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告白の返事

 昌雄は歩美以外の女の子に興味関心がない。そのため、学校では女子との関係が希薄だが、クラスの中で親しい男子は多い。

 そんなクラスメートに、昌雄が自分の恋愛の話をすることはこれまでなかった。小学校時代の同級生の中には昌雄が歩美に想いを寄せていることを知っており、気に掛けている親友も数名いるが、彼等は皆他のクラスになっている。

 気軽に話せる相手が多くても歩美の話をしてこなかったというより、同じ学校に通っていないために関係性を知られにくいというところもあった。

 しかしながら、昌雄が歩美のように友人へ相談しなかったのは、相手へ信用がないためというより、下手に話して男友達が歩美と接触する機会ができることを避けているところが無意識のうちにあった。

 野球の応援に誘ったときにも考えていた通り昌雄は、歩美を男子と近付けたくないという気持ちが強かった。それは、会った男子が歩美を好きになるかもしれないという嫉妬もあるが、男性恐怖症の歩美に怖い思いをさせたくないという理由も大きかった。

 実際歩美は、昌雄とは随分親しくなって異性として意識しても恐怖を抱かなくなったが、男性恐怖症自体が完全に克服されたわけではなかった。

 昌雄はそんな歩美に対して、自分以外の男性への恐怖が克服されないことで、他の男性へ気が向く可能性が低くなるだろうからこのままでいい。いや、さすがに身勝手な考えだろうかと誰にも言わず一人考えていた。

 その一方で、昌雄は親しい男子の恋愛の話を見聞きすることはあり、それに邪魔や揶揄をすることはなかった。

 そのためか昌雄は、興味関心が強いわけでなくとも親しい男子の恋愛事情を把握するようになった。

 それらを考慮すると、友人の好きな相手に近付いて逆上されるなどといった問題を回避できるなど、人間関係を良好に運べる利点もあった。

 現在のクラスになったことで親しくなった羽山(はやま)透也(とうや)は、昌雄から見て悪い奴ではなかったが、かなりのお調子者だった。

 羽山は夏休み前に、昌雄に隣のクラスに気になる女子がいることを明かした。そして昌雄に

「お前があの子を困らせる演技をして、俺が助けに行くって方法で近づけへんやろか⁉︎」

と頼んだことがあった。

「泣いた赤鬼やあるまいし、何で俺がわざわざそんなことせなあかんのや」

昌雄は呆れてそう返した。他人の恋愛に協力すること自体は抵抗がなかったが、そのような方法は賛同できなかった。そしてこの話も、昌雄が学校の中で自分の恋愛を話題に出さない要因の一つとなった。

 しかしながら昌雄は冬休み後に、学校でもそわそわすることが増えたため、クラスメートからも何があったのかと聞かれるようになった。

「なんか落ち着かん様子やけど、好きな人でもできたん?」

冬休みが終わって1週間ほど経った頃の朝礼前に、羽山からそう聞かれたことがあった。

「俺、そんなに変やった?別に何ともないけど?」

昌雄は、驚いてそう返した。

 羽山は鈍感な印象があったが、唐突にそう指摘されたということは、相当様子がおかしかったのかもしれないと昌雄は戸惑った。しかしながら、『好きな人ができた』と言われたということは、歩美への感情や関係性は知られていないことでもあると安心した。

「そっか、他の小学校のやつは知らんか。昌雄って、年上の幼馴染のことが好きなんやで」

偶然同じ教室にいた、昌雄の小学校時代の同級生でありクラスメートの松田 (はやて)がそう言ってきた。

「おまっ…お前、いつからおったんや⁉︎それよりも俺の好きな相手を簡単に話すなよ!」

昌雄はまず、松田が話に加わってきたことに驚いた。松田とは小学校ではそこまで親しくなかったが、お互いのことはそれなりに認識していた。

「小学校では有名な話やったやん。その人は女子校に入ったから、俺も現状は知らんけど」

松田は悪びれる様子もなくそう話した。

「女子校に通う年上ってすごいな。幼馴染やないと狙えへん相手やん」

羽山がそう驚いた。

「しかも、めっちゃ綺麗な人なんやで。うちの学校であの人より可愛い子って思い浮かばへん」

松田がそう言い出したので昌雄は

「何やねん。人を面食いみたいに言うなよ」

と反論した。

「でも長谷川って、好きな芸能人の話とかせえへんよな」

羽山は、妙に納得していた。

「確かに、人気のアイドルや女優にときめいたことってないかも」

昌雄も、その点には素直に納得した。

 実際昌雄も、歩美のことはスタイルが良くて美人だと思っている。テレビや雑誌に出ている芸能人を見ても何とも思わなかったのは、意識して比べていたわけでなくとも、歩美が誰よりも美しいと思ってきたからである。

