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魔獣奉賛士  作者: 柚緒駆
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妥協と回答

 足の下にジャリジャリと広がる広大な砂の海。だが砂漠の砂とは少し感触が違う。もっと細かい。そして粒子がやや尖って感じられる。振り仰ぐ空には暗闇。その中に浮かぶ丸い青。それを指し示す言葉をゲンゼルは知らなかったが、青い光の中にガステリア大陸がある事だけは理解していた。


「ここまで追ってくる者は、さすがにおるまい」


 それは声ではなく、頭の中に直接聞こえる。


「ここは月か」


 ゲンゼルのそれもまた声ではなく。振り返れば巨大な黒竜が立っている。


「左様。聖も魔も人もない世界」


 天竜ファニアは笑っている。ゲンゼルにはそう見えた。


「余をここまで連れてきて何とする。さほど美味くはないぞ」

「魔族の混じった人の肉など食う気にはならぬよ。それよりも、だ」


 ファニアはこう言う。


「お主の力を貸してはくれぬか」

「異界の天竜ともあろう者が殊勝な言いようだな」


 しかしゲンゼルは興味なさげである。それよりも青い光が気になるようだ。ファニアは苦笑するかのような顔を浮かべた。


「ガステリアは逃げはせぬよ」

「だといいがな」


「地竜ガニアが倒された」


 ゲンゼルの視線が少し動く。


「……ギーア=タムールは生きているのか」

「生きている。いずれこちらの世界に戻って来よう。だがそうなると厄介だ」


「天竜の力だけでは勝てぬと言うのだな」


 そこには明らかに嘲る響きがあったのだが、天竜は素直にうなずいた。


「勝てぬな。あの地竜を容易くほふったところを見る限り、我が力だけで倒せる相手ではない」

「おまえに力を貸したとして、余に何の利得がある」


「世界が欲しいのであろう、帝王よ」

「ならばどうだと言うのだ」


「この青き星にはガステリアを含めて六大陸がある。そのうち五つをそなたの物とするが良い。この天竜も手伝おう。我には南の極僻(きょくへき)にある氷の大陸を一つ譲ってもらえれば十分」


「そんな場所を得て何になる」


「第一に魔族の王道楽土を作り上げる。人の住めぬ場所でも魔族は住めるからな。そして第二に、まかり間違ってもザンビエンに彼の地を与える訳には行かぬ。それはこの世界だけではなく、すべての異界にとっても脅威となる」


 しばしの沈黙の後、ゲンゼルはこうたずねた。


「それが事実なら、何故ザンビエンは氷の大陸に移動しない」

「グレンジアとの盟約があればこそではないのか」


 ファニアの言う通りかも知れない。ザンビエンならありそうな話ではある。それにあの精霊王がこれ以上強大な力を手にするのは、ゲンゼルにとっても都合が悪いのは間違いない。


「おまえたちはどう思う」


 その問いは、自らの左右後頭部にある二つの顔に。右後方のソトンが答える。


「魔族原理主義者としては面白くないね」


 左後方のアトンも言う。


「魔族原理主義的には正しくないね」


「本来魔族は人の影に住むもの」

「そもそも魔族は人に寄生するもの」


「その本分を忘れてしまうのは同意しがたいが」

「その結果絶滅してしまうのも許容しかねる」


「ザンビエンはともかくとしても」

「ギーア=タムールは話にならない」


「妥協するしかないか」

「妥協するしかないね」


 ゲンゼルはうなずいた。


「結論が出たようだ」

「ならば」


 天竜ファニアは仰ぎ見た。天に輝く青い星を。



「王は孤独だ」


 その人影は言った。一面の雪景色の中で、木の切り株に座って。


「だが孤独でさえあれば、人は王たり得る」


 その顔は誰かに似ている。誰だ。これは誰だ。


「私は私の王だった。私独りしか居ない私の国の、すべてを司る王だった」


 誰かに似ているその男は、笑顔をこちらに向けた。


「されど人の道は、王の道のみにあらず」


 いつの間にか男の隣に、美しい女が立っている。誰かに似ている女が。二人は言う。


「おまえの道はおまえのものだ。王の道を行くも良し、修羅の道を行くも良し、それ以外の道を行くも良し。ただし忘れるな。孤独の水は甘いが毒、迂闊に飲めば周囲を腐らす。もしも誰かを守りたいのなら、逃げ込むな。誘惑に打ち克て」


