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踊り嫌いな子爵令嬢と精霊使いの王子さま。

作者: ルーシャオ

ちょっと長いですがお付き合いください。

 ——ああ、こんなところで負けるわけにはいかないのに。


 意識が途切れる前に、私はそう強く思った。観劇の最中、ステージ袖で激しい頭痛に襲われて突然倒れ、床に臥せながらも、私の目はステージ上に向けられていた。


 ステージの中央で踊る村娘ジゼルは、楽しく闊達(かったつ)に舞う。こちらに気付きもしないで、舞台ごと無情にも進行していく。私の気持ちも知らないで、私がどれだけそのステージに立つことを夢見てきたか、なぜ私は主役(プリマ)になれなかったのか。意識を奪うほどの痛みの中で、私は走馬灯を吹き飛ばすほどの執念で、ステージを見つめつづけた。


 三ヶ月前、私の頭の中に腫瘍が見つかったときには、もう手遅れだった。痺れで踊ることもできなくなり、皆が私を哀れんで「いつでも復帰できるように」と稽古場に来ることを許してくれた。回復の望みなんてないことを知っていながら、私はただただ自分が降りたステージに未練がましく縋りつき、勝手にライバル視していた同年代の主役(プリマ)へ嫉妬しつづけた。


 ——私に、もう少しだけ猶予さえ与えられていれば。


 ——どうして、私はいつも、主役(プリマ)になれないの。


 ——見なさい、主役(プリマ)が、ステージ袖で息絶えていく無名の代役なんて顧みるわけがない。


 心に渦巻く後悔と憎悪が、輝くステージに立つことが叶わなかったバレリーナの最期に残ったものだと誰が想像するだろう。


 ステージでは未練を残して死んだ精霊ウィリの群舞が始まる前に、私はあっけなくこの世を去ったのだった。




☆★☆★☆★☆★




 イスウィン王国には、貴族学校がある。初等部から高等部、大学まで備える、広大な学び舎だ。


 その校舎の一つ、初等部棟のレクリエーション室で、私——アリアン・カテナは制服のスカートの裾を握りしめて、俯いていた。ワックスで磨かれた板床の先には、十二、三歳の女子の同級生たちがスコート姿の体操着に着替えて、さっき教えてもらったばかりのダンスステップを確認している。


「アリアン、どうしても踊らないのね?」


 困ったような声をするのは、私の目の前にいる若い女性教師、フェネラ先生だ。フェネラ先生も良家の淑女で、賢そうに見える黒髪(ブルネット)をきちっと結い上げ、ずり落ちそうな黒縁メガネをかけていた。


 私は、目を合わせずに、こくりと頷いた。


「はい、フェネラ先生。私にはできません」


 生意気にも強情に聞こえるだろうが、私は断固として拒絶するほかない。


 私は、()()()踊りだけはできないのだ。今までも、授業であっても遊びでも一切の踊りを拒絶してきた。


 フェネラ先生は、何とかダンスの授業に参加するよう、私を説得しようとする。


「そうは言っても、皆に与えられた課題なのだから深刻に受け止めずに、軽く挑戦しても」

「落第でもかまいません。私は、踊りだけはできませんから」


 取り付く島もない私へ、フェネラ先生はため息を吐く。


 そこへ、金髪の長いおさげを二つ結った、友達のセセリアがヒョイっとやってきて、一丁前に嫌味を言う。


「強情ね、アリアン。そんなことじゃ舞踏会に行けないわよー?」

「セセリア、余計な口を叩かない。あなたが入ってくると話がこじれてしまうわ」

「はーい」


 フェネラ先生の言いつけに従い、セセリアはニマニマ笑いながら少し離れた。まったく懲りた様子はないが、いつものことだ。


 私の今までの拒絶ぶりも知っているだろうフェネラ先生は、早々に折れて代替案を出してくれた。


「まあ、いいわ。また後日、代わりの課題を出しますから、それはしっかりやってちょうだいね、アリアン」

「はい、申し訳ありません。ありがとうございます」


 私はできるだけすまなさそうに聞こえるよう、真摯に謝り、お礼を言っておいた。これでダンスの授業は回避できた、と内心胸を撫で下ろして。


 レクリエーション室の隅に移動する私の背中へ、セセリアがいつものように悪態をつく。 


「あーあ、フェネラ先生を困らせるなんて悪い子だ、アリアンは」

「あなたには関係ないわ」

「邪魔する気はないけどさ、本気? 言うまでもないと思うけど、踊りは貴族令嬢の必須スキルだよ? 踊り好きな精霊に捧げる舞は無理としても、バレエでも社交ダンスでも、初級のワルツでいいから覚えといて損はないと思うけど」


 余計なお世話である。私は振り返らず、独り言を呟くだけだ。


「どうでもいい。私には、できないんだもの」


 そんな私の声なんてかき消すように、同級生の女子たちは甲高い声ではしゃぎながら、つたないステップを踏んで楽しそうにしている。


 私は、どうしてだか、踊れない。


 うっすらと、物心ついたころから強制的に思い起こさせられる、ステージ上のダンサーに対する強い憎しみと憧れ。記憶にもなく、まったく思い当たる節のないそれはあまりにも深く、私の心を(むしば)んでいて、私に踊りを拒絶させるには十分すぎるほどだった。

 





 見学に徹していた授業後、気分憂鬱な私はフェネラ先生から、レポートの提出を命じられた。


「授業の課題の代わりとして、我が国の舞踏会の歴史についての概略を、レポートにして提出するように。量は用紙五枚以上です、できますね?」

「はい、分かりました」

「図書館に連絡を入れておきますから、司書のカーン先生に調べるための本を選んでもらってかまいません。頭脳明晰なあなたなら、カーン先生の薦めてくださる本も読めるでしょうし、期待していますよ」


 そう言って、フェネラ先生は私の肩を叩いた。言葉の端々に、気遣いを感じられる。


 今日の授業が終わり、午後の空いた時間に私は図書館へ向かった。


 学校の片隅にある図書館は、一応外部の学識関係者も利用でき、国内有数の蔵書数を誇る——のだが、貴族学校の生徒たちが積極的に利用するかというと——おそらく、学校生活で一度も利用せず卒業していく生徒のほうが多い。


 立派な施設なのに、実にもったいないことだ。


 常連の私はいそいそと図書館の扉をくぐる。たくさんの石像や彫刻作品が見下ろす吹き抜けの大理石の廊下を通り、突き当たりの小さなガラス扉を開けた。


 そこは生徒用の閲覧室だ。木製の分厚いカウンターには、片眼鏡(モノクル)の初老の男性がいた。いつも品の良いループタイを着用し、古びた新聞紙から切り抜きのスクラップ帳を作っている、司書のカーン先生だ。


 図書館で会話は厳禁、だけど閲覧室を利用するときは司書のカーン先生の許可を取る決まりだ。私は、カーン先生へそっと声をかける。


「フェネラ先生から、歴史書の閲覧許可をもらってきました」


 すると、カーン先生は顔を上げ、にっこり笑った。


「ああ、聞いているよ、アリアン・カテナ。歴史書の並んでいる奥の部屋は貴重書が多いから、水分の持ち込みは禁止、もし何かあれば私はここにいるから知らせるように。とはいえ、長居はしないほうがいい。眠くなるからね、寝ぼけて本を傷つけかねない」

「大丈夫です。一時間ほどで帰ります」

「そうか。まあ、貴重書さえ読める君に今更注意する必要はないな」


 そう言われて、私はちょっとだけ誇らしかった。


 どういうわけか、私は他人よりも学習能力が高いらしい。教わっていないはずの文字が読めたり、知らないはずのことを知っていたり、貴族学校に入る前から読み書き計算がしっかりとできた。


 その代わりなのか、時々見たこともない、薄ぼんやりとした記憶が突然浮かび、強い憎悪と後悔に苛まれることがある。息をすることさえ忘れるほどの、心が引き裂かれるような激しい感情が胸に渦巻き、どうしようもなくなるのだ。


 鏡面張りの部屋、どこかの劇場、着飾った人々の間にいる私の足は、例外なく舞踏用の靴を履いている。どれも『踊り』に関係するものばかり——そういうものを見るたび頭が痛くなって、遠ざからないと、と必死になってきた。


(先天的に何かを宿している、なんて騒がれたこともあったけど……そんなのないほうが良かった。それに、踊りなんてできなくたって死なないわ。忘れよう、早くレポートを書いて寮に帰らないと)


 私は思い出しかけたつらいものを頭の奥底へと押し込んで、閲覧室の奥へと一歩を踏み出す。


 ところが、私の背後で何だか盛大な音がして、ドタバタと誰かが閲覧室に走り込んできた。常日頃、図書館では聞かない騒音だ。驚いた私は、思わず振り返る。


 ちらっと見えた制服から、背の高い金髪の男子生徒であることは分かった。しかし、彼は素早く木製のカウンターを飛び越え、カーン先生の隣に潜り込んで隠れたのだ。


「カーン先生! ちょっと隠れさせて!」

「こらこらこら、クリュニー!」


 男子生徒は、すっかりカウンター下に入り込んでしまった。私がカーン先生へ視線を向けると、やれやれとため息を吐き、私へ「いつものことだよ」とつぶやいた。いつものことらしい。


 図書館では暴挙に近い行動だったが、カーン先生がかまわないのなら私が何かを言う必要はない。そう思って、ついと視線を逸らしたそのときだった。


 ガラス扉が破壊されそうなほどの、さらなる轟音とともに、副学長のマダム・バークレーが突撃してきた。本来なら厳格な中年の女性教師だが、今日は凄まじく取り乱し、閲覧室をぐるりと見回したあと、カーン先生に突っかかった。


「先生、こちらにクリュニーがいらっしゃいませんでしたこと!?」

「いえいえ、来ていませんよ。外で大きな音はしましたが」

「そう……失礼、ごめんあそばせ!」


 嵐のようにやってきたマダム・バークレーは、嵐のように去っていった。


 静粛な空間であるはずの図書館で何が起きているのか、さっぱり分からない私は驚いて立ちすくむ他ない。


 マダム・バークレーの足音が聞こえなくなってから、カウンター下から男子生徒が周囲を警戒するリスのように顔を出してキョロキョロとしていた。


 さらに驚かされたことに、その頭をよく見ると、男子生徒は綺麗な金髪の根元が水色に染まっていた。


(珍しい、()()()()()()


