16話 授業
「……なので、魔法を唱えることは一定のプロセスを踏むことに他なりません」
初級魔法学の講義は中盤にさしかかっていた。
ニコラ・サヴィニーは冒険者教育機関『セミナリオ』の魔法学教師であった。
「まずは魔法陣の設定です。たとえば攻撃魔法ならばベクトル、スピード、発動タイミングなど。
魔力で具現化した円状の陣のふちに、時計回りで、魔法の稼働に必要な情報を書き込んでいきます。
前回おさらいしたように、古代ルーン文字を想起することによって陣の中に情報を書き込めます」
思考、つまりパターン化された微弱な電気信号によってあらゆる物質や事象に変化する、魔素という粒子。
古代人たちは魔素が特定の"形"に反応して挙動を変えることを発見し、これを制御するためにルーン文字と呼ばれる文字列を開発したという。
現存する魔法のほとんどは、古代に発明されたものだ。
「魔法陣を完成させたら、つぎは唱えたい魔法を頭のなかに思い浮かべます。情景だけではダメです。概念ごと、できるだけ詳細に想起してください」
ニコラはズレてきたメガネを元の位置にかけ直した。
「詠唱にはこの手順をサポートする意義があります。ただミートパイを思い浮かべようとするより、実際にミートパイ、と口にしながら思い浮かべるほうがはるかに想像が楽なはずです。名前とイメージは密接に結びついているんです」
何人かの生徒がミートパイ、と口ずさんだ。
そのおかしな光景にニコラは苦笑いを浮かべた。
例えはもう少し厳選すべきだったか。
「魔法のイメージがつけば、あとはそこに魔素を流し込むだけです。体内に蓄積された魔素を指先に流すのがセオリーですね。この手順や空気中の魔素の体内への溜め方、体への流し方は感覚的につかむしかありません」
パーティの、勇者の卵たちは熱心に話を聞いている。
そろそろ魔法の実践にうつる時間だ。
「魔法のもととなる魔素はあらゆる現象、物質に変化するため、人類はこれらを便宜的に分類してきました。たとえば火、水、風、重力、治癒、通信、筆記などです」
魔法を使えるものは全人類のうち2割だという統計がある。
魔素を吸収できない。
魔素をからだに蓄積できない。
思考が魔素に伝わらない。
単に頭が悪い。
様々な理由で、ほとんどの人間は魔法を使えない。
先日死んだらしい『勇者』パーティの戦士のように、ハイスペックな身体能力のみで成り上がるものもいるが、基本的に魔法が使える人間は使えない人間より強い。
ここにいる生徒たちはみな魔法が使える。
この時点ですでに彼らは選ばれたものたちだ。
「あなたがたはすでに魔法使いですが、優れた魔法使いであるかは分かりません。この優劣を判断するときに、どんな分類の魔法が得意か、という観点はとても重要です」
イメージのしやすさ、魔法陣に書き込まなければいけない情報の多さや複雑さ、魔素の必要量。
これらの差異によって、各分類の魔法には多少の難易がある。
「イメージのしにくさという観点では治癒魔法が、魔法陣の難度では転送魔法が、魔素の量は消滅魔法や聖魔法が、代表的なむずかしい魔法でしょう」
そう言いながらニコラは、右手の人差し指を立てて目線の高さにかかげた。
魔法陣が手を囲むようにあらわれた。
指の上が淡く光り、小さなむらさき色の球体が生成された。
「ランク1のエネルギー魔法『魔法のしずく』です。エネルギー魔法はもっとも簡単な種類で、魔法陣も単純です」
ニコラは魔法陣に書き込むべきルーン文字を板書した。
生徒がノートに書き写す音が響く。
「それでは実際にやってみましょう。指向性をもたせると教室が傷つきますから気をつけて」
さらなる注意事項を板書しようとして、ニコラはふと手を止めた。
脳に感じたわずかな痺れ。
つまりはテレパシーの予兆だ。
(おはようニコラ、今日の調子は?)
野太い男の声が脳内に響いた。
これだけ言い残して、何事もなかったかのようにテレパシーは切れた。
合図だ。
「すみません、皆さん」
ニコラは直ちに生徒に向き直った。
「どうも今日は体調がすぐれません。授業の途中ですがおやすみしてもいいでしょうか。代理の先生をよこすので指示に従ってください、では」
心配そうな生徒たちの視線を感じながら、ニコラはなるべく不健康に見えるよう、よろけながら教室を後にした。
廊下には他の先生たちの声が響いていた。
となりの教室ではフォーメーションの基礎、その奥ではパーティ内の役割分担について。
校内で授業を受ける5〜20歳の生徒たち約500名が、将来の冒険者候補である。
王都の人口の200分の1にも満たない彼らに、魔王との戦いの行方がかかっている。
まだ若い彼らに、だ。
王は魔王城到達までの過程を、一種のエンターテイメントだと思っている。
誰が多く魔王の幹部や強いモンスターを倒すか。
誰が先に大陸最北端の魔王城にたどりつくか。
どのパーティが先に魔王の死を確かめるのか。
競い合うパーティと、王の悪政から現実逃避して彼らの活躍に熱狂する王民が織りなす、胸糞の悪いエンタメ。
彼ら冒険者候補の生徒は、そんな糞のような社会の犠牲者だ。
生徒たちは戦闘技術だけでなく、正義や道徳をも学ぶ。
刷り込まれた"正義"にがむしゃらに従い、自らの使命に疑問をもたず、弱きを助け、モンスターを殺し、魔王に憎悪を燃やす。
彼ら生徒たちも、いずれ助け出さなければいけない対象だ。
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ほぼ魔法の説明パートでしたが…大丈夫でしたか?