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魔獣奉賛士  作者: 柚緒駆
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限界点

 深夜。静寂。沈黙。死臭。グアラグアラの街に動くものはない。住民はアルハグラの兵に殺され追われ、アルハグラの兵は聖騎士に殺戮され、聖騎士は空へと昇って行った。後に残されたのは絶望的な静謐のみ。いや、何か音がする。それはかすかに歩く音。


 闇に溶けるような黒髪の、闇を纏うような黒衣の女。左腕に巻き付く黄金の鎖。よろめきながらひきずりながら、それでも大きな足音を立てないのは、身についた癖であろうか。


 街のどの辺りを歩いているのか、もうわからない。ただ目を閉じる事が恐ろしく、目を開けている事が辛かった。沈黙が悲しく、しかし誰かの声を聞くのが耐えられなかった。温もりを渇望しながら、それに触れるのは身を焼く苦痛。妖人公ゼタには居場所がない。生きる理由も死への期待もない。彼女には何も残されていなかった。


 その足が、ふと止まる。視界の端に浮かぶ小さな明かり。火に集まる羽虫のように、ゼタはよろよろとそちらに向かった。街の外れなのだろうか、建物はない。草むらの中に石組みの粗末な塚がこしらえられ、その上に置かれた女の生首が、おぼろに輝いている。


「……ルーナ」


 かすれる声で名前を呼んだ。もちろん目は開かない。ゼタは震える脚で塚に近付き、深く息を吐くと、崩れ落ちるようにひざまずいた。


「これも私のせいかだと言うのか。私がザンビエンの元を去らなければ、こんな事にはならなかったと。……いや、違う」


 髪を振り乱してかぶりを振る。狂気に満ちた目がルーナの首を見つめた。


「違う、違う、おまえのせいだ。おまえがザンビエンの心を奪っていたなら、こんな事にはならなかったのに。おまえが、おまえさえ、おまえなら!」


 両の手が強く地面を叩き、うつむいた口から嗚咽が漏れる。


「……ダリアム。すべてはあなたを裏切った報いだと言うの。あのとき私があなたを選んでいれば、あなたと逃げていれば、誰も苦しまずに済んだとでも言うの……でも選べなかった。私には、どうしても。あなたも、ザンビエンも」


 血の色の涙を流しながら、ゼタは身を震わせた。


「ねえ、ルーナ。私は何を間違えたの。どこで間違えたの。どうして間違えたの」


 当然、返事はない。その代わりでもあるまいに、空の上で重い打撃音が轟き、星空に白い線が幾つも花火のように走る。座り込んだゼタは振り仰ぎもせず、ただおぼろに輝くルーナの生首を見つめていた。



「おかしな事もあるものです」


 身の丈の数倍の直径を持つ巨大な氷の球体が左右から高速で迫り、セイタンは天雲の剣の切っ先を大きく回して円を描く。二つの氷球は真ん中からパックリ割れるとセイタンの体を避けてぶつかり砕け散った。その勢いで花火のように広がる無数の破片の白い軌跡。


「まるで本当に無限に尽きぬ氷が、あなたの中にあるようだ」


 白い煙の中から姿を現わすセイタンに、今度は上下から氷球が迫った。再び天雲の剣は回転し、氷球はぶつかり、花火のように砕け散る。


 ザンビエンは宙で腕を組む。その周囲に次々浮かび上がる巨大な氷の球。


「何が言いたい」

「もしあなたの内に、真に無限の氷が存在するのなら」


 天雲の剣は氷球を二つ斬り割り、四つ斬り割り、八つ斬り割る。


「何故ギーア=タムールを封印するとき、氷の山脈に存在した氷をすべて使い切ったのですか」

「常に余力を残す事は、戦法として間違っていない」


 白い煙の向こうから小さく笑う声。


「あなたの頭の中は丸見えだという事をお忘れですか」


 星空に、長く幅の広い光の帯が現れた。上下左右に十二本。それらがザンビエン目掛けて襲いかかる。響き渡る重い音。太い氷の柱が六本、ザンビエンを囲い守っていた。光の帯はその中程まで食い込んでいるが、動きは止められている。


