黒き魔王のシャドウブック
前書き
未知のウイルスという名のバグが完全に水際でデリートされた、2020年4月。
甲斐の国大学のキャンパスには、うららかな全盛期の春が訪れていた。
黒木万桜と茅野舞桜。世界の理を書き換えるふたりの魔王が、ただの不器用な男女として歩幅を合わせる甘酸っぱい日常。
しかし、その穏やかな時間は、セイタンシステムズの仮設ピットに足を踏み入れた瞬間にマッハの速度でオーバーフローする。
「マイクロフィルム豆本」の光学ギミックに歓喜する北野学長をよそに、万桜たちは膨張圧エンジンとジェル装甲を積んだ「リトル・ジャイアント」で物理法則を置き去りにしていく。
そして待ち受けるのは、教科書の正解に最適化されすぎた新入生、「クイズ王」たちへの過酷な洗礼であった。
番長特製のアボカドスイーツによる脳内ハック、芋ジャージ姿の淳二が吠えるアイマカ夜勤シフト。
さらには、人妻となった香織の物理的制裁と九条の薩摩弁が、エリートたちの既存OSを容赦なく粉砕していく。
極めつけに露呈する、万桜の「他者への興味」という名の絶望的なストレージ不足。
桜舞う狂騒の中、新時代を略奪するアホの子たちが、新たな全盛期の産声を上げる光景を綴る。
2020年4月上旬。甲斐の国大学、学長室にて。
「これです。これなんですよ。黒木くん!」
学長である北野爽大学長は、子供のようにハシャいでいた。
細身の英国風スーツを隙なく着こなし、普段は冷静沈着な彼が、今は眼鏡の奥の瞳を限界まで見開いている。
指先ほどのフィルムの束を、まるで世界で一番の宝物でも見つけたかのように、愛おしそうに撫でていた。
「細かい文字のディテールまで、実に美しく投影されている……。ページをめくるという物理的な手応えが、知的好奇心をこの上なく刺激してくれますねぇ」
「まあ、電脳空間での本の貸し借りや、ブロックチェーンでのデジタルでの所有は可能にしましたが、やっぱり本は紙ですよね」
万桜は、普段の傲岸不遜な態度をすっかり鳴りを潜め、背筋を伸ばして学長に向き合っている。
知の探求者として尊敬に値する先達には、魔王であっても最大の敬意を払うのが彼の流儀だった。
「このマイクロフィルム豆本は、ただの縮小投影デバイスではありません。学長、そのカバーの端をペンでなぞってみてください」
「ほう……?」
北野学長が専用のスタイラスペンでスクリーンに文字を走らせると、投影された文字の横に、手書きのインクのような軌跡が浮かび上がった。
「素晴らしい。これは一体、どのような仕組みなのですか?」
「マイクロフィルム層を多層にしているから、書き込みすることも可能なんです」
万桜は、学長の知的な問いかけに、淀みなく丁寧な口調で答える。
「ベースとなるのは、超高解像度で焼き付けられた、読み取り専用の光学フィルム層です」
万桜の指先が、ブックカバー型の投影装置の構造を指し示す。
「光源から出た光をプリズムで屈曲させ、本型のスクリーンの裏側からリアプロジェクションで投影しています」
「なるほど。だから周囲の明るさに影響されず、自分だけの没入感が得られるわけですねぇ」
「ええ。そして書き込みのカラクリは、ベースとなる原本フィルムの上にあります」
万桜は、透明なフィルムの断面図を空中に思い描くように手を動かした。
「原本の上に、物理的な圧力を感知して透過率が変化する、特殊な可逆性透明フィルムを重ねてあります」
「ペンで圧力を加えた部分だけ光が遮られ、スクリーンに影として投影される……」
北野学長は、持ち前の鋭い推察力で、万桜の言葉の先を読み取った。
「つまり、原本のデータを一切汚すことなく、自分の思考の痕跡を残せるわけですか」
「その通りです。自分だけの書き込みという名の『地層』を、物理的にフィルムの束として所有できる」
万桜は、静かな自信を湛えた眼差しで学長を見つめ返した。
「デジタルデータの利便性を享受しつつ、アナログな『書き込む』という行為の喜びを、光学的に再構築したんです」