 しかし、やはり歩美がそれだけ美しいと思っているのは、内面やこれまでの事情を知っているからでもあった。

「そんなに綺麗なんや。俺には狙えへんわ」

学校への携帯の持ち込みは禁止されているため歩美の写真は確認できなかったが、羽山はそう感心した。

「前の10月に、告白はしたんやけどな」

昌雄が、少し覚悟をしてからそう話した。

「じゃあ、今はその返事待ち?」

松田にそう聞かれた。

「うん。そんなところやな」

昌雄もそう返した。

「来月にはバレンタインデーもあるし、進展があるとええな」

羽山にそう言われて、昌雄は初めて自分のそわそわした気分の正体に気付いた。歩美と随分親しくなったと実感している中で、あと1ヶ月もしないうちにバレンタインデーを迎える。前年まで意識したことはなかったが、歩美からのチョコレートと告白の言葉を貰えることを、全く期待していないわけではなかった。

 昌雄は自分の恋愛の話をされて恥ずかしかったが、後押しされたことを嬉しく思い、素直に

「うん。ありがとう」

と言えた。


 実際その頃、歩美はバレンタインデーに昌雄に告白することを決めていた。これまで昌雄への恋心に気付きながらもなかなか勇気や機会を得られなかったが、ようやく年間イベントという形できっかけを作れた。そして、バレンタインデーという恋人のためのイベントが日本に存在することを心からありがたく思った。

 歩美は、告白のためなら重い印象を与えるかもしれないが、手作りのチョコレート菓子を昌雄に贈りたいと思った。

 しかし、歩美はお菓子を作ったことはほとんどなかった。料理も上手にできない自分が、美味しいお菓子を作れるだろうかと不安になった。せっかく好きな相手に贈るなら、やっぱり美味しくて見た目も綺麗なものを作りたいと思った。そのため、まずはお菓子作りの練習から始めることにした。

 

 「−ということで、お菓子作りを教えてほしいの」

1月の休日にバンドの練習で集まった際に、歩美は事情を話して志緒里にそう頼んだ。志緒里はお菓子作りや手芸など、家事全般が得意だった。

「ええけど、早くから準備するんやね」

志緒里には、すんなり快諾されながらも少し驚かれた。

「うん。私お菓子作りとかほとんどしたことないから、変なものを食べさせへんために練習したいと思った」

歩美はそう話した。

「変なものって…。それだけ昌雄君のことを大切に思っとるんやね」

涼子もそう感心した。

 そして珠姫は

「志緒里の家で練習するなら私も行く!」

と食いついた。

「珠姫はおやつ食いに行きたいだけやん」

と涼子が呆れた。

「自分でおやつ作りたかったから調度ええ機会って思っただけやもん!」

と珠姫が反論したが歩美は

「私が作って失敗作を食べさせることになるかもしれへんけど、それでも良かったら…」

と、珠姫がお菓子を作るのではなく食べること前提で話した。

「もちろん、たまちゃんが来るのも迷惑やないよ」

と志緒里は穏やかに話したので、

珠姫は

「やったー!」

と大喜びした。


 「お邪魔します」

歩美が志緒里にお菓子作りを教えて欲しいと頼んだ翌週の休日、歩美は志緒里の家を訪ねた。

「あっ、歩美が来た!」

最初に聞こえたのは、そんな珠姫の明るい声だった。

「いらっしゃい。遠慮なく入って」

その後に、志緒里がそう言って出迎えた。

「たまちゃん、もう来てたの⁉︎」

歩美は志緒里に家の中を案内されながら、そう驚いた。

「そうなの。家族には事情を話して家を空けてもらえたから迷惑には思わんだけど、今から1時間以上前に来たから『私、約束の時間を間違えて伝えたっけ⁉︎』って驚いとったんやで。『まだ歩美が来てないからお菓子は作れへんよ』って話は聞いてくれたけど、それまで大人しく待ってくれると思えへんだから、家にあるお菓子を出すしかなかったんやよ」

