0 モブであると、俺だけが知っている
俺は幼い頃、とある絵本を読んだことがあった。
勇者が悪の竜を倒すため壮大な戦いに挑む話だ。
他愛もない話。
どこにでも置いてあるような、有象無象の本。
それでも憧れた。
だが、そう間を置かずに初めて知らされてしまった。
本を持ちながら両親と道を歩いていたとき、一つの孤児院を見てしまったのだ。
他愛もない、普段なら気にもとめないような孤児たちが遊ぶ風景。
だが、色のないものの中に一人。
一人だけ、とてつもなく金光を放つものがいたのだ。
太陽を直視しているのかと錯覚するほどの光。
目は痛くない、その光は実物ではないから。だけれど、確かに輝くそれを俺は感じてしまった。
「お母さん、あの子だあれ?」
子供ながらに、母へそう尋ねた。
判断もできぬ年頃、何気ない言葉。
それに母はこう答えてくれた。
微笑み、短い言葉で。
「あなたと同い年ね」
それに俺は絶望した。
母にはあの光が見えていない。なにより、母にも色がないと理解してしまった。
母だけではない。俺にも、色がないのだ。
何の色も宿っていない。
父も、道行く人たちも、孤児や大人たちにも色が宿っていない。目を凝らしても、何の色も宿していない。
そこで俺はようやく気づいた。
俺"達"はモブなのだと。
あの神々しい金色に光る少女を除いて。
誰も色を持っていない。
自分が有象無象の一つであったと知ってしまった。
そして憧れた絵本にもまた、色が宿ってはいない。
その日から、俺は自分をモブと思うことに決めた。
そして光を持つものは……ネームドと名付けることにしたんだ。
「……誰?」
そんな回想を挟んでしまうほど、今の俺にとっては理解できない風景が目の前に広がっていた。
何気なく天体観測でもしようと天文塔へ上がってきたら、誰かが立っているのだ。
しかもそれが無色ならそこまで気にもとめなかった。
だが、黒色である。紫がわずかに入り混じっているような気もするが、途轍もなく漆黒の光を目の前から感じられる。
「あなたこそ、誰かしら?」
黒いドレスをはためかせながら、少女はそう言った。
黒髪に紫眼。
思わず物怖じしてしまうような、傾国と言わんばかりに美しい容貌。
「お、俺は、ただ天体観測をしにきただけ……なんだけど」
「そう。随分とヒマなのね」
棘のある言い方だ。
それを言うならそっちだって暇じゃないのか。
「……キミはなんでここに?」
「星を見に来ただけ。あなたと同じ」
明らかに嘘だと分かる言葉に、俺は思わず眉をひそめてしまいそうになる。だが我慢だ。ここは何事もなく過ごしてしまえばいい。
「その割には、アストロラーベも持ってないようだけど」
ふと、言葉が漏れてしまった。
といっても、独り言の類。だが、目の前の少女は口角を上げて気づいたようだ。
「そう、持っていないの。嘘よ」
少女が近づいてくる。
色のない""モブ"に、漆黒の光を持つ"ネームド"が。
「本当は死のうとしたのよ、ここから飛び降りてしまえば楽になれるから」
少女の笑みがどんどんと三日月に歪んでいく。
俺のことを、瞳に移していた。
「なんで、飛び降りようと?」
必死に紡いだその一言に、少女はただひとつ。
あはっ、と笑った。
「なんとなく、かしら。まぁ色々と理由はあるけれど些細なものよ」
少女はそういって何故か俺の隣に立つ。
アメジストのような紫色の瞳は、たしかに俺を捉えている。
「貴方に少し興味が湧いたわ。だから助けてあげる」
刹那、天文塔に激しい光が打ち放たれた。
少女の笑い声とともに、俺は意識を失う。