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魔獣奉賛士  作者: 柚緒駆
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因果

 夜の闇を墜落する黒いゲンゼルの断片は、すぐに見えなくなった。


「おい、あの剣マジにヤベえぞ」


 頭の中に聞こえるレクの声に、ランシャは応えなかった。応えられなかった。


「はい、ヤバいですよ」


 セイタンが笑顔でうなずく。間違いない、相手にはランシャの頭の中が筒抜けになっているのだ。


「ええ、筒抜けです。あなたの迷いも恐怖も、すべて。その透き通った晶玉の眼ならば、あらゆる魔法の仕組みが一見の元に暴かれるはず。なのに私がどうやって心を読んでいるのかがわからない。その困惑は当然です。でも間違っているのです。さて、何故でしょう」


 セイタンは背中越しに後ろを見やった。右半身の四割ほどを切り取られた天竜ファニアが、傷口から大量の血しぶきをバラ撒きながら、まだ宙に浮いている。


「何故だ、何故傷口が塞がらぬ」


 セイタンは剣の切っ先を、あえぐファニアに向けた。


「ここに『因』があり、そこに『果』があるのです。何の不思議がありましょうや」

「これが神の力だとでも言う気か」


「あなたの体は神の御業みわざたるこの天雲の剣で断たれた。すなわちそれは神の下された結論と言えます。これを覆す力はあなたにはありません」

「黙れ」


 黒竜は牙を剥く。


「そんな事は認めぬ。我らが世界では我らこそが神。こんなところで、こんな世界で朽ちてなるものか」

「誰もいないあの世界に戻りたいですか。でも残念」


 セイタンは笑顔で見上げた。静かに浮かぶ、おぼろに輝く球体を。


「あの月が照らす場所では、異界の扉を開く事はできませんよ」


 それが事実なら、ファニアにとってほぼ死の宣告。


「月の光を浴びた時点で、あなた方は敗北しているのです」


 その視線がランシャとリーリア、そしてザンビエンに向いたとき。


「我は天竜……天にあっては無敵!」


 ファニアの咆吼に共鳴するように天が鳴動する。視界いっぱいを埋め尽くす、滝のような落雷が打つのはセイタンではない。ランシャたちでもない。無数の稲妻が地面に降り注ぎなぎ払う。


「おまえが倒せなくとも聖騎士どもならば倒せる! 消滅させられる! ザンビエンとの決戦を前に、手足をもがれる気分を味わうがいい!」


 絶叫する天竜に、しかしセイタンは微笑みを崩さない。


「考えましたね。ですが言いましたでしょう、私は頭の中が読めるのです。意表を突くのは無理ですよ」


 剣を握る右手がほんの少し動いた気がする。それだけでファニアの体は三つに分断され、雷は止んだ。


「神話で竜を狩るのは騎士の役目。ならばここでは私が適任でしょう」


 さらにそれぞれが三つの断片に斬り分けられる。逃げる事も抵抗する事も、悲鳴を上げる事すらできずにファニアは数多の肉片となる。


「神は死せよとおっしゃっている。天意を受け入れなさい」


 何度も何度も、小さく刻まれ続けるファニアの肉体。その断片の一つが光った。それが天竜の目だと気付いたセイタンの周囲を黒い炎が覆う。しかし天雲の剣が空間を十文字に切り裂くと、炎は四散した。


「生命力の強さには感心しますが、残念ながらそれだけでは退屈です」


 そして左手の人差し指を天に向ける。


「最後はあなたの技で送ってあげましょう」


 その瞬間、轟音と共に無数の落雷が天竜の肉片を打ち、それらすべてを灰に変えた。


「少し時間をかけすぎてしまいましたね」


 セイタンは改めてランシャたちに向き直る。


「その気になれば、逃げる余裕もあったでしょうに」

「逃がすつもりがあったのか」


 感情のこもらぬランシャの顔。


「もちろんありませんよ」


 対峙するセイタンの笑顔。


「それで。私を見て何かわかりましたか」

「あんたは魔法を使っていない。魔法とは違う仕組みの力を使っている。俺の頭の中をのぞいてるのも、その力だ」


「正解です。これこそが天にまします我らが神の御力みちから。その晶玉の眼でも見通す事はできません」

「戦いようがない訳じゃないけどな」


 セイタンの白い十二枚の翼がかすかに緊張する。


「……ほう」


 リーリアが目を見開き、ザンビエンも意外そうな面持ちで見下ろしている。ランシャは言う。セイタンに告げるというよりは、二人に説明するかのように。


「確かにあんたはギーア=タムールじゃない。ギーア=タムールより強い。でもギーア=タムールを超えてる訳でもない」


 笑顔をたたえたセイタンの右手が、ほんの少し動いた。刹那、セイタンとランシャの間に白い火花が飛ぶ。天雲の剣の攻撃を、魔剣レキンシェルが防いだのだとその場の全員が理解するには、数秒の時間を要した。