「確かにそう言えばそうだったな」


 光の帯は輝きを強め、氷の柱には亀裂が走った。


「ええ、そうなのですよ」


 微笑むセイタンの背に翼は見えない。


「水なくして氷なし。あなたの生み出している氷とは、大精霊ラミロア・ベルチアから送り込まれた水を凍らせた物ですよね」


 十二の輝きを前に六本の氷の柱は耐えきれない。突破した光の帯がザンビエンに触れんとしたまさにそのとき、強烈な衝撃波が光の帯をはね除けた。衝撃波はさらにセイタンをも殴り飛ばす。


「もしそうなら……どうする!」


 二撃目の衝撃波はしかし、天雲の剣に斬り割られた。


「別にどうする訳でもありません」


 背中に十二枚の翼を戻したセイタンは笑う。


「ただ少し嬉しいでしょうか。あなたが私と戦うために、あなた自身以外の力を欲したという事実が。そこまで私を怖れているという事実がね」

「それは意外だな」


 ザンビエンもドクロの仮面の下で笑う。


「我にはうぬと戦っているつもりなどないのだが」

「……何」


「我の戦うべき相手は天界だ。うぬは天界にとっては我と戦うための武器、装置、道具に過ぎず、我にとっては天界に勝利する上での障害物に過ぎぬ。勝利のためならラミロア・ベルチアであれ誰であれ、力を借りよう。しかし、うぬに勝つ事はただの段階であって目的ではない」


「ザンビエン、貴様」

「この頭の中が読めるのであろう。ならばわかるはずだ。もっとも、うぬがルーナの価値に気付いていたなら多少話は変わったのだがな」


――おまえは神以外の光を一つ、知っている。見えぬが故に気づかぬだけだ


 セイタンの脳裏をよぎったのは、地竜ガニアの言葉。


――そのときまで、おまえは気づくまい。そして悔やめ


「悔やむと思っているのか」


 セイタンの顔から笑みが消える。その目が憤怒と憎悪に燃える。


「その程度の事で、この私が悔やむとでも思っているのか!」

「悔やむ事すらできぬのなら、それで構わぬ」


 ザンビエンは氷のような目で見つめた。


「無意味に打ち砕かれるがいい」



 星空の中、ジグザグに飛ぶギーア=タムールをランシャは追う。その斜め後方には、追いすがるあと二人のギーア=タムール。うち一人が速度を上げた。魔剣レキンシェルの白い刃がきらめき、その鼻っ面をかすめた。傷は負わせられなかったものの、牽制にはなったはずだ。


「姫、大丈夫ですか」


 ランシャの気遣いに、左腕に抱きしめられたリーリアは少し青い顔をしながらも気丈に笑顔を作った。


「私は大丈夫です。でもラミロア・ベルチアがちょっと苦しそうで」


 水の大精霊はいま、ランシャを介してザンビエンに大量の水を送り続けている。苦しさはちょっとどころではないかも知れない。時間的余裕はない。一刻も早くギーア=タムールを片付け、セイタンを倒さねば。それなら。


「少し揺れます。我慢してください」


 そう言うやいなや、全身から白い冷気をもうもうと吹き上げながら、ランシャはさらに加速した。白煙の中、後続の二人も加速を始める。その途端、ランシャは速度をそのままに、百八十度方向を転換した。レキンシェルの刃の軌跡が三日月を描く。


 一人は肩口から腰にかけて斬り割られ、もう一人は首を撥ねられた。二人のギーア=タムールの傷口は呪いの氷で凍結し、修復する事も叶わない。どれだけ本物に似せようと、どれほど本物に近付けようと、とどのつまりは本物ではないのだ。本物でなければ届かぬ高みに到達できるはずもない。


 落下する二人の手から短いリンドヘルドが放たれ、高速で回転しながらランシャに迫る。だが意図はすでに明白だ。ランシャは無視し、星空を見回した。顔の動きが止まる。その方向に、空間を歪めるほどの強大な二つの気配の圧力。そちらに向かってランシャは飛んだ。いや、飛ぼうとした。


 しかし前方に回り込む青い影。回転する二本のリンドヘルドはランシャを通り過ぎ、慌てたかのようにギーア=タムールと合流する。三本の短い聖剣はようやく合体し、本来の姿を取り戻した。それで強気になったのだろうか、まがい物のギーア=タムールはランシャに斬りかかって来る。


「とことん予想通りに動きやがる」


 ランシャの心に聞こえる、呆れたようなレクの声。


 三人のギーア=タムールが作られた目的は、ランシャとザンビエンを切り離す事。故にランシャがザンビエンの元に戻ろうとすれば、何としても妨害しようとするだろう。たとえ残り一人であったとしても。ランシャはそれを想定し、まがい物のギーア=タムールはそこから外れる事はできなかった。自らの存在意義を否定はできないから。