「これなら、書斎のわずかなスペースに、自分だけの広大な図書館を築くことができますね」
北野学長は、感嘆の吐息を漏らし、再び装置を愛おしそうに撫でた。
「実に、実に素晴らしい!」
「普段から、そうしてたら……万桜くんじゃないわね……」
舞桜はジト目を万桜へと貼り付けて、マイクロフィルム豆本投影装置を手に取った。
「相手の知性に合わせて、見事なまでに礼儀正しいプロトコルを実装できるんじゃない」
★ ◆ ★ ◆ ★
学長の部屋を後にしたふたりは、ただ、ぼんやりと桜の舞うキャンパスを歩いていた。
今年で大学3回生。
黒木万桜と茅野舞桜。
ふたりの桜が出会ってから、今年で3年目だ。
物理法則や経済を強引に書き換える魔王たちにとっても、春の風は等しく吹き抜ける。
ひらひらと舞い散る淡い花びらが、ふたりの歩幅を少しだけゆっくりとさせていた。
恋という名の状態異常が醒める頃。
人間の脳内物質であるドーパミンやオキシトシンの分泌が落ち着き、初期の熱狂が薄れるとされる期間。
万桜は、自らの脳内でその冷徹な医学的データと、己の胸の奥で渦巻く感情を比較演算していた。
「なあ舞桜、俺のこと好きか?」
万桜は、手に痺れが残るような直球を投げつける。
変化球を投げる器用さなど、この時の万桜にはなかった。
プロポーズもしていたし、それを受け入れてもらった。
一緒に実家の墓を見てくれと、不器用極まりない言葉で未来を約束した。
それでも万桜は怖かった。
状態異常で流されたのではないだろうか?
世界の理を理不尽に書き換える自分の隣にいることを、舞桜は錯覚で選んだのではないだろうか。
それが怖かった。
万桜の足がピタリと止まる。
前を歩いていた舞桜も、唐突な問いかけに歩みを止めた。
春の風が、舞桜の長い髪と、プリーツスカートの裾をふわりと揺らす。
舞桜は振り返り、少しだけ目を丸くして万桜を見つめた。
世界を牛耳るCEOとしての冷徹な顔はそこにはない。
年相応の、どこにでもいるような、ただの美しい女学生の顔だった。
「……なにを唐突に言い出すのかと思えば」
舞桜は、ほんの少しだけ頬を朱に染めた。
そして、手にした扇子を閉じたまま、口元を隠すように軽く当てる。
「万桜くん。あんた、自分の頭脳が叩き出したデータに怯えているの?」
「……怯えてなんかいねえよ」
万桜は、ジト目を必死に維持しようとするが、その声は少しだけ上ずっていた。
「ただ、俺の論理が、おまえの感情という不確定要素を正確にレンダリングできているか、確認したかっただけだわ」
素直じゃない言い回し。
それは、万桜なりの精一杯の強がりだった。
舞桜は、困ったような、けれど愛おしいものを見るような眼差しで、ゆっくりと万桜に歩み寄る。
ふたりの距離が、手の届くところまで縮まる。
桜の香りが、ふわりと万桜の鼻腔をくすぐった。
「万桜くんのバカ」
舞桜の小さな声が、春の風に溶けるように響く。
閉じられた扇子の先が、万桜の胸をこつんと叩いた。
「あたしが、状態異常なんかで自分の人生の投資先を間違えると思う?」
「それは……」
「3年経って、熱狂のパッチが剥がれたとしてもね」
舞桜は、万桜のブレザーの袖を、少しだけきゅっと掴んだ。
「その下にあるのは、バグでもエラーでもないわ」
舞桜は、少しだけ上目遣いに万桜を見上げる。
「万桜くんと過ごす、うるさくて、理不尽で、最高に贅沢な日常という名の『最適解』よ」
万桜の脳内の演算回路が、一瞬にしてショートを起こした。
どんな複雑な和算の漸化式も、どんな深海の圧力制御も、この瞬間の心拍数の跳ね上がりを説明することはできない。
「……おまえ、そういうことサラッと言うの、反則だろ」
万桜は、赤くなった耳まで隠すように、そっぽを向いた。
「ふふっ。万桜くんが不安がるなんて、珍しいバグを見せてもらったわ」
舞桜は、掴んでいた袖から手を滑らせ、万桜の大きな手をそっと握った。
