・後編
「…ただいま」
「お帰りなさい」
和也が玄関のドアを開けると、台所から由紀子の声がした。
和也はそのまま台所の方へ行く。
「お姉ちゃんの具合はどう?」
「相変わらずだよ」
「…そう。もうあれから1週間も経つのに何の反応もないなんて…。もしかしたら、美由の身体に入り込んだと言う妖魔の力がよほど強力なものなのかもしれないわね」
「…それでなんだけれど、ちょっと気になることがあって」
「気になること?」
これを聞いた由紀子は家事の手を止めると、和也に向き直った。
そして和也は自分が感じた「感覚」のことについて話す。
「…それで、その感覚について、何か他に気づいたことはないの?」
「気づいたこと?」
「何でもいいのよ。お母さんだってPBやっていた頃は妖魔が近くにいるとそういう感覚がしょっちゅう起きていたし、お姉ちゃんも同じ感覚をよく感じているじゃない」
由紀子が言う。さすがにこのときは「母親」としてだけではなく、美由や和也の「先輩PB」として気になることがあるようだ。
「…ボクがいつもお姉ちゃんのお見舞いに行っているときに起きているんだ。…ひょっとして」
「何かに気づいたの?」
「…いや、もしかしたらボクの考えすぎかもしれないし。…お母さん、このことに関してはボク一人で調べたいことがあるんだ」
「大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。ボクだってお姉ちゃんと2年も一緒にPBやってるんだし、それに…」
「それに?」
「いつもお姉ちゃんに助けられてばっかりだから、たまにはボクがお姉ちゃんを助けてやりたいんだ」
「…お姉ちゃんを、助ける?」
そう言う和也に何か決意のようなものを由紀子は感じた。
(…いつの間に、この子もこんなことを言うまでに成長したのかしら…)
姉の美由に付いてPBを始めてから数々の修羅場を潜り抜けて来たこともあってか、和也も着実に、一人前のPBとして成長を続けているようだ。
「…わかったわ、和也の好きなようにやりなさい。ただし、十分に気をつけなさいよ。もし少しでも危ないな、と思ったらお父さんやお母さんに知らせるのよ」
「わかってるよ」
*
そして翌日の学校帰り。
和也は「瀬川美由」とプレートが嵌まっている病室の前に来ることができた。
扉を開け、病室の中に入る。
「…お姉ちゃん、今日も来たよ」
和也はベッドの上の美由に話しかける。
しかし、美由は相変わらず和也の声に応えるわけでもなく、ベッドの上で微かに寝息を立てている。
和也はいつものように椅子を引っ張り出すと、そこに腰掛ける。
それから程なく、
「あら、今日も来ているのね」
美由の病室の扉が開き、一人の看護師が入ってきた。
「あ、こんにちは」
和也が何気なく挨拶を交わしたそのときだった。
(…!)
和也は何か「感覚」のようなものを感じた。
(この感覚は…。昨日と同じ感覚だ…)
なぜここに来て昨日と同じ感覚が起こったのか、何か共通点はないだろうか?
(…まさか!)
「…? 君、どうしたの?」
看護師が不審に思ったか和也に聞く。
「い、いえ、何でもないです」
そういって和也は繕うが、昨日と同じ「感覚」の原因がひとつだけ思い当たることに気づいた。
やがてその看護師が病室を出て行った。
和也はそれを確かめると、美由のベッドの脇の引き出しを開ける。
「…やっぱり…」
そう、引き出しの中にある神鏡の真ん中に嵌まっている宝石が光を放っていたのだった。
和也は神鏡を取り出すとじっと眺める。
そう、自分がPBとして「覚醒」するきっかけとなった4年前のときと同じように神鏡が自分に話しかけているような気がしたのだ。
「…もしかしたら…」
そう、思い当たることはただひとつ、母親の由紀子の言う「美由の身体に入り込んだと言う妖魔」をあの看護師が操っているのではないか、と思ったのだ。
実力のある妖魔は人間に憑依したり、人間に姿を変えることが出来るという。もしあの看護師が同じように人間に姿を変えていたとしたら…。
「…お姉ちゃん…」
和也はベッドに眠っている美由を見る。
「…もう少しだけ待ってて。必ず助けてあげるから」
*
そしてその日の夜のことだった。
「…それじゃ言ってくるね」
玄関の前で和也は見送りに来た義和と由紀子に言う。
「十分に気をつけるのよ」
「いいな和也、深追いするんじゃないぞ。もし敵わないと思ったらすぐに逃げるんだぞ」
「わかってるよ」
そして和也は玄関のドアを閉め、
「よし、行くぞ!」
己に気合を入れるかのように叫ぶ。
病院の「急患入口」と書かれたドアが見える物陰に和也は立っていた。
さすがに夜となると、病院には自由には入れないからである。
和也は右手に持った神剣を握りなおした。
そしてあたりを見回すと、急患入り口から病院の中に入っていった。
