買い出し
「明日の狩りに備えてちょっと買い物をしようと思って。まずは市場で食料品を見てきます」
そう言うと俺たちはブリックと別れ、買い取り窓口に隣接する市場に入った。
食料品を扱う店が十軒ほど並ぶだけの小さな市場だ。
市場に足を踏み入れた途端、あちこちから声がかかった。
「よう!カイト!ダウェイじゃなくてカイトなんだってな!」
「聞いたぞ~、フェンリルだって?すっげーな」
「ボアを20頭も卸したそうじゃないか。うちの商品買ってってよ」
分かっちゃいたけどこの世界、個人情報保護規定も守秘義務もないな~。
それでもなんだか居心地がいい。
やっぱりここでも心配されていたんだな、俺。
市場には野菜や果物を扱う八百屋、肉やソーセージを扱う肉屋、牛乳やチーズなどの乳製品を扱う店、塩や砂糖、はちみつなどの調味料の店などが並ぶ。
山間部にあるこの町では魚介類は少ないが、川魚や干物なども少しは売っている。
あいつらの買い物で毎日のように来ていた市場だが、自分の金で買いたいものが買えると思うと、すべてが輝いて見える。買いたいものだらけだが、まだ調理器具も持っていないしな。
とりあえず、何はともあれ塩。必需品。1kg、10ギル。壺代込みだと20ギル。
そしてはちみつ!ああ、甘いものなんてほとんど食べた記憶がないな。200gほどのはちみつ一壺が50ギル。贅沢品だが誘惑に負けた。
次に牛乳。リンに飲ませてやりたい。1リットルで4ギルだが瓶が30ギルもする。この時代、まだガラス瓶は高級品だ。次から瓶を持ってくれば4ギルで買えるんだけど……。これは必要経費か。3本購入。
そして肉屋。おお!ソーセージ!焚火であぶって食べたら間違いなし。ぜったいうまい。1本1ギル。10本購入。
と、肉屋からいい匂いがした。
「これなんですか?」壺に入った黒い液体が気になってしまった。
「これか?これは焼いた肉にかけるとうまいぞ。野菜や果物を煮込んでるんだ。味見してみるか?」
手のひらにちょっと垂らしてもらい舐めてみる。
これって焼き肉のたれじゃん!醤油のない世界でどうやって作ったんだろう?
もしかして醤油があるのかな、この世界にも。
「隠し味はなんですか?」
「それは俺もよく分からんが、黒い液体だそうだ」
え?それって醤油か……?
うーん、欲しい!200mlほどで10ギルだが、これもやはり壺代が10ギルする。
入れ物も何も持ってないって地味につらいな。
でも買っちゃえ!バーベキューがランクアップするぞ!
市場での買い物はこれで終了。
え?野菜?
明日は狩りの後バーベキューの予定だ。肉があればいいんだよ!
市場を出ると次に向かうのは武器屋。
安くてもいいからナイフと剣が欲しい。
武器屋はとても小さな店構えで調理用のナイフから斧、剣、弓矢まで置いていた。
まず俺はナイフを手に取った。
装飾のない実用的なナイフ。持った瞬間、手から力が放たれる感覚がある。
それを見て武器屋のおやじさんがほぉぉっと声を漏らした。
「刀剣の魔力か」
「はい、まだ実践では使ったことがないんですけど。調理や解体用のナイフと、狩りに使う剣が欲しいんです。あんまり金はないんですが」
「そのひょろっちい体に合う剣ねぇ……。ああ、お前さん、ゴルデスんとこのせがれか。魔力があったんだな」
どうやら武器屋のおやじさんは噂を知らないらしい。
店の中に引きこもっていそうだもんな。
お前さんならそうだな……、そう言って2本の剣を取り出した。
1本はシンプルな剣。持ってみるとナイフと同じくじんわりと力が放たれた。
もう1本は青い魔石がはめ込まれた剣。持った途端、強く光った。すごい!
「お前さんの魔力とその魔石の相性がいいんだな。その剣ならどんな魔獣も一太刀だぞ」
「えっと、おいくらでしょうか?」
「最初の剣が250ギル。魔石の剣が3000ギル。それとナイフは100ギルだ」
当然最初の剣しか買えない。
でも俺にとっては最初の一歩だ。十分すぎる。
「もっと稼いだらこっちの剣も買いに来ますね」
そう言ってナイフとシンプルな剣を受け取った。
「そうか。ゴルデスんとこのせがれも稼げるようになったか」
おやじさんに悪気はない。分かってはいるがそう言われるのはやっぱり不快だ。
「俺はカイトって言います。あいつらは俺の親なんかじゃないんで。俺をさらって虐げてきた犯罪者で、俺とは初めから赤の他人です」
きっぱりと言い切った俺に、武器屋のおやじさんは驚いた後、面白そうに俺を見た。
「おおそうか、すまん。あいつらそういうことだったのか……」
リンは買い物を始めてからずっと腕の中でおとなしくしている。退屈そうだ。
「リン、リンがおいしいものを食べるための買い物だから我慢してね。寝てていいからね」
「うん……、ねる」
いやもうすでに、ほとんど寝てるよな?
