純粋な世界
【嘘を販売しています。あなたの要望をお聞かせください。それに適した嘘をご用意します。お気軽にお声がけください。】
ある日、都会の隅っこの道にこんな謳い文句が書かれた看板を掲げた露店が出されていた。
「なんだ、なんだ。嘘を販売?」
「うん?嘘ってなんだ?おい、君は知っているかい?」
「いや、聞いたことがないな。見たところ、何も販売していないようだ。もう嘘というものは売り切れてしまったのかもしれないね。」
「そうか。それは残念だ。是非見てみたかったよ。」
過ぎゆく人々は、横目で露店の様子を見ながら通り過ぎていった。店頭に何も置いていない店に立ち寄る人がいないのは当然のことだった。
そんな日々がいくらか過ぎた頃、毎日のように露店の前を過ぎゆく一人の男性が、痺れを切らしたように店主に尋ねた。
「やぁ。随分売れ行きはいいようだね。毎日この店の前を通るけど、いつ見ても嘘という物は売り切れのようだ。」
すると、店主はこう返した。
「旦那。嘘っていうのは目に見えないものなんですよ。一種の神の力とでも言いましょうか。いや、この力は一度体験していただかないと、きっと理解できないでしょうな。旦那どうです。初回なんでお安くしておきますよ。」
店主は金額をそっと提示した。
「それでも随分高いな。まぁ、そうかい。じゃあせっかくだし、お試しに嘘を一つ頂こうかな。」
「毎度あり。」
店主は不気味に微笑み、そっと受け取ったお金を大事そうにしまいながら、客に尋ねた。
「さて、旦那は何か願いはありますか。例えば好きな女性がいるとか、勤めている会社で出世したいとか。」
「そうだな。私は会社でもかなりの落ちこぼれだから、きっと出世なんてできないだろうなぁ。」
男は少し寂しそうに微笑んだ。
「旦那。嘘って言うのは旦那のような人のためにあるんですよ。」
そう言って店主は、紙にペンで何かを書き始めた。
「私のような人のためねぇ。なんだい、嘘ってのは落ちこぼれを慰めてくれる動物か何かかい。」
「いえいえ、これですよ。」
店主は何かを書き終えた紙をパッと男に見せた。そこにはこう書いてあった。
【お、さすが。今日もスーツがバッチリ決まってハンサムですね。いつもあなたをお手本にして仕事を頑張っているんですよ。】
「なんだい、これは。」
男は怪訝そうな顔でその文字を見ていた。
「はは。皆さん最初はそんな顔をなさるんですよ。どういう意味か理解できないような顔でね。大丈夫ですよ、旦那。この言葉をあなたの上司に使ってみてください。たちまちあなたは出世できるようになるでしょう。」
店主は笑顔で答えた。
「そうかい。それなら早速明日から使ってみるよ。」
「ええ、そうしてください。きっといい未来があなたを待っているでしょう。」
男はじゃあと言って、そのただの紙切れを大事そうにしまい込み、帰っていった。
次にその男が店頭に現れた時は、満面の笑みで浮き足立っていた。
「聞いてよ店主。君から買ったあの嘘だけど、あれのおかげで毎日のように部長の機嫌が良くてね。今まで見放されていたのに、どうやら次の課長候補に私を選んでくれそうなんだ。」
「ええ、ええ、そりゃよかった。」
「いやぁ、ビックリした。こんな言葉がこの世にあるなんて思ってもいなかったよ。もしかして君は神様なのかい。」
男はドキドキしたように目を輝かせながら店主に問うた。
「いえいえ、そんな大層なもんじゃありませんよ。旦那と同じ人間ですよ。」
「はは、そりゃそうだ。さて、実はまた嘘が欲しいんだけどね。」
「はいはい、お安い御用で。ご要望は?」
「実は振り向かせたい女性がいてね。」
「よくある注文です。うちの得意分野ですよ。」
店主はまた紙切れにペンで何か文字を書き始めた。
【君はいつ見ても本当に美しいね。どんな美しいものも君を前にすると霞んでしまうよ。きっと君に出会うために僕は生まれてきたんだ。】
そう書かれた紙切れを、男にヒョイと渡した。
「ありがとう。この言葉はきっと私に素晴らしい幸運をもたらせてくれるんだろうな。」
男は新しいおもちゃを買ってもらった子供のようにはしゃぎながら店主に伝えた。
「はい、これ代金ね。またくるよ。」
「ええ、いつでもお待ちしていますよ。」
露店の噂が広まるのはそう時間はかからなかった。最初は見向きもしなかった人達もあれよあれよと言う間にどっと店に押し寄せてきて、気がつけば毎日のように長蛇の列ができていた。そこには、一般人から各国の有名人まで色んな人間が並んでいた。
「どうしても手に入れたい人がいるの。」
「はいはい、お待ちください。」
「出世させてくれ。」
「うちの得意分野ですね。」
「子供に夢を与えたい。」
「それは素晴らしい。」
「今度の選挙で勝つための言葉をくれ。」
「お安い御用で。」
嘘は瞬く間にこの世界に蔓延した。道を一歩歩けば嘘が聞こえてくるようになっていた。だが、人々の欲望はとても深く、露店の長蛇の列はいつまで経っても途切れる様子はなかった。
だが、ある時を境に露店は砂漠のオアシスのようにふっと姿を消した。
嘘をたくさん持っている人は買っておいてよかったと、嘘を少ししか持っていない人はこの先どう生きていけばいいのかと困惑した。自ら命を絶つ者も少なからず現れた。もう既にこの世界は嘘なしでは生きていくことができないようになっていたのだった。
各国では国を挙げての大捜索を行った。だが、露店と店主を見つけることはできなかった。
露店が無くなってから幾許かの時が過ぎた頃、ある都会の隅っこに看板を立ててひっそりと佇む露店が出されていた。
その前を一人の男が通り過ぎようとしていて、ふと立ち止まった。
「んーと。嘘発見器を販売しています。どうぞお立ち寄りください、だって?」
男は怪訝そうに茣蓙の上に並べられた機械を見つめた。
「いらっしゃいませ。」
「店主、これはなんだい。」
「ハハ、これはですね、嘘を発見するための機械ですよ。」
「嘘を発見するだって?」
「ええ。近頃嘘が世の中に蔓延していますからね。相手の言っていることが嘘かどうか知りたくはないですかい?」
「確かに、そう言われればそうだな…」
男は腕を組みながら少し考えた。そして、ふと店主を見てふと思い出したように言った。
「あれ、店主。あんた確か嘘を売っていた人じゃないかい。」
「いえいえ、違いますよ。」
その時、茣蓙に並べられた機械から一斉に音が鳴り出した。