 髪の根元に水色が差すのは、先天的に『不思議なもの』を宿している証だ。


 私の黒髪も、実は根元に少しだけ水色が入っている。しかし、私の場合はツヤの多い真っ黒な髪に混じってほとんど気付かれないのだ。今のところ、家族以外に知られたことはないほど。


 とはいえ、目の前のクリュニーという男子生徒が何を宿しているかなんて分からない。誰のものかも分からない記憶を生来持ってしまっている私なんて、役に立たない上に意味が分からなすぎて家の外で喋れない、しょうもないものだもの。あまり聞いてはいけないことかもしれないから、私は見なかったことにしようとした。


「ふう、助かった。もうちょっとここに隠れてるんで、大丈夫お気になさらず」

「やれやれ。暇ならこの子に歴史について教えてやりなさい。あと、高いところの本を取ってあげてくれるかい」

「お安いご用だ。ほんっと助かるよ、カーン先生」


 なぜかカーン先生とクリュニーの間で、私をよそに話が進んでいる。


 クリュニーという男子生徒は、のそりとカウンターから出てきて、私の横に立った。私より、身長が頭一つ半ほども高い。


 ちょっと伸びすぎた綺麗な金髪を掻き上げて、彼は私へ右手を差し出した。


「おいで、お嬢さん。俺はクリュニー、高等部のイングラム・クリュニーだ」


 握手を求められ、私はおずおずと右手を差し出す。高等部の生徒なら、十七、八歳くらいだろうか。握られたひと回り以上大きな男性の手は、思ったよりも温かい。それに——。


(右手、五本の指の先まで水色の紋様がある。もしかしてこの人、すごい魔法使いとか、そういう……?)


 水色は不思議なものの証で、血の赤色と対になる神聖な色だと聞いたことがある。体にその色を宿す人間となると、おとぎ話や伝説に出てくる偉大な力を持った人物くらいだ。


 それでも、私は反射的に美しい紋様から目を逸らし、手を握り返した。


「初等部のアリアン・カテナです。よろしくお願いします」

「よろしく。何をお探しだい?」

「イスウィン王国の舞踏会の歴史を」

「ふぅん、分かった。座って待ってて」


 手を離して、すぐにクリュニーはパチン、と指を鳴らした。


精霊ちゃん(ジーナ)、舞踏会の歴史の本を出してくれ」


 虚空にそう命じると、宙を漂う半透明の何かが、現れた。


 水色の透き通る体をした、薄羽を持ったクラゲのようなもの。頭ほどの大きさのそれを、本が好きな私は知っている。


「すごい、精霊だわ」


 空中を滑るように、くるくると私とクリュニーの周囲を回った精霊ジーナは、奥の本棚へと飛んでいく。


 一方、クリュニーはというと、はにかんで私へ尋ねてきた。


「その反応は新鮮だなぁ。精霊は初めて見る?」

「はい。クリュニー……さんは、精霊使い(エレメンタ)なんですね」

「おっ、博識だね、お嬢さん。先天的に精霊と契約して生まれた人間は、精霊を使役することができる。日常の小間使いから魔法を使わせることまで、応用範囲はなかなかに広いよ」


 褒められて素直に嬉しそうな顔をするあたり、クリュニーは可愛らしい性格をしている。


 年上なのに同年代くらいの男の子っぽいクリュニーの笑った表情が何とも愛らしくて、私が釣られて口角を上げていると、あっというまに帰ってきた精霊ジーナが私とクリュニーの間に現れ、自慢するように古い大判の本を見せびらかしてきた。


「わっ! あ、ありがとう、助かっちゃった」


 私が本を受け取ろうとすると、精霊ジーナは細長い足の一本を伸ばして私の腕に絡め、閲覧用のテーブルへと誘った。私の小柄な体で大判の本を持つのは大変だろう、とばかりにテーブルへ置き、私のほっぺたに軽く頭を当ててからクリュニーのもとへと戻っていく。


 何とも親切な精霊だ。そう思っていたら、クリュニーが感心していた。


精霊ちゃん(ジーナ)が懐くなんて珍しいね。精霊は好き嫌いが激しいから」

「へぇ……嫌われてなくてよかったです」


 何が好かれたのかはさっぱりだが、私は可愛らしい精霊ジーナのお眼鏡に適ったようだ。


 私はクリュニーとともにテーブルの椅子を引いて座り、大判の本をゆっくりと開く。すでに読んだことがあるらしいクリュニーと精霊ジーナは、さっさとページをめくっていく。


「はいはい、このページからだね。どうぞ、ここから読んでいこう。我が国の舞踏会は、国一番の踊り手が精霊に舞を捧げたことから始まり——」


 一時間あまり、私は精霊ジーナとクリュニーの講義に耳を傾けた。知っていることもあれば、知らないこともあり、クリュニーはどうやらイスウィン王国の歴史に詳しいらしかった。


精霊使い(エレメンタ)ともなれば、王国中を探したって一人二人いるかどうかだし、クリュニーさんはきっと将来は王城に仕えることになるんだろうなぁ……)


 そのあたりのことを尋ねようにも、性格的に私はお喋りではないから聞くのは躊躇われた。今は講義の時間、と割り切って、精霊ジーナが頭の上に乗っかっているクリュニーの話を真剣に聞く。


 やがてクリュニーに礼を言って閲覧室で別れ、女子寮に帰ってからレポートに取りかかった私は、するすると頭の中から紡がれる文章をそのまま書き写すだけで完成させてしまった。クリュニーの講義のおかげで、舞踏会の歴史に対する理解度が私の中でかなり深まっていたのだ。


 夕食前に終わってしまったレポートの用紙の束を前に、私はひとつ伸びをして、余裕を持てたことに安堵のため息を吐いた。


 まったくもって、クリュニーと精霊ジーナ様々だった。今度、お礼をしよう。


 頭を使ったことですっかりお腹が減った私は、女子寮の個室を出て、食堂へと向かった。

 

 

 

 

☆★☆★☆★☆★

 

 

 

 数日後、午前の授業を終えて教室から出ていこうとした私を、フェネラ先生が嬉々として呼び止め、褒めちぎってくれた。


「アリアン、先日のレポート、素晴らしかったわ。舞踏会の歴史について、簡潔かつ要点を押さえた文章、最高学年とはいえ初等部の生徒が出すものとしてはトップクラスの出来よ」

「ありがとうございます。貴重書の中から本を探すのを手伝ってくれた先輩がいらしゃったので、私の力だけで完成させたわけではなくて」

「ああ、カーン先生からお話は聞き及んでいるわ。それでもあなたの頭脳があってこそよ」


 大層な褒めっぷりだが、普段は厳しく添削してばかりのフェネラ先生には滅多にないことだ。それほどにクリュニーと精霊ジーナが手伝ってくれたレポートの出来がよかったのだろう、そう思うと私も悪い気はしない。


 ただ、フェネラ先生は念のため確認に、と私へこう問うた。


「ねえ、アリアン。本当に、踊りはできないのね?」


 それまでの褒められた喜びはさあっと冷めて、私はまた俯いた。考えるのも語るのも嫌な、私にとっての『踊り』をどうしても話さなければならないようだった。


「……はい。信じていただけないかもしれませんが、踊ろうとしても、踊れないんです」


 身に覚えのない記憶やあの激しい感情のことは隠して、私はそれまで克服のためにやろうとしたことをそのまま伝える。


「何だか、怖くて。最初のステップさえ踏めないんです。目の前で実演してもらって、同じようにやろうとしても、体が動かなくて、震えてしまって……どうしてだか、自分でも全然分からないんです」


 かつて私は、実家のカテナ子爵家の屋敷で、母や家庭教師に教わりながらステップを踏もうとした。しかし、その一歩さえもできなかったのだ。子どもなりにまともなダンスステップを踏もうと躍起になったが、結局は泣きながら母の胸に抱きつく有様だった。


 今となっても、それは変わらない。あの見知らぬ記憶や激情を怖がり、私の体は『踊り』を拒絶していた。


 よほど私の言葉が真に迫っていたのか、やがてフェネラ先生は私の説得を諦めたようだった。


「分かりました。単位自体の免除はできませんが、レポートの提出でよしとしましょう。けれど、そこまで酷いのなら、ご家族には相談したの?」

「はい、でも」

「そう……もし私にできることがあれば力になりますから、遠慮なく相談しなさいね。ごめんなさい、つらいことを聞いてしまって」

「いえ、わざわざありがとうございます。それでは」


 フェネラ先生の気遣いに感謝し、教室を出てひとけのない螺旋階段を降りようとしたところ、後ろから誰かが私の体にぶつかってきた。


 慌てて手すりを掴み、私は階段の途中で振り返る。


 螺旋階段の数段上に、三人の同級生たちがいた。そのうちの一人、白に近い金髪の少女が、高圧的な嫌味を口にする。


「あら、鈍臭いわね。嫌だわ、触らないでくれるかしら。踊り下手が移ってしまうわ」


 くすくすと他の二人は笑っているが、私は至極冷静にこう思った。


(ぶつかってきたのはあなただし、階段の上のほうから落ちたら怪我じゃ済まないから、何というか稚拙……子どもの考えることっていうか、うん、言わないでおこう)


 もちろん突き飛ばされた怒りがないわけではないが、あまりにも高飛車な少女——エミリアナとその取り巻きが馬鹿なことをしているため、白けてしまった。


 それはさておき、私が返事をしなくても彼女たちは勝手に話を進めていた。

 

「エミリアナ、かわいそうよ。足が動かないそうだから放っておいてあげなさいよ」

「ふふ、そうね。ごめんなさい、望んでそうなったわけではないでしょうに」

「そうそう、だって、貴族なのに踊りのステップさえ踏めないなんて、ねえ? 不思議だわ」

「ご家族だってさぞ嘆いてらっしゃるでしょう? あらあら、そういえば、カテナ子爵閣下はあなたのことなんて興味がないのかしら?」

「お母上はメヌエットの名手なのに、娘はこれだものね」


 これは——もしかして——嫌味を言っているつもりなのだろうか?