「ほぉ、フェンリルか。フェンリルを従魔にするなんて初めて見たぞ」
え?小さいままでフェンリルって分かるの?
「はい、フェンリルです。従魔で、そして俺の家族です」
「ふうん。お前さん、いい面構えになってきたじゃないか。これからが楽しみだな」
また今度このおやじさんともじっくり話をしてみたいもんだ。
ちっちゃいリンをフェンリルと見抜いたすごいおやじさんと。
「ありがとうございました、また来ます」
そういう俺に、おやじさんはぶっきらぼうに答えた。
「金を貯めてまた来いよ」
まだまだ買い出しは続く。だって何にも持っていないからな!
武器屋のはす向かいにある雑貨屋に向かう。
この界隈では一番大きな店で、いろんな商品を置いている。
「こんにちは」
店番をしていたのは奥さんと娘さんのようだ。
すぐに娘さんが俺の方に駆け寄ってきた。
「かーわいーい!」
あ、俺じゃなくてリンだったか。残念!
雑多なものが所狭しと並んでいる店。当然だが俺の持っていないものばかりだ。どれも、何なら全部欲しいくらいだが、まずは必需品からだな。
木のマグカップ4ギル2個。木の深皿大4ギル2個、小3ギル2個。木のスプーンとフォーク一つ2ギル各2個。これで葉っぱのお皿から卒業だ。
奥には陶器の食器や銀のカトラリーが飾られていた。いつか買えるといいな。
必需品と言えば火打石5ギル。と、その隣にあるものは……、え?これってマッチ?今までの買い物では見たことがなかったがこの時代にもマッチがあったのか。
「それ、新しく入荷したのよ。50本で10ギルだから高いって言ってみんな火打石しか買わないけど、すぐに火が付くからすごく便利なのよー」
贅沢か?いや、マッチ欲しい。買いだろ。
その隣には飯盒があった。25ギル。
いずれは大きな鍋を買って料理を作り置きしたいが、とりあえず飯盒だな。
別のコーナーで石鹸10ギルとタオル15ギル2枚を買う。
石鹸はこの世界では贅沢品だ。しかし、今夜は今世では初の風呂に入れるのだ。石鹸は欲しい。
そしてお目当ての物を見つけた。
50リットルは入りそうな大きな水がめ。一つ45ギル。
「お姉さん、すみません。この水がめいくつありますか?」
「確認しますね」そう言って娘さんが奥に消えた。
すぐに戻ってくると「全部で4つありますが一つは残しておく必要があるので3つならお売りできます」とのこと。
「では3つください」
「あの……、どうやって運ばれますか?」
戸惑い気味に質問された。そりゃそうだよな。俺は手ぶらだし。
「俺、収納魔法が使えるんで、大丈夫です」
収納魔法……!娘さんが尊敬の目に変わった。
おお!尊敬された!でも勘違いするな、俺。これは俺の収納への尊敬だ。
リンにおいしいものを食べさせる。それが俺の目標の一つだ。
それは食べ物だけじゃない。リンにはあのうまい水をいつでも飲ませてやりたい。
そう考えた時から、大きな水がめを買おうと決めていたんだ。
「また後日入荷できそうなら、水がめをあと7つ買いたいんですけど」
「7つ……、すごい収納ですね。はい、承りました。入荷したらお知らせしますね。えっと、どちらに連絡すれば?」
「今ゼットンさんの宿にお世話になってるんでそちらにお願いします」
水がめ全部で10個は多すぎか?
いや、でも水と塩があればだいたい何とかなるしな。
あれほどうまい水にこの先いつ出会えるか分からないしな!
最後に洋品店に入る。新品も古着も両方売っている店だ。
養父が着古したボロボロの服を着ている俺には洋品店は敷居が高い。
それでも店に入らなければ買えないし、買わなければ永遠にこのボロ着のままだ。
「ごめんください」
店に入ると、こんなボロ着の俺でもマダムは笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃい。噂は聞いてますよ」
うん、光よりも早く噂は広まっているようだ。
「あまり汚れの目立たない服を上下2着欲しいんです。それと履きやすくて丈夫な靴を……」
たぶん冒険者も労働者もみんな同じような希望なのだろう。
心得たマダムはすぐに黒とグレーの長そでシャツを一枚ずつ、カーキのパンツを2枚出してくれた。合わせて下着と靴下もそれぞれ2枚。気が利くね。
この世界でも綿が一般的なのは助かる。麻と比べて着心地がいい。
シャツ35ギル、パンツ45ギル、下着と靴下15ギル。
靴はマッドブルの皮で作った濃い茶色のもの。足首まであって保護機能もあり、柔らかくて履きやすい。55ギル。
ふと、飾られていた古着のコートが目に留まる。
黒で裏地が濃いブルーの綿のコートだ。
「薄手で着やすいコートですよ。毛や皮より温かくはないですが動きやすいです」
コートなんて俺にはまだ早い、そう思ったが左胸にある大きなポケットに目が行った。これって、リンがすっぽり収まるサイズだよな。
「リン、リン、ちょっと起きて。このポケットに入れる?」
「うーん、これ?」
ぼーっとしながらリンが頭を上げ、ぴょんっとポケットに入る。
「はいったよー」
「どう?居心地は」
「ねれるー」
そうかそうか。腕に抱き続けるのは地味に疲れてたんだよ。よし、買おう!