志緒里は、苦笑いしながらこれまでの出来事を話した。

「もう、全部聞こえとるよ。いらんこと言わんといて!」

食卓に入ったら、珠姫がそう膨れていた。

「でも、嘘やないいんやろ?志緒里を困らせたらあかんよ」

歩美は、志緒里の話を聞いていたのでそう話した。

「だって、楽しみすぎて自分の家におっても落ち着かんだんやもん」

そう話す珠姫は、出されたお菓子をすでに平らげていた。

「これからお菓子を作るのに、そんなに食べて大丈夫なん?」

歩美がそう心配した。

「うん。調度完食したから、また次のおやつが作れるのが楽しみ!」

珠姫がそう明るく返した。

「私も教える前に自分でも練習しとこうと思ってお菓子を作っとったけど、調度良かったかもしれへん。こうなるとは思わんだけど」

志緒里が、そう苦笑いした。

「じゃあ、改めてよろしくお願いします。今日は何作るの?」

歩美が志緒里に聞いた。

「人気があって作りやすいガトーショコラやで」

志緒里がそう答えた。

「めっちゃ美味しかったよ!」

珠姫が明るくそう言った。

「そうなんや。それは楽しみやな」

歩美は、少し呆れながらそう呟いた。

「そうや、分量や作り方のコツとかメモさせて」

歩美はそう言って、持参したメモ帳を取り出した。

「真面目やね。レシピはコピーしてあるから、後であげるよ?」

志緒里がそう驚いた。

「ありがとう。でも、お菓子作りのことは全然わからへんし、実際に見ないとわからんこともあると思うから」

歩美はそう言い、メモを手放さなかった。

「そっか。本命やもんね。じゃあ、気になることがあったら気軽に質問してな」

志緒里は、お菓子作りを一生懸命覚えようとする歩美を微笑ましく思いながら、そう言った。

 歩美も、レシピは後で貰えるため分量や基本的な手順の記録する手間はなくなったと思いながらも、作る様子をしっかりと確認し、熱心に説明を聞いた。

「ガトーショコラって、ココアパウダーやなくて製菓チョコで作るんや」

歩美は、並んでいた材料を見てそう驚いた。

「うん。選ぶチョコレートによって風味や仕上がりも変わってくるよ。ビターすぎると食べにくくなるかも」

歩美は、志緒里の話をメモにまとめながら

「それは、ガトーショコラやなくても言えることかも」

と納得した。

 先日のクリスマスでも、昌雄はケーキを喜んで食べていたから、甘い物を贈ること自体は問題ないだろう。それに、昔から好き嫌いはあまりなかった印象がある。ただ、苦いものを好んで飲食していた覚えはない。歩美はそう考えて、あまり苦いものは選ばないようにしようと決めた。

「作るときの決め手はメレンゲかな?」

志緒里が、ハンドミキサーでメレンゲを作りながらそう話した。

「すごーい、こうやって作るんや!」

珠姫は、お菓子を作る様子を見てそう感心した。

「本当に作ったことなかったんやね。作るのも面白いよ?」

志緒里は穏やかにそう話した。

 一方歩美は、しっかりと手順を覚えようという意識が強く、面白いとまでは思えなかった。そして、まずは正しい手順を覚えたいと思い、志緒里に言われるまで実際にお菓子作りの作業をする気になれなかった。

 そして、ガトーショコラの生地が完成した。オーブンに入れて焼きあがるまでの待ち時間、3人は普段通り何気ない話をした。

「歩美は、バレンタインデーにどんなお菓子を作ろうって考えてある?」

志緒里がそう聞いた。

「まだ何も。でも、今回のガトーショコラは実際に贈ってもええなって思った。本命の男の子に贈るのに、派手なデコレーションやラッピングがされた物って合わへんかなって思って」

歩美の話に志緒里は

「確かにそれはあるかも。女の子同士で友達に贈る物なら、可愛い方がええかもしれへんけど」

と納得した。

「マサ君、喜んでくれるとええけど」

歩美はふとそんな心配をした。

「大丈夫やって。気持ちも隠し味やろ?」

志緒里がそう後押しした。

「隠し味か。都市伝説みたいに色々言われとるけど、それが1番やよな」

歩美も独り言のようにそう言った。

「都市伝説?変な物入れんの?」

何も知らない珠姫が、呑気にそう聞いた。

「知っても無意味やと思うけど、惚れ薬と思われとんのか、自分の体の一部を入れるみたいな話を聞いたことある。涙くらい可愛いもんで、毛髪やの血液やの唾液やの陰毛やの経血やのって…」