 思わず私はキョトンとしてしまった。だって、ほら。


(この人たち、私のことすっごく詳しい……何でそんなに興味があるんだろう、不思議。いや、多分、大人たちのモノマネをしてるんだろうけど、咎めたって何も分からなさそうだから、反論するだけ無駄よね……)


 もしここにセセリアがいれば、私が止めるのも聞かずエミリアナたちへ突っかかって行くだろうが、幸いにして今日は家の用事で欠席していた。


 十二、三歳の少女たち、それも貴族令嬢として蝶よ花よと育てられた彼女たちは、精一杯背伸びをして、早く大人の淑女の仲間入りをしたいのだ。別にエミリアナたちだけではない、他にもそんな生徒たちはごまんといるから珍しい話ではない。噂話を仕入れたらすぐ話したくなる、という幼稚な思考も手伝って、この類のモノマネ失敗談は枚挙に(いとま)がないのだが、それは言わぬが花だ。


(まあ、踊りができないっていう欠点が目立つ私が標的にしやすかった、というのもあるだろうし……それ以上に、生粋の貴族令嬢からすれば私の実家、カテナ子爵家が新興だから気に食わないってこともあるでしょうね)


 私だって自分のことはそれなりに客観的に見ている。こんなしょうもない、色々と付け入る隙を与えたほうが悪いのだ、ということも知っている。


 だから、私がさっさと螺旋階段を下りようとしたそのとき、エミリアナが引き留めた。


「お待ちになって」

「何? まだ何かあるの?」


 エミリアナの勝ち誇った顔に、嫌な予感はしていた。


 ただ、どれもこれも、私に止められることではなかっただけだ。


「まだ確定ではないけれど、あなたにも知る権利はあるから教えてあげるわ。先日、カテナ子爵が我が家にいらっしゃったの」

「お父様が……?」

「ブレッツィ伯爵家とあなたの婚約の話がまとまらなかったから、代わりに私を紹介してくださることになったわ。だから、私がブレッツィ伯爵家の次男シルベリオ様と婚約する方向で調整しているの」


 これには、今の今まで冷静だった私も、「はあ?」と声を荒げてしまった。父の動向も、婚約の話も、初耳だったからだ。


 しかし、突然のエミリアナの吉報に取り巻き二人が甲高い声を上げて祝福しはじめたおかげで、幸いにも私の声は届かなかったようだ。


「そうなの? エミリアナ、おめでとう!」

「シルベリオ様って中等部にいらっしゃる、ハンサムな方よね? 学期末の成績優秀者にも名前があったわ!」

「将来有望な方じゃない! おめでとう!」


 私が見上げる階上では、三人の少女たちがキャッキャと喜びを分かち合い、あまりのことに私のことなどもう視界に入っていない。本当に彼女たちは何をしに来たのか、嫌がらせという目的を忘れていないだろうか。


 蚊帳の外にされ、一抹の寂しさを感じながら、私は捨て台詞を吐いておいた。


「そうなの。教えてくれてありがとう、それじゃ」


 多分、彼女たちは私の言葉なんて一切聞いていない。始まる前に終わった婚約よりも、これから始まるであろう婚約のほうが喜ばしいことだから。


 私はできるだけ何も考えないよう、足を動かし、昼食も食べずに静かな場所を探し求めた。


 このとき、私は早めに気付いたほうがよかったと思う。——私も、意外とショックを受けているのだ、と。




☆★☆★☆★☆★





 食堂のランチを食べたい気分ではなかった私は、学校内にいくつもある遊歩道、そのうちの一つに向かった。女子寮と校舎を繋ぐ道は、帰宅時間帯でもないかぎり人は少なく、ましてや少し外れた林の散策道は誰も来ない。


 私は、どこかのアーティストが作ったという背もたれの高いベンチに座った。石膏細工のベンチは、三人くらい座れる幅がある。端には分厚い肘置きもあって、意外と居心地はよかった。


 私は柔らかなカーブを形作った背もたれに背中を預け、力を抜く。時折鳥の声が消えるほかは、実に静かなものだ。空は快晴、冬を間近に控えながらもポカポカ陽気だ。


 そんな素晴らしい環境にも関わらず、私は大きなため息を吐く。


 ついさっき聞かされた、始まる前に終わった婚約、ブレッツィ伯爵家子息シルベリオ、父のカテナ子爵が婚約を辞退してエミリアナの家に婚約を譲った——そんな一連の話を思い返すと、情けない気持ちになってきたのだ。


(私が、貴族令嬢らしくなくて、踊れないから……お父様もこれは婚約なんかできない、って思ったのよね。階段で突き飛ばしたことはともかく、エミリアナは悪くないじゃない。私がお父様の期待に添えなかった、ただそれだけよ)


 ただ、たとえそれが事実だとしても、すんなり受け入れられるとは限らないのだ。私はしっかりと落ち込んでいて、自分の不甲斐なさに嫌気が差していた。


 結婚は貴族の義務だ。それを果たせない貴族令嬢なんて、何の価値があるだろう。そんなふうに世間は見るだろうし、私の味方をしてくれる母以外はきっと私へ失望しているに違いない。


 そうやって暗い暗い世界に落ち込んでいく私へ、ベンチの裏から朗らかな声がかかった。


「何しているんだい、アリアン」


 ごく最近聞き覚えのある青年の声に、私はすぐに応答する。


「それはこちらのセリフです、クリュニーさん。また誰かから逃げているんですか?」

「そうね、うん、そうなるね、遺憾ながら」


 逃亡中との指摘に、クリュニーは否定しなかった。図書館でのことと言い、一体全体何から逃げているのかは分からないが、この青年も大概何かをやらかしているに違いない。


「浮かない様子だけど、何かあった? いや、俺が聞いていい話なら聞くけど」


 私の様子を見かねてか、クリュニーに気遣いをさせてしまった。のそりとやってきてベンチに座るクリュニーは、まんまるい青色半透明な精霊ジーナを抱きしめていた。


 精霊ジーナは私へ細長い足を一本伸ばして、私も左手の人差し指を足の先端へとつんと合わせてみる。すると、精霊ジーナは喜んでいるのか、何度もつついて、それから指に足を絡めた。


 精霊ジーナのおかげで和んだ私は、少し悩んだが、変わったり減ったりするものでもないし、自分でもその事実を受け入れるために、クリュニーのお言葉に甘えて口に出して説明してみることにした。


「婚約の話が流れてしまって」

「うん? ん? 君の?」

「父が、えっと……カテナ子爵ってご存じですか?」

「あー、うんうん! あの鉄壁将軍? あれ、君の名前……アリアン・カテナだったか、なるほど」


 こくり、と私は頷く。


「ご存じのとおり、父は一代で貴族の身分となった軍人です。だから、私には由緒ある貴族の家に嫁いでほしいといつもおっしゃっていて、ブレッツィ伯爵家と交渉していたそうなんですけど」


 私の父、カテナ子爵ステファノは元は平民で、隣国との戦争で際立った武勲を挙げたことによってカテナ子爵家を創立した軍人だ。何でも、百人で国境の砦に立て籠もり、数万にも及ぶ隣国の大軍の侵攻を二ヶ月にわたって防いだそうな。


 そんな父は、没落貴族の娘である母ジュディッタと恋に落ち、母を迎えるために武勲をアピールして貴族の身分を得て結婚を果たしたらしく、何かと苦労したそうだ。貴族の身分にこだわりがあり、だからこそ娘の私を同じ貴族に嫁がせたいと思っているだろう。


 しかし、実際には、私は貴族の婚約にまったく向いていなかった。


「なるほど、ブレッツィ伯爵家といえば確かに歴史ある名家だ。それで、婚約の話は成立せず、と?」


 クリュニーの指摘に、またしても私は頷くしかない。


「多分、私がダンスを踊れないから、貴族令嬢として問題があるから、父は他の家にブレッツィ伯爵家の子息を紹介して、そちらで婚約が決まりそうだという話です」


 ここまで話して、やっとクリュニーは私が落ち込んでいる理由を察したらしく、目を泳がせ、言葉を選んで、私を慰めてくれた。


「何というか、傷つくかもしれないが、貴族の家同士の話っていうのはそういうものだ。気にしないほうがいい」

「そう思います。でも、やっぱり、父も私のような娘は嫌なのだろうと思うんです」

「踊りができないからって? ただそれだけで? 見てみなよ、精霊ちゃん(ジーナ)だって怒ってる」


 クリュニーが両手で持つクラゲ型の精霊ジーナは、横に引き伸ばされて細長い足を何本もばたつかせ怒っているようにしか見えない。しかし、細長い足の一本は、私の指に絡まりぎゅっと握って、まるで励ましてくれているようだった。


 ただしクリュニーは言葉を選びすぎて、あろうことか豆知識でお茶を濁そうとしていた。


「このあいだの歴史書で見たと思うんだが、大昔は舞踏会は精霊のための舞を競うためのものだった。他国の影響で、次第に王侯貴族の男女の社交界になってしまったけど、元は精霊と波長の合う卓越した踊り手を探すための場でもあったんだ——って、うぅむ、すまない、慰めるのは慣れてなくて」


 うっかり私は、そうですね、と相槌を打ってしまうところだったが、何とか未遂に終わった。


 気まずい空気が漂い、私とクリュニーは精霊ジーナをもて遊び、緊張がほぐれるまで無言だった。次第に精霊ジーナも触られすぎたのか、クリュニーの手から逃げ出して空中をぷかぷか浮き、太陽光が半透明の青い体で柔らかく分散されていた。


