11話 点火(2)
一連の動きを幹の隙間から見ていたクレスは、激しく動揺していた。
あの女性はどう見ても限界だ。
まわりの兵士たちもおそらく同じような状況。
敗北は必至。
しかし彼女たちは戦意を失わない。
6日前の自分とは違う。
長年連れ添った仲間の死を予感して、自分の死を予感して。
尻尾を巻いて逃げた自分とは違う。
治療してくれた兵士の言葉を思い出す。
──あなたは『勇者』です。
あの兵士は必死な顔をして自分にそう言った。
自分が勇者であると。
勇者に値する者だとみじんも疑わずに。
責任から、仲間から、村を守ることから、死ぬことから。
『勇者』が背負うべきすべてから逃げた自分を、必死に守ろうとした。
そして今も懸命に治療を続けている。
うつろな自分に何か言葉を叫び、逃げるよう促している。
文字通り命をかけて。
外の兵士たちもそうだ。
『勇者』を、自分を助けるためだけに多くの命が投げ出されている。
それでも彼女らはひるまない。
目的を果たすまで止まらない。
(クレス様の治療はどうなっていますか)
オーラはかろうじて残っている余力を使って衛生兵へテレパシーを飛ばした。
(立って歩ける程度には終わりました。しかしクレス様本人がここを動かないと申しており……)
(分かりました、私が話をします)
「テイン、アゴルド、ランヌ、ナトロン。ここを任せます!」
この部隊生粋の精鋭4人の名前を呼ぶ。
すぐに集まった彼らはオーラには及ばないものの、4人がかりならこの魔人を止めうるだけの力をもっている。
彼らが一ヶ所に集中してしまえば前線は長くはもたないだろう。
クレスをすぐに説得し、場合によっては力尽くで撤退に協力させるしかない。
血だらけのオーラの顔が木のうろの隙間から覗く。
「クレス様、行きましょう」
オーラが差し伸べた手は握られなかった。
「もういいんだ。あんたも逃げろよ、死ぬぞ」
『神速』のクレス・クーは俯いてそう溢した。
街頭のホログラムで輝いていたあの勇者は、今その姿に影を落としていた。
幹の中のひんやりとした空気。
外の戦場とは切り離されたジメジメとした空間。
追加の応急処置を行うメディックたちに囲まれたクレスは風化した石像のようだった。
「クレス様、どうして逃げようとしないんです」
「仲間を見捨てて逃げた俺は『勇者』なんかじゃない」
オーラの問いに対してクレスはぶっきらぼうに答えた。
「責任から逃げた『勇者』に生きる価値はない」
「そんなことありません。責任はまた別の機会に果たせばいい」
「お前らろくに戦わないような王国軍には分かんねえよ!」
彼の叫びが空洞の内部に響いた。
オーラは罵倒に耐え、冷静になだめようと試みる。
「ええ、そうです。だからあなたの力がこれから必要なんです。敵の攻め方があまりにもおかしい。王国を脅かしかねない何かが起こっています。王都に帰り、休養し、そしてお力添えを」
返答は沈黙だった。
長い長い数秒。
「俺を讃えて受け入れてくれる人間は、きっともう王都にいないさ」
ようやく返ってきた『勇者』からの言葉に、オーラは怒りを覚えた。
受け入れてくれる人間が、いない?
だから『勇者』を辞めると?
「わたしたちはクレス様を、特大の正義感の持ち主だと聞いてきました。軍に共有される戦闘報告や出回っている噂から考えるに、実際にそうなのでしょう」
情けない震える勇者の背中が、ぴくりと動いた。
「ですが…………あなたの正義感は、あなたを讃えてくれる人がいなければ発揮されないものだったのですね」
『勇者』の位は参謀本部の長よりも高い。
クレスへの不敬は死罪に相当する。
「対価がなければ正義を執行できないのですね」
それでも今は強い言葉を投げかけねばならない。
「あなたには失望しました、クレス様」
と、オーラの脳が痺れを感知した。
魔人を足止めしている精鋭からのテレパシー。
(アゴルドとナトロンがやられました!はぁ、はぁ、俺たちももう持ちません!)
オーラは目を瞑りうつむく。
時間がない。
これ以上の味方の犠牲は許容できない。
「失礼します。あなたが動くことを拒むなら、力尽くで連れて帰ります」
指の先に魔法で弱電流を発生させる。
衛生兵のひとりが十数秒かけてクレスのマジックアーマーを中和し、オーラがうなじに触る。
電流を流して無抵抗のクレスを気絶させようとした、その時。
木の幹が勢いよく吹き飛ばされた。
木片があたりに散らばり、大量の土煙が四散した。
オーラはすぐに起き上がった。
マジックアーマーが2割消し飛んだ。
幹の中にいた衛生兵は衝撃によって全員死んでいた。
視界に映ったのはあの魔人だ。
足元には2人の兵士が倒れていた。
ひとりは半身を切断され、もうひとりは片腕をなくしてうずくまっている。
(すみませんオーラ小隊長……)
(ランヌ!)
立ちあがろうとしたオーラだったが、抵抗できないえずきに襲われた。
口に当てた手から血がこぼれ落ちる。
どうやら吐血したらしい。
からだに限界が来ている。
視界がぼやける。
「群れてイキんなよォ、歯応えねェナァ」
耳元で声が聞こえた。
クレスは目の前の光景をどこか俯瞰して見ていた。
倒れていた隊長らしき女性兵士が魔人に腹へ蹴りを叩き込まれ、さらに吹き飛ばされたところだ。
あの女兵士に自身の正義感を否定された。
何も背負っていないはずの一介の兵士に、だ。
正義の心は己の芯だった。
スカウトされてから今日まで、それだけは誰にも負けない自信があった。
「俺は正義に……対価を求めていたのか?」
戦場の中心で言葉をこぼす。
讃えてくれる人が、信じてくれる人が、慕ってくれる人が。
誰かの感謝や羨望の眼差しが、己の正義の原動力だとしたら。
無償の正義ではないとしたら?
目の前で攻撃されているボロボロの王国兵が言っていたことが、正しいというのか?
取るに足らないほど弱いあの女が?
クレスは顔を上げた。
目の前の惨状、死にかけている女兵士、死んだ衛生兵、投げかけられた侮辱、歩んできた道。
救えなかった村、救えなかった民、救えなかった仲間。
すべての事柄が頭のなかを駆け巡り、そしてそれらは──。
クレスのプライドと、姿を潜めていた小さな小さな正義の心に。
さらに小さな、火をつけた。
評価の方よろしくお願いします!
いよいよ1章も大詰めです!ぜひごゆっくり楽しんでください。