歩美がおどおどしながらそう話した。

「えー怖っ!それ完全に異物混入やんか。そんなもん入れたらあかんて」

珠姫もそうドン引きした。

「心配せんでも入れへんて。陰毛や経血って、食品に入れる場面を想像するだけでも悍ましいけど、本当に生理周期と睨めっこする女子もいるらしいって聞いたことあるよ」

歩美はそう続けた。

「そんな話、信じたくもないな。気持ちなら無味無臭やけど、どんだけ入れても異物やないから」

志緒里もそう話した。

 そう話しているうちに、オーブンから焼き上がりを知らせる音がした。

「わーいできた!」

その音を聞いただけで珠姫はそうテンションが上がった。

「まだ熱すぎて食べられへんって。火傷するよ」

志緒里がそう静かに咎めた。

「そっかー」

と珠姫はがっかりした。

「クリーム塗ったりせえへんから、冷たくなるまで待つ必要はないから勘弁してな」

と志緒里が補足した。

 歩美はその話を聞いて、昌雄の家はすぐ隣だから、冷たいお菓子も贈れるだろうかと考えた。しかし、室内で食べるとはいえ、この寒い時期に体を冷やすものは贈らない方がいいかもしれないと思った。

「そろそろええかな?」

しばらく時間を置いてから、志緒里がガトーショコラをオーブンから取り出した。

「美味しそうやね」

歩美は、出てきたガトーショコラを見てそう感心した。

 志緒里は、ホールから出したガトーショコラを切り分けて粉砂糖をかけた。歩美はその様子を見ながら

「綺麗やね。食感も邪魔せんし、ええデコレーションやな」

という感想を述べた。

「粉砂糖のデコレーションって、男子からも喜ばれるって聞いたことある」

志緒里もそう話した。

「そこはようわからんけど、美味しそうになるよな」

珠姫もそう賛同した。

「美味しそうって、たまちゃんはすでに食べたんやろ?」

歩美は少し呆れたようにそう話した。

「改めてお茶も出すな」

志緒里が苦笑いしながらお茶の準備をした。

「よーし、いただきまーす!」

お茶とお菓子を出されてすぐに、珠姫はそう喜んだ。

「美味しい。私もこれと同じように作れるように頑張ろう」

歩美は、出されたガトーショコラを食べてそう言った。

「こうして友達に出来たての手作りのお菓子を出すことってなかったから、私も嬉しいな」

志緒里もそう喜んだ。

「今日は本当にありがとう」

歩美は改めて志緒里にお礼を言った。

「上手くいくことを願っとるよ」

志緒里もそう言った。


 その後、歩美は自宅でお菓子作りの練習をした。しかし、この時に初めて家にハンドミキサーがないことに気付いた。

 考えてみれば、自分の家で手作りのお菓子を出された記憶はなかった。辛うじて手動の泡立器は見つけたが、先日志緒里が教えてくれたように作れるか不安になった。

 そして案の定、メレンゲ自体は作れたがハンドミキサーよりも時間がかかり、腕や肩も疲れた。ただその分、やりがいは感じられた。

 メレンゲはそれなりに完成し、生地は綺麗に作れた。しかし、歩美は焼く時間を間違えてレシピより長く設定してしまった。

 それに気付かないまま時間まで焼いた結果、ガトーショコラのようなしっとりした印象とは程遠い、焦げてはいないが硬くてさっくりしていそうな代物が完成した。

「あれ、レシピ通りにしたはずなのに、どうして?」

歩美は、完成品をオーブンから取り出しながら、そう落胆した。そして、レシピを見直してようやく焼き時間を間違えていたことに気付いた。

「こんなのマサ君に出せへんよ」

歩美はそんな独り言をつぶやいて落胆した。

 その時、焼けた匂いにつられたのか、弟の凛太朗が台所にやってきた。

「姉さん、お菓子作ったん?」

弟にそう聞かれた歩美は思わず

「食べたらあかん!」

と叫んだ。

「え、何があかんのさ。昌雄君にあげるやつやから?」

凛太朗は、歩美の言葉に驚いてそう聞いた。しかも昌雄の話をしているし。

「違うの。むしろ昌雄君に出せへんような失敗作やから、全部私一人で片付けようと思って」

歩美はそう慌てた。

「そうなん?何が失敗かようわからんけど、これはこれで美味しそうやけどな。それにまだ1月やから、まだまだ練習として作っていけばええだけやん?失敗しても僕が食べてあげるからさ」

