過去の使徒
「歴史上、過去にも神獣とそれを従えた神の使徒が現れたことがある」
アーノルドが話し始めた。
この国では過去に何度か神獣と、その神獣が主に選んだ神の使徒と呼ばれる人が現れたことがあるそうだ。彼らはいつの時代も国や組織に縛られずに常に自由に生きていた。
それでも巨大魔獣が街を襲うようなことがあれば駆けつけ、街を救っていたとのこと。
ただ、すべてにおいて例外なく、彼らは歴史にその名を刻むことを拒み、ヒーロー物語として語られることも、小説の題材として残されることもなかったのだとか。
「最後に現れたのは110年前だ」
歴史に残っていないのにやけに具体的だな。
「その時は不死鳥フェニックスを従えた貧しい農民出身のリョージという男性だった」
うん?俺のカイトもそうだけど、なんか微妙に日本人っぽい名前?
「突如として現れた二十歳の青年は、フェニックスに乗って世界中を飛び回り、狩りをしながら自由に生きていたそうだよ」
70歳で亡くなるまでの50年間、自由に飛び回っていたので見たことがある人も多いし、実際に助けられた人も多い。亡くなったのは60年前だから、当時を知ってる人はもうほとんどいないが、親や祖父母から話を聞いている人も多いんじゃないかな。
だから記録に残っていなくても多くの人が神獣とその主のことを知っているんだ。
一口お茶を含んで、アーノルドは話を続けた。
「神の使徒に関してはもう一つ重要なことが伝えられている」
神の使徒は例外なく、不思議な知識を持っていたのだとか。
公式な役職に就くことはなかったが、国に様々な知恵を授け、この国の発展に寄与してきたそうだ。農業の灌漑設備や上下水道の整備、法の整備、農産物の品種改良など。
高級ながらも砂糖が気軽に買えるのも、過去の使徒のおかげらしい。
「リョージという人は、特にこの国の食の改良に大きく寄与された方だ」
それまでは塩味中心で焼くか煮るかだけだった料理を、彼が大きく変えたそうだ。
肉以外捨てていた魔獣のホルモンやタン、テールまでおいしく食べる方法、マヨネーズなどの各種ソース、コロッケなどの揚げ物が広く親しまれているのも彼のおかげなのだとか。
リョージは前世、料理人だったのか?
俺も簡単な知識はあるけど、どこまで再現できるか怪しいから助かったよ。
おかげで俺とリンの毎日には「おいしい」が溢れている!
「王都に行けば、彼がこだわったと言われる豆を使った調味料やコメという穀類もあるが、それはこの国ではあまり広まらなかったな。健康に良いとかで王都周辺では今でも作られている」
まじかー、味噌や醤油も作ったのかー!リョージさん、ナイス!
やはりぜひ王都に行かなくちゃ。
しかし110年前でマヨネーズやコロッケか。前世とこの世界では時間の流れ方が違うのかもしれない。
「神獣と神の使徒が巨大魔獣から救ってくれることは民にも伝わっているが、彼らが持つ知識に関しては秘匿されている。それを知っているのは王族と領主クラスの者だけだ」
「神獣と神の使徒が現れた場合、手出しをせずに見守るべしと代々言い渡されている。しかし、領主以外はそのことを知らされてないからな、先日のうちの臣下のような奴が現れる」
アーノルドが眉をしかめた。
「カイトと敬語なしで呼び合える仲になりたいと言ったのは、過去の使徒が領主や国王とそう呼びあう仲だったこともあるが……、今回の一件で我が領が国からおとがめを受けないための防衛策でもあった。すまない」
えーと、待って待って。国からおとがめ受けちゃう可能性があったってこと?