そして慎重に病院の階段を昇って行く。
ある階に来たときだった。
ふと和也はある病室に視線を向ける。
そう、その先には美由の病室があるのだ。
しばらく和也はそこに立ち止まっていたが、再び階段を上っていった。
*
いつの間にか和也は病院の屋上に出ていた。
そしてあたりを見回す。
「…誰もいないのかな…?」
と、そのとき、和也はズボンのポケットの中で何やら「反応」を感じた。
そしてポケットから神鏡を取り出した。
そう、自分の考えを確かめたくて昼のうちに姉の病室から神鏡を無断拝借していたのだった。
「…これは…」
そう、昼間見たのと同じように、神鏡の宝石が光っていたのだ。
と、
「…まさか君だったとはね…」
和也の背後で声がした。
和也が振り向くと、一人の看護師が立っていた。
「…確か君は…」
看護師が言うと、
「そうだよ、瀬川和也。…瀬川美由の弟だよ」
「屋上に誰かいるかな、と思って来てみたら、こんなことだったとはね…。前に君たちを見たときは、お姉さんの方が目立っていたけれど、君も一応PBだったのね」
「…一体何のつもりなんだよ?」
「何のつもり、って?」
「…妖魔を操って、お姉ちゃんの身体をのっとるなんて、どういうつもりだよ」
「決まってるじゃない、PBが邪魔なだけよ。PBっていつも私たちのすることを邪魔してるじゃない」
「…妖魔、ってみんなそう言うんだよね。一体何を企んでいるのかわからないけれど、自分がやりたいことをやるために、大勢の人をひどい目に遭わせて…」
「随分と一人前のことを言うのね。前に君たちにあったときに見たけれど、私から見れば君はPBとしてはまだまだといったところよ」
「…だからと言って、お姉ちゃんを助けないわけには行かないんだよ」
「…面白いわね。私が倒せるかしら?」
そう言うとその看護師の姿が見る見るうちに禍々しいもの――妖魔――に変わっていった。
和也はそれを見ると神剣を抜く。
そして妖魔は和也に向かってその手を振り下ろす。
すんでのところで和也は攻撃をかわすが、妖魔はその手を休めることなく和也に襲い掛かってくる。
これで美由と一緒にやっているのならば、美由が注意を自分にそらす、と言ったようなやり方で和也の手助けをしてくれるのだが、さすがに一人だと勝手が違い、和也は防戦一方になってしまった。
*
妖魔が和也に向かって腕を横殴りに降る。
和也はそれをよけようと横に飛ぶが、かわしきれずにひっくり返ってしまった。
その弾みにポケットに入れていた神鏡が転がり落ちてしまった。
「…しまった!」
そのときに和也に一瞬の隙が出来てしまったか、妖魔が和也に襲い掛かる。
何とか和也は妖魔の攻撃をかわすが、次第に追い詰められていった。
(…まずい! このままじゃやられる!)
その和也を見てか、妖魔が大きく腕を振り上げたそのときだった。
和也のポケットから転がり落ちた神鏡が、病院の屋上に取り付けてある蛍光灯の光を反射して、その光が妖魔の目に当たった。
一瞬、妖魔が目を当ててひるむ。
その一瞬の隙を見逃す和也ではなかった。
和也は立ち上がると、妖魔に立ち向かっていった。
「てええいっ!」
和也は神剣を構えると大上段から振り下ろす。
そして妖魔が断末魔の悲鳴を上げた。
和也は転がっていた神鏡を拾うと、妖魔に向け、妖魔が吸い込まれていった。
「…ふうっ…」
そして和也は大きくため息をついた。
「…終わったん、だね…」
そしてあたりを見回すが、別にこれと言って怪しい様子は無い。
そして和也は神鏡を見る。あの時、神鏡の光が妖魔の目に入っていなければ一体どうなっていたか…。
「…ハハハ、お姉ちゃんに助けられちゃったよ。まだまだ一人じゃダメなのかな…」
そして和也がポケットに神鏡を入れ、神剣を鞘に納める。
*
そして階段を下り、美由の病室がある階に来たときだった。
「…?」
和也の目の前に一人の人物が立っていたのだった。
「…和也? 和也なの?」
「お姉ちゃん。気がついたんだね!」
そう、目の前に立っていたのは美由だったのだ。
「気がついたって…。一体何があったの?」
「何がって…。お姉ちゃんあれから1週間も寝たままだったんだよ」
「1週間、って…。もうあれから1週間も経ったの?」
「まあ、詳しい話は後でするから。とりあえず病室に戻ろうよ」
*
そして数日後、美由が退院の日を迎えた。
義和の迎えの車に乗り込む美由と和也。
そして車は病院の前を発車した。
和也は例の事件もあったからだろうか、いつまでも病院を見つめていた。
と、
「和也」
美由が話しかけてきた。
「…何?」
和也が聞き返すと美由は一言、
「強くなったね」
そう言うと和也に微笑む。
(エピローグに続く)
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