凛太朗は、歩美がガトーショコラを作っていたとは知らなかったため、淡々とそう返しながら、お菓子を食べ始めた。

「ちょっとそれどういう意味よ!それに、何勝手に食べてんのよ!」

これも弟なりの励ましなのだろうと理解しながらも、最後の小生意気な台詞には、普段はおっとりしている歩美もむっとした。

「何のお菓子かわからんけど、さっくりしとって美味しい」

作ったお菓子を全て喜んで完食した弟を目の前にして、歩美は複雑な気分になった。作ったものが無駄にならないのはいいが、親友の珠姫といい、弟の凛太朗といい、自分の周りにはやたら大食らいがいるものだと思った。

 

 その後、歩美はお菓子のヒントになるものはないかと家の本棚を覗いた。すると、背表紙に『お菓子レシピ』と書かれたノートを見付けた。開いても問題ないだろうと考えた歩美は、それを躊躇いなく開いた。

「すごい…」

歩美はノートを読んで、思わずそう呟いた。

 お菓子のレシピは手書きの読みやすい文字で書かれており、材料の詳細や手順のコツまで丁寧に書かれていた。

 しかも、チョコレート菓子をはじめ、有名なものからあまり馴染みのないものまで、和菓子や洋菓子のレシピが豊富に記載されていた。

 歩美は、これはかなり参考になるだろうと嬉しく思いながら、誰がこのノートを書いたのだろうという疑問ができた。前述の通り、家族がお菓子を手作りしていたという印象がなかったからである。

「お父さん、本棚からお菓子のレシピのノートが出てきたんやけど、誰が書いたもんか知っとる?」

その日の夜、歩美は父親にそう聞いた。この家は父親が生まれ育った場所だからである。

「こんなもんあったんや。知らんかった」

父親はノートを見て、そう驚いた。

「お父さんでもわからんの⁉︎」

歩美はそう驚いた。しかしながら、確かにノートの字面は見覚えのないものだった。

「そっか。これは多分、うちの親父が書いたやつや」

父親はノートを開いてそう納得した。

「おじいちゃん⁉︎父方(こっち)のおじいちゃんって、随分前に亡くなっとったよね?」

歩美はそう聞いた。父方の祖父は歩美が生まれる前どころか、両親が結婚する前に亡くなったと聞いていた。

 歩美も詳細は知らなかったが、幼少期に家に飾られていた祖父の遺影を見付けて「何でこんなところにお父さんの写真があるの?」と聞いたほどなので、若くして亡くなったのだろうと認識してきた。そしてノートの内容からして、きっと細やかな人だったのだろうと思った。

「うん。親父は俺が子供の頃、よくお菓子を作っとたんやよ」

父親がそう話した。

「すごい。そうなんや。美味しかった?」

歩美がそう聞いた。

「俺はあの頃はムキになって食べへんだから何とも言えへん。でも、お袋は喜んで俺の分まで平らげとったよ」

父親のそんな話を聞いて、一体その頃の家族関係に何があったのだと、歩美は驚いた。そして、喜んで食べていたという祖母も、凛太朗が生まれた少し後に亡くなっている。

「そうなんや。おじいちゃんに感謝せんとな」

歩美はそう言い、ノートを抱きしめた。


 別の日に、歩美は泡立器を使わずに作れるという理由から、チョコレートトリュフ作りに挑戦した。泡立器を使わないというだけで、シンプルな割に温度管理が重要な物ということは、祖父が書いたノートで理解した。しかしながら、そのチョコレートの扱いも丁寧に書かれていたので、初めて作るが心強かった。

 しかし、歩美はチョコレートを刻んだときに、誤って自分の手も切ってしまった。

「っ‼︎‼︎」

小さく悲鳴をあげるほど傷口は深く、どんなに避けても血がチョコレートに混入してしまった。

 歩美は傷の手当をしながら、また失敗したと落胆した。お菓子作り自体は楽しいが、慣れなくて上手くいかない自分が情けなくなった。しかし、せっかく作るのだから、手を抜かずに最後まで作ろうと頑張った。

