ヨヒトのビジネス
翌日。
王都行きの乗合馬車に乗りこむサナとユナを、母さん一家と一緒に見送る。
「遠いところまで来てくれてありがとう。カイトのことをよろしくね」
「治安のいい街道だから大丈夫だと思うけど、気をつけて」
「お義母様、皆様、お世話になりました」
「旦那様、先にザイオンに帰っていますね」
俺とリンはもう一度フィリオーネ領へ行ってからザイオンに戻る。
サナとユナもヨヒトの赤ちゃんに会いに行くか?と誘ってみたが、
「こんなにすぐに家に戻ったら兄に叱られます」
「無事に元気な男の子が生まれたと聞けただけで十分幸せです」
そう言って、ザイオンへと一足先に帰っていった。
クリストフたち?
さあ?
宿も別だったし、知らんな。
今頃きっと、また狩りに行ってるんじゃね?
とはいえ、二か月後にゼットンさんの宿で合流する約束をしてたりするんだが。
「じゃあね、母さん。またな」
「またなって言って、当分来ないんでしょ?」
まったくもう、そう言いながらもなんだか母さんは嬉しそうだ。
「なんか楽しそうなんだけど?」
ようやく会えた息子との別れのはずなのに……、俺が首をかしげると。
「薬剤師の先輩がね、王都に行った息子が全然帰ってこないっていつも愚痴るの。でも彼女は、息子さんが王都で元気に暮らしてるって分かってて、それってすっごく幸せな悩みじゃない?ずっとうらやましかったのよ。今日から私もその幸せな仲間入りだわ。カイトがちっとも帰ってきてくれないの!って、目いっぱい愚痴れるわ」
へいへい、楽しそうで何よりです。
マルクスさん、母のことを頼みます。
キイナ、クイナ、ママの言うことをよく聞いていい子にな!
そう言って俺とリンもセルゲッカの街を出た。
「カイトママ、みんな、ばいばーい」
フィリオーネに戻る目的は、工場建設のための残りの木材調達の他にもう一つ。
ヨヒトとその家族の生活基盤を整えることだ。
実家が安定すれば、サナとユナももっと心穏やかに過ごせるだろう。
そのためには、ヨヒトに一肌脱いでもらう必要がある。
「風呂を作る?」
フィリオーネ領主ブラッドが驚いて俺を見た。
「うん、食事と衛生、睡眠。この三つ大事。従業員の労働環境が良ければ、それは生産性という形で最終的に工場の売り上げと利益に返ってくるんだ」
今俺たちはアーノルドから派遣されている設計者と一緒に、工場の施設の打ち合わせをしている。
先ほどリンと二人で山へ入り、残りの木材を調達してきたばかりだ。
「木材、やけに多いなと思ったら」
「男女交代で一日おきでもいいから、大きな風呂を作ろうよ。それと従業員寮は個室。個室が無理ならせめて二人部屋の真ん中をカーテンで仕切りたい」
この世界、従業員に個室なんて贅沢だ。
だけど、プライバシーは何としても確保してやりたいんだよ。
ブラッドは俺の意見を聞き、考え込んでしまった。
「この領では過酷な状況で働いている領民が多すぎる。この工場の環境だけ特別に良くしてしまったら、ここで働ける人とそうじゃない人の差が開きすぎるんじゃないか?」
「それも分かるけど、みんなが目標とする職場を作るのも領主の務めじゃん?製紙工場が軌道に乗ったら次は醤油工場、そしてその次。環境のいい職場をどんどん広げていけばいいんじゃないかな」
まいったな、俺より十歳以上若い青年に教えられてばかりだ、そうつぶやいてブラッドは最終的に俺の意見に賛同してくれた。
まあ、ぶっちゃけこれは俺の自己満足なんだよな。
出資する以上は、工場に顔を出した時に従業員の幸せそうな様子を見たいじゃないか。
この国全部は無理だけど、せめてここで働く人だけは暖かい布団で眠り、おなかいっぱい食べ、さあ今日も一日頑張ろうと言えたらいい。
俺自身、それだけが望みだったから。
いや、その望みすらあきらめていたのだから。
製紙工場が何とか形になりつつあり、次はヨヒトの家だ。
サナとユナの実家が、製紙工場の借金奴隷の生活より貧しいなんてあり得ない。
ヨヒトの家へ戻り、その周りに広がる畑を眺める。
広さは十分にあるのだ。
しかし、いかんせん瘦せた土地だ。