その体温が、物理的な熱量となって万桜の手に伝わってくる。
「だから、手くらい繋いで歩きなさいな。あたしたちの歩幅を、ちゃんと同期させるためにね」
万桜は、握り返す力加減がわからず、少しだけぎこちなく舞桜の手を握りしめた。
「……ああ。善きに計らうわ」
照れ隠しのように呟いた魔王の顔は、桜の花びらよりも赤く染まっていた。
キャンパスに続く並木道。
世界のOSをリライトするふたりの天才は、今この瞬間だけは、ただの不器用な男女として、全盛期の春を歩き始めた。
見上げる空は、未知のウイルスという名のバグが1ミリもデプロイされていない、完璧に透明な全盛期の青空だった。
★ ◆ ★ ◆ ★
2020年4月。
日本には、パンデミックという名の情報の滞留は存在しなかった。
万桜が構築したアイマカによる遠隔労働と、フューチャーフォンによる情報のフィルタリング。
そして、物理的な移動コストをデリートした水際パッチによって、社会は不純なマスクに覆われることもなく、全盛期の呼吸を謳歌している。
キャンパスには密を恐れることなく学生たちが溢れ、春の狂騒をレンダリングしていた。
「……平和なもんだな」
万桜は、舞桜と繋いだ手のぬくもりを演算しながらポツリと呟く。
「ええ。あたしたちが、この国の脆弱性を物理的にデバッグした結果よ」
ふたりが向かったのは、大学の裏手にあるセイタンシステムズの仮設ピットだ。
シャッターが開け放たれたガレージの奥で、異様な熱量を放つ金属とジェルの複合体が鎮座している。
「おう! 黒幕、舞桜のお嬢! 待ちくたびれたぜ!」
アロハシャツにジーンズ、足元はビーチサンダルという、季節感のバグった出立ちの番長が、リーゼントを揺らして出迎えた。
その背後には、デトロイトの実験を終え、日本の路地裏サイズへと最適化された「リトル・ジャイアント」のプロトタイプがあった。
リンカーンの気品をそのまま圧縮し、和算の黄金比でパッケージングし直した、全盛期の軽乗用車。
そして隣には、巨大なVツインエンジンの代わりに高圧圧縮デバイスを積んだ、ハーレーの原チャが輝いている。
「さっそく、ジェルの粘りをテストしてみるか」
万桜は、繋いでいた舞桜の手を優しく離し、リンカーンの軽のドアを開けた。
内装は、硬・軟・粘の多層ジェル構造で覆われ、ガソリンの匂いなど一切しない。
「エスコート、ご苦労様。……あら、本当にシートが吸い付くようにフィットするわね」
舞桜が助手席に乗り込み、満足げに微笑む。
「爆発を捨てたからな。1700倍の膨張圧を、このジェルが完璧に減衰させる。……行くぞ」
万桜がスイッチを入れた瞬間。
無音。
ただ、風を切り裂く「シュンッ」という音だけを残し、リトル・ジャイアントは物理法則を嘲笑うかのような加速でキャンパスの裏道を滑り出した。
「きゃっ……! なにこれ、加速のGをまったく感じないわ!」
舞桜が驚きの声を上げる。
「慣性の法則なんていう古いOSは、ジェルの地層がリアルタイムでパッチ当てして打ち消してるんだわ」
万桜は片手でハンドルを操りながら、不敵に口角を上げた。
★ ◆ ★ ◆ ★
キャンパスの裏道を滑るように走り抜け、リトル・ジャイアントは仮設ピットへと帰還した。
無音のまま停止した車体から、万桜と舞桜が降り立つ。
「おかえり。ずいぶんとエモいドライブだったみたいね」
白衣のポケットに手をつっこんだまま、勇希が呆れたようなジト目を向けてきた。
「医学的に見ても、ふたりのバイタルが完全に同期しているわ」
「おう。ジェルの粘りが、最高に心地よかったぜ」
万桜は不敵に笑い、ピットの奥へと視線を向けた。
そこには、見慣れない数名の新入生たちが、唖然とした顔で立ち尽くしている。
新入生たちの手には、ピカピカの履歴書が握られていた。
その瞳には、クイズ王特有の、正解を求めるような硬い光がある。
「なんだこいつら。情報の滞留みたいな顔しやがって」
