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黒き魔王と戦士の対峙

前書き

 それは、2011年夏、父を亡くし悲しみに暮れる斧乃木拓矢を、黒木万桜、白井勇希、そして福元莉那が、不器用な友情で救い出した、過去の物語から始まる。

 そして七年後の夏、防衛大学校の学生となった拓矢が故郷へと帰郷する。そこで彼を待っていたのは、御井神神社で、またしても「魔王案件」を画策する万桜と、相変わらず騒々しい幼馴染たちだった。

 しかし、そこに拓矢の呼びかけで現れた、防衛大学校の「専門家」、倉田琴葉の存在が、物語の空気を一変させる。彼女の拓矢への直球(ストレート)な感情の告白は、莉那の心に、これまで知らなかった「修羅場」という感情の波を呼び起こす。

 万桜の無自覚な天才が引き起こす騒動と、拓矢を巡る三角関係。それぞれの思惑が複雑に絡み合い、夏の熱気と共に、新たな物語が幕を開けようとしていた。これは、過去の絆と、未来への思惑が交錯する、予測不能な「修羅場」の物語だ。


墾田永年私財法は偉大です。

 2011年夏。

 夏の強い日差しが照りつける、ひどく暑い日だった。

 斧乃木(オノノギ)家の農地は、いつも以上に静まり返っていた。この数日、拓矢(タクヤ)は、一人、ぽつんと畑の隅に座り込み、地面を見つめていた。父を亡くしたばかりの小学六年生の心は、深い悲しみと、故郷を失うかもしれないという不安で覆われていた。仲間たちが、彼の家の事情を知っていることは、言葉にしなくともわかっていた。だからこそ、いつもは賑やかな万桜(マオ)たちも、今日はそっとしておいてくれている。はずだった。

 その静寂を破ったのは、唐突な、しかしどこか能天気な声だった。

「おい、拓矢(タクヤ)!」

 顔を上げると、そこにはいつもの笑顔で、しかしどこか悪だくみをしているような顔の黒木(クロキ)万桜(マオ)が立っていた。彼の隣には、困ったような顔の白井(シライ)勇希(ユウキ)と、何もできないとばかりに眉を下げた福元(フクモト)莉那(リナ)がいる。

「なあ、おまえの渾名、変えようぜ!」

 万桜(マオ)は、有無を言わさぬ調子でそう言った。

「よせ、万桜(マオ)!」

 勇希(ユウキ)が慌てて割って入ろうとするが、万桜(マオ)はそれを制すように片手を上げた。

「『オノタク』って、なんか地味じゃねえか? もっとこう、キレがいいやつ」

 万桜(マオ)の言葉に、拓矢(タクヤ)の眉がわずかにぴくりと動いた。悲しみで感情が麻痺しているような状態の中、その軽薄な言葉が、彼の感情の琴線に触れたのだ。

「おまえの家、なくなるんだろ? もう『斧』を持つこともねえんだから、『斧乃木』ってのもつまんねえじゃん」

 万桜(マオ)は、わざとらしくそう言って、にやりと笑った。その目には、挑発するような、しかしどこか、拓矢(タクヤ)を無理矢理にでも引っ張り出そうとする、必死な光が宿っている。

