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魔獣奉賛士  作者: 柚緒駆
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一転

 頭上から降りかかる氷の圧力。ザンビエンの呪いの氷は厚く硬いが、ギーア=タムールの拳は一撃で打ち砕いた。大小様々な氷塊がゆっくりと夜を落ちて行く。陰を縫うように迫るランシャの気配には気付いていた。けれどいまはそれどころではない。六十四片に分かれた聖剣リンドヘルドの刃が、氷に飲み込まれて戻って来ないからだ。


 氷の破片の間から、白い魔剣の突きが迫る。これを右手のリンドヘルドの柄で受け、左へと流そうとした。だが強烈な剣圧がそれを許さない。こうなっては上に逃れるしかなかった。逃れる。その屈辱的な響きにギーア=タムールは歯がみした。



 リンドヘルドの刃を氷に閉じ込めておける時間は僅かしかない。地面まで落とせばアルハグラの兵たちが氷塊に潰されてしまう。それまでの間に氷を溶かす必要があった。ならば機会はそう何度もあるまい。一瞬に賭けるのみ。


 空を飛ぶランシャはリーリアを左腕で抱き寄せた。姫の小さな暖かい手が胸に置かれる。その温もりと共にラミロア・ベルチアの力がランシャに注ぎ込まれ、ザンビエンの力と渾然一体となった。魔剣レキンシェルの白い刃はうっすらと虹色を帯び、内側を流れる強大な力に震える。そして時は来た。


 落下する氷の塊の向こうにギーア=タムール。おそらくこちらに気付いている。しかしそれはもう問題ではない。レキンシェルは唸りを上げ、その刃は稲妻の速度で伸びた。放たれる渾身の突き。相手はリンドヘルドの柄で受ける。横に流すつもりだろうが、そうは行かない。ランシャは柄ごと体を貫かんと剣先に力を込めた。


 敵はたまらず上に飛んだが、みすみす逃しはしない。刃を伸ばすレキンシェル、空を駆け上がるランシャたち。二人は速度でギーア=タムールを上回った。しかし落下する氷塊をそのままにはできない。氷を水へと溶かした事で聖剣の刃の断片は自由になり、六十四片が合わさった一本の青い刃は天に向かって飛んだ。


「来い、リンドヘルド!」


 闇夜の天空に響く声。ギーア=タムールは上昇しながらランシャたちに正対した。その胸の中心を貫かんと魔剣の白い刃が走る。しかし、再び聖剣の柄がそれを受け止めた。


「ランシャ、貴様は強い。殊に天賦の剣の才は尋常ならざるものがある」


 頑強なリンドヘルドの柄は、魔剣の切っ先でも貫けない。


「だが及ばぬ。このギーア=タムールには、一歩及ばぬ。その理由がわかるか!」


 ランシャの背後を、青い閃光が衝撃波と共に通り過ぎ、一気に上空のギーア=タムールへと向かった。しかし。


「わからんな」


 何もない空間から不意に突き出した闇より黒い手が、リンドヘルドの刃を強引につかみ止める。同時にギーア=タムールの体を背後から巨大な黒竜の爪が握った。青い刃が振られ、聖騎士団長の首が飛ぶまで瞬き一つの時間もかからない。


 夜を落ちて行く青い頭。それを見送る事もなく、漆黒の三面六臂はリンドヘルドの柄を奪うと刃と一体にした。天竜ファニアはギーア=タムールの体を飲み込む。そして二体の黒い魔族はランシャたちに向き直った。


「父上……」


 呻くようなリーリアの声。それにゲンゼルは黒い歯を剥き出して応えた。


「余は暗愚なれば過去を知らず。親子の情など覚えてはおらぬ」


 しっかり覚えてんじゃねえか。レクのつぶやきが頭に聞こえる。しかしランシャはこう思う。記憶はしていても、もはや理解はしていないのではないかと。


「とは言え、だ」


 黒いゲンゼルは聖剣リンドヘルドを肩に担いだ。


「これ以上潰し合っても、お互いに得はない。どうだザンビエン、取引をせぬか」

「取引だと」


 驚いたように応じたのはランシャでもリーリアでもなく、天竜ファニア。だがゲンゼルは黒い竜を振り返りもせずに続けた。


「このガステリア大陸はおまえたちにくれてやろう。アルハグラもダナラムも、そして氷の山脈から東側も好きに支配し、自由に統治するがいい。ただし他の五大陸は余がもらう。おまえたちはそれを手助けせよ。どうだ、悪い話ではあるまい」


