30話 見誤った
「ど、どういうこと?メギイ」
「わからない、わからないよレギイ!」
2匹の魔族は混乱していた。
目下、谷底では『勇者』たちの包囲殲滅が続いている。
続いているのだ。
いったいどれほどの時間が過ぎ去った。
奴らはどれだけ粘っている。
「あいつだ、あいつのせいだ、メギイ!」
そうだ。
あの女、僧侶の格好をしたあの女のせいだ。
谷底の兵士たちを丸ごと包む薄黄金色のドーム。
『母神の礫涙』の岩石が当たるたびにドームの表面がきらめく。
あれは魔素の中和反応。
防御魔法の類ではなく、単なるマジックアーマーだ。
凝縮された魔素は接触したエネルギーと同等のエネルギーを放出し、それを中和相殺するという性質を持つ。
これを利用したマジックアーマーはフルオートであらゆる攻撃を防ぐ万能の盾だ。
しかしマジックアーマーは、魔法ではなく魔素の操作。
魔法陣による挙動の規定を介さない魔素の操作は難易度が高く、ゆえにアーマーは一般的に自分ひとりの身を包む程度の小規模運用に落ち着く。
それを、あの女は、『憧憬』のサンディ・ノルニエールは。
「おかしい、おかしいおかしい!アーマーが広範囲すぎるよ!レギイ!」
数十分の岩石攻撃に耐え、なお広範なアーマーを保っていられるほどの魔力量。
しかも内側から味方が魔法を放つと、その部分だけに穴が開いて魔法が通る。
それを数十回も同時に処理しているのだ。
化け物。
そのひとことが彼ら2匹の脳裏に浮かぶ。
「予備のトレントが尽きそうだよメギイ!?」
方や『神速』は、数騎を率いてアーマーの範囲外に出続け、トレンドを削り続けている。
2000いた予備はすでに300を切った。
これでは援軍の到達前に谷底を突破される。
しかも崖上の守備隊を壊滅させた敵はすぐそこまで迫っている。
敵のものと思われる砂煙はもはや数百メートルの距離だ。
「残存している守備隊をすぐに集めて、メギイ!」
「『母神の礫涙』さえ発動し続けていれば勝機はあるよ、レギイ!」
しかし、そんな虫ケラどもの勝利への望みは、儚く消える。
守備隊の再集結が間に合わない。
それほどの進軍スピードで、砂煙は迫っている。
50キロ超の強行軍をしてなおこの突破力。
ハエの魔族たちは、相手の力量を完全に見誤った。
「抜けた!」
敵の先頭であろう男が、背後の森から姿を現した。
馬に乗っていない。
人の足で後続の騎兵たちの先頭を走ってきたというのか。
「絶対あいつらだよレギイ様って。速攻でぶっ倒す」
セメスが谷底に目をやると、クレス・クーたちが魔法による攻撃を受けていた。
巨大な岩石の雨を『憧憬』のサンディが防いでいる。
おおかた発動者は目の前の異形のハエたちだろう。
体内の蓄積魔素はまだ7割はある。
ぜいたくにバフ・スペルを使い、すぐにあの魔法の発動をやめさせる。
セメスは再度周囲の味方にバフをかけ直した。
敵のまわりには数体の中型バエしかいない。
「貫く!」
ハエの魔族の片割れに、すれ違いざまに渾身のひと振りをお見舞いする。
マジックアーマーの魔力をごっそりもっていく確かな手応え。
後続の味方が続く。
「いったいなぁ!」
「『穢れたる肉礫』ぅ!」
2匹のハエたちは消えかけのマジックアーマーをきらめかせながら、寒気のする声色で魔法を唱えた。
さきほどハエムカデも使っていた魔法。
しかし、来ると分かっていれば対策ができる。
溜めがあり出が遅いというスペックに加え、飛んでくるのはごく普通のハエだ。
「火魔法使えるやつ!『炎の息吹』」
端的な呼びかけに対して、精鋭たちはすぐに応じた。
複数の火魔法が前面に展開される。
直後、高速で撃ち出されたハエたちが炎の中に飛び込み、8割が炎を抜け出す前に炭化して地に落ちた。
残りの2割は減速しつつも隊に突っ込んでいった。
しかしセメスをはじめとした屈強な前衛のアーマーに中和され容易に防がれる。
「くそっくそっ、メギ……っ!?」
セメスの刃がアーマーを貫通し、1匹の頭を吹き飛ばした。
残りの1匹も他隊の精鋭たちによって殺されたようだ。
「よく喋る割には手応えなかったね」
「下に救援に行きましょう」
「うん。携帯レーダー出して」
探知魔法が組み込まれた機械仕掛けの機器。
探知範囲は『神速』救出戦時のものよりも狭いが、小さいため携帯できる代物だ。
谷底の出入り口付近に敵の密集地体がある。
それとは他に、出口の方角からこちらに向かってくる不明の一団もいる。
反応からしてモンスター、おそらく敵の増援だ。
(左翼率いて敵の増援に横撃!)
オーラにテレパシーを送り、自身は右翼を率いて崖へと向かう。
「部、部隊長!」
「いける!下りる!」
急勾配な崖は馬の足で下ろうと思えるような見た目ではなかった。
砂岩質の岩肌は人1人の自重でも簡単に砕けてしまいそうだ。
しかしセメスたちはそこを駆け降りた。
接地する前に次の足が出るほどのスピードで。
怯えながらも覚悟を決めた馬のいななき。
数人の落馬を気にも留めず、突き進む。
ほとんど落ちるように駆け降りた先には、谷の出口に陣取る最後尾のトレントたち。
背後から強襲されると思っていなかった彼らに、最高速の騎兵たちが突っ込んだ。
数体のトレントが刈り取られ、その4メートルはあろうかという巨体を地面に叩きつけた。
そしてその先に。
「余計なことを」
細かく刻まれた無数のトレントの死骸と、ほんの少しだけ肩で息をしているクレス・クーがいた。
お読みいただきありがとうございます!
今さらですが、セメスとクレスの名前の語感が似すぎている問題。
読者の方々はこんがらがりがちだろうなあ…と反省中です。