「リンってそんなにすごいんだ……」
俺の言葉を聞いてアーノルドが盛大にため息をついた。
「カイト、私の話を聞いていたか?すごいのはリンだけではない、カイトもだ」
いやぁ、俺何もしてないし、単なるド田舎出身のガリガリな男だし。
「カイトも何か特別な知識を持っているのではないか?」
アーノルドの目が鋭く光った。
うん、まあ、この世界よりは進んだ教育は受けてきたけどさ、すぐに何か役に立つとは思えないんだよな。
「いや、忘れてくれ。神の使徒に対して貢献を強要することは認められていないんだ」
慌ててアーノルドが自身の言葉を取り下げた。
「役に立てる知識があればそれを提供することは厭わないけど、今すぐ思いつくことはないんだよなー」
何か気づいたことがあればいつでも助言いただきたい。
そういってアーノルドは軽く頭を下げた。
「この先どこへ行っても変な奴は現れるだろうが、カイトとリンはこの国では守られるべき存在だから心配するなよ」
話のスケールが壮大になってしまった。
いったん忘れよう。うん、そうしよう。
話すべきことを話してすっきりしたのか、アーノルドが話題を変えた。
「午後は何をするんだ?」
「何をしよう?さすがにおなかいっぱいだし、もう少しコリンバースの街を見て回ろうかな?」
「だったら製紙工場を見に行かないか?ビルケッシュ家で経営している工場で、ちょうど今日の午後視察に行く予定だったんだ」
「ぜひ!」
この世界の工場ってどんな感じなんだろう。興味ある。
コリンバースの北のはずれにあるというその工場へは徒歩で30分以上かかる。
アーノルドたちは騎乗で、俺はリンに乗ってそこへ向かった。
広い敷地に大きな平屋の建物が3棟、2階建ての横長の建物が2棟建っている。
平屋の2棟が工場で、1棟が倉庫、2階建ては従業員の居住区だそうだ。
「従業員って……」
「主に借金奴隷だ」
やっぱり。
この国の奴隷制度は、犯罪奴隷を除くと借金奴隷しかない。
借金奴隷は最長5年という期間が定められており、終身奴隷は禁止。
金額も明確に定められ、雇用者は金銭の他に奴隷の衣食住を保証する義務がある。
奴隷になる際に支払われる金額は、
家事や店員などの軽労働は年4千ギル、5年で2万ギル、
農業や工場などの中労働は年6千ギル、5年で3万ギル、
鉱山や荷物の運搬などの重労働は年8千ギル、5年で4万ギル、となっている。
性奴隷もあり、重労働と同じく年8千ギル、5年で4万ギルだ。
軽労働と中労働は14歳から、重労働と性奴隷は16歳からという年齢制限もある。
年40万円から80万円で奴隷になるというのも悲しい話だが、この制度は奴隷になる側にとっても利点がある。
貧しい寒村では今でも冬には飢えと寒さで生き延びられない人たちがいる。
奴隷という身分になろうとも、住居が与えられ、毎日食事が与えられることにより救われる命があるのだ。
そしてこの金額は貧しい農民にとっては大金。残された家族がどれほど救われることか。
5年の年季明けに再度奴隷契約をする場合、そのお金は家族には支払われない。
家族が受け取ることができるのは最初の5年のみ。その後は本人の受け取りで奴隷契約を更新するか、月給制度の従業員契約を結びなおすかどちらかだ。
ほとんどの場合が従業員契約を結び、そのままそこで働き続ける。
奴隷というより5年間の奉公人って感じかな?
奴隷になる側にもメリットの大きい制度なのだ。
もちろん雇用者によってその待遇が大きく変わることは否定できない。
本当にぎりぎりの衣食住しか与えない雇用者もいれば、貧しい農村とは比較にならないほどの温かい部屋と十分な食事を与える雇用者もいる。
「うちの待遇はいいぞ。ぜひこの工場で働きたいという人が後を絶たない」
アーノルドが得意げに言う。
そうだな、働いている人の血色もいいし、活気もある。
やっぱ、アーノルドは領主としても経営者としてもいい奴なんだろうな。
この領は森林資源が豊富だが、木材のままでは運搬も大変だし大した収入にはならない。紙ならば運搬も容易だ。大規模に紙を生産して他の領に売り、現金収入にするのはなかなかいい考えだと思うよ。
大勢の従業員のために大量に購入する食糧や作業着なども、この地域の経済の活性化を担っていることだろう。
やるな、アーノルド。
なぜか上から目線になってしまったが、俺の誉め言葉にアーノルドはまんざらでもない様子だった。そして「経済のことも分かっているのか、さすがだな」と。
一棟目の工場には大きな釜がずらりと並び、原料となる木の皮をじっくりと煮ている。紙の原料となる糊もここでつくられているようだ。
その先には粉砕場。歯車を利用した大型の粉砕機があり、そこで大きく粉砕した後、木槌で丁寧に叩いていく。
二つ目の工場では数十人がずらりと並んで紙漉きを行っている。
その奥では漉いた先からプレスを行い、水分を抜いて圧縮していた。
ほぼすべて手作業だが、よくできている。
何より人件費が安い。
200人以上が働いているのではないだろうか?
