、勇希が言葉を引き取った。
「落ち着け。それじゃわからん。あたしが答える」
勇希は教頭先生に向き直る。
「かつて、電話は貸与方式でした。複雑な仕組みでもない機械でしたが、人々は、この魔法の仕組みに畏敬を抱き──」
そこで莉那が、勇希の言葉を遮った。
「うん。中2病入ってる。あたしが言うよ。仕組みのわからない機械を、壊さないように、大切に扱った。壊したら大変、弁償できるかな? だから、黒い電話に服まで着せて、専用の台まで作って大切に扱ったんだよ」
そこに拓矢が口を挟む。
「いや、おまえの童話じゃん? 高いし複雑な機械。そう思わせればいいんだ。共同幻想の一種、だろ?」
拓矢が言いかけた「共同幻想」とは、みんなが『これは高級品で壊しちゃいけない』と無意識に思い込むような仕組みを指す。その言葉を、万桜が前のめりに分捕った。
「壊したら、現行のスマホと同じだけ払ってもらう。そうすりゃビニール傘にならねえ! リース代金は安価でいい。でも、紛失や損壊にはペナルティ! 使える機能は選ばせる! 先生、合ってる?」
万桜が示したのは、ヴェブレン効果(高いものほど価値があると人が感じる心理)や有閑階級の理論(贅沢品を所有することで自分のステータスを示すという考え方)を応用し、端末を大切に扱わせる仕組みだった。また、選択のジレンマ(情報が多すぎて選べなくなる問題)に対しては、機能を絞り本当に必要なものだけを提供するという解決策を提示していた。
教頭先生は、満足げに頷いた。
「正解だ。でも試験期間は設ける。おまえらが使って問題なけりゃ、みんな使えるさ」
教頭先生の一言に、四人が声を揃えて聞き返す。
「「「「え、どう言う意味?」」」」
「教師生活25年。おまえら以上の問題児はおりません! 自覚しなさいバカチン共が」
教頭先生はピシャリと締め括った。
★★★★★★★
2018年。社務所の修羅場。
「いやよ」
舞桜は、簡潔にそう拒絶した。勇希の申し出を。
「な、なぜだ? 両想いだぞ? き、貴様の入り込む隙などない!」
言い切る勇希に、舞桜は自らの渾名を、まるでその存在をかき抱くように口にした。
「あたしの渾名、いっぱいボッチなんですって」
そう言うと、舞桜はまさかの泣き落としに入った。
「ほら、あたし美人じゃない? みんな遠巻きにして近づかなかった。ずっとボッチだった。勝手に人格決めつけて、あたしにそれを演じさせた。でも黒木は違った…白井さん、あなたこそ、あたしから黒木を、充実した今を奪わないで…」
「び、美人て、自分で言うか?」
たじろぐ勇希に、莉那がまさかの援護射撃を入れる。
「いや、舞桜は美人だと思うよぉ?」
「お、おまえはどっちの味方だ? サブリナ?」
うろたえる勇希に、莉那は正論を振りかざした。
「いや、事実は違うよね? だって、万桜、勇希にフラれたって思ってるよ?」
そこへ、舞桜がまるで当時を見てきたかのように言葉を継ぐ。
「白井さん。黒木は進路を聞かれて、こう答えたんじゃない? 『んー? 国立ー』って」
「な、なぜ、それを…」
勇希が慄く。舞桜は淀みなく過去を紡いでいく。
「あなたは、こう考えた。黒木なら、この国の最高学府を目指すはずだ。と」
「う、うるさいッ! 万桜はキャンパスで嫁を探すって言っていたんだ! だから、だから…」
俯き、言葉を詰まらせる勇希に、舞桜と莉那が唱和で激励を送る。
「「うん。頑張った。ドンマイ」」
ここで莉那は、諸手を伸ばして、ふたりの頬をムニィ、と掴んだ。
「そんでさあ、ふたり…あたしの交友関係、壊すなよ!」
ドン。と、和太鼓が響くような圧を加えて、ふたりの修羅場を締め括る。まるで、どこぞの海賊王のようだ。
「「ふぁ、ふぁい」」
「いいね、君たち、ホントいい」