 天竜は呆気に取られていた。ファニアの言い出した条件を、まるで自分が考えついたかのように提案するゲンゼルに。ランシャも眉を寄せる。


「随分とあんたの得がデカい取引だな」

「世界の半分を寄越せとでも言うのか。だがおまえたちに世界の半分が支配できるか。ガステリアだけでも手に余ろう」


 それはまったくゲンゼルの言う通り。ランシャは戦いに勝つ事を考えてはいるが、勝った後の事までは思案の外である。たとえゲンゼルを倒しても、彼の築き上げたアルハグラは残る。それをどうするのかは今後確実に向き合わねばならない問題となるだろう。


 いかにザンビエンの後ろ盾があると言っても、それだけで国を支配する事はできまい。ましてやアルハグラ以外の国まで面倒が見れるなどとは、とてもではないが思えない。ゲンゼルの提案は十分すぎるほどに現実的と言えた。けれど。


「それはできません」


 言い切ったのは、ランシャの左腕に抱かれるリーリア。


「その取引を受ける訳には参りません」

「ふむ、それは何故」


 小首をかしげたゲンゼルに、リーリアは決然とこう答えた。


「心を失ったあなたには、もはや王たる資格はないからです。人間であろうと魔族であろうと精霊であろうと、あなたに支配させれば新たな不幸を招き寄せるだけ。あなたには譲る物も与える物もありません。ここで倒れてください」


 ゲンゼルの口元がつり上がる。


「暗愚より生まれし者は暗愚へと至るか」

「あなたを倒すためにそれが必要なら、喜んで暗愚に至りましょう」


「それで。おまえの愚かさにその小僧も巻き込むと言うのだな」

「巻き込みます」


 即答だった。


「他の人なら迷うところでしょう。でもランシャはわかってくれます。私の考えを、私の望みを、私の思いを、必ず理解してくれます。だから巻き込みます。迷いません」


 ゲンゼルの視線がランシャへと向いた。透き通った瞳が見つめ返す。


「俺が何か答える必要があるか」

「なるほどな」


 東西南北天地。ゲンゼルの六本の人差し指が六方位を指す。その指先に輪状の闇が広がった。


「六方壊滅」


 最後通告なしのゲンゼルの一手に、ランシャがした事といえばレキンシェルを水平に一振りしただけ。それだけで、たったそれだけで暗愚帝は動けなくなった。


「何をした、小僧」

「その力はすでに見た。俺の前ではもう使えない」


 六つの指先にはまだ黒い輪が浮かんでいる。ほんの少し振るだけで、世界を壊滅させられるはずの暗黒の力が。だが指が振れない。まるで内側から凍り付いたかのように。


 闇を飛ぶランシャとリーリアは白い魔剣をゲンゼルの頭頂へと振り下ろした。その目の前に突然開く巨大な竜の(あぎと)。闇の中から湧いて出たのは、異界へとつながる天竜ファニアの口。しかし一瞬で氷に覆われ、動きを奪われる。ランシャは言う。


「それも見た」

晶玉しょうぎょくまなこの力だというのか! 真に選ばれし者の証だとでもいうのか!」


 暗い夜空に響く、怒りに満ちたゲンゼルの声を切り裂くようにランシャたちは飛んだ。



「晶玉の眼? 何だそれ」


 砂岩の街ミアノステスから西に少し離れた砂漠。一路リーヌラに戻る途上の奉賛隊の野営地で、炎を囲みながら魔道士バーミュラが語る言葉に、ルオールは首をかしげた。隣では赤髪のニナリがもたれかかり、寝息を立てている。それを見て小さく微笑むと、バーミュラは夜空を見上げた。