 こうして完成したトリュフは、見た目は綺麗で美味しそうだったが、やはり自分の血液が入っていると思うと気分が落ち込んだ。

 そして例の如く台所にやってきた凛太朗に対して、歩美は再び

「食べたらあかん!」

と叫んだ。

「また⁉︎前のやつより美味しそうやけど?」

凛太朗は驚いてそう聞いた。

「そうやないの。それ、私の血液が入っとんの」

歩美はそう話し、怪我をした手を見せた。

「切ったったん⁉︎手当したとはいえ大事にしなよ。確かにそれは食べにくいな」

凛太朗は、歩美の怪我の心配をしながらもそう話した。

「そうよね。入っとんのが自分の血液でも食べたないもん」

歩美はそう話した。志緒里と珠姫の3人で、異物混入の本命チョコが怖いと話した通り、チョコレートの色で目立たないとはいえこれを人様に贈れるわけがなかった。

「姉さん、チョコレート切って怪我したん?」

凛太朗にそう聞かれた。

「そうやけど?」

歩美は少し拗ねながらそう返した。

「じゃあ、チョコレートを使う分だけ計量して、袋に入れてすりこぎで叩けばええんと違う?」

凛太朗がそう提案した。

「随分乱暴なこと考えたんやね。でも、それなら怪我はせんな」

歩美は、そう納得した。それでも目の前のお菓子は自分しか食べられない。チョコレートトリュフ自体は美味しかったが、そうして不本意なもので腹が膨れ体重が増えると考えると、改めて複雑な気分になった。


 それから歩美はお菓子作りの練習を重ね続け、2月に入った頃には失敗せずに完成させるようになった。

 ただ、これからもお菓子を作り続けたいわけではないので、ハンドミキサーは購入せずに手動の泡立器のみで生地を作るようになった。最初こそ腕や手の疲れを感じていたが、慣れるとそれも気にならなくなった。

 もしかしたらレシピを残した祖父も、ハンドミキサーは使っていなかったのかもしれないと歩美は思った。随分昔の話とはいえお菓子を作る人がこの家にいたなら、今でもハンドミキサーが残っていてもおかしくない。それに、男性だから力もあったのだろう。

 もし祖父が今でも生きていたら、手作りのお菓子を出してくれたり、作り方を教えてくれただろうか。歩美はふと、そんなことを考えて少しだけ寂しくなった。

 昌雄に贈るチョコレート菓子は、最初に志緒里が教えてくれたガトーショコラに決めていた。そのため、それを何度か作ってきた。

「またお菓子作ったんや。これは食べてええやつ?」

お菓子が完成するたびに、凛太朗がそう言ってやって来た。

「あんた、どんだけ食べ物の匂いに敏感なのよ」

歩美はそう呆れた。ただ、

「もう失敗も出血もしてへんから、好きなだけ食べてええよ」

と答えられるようになった。

「美味しい。これなら昌雄君にも喜んでもらえるな」

凛太朗がガトーショコラを頬張りながらそう話した。

「前も言ってたけど、何で昌雄君の話をするのよ」

歩美は、凛太朗に対して昌雄のことが好きという話をしたことがなかったのでそう聞いた。

「だって、この時期に男子にチョコレートを贈る理由って一つだけやし、その相手も他に考えられへんもん」

凛太朗は淡々とそう返した。

「確かにそうなんやけどさ…」

歩美はそう呟き赤くなった。

「僕も昌雄君には相談されてきたからな。上手くいくことを願っとるよ」

凛太朗にそう言われ、歩美は相変わらず生意気な言い草と呆れながらも

「ありがとう」

とお礼を言った。


 そしてバレンタインデー当日。歩美はドキドキしながらこの日を迎えた。

「おはよう。これ、作ったついでみたいになっちゃって悪いけど」

歩美は、学校で最初に会った涼子達にそう言って昌雄に贈るために作ったガトーショコラの片割れを贈った。

「ありがとう。今日は上手くいくとええな」

涼子はそう話し、笑顔でガトーショコラを受け取った。

「ついでとか、そんなこと気にせんよ。たくさん入れてくれてありがとう」

珠姫もそう大喜びした。甘いものが好きすぎる珠姫の分は、他の親友より中身を多く袋に詰めていた。しかし、そうしないと満足されないだろうと誰もが予想することなので、誰もえこひいきなどとは思わず納得するだけだった。