 大上段から振り下ろされる完全体の青い聖剣。その絶大な威力をまともに受ければ、レキンシェルとて無事には済むまい。だがもはや受ける意味すらない。前に出たランシャは身を沈めてそれをかいくぐり、同時に白い魔剣を水平に走らせた。


 胴を横薙ぎに切断された、まがい物のギーア=タムールは、それでも上半身をねじりランシャに左手を向ける。その手が握られると、ランシャの体の周囲に圧力が生まれた。目には見えない圧力がランシャの動きを止め、押し潰そうとする。しかし。


 ランシャの内側から湧き出る白い冷気が、見えない圧力を跳ね返した。ギーア=タムールの手も開いて行く。レキンシェルが跳ねるように動くと、敵の手のひらは縦に斬り割られ、首が落ちた。そしてようやく、地上に向かって落下して行く。


「やっと一段落かよ」


 頭の中でため息をつくレクに、ランシャは苦笑する。


(一息ついている余裕はない)


「わーってるよ、面倒くせえヤツだな」


 そしてランシャは左腕の中のリーリアにささやいた。


「申し訳ないですが、急ぎます」

「はい、私なら大丈夫です」


 笑顔を返すリーリアにうなずくと、ランシャは天空の一角に顔を向けた。頭の中でレクが言う。


「ザンビエンはもう持たない。急げ」


 それに返事をせず、ランシャは飛んだ。その瞬間、星が消える。



 全天を覆って浮かぶ、数え切れない氷の(とげ)。すべて先端を下に、セイタンへと向けている。


「なるほど、この数で押されては頭の中など読んでいるヒマはないですね」


 しかしセイタンに動揺はなく、一方ザンビエンに容赦はない。余裕を与えず、問答無用。天が崩落せんばかりの怒濤の勢いで氷の棘の群れは落下した。


 それを打ち砕く白い光。セイタンからではない。上空から、氷の棘たちより遙か上の空の向こうから、まるでオーロラのように揺らめきながら、セイタンに近付く氷塊を消し去って行く。ドクロの仮面の下で、ザンビエンは小さく舌打ちをした。


「天使か」


 そう、空の上のまた上、宇宙空間に十三体で円を描く、白い四角柱に二本の腕と背中の白い四枚翼。氷の山脈の上にいた天使たちがいまそこにいた。


「こちらに来る前に倒しておくべきでした。たかが天使と侮ったあなたの失敗です。……いや、違いますね。あなたは倒さなかった訳じゃない。可能な限り消耗を避けたかったんだ」


 延々と打ち砕かれて行く氷の棘、揺らめく白い光。それらを背景にしてセイタンは勝利の微笑みを浮かべた。


「精霊王ザンビエン、あなたは新たな宿主を得られないままここに来た。いまの体はもはや限界点を超えているのではありませんか」


 静かに立つザンビエンから返事はない。する必要もないだろう。その思考の内はすべて読み取られているのだから。かすかな音を立てて、ドクロの仮面に小さな亀裂が走った。


「寄生虫の最後には過ぎた演出ですが、まあ仕方ありません」


 天雲の剣を正眼に構える。


「これで終わりです」


 セイタンが前に出ようとした瞬間、真下からの突き。魔剣レキンシェルの白い刃。だが読まれていた。何故ならザンビエンがランシャの動きを捉えていたから。ザンビエンが気付いていた以上、それはセイタンに筒抜けになる。


「哀れな」


 紙一重で、しかし余裕を持って身をかわしたセイタンが、ランシャに視線を向ける。天雲の剣がきらめいた。そのおぼろに輝く刃はランシャを両断する、かに見えた。だがそれは突然軌道を変え、セイタンの背後から飛来した「何か」を打ち払う。


 ザンビエンからではない。もちろんランシャからでもない。セイタンの意識の外側からの、不意を突く小さな攻撃。打ち払わなくても傷を負う事などなかったかも知れない。少なくとも致命傷にはならなかったはず。けれどそこに込められた強い思念に、反応せずにはいられなかった。


 それは一瞬。ほんの一瞬生まれた僅かな隙。ただし、いまのランシャには大きな価値のある。


 セイタンは剣を止めず、全力で体をひねり回転させた。それでも遅い。レキンシェルはセイタンの翼を二枚と左腕を斬り落とした。

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