裏車
正面の敵を楯ごと蹴り飛ばしたぼくだったが、トヨ同様、やはりトドメを刺せなかった。
石の剣の刃を斜め上へ振り上げて、比較的体格の良い、装備もなかなか硬そうな奴が、射手の隠れ潜む位置からこちらへ走り出て来ていたから、トドメを刺す為に腰を落とした姿勢をとって隙だらけになるわけには行かなかったのだ。
そいつは木片を綴った鎧で頭の天辺から爪先まで覆っていて、刀身一尺八寸ほどの、よく研がれて美しく灰色に光る、鋭利な刃の重そうな石の剣を、処刑人のように両手で頭の横上へ大きく斜めに持ち上げて、一撃必殺の気合の入った眼光で木の兜の中から俺を睨みつけて、駆けて来る。
しかし、トドメを刺す余裕がなくてもせめてと思い、また、敵の剣を楯で受けたくても、楯はひっくり返った敵が掴んだまま落ちていて、ならば棘棒で受け止めるにしても、重量のある刃を両手で振り下ろしてくるのに対して受け太刀一方では宜しくあるまいとも思ったので、こちらも前へ駆け出して、途中で倒れている槍持ちが身を起そうとしたところへ、顎を一発蹴り上げてやった。
そこへ駆けつけた敵の、石の剣の一撃!!
「死ねやっ!」
敵が両手で斜めに斬り込んで来るそれへ、視線をそれから外さずに軌道を読み、決死の覚悟で右手の棘棒一本に賭けてブチ当てるのに成功!
やったッ!
受け止めたぞっ!
と、一瞬歓喜が胸に湧いた、その次の瞬間には、鋭利な刃が深く食い込んだ棘棒は、敵の勢いに負けて、握る右手から抜き去られて、眼前に刃が迫って───
ガシィッ!!
という感じで顔に一発喰らって、前へ伸ばした何も握ってない腕の上で、顔を矢から護る矢避けの簾はへし折れ斬られ、頭部を護るヘッドギアの鼻筋を護る垂直線の繋ぎに入れた補強の骨が断ち切られ、その衝撃で僅かに右へ向いた顔の上を刃が疾った。
あ゛ッ!
痛ってええっ!
が、まだ動けるッ!
なら、何でもない!
「うおおおッ!!」
咄嗟に跳びかかる。
対して、敵も裂帛の気合が迸る。
「ふんッ!」
彼我の叫びが交錯し、一旦剣が振り抜かれた直後に、身を引き気味に瞬時に切り返して逆方向から襲って来た重い剣を、肘を引いた右前腕で受け止める。
骨鎧の腕防具の上から巻いてある手甲、その細枝の簀が、受け止めた五本の細枝が一瞬で総て斬られて、刃は猶も止まらず、下の硬革へ食い込んでこれも切り裂き、その下の骨片へ食い込んでへし折った。
が、そこで一瞬止まって、敵のうんっ、と唸る声、その時既に俺の左手は敵の全身を鎧う木の防具の背中深くへのびている。
左足はこれも敵の右足の後ろへ深く踏み込む勢いで前へ飛ばされて、即座に刈りにかかろうとする。
敵が両手で切り上げてきた刃と激突して辛うじて食い止めた俺の右手が、その勢いに押され、弾かれて、引きかけた肘が伸び、しかも俺の跳びかかる全身の体勢のままに、敵の腕の輪の中へ蛇のようにするりと入り込むと、敵の右手首に掛かり、敵の右腕に沿って肘めざして絡みついて行く。
他方で、掴んだ背中深くを引き絞るように引き付けながら、己の左足が敵右足を外から刈り払って引き寄せ開け続けている足の間、尻の下へ、どこまでも頭を低く下げて行く。
そうする為に地面を蹴り込んで全身を前へ推していた右脚が、最後にその役目を終えて前足底で跳ねて勢いをつけ、敵の頭よりも上まで、高々と宙へ踊り上がる。
俺が手でぶら下がった敵の背中と右腕に、頭から敵の背後へ跳び込んで全体重を掛けて、下方へ引き下ろすが、敵の右足は俺の左脚を掛けられて宙に浮き、敵の左脚は二人分の重量プラス俺の跳び込んだ勢いに瞬間的に抵抗して立ったままで居ようとする。
この上下二つの力の作用点がズレている為に、敵の身体に横向き回転モーメントが発生した。
しかも俺の前進からの跳び込みにより、空中で倒立状態になった俺の身体にも強い回転モーメントが発生し、それが今や抱え込んだ敵右腕と引き付け続ける腰へと、更に刈り払い続けて絡んだ状態の両者の脚に特に大きく作用して、一気に敵の姿勢が裏返る。
「あヽヽッ!」
おめいた敵だが、もう姿勢を戻せない。
大地に踏ん張るべきその右脚は後ろから前方へとばされて、背中から右尻の方へ引きずり落とされ、剣を握る右手も抱きつかれて自由を奪われ、咄嗟に柄元を握る左手に剣を託すが、己の全身が斜め後ろへ巻き落とされている勢いに、剣はただ虚しく空へと浮き上がるのみ。
次の一瞬に、下向きの力の大きさに抗しきれなくなった敵の左脚が曲り、敵はのけ反るように無理やり仰向けに地面へと、腕を取られて下へ引かれたまま、右肩から強かに打ち付けられて、弾みで後頭部が地面を叩き、くわんくゎんくゎん……と頭に響いて目を回しそうになった敵は、そのまま尻の浮き上がった姿勢で左脚が天高く跳ねあがり、全体重が乗せられた頸が、有り得ないほど深く頷くような角度になると、ごきりっ、と厭な音を立てて、足はその向こう側へと力なく落ちてゆく。
敵は俯せに不自然な首の角度で斃れ臥して、復た起つ能わず。
俺も跳び込んだ後に、先ず左肩の後ろ、そして背中、腰へと地面に落ちていたが、落下距離が小さいし、腰の後ろに畳んだマントが緩衝材となって、ダメージは極小だった。
そして打ち付けただけで敵を殺さずに済ますこともできたが、少しでも敵に猶予を与えれば直ちに自分が敵の剣で致命傷を喰らう状況で、そんな余裕をかますどころではなかった俺は躊躇せずに外側から刈り払い続けている左足、それと背中にかけた左手でも幾許かの助力を加えて、更に駄目押しの回転モーメントを与えてやって、敵の頸部が接地するまで回して行き、トドメを刺したのだった。
言ってみれば、相手の脇から尻の下へ前回り受け身に跳び込みつつ敵を強引に巻き込んだ小外掛け。
って、なんだそりゃー?
知らんがな。