・前編
2011年7月のある夜。
「和也、準備できた?」
階段の下から声が聞こえた。
「うん、いつでもいいよ!」
そう言うと和也は机の傍らに立てかけてあった一振りの剣を取る。
「それじゃ行くわよ!」
下から又声がした。
「うん、わかった!」
そして和也は自分の部屋を出ると階段を下りていく。
瀬川和也、14歳の中学3年生。
この時期になるとそろそろ高校受験というのが気になる頃で、和也自身もそろそろ志望校を考え始めている時期なのだが、実は彼にはもう一つの顔があった。
実は彼は、姉の瀬川美由と共に「ファントムバスター」(PB)と呼ばれる妖魔退治業をやっているのだ。
彼がPBとしての能力として目覚めたのは4年前、小学5年生のときの秋だったのだが、両親の勧めもあって実際にPBをやるようになったのは、中学に入学する少し前からだった。
和也と同じように中学に入ってからPBをやるようになった姉の美由が「お父さんたちに頼まれたから」ということで和也の先生となり、彼女の手ほどきを受けながらPBを続けてすでに2年半。
最初に姉と組んでPBをやった日にいきなり一振りの剣を渡されて「和也は男の子なんだから剣のほうを担当しなさい」と美由に言われたときはさすがに戸惑ったし、それからしばらくの間は右も左もわからずただ姉に言われるままにやっていたような気がするが、この仕事に慣れた頃からは少しだけ自分にも自信がついてきたような気がする。
*
玄関を出ると、すでに一台の車が停まっていた。
美由が高校を卒業し、自動車運転免許を獲得したのとほぼ同じく購入した車で、普段は美由が通勤に使っているのだが、PBの仕事があるときはこうしてこの車で現場に向かうのだった。
助手席の和也がシートベルトを締めるのを確認し、美由は車を走らせた。
車を走らせてしばらく経ったときだった。
美由は助手席の和也を見ると、
「…どうしたの、和也?」
「…え? どうした、って?」
「いや、なんか和也、いつとなんとなく様子が違うからさ」
「そんなことないよ」
「…そう? 和也と一緒にPBやるようになってだいぶ立つけど、なんだかいつもの和也と違ってなんだか考え込んでいるような感じがしたからさ」
「だから何でもない、って」
「それならいいんだけれど…」
実は、和也は口ではああ言ったが何となく不安を感じていたのだ。
何か自分か姉の美由にとんでもないことが起こるのではないか、そんな不安がするのだ。
今までそんなことは一度も感じなかったのに…。
(…変な事が起こらなければいいけど…)
と、
「和也、着いたわよ」
美由の声に和也が現実に戻る。
「…ここか…」
目の前に建っているビルを見て和也が言う。
「…そうらしいわね。見てよ」
そういうと美由は和也に神鏡を見せる。
そう、神鏡の真ん中にはまっている宝石が輝いていたのだった。
この神鏡は二人の母親である由紀子の家に代々伝わっている神鏡で父親の神剣と共に美由が受け継いだのだが、和也に神剣を引き継がせてからは美由は神鏡だけを使っているのだった。
その神鏡は妖魔が近くにいるとき、裏面にある宝石が光を放つ、という特徴を持っていたのだった。
そして美由はポケットに神鏡をしまい、ビルに向かって歩きかけたが、隣に立っている和也を見る と、
「和也、どうしたの?」
そう、和也がその場に立ち尽くしたままだったのだ。
「和也、和也!」
その声にようやく和也が気がついたようで、
「ん、何?」
「何、じゃないわよ。なんだかさっきからボーッ、としてて。そんな様子だったらどうなるかわかってるでしょう? とにかく行くわよ」
「う、うん」
美由の声に和也は頷くと、いつでも神剣を出せるように身構えると、ビルの中に入っていった。
*
そして二人は慎重に階段を上っていった。
和也はいつでも神剣を抜けるように準備すると、美由に向かって頷く。
美由も頷き返すとドアをゆっくりと開け、二人で屋上に出た。
そして二人は背中合わせに立つとあたりを見回す。
こうすることで二人の背後に隙ができないように、と美由が編み出した方法だったのだ。
それから程なく、
「来たわよ!」
不意に神鏡を片手にしていた美由が叫んだ。
その声に和也は鞘から神剣を抜くと2人の目の前に一匹の妖魔が襲い掛かってきた。
美由があたりを見回すと先ほど自分たちが入ってきたドアの上に蛍光灯が点灯していたのが目に入った。
「和也、あそこまで誘導して!」
美由の指示に和也が頷くと、ドアの方に向かって走り出した。
妖魔が和也を追ってドアの方に向かってくる。
美由はそれを確かめると鏡面に蛍光灯の光が当たるように、神鏡を傾け、その反射した光を妖魔に向ける。
その光をまともに目に受けたか、妖魔が一瞬ひるんだ。
「和也、今よ!」
その声に和也を聞いた和也が神剣を袈裟懸けに妖魔に切りつけた。
妖魔が悲鳴を上げるのを合図にしたかのように美由が鏡面を妖魔に向ける。
そしてその中に妖魔が吸い込まれていった。
(…やった!)
