季節外れの海に遊びにきた、紫苑と舞夜のとある一日
海行こー!
海?
いつもの間延びした声での誘い。
やだよ、なんで、とそのとき舌を出したはずなのに、気づいたら砂浜を踏んでいる自分はどうかしている。
季節外れの海は誰もいない。来たときには子どもがいたが、石かなにかを拾ってすぐにどこかへ駆けていった。興味もなかったが、目的をまっすぐに達成できたのは羨ましかった。そしてその無邪気な直截さも。
「靴、濡れないようにね」
「はーい」
砂浜に、舞夜の小さな足跡ができている。規則正しく並んでいる、とおもいきや時折ずれているのを視線で追う。恐らく本人に自覚はない。紫苑からすると、彼女は歩くのもあまり得意ではないように見える。
舞夜はそんなことを気にせず、自由に歩いて行く。しかしたまにこっちを振り返って、紫苑がどこにいるのかを確認する。
目が合うと、彼女の口が動いて何かを言われた。
「聞こえない!」
「そっちあったー?」
「何が!」
「きれいな石ー!」
そういえば此処に着いたとき、探そうって言ってたっけ、なんて思い出した。
青い空。青い海。白くはない、砂利ばかりの砂浜。砂があるのは、波打ち際だけだ。観光客は海水浴に来ないだろう浜辺。地元の人間が、たまにいるかもしれない。その程度の小さな砂浜。
「石ばっかりだね」
「なんか素敵なの拾うなら、こういう浜の方がいいんやって」
今後いつ使うか分からない知識に、生返事を返す。
紫苑もなんとなくその場で屈んで、石を眺めた。年月をかけて波風に削られたのか、丸い物が多い。
――素敵なもの。大きなシーグラス、変わった形の貝、珍しい雰囲気の石ころ!
殺風景な海辺を、舞夜はスカートを潮風に揺らしながら楽しそうに歩く。時折しゃがんで、大人しく砂粒を検分している。
紫苑は波風にあたりながら舞夜を眺めていたが、しばらくしてから、彼女の真似をするように何かを探し出した。何かあるだろう、と思った。
拾ったものを手に集まってみれば、舞夜は集めたものをすべて地面に置いていた。
「かわいいよね」
舞夜がニコニコしているので、紫苑も屈んでそれらを眺めた。色合いの綺麗な石やシーグラス、保存状態のよい貝殻。
紫苑も拾った、蜂蜜色のシーグラスを舞夜に見せた。
「かわいい! おいしそうな色~」
「欲しいなら、君にあげてもいいけど」
「あ、私、全部持って帰らんから……」
「集めたくせに? 持って帰らないって?」
「え? うん」
舞夜は地面に並べられた、拾ってきたものを眺めている。
紫苑は自分の手元に残った、蜂蜜色のシーグラスを眺めながら、ため息をついた。
「なんで、持ち帰らないわけ?」
「理由っていうか、そんな珍しいものでもないし、……んーー。長い話やけど、聞く?」
「ぜんぶ聞く」
紫苑は微笑んだ。舞夜はちょっと面倒くさそうな顔をした。
「……昔、綺麗な貝や石、シーグラスで、絵を作りました。廃材の板に、貝や石、シーグラスで鳥の絵をかきました。それが幼い舞夜ちゃんの最高傑作。皆が褒めてくれて、それだけで私は十分幸せで、誇らしかった。すごいことをした、と思いました。一番大切な、一番大事な思い出がある絵……。でも、もうない」
子どもが作った、簡単なアート。彼女の自尊心を前向きにした小さな思い出。
家族は皆それを褒め、大切にしたのだろう。しかし、あまりにも保存の知識が乏しかった。
物はすべて劣化し、やがて終わる。
「潮の香りが匂ってくるし。貝は劣化する。保存する知識なんてない。道具もない。無知な子どもはうろうろするだけ。親に捨てるから、と言われて、私は…………いいよって応えて。それで、その話はおしまい」
舞夜と目が合わない。。
それが気に食わなくて、紫苑は持っていた石ころを、ぽいと砂浜に投げ捨てた。
「ふーん。見てみたかったな、きみの芸術」
「私もまた見てみたいな。短い期間でも、私の一番の宝物やったもん」
時間は刻々と進み、迫る。
会話のあと、舞夜はまた砂浜歩きを始めた。ローファーの小さな足跡が、紫苑の前には続いている。
「シオンくんは何か拾った?」
「まさか。どうせ君は、ここからは何も持って帰らないんだろ」
「うん。じゃあ、あと、何しよっかー? 追いかけっこ?」
「君走ると転ぶでしょ」
喋りながらも砂浜に残る、舞夜の小さな足跡。取り残されていく一つ一つを、紫苑は軽く踏みつけて進む。
「たまに転ぶけど、絶対には転ばない。はず!」
