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魔獣奉賛士  作者: 柚緒駆
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水晶の民

 ザンビエンが雑魚と言った理由はわかる。聖騎士から作られたまがい物――なのだろうか――のギーア=タムールは、あまりにギーア=タムールだった。聖剣リンドヘルドがいささか短い事を除けば、速さ的にも強さ的にも、ランシャの知っているギーア=タムールそのまま。記憶を上回る部分は何もない。


 無論、弱い敵ではない。ザンビエンの力がなければ太刀打ちなどできないし、一人でも厄介なのが三人もいる。その時点で苦戦を強いられるのは間違いなかったものの、セイタンの剣を眼にしたいまのランシャにとって、かわすだけならさして難しい攻撃とは言えない。左腕に抱きしめるリーリアの心配をする程度の余裕はあった。


 星空を稲妻のように飛び、竜巻のように回転する。一人目の攻撃をかわし、二人目の攻撃を魔剣レキンシェルで受け止め、三人目に斬りかかった。ケンカの経験なら人並み以上にあるのだ。多勢に無勢で戦うときは標的を変えないのが基本。こちらを狩るつもりでいる相手に対し、逆に狩られる恐怖を与えねばならない。戦いのペースは完全にランシャが握っていた。



 振り下ろされる天雲の剣。その刃と打ち合う事なく、側面を叩き跳ね返す。ランシャがレキンシェルでやってのけた芸当を、ドクロの仮面のザンビエンも自らの爪で再現してみせた。


 精霊王の力を受け入れているが故に、ランシャの見たまま感じたままがザンビエンにフィードバックされる。そして当然ランシャに与えている力より、ザンビエン自身が持つ力は遙かに強大である。ランシャにできてザンビエンにできない事などないと言っていい。


「なるほど、大口を叩くだけの事はあるのですね」


 しかしセイタンは笑顔を崩さない。


「ならば、これはどうでしょう」


 天雲の剣が目にも留まらぬ速さで十文字に動いた。ザンビエンの爪がそれを受けきった、かに思えた。だが人差し指の長く伸びた爪が、真ん中から斬り折られている。


「剣の角度を変えるくらい、思いつかなかったのですか」


 セイタンの声に嘲りが含まれた。けれど、その鎧の胸当てには二本の傷が走る。ザンビエンは右手を開いて見せた。五本の爪が伸びた右手を。


「爪の数を増やすくらい、思いつかなかったのか」

「ええ、まさかそんな知恵があるとは思っていませんでしたよ。でもこれで少しは楽しめそうですね」


 セイタンの背中の十二枚の翼が等角度に大きく開き、あたかも後光のように真円の光輪が描かれた。その丸い光の中から湧き出して来たのは、おぼろに光り輝く無数の蠢く手。


「千掌把」


 セイタンのつぶやきに応じて無数の手は腕を伸ばした。月にかかる傘の如く湾曲し、音もなくザンビエンを包み込むように取り囲む。しかし精霊王は表情一つ変えず宙を歩き進んだ。ピシリ、ピシリと硬い音。白い冷気がトンネルとなってザンビエンの周囲を凍らせて行く。おぼろに輝く手の群れは、その宙に浮く氷のトンネルに触れた。


「千崩握」


 その言葉と共に強大な圧力がかかり、トンネルは砕け散った。ただし、その内側には新たな氷の壁があったのだが。無数の光の手は再び壁を砕く。だがその下にも壁がある。またその下にも、さらにその下にも氷の壁が存在していた。まるで亀を追い越せない英雄のパラドクス。無数の輝く手は永遠に壁を砕き続けねばならない魔法の罠に囚われていた。