「だからさ、『斧の宅急便』、うん。ホラーでジェイソンな響き、(なげ)ぇから略して『ジェイ』だ!」

 その瞬間、拓矢(タクヤ)の脳内で何かがプツンと切れた。抑え込んでいた悲しみ、怒り、そしてやるせなさ。それら全てが、「ジェイ」という響きと共に、一気に爆発した。

「ふざけんな! 万桜(マオ)!!」

 拓矢(タクヤ)は、地面を蹴り、万桜(マオ)目掛けて飛びかかった。その拳には、これまで溜め込んできた全ての鬱憤が込められている。

 しかし、万桜(マオ)は、それを予測していたかのように、軽やかに身を翻した。

「あたるか!」

 ひらりと拓矢(タクヤ)の攻撃を躱し、万桜(マオ)はにやりと笑った。そして、そのまま農地を縦横無尽に駆け出した。

「お、落ち着け、ジェイ(・・・)!」

 勇希(ユウキ)は、拓矢(タクヤ)を止めようとするふりをしながら、その顔には悪だくみのような笑みが浮かんでいる。

「怒んなよ、ジェイ(・・・)! もっと速く追いかけなきゃ、逃げられちゃうよ!」

 莉那(リナ)もまた、火に油を注ぐかのように、楽しげに声を張り上げた。彼女の目は、壮大な鬼ごっこが始まるのを期待している。

 「ジェイ!」と叫ぶ二人の声に、拓矢(タクヤ)の怒りは最高潮に達した。彼は、荒い息を吐きながら、猛スピードで逃げる万桜(マオ)の後を追いかける。その顔には、怒りと、そしてどこか、久しぶりに熱くなっている自分への戸惑いが混じり合っていた。

 広大な農地を舞台に、少年たちの壮大な鬼ごっこが始まった。

 その光景は、農地の端に集まり、深刻な顔で話し合っていた大人たちの耳にも、はっきりと届いていた。彼らの話題は、斧乃木(オノノギ)家の農地の借金、そしてその連帯保証をどうするかということ。近隣の農家がそれぞれ責任を持つことで、一時的に農地が失われることは避けられる。しかし、子供たちの未来をどう支えるか、特に拓矢(タクヤ)の学費をどう捻出するかという重い課題が残っていた。

 その時、壮大な鬼ごっこの渦中、全力疾走する拓矢(タクヤ)が、空を向いて叫んだ。彼の声は、夏の空に吸い込まれていく蝉しぐれをかき消すほど、力強く響き渡った。

「大人になったら、俺が、俺が必ず取り戻してやらあッ!」

 その切実な叫びに、逃げる万桜(マオ)が振り返る。彼もまた、全力で走りながら、その言葉に応えた。

「おうッ! 墾田永年私財法は裏切らねえッ!」

 そして、拓矢(タクヤ)を追いかけながら、勇希(ユウキ)莉那(リナ)も、訴えかけるように声を張り上げた。

「「裏切らねえッ!」」

 子供たちの、どこまでも純粋で、しかし未来への確固たる誓いを込めたその叫びが、大人たちの心に深く響いた。深刻な顔で話し合っていた彼らは、ふと顔を見合わせる。その瞳の奥に、確かな決意の光が宿った。彼らの腹が、据わったのだ。

 農地は、近隣農家が責任を持つ。ならば、残るは拓矢(タクヤ)の学費だ。

 近隣農家のおじさんたちが、白井泰造(タイゾウ)の方を向き、にやりと笑った。

「「投票してやっから、出せ、泰造(タイゾー)」」

 彼らは、政治家である泰造(タイゾー)の「有権者」としての立場を巧みに利用し、暗に圧力をかけたのだ。

 泰造(タイゾー)は、一瞬、ぐっと言葉を詰まらせた。

「え、公職選挙法って知ってる?」

 渋る泰造(タイゾー)に、その隣にいた妻の玲子(レイコ)が、にこやかな笑顔で、しかし有無を言わせぬ視線を送った。

「いいから出せよ」

 その「鶴の一声」に、泰造(タイゾー)は背筋を伸ばし、清々しいほどに返事をした。

「ハイ!」

 こうして、拓矢(タクヤ)の家がなくなるという悲劇は、仲間たちの不器用な友情と、大人たちの思惑が複雑に絡み合いながらも、未来への確かな「約束」へと変わったのだった。

 やがて、鬼ごっこも終わりを告げ、力尽きた四人は、広々とした野原に仰向けに倒れ込んだ。夏の終わりの空が、どこまでも高く、どこまでも青く広がる。息を切らし、胸を上下させながら、彼らはただ、その空を見上げていた。

 その時、万桜(マオ)が、まるで確信したかのように、唐突に口を開いた。彼の言葉は、上空の雲へと吸い込まれていくかのように、穏やかに響いた。

「借金返して農業復帰(戻って)くるまで、ジェイな? それまでうちや、みんなが持っててやる。さっさと戻って来いよ、拓矢(タクヤ)

 その言葉を聞いた瞬間、隣に横たわっていた拓矢(タクヤ)の目が、大きく見開かれた。

(ジェイ……じゃねえのかよ……!)