万桜は、ジト目を貼り付けた。
「万桜くん。この子たちは、今年セイタンシステムズのラボを志望してきた、成績優秀な新入生たちよ」
舞桜が、扇子で新入生たちを指し示す。
「教科書通りの正解しか出せない、バグだらけの秀才たちね」
「あ、あの! 今の車の加速、既存の物理モデルでは説明がつきません! 一体どのような燃焼機関を……」
ひとりの新入生が、食い下がるように叫んだ。
「燃焼機関? そんな原始人の焚き火みたいなロジック、もうとっくにデリートしたわ」
万桜は、新入生たちの前に立つ。
そこへ、アロハシャツを翻した番長が、クーラーボックスを抱えてやってきた。
「おう。頭でっかちの坊主ども。そんなに脳みそフル回転させてたら、熱暴走でショートするぜ」
番長は、キンキンに冷えたグラスを人数分取り出した。
「東南アジアのパイロット直伝、テキ屋特製アボカド・チェンドルの番長アレンジだ」
グラスの中には、濃厚な緑色のペーストと、白いクリームが幾重にも層を成している。
「アボカドに、たっぷりのハチミツ。そこにバニラの香りと、数種類のスパイスをぶち込んである」
番長は、ニヤリと笑って新入生たちにグラスを押し付けた。
「あの、ぼくたちは真面目なラボの見学に……。就業時間中にスイーツだなんて」
新入生は、困惑してグラスを受け取るのを躊躇う。
「我慢は身体に良くねえんだわ。飲め」
万桜の低い声が、ピットの空気を物理的に制圧した。
新入生たちは、恐る恐るストローに口をつける。
次の瞬間、新入生たちの瞳孔が限界まで見開かれた。
「な、なんだこれは……」
アボカドの良質な脂質が、ハチミツの自然な甘みとバニラの芳醇な香りを纏って、舌の上で爆発する。
ただ甘いだけではない。
ハチミツの粘弾性が、まるで車のジェル装甲のように味覚を優しく包み込む。
そして喉の奥を突き抜けるスパイスの刺激が、停滞していた新入生たちの脳細胞に、強烈な電気信号を叩き込んだのだ。
「物理的な冷却と、暴力的なまでのエネルギー補給。……。そしてスパイスによる熱産生パッチだ」
勇希が、カルテに書き込むような冷静さで解説する。
「冷たさで血管を収縮させた直後に、スパイスの刺激で血流をマッハの速度で再起動させる」
勇希のジト目が、震える新入生たちを医学的にスキャンする。
「既存の味覚チャートでは測れない、多層的な『旨味の地層』よ。あんたたちの凝り固まったシナプスを強制的に繋ぎ直すには、最高にエモい劇薬ね」
「美味い……。でも、どうして甘みと辛みがこんなにも論理的に調和しているんだ……」
新入生たちは、混乱しながらもストローから口を離すことができない。
新入生たちが今まで信じてきた「スイーツは甘いもの」という単一の正解が、このグラス一杯で完全にデリートされてしまったのだ。
「おまえら、教科書の正解を暗記して全盛期を迎えた気になってるんだろうがな」
万桜は、自らもアボカドスイーツを啜りながら、冷徹な視線で新入生たちをスキャンする。
「味覚ひとつとっても、既存の正解なんて簡単にオーバーフローするんだわ。ここじゃあ、おまえらの暗記した脳みそは、1ミリも役に立たねえぞ」
万桜は、懐から「マイクロフィルム豆本」の投影装置を取り出し、一番前の新入生へと放り投げた。
「おっ、と……。これは、なんですか」
「ただのプロジェクターじゃねえ」
万桜は、空になったカップをゴミ箱に投げ入れた。
「その中に、世界中の文学と歴史、そして俺たちが書き換えた新しい物理学のログが圧縮されてる。……。クイズの答えを探すんじゃねえ」
万桜は、新入生たちの胸元を指差した。
「そのフィルムの上に、おまえら自身の『全盛期の書き込み』をデプロイしてみろ」
クイズ王と呼ばれる新入生たちのひとりが、震える手でマイクロフィルム豆本投影装置を起動させた。
プリズムを透過した光が、本型のスクリーン裏面にリアプロジェクションで文字をレンダリングする。