琴葉は、感心したような声音で三人の会話に加わった。彼女は、先ほどの勇希と舞桜の攻防と、莉那の絶妙な介入を見ていた。この三人の特別な絆と、それを生み出す「女子の論理」に、琴葉は強い興味を抱いていた。普段のクールで無機質な彼女には珍しく、どこか前のめりな気配が漂う。それは、まるで珍しい鉱石を発見した探鉱者のようだ。
しかし、莉那は琴葉の言葉を聞くと、にやりと小悪魔のように笑った。
『いいや貰う』
彼女は、以前琴葉が莉那に対して放った、傲慢とも取れるあの言葉を忘れていなかった。それは、莉那の中で、琴葉というキャラクターの辞書に鮮烈な印象として刻まれていた。
勇希と舞桜も、莉那に同調するように涼しい顔で頷く。その表情に一切の隙はない。
『うん。君でもいいかも』
その言葉は、琴葉が万桜の技術を評価した際の上から目線な物言いへの、静かで確実な反撃だった。言葉の裏には、女子グループ特有の見えない厳しさが潜んでいる。
三人の視線が、琴葉に集中する。それは悪意ではなく、自分たちの世界を守ろうとするような、確固たる眼差しだ。まるで、強固な城壁を内側から見上げているような感覚を琴葉に与える。
「「「ごめんな琴葉。うち六人パーティーなんだ」」」
莉那、勇希、舞桜の三人は、信じられないほどの完璧な唱和で、その言葉を告げた。まるで事前に打ち合わせたかのように小気味よく、社務所の静かな空気に響き渡る。彼女たちは、新しい仲間を受け入れることを、三多重スネ夫遷移で、明確に、そして容赦なく拒絶したのだ。その言葉は、琴葉が新たに挑んだ「人間関係の解析」という試みに対する、最初の、そして想像以上に手強い障害となった。
琴葉は、その言葉に一瞬、表情を凍りつかせた。彼女の知る軍事的な「パーティー」とは全く異なる、強固で排他的な「何か」が、この三人には存在すると突きつけられたのだ。戸惑い、驚き、微かな苛立ちが、彼女の顔に浮かぶ。それはまるで、完璧な方程式を解こうとして、予期せぬ変数が現れたかのような苛立ちだった。
「六人…パーティー?」
琴葉は、そう呟いた。その声には、まだ理解が追いつかない困惑の色が滲んでいた。彼女の脳内では、この不可解な「六人パーティー」という概念の分析が高速で始まりつつあった。新たな謎との遭遇。それは、彼女の探求心を刺激する未知の領域であった。
「いいけど、クリフト枠だよな」
勇希は辛辣だった。
「「ブライかも」」
莉那と舞桜も大概の言い草だ。
「「「ルイーダさんとこで、出待ちでいいなら仲間に入れてやる。さあ選べ」」」
三人娘は容赦なく辛辣だ。琴葉は「いいね」としか言っていないのに。
(え、エスパー? ダメだ。先輩の威厳を…)
「「「そして、あたしたちは、おまえの後輩じゃない。間違えるな」」」
三人娘は唱和で関係性を明示する。
「お、おまえらはエスパーか? 人の心をことごとく読むな!」
悔しがる琴葉に、
「「万桜に手を出さないと誓えるか年増?」」
舞桜と勇希は圧をかける。
「ひとつしか違わないんだけど?」
琴葉はガルルと威嚇する。が、
「黙れ痴女! 十代じゃない時点で年増なのだよ。あと、拓矢はやらん!」
莉那は有言の封殺を突きつけた。
2025年梅雨。
梅雨り前の晴れ間が広がる朝、信源郷町の黒木家には、縁側から差し込む柔らかな日差しが、居間の畳を暖かく照らしている。台所からは、味噌汁の香ばしい匂いと、炊き立てのご飯の湯気が立ち上っていた。
万桜は、ゆったりとしたTシャツに短パンというラフな格好で、朝食の準備をしていた。
彼の目線の先には、早朝のニュース番組が流れるテレビがある。画面には、件の農水相が記者会見を行う姿が映し出されていた。
「……米の流通は喫緊の課題であり、国民の皆様のご理解とご協力をお願いする次第であります……」
当たり障りのない言葉が羅列されていくのを横目に、万桜は手際よくキュウリを刻み、素麺用のゴマだれで味噌をといた。熱いご飯がよそわれた丼に、それを勢いよくぶっかけ、刻んだキュウリをたっぷりと乗せる。万桜の手慣れた様子で、あっという間に冷や汁が完成した。