って、まじかー。古着なのに175ギルもするのかー。いやでもこれは買いだろう。
これで今日の買い物は終了だ。
買ったなー。
残りは500ギルちょっとになってしまった。
だけど悔いはない。どれもリンと楽しく生きていくための必需品ばかりだ。
買ったものはすべて収納に入れたが、コートだけは身に着ける。
「リン、ポケットに入る?」
結局ずっと寝てたリンを胸に、俺はゼットンさんの宿に戻った。
「ただいま戻りましたー」
「お帰りなさい。あら、素敵なコートね」
ゼットンさんは夕食の準備中なのだろうか、おかみさんのムーラさんが出迎えてくれた。行ってきますとお帰りなさいがある町。
「風呂の準備ができたら声かけてください」
「じゃあすぐに準備するわね」
一度自分の部屋に戻り、ベットに寝転がった。
リンもポケットから飛び出してベッドの上で寝そべる。
ほとんど休む間もなく呼ばれた。風呂の準備ができたらしい。
宿の風呂は一畳ほどの狭い脱衣スペース、一人分の小さな湯船と流し場。
俺はボロ着を脱ぎ捨てると、今世初の風呂に入った。
湯気が立つ湯船にすぐにでも飛び込みたい衝動に駆られるが、がまんがまん。
まずは石鹸で体と髪を洗う。
いつも水場で洗っていたとはいえ、石鹸で洗うのはあいつらにさらわれてから初めてのことだ。やべぇ、全然泡立たない。
髪も体も二度洗いしてようやく泡立ち、すっきりと汚れをながした。
「リン、次はリンだよ」
「なにするのー?」
リンの体にお湯をかけ、手で泡立てた石鹸でゴシゴシとこすっていく。
やっぱり野生だな。きれいな白い毛だと思っていたが実は汚れていたようだ。
洗いあげてお湯で石鹸を洗い流すと、濡れた毛がぺたりと体に張り付き、ちっちゃいからだが更にちっちゃくなった。
「かわかす~?」
「いや、この後風呂に入るんだよ」
「おふろってこれー?」
リンを抱き上げてゆっくりとお湯に浸かった。
ふぅぅぅ~。
じんわりと温まり、体が芯からほぐれていく。
リンもおとなしくお湯に浸かり、目をとろりとさせている。
風呂。前世では当たり前だったもの。
でもこの世界では誰もが当たり前に享受できるわけではない。
その中でも底辺の生活を送っていた俺には、夢のまた夢だった。
「おふろ、きもちいーねー」
「だな。ほんっと気持ちいいな」
俺はそっと目を閉じ、当たり前で特別な幸せをかみしめた。
風呂から上がるとタオルで体をふき、買ったばかりの服に袖を通す。
そのまま寝ることもできる柔らかい生地だ。着やすい。
俺もやっとこれで人並み、かな?
リンが温かい風を出して髪を乾かしてくれ、さあ、次は夕食だ!
食堂にはまだ誰もいなかった。早すぎたか?
ゼットンさんが厨房から顔を出した。
「おお、ずいぶんこざっぱりしたな。見違えたぞ」
「お風呂、すごく気持ちよかったです。ありがとうございました」
「そうか。チビ……、じゃなくてリンもピカピカだな!」
名前で呼んでもらってリンは嬉しそうにしっぽを振る。
「きもちよかったー」
「夕食、早すぎましたか?」
「いや、もう出せるぞ。冒険者たちは夕飯が遅いからな。今なら貸し切りさ」
じゃあお願いします!奥の席に腰掛け、机の上にリンを乗せる。
水を二つ、一つはガラスのコップ、もう一つは深皿で持ってきてくれた。
風呂上がりの水はうまい!でも明日はもっとうまい水を汲みに行こう。
「酒、飲むか?」
ゼットンさんに聞かれてちょっと悩む。
酒。もちろん今世では飲んだことがない。
この世界では飲酒の年齢制限はないが18歳ごろからが一般的だ。
「今日はやめときます。明日の狩りでいい獲物が狩れたら飲んでみます!」
「じゃあ明日は、酒が飲めるといいな」
夕食はボア肉のハンバーグだった。シンプルに塩コショウのみの味付け。
付け合わせにはバターで焼いたベイクドポテト。
ビネガーとオイルであっさり仕上げた細切りキャベツと人参のサラダ。
鶏ガラでしっかりとだしを取ったコンソメスープと柔らかいパン。
安い素材ばかりだが、一流レストラン並みのおいしさだ。うますぎる。
そりゃあもう夢中で食べたさ、リンも俺も。
たった一日で俺の生活のレベルアップ、半端ないな!