 彼の目から、大粒の涙が溢れ出した。これまで抑え込んでいた父への悲しみ、故郷を失うかもしれないという不安、そして仲間への感謝と、万桜(マオ)の言葉に込められた無垢な優しさ。それら全てが、堰を切ったように溢れ出てきたのだ。彼は声を詰まらせながら、ただただ泣き続けた。


★ ◆ ★ ◇ ☆ ◇ ★ ◆ ★ 


 2018年夏。

 防衛大学校での厳しい日々を終え、「帰郷」という名目で甲斐の国市(かいのくにし)信源郷町(シンゲンキョウマチ)に戻った斧乃木(オノノギ)拓矢(タクヤ)は、慣れ親しんだ故郷の空気を深く吸い込んだ。都会の喧騒とは異なる、豊かな田園風景が彼の目に飛び込んでくる。青々とした稲穂が風に揺れ、遠くの山々には夏の陽射しが降り注ぐ。蝉しぐれが耳に心地よく、その全てが彼の心身の疲労をじんわりと癒やしていく。

 彼は、かつて斧乃木(オノノギ)家が所有していた農地へと足を向けた。今は近隣の農家が管理し、手入れは行き届いているものの、やはりそこには、かつての父の姿も、家族の賑やかな声もなかった。雑草の生い茂る一角に立つと、過去の記憶が鮮やかに過り苦笑した。

拓矢(タクヤ)~!」

 その声に、拓矢(タクヤ)は振り返った。そこには、夏の強い日差しの中、満面の笑顔で手を振る福元(フクモト)莉那(リナ)の姿があった。白い袖無し(ノースリーブ)のワンピースが風になびき、どこか浮世離れした妖精のような印象を与える。彼女の周りだけ、世界の色彩が一段と鮮やかになったかのようだ。

莉那(リナ)……」

 拓矢(タクヤ)の口から、無意識にその名がこぼれた。普段は冷静沈着な彼だが、恋人の、ひまわりのような笑顔を見ると、その固く閉ざした心の扉が、わずかに緩むのを感じた。

「こんなとこで突っ立って…」

 莉那(リナ)は、あっという間に拓矢(タクヤ)の元まで駆け寄ると、腕を掴んで引っ張った。その手には、彼女らしい、底抜けの明るさがあふれている。察したのだ。そこはかつての拓矢(タクヤ)の家の農地だ。

「いや、少し、考え事を……」

 拓矢(タクヤ)は、口ごもった。過去の感傷に浸っていたことを悟られたくなかったのかもしれない。

「兵站輸送の話~? あたしの脇には興味ゼロか?」

 莉那(リナ)は、拓矢(タクヤ)の言葉を遮るようにまくし立てた。

「やめなさい…興味はあるから…」

 拓矢(タクヤ)は、小さくため息をついた。防衛大学校でどれだけ厳しい訓練を積もうとも、彼の幼馴染みの予測不能な行動には、いまだに慣れない。しかし、その声には、呆れと同時に、どこか懐かしさのような響きが混じっていた。