ここは前世の知識を活かして農地改革……、なんてそれは簡単な話ではない。
土壌、気候、どれをとっても不利な条件ばかりである。
これはやっぱりアレしかないか。
「ヨヒト、ここを大規模な養鶏場にする気はない?」
俺の隣でヨヒトが息を飲むのが分かる。
「養鶏場ですか?いくらカイト様の提案だとしてもさすがにそれは……」
「阿呆の養鶏場」ヨヒトがぼそりとつぶやいた。
そう、「阿呆の養鶏場」という言葉がある。
家族が借金奴隷になった金などを元手に養鶏を始めたものの、鶏を魔物に襲われて一文無しになる、そういう結末を迎える人のことだ。
この世界、卵は1個1ギルで売られているが、卸値は2個で1ギルだ。
鶏は2日で1個の卵を産むから、20羽飼っても1日5ギル程度の収入にしかならない。
その上、魔物に狙われやすいときている。
ハイリスク、ローリターンなビジネスなのである。
結果的に大規模な養鶏場はなく、比較的豊かな農家が40~60羽ほどの鶏を飼い、毎日20~30個ほどを売りに出す、その規模が一般的だ。
「魔物に襲われない頑丈な柵と鶏舎を建てる。そして千羽ほどの鶏を飼ったらどうだろう?」
「せ、千羽ですか。確かにカイト様から頂いた金はありますが……」
鶏の代金は雛なら10ギル、生育した鶏なら30ギルだ。
千羽で3万ギル。
今のヨヒトなら買える。だけど、同時に一晩で全滅するリスクもあるのだ。
「私にできるでしょうか……」
ヨヒトの眼が迷いで揺れた。
このままやせた土地でじゃがいもを育てていても貧しい未来しかない。
それは分かっていても、魔物のいるこの世界で大規模な養鶏場経営は一大ギャンブルなのだ。
「一人で頑張る必要はないよ。近所に生活に困っている農家もあるだろ?そういう人たちを雇って、手伝ってもらえばいい」
「私が人を雇うんですか?」
ヨヒトが驚いて俺を見る。彼にはそんな発想はなかったのだろう。
「確かに、この近所の農家の人は皆困窮しています。近所に仕事があれば助かる人も多いでしょうが……」
妻にも相談したいとヨヒトがいうので、家に入りヨヒト、イリスそしてお義母さんとでテーブルを囲んだ。リンはテーブルの上でミルクを飲んでいる。
ざっとの試算はこうだ。
木材は俺とリンが調達するので、鶏舎や柵の建設費は1万ギル程度。
鶏千羽が3万ギル。合わせて4万ギル。
サナとユナの契約金の半分が消える計算になるが、俺が出資するのではなく自分たちで捻出すればその後の収入はすべて自分たちのものになる。
1日に取れる卵が500個。250ギル。
集卵、餌やり、鶏舎の清掃、パララクルへの出荷、などは近所の人に1日5時間10ギルで手伝ってもらう。交代で5人が来てくれたとして1日50ギル程度。
エサは農家と契約し、卵や鶏糞と引き換えに人参の葉などの野菜くずをもらう。
製粉場とも契約して、小麦を製粉する際に出るもみ殻やフスマを格安で譲ってもらえば餌代は安くすむ。
「働きに来てくれる人に食事を出しても、1日150ギル以上の収入が見込めるよ」
「うまくいけば、ですよね?魔獣に襲われたら4万ギルが泡と消えます」
ヨヒトはまだ迷っているようだ。
「あなた、やってみましょうよ。このままここでじゃがいもを育てていても、この子が借金奴隷になる未来しか見えないわ」
ヨヒトより先に覚悟を決めたのは妻のイリスだった。
「それにお義母さんに毎日卵を食べさせることができたら、きっと元気になれるわ」
「そうだな……。このままではいけないとずっと分かっていても、なかなか一歩が踏み出せないでいたよ。よし、やるか!阿呆になるか!」
イリスに背中を押され、ヨヒトの覚悟が決まった。
「サナとユナの5年分が詰まった大事な金だ。魔獣なんかに持っていかれるわけにはいかない。絶対襲われない頑丈な鶏舎を建てるぞ!」
貧しい生活の中で家族を背負い、悲壮感がにじみ出ていたヨヒト。
その顔が希望に満ちた。
いい顔だ。
サナとユナの5年間は幸せな5年間にするけどな!
「ここが養鶏場になったら、卵かけごはんもすき焼きもいつでも食えるぞ、リン!」
「すきやき!」
そして俺たちは近い将来、新鮮な卵確保!