和也がそう思ったときだった。
「和也!」
いきなり美由の声がしたかと思うと和也の前に立ちはだかった。
「どうしたの?」
和也が聞いたその瞬間、一筋の光が二人に向かって飛んできた。
その光は和也の前に立っていた美由の体の中に吸い込まれるように消えていった。
そして次の瞬間、美由はばたん、とその場に倒れこんでしまった。
「…お姉ちゃん!」
和也が駆け寄る。
「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
和也が呼びかけるが美由はまったくと言っていいほど反応しない。
かすかに吐息の音は聞こえるので、生きていることはわかるのだが、和也がいくら呼びかけても反応しないのだった。
和也は美由の胸ポケットから携帯電話を引っ張り出す。和也はまだ携帯電話を持っておらず、何か連絡があるときはこうして姉の携帯電話を借りていたのだった。
そしてメモリーを呼び出す。
「…もしもし」
「…和也、どうしたの? そんなに慌てて」
携帯電話の向こうから由紀子の声が聞こえてきた。
「お姉ちゃんが大変なんだ!」
*
それから20分近く経ったとき、階段を上る音が聞こえてきた。
「和也!」
そう、やってきたのは二人の両親である義和と由紀子だった。
「…和也、それでお姉ちゃんの様子は?」
由紀子が聞く。
「それが…、あれからいろいろとやってみたんだけど…」
そういう和也の傍らには美由が倒れていた。
由紀子が美由のそばに近寄り、いろいろと様子を見るが、どこと言って変わったところはなく、単に眠っているようにも見えた。
「…それで、一体どうしてこんなことになったんだ?」
義和が和也に聞く。
「それが…」
和也が美由が意識を失い、倒れてしまうまでのことを手短に話した。
「つまり、退治して安心した一瞬の隙を突かれた、ということになるのね」
「…和也も2年半PBやってるんだからわかるだろう。妖魔退治というのは最後まで気を抜いてはいけないんだ。実際お父さんやお母さんだって、何度も危険な目にあってきているんだぞ」
義和がそう言うと由紀子が二人のほうを向いて
「あんまり和也を責めちゃダメよ。美由だってそれをわかっていたから、和也をかばって自分がああいう目にあってしまったんだから」
「…それで美由のほうはどうなんだ?」
そう言いながら義和も美由のそばに近寄る。
「…まったく駄目。何の反応も見せないわ。これじゃ私たちでもどうしようもないわ」
「それで、どうするんだ?」
「どうすると言われても…。とりあえず美由を病院にでも連れて行くしかないでしょう」
「…そうだな。よし、和也、お姉ちゃんを病院に連れて行くから手伝ってくれないか?」
「うん」
「…じゃあ、美由の車は私が運転していくから」
「頼むぞ」
結局そのまま美由は入院することになった。
しかし、である。当然のことながら医師は色々と美由の体を調べたのだが、どこもおかしくなっている部分はなく、傍目からは単に眠っているだけのような感じだったのだ。
もちろん、医師は義和や由紀子から事情は聴いたのだが、「そうだとなると、とてもではないけれど現代医学では太刀打ちできない問題」ということで様子を見てみるしかない、という話だった。
いくらPBが社会的に認知されているとはいえ、PBが相手としている妖魔に関してはまだまだ現代社会が解明できないことが多いのである。
*
そして美由は入院して以来、和也はほとんど毎日のように美由の見舞いに病院へと通っていた。
もちろん和也には何の責任もないのだが、あの日以来まるっきり目を覚まさない姉の姿を見ると、姉がこうなってしまったのは自分のせいではないか、と和也は思っていたのだった。
そして美由が入院してから1週間が過ぎた。
今日も和也は病院に来てベッドの傍らの椅子に座り美由をじっと見ていた。
夏休みも間近、ということもあってか学校が終わってからもまだ日は高く、気温も高いためか、病院の中は冷房が効いている。
しかし、そんな涼しさも感じているのかいないのか、ベッドの美由は相変わらず目を閉じたままである。
一応点滴は打っているので美由の様態が悪化すると言った心配はないのだが、こうしてまったく意識の戻らない姉を見ていると、なんだか悲しくなってくる。
と、
「…あら、今日も来てたのね」
病室の入り口で一人の女性の声がした。
振り向くと、ひとりの女性看護師が立っていた。
「あ、こんにちは」
和也は挨拶をする。
もう一週間も病院に通い詰めということですっかりその看護師とも顔なじみになっていた。
「…もう一週間経つのね。早くお姉ちゃんよくなるといいわね」
そう言いながらその看護師は美由の検診をする。
そのときだった。
「…!」
思わず和也は何か「感覚」のようなものを感じた。
何故かはよくわからない。しかし両親や姉の美由がそうであったように和也も、時々こういった不思議な「感覚」が出てくるのだ。
「…どうしたの? 鳥肌なんか立てて。そんなに冷房効きすぎてるかしら?」
そんな和也を見て看護師が話しかけてきた。
「い、いえ、大丈夫です」
そう、冷房は病人のことを考えてかそれほど冷えてはいないはずなのだが、和也の腕に鳥肌が立っていたのだった。
「そう。…それじゃ、そろそろ面会時間も終わりだから家に帰ったほうがいいわよ」
「…そ、そうします。それじゃまた明日」
そういいながら和也は鞄を持つと足早に病室を出て行った。
*
病院の外に出ると、和也は病院の建物の方を振り返る。
「…なんだったんだ、今のは?」
そう、和也はあのときに起こった「感覚」がまだ体の中に残っているような気がしたのだ。
(…どうしてあのときにあんな感覚が起きたんだ? まさか!)
和也の脳裏にあるひとつの「可能性」が思い浮かんだ。
(まさか、そんなことは…。でもそうとしか考えられないよな。…これは調べてみる必要があるかもしれないな)
和也の心の中にあるひとつの「決意」が浮かんだ。
(後編に続く)
(作者より)この作品に対する感想等がありましたら「ともゆきのホームページ」BBS(http://www5e.biglobe.ne.jp/~t-azuma/bbs-chui.htm)の方にお願いします。