1 黒茨の姫
「早いお目覚めね。よく眠れた?」
「嘘でしょ……」
意識を戻すと、そこは空の上だった。
少女に片手で持たれているあげく、速度はとんでもなく早い。
「メアリー・グルーオック!!」
聞き慣れない声が響く。
後ろからだ。
「苗字まで呼ぶのはやめてくださる? 文調があまり好みではないの」
黒い少女……おそらくメアリーという名前なんだろう。
まるで一片の恐れを見せない口調で、後ろからの声に飄々とした返事を見せている。
「自害することで、禁忌の秘宝を奪った罪を贖うと約束したはずでしょう!なぜ約束を破ったの!!」
激しい風圧のなか、必死に首を動かすと背後からはオレンジ色の光が見える。
「おはなしして自害する気が失せたのよ。それに、よくよく考えるとなんだか人の為に死ぬのってあまり好みではないの。おわかり?」
すぐ右隣に橙に燃え盛る炎がかすめる。
その熱量たるや、俺の髪先をチリチリに朽ちさせてしまっていた。
「あなたが自害する気がないというのなら、私が終わらせてあげるわ!!」
「あら。百敗零勝のカトリーヌ・デズデモーナ嬢が私に勝てるの?」
挑発の言葉とともに、かすめていく炎の数は次第に多くなっていく。熱いし、髪が焦げる匂いがちらほら漂ってくる。
「あ、あの。これどういうことなんだ?」
風に掻き消えそうになりながら、なんとか声をかけようと試みる。
「腐れ縁、というものかしら。常日頃から死にたいとは考えていたけど、自害で死ぬのは少し違うわよね」
どういうことかの説明はない。
ネームドの連中ってみんなこうなのか?
「あなたも!!攻撃!!してきなさい!!メアリーー!」
「楽しませてあげたいと思ってのことだったけれど、不服のようね。……解ったわ、終わらせましょ」
その言葉と共に、周囲が闇の渦に覆われていく。
おいおい、どういうことだ?何が起こってるんだ?
「黒橡の未亡人」
ほんの瞬きする暇もあれば聞こえてしまうような、しかし近ければけして聞こえない独白のような詠唱。
だが、その言葉と共に周囲は大きく闇の世界へと覆われていく。 風景を飲み込み、星空すらもインク色に染め上げ、まるで墓場の中にでもいるような寒さに包まれていく。
「遊びは終わりよ」
その声が響いた瞬間。
蝋燭が風で呆気なくかき消えるように、オレンジ色の光が消えた。