 私は、気遣ってくれたクリュニーに礼を言おうとする。


「クリュニーさん、話してしまった私が言うのもあれですけど、本当にお気遣いなく」

「ごめん……よし、気晴らしに他のことをしよう!」


 妙案でも思いついたらしく、クリュニーは閃いたとばかりに指を鳴らす。


「アリアン、ひょっとして舞踏会に出たことは……ないね?」


 ——そんなもの、あるわけがない。他人の踊りを見ることすらできないのに。


 その言葉を、私は意地を張って、口に出せなかった。だから、私の気持ちなど知らず、クリュニーはすみやかに話を進めていく。


「よし、ちょっと見に行こう。後学のためにも、見ておいたほうがいい」

「そんなこと、できるんですか?」

「正面から行くわけじゃないよ。こっそり見せてもらうだけさ。夕食の後、図書館に来てくれ。前と同じところだ、カーン先生には話を通しておくから」


 言うだけ言って、クリュニーは精霊ジーナを呼んで、一目散に校舎の方角へと走り去った。


 残された私は、ちょっとだけ考える。


(断ればよかったけど……でも、何でだろう、舞踏会を一度見てみたいって思ったのよね。踊りなんて見たくもないのに、どうかしてるわ、私)


 その自分のほんのちょっとの変化を、私はああでもないこうでもないと悩んで、自分の考えに納得が行かないまま、夕食後を迎える。


 すっかり明かりが灯った女子寮から抜け出し、暗がりの小道を歩いて図書館へ。慣れた道だから怖くはないが、閲覧時間はもうすぐ終わってしまう。大丈夫だろうか。


 私はいつもより薄暗い閲覧室の扉を開き、木製の分厚いカウンターの中にいるカーン先生へ声をかけた。


「あの、カーン先生……すみません、クリュニーさんに呼ばれて」


 大型ランプを前にしたカーン先生は、私を見ると手にしていた仕事を切り上げて、腰を上げる。


「ふう、クリュニーに付き合うのも骨が折れるだろう。気にしなくていい、そこで待っていなさい。お茶はどうだね?」

「少しだけ、いただければ」

「了解」


 カーン先生は背後に隠されている暗色のカーテンを開いて、司書室へと入っていった。普段カーン先生が休憩したり、常連客の生徒とお茶会を開いていると言われる小部屋だ。


 そこから、カーン先生は陶器のカップをソーサー付きで一つ、持ってきた。ちゃんと蓋と細いスプーンまであって、角砂糖二つと指先ほどのミルクポットも載っている。図書館で水けのあるものを、と私はちょっといけないことをしている気分になったが、カーン先生はこう言った。


「ここでは本を読んで悩んで頭を使うから、どうしても甘いものやお茶が欲しくなるんだよ。勉強で疲れ切った生徒を見かけたら、司書室でお茶会に誘ったりね。カウンターの上ならお茶くらいは目こぼしするから、心配しなくていい」


 なるほど、と私はようやく納得して、木製の分厚いカウンターの上にソーサーを置き、お茶をいただくことにした。蓋を開けると、蜜がたっぷりの花のような香りが広がり、並々と注がれたストレートティーの水面が揺蕩う。


 私はまず、一口だけ飲んでみた。ちょっとだけ苦味があるものの、すっきりとした味わいだ。お茶会のお菓子の甘みを流し、どんどん食べさせてしまう高級な紅茶の魅力が詰まっている。


 そこへ、角砂糖を二つ、それからミルクポットの牛乳をカップへそろりと入れて、細いスプーンを前後に揺らす。茶透明な水面はみるみるうちに濁り、すっかり牛乳と角砂糖は混ざってしまった。


 甘く、まろやかなミルクティーは、私の乾いた口の中と喉を潤す。どうやら緊張していたようで、このとき初めて私は、胸中のぼんやりとした不安を自覚した。


(舞踏会に行くことが不安? それとも、クリュニーさんが信用できない? 踊りを見ることも嫌なの? ……自分でも、全然分からないわ。いいえ、漠然としてる不安なんて何だか座りが悪いし、いい機会だから、あの『記憶』と『激情』に向き合わなきゃいけないわ!)


 私は、そっとカップをソーサーに置いて、穏やかな水面を見つめていた。


 考えごとは得意だ。でも、自分の気持ちに折り合いをつけることは、あんまりしたことがない。特に、踊りに関する『記憶』と『激情』とは、ずっと喧嘩してばかりだった。


 とはいえ、何かが突然閃いたり、妙案が浮かぶわけではないので、私はぼうっとしつつ思考を巡らせる。そんな私が黙っていても、カーン先生は咎めることなく、カウンター内の椅子に戻って腕を組み、天井を見上げながらひとりでに語りはじめた。


 この場にいる私とカーン先生の共通の話題といえばそう——クリュニーのことだ。


 カーン先生はクリュニーについてよく知っているらしく、やや擁護気味に——多分、普段は何かをしでかしてばかりなのではないだろうか——顔のしわ深く苦笑しながら語る。


「クリュニーは、強引だが悪い人間ではないよ。あれでもすでに王城へ出仕している宮仕えの身だ、常識もマナーも責任感もある真っ当な男だから、君を騙したり落ち込ませたりはしないだろう。そこは保証しておこう」


 ——若くして王城に出仕するほどの人物に対して保証することなのに、「ろくでなしではない」ことしか分からないのはどうなのだろうか。そう思ったが、私は黙っておいた。私がクリュニーについて、この貴族学校の生徒であることと精霊使い(エレメンタ)であること以外よく知らないことは間違いないのだから。


精霊使い(エレメンタ)というのは、神話や伝説に出てくるような万能で偉大な魔法使いのようなイメージを持たれやすい。実際、クリュニーは才能豊かな精霊使い(エレメンタ)で、いずれはこの国の上層部に重用されるだろうが、その前に精霊集めの旅に出なければならない。集めた精霊次第で、精霊使い(エレメンタ)ができることは大きく変化するからね。今では外交官の身分で諸国を巡れるとはいえ、語学に教養マナーと何かと上流階級のスキルが要求されるし、そもそも精霊との交渉はなかなか骨が折れると聞く。一筋縄ではいかないことだろう」


 カーン先生の話は、私が半分くらいは知っていて、半分くらいは知らなかったことだ。


 イスウィン王国では文字が発明されるより昔から、精霊使い(エレメンタ)が尊ばれてきた。ある精霊使い(エレメンタ)は未来を予見する予言者として名を馳せ、ある精霊使い(エレメンタ)は常勝不敗の軍師として語り継がれている。それらは精霊使い(エレメンタ)として精霊を使役して得た能力であり、使役する精霊の力が大きければ大きいほど、使役する精霊が多ければ多いほど、精霊使い(エレメンタ)が実現できることは飛躍的に増えていく。


 ただ、今となってはおとぎ話の要素が強く、現代でも精霊や精霊使い(エレメンタ)実在しているとは信じていない人も多いのではないだろうか。王城に重用されるといっても、あくまで祭祀として、儀礼的なもの……そう認識している王侯貴族のほうが一般的だろう。


 つまりは、クリュニーはこれから先精霊使い(エレメンタ)として、実際に精霊を集めに行かなければならない。王国のバックアップはあっても、上流階級としての振る舞いを強いられるのだから大変だ。それに、あの精霊ジーナ以外にも各地に精霊はたくさんいるだろうから、許される時間の中でどれだけ精霊を集められるかはクリュニー次第ということだ。きっと、長い旅になるだろう。


 想像もつかない旅路に思いを馳せて、私はクリュニーの背負っているものを少し知った気がした。


「そう、なんですか……大変な責務があるんですね」

「ああ。持って生まれた才能ゆえとはいえ、今となっては精霊に捧げる舞の踊り手がいない精霊使い(エレメンタ)は苦労するだろうからね」


 精霊に捧げる舞、と聞いて、私ははたと思い出した。


 そういえば、昼間にクリュニーが「精霊のための舞」について何か言っていた。精霊と、よりによって私の苦手な『踊り』に関係があるなんて。


 それについて、私はカーン先生に尋ねようとしかけたが、閲覧室の扉が突然開いたことで中断した。

 

 待ち人来たり、フード付きコートを目深に被ったクリュニーが、フードと水色がかった金髪を掻き上げながら閲覧室へ入ってきたのだ。


「お待たせしました、遅くなってすまない」


 やってきたクリュニーと入れ替わりで、カーン先生は木製の分厚いカウンターから出てきた。


「さて、私は少し席を外す。ここの鍵は閉めておくからな」

「ありがとう、カーン先生! よっ、気遣い上手!」

「図書館では静かにしなさい」


 そう言いつつも、微笑みながらカーン先生は閲覧室から出ていった。カタンと『開室中』の札が裏返される音がして、足音は遠ざかっていく。


(あれ?)


 そもそも舞踏会に行く、という話だったが、閲覧室は閉じられてしまった。


(どういうこと?)


 おそらくカーン先生はクリュニーが何をするか分かっているから閲覧室から出ていったわけで、今からここで何が始まるか知らないのは私だけということだ。


 私が不安げな視線を向けたにもかかわらず、クリュニーはまったく見ていなかった。なぜなら、空中にくるくると右手の指先で円を描き、()()()()()()()()()()()()だ。


精霊ちゃん(ジーニー)、おいで」


 クリュニーの声に応じるように、指先で描かれた円の中から、ぷるんと赤い球体が雫のように落ちてきた。


 赤い半透明の精霊ジーニーは、少し身震いすると、まるで花弁のような八枚の羽根を丸い体の周りに浮かべた。よく見るとそれはぷるぷるとしたもので、本体と同じ色をしている。


 しかし、空中に浮かんでいた精霊ジーニーはそのままクリュニーの顔に勢いよくぶつかり、勝手に跳ね返ってまたクリュニーの胸元にぶつかる、を繰り返していた。精霊ジーニーなりのスキンシップだろうか、それにしては精霊ジーナと違って過激だ。色が青と赤だから対照的なのかもしれない。


 その精霊ジーニーは、ふよふよと私のほうへやってこようとしていた。同じようなスキンシップをされる、と私は咄嗟に身構えていたが、その前に精霊ジーニーはクリュニーの腕に捕まって、本来の仕事に使役されたのだった。


「ではさっそく。精霊ちゃん(ジーニー)、扉を繋いでおくれ」


 精霊ジーニーはクリュニーにポイっと前へ投げられた瞬間、本棚ほどの大きさに膨らんだ。その腹……腹なのか胴体なのか、真ん中にクリュニーが右手を突っ込み、くるりと回すと波紋のように空間ができ、人一人を余裕で飲み込めそうなほのかな赤い光に包まれた面が生まれる。