 ランシャは気付いた。この二人が自分に似ているのだという事に。



 赤い空に浮かぶ紫の雲。夕方か。左肩に感じる重み。リーリアがもたれかかっていた。ランシャは慌てて声をかけようとして、相手が眠っている事にようやく気付く。


「疲れてるんだ。昨夜から寝てなかったからな」


 少し離れた場所でタルアンが小さな焚き火に当たっている。周囲は寂れた岩場。ああそうだ、タムールから戻ってすぐ、グアラグアラの街から離れた岩山に身を隠したのだとランシャは思い出した。


 無論、ゲンゼルやギーア=タムールからは隠れられないだろう。しかしアルハグラの兵や聖騎士からはある程度距離を置ける。そのある程度がいまは重要なのだ。


「王子も眠っておられないのでは」


 リーリアを起こさないよう、小さな声でランシャはたずねた。タルアンは笑ってうなずく。


「眠ってはいないけど、この状況で眠れる度胸はないかな」

「俺が見張っています。ですから」


「いいよ、気を遣わなくて。事ここに至っては、僕には何もできない。アルハグラの王子の威光なんて通じない化け物だらけだからね。焚き火の番がせいぜいだ」

「ですが」


「なあ、ランシャ」


 タルアンは火をつついた。


「リーリアを頼むな」

「……は?」


「あのとき、ザンビエンはリーリアをグレンジアの後継として認めた。なら、次の王位に就くのはリーリアであるべきだ」


 それは確かに道理である。帝国アルハグラのグレンジア王家は精霊王ザンビエンの加護なくして存在し得ない。そのザンビエンがゲンゼルを排しリーリアを選んだのだ、他に王となれる者など存在するはずがなかった。


「情けないけど、僕ではリーリアを守り切れない。ランシャ、おまえの力が絶対に必要なんだ」

「俺は姫を守ります。ですが、王子にも助けていただかないと」


「イヤだね」


 タルアンはキッパリと言い切った。


「僕はもう決めたんだ。こんなバカバカしい世界で王子なんてやってられるか。リーヌラに戻ったら僕は隠居する。すぐにでも隠居する」

「隠居、ですか」


「そう、そして世界中を旅して回るんだ。死ぬまでね」


 するとタルアンの右手の黄色い指輪から稲妻が走り、頭上に(いかづち)の精霊ジャイブルが姿を現した。


「いまの話、本当か?」

「うん、本当だよ」


 タルアンは笑顔を向けた。ジャイブルはもじもじと言いにくそうにしている。


「その……一人で旅をするのか」

「まさか。僕一人じゃ旅なんてできるはずないしね。だからジャイブルにも一緒に来てもらいたい」


「本当か? 本当に本当か? 絶対か?」

「うん、絶対だ」


 ジャイブルはらんらんと輝く目でランシャを見つめた。


「ランシャ、いますぐみんなやっつけて来い!」

「ムチャ言うな」


 ランシャは苦笑するしかなかった。



 夜の迫る紺色の空に、青い裂け目が生まれる。そして周囲に亀裂が走り、硬い音を立てて砕け散った。


「ん?」


 空に開いた青い穴の中から顔を出したのは、ギーア=タムール。


「天竜の腹を裂いたつもりだったのだが、どうやら逃げられたか」


 その口元が面白そうに緩む。


「なるほど、地竜よりは頭が回るようだ」


 青い聖騎士団長は一歩、二歩、三歩と空中を歩くと、下界をのぞき込んだ。


「ほう、グアラグアラにフーブの気配がない。どこに行った」


 そして首を右から左に回すと、ある一点で止まる。


「タムールの頂上だと」


 そこで今度は面白くない顔をしたかと思うと、突然ギーア=タムールの体は真下へと落下して行った。



 月光の将ルーナはまた迷っている。いまグアラグアラでは聖騎士たちが戦闘中、ならば急いで戻るべきだろう。だがフーブはまだ死んではいない。ザンビエンの魔力に囚われているとは言え、邪悪な気配はこの霊峰タムールの山頂に漂い続けている。放っておいて良いものか。しかし実際のところどうする。どうすればいい。