「どうかな。僕からみたらそうとう怪しいんだけど。君、自分の鈍臭さのすべてを理解しきれてないみたいだから」
あれこれ話しながら、舞夜は、海に背を向けて歩き進む。
紫苑はその後をついていく。小さな靴の形にへこんだ砂利を、ぐっと踏みしめながら進んでいく。
そしてあっという間に、紫苑は舞夜の隣に並んだ。
紫苑は満足だった。
「おつかれー」
舞夜は紫苑にそれだけ言って、それからはただじっと、海のほうを眺めていた。
日が傾いていく。色が橙に染まり、そしてあっという間に夜の海になるのだろう。今はそのあわいにいる。
「そろそろ帰ろっか」
舞夜は紫苑を見て、少し悲しげに言った。
「まだ明るいけど、夕方の海はね、危ないからね」
日が暮れだすと、波は明確に人間を拒絶する。
潮はあっという間に満ち満ちて、波は高く浜辺に打ち付ける。
眼下の波の激しさがその証拠だ。
「そうだね」
紫苑は興味なさげだったが、特に反抗することもなかった。
紫苑と舞夜の二人は並んで帰った。たまに転びそうになる舞夜を紫苑は支え、砂浜に二人の足跡をいろいろ残して、そのまま帰っていった。
歩きながらもしばらくは潮騒が聞こえてくる。その潮騒を背に、二人は喋る。
「海、どうやった? 楽しかった?」
「君はどうだったんだよ」
「海はきれいやったしー、シオンくんとのんびりお喋りできて、よかった」
「そう」
「シオンくんは?」
「そもそもなんで僕、此処にいるんだろうって感じ」
「来るって言ったやんかー」
「まあね。でも、海に行くっていうか、砂場で石拾いだった気がするんだけど」
「ほかにも泳いだり、鬼ごっこしたり、喋ったり、なんでもできるよ。またあした遊ぶ?」
そういうことではないのだけど。
楽しげな舞夜に見つめられると、どうでもよくなった。ため息は付いた。
紫苑はポケットから、石ころを取り出した。舞夜が一度手にとって、また砂地に返した石達だ。深い紫色の石、黒色のひらたいシーグラス、綺麗な形の貝殻。
「これ、さっき舞夜が捨ててた石」
「あ。シオンくん、持って帰るの?」
「いや。君、これらが一番気に入ってたよね。せっかく僕が拾ってやったんだし、もって帰ったら?」
「え? でもうちにあっても、いつか壊れて……」
「ちゃんと保管すればいいじゃん。調べる方法だっていくらでもある。駄目だったらまあ、物はいつかは壊れるものだからってことで」
「えっと」
舞夜は宝物を並べたような紫苑の手から顔を上げて、紫苑の顔を見た。
紫苑が真剣に平然としているので、舞夜は目を瞬かせた。
「小さい頃の小さい傷に、いつまでも傷つく必要なんてないよ」
そう言って広げられた手に乗せられた一つ一つ。一つ一つを、舞夜はじっと見つめて、それから細い指でつまんで、労るように触れた。
紫苑は息を吐いた。彼の手にのこっているのは、紫色っぽい石、赤と橙、黄色みの混ざった貝、黒の透けたシーグラス――。
「というかなんでこんなジャンルバラバラなの? もっと明るい色のやつとか、綺麗なやつとかなかったわけ?」
「なんか、みかけて、シオンくんぽいかなーって」
紫苑は不意をつかれて黙った。
「……どこが?」
「紫はシオン君の紫で、黒は黒い服で、貝殻は……きれいでかわいいから、シオン君が貝殻欲しそうならあげるのにな~と思って……」
「そういうことなら、貰ってあげるよ」
「貝?」
「そう。これだけね」
紫苑は貝を手にすると、密封できる袋にいれた。
「シオン君石とシオン君シーグラスは?」
「いらない。君が見つけた、君のお気に入りだろ」
紫苑の手のひらのなかのそれらを、舞夜は怖ず怖ずと受け取った。
「綺麗にして、飾ろっかな」
「芸術は作らないの?」
「これは、いいかな。でも大事に、準備して飾るね。貝殻も……大事にする?」
「どうかな。でもたぶん大丈夫だと思うよ。これ、案外頑丈そうだし」
「貝殻ってすぐ壊れるけど」
「そのときはまた直すよ。僕、君よりは器用だからね」
「たしかにー」
紫苑が誇らしげなので、舞夜は笑った。
「シオンくん?」
「なに」
「今日、一緒に海に来てくれてありがとー」
「どういたしまして。なんで海なんかに来たのかはさっぱりだけど、でも、悪くはなかったよ」
「貝殻、大事にしてね」
「君もね」
透明なケースにいれて飾ってあげるよ。
『束ね鬼怪奇譚シリーズ』の、男女主人公の紫苑と舞夜のとある一日です。
リハビリ作品です。