「たまちゃんの分って、昌雄君に贈る分より多いんと違う?」

志緒里がそう苦笑いした。

「ところで、涼子はすでにたくさんチョコレートを貰ったんやね」

珠姫が涼子にそう聞いた。

「うん。貰えることはありがたいけど、こんなに食べきれへん」

涼子がそう話したので珠姫は

「じゃあ頂戴!」

とおねだりした。

「言われなくてもそのつもりやよ。私にくれた子達には悪いけど」

涼子がそう話した。

 歩美も、確かに好意を持って贈ったチョコレートが、他の相手に食べられるのは複雑な気分になるのかもしれないと思った。

 しかし学校内では、涼子の隣には珠姫というお菓子好きがいて、そのツッコミ役をしているという話は有名だった。そのため涼子は同級生から「たまちゃんの彼氏」とまで言われていた。

「もちろん、歩美がくれたやつはちゃんと食べるからな!」

涼子はそうフォローした。

「ありがとう。みんなに喜んでもらえて良かった」

歩美はそう安心した。しかし、まだ1番贈りたい相手には贈っていないので、緊張感はなくならないのだった。

 この日は部活はあったが、比較的帰りが早くなった。そのため歩美はそのことを少し幸運に思いながら急いで帰宅し、制服のままプレゼントを持って昌雄の家に向かった。

 この時期は、中学校は部活動の終了時間が早く設定されていたため、昌雄はすでに自宅におり、もしかしたら歩美が来てくれるだろうかと淡い期待をしながらそわそわしていた。そのため昌雄は、家のチャイムが鳴った時にすぐさま玄関まで駆け出した。

「マサ君、出てくれてありがとう」

歩美は、昌雄が出迎えてくれたことにほっとした。そして昌雄も、歩美がプレゼントを持って家に来たことを嬉しく思った。

 歩美はプレゼントを昌雄に差し出し、緊張しながら

「私、マサ君に言いたいことがあって…」

と話し始めた。

「うん。ゆっくりでええから話して」

内容が全く想像できなかったわけではないが、昌雄もそう言いながら緊張し始めた。

「私、マサ君のことが…すっ、好きやから…これ、受け取ってください」

歩美はそう伝え、改めてプレゼントを手渡した。

「手作りのお菓子なんて、気持ち悪いかな?」

歩美は、不安になってそう聞いた。

 プレゼントを手に取った昌雄は、歩美に告白されたことが信じられないほど嬉しかった。そして慌てて激しく首を横に振り

「そんなことない。返事なんて、一つしかないのに…。じゃあ俺と、付き合ってくれんの?」

と聞いた。

「うん。こんなに待たせてごめんね。お菓子と私の気持ち、受け取ってくれてありがとう」

歩美は、赤くなりながらそう話した。

「俺の方こそありがとう。こんな日が来て、すごく幸せ。今日から歩美さんにとっての俺は、弟みたいな幼馴染でも友達でもなくて、彼氏…なんなんやよな」

昌雄は、赤くなりながらも笑顔になった。

「そうやね。改めてよろしくね」

歩美もそうはにかんだ。

「そうや。他人(ひと)に取られるのも嫌やから、早速食べてもええ?」

昌雄は、恥ずかしさをごまかすためにもそう聞いた。

「うん」

歩美はそう答えた。

「じゃあ、いただきます」

そう言いラッピングを解く昌雄の様子を、歩美はドキドキしながら見守った。

「ラッピングもお菓子も綺麗やな。この袋、記念に残してもええ?」

昌雄がそう聞いた。

「それは構わんけど、そんなこと言われると思わんかった」

歩美はそうきょとんとした。

 そして昌雄はガトーショコラを一口かじり、その味と歩美の想いを噛み締めた。

「美味しい。こんな美味しいお菓子は初めて食べた」

昌雄はそう感動した。

「そう言ってもらって嬉しい。練習してきた甲斐があったな」

歩美は安心して思わずそうこぼした。

「そんなにしてくれたん⁉︎」

昌雄は、歩美が自分のために頑張ってくれていたことを知り、とても感動した。

「ありがとう。俺、これまで以上に歩美さんのことが好きになったよ。やから、これからはもっと大切にするから」

昌雄は、はにかみながらもそう告げた。

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