 逡巡するルーナの背後に、突然何かが落下した。雪と氷を吹き飛ばし、岩盤を穿(うが)って穴が開く。シュウシュウと音を上げて蒸気が噴き上がる中から聞こえてきたのは。


「うーん、少し目測を誤ったか」

「誰だ」


 湯気の中から現れる青い人影、その右手には聖剣リンドヘルド。ギーア=タムールは口元に苦笑を浮かべながらこう言った。


「兄の声を忘れないでいただきたいのだがな、妹殿」


 そしてルーナの隣に立つと、氷の杭に埋め尽くされた壁面を見つめる。


「フーブか」

「はい。ですがまだ死んでいません」


「それはそうだろう。死体がこの瘴気を湧き出させているのなら驚愕ものだ。とは言え」


 興味深げに杭の近くに顔を寄せると、隙間に指を突っ込んだ。


「そう長くもない」


 その瞬間、杭の群れの奥から真っ黒で濃密な瘴気がギーア=タムールの顔に吹き付けた。


「兄様!」


 驚き焦るルーナに、青い聖騎士団長は平然と笑顔を向ける。


「怒られちゃった」

「ちゃった、て大丈夫なんですか」


「死にかけの邪神の悪あがきだよ。何て事はない。それよりも、だ」


 杭の一本を握ると、ザンビエンの呪いの力か、その手が厚く凍り付く。


「月光の将ともあろう者が、こんなヤツにかまけてギーア聖軍団を放ったらかしにしているのはいただけないな」


 その言葉は自分の心の声でもある。ルーナは視線を落とした。


「申し訳ありません」


 氷の杭を握っていた手が勢いよく開かれると、厚い氷は易々と砕け散る。


「謝罪が聞きたい訳ではないさ。それに、少しくらいは言い訳をしてもいいんだけどね」

「……お気遣いありがとうございます」


 そんなルーナの返事に、ギーア=タムールは小さくため息をついた。


「そこまで行けば頑固さも美点だけど、ザンビエンが躊躇ちゅうちょしたのも理解できるかな」


 ルーナはハッと顔を上げた。


「まあ、そもそも人間の女などに心を動かしたザンビエンが愚かなのだとは思うけどね」

「兄様、私は」


「感情で判断を狂わせるような真似はしない、だろう。知っている。信頼している。疑う気持ちは毛の先ほどもない。もちろんザンビエンが天界側についてくれれば話は簡単だったとは正直思うよ。でもそれはいまさら言っても仕方ない」


「……」

「だったら言うな、の一言を待ってるんだけどな」


 ルーナはまたうつむいてしまう。ギーア=タムールは優しげな笑みを浮かべると、また一つため息をついた。そして暗くなった空を見上げる。


「見えているのだろう、聞こえているのだろう、ザンビエン。心弱き精霊王よ。貴様が何故フーブをひと思いに殺さなかったのか、いちいち問いはしない。だが」


 そのとき、リンドヘルドの輝きが空を照らした。轟音と共に青い光が一閃、突き立った無数の氷の杭を打ち砕き、あまつさえそそり立つ壁を、かつて青璧の巨人が(はりつけ)になっていた巨大な壁を、驚愕に見開かれたルーナの目の前で根こそぎ破壊した。


 えぐり取られた岩肌に漂う僅かな黒い瘴気。だがそれも冷たい風に吹き消されてしまう。もうここには何も残ってはいない。ギーア=タムールは決然と顔を上げた。


「これが私の回答だ」

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