隣のモミの木
「ここに集まるのは久しぶりやね」
演劇部の発表後の12月の休日、歩美は涼子と珠姫と志緒里の4人で、空き倉庫に集まった。
当然、不良が喧嘩をするためではなく、バンド演奏やその練習のために涼子が家族の許可を取って使っている場所である。
そう、4人は演劇部とは別にバンド活動も行なっている。バンド名は、女子校らしく「ナデシコ」である。
パートは、歩美がボーカルとキーボード、涼子がギター、志緒里がベース、珠姫がドラムを担当している。
正式な部活として軽音部があるわけではなく、プロを目指しているわけでもないが、学校内ではそれなりに知られていて人気もあった。
「みんなで演奏するのって学祭以来?」
歩美が少し懐かしそうにそう言いながらキーボードをセットした。
「そうやね。演劇部の方が忙しかったもんな」
涼子もそう納得した。
歩美は、最後にバンド演奏した時期が遠い昔のように思ったのは、それが昌雄に告白される前だったからかもしれないと思った。
そう考えると、何だか昌雄に振り回されっぱなしな気もした。しかしそれが嫌なこととは思わず、いつか昌雄にバンドの話をしたり、演奏を披露することがあるだろうかと考えた。
「ところで、あの男の子とはどうなん?」
演奏前に、珠姫に唐突に聞かれた。
「あの男の子って、昌雄君のこと⁉︎」
歩美は驚いてそう聞いた。
「私でも、あの子の名前くらいは覚えたけどな」
志緒里がそう苦笑いした。
「部活の発表の後は、一緒に帰ったよ」
という歩美の話に一同からは隣の家だから自然とそうなるかと納得されながらも、
「どんな様子やった?」
と聞かれた。
「それが−」
歩美は、その時の出来事を思い返すだけでも恥ずかしくなり、真っ赤になりながらしどろもどろ話した。
「それでー、私が、寒いねって…話したら…昌雄君が、その…、うっ、うっ、上着を…何も言わずに…貸してくれて…」
そんな歩美に対して涼子は
「話は聞き辛いけど、可愛いな」
と言っていた。普段は落ち着いている歩美がここまで慌てる様子は、仲間達でもほとんど見ることはなかった。
そして歩美は話の最後に
「私…、昌雄君のことが、好きなんやなって実感した」
と言い、恥ずかしさから顔を覆った。
「まあ、そうなんやろね」
と、一同からは納得された。そして、誰もからかってはいないのにここまで恥ずかしがることだろうかという顔をされた。
「その後は、何かあった?」
歩美が少し落ち着いた後に、志緒里がそう聞いた。
「先週の休日にキャッチボールしたくらいかな。まだ告白の準備とか全然できてへん」
と歩美は答えた。
「キャッチボールなんてしとるんや。あれ、相手と息を合わせる方がうまくいくやつやんな」
中学時代にソフトボール部だった涼子がそう言った。
「やっぱりそうなんや。マサ君は野球部やから、演劇部の発表の前からしとった」
歩美がそう答えると
「ってか、いつからマサ君って呼んどんの⁉︎」
と、涼子にさらに驚かれた。
「あれ、いつからやろ?マサ君の方が呼びやすいと思って、気付かんうちにこうなっとった」
歩美は、指摘されて初めて昌雄への呼び方が変わっていることに気付いた。
「それだけ、昌雄君の話をしていて、直接呼んどるからやんな?」
志緒里にそう言われて、歩美はまた恥ずかしくなった。
「昌雄君に告白せんの?」
珠姫が呑気にそう聞いた。
「お前なぁ、他人事やからって簡単に言うなよ」
涼子が歩美の代わりにそうツッコんだ。
「うん。自分の気持ちさえ言えたら、付き合えるよな」
歩美はそう自分に言い聞かせたが、まだ勇気もきっかけもなかったため、やっぱりすぐに昌雄に告白できそうにはなかった。