 精霊ジーニーの面の向こう側は、閲覧室の壁があるはずなのに、見えない。そこへ、クリュニーが呆然としている私の手を掴み、引っ張っていく。


「行こう。お手を拝借」

「は、はい」


 されるがままに、私はクリュニーの後をついていく。精霊ジーニーの腹であろうほのかな赤い光の面に、二人で突入した。


 そうしてくぐって足を踏み締めたとき、私はすぐに図書館の閲覧室ではない場所にやってきたことが分かった。


 なぜかって? ——だって、足元は緩やかな斜面で、なおかつ人が歩くようにはできていない銅板の緑青瓦がずらっと波打っていたからだ。少し視線を周囲に泳がせれば、近くにはいくつもの尖塔や貴族学校よりもはるかに広く高い建物、遠くには地平線まで広がる街並みがある。


 夜空の下、私はどこかの広い広い屋根の上に立ち、目の前にはクリュニーと塔のような建物の窓辺がある。豪奢な金細工の窓枠は見事なもので、大貴族の邸宅でだってそうはお目にかかれそうにない。そんな美術品というべき代物が、窓という窓に施されているのだ。


 そして、窓の向こうには、下がある。賑やかでシックな音楽は、なぜか私は聞き覚えがあった。耳にするだけで体が動きそうになる、ダンスのための管弦楽。


(踊れないのに、踊りたくなるなんておかしな話だわ。なのに、私はこの曲が踊りのための音楽だって知っている。聞いたことないはずなのに)


 であれば、目の前の塔の階下で行われているのは間違いない、舞踏会だ。


「クリュニーさん、ここは?」

「我がイスウィン王国が誇る王城、その一番広い大広間……の屋根の上さ。そこの窓から下を見てごらん。大丈夫、下から俺たちの姿は見えない。ああ、落ちないよう気をつけて」


 クリュニーはさも当たり前のように振る舞っているが——精霊ジーニーの力で、私とクリュニーは図書館の閲覧室から王城の屋根の上へと瞬間移動したようだった。そんな魔法みたいなこと、と思いつつも、実際に起きてしまったことだから信じるほかない。


 それに、私は階下の音楽に惹かれていた。そろりと窓に手を当てて、階下を覗き見る。


 黒の燕尾服の紳士と、白や赤のドレスの淑女が、十何組も優雅にダンスを踊っている。上からでは顔は見えず、それぞれの髪の色くらいしか分からないが、きっとやんごとない家柄の貴族たちばかりなのだろう。技術の上手下手はあっても、皆華麗に踊っているように見せることには長けている。それに、失敗したところで彼ら彼女らは笑い合って、楽しげに話に花を咲かせることだろう。


「舞踏会っていうのは名ばかりで、実際はほとんどの参加者は談笑して過ごすんだ。踊ってばかりじゃ疲れるからね、もちろん目当ての女性にダンスを申し込もうって輩もいるにはいるけど」


 すでに、私はクリュニーの言葉をほとんど聞いていなかった。じっと階下の踊りを眺めていると、ワルツが終わり、速いテンポのフォルラーヌが始まる。踊る男女は控えていた別の男女と入れ替わって大広間の中央舞台から退き、壁際のソファに座った。


 階下の重なる弦の音が私の鼓膜を打つたびに、私の頭の中に知らない記憶が蘇る。『踊り』となればあの嫌な感情がとめどなく噴出してくる……はずなのに、今、私の心を満たしているのは、ただひたすらな多幸感と体が勝手に動き出しそうな烈火のごとき情熱だ。


 足が動く。つま先が床を飛び、靴底が大地を踏み締める。指先までが流麗に舞い、無数の観客の視線を釘付けにする。


 そんな感覚が、私の中にどうっと流れ込んできた。私はそれが見知らぬ『記憶』からのものであり、『踊り』そのものなのだと明確に認識した。


 まるで、私が自ら『踊り』を求めているようだ。『記憶』が『踊り』と繋がって、憎々しいドロドロの感情を吹き飛ばし、憧憬は振り払われ、求めるものをこの手で掴み取りに行こうと、情熱が踊れと私へ命じている。


 そこで私は、我に返った。


(その情熱は、何のためにあるの? 『記憶』の『踊り』は、あの醜い激情を生んだはずのものが私の体に深く刻まれているのに、今湧き上がってくる感情はまったく違うものよ。「踊りたい」、そういうものよ? 階下の舞踏会の人々のように、心の底から楽しんで踊って、踊りを極めた先へ行こうとするものよ? どうして、もう、()()()()()()?)


 それは確信のようなもので、私ははっきりと、「自分は踊れるのだ」と知っていた。


 しかも、その『踊り』は、極めていく類のものだ。楽しさの先に熟達の道を選び、情熱と執念を持って突き進むものだ。


 私の中の『記憶』は、それを「主役(プリマ)になるために」と思っていたらしい。


主役(プリマ)、踊りの主役? 舞踏会の踊りの主役は主催者だけ、じゃあ、私が踊りたいのは舞踏会で、ではないわ)


 ならば、平民の見せ物のような、酒場の小さい舞台で踊られるような踊り子たちの踊りを私は求めているのだろうか。


 いいや、違う。私の『踊り』は、芸術だった。芸術的な踊りを体現するために、ずっとその道を邁進してきた——そう『記憶』は語る。もう『記憶』はすっかり風化して、砂塵の中に消えていっている。私の中に最後に残った『記憶』と『踊り』は、私を脅かすものではなく、もはや私の血肉になっていったかのようだった。


 世界がひっくり返ったような私の変化の衝撃は、現実にはさして時間もかかっていなかった。


 クリュニーが心配そうに、私の顔を見下ろしていた。


 たった今起きた私の中での出来事を話したって、誰も理解してくれないだろう。私はこの胸に刻まれた感情と目的を表現するためにはどうすればいいか、主役(プリマ)として芸術的な踊りをこの世に生み出すためには何をすればいいか必死になって考えて、その結論の一端をつぶやいた。


「私の『踊り』は舞踏会の踊り(階下のこれ)じゃない。もっと美しくて、もっと感動に値するもの。それを表すためには」


 もうすでに、私の中でやるべきことは決まっていた。


「戻りましょう、クリュニーさん。ありがとうございます」

「よし。君のためになったならよかった」


 幸いにも、クリュニーはそれ以上、何も聞いてこなかった。私が大広間の屋根の上で何を掴んだのか、どんな変化を得たのかは、まだ誰にも秘密だ。




☆★☆★☆★☆★




 イスウィン王国には、あの『記憶』にあるようなバレエはない。他国にはバレエの源流のような舞踏文化があると思われるが、芸術として認められてはいない。


 だったら、私は芸術としての踊りを確立しなくてはならないのだ。


 イスウィン王国には『精霊のための舞』というおあつらえ向きの「器」があるのだから。







 王城の屋根で見た舞踏会から、一ヶ月後のことだ。


 私は午前の授業が終わって教室から出ていくセセリアを呼び止めた。


「セセリア、お願いがあるの」

「へ? あんたが、私に? 珍しいわね」

「お昼のあと、三階の一番奥に空いてる教室があるから、そこに来て。おかしくないか確認してほしいことがあるの」

「な、何を?」


 困惑するセセリアへ、私は意を決して、頼み込む。


「私の、踊り。変だろうけど、見てくれる?」


 セセリアは決して馬鹿ではないし、意味もなく他人を嘲笑ったりしない。普段の軽薄な物言いとは裏腹に、とても義理堅く情に厚いところがある。


 私の予想どおり、セセリアは真剣な面持ちで承諾してくれた。


「いいよ、行く。こっそりよね?」

「うん。お願い」

「任せなさい」


 セセリアとはまたあとで会うことを約束して、私は空き教室へと向かう。


 多くの国内芸術家のパトロンとして、その地位を確かなものとしているライン伯爵家の令嬢セセリアの審美眼なら、信用できる。私よりもずっと、芸術というものに触れてきた彼女なら、忌憚なく判定を下してくれるだろう。


(一ヶ月、それだけで足りるとは思わない。『記憶』の『踊り』に近づくには、私はまだ体も小さいし、鍛錬が足りないもの。それでも)


 道すがら、私は、無意識のうちに口角を上げていた。


(今の私にできることはやってきた。少なくとも、観衆に見せるだけの踊りはできる!)


 ここ一ヶ月、ずっと誰の目にも触れないよう、私は空き教室で踊ってきた。『記憶』の『踊り』に近づくため、それと自分なりに踊りを追求するため、時間が許すかぎり体にステップを叩き込んできた。


 きっと、私が他人より賢いのも、『踊り』をこんな短期間で体得できたのも、『記憶』があるからだ。その確信を得て、私は安心した。


「だって……『記憶』の土台を持っているから、さらにその先に進めるじゃない!」


 自分でも思う。私は、貪欲なのだ。


 『記憶』の正体なんてどうでもいい。夢中になれることが見つかって、上達する道がある。それがどれほど幸運かなんて考えるまでもない。


 私は空き教室の扉を開き、廊下側の窓という窓にカーテンを引く。三階だから外からは見えない、採光用の窓は多ければ多いほどいい。


 教室の備え付けの机と椅子は動かせないが、普段は教師が登壇する黒板前の木製の幅広いステージを使う。狭くはある、でも私は小柄だし、十分だ。


「よし。セセリアが来るまで、準備運動がてら踊ろう」


 私の踊りに、伴奏は必要なかった。数えきれないほどの舞台用音楽が、『記憶』から頭に響いてくる。


 まるで『記憶』がリクエストするように、語りかけてくる。


「ねえ、村娘ジゼルの踊りはできる? 小さいころからあれだけ練習したんだもの。役は取れなかったけど、できるはずよ」

「分かったわ。踊ってみる」


 私はそう独り言を呟いて、制服の長いくるぶし丈のスカートの裾をつまみ上げる。


 ポン、と私はつま先で跳ねる。スカートの(ひるがえ)りさえも表現のうちだ、軽やかに舞うように見せるためには、くるぶし丈のスカートもふんわりと舞うように、私は四肢を広げて回る。回る。回る。