 脇をチラつかせ、拗ねたような顔をする莉那(リナ)を、拓矢(タクヤ)は嗜める。その視線には、困惑と、そして愛おしさが混じり合っていた。

「も~、わかってるくせに。…で、マジな話、防衛大学校って、やっぱ厳しいの?」

 莉那(リナ)は、急に真顔に戻ると、腕を組んで尋ねた。その声には、恋人への純粋な労りが込められている。

「ああ。特に、最初の年は基礎訓練が厳しい。体力面はもちろん、精神的にも追い込まれる」

 拓矢(タクヤ)は、簡潔に答えた。彼の言葉には、経験してきた苦労と、それを乗り越えた者だけが持つ、静かな自信が滲んでいた。

「ふーん……でも、拓矢(タクヤ)なら大丈夫だと思ってたよ! 拓矢(タクヤ)、昔から強いもんね!」

 莉那(リナ)は、屈託なく笑った。その言葉には、拓矢への揺るぎない信頼と、何があっても彼を信じる、純粋な愛情が込められている。

 二人の足は、自然と御井神神社(ミイノカミジンジャ)へと向かっていた。緩やかな坂道を上っていく。道沿いには、古びた石灯籠が点々と並び、鬱蒼とした木々の合間から、時折、光が差し込んでいた。蝉の声は、いつしかひぐらしの音色へと変わり、夏の終わりを感じさせる。

 石段の先に、朱色の鳥居が見えてきた。木々の緑に映えるその色は、神聖な空気を纏っている。鳥居をくぐると、ひんやりとした涼やかな空気に包まれた。境内の奥からは、すでに番長の、豪快な笑い声と、万桜(マオ)の、どこか能天気な声が聞こえてくる。

「また、騒ぎを起こしているな……」

 拓矢(タクヤ)は、呆れたように呟いたが、その口元には、微かな笑みが浮かんでいた。

「早く行こ、拓矢(タクヤ)!」

 莉那(リナ)が、駆け出すように石段を駆け上がっていく。その背中を追いかけながら、拓矢(タクヤ)は、改めてこの故郷と、そこにいる大切な仲間たち、そして何よりも隣で笑う莉那(リナ)の存在が、自分にとってどれほど大切かを噛み締めていた。

 さて、御井神神社(ミイノカミジンジャ)の境内に到着すると、そこには、いつものように騒がしい友人たちの姿があった。

 境内の中心に立つ、何百年もの時を経た御神木。その太い幹に、見慣れた人物がロープで雁字搦めにされている。口には手ぬぐいが噛まされ、必死にもがく姿は、まるで大漁旗に絡め取られたマグロのようだ。

「なにすんだよてめえら!」

 手ぬぐいを必死にずらし、理不尽に噛みつく声の主は、やはり黒木(クロキ)万桜(マオ)だった。その顔は、悔しさと怒りで真っ赤になっている。

「黙れバカ魔王。番長、手間かけたな」

 拓矢(タクヤ)は、万桜(マオ)を一瞥し、冷たく言い放った。その視線には、一切の容赦がない。そして、白い作務衣姿の祭谷(マツリヤ)(ユイ)、番長の方を向き、労いの言葉をかける。番長は得意げに笑って頷いた。

「いいか、俺がいいと言うまで動くな?」

 拓矢(タクヤ)は、逃げようとする万桜(マオ)の額に人差し指を押し当て、低い声で本気の恫喝を浴びせた。その瞳の奥には、彼にだけわかる、確かな威圧感が宿っている。しかし、万桜(マオ)は、それにひるむことなく、必死に抵抗する。

「大丈夫だって!」

 楽観的にそう叫ぶ万桜(マオ)の言葉に、隣に立っていた白井(シライ)勇希(ユウキ)が、大きくため息をついた。その視線は、すでに万桜(マオ)の背後、神社の入り口へと向けられている。

大丈夫(だいじょば)ねえわ! おまえ、ぜってー今日中に仕上げる気満々だろ?」

 拓矢(タクヤ)の言葉通り、神社の参道には、既に近隣の農家の男衆が続々と集まってきていた。彼らは皆、作業着姿で、手に鍬やスコップを提げている者もいる。その目は、期待と、そしてどこか面倒くさそうに、御神木にくくりつけられた万桜と、その隣に立つ拓矢、そして番長を見ていた。万桜が、また何か「面白いこと」を企んでいると察し、駆り出されてきたのだろう。万桜が人海戦術を呼び掛けたことが、その光景から一目瞭然だった。