歩美は、昌雄が自分に対して「ずっと好き」と告白していたことを思い出した。そして、『ずっと』とはいつからなのだろうと気になった。その言葉が付いたということは、昌雄も告白するまでに、それなりの勇気と時間が必要だったのかもしれないと思った。
「私達も昌雄君と別れた後で、『ええ子やったね』とか『可愛い子やね』って話しとったんやで」
志緒里が静かにそんな話をした。
歩美も、昌雄のことは昔から可愛いと思っていた。華やかさはないが、可愛くて優しい顔をしているとも思ってきた。
それが、告白されてからは異性として意識するようになり、優しさや男らしさを感じてドキドキするようになった。そんな昌雄のことを親友からも絶賛されたことは、心底嬉しかった。
「すぐに告白できない気持ちもわかるけどさ、あの子と付き合って損はないと思うよ?」
涼子にもそっと後押しされたことに歩美は心強く思い、
「うん。そうやよね。ありがとう」
とお礼を行った後に、
「って、マサ君の話はもうええやろ⁉さっさと︎練習しよう!」
とまた赤くなるのだった。
ナデシコは、オリジナル曲を作ったことはないがコピーする楽曲が幅広いバンドである。話題になるような有名な楽曲からメディアへの露出が少ないロックバンドの楽曲や洋楽も演奏してきた。特に、英語が得意な歩美が歌う洋楽は評判が高い。そのため、最近では歩美が洋楽の歌詞を和訳して歌うようになった。
この日も、和訳した洋楽の演奏がメインだった。とは言ってもバンドなので、ボーカル以外は歌詞が何語であってもあまり演奏への影響はなかった。強いて言えば、歌詞の意味を理解している方が、演奏による表現が豊かになるくらいである。
しかし歩美は歌った後に
「洋楽って、歌詞の繰り返しも多くて単純な作りの物が多いって思とったけど、結構直接的な表現が多いよな」
と言い出した。
「何、まだ恥ずかしがっとんの?歌いにくいなら代わりに歌ったろか?」
珠姫にそう言われて、歩美は慌てて
「ごめんなさい。ちゃんと歌うから大丈夫!」
と慌てた。
というのも、珠姫は中学から吹奏楽部で演奏してきたこともありドラムの演奏は抜群に安定しているのだが、歌唱力は壊滅的だった。そのくせ、当の珠姫は大声で歌うことがドラム演奏以上に好きだった。
珠姫自身も、自分よりも歩美の方が歌が上手いのでそちらの方がボーカルに適切ということは理解しており、それに対して妬み嫉みはないものの、やはり歌いたいという気持ちもあるのだった。そのため、メンバーも諦めて歌うこと自体は禁止しなかったが、決してドラムの前にマイクを置くことはないのだった。
「大体昌雄君のことを最初に聞いたんは珠姫やんか」
と涼子も言った。
「えー、でもみんな気になっとったやろ?歩美の恋を応援したいもん」
と珠姫が反論した。
「私も、気に掛けてくれることは嬉しいよ。でも、あんまり言われるのは恥ずかしいから」
と歩美は自分の気持ちを素直に話した。そんな感じで、和気藹々とバンド演奏は続くのだった。
その頃、昌雄は歩美と帰宅したときのことが忘れられず、これまで以上にドキドキしていた。
歩美が自分を好きになって告白してくれると期待したわけではないが、告白する前と比べたら、かなり進展したように思えたことが嬉しかった。そして、以前にも増して歩美のことが好きになった。ただ、執拗に歩美を追いかけて逃げられたくないと思ったが、やっぱり付き合いたいとも思った。
12月に入り、外はクリスマス一色になっている。よくクリスマスまでに恋人を作りたいという話も聞くが、昌雄はそれを理由に期待はできなかった。
しかしながら、カップルとしてでなくてもいいから、クリスマスは歩美と過ごしたいと思うようになった。