 無限に続く破砕音の下、何もない空中を悠々と歩み寄るザンビエンに対し、セイタンはゆっくりと後退した。静かな微笑みを浮かべながら。


「さすがに一筋縄では行きませんか」

「行けると思うのなら行かせてみよ。全能の神がついているのだろう」


 ザンビエンのそれは挑発である。これにセイタンは易々と乗った。


「そうですね。ではそうしましょう。千手印」


 すると輝く無数の手は氷を砕く事をやめ、宙に無数の呪印を描き始めた。そのうちの幾つかの印からは液体が激しく噴き出す。無論、それはザンビエンまで届かない。彼の前に張られた透明な氷のスクリーンが黒い液体を防御する。だが、ドクロの仮面の下で表情が動いた。


「……油だと」


 そう、それはゲル状の油。次の瞬間、別の印から紅蓮の猛火が発せられた。それを喰らい込んだ油はオレンジ色に燃えさかる炎の激流となり、氷のスクリーンに打ち寄せる。ザンビエンの周囲から何本も、何本も。


 高熱でトンネルが溶ける、スクリーンが溶ける。しかし氷が溶けて水になっても、油の炎は消えはしない。地にも落ちずに空中を漂い、ザンビエンの周りを埋め尽くす。前進は止まった。セイタンは両手を広げ、冷たい笑みで見下ろしている。


「地底の油に天空の炎を加味してみました。どうです、あなたの能力で消せますか」


 その耳に、シン、と音なき音が聞こえた気がした。世界全体が沈み込んだかのような感覚。強烈な冷気。視界が白く煙る。霧か雲と思いきや、それはみるみる粒子を粗くし、雪となって下に向かって流れた。炎の音が急速に小さくなって行く。


 あらゆる可燃物には引火点がある。その温度を下回れば、そこに火や火花があっても燃え上がる事はない。氷の精霊王が生み出す極低温の世界では、炎など存在し得ないのだ。


 セイタンはいささか呆れたかのように片眉を上げてみせた。


「やっぱり消せるのですね。でもそれで良いのですよ。千暫絞」


 おぼろに輝く無数の手が、(くさび)の如くザンビエンに指を突き立てた。遮る氷のトンネルもスクリーンもない。油も凍る極低温の中、ザンビエンの周囲にあった水分はすべて地上に降り注いでしまった。氷の精霊魔法の力の源となる水の存在を排除する事、それこそがセイタンの真の狙い。


 ザンビエンの全身には手、手、手。もはや立錐の余地もない。周囲に蠢く無数の腕は群がる魚影を思わせる。手の集団はひねり、ねじり、ザンビエンを絞め上げた。身動きなど取れるはずはなく。


 セイタンは天雲の剣を水平に構えた。ランシャはいまだ三人のギーア=タムールが遠ざけている。万難は排した。ザンビエンを斬るならいましかない。しかし前進しようとしたその体が、動きを止める。


「どういうつもりだ、ルーナ」


 そうつぶやくと同時に。


 ばくん。巨大な魔獣の顎が音を立てて閉じた。あとほんの少し前に出ていたら、セイタンの体も無事ではなかっただろう。そのどこからか突然現れた白い氷の魔獣の頭部は、おぼろに輝く無数の腕を食いちぎると咀嚼する。セイタンの顔に一瞬苦痛が垣間見えた。


 魔獣の頭が口を大きく開くと、舌の上に立つのはザンビエン。体には傷一つなく。


「引っかかってくれたと思ったのだがな」


 セイタンはその言葉に応じるように剣の切っ先を向けた。


「まだそれだけの氷が使えたのですか。いったいどこに隠していたのでしょう」

「我が体内には無限の氷がある。その程度、ランシャなら想定していただろう」


「ほう。随分とあの少年を買っているのですね」

「そうだな。少なくとも、うぬの手にかけさせるつもりはない」


 ミシリ。重い音を発して氷の稲妻が、無数に枝分かれしながら周囲の空間を包み込み、さっきのお返しとばかりにその先端でセイタンを貫くべく襲いかかった。だが天雲の剣が一閃、すべてを斬り落とす。