「あんたの剣はギーア=タムールより速い。だが剣筋はギーア=タムールそのままなんだよ。それさえわかれば、俺の眼なら追える」

「おや、種明かしをしていいのですか」


「どうせ筒抜けなんだろう」

「まあそれは確かに」


「それに」


 続くランシャの言葉より先に頭の中をのぞいたのだろう、セイタンの眉が寄った。


「あんた、俺とザンビエンの頭の中を同時にのぞくのは無理だよな」


 これにザンビエンが瞠目する。セイタンは小さくため息をついた。


「よくそこに気付きましたね」


「もしここにいる全員の頭が同時にのぞけるなら、天竜とやりあってる最中に隙を見せたはず。だがあんたは隙を一切見せなかった。俺たちが想定外の動きをする事を警戒したんだ。何故なら天竜の頭をのぞいている間は、俺たちの頭がのぞけないからだ」


 弾けるような笑い声が夜空に響いた。十二枚の翼を揺らす高らかな哄笑。嘲笑のきらいはまるでない、心の底からの楽しげな。


「素晴らしい。本当に素晴らしい。ランシャ、あなたは何たる好敵手なのでしょう。ああ、天の配剤に感謝いたします」


 セイタンの右手が静かに挙がり、天雲の剣の切っ先は天を向く。


「その無双の剣才と理想の賢才を併せ持つあなたに敬意を表して、私のとっておきを見せてあげましょう」


 それに気付いたのはリーリア。「あれを」と地面を指さす。見下ろせばそこには月光に似た小さな光が無数に蠢いている。その光の群れが上昇し近付く。ランシャの眼が見通した。輝きながら空に昇って来るのは聖騎士。セイタンは言う。


「随分と減りましたが、まだ三十万人はいるでしょう」


 三十万人で人海戦術を仕掛けるつもりか、ランシャの頭によぎったそんな考えに、セイタンは首を振る。


「いいえ、それでは面白くありません」


 三十万の光の群れは、徐々に寄り集まって行く。三箇所に別れて。やがて光は接触し、融合する。まるで渦を巻きながら漏斗の穴に落ちて行く水のように、大きな光が小さな光を次々に飲み込む。そして三つの強い大きな輝きが生まれた。


 セイタンが左手を顔の前にかざすと、三つの小さな青い光が持ち上がってくる。つい先程天雲の剣に斬り折られた聖剣リンドヘルドの断片である。左手が軽く振られ、三つの断片は三つの大きな輝きに向かって飛んだ。途端、三つの輝きに青い亀裂が縦に走る。


 ザンビエンが目に見えて動揺した。レクの声がランシャの頭の中で叫ぶ。


「おい、この気配!」


 三つの青い亀裂の中から突き出した三つの手が、三つの剣の断片を捕まえた。それはみるみる姿を変え、それぞれが――刃は短いものの――聖剣リンドヘルドの形となる。亀裂は広がり、ついには破裂するかの如く弾け飛んだ。三つの輝きの中から現れたのは、聖騎士の鎧を着た、逆巻く青い髪の騎士が三人。すなわち、三体のギーア=タムール。


 セイタンがまた微笑む。


「三人もいれば十分でしょう」

「ランシャよ」


 ザンビエンの体から湧き立つ白い冷気。


「雑魚三人は、うぬに任せる」

「わかった」


 それだけ言うと、ランシャはザンビエンに背を向けて飛んだ。


「役割分担は賢明です」


 しかしセイタンは笑顔で首を振る。


「でも過信に基づく判断はいただけませんね」

「ああ、そうだな」


 そう応えたザンビエンの全身が、砂のように崩れて行く。空間に溶けるかの如く散乱する白い魔獣の体。その中から、人型の影が宙を歩み出る。背の高い白い着物に純白のドクロの仮面をつけたそれは、以前ランシャたちに夢の世界で出会った姿の色違い。