その時、居間の襖が開き、寝ぼけ眼の莉那が顔を出した。朝日に照らされた髪がぼさぼさだ。
「うぅ~、朝から暑いねぇ…お、冷や汁?」
莉那は台所を覗き込み作りかけの料理を言い当てた。
「おはよ。夏はこれ一択だろ、サブリナ。手間かかんねーし、最高じゃん」
万桜は涼しい顔で答えると、完成した冷や汁をテーブルに並べ始めた。
続いて、隣からは舞桜が、すでに涼しげなワンピースを纏い、長髪に乱れは一切ない。彼女はテーブルにつくと、テレビの画面に目を向けた。農水相の会見はまだ続いている。
「また、あの人ですか……言葉に中身がないというか、いつも通りね…」
舞桜は小さくため息をついた。
「てか、魔王、見てた? あの農水相さぁ、なんか言ってるけど、結局なにが言いたいのかわかんなくね?」
莉那が、万桜が用意した冷や汁を目の前に座り込みながら問いかけた。彼女の視線も、テレビの農水相に注がれている。
「レジ袋の件も、結局あんなに不評で、みんなは不便な思いばっかりさせられてるのに、なにひとつ具体的な改善策が出てこないんだもんねぇ……」
莉那はうんざりしたように呟いた。
万桜は、そんな二人の視線を受け止めた。彼の切れ長の瞳の奥に、いつもの能天気な光が宿る。
「……ま、ああいうもんだろ」
万桜は冷や汁を一口啜りながら、飄々と言い放った。
「あんたはそうやって、いつも他人事なんだから。でもさ、魔王、あんたなら、どう乗り切る? 国民が不満たらたらで、米問題も解決しないって状況、あんたならどうするよ?」
莉那は前のめりになり、万桜に詰め寄った。その目には、本気の問いかけが宿っている。
舞桜も冷や汁を箸でゆっくりと混ぜながら、万桜に視線を向けた。彼女の琥珀色の瞳には、静かな好奇心が宿っている。
「興味があるわね、サブリナ。万桜、あなたなら、この状況をどう打開するつもり?」
舞桜の言葉は冷静だが、その問いかけには、彼の「人と違う景色が見える」魔王への期待が込められていた。
万桜は、二人の真剣な眼差しを交互に見る。そして、口の端をニヤリと吊り上げた。
「ん~? そりゃあ、あれだろ?」
彼は、あたかも世界を掌で転がすかのように、軽やかに言葉を紡ぎ始めた。
「別に全部を米にしなくてもいいって話。例えばさ、米が足りねーなら、パンやパスタで凌いでください。ごめんなさい! でも大丈夫、もっと美味いモンあるって話だろ?」
万桜は一度言葉を切ると、少し間を置いて、まるで魔法の呪文を唱えるかのように続けた。
「ピザでも可。むしろピザ。てえかピザ。ビバピザ! あ、ピノ食いてぇ~とでも言ってやりゃあ、『しょ~がねえなぁ~』ってなんだよ。ごめんなさい。と、具体策の提示。それでいいんだよ。食料がないわけじゃないんだから。この農水相は、いいカッコしいすぎんだよ。笑われることをビビってんだ。だから、陰で笑われる中2病だってな」
莉那は、万桜の突拍子もない発言に呆れて口を半開きにしている。しかし、舞桜の表情は、一瞬の困惑の後、彼の言葉の裏に隠された意図を解析しようと、わずかに目を見開いた。
「で、レジ袋だろ? あぁ~、あれな~。そんなもん簡単だろ?」
彼は、呆れるほどあっさりと答えを提示した。
「価格に含めりゃいいんだよ。そうすりゃ、店員は迷わねえ。レジで商品選ぶから混雑すんだよ。店員は大きい袋か、小さい袋で迷うんだから…」
万桜の言葉は、まるで真理を突くかのようだった。
莉那は、ぽかんと口を開け、舞桜は一瞬、思考が停止したかのように目を丸くした。レジ袋の価格を商品本体に含んでしまえば、店員は確認する必要がなくなり、客も「買うか買わないか」で迷うことがなくなる。そして、客がレジで袋の有無を選ぶことで発生していた滞留も解消される。彼の視点は常に、物事の根源にある非効率性を見抜き、それをシンプルに解決することにあるのだ。
「魔王らしいや…あ、あたしもピノ食べたい」
莉那は、呆れるように囁いた。