「おい、魔王さま! 説明しろ! 俺たちはなにをすりゃいい?」

 集まってきた男衆の一人が、豪快に声を上げた。境内の空気は、夏の熱気と、男たちの期待、そして万桜が引き起こすであろう新たな「魔王案件」への予感で満ちていた。

「階段の横に1メートル幅の深さ50センチの溝を掘ってくれ」

 御神木に縛り付けられたまま、しかし口は達者な万桜(マオ)が、声を張り上げて男衆に口頭で指示を出した。その言葉には、すでに工事が始まっているかのような、有無を言わせぬ勢いがある。

「あ、テメ、だぁ~もうッ!」

 拓矢(タクヤ)は、万桜の呆れたような指示に、思わず声を荒げた。しかし、状況は一刻を争う。彼は諦めたように、万桜(マオ)の身体を縛るロープに手をかけ、素早く解き始めた。無駄のない動きは、日頃の訓練の賜物だ。

「つか、番長テメ、頼んどいて拉致(これ)はねえだろ?」

 解放された万桜(マオ)は、すぐに番長に詰め寄った。その顔には、理不尽な拘束に対する怒りが、まだ残っている。

「悪いな黒幕(フィクサー)、ノリだ。ノリ。なんか面白そうだった!」

 祭谷(マツリヤ)(ユイ)は、悪びれる様子もなく、ガハハと豪快に笑った。その屈託のない笑顔に、万桜(マオ)はジト目を貼りつけたが、もはや怒る気力も失せたようだ。番長の予想外の行動は、いつも彼の計算を狂わせる。

「おまえの婚約者(フィアンセ)って、たしか学校(ガッコ)先生(センセー)だよな?」

 万桜(マオ)は、話題を変えるように番長に尋ねた。その口元には、何か企んでいるような笑みが浮かんでいる。

「仕込んでるぜ? 伝統的な踊り」

 番長の答えは予想外に素早かった。彼の婚約者が、既に「神仏再習合のスーパー盆踊り」の準備に取りかかっていることを示唆している。番長の行動力は、万桜の想像を常に上回る。

「オッサンズ! 水嚢の……」

 万桜が次の指示を出そうと口を開いた瞬間、その言葉は拓矢(タクヤ)によって遮られた。

「そいつはストップだ。マジでダメだ」

 拓矢(タクヤ)の声は、先ほどの焦燥とは一転し、冷静沈着な、しかし一切の妥協を許さない響きを帯びていた。彼の目は、万桜がこれから何を言い出すのかを完全に予測し、それを阻止しようと決めている。

「「妥当だわ」」

 茅野(チノ)舞桜(マオ)白井(シライ)勇希(ユウキ)は、その言葉に異口同音で同意した。彼女たちの顔には、拓矢の判断が正しいことを理解している知的な表情が浮かんでいる。

「なんでだよ?」

 万桜(マオ)は、純粋な問いかけをぶつけた。彼の頭の中には、なぜ「水嚢の川」の計画を止められなければならないのか、その理由が理解できないかのようだ。

ワレメ(・・・)だから」

 福元(フクモト)莉那(リナ)は、シレっとそう宣った。その言葉の無邪気さと、そこに込められた意図しない猥褻(エロ)さが、その場の空気を一瞬にして変える。

「「「そう、猥褻物陳列は犯罪だぞ万桜(マオ)?」」」

 ここぞとばかりに、舞桜(マオ)勇希(ゆうき)莉那(リナ)の三人が、息の合った唱和ユニゾンを披露した。その声には、呆れと、そして万桜をからかうことへの楽しみが混じり合っている。彼女たちは、このやり取りが、拓矢(タクヤ)が呼んだ専門家が到着するまでの、貴重な時間を稼ぐための策略であることを、暗黙のうちに理解していた。境内に集まった男衆は、何が何だか分からないという顔で、ただ呆然と、この奇妙な光景を眺めながら黙々と溝を掘り進めていた。


