15 偽りの神話
エレーナが学んだ聖女についての歴史は以下の通りだ。
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約二千年前、この地は巨大な魔獣が跋扈する地獄のような世界だった。
魔獣を支配し、使役しているのが、名前のない魔女であった。
魔女は闇の魔法を操り、幾千の魔獣と、強大な力を持つ悪魔を従えて、世界を破滅へ導こうとしていた。
そこに現れたのが、聖女アストレアである。
聖女アストレアは、その下僕である聖騎士アレスとともに勇敢な民族を従えて、魔女を討ち取り、世界は平和を取り戻した。
その後、残った魔獣を打ち倒すべく、聖女は共に戦った勇敢なる民族に自分の聖女としての祝福を分け与えた。
それが今の貴族となった。
戦いから逃げた卑怯な民族は祝福を与えられなかった。
それが今の平民となった。
すべての力を分け与えた聖女はその場で命を落とした。
そして時は過ぎ、何十年、何百年かに一度、聖女がこの世に顕現するようになった。
世界の平和を見守るために。
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「このように習ったのですが、すべて誤りだと?」
「はい。巷に流れている言い伝えは、教会や王族が都合のいいように作り変えられたものなのですじゃ」
「え? じゃ、じゃあ本当の言い伝えというのは……」
「まず魔女……いえ、魔女様についてですが、名前があります。その名はアズラーレン・クルーウェル」
「クルーウェル? 聖女様と同じ家名……。それにアズラーレンとは、私の持つ聖女の御印〝アズラーレンの百合の花〟と同じ名前です……。つまり……」
ついでに言うと、クルーウェルは王族の家名でもある。
サイモンが頷く。
「魔女アズラーレン様は、初代聖女アストレア様の実の姉なのですじゃ。王族は聖女様の威光を盗むために無断で聖女様の家名を名乗っているだけですじゃ。今の王族に聖女様の血は一滴たりとも流れておりません」
「で、では聖女アストレア様の姉が世界を滅ぼそうとしたというのですか? 聖女様が倒したのは、魔王ではなく実の姉である魔女アズラーレン様だと?」
サイモンは首を横に振った。
「違います。魔女アズラーレン様は聖女アストレア様と共に、世界を救うため、魔獣を統べる王――魔王と戦ったお方なのですじゃ」
衝撃だった。
すべての人間から忌み嫌われている極悪非道の魔女が、まさか人類を救っただなんて。
「魔女アズラーレン様は世間の言い伝えと違い、百合の花を愛でる優しいお方だったそうですじゃ」
エレーナはサイモンの話に聞き入った。
「残念なことに、魔女アズラーレン様は、魔王の最後の攻撃から聖女アストレア様を守るために、腹部に深い傷を負ったのですじゃ。それが元で命を……」
エレーナは思わず自分の腹部を押さえた。
魔女アズラーレンが傷を負ったのは〝聖女の御印〟がある箇所なのだろう。
「魔女アズラーレン様は最後の力を使い、民たちに自分の力を分け与えましたのじゃ。共に戦った勇敢な民には健康な身体を与え、最後の戦いから逃げた卑怯な民には残った魔獣との戦いを強いる呪いの力――魔力を与えました。それが今の平民と貴族ですじゃ」
貴族だけが使える魔力の正体が聖女の祝福ではない?
それどころか、魔獣との戦いを強制するアズラーレン様の呪いだったとは……。
対して、平民には健康な体を?
そう言われると、平民だった頃村の人達が大きな病気をしているのを見たことがない。厳しい冬に死人が出ないのも、アズラーレン様の祝福があったからなのか。
では貴族から生まれたにもかかわらず、黒髪で魔力を持たず、身体の弱いアズルは?
「サイモン様、アズルの方々は……?」
「ワシの予想では〝アズラーレン様の呪いから開放された民〟ではないかと思っております。アズルこそが人間本来の姿ではないかと」
「人間本来の姿……」
「アズラーレン様の死後、深い悲しみに暮れた聖女アストレア様は、力のすべてを使って、魔女アズラーレン様に転生の術を施したそうですじゃ」
「転生の術……」
つまりこういうことだ。
貴族の魔力は聖女アストレアではなく、魔女アズラーレンから与えられたもので、それは祝福ではなく呪いの一種ある。
エレーナは聖女アストレアの生まれ変わりではなく、魔女アズラーレンの生まれ変わりである、と。
エレーナは我知らず涙していた。
聖女アストレアの気持ちを考えると、魔女アズラーレンの最後を思うと胸が締め付けれるほど苦しかった。
「聖女様がなぜこの世界に顕現するのか? なぜ平民から聖女様が生まれるのか? 不相応な魔力を持った貴族たちの暴走を聖女様が監視するためなのでは、とワシは思っておるのじゃ」
「……いいえ、サイモン様。違いますわ」
「違う?」
「聖女アストレア様は姉である魔女……いえ、聖女アズラーレン様を愛していたのです。自分をかばって命を落としてしまった愛する姉に、せめて来世で幸せな人生を送ってほしいと願ったのです。だから生命を賭して転生の術を使ったのですわ」
そう。
聖女アストレア様は、姉である魔女アズラーレン様を愛していた。
だから生まれ変わったら幸せになってほしかったんだ。
だから聖女の御印が〝アズラーレンの百合の花〟なんだ。
だから〝聖女の夫になる者は王族の最も優秀なものを選ぶべし〟と言い伝えたのだ。
「幸せに……。そうか。そうじゃな。うんうん。エレーナ様の言う通りじゃ」
「サイモン様、言い伝えを正しいものに訂正することはできないのでしょうか? このままではアズラーレン様の名誉が傷つけられたままになってしまいます。そんなことは聖女アストレア様も望んでいないはずですわ」
「……難しいですじゃ。普通の者が公表したとしても一笑に付されて終わりじゃろうし、立場のあるものが言おうものなら、王族や貴族の権威を守りたい連中に人知れず消されることになるじゃろう」
「そんな……ひどい。ひどすぎますわ……。アズラーレン様……、アストレア様……」
エレーナは涙で濡れる顔を両手で覆った。
「だからせめて教皇になる者にだけは真実を言い伝えておるのですじゃ。聖女アストレア様の気持ちを無駄にしないように。魔女……聖女アズラーレン様の偉業を忘れないように。いつか真実を明るみに出せる日が来ることを願って」
「私……忘れませんわ。聖女アズラーレン様の魂を受け継ぐものとして、聖女アストレア様が望んでいた世界になるように、私、がんばりますわ」
エレーナは心に誓った。
いつかアズラーレン様の汚名をそそぎ、名誉を挽回させようと……。