 魔獣の頭部は雲散霧消し、ザンビエンの体内に吸い込まれた。


「これで少しは気を入れて戦う気になったか」

「それはお互い様ではありませんかね」


 セイタンはまた微笑んだ。



「水晶の民は流浪の民」


 火に当たる優しげな男は年の頃なら三十そこそこ。隣の美しい顔立ちの女もそれくらい。共に着古した服装でありながら、ある種の気高さを感じさせる。そして共に透き通るような瞳。ランシャを思い起こさせる独特の眼。


「その起源を北方の巫術師の系譜に持ち、王を抱かず主を持たず、雪原を樹海を砂漠を(さま)()い、ときどきこうやって焚き火を求める以外には人の世との接触を避けて旅を続けた」


 焚き火を挟んで向かい側には魔道士バーミュラとライ・ミンが座り、傭兵たちはその後ろで剣に手をかけて控えている。


「けれど王侯貴族に武将に豪族、力を欲する者たちは晶玉の眼を求め、水晶の民の血を求め、我らを探し、追い立て、男を捕らえ女をさらい、子を連れ去った。その数は減り続け、いま残っているのは我ら三人だけ」


 バーミュラは眉を寄せた。


「三人ってのは、おまえさんたちにランシャを含めて三人って事かい」


 男は毛の先程も表情を変えずにうなずく。


「そうだ。ダリアム・ゴーントレーは死んだ。だから三人だ」


 バーミュラとライ・ミンは息を呑む。男の言葉の真偽を確かめる術はない。だがおそらく嘘ではあるまい、少なくとも二人の魔道士はそう思っていた。


「……それで」


 僅かな沈黙の後、それを破ったのはライ・ミン。


「その水晶の民の生き残りが、我らに何の用でござるか。まさか本当に焚き火に当たりに来ただけではござるまい」


 その問いに、今度は女が答えた。


「ランシャを助けてください」

「助ける?」


「はい。あの子を助ける事は、この世界を救う事にもなるでしょう」

「お待ち」


 バーミュラが割って入る。


「おまえさんたちは、ランシャがいまどういう状況にあるかわかってるはずだ。それを助けろだあ? 馬鹿言うんじゃないよ。私らに何ができるってんだい」


 それに女は静かな瞳でたずね返した。


「どうして何もできないと思うのですか」

「次元が違いすぎるだろうが。ランシャがやってるのは、言わば巨象の戦いだ。私らみたいな虫けらが加勢してどうなるもんじゃない」


「虫だって戦いには加われます」

「意味がないって言ってんだよ。虫けらの牙で象が殺せると思うのかい」


「象の目を傷つけるくらいならできます」


 意固地になっているのか、バーミュラはそう言いかけてやめた。それは違うと思ったのだ。女の凜とした佇まいからは、確かな自信がにじみ出ている。バーミュラは大きなため息をつき、隣の魔道博士に目をやった。


「どう思う」


 ライ・ミンは「ふむ」とつぶやき腕を組むと、しばし首をかしげ、そして苦笑した。


「年長者の言う事は素直に聞いた方が良いのでござろうな」


 不審げな顔のバーミュラに、ライ・ミンはうなずく。


「他人の事は言えないでござるが、彼らも見た目通りの年齢ではござるまい。話しぶりからして、ダリアム師匠よりもご高齢かも知れぬでござるよ。いや、そもそも師匠のあの不死の術とも言うべきものは、もしかしたら誰かの考えた魔法などではなく、水晶の民の血に由来するものであったのやもと思っているところにござる」


 男も女も、それを肯定するでも否定するでもなく、静かに微笑んでいる。バーミュラはたずねた。


「そういや、おまえさんたちの名前も歳も聞いてなかったね」

「聞かれても困るな」


 男は小さな苦笑を浮かべた。


「我々は名前も年齢もない世界で、もう随分長く生きてきた。思い出すのは骨が折れる」

「つまり、ランシャも同じって事かい」


 すると男は首を振る。


「いや、それを選ぶかどうかはあの子次第だ」

「それをあの子に選ばせてあげたいのです」


 女の言葉に、バーミュラはまたライ・ミンと顔を見合わせ、やれやれというふうにため息をついた。


「で。私らに何しろってんだい」

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