 その時、鳥居の向こうから、もう一人、足音が聞こえてきた。颯爽と現れたのは、すらりと伸びた手足に、引き締まった体幹、そして防衛大学校の訓練で鍛え上げられたしなやかな筋肉を持つ女性だった。清潔感のある短髪は、夏の陽射しを受けて輝き、聡明な眼差しが周囲を見渡す。彼女の纏うシンプルなTシャツとカーゴパンツは、機能的でありながらも、洗練された印象を与えている。その容姿は、まるで訓練雑誌から抜け出てきたかのような、凛とした美しさがあった。

「斧乃木! せめて置き去りはやめてくれ」

 現れた女性は、拓矢(タクヤ)に苦情を投げるように言った。その声には、呆れと、しかしどこか親しみが混じっている。彼女こそ、拓矢が呼んだ「専門家」、倉田(クラタ)琴葉(コトハ)だった。

「いや、先輩来るの明日だったはずでしょ?」

 拓矢(タクヤ)は、琴葉の苦言を流すように答えた。彼の視線は、琴葉の顔を真っ直ぐに捉えている。

 その拓矢の横で、莉那(リナ)は、無意識のうちに腕を組んでいた。琴葉が拓矢を見るその視線。まるで、獲物を見定めているかのような、鋭く、そして熱を帯びた瞳。そこに、恋人への労わりとは異なる、何か特別な感情が込められていることを、莉那は直感的に察知した。

「……くっ、虫がついたか……!」

 莉那の心に、微かなざわめきが生まれた。それは、これまでの無邪気な好奇心とは違う、どこかざらついた、新しい感情だった。彼女の視線が、拓矢の鍛えられた体躯を、そしてその隣に立つ琴葉の、凛とした佇まいを交互に捉える。莉那の心の中で、拓矢の魅力が改めて再確認され、評価が鰻登りになっていく。寡黙で、一見すると地味に見られがちな拓矢。しかし、その内には秘めたる情熱と、強靭な肉体、そして揺るぎない正義感が宿っている。それは、まるで磨けば光る原石のようだ。そして今、その原石の輝きに気づく「目利き」が現れたことに、莉那は焦りを感じていた。

「なんだ? 虫除けいるか?」

 黒木(クロキ)万桜(マオ)は、呑気な声で莉那に尋ねた。彼の頭の中では、「虫」という単語は文字通り昆虫のことしか指していない。その純粋な鈍感さに、莉那の表情はわずかに引きつった。だが、その一言が、彼女に一つのアイデアを閃かせた。

拓矢(タクヤ)~、これ万桜(マオ)に作り方教えて貰って作ったんだぁ~」

 莉那は、咄嗟に自分の首にかけていた虫除け首飾り(チョーカー)をほどいた。様々な香草が編み込まれた、手作りの可愛らしい首飾り(チョーカー)だ。それを、拓矢の首に回そうと、ぐっと身を寄せた。

「く、苦しい苦しい! あと近い…」

 しかし、拓矢の首まわりは、莉那の華奢な首とは違いすぎて、首飾り(チョーカー)はまったくはまらない。それどころか、莉那が身を寄せたことで、二人の距離は異常に近くなり、拓矢は顔を赤くして後ずさりした。

「斧乃木、こちらが君の言う魔王さまと愉快な取り巻きか?」

 倉田(クラタ)琴葉(コトハ)は、そんな照れる拓矢(タクヤ)莉那(リナ)の距離に全く意を介することなく、冷静に、しかし真っ直ぐに万桜たちに視線を向けた。彼女の瞳には、目の前の人間関係の機微など映っていないかのようだ。まるで、目の前の「事象」だけを純粋に観察する、生粋の探究者のような無邪気さがあった。その天然ぶりに、莉那はさらに頭を抱えたくなった。夏の強い日差しが、御井神神社の境内を、新たな嵐の予感と共に照らし出していた。