前年までは、このようなことは全く考えておらず、ただ街の華やかさや豪華な食事にわくわくするだけだった。それが、歩美のことばかり考えてそわそわするのは、やはり告白をしたからである。
昌雄が歩美に長年片想いをしていながらなかなか告白に踏み切れなかったのは、このように頭がモヤモヤすることを恐れていたからでもあった。
それでも、どんな結果になっても行動しないとモヤモヤは解消されないので、歩美に
「クリスマスの頃の予定は入っていますか?」
とメールで聞いた。直接聞くと、強引に誘っているようで抵抗があったためである。もちろん、相手の都合を気にせず、いつでも返事をもらえるためでもあった。
「クリスマスイヴから冬休みだから、予定は空いてるよ」
平日の就寝前に送ったメールだが、返事はすぐに届いた。
昌雄は、早く返事が来たことや、その内容にほっとしたが、張り切って二人きりで過ごそうとは誘えなかった。それに、お互い未成年なので遅い時間まで2人で外では過ごせないとも思った。
「そういえば、兄ちゃんはクリスマスは歩美さんでも誘うの?」
その翌日、義雄にそう聞かれた。
「そんなの無理やって!そもそも俺らまだ10代やから、遅くまで外に出たらあかんし」
と昌雄は返した。
「じゃあ、うちに歩美さんを呼べばええやん?」
義雄は、しれっとそう提案した。
「そっか。その方法があったな」
昌雄は、全く思いつかなかった発想に感心したが、即座に
「って、母ちゃんや叔父ちゃんとも一緒になるやん。付き合ってもないのに紹介するみたいな」
と動揺した。昌雄達は早くに父親を亡くしているが、その弟である叔父と同居している。
「大丈夫やって。母ちゃん達も歩美さんのことはよう知っとるやん。何なら、俺から相談したろか?」
義雄は淡々とそう話した。
「じゃあ、お願いします」
昌雄も、弟相手に素直にそう頼んだ。
「クリスマスイヴに歩美ちゃんを家に?それはええけど昌雄、いつから付き合っとんの?」
事情を話したのは義雄なのに、母親からはそう言われた。
「まだ付き合ってへん。ってか、何で俺に聞くん?」
昌雄はそう驚いた。義雄は、昌雄が歩美に告白したことは一切話していなかった。
「歩美ちゃんってあんた達より年上やから、付き合うなら昌雄かなって思った。それに、昌雄の方が昔から歩美ちゃんに懐いとったしな」
と母親は返した。さすがに歩美に好意を寄せてきたことや、告白したことには気付かなかったようだと、昌雄は少しだけ安心した。
「はい。先々月に告白して返事待ち状態です」
昌雄はそう白状した。
「何よ改まって。うちに呼んでええんとちゃう?私も歩美ちゃんと会うのは久しぶりやから楽しみやな」
と母親は張り切りだした。
昌雄は、そのことを恥ずかしくも嬉しく思い、迷わずに
「クリスマスイヴの夜、俺の家に来ませんか?」
とメールした。
歩美は、クリスマスの予定を聞かれた翌日に昌雄からそう誘われたことに驚いた。そして、こちらも家族に相談することになった。
「随分昌雄君と仲良くなったんやね。楽しんでおいで」
両親からはそう言われただけで、全く反対されなかった。
こちらの家は、昌雄の告白に協力した凛太朗だけでなく、両親もすでに事情を知っていた。
告白された日は、歩美があまりにも赤くなっていたため、熱でも出したのかと両親から心配されて、誤解を解くために事情を話していたのだ。
昌雄とは昔から家族ぐるみの付き合いだったが、最近では彼の母親や叔父と会う機会は少なかったため、歩美は緊張し始めていた。ただ、昌雄の家族に対してはいい印象が強かったので、やはり楽しみでもあった。