「一日でできる枚数は?」
俺の質問にアーノルドが的確に答える。
「一日3千枚だ」
1枚は縦80cm x 横1mくらいのサイズだ。本にすれば1枚から20ページ分ほど取れる。
「1枚の値段は?」
「出荷額は1枚10ギルだ。小売りになればその倍以上だが」
前世の感覚からすればとても高いが、20ページ分で10ギルならこの世界では安い。
ざっと暗算してみる。奴隷たちの人件費や生活費を差し引いても、年間数百万ギル(数億円)の収入がアーノルドに入る計算になる。やり手だ。
とても計算された工場だが、手作業感が半端ない。
「まずは粉砕かな。木槌はさすがにアナログすぎる。今ある技術でもビーターなら作れるんじゃないかな?」
ビーター?アーノルドが首をかしげる。
「一言で言うと、すりつぶしてばらばらにする機械かな」
「それと紙漉き。それほど難しくない設計で、紙漉きとプレスが同時にできるはず」
自分で言いながら自分の言葉に驚く俺。これは何の知識だっただろう。
ああ、そうだ。自分の研究ではないが、前世のゼミで製紙の歴史を研究している奴がいた。
毎週ゼミ生が集まり、お互いの研究を深堀りしていた。
そいつと一緒に当時の機械を調べていたことがあったな。
うん、できそうな気がする。
「やっぱりすごいな、カイトは」
アーノルドが期待に満ちた目をして俺を見た。
「いや、できるかどうかわからないから、完成したら褒めてくれ」
まあ、まずは設計図を書いて後で渡すよ、そう約束した。
うまくいけば、ここの生産性は4倍になる。
それを聞いたアーノルドの側近がぼそっと漏らした。
「そうなるとここにいる人たちの四分の三が職を失うのか?」
その言葉をアーノルドが笑い飛ばした。
「そうなれば4倍作って売るだけだ。今は国を挙げて識字率を揚げる取り組みをしているし、公共の図書館を作る領も増えている。活版印刷の導入で、紙と本の需要は高まるばかりだよ。ただでさえうちの紙は他領より安くて人気なんだ。問題ないさ」
やっぱりアーノルドはすごいな。
続いて従業員である借金奴隷の生活を見させてもらう。
さすがに個室ではないが、一人一人ベッドと机があり、居心地のいい住環境が確保されていた。従業員に話を聞くと、
「ここは本当にいい職場です。1日3度、腹いっぱい食べられるだけでも昔の自分から見たら天国ですが、月に2回の休みがあり、借金奴隷にも月50ギルのお小遣いが渡されるんです。休みの日に屋台で好きなものを買って食べるのが最高の一日です」
あー、あそこか、それ最高に幸せだな!
「それでもその50ギルすら使わずにコツコツ貯める従業員が多いんだ」
アーノルドが眉間にしわを寄せているが、俺にはその気持ちがよくわかる。
腹が減って腹が減ってどうしようもない時代を経験してしまうと、1ギルは貴重だ。
今日は休みだ、イエイ!と気軽に使えるものでもない。
俺がそういうと、アーノルドは痛ましい表情をした。
「もう終わった話だから。俺は今、リンと一緒に毎日うまいものを食べ放題だよ」
「うん、カイトといっしょだと、まいにちおいしいよ」
工場見学の間中、ずっとポケットの中で寝ていたリンが突然会話に加わる。
リン、起きたのか。
そうだよな、ホント、今は毎日がおいしいよ。
この工場はできてまだ3年。
借金奴隷は基本的に5年契約をするから、2年後には大半が契約終了となるらしい。
「ほとんどみんな従業員契約を結びなおしてここで働き続けることを希望してくれてる」
アーノルドが楽しそうに笑った。
「その際には家族向けの寮も建てないといけないかな」
家族向け?工場内には粉砕や運搬をする男性従業員と、紙漉きをする女性従業員。
そして、若い人が多い。
そういうことね、工場内カップルが多そうだ。
うらやましいぞ。
俺の周りには既婚女性か男の冒険者ばかりだ。
「俺の出会いはどこにあるんだろうな……」
アーノルドの目がキラリと光った。
「うちの娘の婿に来るか?めちゃくちゃかわいいぞ!」
そりゃぁアーノルドの娘ならかわいいだろうよ。
「お嬢さんがいるんだ。いくつ?」
「7歳だ」
アウトー!
さすがに10年は待てないわ。
「一人娘だからな、将来は婿を取って女領主かなと思ってる」
アーノルドも若いんだからこの先まだ子供を望めそうだが、夫婦の数だけ事情はある。
それは聞かない約束だな。
「7歳のお嬢さんってのも、領主の伴侶ってのも、どっちも遠慮するわ」
そうか、残念だなー。カイトが婿に来たら、リンが城のアイドルになるのに、というアーノルド。まったく、どいつもこいつもリン目当てすぎるぞ。
城に泊って行けよと言うアーノルドの誘いを断り、暗くなる前に俺とリンはメイダロンへの帰途についた。
今日もまた新しい場所に行けて楽しかったな。
メイダロンを旅立つ覚悟が決まった一日でもあった。