「……非の打ち所がないわね。最も合理的で効率的な解決策よ。なぜ、これほどまでに単純な解決策が、今まで見過ごされてきたのか…ピノなら一箱あるわよ?」
舞桜は、感嘆のため息を漏らした。彼女の顔には、呆れと、そして万桜の天才性への、抗いがたい畏敬の念が浮かんでいた。
万桜は、残りの冷や汁をゆっくりと平らげた。そして、冷凍庫に疾駆した。ピノを守るために。
「サブリナ~。あたし、さっきさぁ…」
舞桜が呟くと、冷凍庫から取り出すと、恭しく万桜は舞桜にピノを捧げる。先ほどの謝罪である。舞桜のバスタオル一枚の風呂上がりに直面したのは事実である。
「もういいわって言ったじゃん? 過ぎた…」
怨みがましい万桜の言葉を、
「そうねピノで許してあげる」
舞桜は有言に封殺する。
「ん? なんかあったの?」
莉那が不思議そうに尋ねるが、舞桜はピノで封じ込む。
「ん~~~!」
「ん~ってやるヤツ初めて見た…」
莉那の『ん~!』に舞桜。
「昨日やったヤツが、それ…」
万桜の言葉を、舞桜はピノで封殺し、
「ん~~~!」
万桜は「ん~!」をし、
「男子の『ん~!』ってイラってくるね…」
莉那は辛辣、
「ん~~~!」
舞桜は、ピノを食べると『ん~!』をした。
◇ ★ ☆ ★ ◇
2018年7月 御井神神社・社務所
夏を告げるような強い日差しが照りつける午後、御井神神社の境内に一台の官用車が静かに滑り込んできた。後部座席から降り立ったのは、陸上自衛隊装備開発部門に所属するベテラン幹部自衛官、倉田剛陸佐だった。引き締まった体格で、白髪が混じり始めた短髪。彼の細く鋭い目は、全てを見通すかのような光を宿している。普段は物静かで表情の変化に乏しいその顔が、彼の沈着冷静な性格を物語っていた。
社務所の縁側で倉田陸佐を待っていた拓矢は、彼の姿を認めると、背筋を伸ばして敬礼した。その隣には、先ほどまで万桜と莉那、舞桜との間で修羅場を繰り広げていた勇希も立っている。
「倉田一佐。お忙しい中、恐縮です」
拓矢の言葉に、倉田陸佐は無言で頷いた。彼の目はすでに、社務所の中に運び込まれた、木製の板切れに規則的な間隔で植え付けられた、百数十本の細長いミニチュア水嚢の模型に向けられている。それは、使い古された保冷剤のゲルを食品用ラップで包み、結束バンドを芯にして作られた半透明の筒状の物体で、光を反射してまるで小さな水の波紋が連なっているかのようだった。その簡素ながらも異様な存在感は、倉田陸佐の注意を強く引きつけていた。
倉田陸佐は一歩足を踏み入れ、黙って模型に近づいた。その表情は相変わらず動かないが、その瞳の奥には、彼が技術的な可能性を見出した時にだけ宿る、熱い光が灯り始めていた。彼は、おもむろに手袋をはめると、模型の隅々に触れ、その構造や水の流れ、水嚢の脈動を、丹念に、そして執拗に確認し始めた。
その間、社務所には重い沈黙が流れた。万桜と莉那は、社の外で談笑しているが、彼らもまた、この厳粛な空気を敏感に感じ取っているようだった。
数分、いや、数十分が経過しただろうか。万桜が「水嚢の川」の仕組みを解説した資料を読み込み、模型の検証を終えた倉田陸佐は、ゆっくりと顔を上げた。彼の視線は、模型から拓矢へと向けられる。
「拓矢……これは……」
彼の口から発せられたのは、普段の彼からは想像もつかない、微かな動揺を孕んだ声だった。その動揺は、彼の冷静な表情からは想像できないほど大きく、拓矢の心を揺さぶった。
「どうしよう?」
普段は揺るぎない彼の声が、困惑に満ちている。その一言に、拓矢は思わず息を呑んだ。国の防衛を担うベテラン幹部自衛官が、一介の大学生の発明を前に、ここまで動揺する姿を、拓矢は初めて見た。それは、この「水嚢の川」が、万桜の想像を遥かに超える、とてつもない潜在能力を秘めていることを雄弁に物語っていた。
「い、いや、自分に聞かれても……」
