5 新生活
眩しさにたまらず目を覚ました。
「おはようございます、エレーナ様。今日もいいお天気ですよ?」
ふかふかのベッドで身を起こすと、メイドのルイがカーテンを開けていた。
はて、エレーナ? 誰のことだろう、と寝ぼけた頭で考えたところで思い出した。
エレーナとはレナの新しい名前だった。
命名は教皇。
レナという名前はどうも令嬢らしからぬ、ということらしい。
元の名前は酔った父親が適当につけたものであるとはいえ、親からもらった大事な名前である。
それを変えることには抵抗があった。
だが、歴代の聖女たちも改名に応じていたらしいので、渋々ながらも受け入れた。
ご立派な代々の聖女様ですら受け入れたのに、平民丸出しの自分なんかが断れるわけはなかった。
ちなみに先代の聖女様であるマーデライン様は元々サムという名前だったそうだ。
もし自分がそんな男みたいな名前だったら喜んで改名に応じただろうな、と思ったことは言わないでおいた。
まぁ新しい名前には、ちゃんとレナという元の字も入っているし、父親も許してくれるだろう。
エレーナは眠たい目をこすりつつ、メイドへ挨拶をした。
「おはようごぜぇますだ……」
「ほら、また村人Aに戻ってますよ!」
「あ……お、おはよう、ルイ。きょ、今日もいいお天気で何よりですだ。オホホホホ」
「……令嬢についての認識が間違っている気がしますが、まぁいいでしょう」
テキパキと動くこのメイドは平民でなく〝アズル〟である。
〝アズル〟とは貴族から生まれた黒髪の者を言う。
男爵家の両親との間に生まれたルナは残念なことに黒髪だった。
アズルは平民と同じく、魔力を持たない。
だからなのか、家督を継ぐ権利を持たず、こうして他の貴族の家に奉公へ出ることが多い。
そのアズルのメイド、レナに促され、巨大な鏡台の前へ連れて行かれる。
「さ、お髪を整えますよ?」
整えると言っても、エレーナの髪はまだ少年のように短いので、寝癖を治すくらいだ。
鏡に映った自分を見た。
まるで男の子がスカートを履いているみたいで、悲しくなってくる。
「大丈夫ですよ。一年もすれば、かろうじてドレスが似合うくらいの長さになりますから」
「……」
つまり今は似合っていないというわけだ。
「はい、完成です」
寝癖を直した頭に、モコッととした帽子を乗せられた。
帽子一つでそれなりの令嬢に見えるから不思議だった。
「髪が伸びるまで、この帽子で乗り切りましょう」
「……」
グッと親指を立てるメイドを、エレーナはなぜか憎めないのであった。
∮
「今日の淑女教育カリキュラムは全て中止となっております」
慣れないナイフとフォークで朝食の卵焼きに悪戦苦闘していると、フィリップ・ノーリスがメガネをクイっと押し上げながら言った。
フィリップは家令である。
彼はこの屋敷に仕えている中で二人いる金髪のうちの一人だ。
年齢はおそらく三十代後半。
来年三十になるエレーナの父よりだいぶ歳上である。
元々この屋敷でも家令を務めていたが、前雇い主である子爵家が借金で取り潰しとなったため、そのままの流れでエレーナに仕えることになったそうだ。
ちなみにもう一人の金髪は、メイド長を務めるゼシカという妙齢の女性だ。
「え? 中止だか?」
ギロリと睨まれたので、慌てて言い直す。
「ちゅ、中止なのですか?」
「はい、来客がございますので、今日はその対応をお願いします」
予定では今日はマナーの勉強とダンスの練習だったはずだ。
マナー教師はあのシスター・クレアだ。
普段は聖母を蜂蜜でコーティングしたように甘く優しいシスター・クレアだが、いざマナーの勉強になると冷酷無比な鬼講師へと変貌する。
少しでも村人感を出すとノットエレガントと厳しく怒られる。
曰く、マナーは苦しみを持って魂に刻むべし、だそうだ。
だが、エレーナは嫌ではなかったし、苦でもなかった。
大好きなシスター・クレアに会えるだけで嬉しかったし、厳しい物言いにも確かな愛情を感じるからだろうか。
ダンス講師のベロニカという二十代の黒髪のメイドだ。
ベロニカはレッスンの間も優しかった。
何度足を踏んでも、顔色ひとつ変えずに教えてくれた。
ある日ふと気になって、ダンスレッスンの後、こっそり様子を伺ってみると、エレーナが踏んだ足を抱えて一人で悶絶していた。
どうやら彼女は我慢強いらしい。
ちなみにベロニカはダンスだけではなく、歴史や領地運営法の授業も受け持っている。
「来客? どなたでしょうか?」
恐る恐る尋ねる。
できれば貴族様の相手はご遠慮願いたい。
「貴族は平民を簡単に殺す恐ろしい生き物」という父親の(若干歪んだ)教育の賜物である。
「教皇猊下です。猊下はどなたかを連れて来られると聞いております」
「え? サイモン様だ……なのですか?」
サイモン教皇に会うのは、二週間前にここへつれて来られて以降だ。
それにしても誰を連れてくるのだろうか?
怖い人じゃなければいいな、と思いつつ、緊張で味のしない朝食をせっせと口に運ぶのであった。
《後書き》
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