 『ジゼル』という演目において、主役である村娘ジゼルが大好きな踊りを披露する喜び、それは今の私なら理解できてしまう。


「見て見て、こんなに踊れるのよ! 普段はできないけれど、今なら全力を出すわ!」


 そんな感情が、指先やつま先にまでほとばしるようだった。長時間のつま先立ち(ポワント)はまだ無理だが、それならばとより素早く、躍動感を出せばいい。


 たった一分踊るだけでも、足が痛い。当然だ、私はまったく鍛えていなかったのだから。


 両腕が、両足が、緩急をつけて交差し離れるくらいできる。それどころか、大きなジャンプ(グラン・ジュテ)ができなくたって、回転(ピルエット)はできる。


 それができれば——村娘ジゼルの最後の見せ場は踊れる。


 そう思っていた矢先、教室の扉が勢いよく開かれ、私の動きは止まる。


 セセリアが目を剥いて、金髪のおさげを置いていくほど駆けてきて、驚く私の両肩をがっしり掴んだ。


「あんた、まさか、こんなにすごい踊り手だったなんて……びっくりさせないでよ! すごかった! 何で今まで踊らなかったのよ!」


 どうやら、セセリアはカーテンの隙間から私の踊りを見ていたようだ。教室に入る前に踊りを目にしてしまい、いても立ってもいられず乱入してきた、そんなところだろう。


 興奮に頬を赤くしているセセリアの目は、素晴らしいものを見たと訴えるように輝いていた。その評価が私は嬉しくて、こう答える。


主役(プリマ)になりたかったの」

「え?」

「何でもない。えっと、ごめんなさい。セセリア、ここでのことは秘密にしてほしいの」

「それはいいけど、本当にフェネラ先生に言わなくていいの? 課題だって、朝飯前でしょ?」

「うん、言わないで。私の踊りは、そういうものじゃないから」


 そう、バレエは舞踏会で男女で踊るようなものではない。それも理由の一つではあるが、私はこの『踊り』はセセリアのような芸術に慣れた人々以外にどう映るかを恐れていた。


 踊り子、という言葉は長い間、蔑称に近かった。それは歴史が、あるいは今のイスウィン王国の常識がそう言っている。煽情的な踊りでおひねりをもらうような、身分の低い者がやること。そういう先入観があることは確かだからだ。


 だから、いかに芸術の枠内にある踊りと認識してもらうか、それはまた踊りの技術とは別問題なのだ。


 とはいえ、セセリアという観衆に私の踊りが認めてもらうことはできて、一つ問題はクリアした。それは素直に喜ばしかった。


「見にきてくれてありがとう。教室を片付けていくから、先に帰っていて」

「分かった! 他の人には言わないから、安心してちょうだい!」


 セセリアは胸を張ってそう言って、帰っていく。私に大きな安堵を与えてくれた友達は、きっと約束を守ってくれるだろう。


 と、教室の片付けをする前に、やるべきことがある。


 私は廊下と反対側の窓へ行き、外に見える背の高いシナの木の枝に止まっている()()——水色の半透明の体をしている、薄羽を持ったクラゲのような精霊ジーナを見つけたのだ。


 精霊ジーナの足の一本は、先端に輪っかを作ってキラキラと輝く水面を湛えさせていた。


 王城の舞踏会に瞬間移動した、精霊ジーニーのときのように、その輝く水面は意味がある。私は窓を開けて、精霊ジーナへ向けて話しかける。


「クリュニーさん、見ていてくれましたか」


 半ばカマをかけたようなものだったが、精霊ジーナはふよふよとやってきて、窓辺に着地した。そして、足先の輪っかの中から声が響いてきた。


「バレてたか。精霊ちゃん(ジーナ)を通して見てたよ、すごかった。社交ダンスじゃないけど、あれは、まさしくプロの舞踏家のものだ」


 私は「やっぱり」と肩をすくめたと同時に、「そうでしょう?」と誇らしげな気持ちになった。瞬間移動ができるなら、精霊を通して遠隔視したり通話したりもできるだろう、そう考えていたし、クリュニーならセセリアの同類だと思っていたからだ。


 クリュニーなら、私の踊る理由を分かってくれると信じて、私は気持ちを打ち明ける。


「私はこの踊りで、芸術の舞台で主役(プリマ)になりたいんです。決して舞踏会で男性のために踊ったり、婚約者を求めるために踊りを使ったりしたくない」


 決して、私は舞踏会の踊りを貶しているわけではない。低く見るつもりもないし、芸術ではないと言い切るつもりもない。


 今の私のやりたいこと、それは純粋に芸術を突き詰めることだから、それ以外の意味を軽々に踊りに持たせたくない、ただそれだけなのだ。


 クリュニーはその意味を、すぐに理解してくれた。


「つまり……貴族令嬢でいるよりも、素晴らしい踊りを追求していきたい、と?」


 私は頷く。貴族令嬢として踊るのではない、それは私がカテナ子爵家令嬢である義務を果たさないということになる。


 その道のりは険しい、でも挑まないわけにはいかない。


 すると、私の覚悟を読み取ってくれたのか、精霊ジーナを通してクリュニーはとある提案をしてきた。


「アリアン、その踊りを一度だけでいいから、ある観衆に披露してくれないかな?」

「ある観衆?」

「そう。おそらく、この国で一番、厳しく品評する観衆たちだ。国王の御前で、君の踊りを見せてほしい」


 まったくもって想定外の、いきなりの大舞台の提案だ。


 そんなことをするだけの力がクリュニーにはあるのだろう。精霊使い(エレメンタ)として無理を通す何かしらの理由があるのだ。


 それほどに、私は期待されている——そう思うと、私の胸の奥から、凄まじい情熱の火照りが身体中を駆け巡る。


 主役(プリマ)になる絶好の大一番へ手を伸ばせるなら、私はこう言うしかない。


「望むところです」


 私の返答に満足したクリュニーは「よかった、詳細を話すから図書館に来てくれ」と言い残し、精霊ジーナの足の輪っかは解かれた。


 私は、精霊ジーナを恐る恐る抱きしめる。精霊ジーナは私の強がりを察したのか、細長い足で抱きしめ返してくれた。







 クリュニーに王城での踊りを提案された日の夜、私は慌ててフェネラ先生から外出許可をもらって、自宅へ帰っていた。


 カテナ子爵家の屋敷は王都のはずれにあり、父であるカテナ子爵の本業、軍の将軍としての職場である駐屯地の近くにわざわざ屋敷を構えていた。だから、貴族学校から戻るには少し時間がかかったため、私のひさしぶりの帰宅は夜に差し掛かってしまった。


 玄関の扉をくぐれば、執事や使用人の挨拶もそこそこに、私は急いで母のいる談話室へと早歩きで向かう。ついでに、並走する執事から父の近況も短く報告された。


「アリアンお嬢様、旦那様は最近、毎晩晩餐会やサロンに出席されておりまして、お帰りは遅くなられるかと」

「そう、ならちょうどよかったわ」


 私もそれを見越して帰ってきたところがある。父はどうせ婚約話をまとめるために、貴族の間で話し合いを進めているのだろう。エミリアナのおかげでその情報を耳にしていたのは幸いだった、これで邪魔を気にせず母と話すことができる。


 執事を置き去りにして、私は談話室に入り込んだ。


「お母様、ただいま帰りましたわ! お話があります!」


 連絡もなく、突然現れた娘を前に、安楽椅子に座っていた淑女——私の母、カテナ子爵夫人ジュディッタは、ゆっくりと首を動かして振り返った。


「久しぶりね、アリアン。どうしたの? 貴族学校は退屈?」


 無意識にも優雅な所作を披露する黒髪の女性ジュディッタは、三十そこそこの齢ながらも子爵夫人として完璧な姿形をしていた。肌を見せないシックなドレス、丁寧に手入れされた艶やかな黒髪、白い肌と端正な品ある顔立ち。私も多分将来はこうなるだろうと思うものの、ちょっと自信はない。


 おっとりとした母へ、私は心の中でまとめてきた依頼内容を、一言一句正確に伝える。


「お母様、お願いがあってまいりました」

「あら、改まって、何かしら?」

「お母様のツテで、一流の楽団を手配していただきたいんです」

「楽団? どうして?」

「踊りたいんです」


 母は「んん?」と首を傾げた。すかさず私は理由を並べる。


「王城で踊りを披露することになったので、楽団が必要なんです。無伴奏でも踊れますけど、分かりにくいと思うから、それで」


 察するに、母は深く物事を追及することはない。娘の滅多にない嘆願となれば、なおさらだ。


 クリュニーの提案では、明後日——私は国王陛下たち観衆を前に、踊りを披露することになっている。


 今から新しい音楽を楽団員に教えては間に合わないため、既存の楽曲で踊るしかない。それにしたって今日明日で合わせられるのは、腕に自信のある一流の演奏家たちくらいなのだ。そんなところに私が伝手などあるわけがないが、母なら別だ。踊り上手であるがゆえに数々の舞踏会に招待されてきた母ジュディッタなら、あちこちに伝手がある。


 小さいころから踊れないと泣き喚いていた娘の突拍子もないお願いを、母はそんな過去をすっ飛ばして案じてくれた。


「アリアン、あなた……踊れるの?」

「……はい。黙っていてごめんなさい、お母様」

「いいのよ、何かあったんでしょう? でも、いきなり王城だなんて」

「お父様とお母様もお招きします。私は、ここでチャンスを掴みたいんです。主役(プリマ)になる最初で最後のチャンスだと思うから」


 この娘はいきなり何を言っているのだろうか、と母が訝しんでもおかしくない話だと私だって分かっている。それでも、私は母に嘘を吐きたくなかった。誰よりも舞踏会で踊りを楽しむ、メヌエットの名手と謳われた母なら、今の私が持つ『踊り』への情熱に気付くだろう。