拓矢もまた、その場の空気に飲まれ、動揺を隠せない。倉田陸佐がこれほどまでに感情を露わにする、その事態の大きさに、彼自身も狼狽していた。
その時、社務所の入り口から、凛とした声が響いた。
「至急、この技術の秘匿と、本格的な研究体制の構築が必要かと存じます。防衛大学校の敷地内、または近隣の信源郷町における隔離された環境の確保を具申いたします。詳細については、改めてご報告させていただきます」
琴葉の報告を受け、倉田剛陸佐は、その場で頭を抱えた。
「防衛大学校に隔離された研究施設だと? 馬鹿を言うな琴葉! そんな簡単にいけば苦労しない!」
彼の声は、普段の冷静さを失い、焦燥と困惑に満ちていた。万桜の「水嚢の川」が持つ潜在能力は理解しているが、それを国家レベルで秘匿し、研究体制を整えるなど、並大抵のことではない。予算、人員、そして何よりも、この型破りな「発明」をどのように既存の軍事体系に組み込むか、という問題が山積している。それは、彼が長年培ってきた常識と秩序を、根本から揺るがす事態だった。
その倉田陸佐の動揺を察知し、琴葉は冷静に続ける。
「倉田一佐。ご提案があります。信源郷町にある甲斐の国大学にご協力いただき、防衛大学校と東京本郷大学、そして甲斐の国大学の共同キャンパスとして、黒木くんの水嚢の川の研究施設を設置するのはいかがでしょうか?」
琴葉の提案は、倉田陸佐の困惑をさらに深めた。
「共同キャンパスだと? そんな前例のないことが、一体どうやって…」
倉田陸佐は言葉を失った。しかし、琴葉の瞳は、すでにその先の可能性を見据えている。
その様子を、冷静に、しかし鋭い視線で見ていたのが勇希だった。彼女は、琴葉の報告内容を、彼女の会話から全て理解していた。そして、琴葉の提案が、まさに自分が思い描いていた大計画と完全に合致していることに気づいた。
(信源郷町…複数の教育機関のキャンパスにしようとしてるって話があったはず。防衛大学校と、東京本郷大学……そして甲斐の国大学が共同キャンパス!)
勇希の脳内で、パズルのピースが完璧にはまった。万桜の魔王な才能を国家レベルで活用しつつ、自分も彼と同じ環境で過ごせる最高のシナリオ。彼女はすぐさま、両親、そして父の従兄弟である北野学長に連絡を取ることを決意した。この大計画は、彼女の万桜への恋心と、彼の才能を最大限に生かすという、壮大な野心から生まれたものだった。
お米がなければ、パンやパスタを食べればいいじゃない?
『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みの地球の皆様へ!
いつも拙作『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みいただき、本当にありがとうございます!
物語の中で、「魔王」こと黒木万桜は、時には「水嚢の川」で災害に立ち向かい、時には中古スマホを活用したクローズドネットワークなんて突拍子もないアイデアまで生み出しています。
実は、この物語には、万桜のそんな「もしかしたら、これって本当に役立つかも?」と思えるような、たくさんのアイデアが散りばめられているんです。読者の皆さんも、「これ、面白い!」「こんな風に使えるんじゃないか?」なんて、閃いたことはありませんか?
地球のみんなぁ~! オラに「★」をわけてくれーっ!
もし、この物語を読んで、少しでも「面白い!」「次の展開が楽しみ!」「万桜のアイデア、イケるかも!」と感じていただけたなら、どうかページ下部の【★★★★★】ボタンをポチッ!と押して、星評価を分けていただけないでしょうか!
皆さんのその「★」一つ一つが、作者の大きな励みになり、万桜の次の「魔王案件」へと繋がるエネルギーになります!
引き続き、『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をどうぞよろしくお願いいたします!




