1 婚約破棄と死刑宣告
「シリウス・クルーウェル第一王子の名において、聖女エレーナとの婚約を破棄し、新しく婚約を結ぶことをここに発表する! 新しい婚約者は、このオリヴィエ・レンブラン公爵令嬢だ!」
金髪の見目麗しい青年――シリウス第一王子が、高らかに宣言した。
シリウスの隣に立つ金髪の華美な女性――オリヴィエ公爵令嬢が勝ち誇ったように微笑む。
二人の視線の先、黒髪の女性――聖女エレーナは、口元を扇子で隠したまま嗤った。
「くふふ、まさか伝統ある王立学園の卒業パーティーでこのような暴挙に出るとは。まったくもってノットエレガントでございますわ」
「余裕ぶりおって……」
苦虫を噛み潰したような顔で睨むシリウスを、エレーナは平然と見返す。
「我が婚約者……いえ、元婚約者様。私たちの婚約は契約書を交わした正式なものでございます。まさか殿下の一存でこのような暴挙に出たのでしょうか? 私が国王陛下に奏上致しますれば、殿下のお立場が危うくなるのではなくて?」
エレーナの言葉に、シリウス王子はクククと笑った。
「国王陛下に奏上だと? 馬鹿め! これを見よ!」
シリウスが後方を指差すと、騎士の一角が左右に分かれ道ができた。
道の先、壇上に現れたのは真っ赤なマントを羽織り、王冠を身につけた男性――エドワード・クルーウェル現国王だった。
「あら、エドワード国王陛下ではありませんか シリウス王子との初顔合わせ以来でございますわね お元気そうでなによりですわ」
なおも余裕の態度を崩さないエレーナに、シリウス王子は戸惑いの表情を浮かべる。
が、すぐに首を振って、キッとエレーナを睨みつけた。
「馴れ馴れしく国王陛下に話しかけるな、平民如きが! どうして国王陛下をお呼びしたかわかるか?」
「なるほど。ライガハル聖王国、王国法第二十三条『国王陛下の御前で行われる事象に関し、陛下が認めるならば、その決定は裁判での判決に相当する』ということですわね」
「ほう、知っておったか。ならば話は早い」
シリウスが右腕を突き出し、さらなる宣言をする。
「先の婚約破棄に加え、聖女エレーナの聖女としての地位を剥奪し、数多くの善良な罪のない貴族を虐殺した罪により処刑するものとする! 異論はないな!」
シャッ!
エレーナを取り囲む騎士たちが一斉に剣を抜いた。
幾多の剣先がエレーナに突きつけられる。
「いい気味ですわ! わたくしの友人を殺めた罪、その生命で償いなさい!」
オリヴィエ公爵令嬢の言葉を最後に、会場はシンと静まり返る。
卒業パーティーに参加したはずの子息令息、令嬢達が固唾を呑んで動向を見守る中、笑っている人間が三人。
一人は、婚約破棄を宣言したシリウス王子。
一人は、そのシリウスの新しい婚約者、オリヴィエ公爵令嬢。
最後の一人は……たった今婚約を破棄され、死刑を宣言されたエレーナだった。
会場の誰一人として気づく者はいなかった。
扇子の裏に隠された彼女の笑みに。
彼女の影が次第にその色を濃くしていることに。
「……シリウス殿下。なぜ私が殿下にだけは手を出さなかったのか、おわかりですか? 愛しているから、などという答えは無しでお願いしますわ」
「ふん、知れたことを。手を出そうにもだせなかったのであろう? いかに貴様が俺の罪を捏造しようとも、俺に手を出せば王家の報復は必至。貴様はそれを恐れたのだ」
「違いますわ」
「違うだと……な、なんだこれは!?」
シリウスの目に映ったのは、艷やかな黒髪を数万の蛇が如くうねらせるエレーナの姿であった。
「この日、この時、この瞬間を待っていたのだ。私が王家の報復を恐れただと? 自惚れるな、詐欺師の末裔ごときが。貴様など、いつでも殺せたのだ。だが安心するがいい。貴様は特別待遇だ。簡単には殺さぬ。生まれてきたことを後悔するほどの地獄で、殺してくれと泣いて懇願するほどの苦痛を与えてやろうぞ。くふ。くふふふふふふふふ」
「ひ、ひぃ!」
オリヴィエ公爵令嬢が尻餅をついた。
「ば、化け物め!」
床に座り込むシルヴィアを置いて、シリウスは後ずさる。
エレーナは恍惚の表情で二人を見つめ、真っ赤な唇をペロリと舐めた。
「くふ。ようやく。ようやくですわ。殺したくて、殺したくて、殺したくて、殺したくて、たまらなかった外道を、ようやく殺せるのです。ああ、この気持ちをなんと表現すればよいのでしょう。至福なんて陳腐な言葉では言い表せませんわ。くふふ。ではさっそく始めま……おっと、私としたことが大事なことを忘れていましたわ。メインイベント始める前に、主催者として淑女にふさわしい開幕の挨拶をしなければなりませんね。危うくシスター・クレアに怒られるところでしたわ。それにしても開幕の挨拶ですか……。困りましたわね。こんなときシスターなら、なんと言ったでしょう? ……くふ、くふふふ。ええ、ええ。そうですね。そうですわね。彼女ならきっと、こう言いますわ」
異形の少女がひとりごとを言い終えると、それはそれは見事なカーテシーを執った。
「〝ノットエレガント。マナー講義の時間ですわ〟」
そして聖女による虐殺が始まった。