斧乃木(ジェイ)、これ修羅場(シュラバ)ってる?」

 祭谷(マツリヤ)(ユイ)が、堪えきれないといった顔で、小声で拓矢に尋ねた。その目は好奇心で輝き、面白がっているのが一目瞭然だ。

「そんなワケねえだろ? つか、番長、それ符牒(フラグ)だからな? やめてくれよ」

 拓矢は、即座に、しかし必死に否定した。眉間に深い皺を寄せ、番長の言葉が現実にならないよう、呪文を唱えるかのように早口で言い募る。その焦りようが、番長にはたまらない。

「ん? わたしは斧乃木に好意を抱いてるぞ? 斧乃木、君も薄々は気づいているだろう?」

 倉田(クラタ)琴葉(コトハ)は、番長の問いかけに答えるかのように、拓矢を真っ直ぐに見つめ、感情を込めた声で、しかし一切の迷いなく宣った。その瞳の奥には、彼への確かな恋慕の情が宿っている。

 番長は、それを聞いてニヨニヨと口元を緩め、楽しげに莉那をけしかけた。

「だってよ福元?」

「テメ番長? おまえ面白がってんだろ?」

 拓矢は、怒りを露わに番長に噛みついた。彼のポーカーフェイスは完全に崩れ、友人たちの悪意ある(しかし愛のある)からかいに、もはや冷静さを保てない。

「「「「うん」」」」

 万桜(マオ)舞桜(マオ)勇希(ユウキ)と番長、四人が異口同音に、そして満面の笑みで頷いた。彼らにとって、これは拓矢と莉那をからかう、最高のエンターテイメントなのだ。

「「き、貴様らぁ~!」」

 拓矢(タクヤ)莉那(リナ)は、顔を真っ赤にして、ほとんど同時に叫んだ。その声は、境内に響き渡る蝉の声をもかき消すほどだった。二人の怒りと羞恥が混じり合った唱和(ユニゾン)は、まるで夫婦漫才のようだ。

「つか、誰子さんよ? 拓矢(ジェイ)、紹介しろよ? 俺は早く試して~んだ。可能性を」

 そんな騒動の最中、万桜(マオ)は全く意に介することなく、琴葉を「誰子さん」と呼び、拓矢に紹介を急かした。彼の頭の中には、琴葉の持つ専門知識が「水嚢の川」の可能性を広げる、新たな「データ」としてしか認識されていない。早くその「可能性」を試したいという、彼の純粋な探究心が、人間関係の機微よりも優先されていた。

「そうか君が女魔法使いのサブリナくんかぁ~? 斧乃木の話じゃハッキングに詳しいらしいじゃないか?」

 琴葉は、拓矢にまとわりつく莉那の様子を面白そうに眺めると、ふっと笑みをこぼした。そして、躊躇うことなく莉那の顎に手を回し、その顔を覗き込む。その瞳には、拓矢から聞いた「サブリナ」という渾名と、その特技への純粋な興味が輝いていた。しかし、その距離と仕草は、莉那にとっては明確な挑発だ。

「あ、あ、あげないよ!」

 莉那は、悲鳴のような声を上げると、咄嗟に拓矢の腕に両腕を回し、彼にまとわりつくように身体を寄せた。まるで、宝物を守ろうとする子猫のようだ。その顔は、焦りと、そして琴葉への対抗心で歪んでいる。

「いいや貰う」

 琴葉は、拓矢の返事を待つこともなく、まるで当然のように、そう断言した。その視線は、拓矢を完全に「自分のもの」と見定めているかのようだ。

「わたしの自己紹介がまだでしたね。わたしは倉田(クラタ)琴葉(コトハ)、防衛大学校の学生です。斧乃木とは、同じ大学の先輩後輩として、様々な研究や訓練を共にしています」