そして迎えたクリスマスイヴの日、昌雄は朝からそわそわしていた。歩美を誘ってから、何年かぶりにクリスマスツリーも一人で飾った。もしかしたら、歩美の家ではもっと豪華なクリスマスツリーが飾れているのかもしれないと考えたが、そのことは誰にも言わなかった。
クリスマスイヴに向けて張り切っているのは昌雄だけではなかった。母親は例年より明らかに豪華なメニューを用意していて、叔父は昌雄と理由は違えど歩美が来ることを楽しみにして普段よりお洒落していた。
「お邪魔します」
そして日が暮れた頃に、歩美は昌雄の家を訪ねた。
「いらっしゃい。遠慮なく入って」
昌雄は、笑顔で歩美を出迎えた。
「今日は呼んでくれてありがとう。これ、皆さんへのクリスマスプレゼントです」
歩美は上がってからそう挨拶し、昌雄の母親にプレゼントを渡した。
「ありがとう。そんなに気を遣わなくても良かったのに」
母親は、そう言いながらも喜んで受け取った。
歩美は、まだ昌雄と付き合っているわけではないと思いながらも、よく知っているはずのその家族と食卓を囲むことに緊張を感じた。しかしながら昌雄の母親が
「うちは娘がおらんから、女の子が家におるのって新鮮やな」
と言って嬉しそうにしている様子に、歩美は安心した。
カップルの仲は良くても、姑や彼氏の母親が原因で関係性に支障が出るという話も聞くが歩美は、昌雄の母親とはずっと仲良くいられるのではないかと思えた。
「歩美ちゃん、久しぶりに会ったけど別嬪さんになったな」
昌雄の叔父からはそう言われた。
「叔父ちゃん、何親戚のおばさんみたいなこと言っとんの」
義雄がそう言った。歩美も実際に母親の実家に行った際に、祖母や叔母にそう言われることがあった。
そして、自分も家族との関係は良好だったが、仲が良くて温かみのある昌雄の家族を微笑ましく思った。
それと同時に、今頃自分の家族もクリスマスの食事を楽しんでいるのだろうと思った。自分はいなくても、大喰らいの弟がいるので食事が残ることはないだろうと想像していた。
「ご飯、とても美味しいです」
歩美は、笑顔でクリスマスメニューを頬張りながらそう言った。
「美味しそうに食べてもらえて嬉しいわ。でも、歩美ちゃんを呼ぶからって、昌雄もかなり手伝ってくれたんやで」
昌雄は、母親にそう言われてはにかんだ。
「マサ君が⁉︎すごい。私は料理なんて全くできないのに」
歩美はそう感心した。歩美は、自分の母親の作る料理は好きだが、自身は料理が不得意ということに少しコンプレックスを抱いていた。
「やっぱり、男も料理できた方がええからさ」
そう話す昌雄は、可愛くも頼もしく思えた。
「そっか。私が料理できなくてもええの?」
歩美は、ふとそんなことを聞いた。
「そんなこと、気にしたことない。できへんことをフォローし合ったらええんやから」
昌雄に明るくそう言われて、歩美はまたきゅんとなった。
「歩美さんの前やからってかっこつけて!」
と義雄がからかい、昌雄が赤くなりながら
「うるさいな!」
と言い返す様子も、歩美にとっては微笑ましく思えた。やっぱり自分は昌雄のことが好きなのだと改めて実感した一方で、家族もいる中では恥ずかしくて告白できなかった。
そして歩美は、昌雄と家族になったらきっと笑顔が絶えない明るい家庭になるのだろうなんて想像した。しかしながら、お互いまだ10代で付き合ってもいないのに、こんなことを想像するなんておかしいだろうかと一人考えた。
「今日は呼んでくれてありがとうございます。とても楽しい時間でした」
歩美は、帰宅するときに笑顔でそう言った。
「いつでも来てくれてええからね」
昌雄の家族に笑顔でそう言われて見送られたことで、歩美は胸の中が温かくなった。
『きっと、年が明けてから想いを伝えるから待ってて』
歩美は心の中でそう呟いて、自宅に戻った。