 元々私のお願いを何でも聞いてくれる母だとはいえ、さして時間もかからず、私のお願いを了承してくれた。


「分かったわ。練習とリハーサルは必要でしょうから、場所も確保しておくわ。大丈夫、お父様には秘密ね? いつごろお披露目なの?」

「それは、その、明後日」

「明後日、それはまた急ね。王城にも楽団員を派遣する旨の連絡を入れないと」

「うん」


 決意も新たに、私は宣言する。


「明後日。王城の夜会前に、ステージに上がるわ」




☆★☆★☆★☆★





 限られた時間は、慌ただしく過ぎていく。


 たった二日の準備期間はすぐに終わって、ついに今夜、私のステージが幕を上げる。


 一応は秘密であるため、私も普通に貴族学校で授業を受け、夕方クリュニーとともに王城へ出向く予定だ。しかし、人の口に戸は立てられぬとよく言ったもので、貴族学校のあちこちで今夜の夜会の噂が上っていた。


「聞いた? 明日の夜、王城の夜会で秘密の出し物があるんだって」

「両親が招待されているの! 何があるのかしら」

「何でもクリュニーが一枚噛んでるとか」

「あのトラブルメーカー……いや、精霊使い(エレメンタ)の?」

「高等部の授業に珍しく出ていたそうよ。いつもレポート提出なのに」


 王城に常駐しているような大貴族を親に持つ子弟の口から、秘密はあっさりと広がっていく。幸い、噂の内容は「クリュニーが何か出し物を計画しているらしい」程度で、私の名前はこれっぽっちも出ていなかった。世人の注目はクリュニーの天真爛漫な性格と精霊使い(エレメンタ)の特異性に向かい、すっかり主役の私を覆い隠す防壁になってくれているようだ。


 ところが、そんな私に声をかけてきた生徒がいた。


 白に近い金髪の少女、私の同級生のカーズリュー侯爵家令嬢エミリアナだ。今日は一人で、私の行く手を遮るように仁王立ちして待ち構えていた。


 私はうんざりした顔を隠さず、目の前で堂々と立ち止まる。


「エミリアナ……まだ用があるの?」


 エミリアナの、私を螺旋階段から突き落とそうとする性根の悪さや、わざわざ婚約者を奪い取った話を伝えにくる趣味の悪さはもう存分に知っている。できれば関わりたくないし、私だって婚約の話が流れた挙げ句に掻っ攫っていった親しくもない相手と喋るなんて避けたかった。だが、ここで無視すればどうせもっと強引な手段に打って出てくるだろう。


 しょうがなく私が見据えると、エミリアナは悪態でも罵倒でもなく、意外な問いを投げかけてきた。


「アリアン・カテナ。あなた、本当は踊れるのでしょう」


 私を嘲笑っていたあの表情はどこへやら、神妙な面持ちのエミリアナは、至極真面目にそう言った。どこの何の情報を得たのか知らないが、馬鹿正直に答える義理はない。私はエミリアナを適当にあしらう。


「だったら? あなたには関係ないわ」

「いいえ。私はあなたに婚約者を譲られた、なんて許せないのですわ」

「知らないわよ、そんなこと。私はそんなものよりもっと大事なものがある」

「それは何?」


 しつこいエミリアナだが、真剣な様子は見て取れる。だから、私は正直に話してやった。


「誰もが認める主役(プリマ)になること。ただそれだけ、婚約なんて邪魔でしかなかったから、ちょうどよかったわ」


 それは貴族令嬢としては、捨て台詞でしかない。婚約さえも成立させられない娘を父のカテナ子爵は嘆くだろうし、今の私の目標を聞けば憤慨さえするだろう。


(でも、そう言う以外ないわ。今日の舞台を成功させて、お父様にも認めてもらう。怪我の功名というか不幸中の幸いというか、ショックは受けたけど、今思えば婚約が成立しなくてよかったわ)


 そんな私の気持ちなんて、エミリアナに理解してもらおうとは思わない。


 私に対して余計なお節介を口にする、かと思いきや、エミリアナは声を振り絞り、憎々しげに、悔しそうに、わざわざ私を呼び止めた意図を教えてくれた。


「空き教室での踊り、偶然見ていたの。あれは、確かに……あなたが天性の踊りの才能を持っている証拠だわ。あれほど踊れるのなら、ただ回るだけのワルツなんて退屈でしょうね。いいえ、殿方だって必要ない、あなただけで踊りが成り立つのだもの」


 馬鹿にしていた相手の、踊りに関する認めざるをえない力量を見せつけられ、エミリアナの中で私の評価はガラリと変わったのだろう。素直に受け入れられないとしても、エミリアナは相手の認めるべきところは認める、そのくらいの潔さは持っていたようだ。


 少しだけ、私はエミリアナを見直したが、今となってはどうでもいいことだ。


 私は歩き出す。エミリアナの横を通り過ぎ、祝福の言葉をかける。


「さよなら、エミリアナ。婚約者とお幸せになって」


 そのときエミリアナがどんな表情をしていたかは知らない、私は振り返らなかった。







☆★☆★☆★☆★






 午後四時に図書館の閲覧室に集合、とクリュニーに言われたとおり、私は閲覧室にいたのだが——。


「あの……マダム・バークレー」


 私は横に立っている厳格そうな中年女性、副学長のマダム・バークレーをおずおずと見上げた。


「何でしょう、アリアン・カテナ」

「なぜこちらに……? もしかして、クリュニーさんが何かやらかしたのでしょうか?」

「あなたには関係のないことです」


 マダム・バークレーにかかれば、バッサリだ。私はそれ以上追及することはできず、木製の分厚いカウンター内にいるカーン先生のところによろよろと逃げる。


 カーン先生は小声で私へ耳打ちする。


「時間は大丈夫かい?」

「ええ、まだ」

「まあ、いつもどおりだろうから、そろそろだな」


 いつもどおりとはどういう意味だろう、と私が思っていると、閲覧室の扉が開き、クリュニーがやってきた。青い精霊ジーナと赤い精霊ジーニーを従えて、堂々と。


 すかさずマダム・バークレーが踵を返し、開口一番にお説教を口にする。


「クリュニー。あなた、また何か企んでいるのかしら? あなたが王城で何をしようと私が出る幕ではありませんけれど、我が校の生徒を巻き込むということなら話は別ですよ」

「誤解ですって、マダム・バークレー。彼女の才能を見極めることが、俺にとっても彼女にとっても有益だと判断したんです。ひいては、国益にまで繋がることですよ?」

「それはどういう意味ですか?」

「簡単なことです。アリアン・カテナ、彼女は精霊のための舞を踊れます。この精霊たちも認めました、だから公的に俺の相棒となってもらうために、お披露目の機会を作っただけのことです」


 クリュニーは得意げに、胸を張って言い切った。目を丸くするマダム・バークレーは、私へ向き直る。


「アリアン・カテナ、そうなのですか?」

「……はい、そうです」


 それがクリュニーから提案された、私の『踊り』を世間に認めさせるための第一歩なのだ。


 精霊のための舞、その枠組みでなら、この国の人々も『踊り』を馬鹿にすることはない。あとは私が『踊り』を極めていくだけでいい。そうすれば、私もクリュニーも父母も、この国だってWIN-WINだ。


 話は終わり、とばかりにクリュニーは精霊たちへ命じる。


「時間がない。精霊ちゃん(ジーニー)、アリアンの衣装を。精霊ちゃん(ジーナ)はメイクを!」


 意気揚々と精霊たちは飛んできて、私の周囲に羽や足を伸ばして光りはじめる。


 精霊の力で生み出される衣装の中で、私はマダム・バークレーの鋭い視線を感じ取った。目が合うと、マダム・バークレーは心底心配そうにこう言った。


「本当にいいのですか。あなたの人生が、ここで決まってしまうかもしれないのですよ、アリアン・カテナ」


 マダム・バークレーはきっと、本当はとても生徒思いの優しい先生なのだろう。婚約や政治で振り回される貴族の子女を見てきたからこそ、早々に誰かに人生を決められることを、心の中では忌避しているに違いない。


 私は、しっかりと頷く。


「はい、覚悟はできています。私は、踊りを極めたい。主役(プリマ)になって踊るためには、クリュニーさんの協力が必要なんです」


 私の答えはもう決まっている、だから心配しないで、マダム・バークレー。そう聞こえてほしいと私は願った。


 その間にも、私の衣装とメイクは完成していく。


 精霊ジーニーの羽から生み出されるシフォンよりも軽く、あでやかで、控えめだが七色に輝くゆったりとした長丈のワンピース、足にフィットする舞踏用の靴、精霊ジーニーの羽と同じ薄羽が背中に数枚浮かび、まるで私まで精霊になったかのような格好だ。こうやって精霊に近づいて、仲間のように振る舞うから近寄ってくるのかな、なんて思ったりもする。


 精霊ジーナのメイクは完成したらしく、細長い足の一本で輪っかを作り、その中を鏡面にして私に見せてきた。肌はただ白いだけでなく、鉛色のメタリックを下地に入れているのか、見るものをハッとさせる深い輝きを持っている。眉も目尻もまつ毛も、髪と同じ黒でありながら、水色のシャドウが各所に見て取れる。唇も薄い水色で統一されていた。


 クリュニーが私の手を取る。精霊ジーニーの瞬間移動の輪が作られ、道は整った。


 カーン先生が立ち上がり、マダム・バークレーに合図を送る。


「マダム・バークレー、そろそろ」

「分かっています。では、二人とも。いってらっしゃいまし、幸運を祈っておりますわ」


 私は精一杯笑顔を作って、カーン先生とマダム・バークレーに別れを告げ、クリュニーとともに精霊ジーニーの中へ飛び込んだ。








 煌びやかな燕尾服とドレスをまとった王侯貴族たちが、舞台の前にずらりと並んでいる。その中には私の父母もいるだろうが、舞台袖からは見つけられなかった。


 大広間に設置された鉄の盆のような舞台と、重厚なカーテンで仕切られた簡素な舞台袖、すでに舞台の前には母が呼んでくれた管弦楽団のメンバーが準備を終えている。皆年配の、私どころか母よの年齢よりもずっと長い間楽器を手にしてきた人々だ。さすが母の伝手だけあって一流で、たった二日で私の踊りに合わせてくれるだけの力量があった。