 セイタンの目が興味深げに輝く。


「ほう、これはこれは」

「うぬの中にルーナの記憶が残っているのなら、この姿に覚えがあろう」


「どうやらそのようですね」

「我が判断が過信に基づくかどうか、その身で理解するがいい」


 右手人差し指の爪が伸びる。白い人型のザンビエンは着物を風にはためかせながら前に出た。



 もう深夜、砂漠は真冬のように冷え込んでいる。魔道士バーミュラの天幕の外から声をかけたのはザッパ隊長。


「起きてるか」

「たったいま起こされたよ」


 毛布で身をくるんで出て来たバーミュラに、隊長は顔の十文字傷を歪めて見せた。


「悪いな、こんな時間に」

「で、何があったんだい」


「いや、さっき旅の夫婦連れが火に当たらせてくれって来たんだが」


 バーミュラが目を丸くする。


「こんな砂漠の真ん中で? 大水路に沿ってる訳でもないのに」

「そうなんだよ、それがまずおかしい」


「他にも何かあるのかい」

「どうもバーミュラとライ・ミンの事を知ってる口ぶりなんだ」


 今度は眉を寄せて困惑する。


「そりゃあまあ、私らの共通の知り合いも世の中にゃいるけど。旅の夫婦連れ? そんなヤツいたっけね」


 しばし考えた後、ジロリと隊長を見上げた。


「私に会わせろって言ってんのかい」

「できれば、って事なんだが」


「それ以外に何か変わった事は」

「変わった事って言っていいのかわからんのだがね」


 隊長は自分の目を指さした。


「目がな。二人ともランシャみたいな目ぇしてるんだ」


 小さな音を立てて、バーミュラの毛布が砂に落ちた。



 様々な色をした豆の様な胴体から伸びる針金のような脚。四本、あるいは六本、もしくは八本の脚をせわしなく動かしながら、夜の岩肌を蠢く小さな無数の影。頭に生えた触覚は甘い匂いを嗅ぎ取り、体を覆う短い毛は大気の脈動を感じる。彼らは虫ではない。虫の姿をした魔族。その魔族にしか受け取り得ないかぐわしい香りと微かな振動を目指して、山脈中からおびただしい数が集まっていた。


 香りと振動を放っているのは黒い肉片。かつて魔族であり人の世の王でもあった存在の欠片。その上に小さな魔族の群れは雲霞の如く(たか)った。表面に滲み出す汁を舐め取り吸い取り、肉を囓る。その様子はもしいまが昼間なら、極彩色に波打つ一体の奇怪な生物と見えたかも知れない。


 そんなうねりの中から突然、ボンと音がして小山が三つ盛り上がった。極彩色に彩られたそれらへ、見えない手がノミを振るうかのように、あちこち溝を刻んで行く。色鮮やかな三つの塊から生み出されたのは、大小三つの人の形。


 一番大きな人型が、口を開けた。吐き出される大量の虫型魔族。だがやがてそれも止まり、次にぜいぜいと苦しげな呼吸を始める。そして腰を曲げ、膝に両手を突いた人型が声を発した。


「ソトン、アトン、無事か」


 小さな二つの人影は、ヨロヨロと、しかしあざけるように踊った。


「おやおや、無事に見えるのかい」

「あらあら、その目は節穴だ」


 大きな人型はさも大変そうに体を起こすと、口元を緩めた。


「減らず口が叩けるのなら問題あるまい」


 そしてゆっくりと闇の中を歩き出す。小さな影は後を追う。


「どこへ行こうというのだね」

「どこまで行けるというのだね」


「どこでもいい」


 大きな影は天を見上げた。まん丸い満月が輝き、満天の星空が広がっている。


「余は敗北し、死んだ。もはやおまえたちとの契約も成立するまい。どこへでも勝手に行くがいい」


 二つの小さな影は、色とりどりの顔を見合わせた。


「それはよくない考えだ」

「それは愚かな考えだ」


「魔族はこの程度で死んだとは言わないね」

「魔族がこの程度で負けたとは言えないね」


 大きな影は足を止める。


「……やれやれ、まさか魔族に情けをかけられるとはな」


 すると二つの小さな影は笑った。


「情けはないよ、情けないからね。それよりもヒマが問題」

「そう、魔族の寿命は長いからね。何よりも退屈が問題」


 大きな影は一度振り返ると、小さくため息をついた。


「勝手にしろ」


 そしてまた闇を歩き出す。二つの小さな影を引き連れて。


「勝手気ままだよ、魔族だからね」

「得手勝手だよ、魔族ならばね」


 星空のどこか、遙か遠くから雷のような音が響いている。それがこの世界の未来を決める戦いの音とは信じられないほど、静かな夜だった。

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