「……これ、熱力学の基本法則から完全に逸脱しています」
新入生は、膨張圧エンジンの理論値が映し出されたページを見て、顔面を蒼白にさせた。
「既存の物理モデルという名の『檻』に囚われているから、そう見えるんだわ」
万桜は、ポケットに手を突っ込み、深く息を吐いた。
「ほら。その透明な感圧記録レイヤーに、おまえの信じる『正解』を書き込んでみろよ」
新入生は促されるまま、専用のスタイラスペンを握る。
スクリーンに走らせたインクの軌跡は、すぐさま原本の光学データと干渉し、チカチカと不快なノイズを発した。
「……弾かれた」
「当たり前だわ。魔王の構築した多層フィルムは、情報に『熱量』が乗っていねえと定着しねえんだよ」
万桜はジト目を細め、新入生の手からペンを無造作に奪い取った。
「おまえらが今飲んだアボカドスイーツと同じだ。異なる要素をレイヤーとして重ねて、新しい答えをレンダリングする」
万桜の瞳に、不遜な魔王の輝きが宿る。
「教科書通りの数式なんざ、情報の滞留だ。俺たちが欲しいのは、この1700倍の膨張圧をどうやってエモく制御するか、っていう変態的なアプローチだけだわ」
万桜がペンを走らせる。
スクリーンの上に「和算の漸化式によるジェルの粘弾性制御」という新たな地層が、鮮やかに書き込まれた。
「これが、物理の勝利だわ」
「うわぁ……。ぼくたちの10年間の受験勉強は、一体なんだったんだ……」
新入生たちは、スパイスで覚醒した脳髄に、さらなる論理の崩壊を叩き込まれた。
自分たちの脳内OSが音を立てて崩れていくのを感じ、その場に力なくへたり込む。
「泣くのはまだ早いぜ、エリートくんたち」
番長が、アロハシャツを翻す。
巨大なVツインエンジンの代わりに、高圧圧縮デバイスを積んだハーレーの原チャを押し出してきた。
「知識のデトックスが終わったら、次は身体で『全盛期の物理法則』を学んでもらうからな」
「……身体で、ですか」
「せや。時差という名のパッチを利用した、アイマカの夜勤シフトに放り込んでやるんや」
いつの間にか現れた淳二が、芋ジャージ姿で全盛期の咆哮を上げる。
「ブラジルの昼間の太陽を浴びながら、日本の深夜の路地裏をこのハーレーの原チャで爆走する」
淳二は手のひらをマッハで大回転させた。
「最高にエモい研修やろ」
「無理です。そんな情報処理、脳がパケットロスを起こします」
「我慢は身体に良くねえんだわ。おまえらも早く、この『アホの子』たちの全盛期に同期しろよ」
舞桜は、扇子をパチンと鳴らし、優雅に微笑んだ。
「万桜くんの言う通りよ。既存の正解にすがるのはやめて、世界を略奪する準備をしなさい」
勇希もまた、白衣のポケットに手をつっこみ、冷静なジト目を向ける。
「医学的にも、古いパラダイムにしがみつくのはバイタルの無駄遣いよ。さっさとリブートしなさい」
春の風が、ピットの中を吹き抜ける。
新しい時代のバグとパッチが交差するこの場所で、クイズ王たちはついに、全盛期の熱狂へと身を投じるのであった。
リトル・ジャイアントのエンジンが、再び静かに、けれど圧倒的な力強さで「シュンッ」と鳴った。
世界は今、万桜たちの手によって、最も美しく、最も理不尽な全盛期へと書き換えられようとしている。
★ ◆ ★ ◆ ★
「斧乃木流デコピン術奥義! 天翔けるリュウジの煌めき!」
ピィン、と弾けるような乾いた音が、ピットの空気を切り裂いた。
へたり込んだ新入生たちの額に、次々と見えない衝撃がパッチ当てされていく。
「あだっ!」「いっつ……!」
そう言って、新入生たちをデコピン一発で沈めて回るのは、セイタンシステムズ経理担当の杉野、いや佐伯香織だ。
カオリンこと、元杉野香織は、4月1日に入籍だけして佐伯香織になっていた。
現在、大学2回生。
お相手は、防大組の防衛大学校3回生、佐伯一だ。
「あんたたち、なにをモタモタ情報の滞留起こしてんのよ!」
香織は、ギャル特有の鋭いネイルを光らせながら、仁王立ちで新入生たちを見下ろした。