「お集まりの紳士淑女の皆様。まもなく開演いたします」


 若い司会進行役の明朗な声が大広間に響く。


 ——行かなくちゃ。その前に。


 舞台袖で控えているクリュニーは、精霊たちに私のバックダンサーをさせるために開演を待っていた。精霊ジーナも精霊ジーニーもやる気満々でぷかぷか上下に浮いては沈んでいる。


「クリュニーさん」

「ん?」

「上手くいったら、褒めてくれますか」


 端的すぎたかな、と言ったあとに私は反省した。これでは褒美をねだる子どもと大差ない。


 私がきちんと精霊のための舞を踊れると示したのなら——精霊使い(エレメンタ)クリュニーの力になれるか、そばにいられるか、と聞きたかったのだ。


 クリュニー(あなた)のために、そう思えるからこそ、私は頑張れる。


 このときの私はそれが他意なく恋心なのだ、とまったく気付いていなかったが、クリュニーの態度は何であっても変わらなかっただろう。


「もちろん! ちゃんとご褒美もあるから、頑張っておいで」


 背中を押されて、私は舞台へと躍り出る。


 盆上の舞台の中心に立って、私はシャンデリアの降ってくる星のような光を浴びて、片手を前に一礼をする。


 若い司会進行役の明朗な声は、舞台の開始を宣言した。


「今宵のエンターティナーは、カテナ子爵家令嬢アリアン。彼女の踊りをご覧ください」





 遠い遠い昔、私の頭の中にある『記憶』の持ち主は、バレエという舞踏に人生を懸けてきた。


 あいにくとその人は同世代に史上稀に見る天才が何人もいてしまったことから主役(プリマ)を勝ち取れなかったが、それでもその人が一流以上のダンサーだったことは疑うべくもなく、人生の大半を嫉妬と憧憬に苛まれつつも折れず、必死に前に進もうと懸命だった。


 病に倒れ、踊れなくなってからも、彼女の魂に刻まれた執念は濁ることなく、それどころか昇華されて私の中に純粋な『記憶』として残った。私は子ども心に理解できないそれがあまりにも怖くて、『記憶』の大半を占める『踊り』を強く拒絶してきた。


 だが、受け入れてしまった今なら分かる。


 彼女が『踊り』を認められたいと願う心、それは承認欲求とか他者と比較するとか、そういうことではなく、もっと大きな視点から——自分が主役(プリマ)である『踊り』が人目に触れて、存在を残し、いつかどこかに種が蒔かれ花咲くことを望むものだったと私は思う。


 一を認め、他を認めないという価値観は、芸術にはふさわしくない。


 ただそれだけのことだ。






 私と精霊たちの踊りは、最後の一礼とともに万雷の喝采で迎えられた。


 偉い人たち、年老いた人たち、これからの時代を担う人たちが一斉に立ち上がり、両手を打ち鳴らす。この場において、それ以上の感激の表れはなかった。


 今、間違いなくこの舞台上では、私が主役(プリマ)だ。それは私の心を満たし、ひいては『記憶』の中の彼女も満足したことだろう。


 肩で息をして、徐々に落ち着いてきた呼吸と同じく、喝采もまばらになっていく。


 しかしそれは、最前列にいた赤の豪奢なマントと礼服を着た男性が立ち上がり、喋りはじめたからだった。


 イスウィン王国国王ステファノスは、真顔で私にこう迫った。


「アリアン・カテナ。その踊りはどこで身に付けた?」


 寄ってきた精霊ジーナと精霊ジーニーを抱き抱え、私は正直に答える。


「いいえ。体が動くままに踊っただけです」

「そうか。見事な踊りだった、古の精霊の伝説をも思い起こすほどに」

「ありがとうございます、陛下」


 再度の一礼から顔を上げると、舞台袖からクリュニーがやってきた。国王へ向かって、精霊使い(エレメンタ)クリュニーとして進言する。


「さて、陛下。俺はこの子を連れて旅に出たいと思います。彼女なら、すでに精霊が好むほどの踊り手です。俺の精霊集めの旅に大きく貢献してくれるかと」

「いいだろう。皆も異論はあるまい?」


 国王の問いかけに、背後の王侯貴族たちは「異議なし」の叫びと拍手で応える。


 それほどまでに、私の踊りは彼らの心を動かしたのだろう。そう思うと、胸がすうっとする。情熱と執念に燃えてきた体が、冷静になってきた。


 ところが、国王は妙なことを言った。


「では、王子イングラムよ。速やかに精霊集めの旅の支度をせよ。戻ってきた暁には、伝説に従いお前に第一摂政の座を与えよう。よいな?」


 ——王子?


 ——クリュニーが、王子?


 私が今までにないほど目をまんまるくしている間に、クリュニーは観衆へ向けて音頭を取っていた。


「拝命いたしましてございます、陛下。それでは、皆様」


 賞賛の大音声が、うずうずしていた。


 クリュニーの手で背中を支えられ、私は一歩前に出る。


 踊りの主役(プリマ)として、私は受け取らなければならないものがあった。


「アリアン・カテナへ、盛大な拍手を!」


 大広間に割れんばかりの声援と拍手が鳴り響く。


 かくして、私の初舞台は幕を閉じた。


 これから先の私の舞台は、ここではなく、精霊のいる場所となる。





☆★☆★☆★☆★





 あの日、私が初舞台を終えた王城には、不思議なことが起きるようになったという。


 ひとりでに使用人の仕事が終わっていたり、兵士が見たこともない生き物をあちこちで目撃したり、鳥たちが増えたり、食料が減っていたり……それはクリュニーが言うには、こういうことだった。


「精霊たちがこの国に帰ってきたんだよ。君の踊りを見たくて、王城にいれば君の踊りを見られると思ってる。これはチャンスだ、今のうちに片っ端から契約を結ぼう!」


 とまあ、精霊使い(エレメンタ)クリュニーにとっては絶好のチャンスらしく、毎日王城を駆けずり回っている。もちろん、私も一緒にだ。


 私がクリュニーの隣にいると、勝手に精霊が近づいてきて、踊りをせがむ。踊りを見せて機嫌よくなったところで、クリュニーが契約を結ぶという塩梅だ。古の精霊使い(エレメンタ)たちもこの手法で精霊と契約してきたと言う。


 もちろん、各地に眠る精霊たちのもとへ出向いて契約しなければならないこともあるようで、すでに旅の計画はスタートしている。夏休み、私は両親の許可をもらって、クリュニーとともに精霊探しの旅に出ることになった。


 国王御召しの馬車の一台を貸してもらい、快適な旅に出た私とクリュニーは、一路北へ。雪解けの間に、北国にいる精霊を訪ねるのだ。


 馬車の中でクリュニーは、ぷよぷよまんまるな色とりどりの精霊たちに囲まれて窮屈そうにしながら、こんなことを言っていた。


「精霊って自分も踊りたいんだな……ボールが跳ねてるようにしか見えないけど、踊ってるらし痛い痛いちゃんと踊ってるって! 悪かったって!」


 顔の周囲にいる精霊たちに耳や頬を引っ張られながら、クリュニーは謝っていた。王子だろうと精霊使い(エレメンタ)だろうと、この愛らしい精霊たちを前にしては形無しだ。


 私は隣にいる洋梨型の水風船のような黄色い精霊にもたれながら、その様子を微笑ましく見ている。


「クリュニーさんも踊ったらどうですか? 精霊たちも喜ぶかも」

「ええ〜? 俺はいいよ、クリュニー公爵が精霊に囲まれて不恰好に踊ってるなんて噂立てられたら何か言われそうだし」


 クリュニーは口を尖らせる。


 国王の第四王子イングラム、普段はイングラム・クリュニーとして貴族学校に通う精霊使い(エレメンタ)だ。王位継承問題と精霊使い(エレメンタ)という特殊な身分から、普段は王子ではなく母方のクリュニー姓とその実家である公爵家の一員として過ごしていたようだった。


 とはいえ、そのうち第一摂政に就くことが決まっていて、次の国王である兄王子の補佐のための実績を積む必要があるクリュニーは、貴族社会から離れて王都の外、果ては国外にいることのほうが多くなりそうだった。


 だから、私は——。


「そういえばさ、カテナ子爵に話をしてきたよ」

「父に話、ですか?」

「うん。俺は娘さんにずっと補佐してもらわないといけないから、いっそのこと婚約させてくれって」


 寝耳に水とはこのことで、私は「へ?」と間抜けな声を上げてしまった。


「ダメだった?」

「ダメじゃないですけど」


 頬を膨らませ、照れ隠しに浮かんでいた小さな精霊を抱きしめる私の感情を読み取ったのか、クリュニーの周囲にいる精霊ジーナはクリュニーをつんつん刺したり叩いたりして責めていた。


「痛いって精霊ちゃん(ジーナ)! 俺何か悪いこと言った!? ちゃんとアリアンのことは好きだよ! 愛してる! 一生面倒見るってば!」


 何だか必死な叫びがおかしくて、他の精霊たちもクリュニーをいじりはじめた。精霊の群れの中で慌てふためくクリュニーもさらにおかしい。


 私は、咳払いをして、しっかりと婚約承諾の言葉を贈る。


「しょうがないですね。私は主役(プリマ)ですから、踊りにいなくちゃいけないですし」


 私はクリュニーの左腕を引っ張って精霊の中から助け出し、笑いかける。


 クリュニーもまた、嬉しそうに、恥ずかしそうに、笑っていた。


「これからもよろしく、アリアン。俺のことはグラムって呼んでね」

「はい、よろしくお願いします……グラム」


 水色の紋様が浮かぶ手と、私の小さな手が握り交わされる。


 私たちの旅はまだ始まったばかり、この先どうなるか分からない。


 それでも、私は踊りつづけるだろう。


 精霊のための舞がこの国の伝統芸術として、受け継がれていくために。


 主役(プリマ)のアリアン・カテナ——アリアン・クリュニーの名を世に知らしめるために。



おしまい。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 主にクラゲちゃんタイプ? というか飛びスライム? 鳥タイプも居るのか呼んでるだけなのか……。
[一言] んんんんこころがぴょんぴょん… これが踊りたいという気持ち?!!Σ(*゜∀゜)
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