「空みたいなもんかねえ」

「空?」


 何の事やらサッパリ、という表情のルオールも星空を見上げる。ほんの少し以前、リーヌラで孤児集団の頭目をしていた頃よりは幾分角の取れた、少し大人びた顔で。バーミュラは火に顔を向けると、細い棒でかき回した。


「私らの師匠が言うにはね、あの星ってのはとんでもなくデカいんだそうだ。ホントかどうかは知らないよ。ただ、とんでもなく遠くにあるから小さくしか見えないんだと。つまりこの空ってヤツは、とんでもない量の情報を丸呑みにしてやがんのさ」


「情報……ねえ」


 わかったようなわからないような、そもそもいまそんな話してたっけ、そんな怪訝な顔をしているルオールに、バーミュラは続けた。


「晶玉の眼も同じなんだよ、とんでもない量の情報を丸呑みにできる。特に魔法に関する情報をね。普通の魔道士が何十年もかけて解析して、理解して、やっと使えるようになる魔法を、一回見ただけで全部丸呑みにしちまうのさ。もちろん、それで使えるようにはならないよ、それにはまた別の才能が必要だ。だけどね、晶玉の眼を持ってるってだけで、魔道士としちゃ立ち位置が最初からまったく違うんだ」


「何か嫉妬してるみたいな言い方だな」


「嫉妬してるさ。嫉妬して何が悪い。アイツは私らがどんだけ望んでも努力しても見えない景色を、生まれつき見てるんだ。いくら金を積んでも、どんな魔法を覚えても、見える景色だけは取替えられないんだよ。嫉妬もするさね」


 バーミュラの隣では、魔道博士ライ・ミンが苦笑しながらうなずいている。


「確かに。ランシャの眼にいったい何がどんな風に見えているのか、知る方法がもしあるなら拙者も心が動くでござろうな。嫉妬はござらんが、羨望はござる。魔道士ならば死ぬまでに一度は見てみたい、誰もがそう思うのではござるまいか」


「へえ、そんな凄い眼がランシャに付いてるのか」


 ライ・ミンの言葉なら素直に感心するルオールに、バーミュラは少しムッとした。


「まったくどいつもこいつも可愛げのないガキだねえ」


 そんな大人げのない大魔導士に、ルオールはたずねる。


「その眼の力があれば、ランシャは大丈夫なのか」

「大丈夫な訳あるかい。相手にするのが四聖魔だ。ハッキリ言って無謀だね」


「でも、まだ無事なんだよな」


 するとバーミュラは困惑したような顔でライ・ミンを見つめた。


「まあ、こいつのヘボ占いが当たってりゃあね」


「少なくとも本日、陽が落ちた時点ではランシャもリーリア姫もタルアン王子も無事なはずにござるよ。ランシャはザンビエンの後ろ盾を得ていると占いには出ているでござる。それが事実なら、他の聖魔を敵に回しても簡単には負けないはずでござろうが」


 そう微笑むライ・ミンに、ルオールは真剣な顔を向ける。


「なあ。助けに行く事って」

「無理だね」


 バーミュラが即答した。


「いまランシャのやってるのは、人間の次元を超えた戦いだ。魔道士としての才能がどうとかいう程度の話じゃない」

「でもよ、バーミュラなら」


「人を当てにするんじゃないよ。まあ別に死ぬだけなら、いまさら怖くはないけどね。実際のところ私らなんぞが何人集まったところで、足手まといにしかならないような世界の話だ。規模がデカすぎる。どうしたって手なんか出せない。諦めな」


 そこに聞こえる小さな声。


「信じるしかないよ」


 それはルオールの隣のニナリの口から。


「ランシャはいままでだって何とかしてきたんだから。今回だって何とかしてくれる。ボクらはそれを信じて待つしかないと思う」


 その言葉が必ずしも本心ではない事は、伏せた目から読み取れる。けれど、いまは待つしかないのだ。たとえ苦しくとも待つしか。

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