「経理部の仕事は山積みなの! 黒木先輩がデプロイする無茶苦茶な物理法則を、エモい数字に変換するのがあたしたちのタスクでしょ!」
香織の隣には、線の細い美貌を紅潮させた九条鉄厳が控えていた。
彼は、手にした分厚いファイルという名の物理兵器を構え、薩摩の火山のごとき熱量を放っている。
「おはんらに許された返事はイエスかイエスじゃ。異議は認めもうさん!」
高圧的に宣言するのは、九条だった。
「さあ、香織さあの部品になっか、そいともクイズ王で終わっか、選ばっしゃい!」
その言葉は、文学と経済学が融合した、全盛期の暴力だった。
★ ◆ ★ ◆ ★
「誰だよリュウジ?」
万桜は、拓矢に不審極まりないジト目を貼り付けた。
数千億の予算や、複雑怪奇な物理法則のバグ。
それらをマッハの速度で処理する、魔王の脳内アーカイブ。
そこに「リュウジ」という名の検索結果は、1ミリもヒットしなかったのだ。
まるで、初期化された記憶媒体のごとく、綺麗さっぱりと。
「え、おまえ、田中の下の名前、認識してねえの?」
拓矢が、逆に信じられないものを見るような顔をする。
「中学の同級生だし、田中さんのお子さんじゃん?」
斧乃木拓矢も大概だ。
自身が編み出した、デコピンという名の物理攻撃。
その必殺技のネーミングに、なぜ同級生の下の名前を勝手にパッチ当てしているのか。
田中竜二は、万桜たちの中学校の同級生である。
甲斐の国大学併設カフェ・ジャカジャカの店長。
あのマスターである田中さんのお子さんだ。
田中さんは、万桜たちにとって極めて重要な存在だ。
「全盛期の食のインフラ」を担う、欠かせない大人である。
だが。
「え、田中さんのお子さんって同級生だった?」
万桜の認識は、絶望的なまでに浅かった。
万桜の論理回路において、システムに直接干渉しない他者の情報。
それは、処理を遅延させるだけのただのノイズに等しい。
中学の3年間、同じ教室という名の物理空間を共有していたという事実。
それすらも、万桜の脳内ではすでに不要なパケットとして完全にデリートされていた。
一瞥の価値もない塵芥のように。
「おまえの脳内OS、興味ない人間へのストレージ割り当てが少なすぎだろ」
拓矢が、呆れ果てたように息を吐く。
「情報の滞留を防いでるだけだわ。顔のグラフィックもレンダリングされてねえ」
万桜は悪びれる様子もなく、傲岸不遜な態度で宣った。
『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みの地球の皆様へ!
いつも拙作『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みいただき、本当にありがとうございます!
物語の中で、「魔王」こと黒木万桜は、時には「水嚢の川」で災害に立ち向かい、時には中古スマホを活用したクローズドネットワークなんて突拍子もないアイデアまで生み出しています。
実は、この物語には、万桜のそんな「もしかしたら、これって本当に役立つかも?」と思えるような、たくさんのアイデアが散りばめられているんです。読者の皆さんも、「これ、面白い!」「こんな風に使えるんじゃないか?」なんて、閃いたことはありませんか?
地球のみんなぁ~! オラに「★」をわけてくれーっ!
もし、この物語を読んで、少しでも「面白い!」「次の展開が楽しみ!」「万桜のアイデア、イケるかも!」と感じていただけたなら、どうかページ下部の【★★★★★】ボタンをポチッ!と押して、星評価を分けていただけないでしょうか!
皆さんのその「★」一つ一つが、作者の大きな励みになり、万桜の次の「魔王案件」へと繋がるエネルギーになります!
引き続き、『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をどうぞよろしくお願いいたします!