 凛とした声で、よどみなく自己紹介を始めた。その言葉は、まるで軍の報告書を読み上げるかのように簡潔で、無駄がない。

「斧乃木は、非常に優秀な人材です。彼が持つ戦術的思考力、そして身体能力、どれをとっても並外れたものがある。わたしは彼のそういうところに、とても惹かれています」

 琴葉は、拓矢を真っ直ぐに見つめ、感情を込めた声で、しかしどこか客観的な分析をするかのように宣った。その瞳の奥には、彼への確かな恋慕の情と、純粋な尊敬が入り混じっている。そのあまりにも直球(ストレート)な「告白」は、周囲の空気を再び凍りつかせた。

「君が黒き魔王こと、黒木万桜(マオ)くんね? 斧乃木の言う通り、嫁探しを意識している。うん、君でもいいかも?」

 琴葉は、拓矢から万桜へと視線を移し、妖艶な笑みを浮かべながら宣った。その瞳の奥には、彼を値踏みするような、しかしどこか本気の光が宿っている。

「え、いいの? 俺、農家の長男だぜ?」

 万桜(マオ)は、琴葉の言葉に、これまた鋼鉄(ハガネ)好天思考(ポジティブ)を炸裂させた。彼の頭の中には、琴葉の言葉が「恋愛対象としての可能性」としてしか認識されていない。

「「うるせえバカ魔王!」」

 堪えきれないといった様子で、勇希(ユウキ)舞桜(マオ)の二人が、万桜の臀部に渾身の蹴りを炸裂させた。その声には、呆れと、万桜の言動への純粋な怒りが込められている。

「いっ痛ぇ~な? 人の恋路を……」

 万桜の抗議の言葉は、二人のさらなる追撃によって遮られた。

「「あたしに蹴られて死んでみるか? バカ魔王?」」

 舞桜と勇希は、目を据わらせて万桜に迫った。その声には、彼の鈍感さと、際限のない発言への脅しが込められている。万桜は、彼女たちの本気の殺気に慄き、それ以上言葉を続けることができなかった。

修羅場(シュラバ)ってるとこ悪い、早速だが、模型を見せてくれ万桜(マオ)

 拓矢(タクヤ)は、そんな友人たちの修羅場をシレッと横目に、冷静に、そしてまるで何事もなかったかのように万桜に声をかけた。彼の目的はあくまで「水嚢の川」の技術検証だ。混乱の中心から音速の離脱(フェードアウト)し、本題へと強引に舵を切る。

「「修羅場(シュラバ)ってない!」」

 しかし、拓矢の思惑とは裏腹に、舞桜(マオ)勇希(ユウキ)唱和(ユニゾン)が、その言葉を否定するかのように境内に木霊した。彼らにとって、この騒動は「修羅場」以外の何物でもないのだ。夏の強い日差しが、御井神神社の境内を、混沌とした熱気と共に照らし出していた。


『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みの地球の皆様へ!

いつも拙作『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をお読みいただき、本当にありがとうございます!

物語の中で、「魔王」こと黒木万桜は、時には「水嚢の川」で災害に立ち向かい、時には中古スマホを活用したクローズドネットワークなんて突拍子もないアイデアまで生み出しています。

実は、この物語には、万桜のそんな「もしかしたら、これって本当に役立つかも?」と思えるような、たくさんのアイデアが散りばめられているんです。読者の皆さんも、「これ、面白い!」「こんな風に使えるんじゃないか?」なんて、閃いたことはありませんか?

地球のみんなぁ~! オラに「★」をわけてくれーっ!

もし、この物語を読んで、少しでも「面白い!」「次の展開が楽しみ!」「万桜のアイデア、イケるかも!」と感じていただけたなら、どうかページ下部の【★★★★★】ボタンをポチッ!と押して、星評価を分けていただけないでしょうか!

皆さんのその「★」一つ一つが、作者の大きな励みになり、万桜の次の「魔王案件」へと繋がるエネルギーになります!

引き続き、『鋼鉄のポジティブ ~未来の世界のネコ型ロボットを迎えに行こう~』をどうぞよろしくお願いいたします!


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