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魔獣奉賛士  作者: 柚緒駆
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神の本体

 夜明けの光の中、白い魔剣レキンシェルと青い聖剣リンドヘルドが交差する。その衝撃に神殿の壁は吹き飛び床は割れた。剣の半分ほどの幅、レキンシェルの方が深く踏み込んでいる。だがリンドヘルドはそれを力尽くで押し返した。


「速いがまだだ。まだ足りん。もっと速くなれ。もっと強く打ち込んでこい」


 ギーア=タムールが虚勢を張っているとは思えない。しかしこれが本音だとするなら、まったくもってタチが悪い。ランシャはため息をつきたい気持ちを抑え、剣に加わる圧力を受け流しつつ胴を狙った。けれどその一撃も、先回りしたかのようにリンドヘルドに止められた。


 速さでは僅かにレキンシェルの方が上だが、リンドヘルドの動きには無駄がない。守りに徹すればランシャに突ける隙はなくなる。ならばどうする。レキンシェルの動きをリンドヘルドに抑えられたまま、ランシャの下半身は跳ね上がった。右の爪先にザンビエンの力を込めて相手の頭部を狙う。隙がなければ作ればいいのだ。


 それを左手の拳で軽く打ち払うギーア=タムール。


「面白いが甘い」


 弾かれた右足は地面へと投げ出され、ランシャの体勢は崩れた。しかしそのまま相手の手首をつかむと、ザンビエンのパワーで引き寄せる。思わず前のめりになるギーア=タムール。ランシャは倒れ込みながら左足を敵の腹に当て、全力で蹴り上げた。酷く下手な巴投げのような動きだったが、ギーア=タムールの体は宙を舞い、床に叩き付けられた。


 もちろん投げる事が目的ではない。投げたところでダメージをくらう相手ではないからだ。しかし体勢を崩せば隙はできるはず。ランシャは素早く飛び起きると魔剣を振りかざし、倒れた敵に振り下ろそうとした。


「下がれ!」


 突然頭の中に響いたレクの声に、ランシャは後方に飛ぶ。その目に映るのは、いままで自分が立っていた場所に床の下から噴き上がるが如く現れた青い断片。六十四の聖剣の欠片が真上から雨のようにランシャへと降り注いだものの、レキンシェルが一瞬で八本の線を頭上に描き、氷を傘のように展開して防いだ。弾かれた青い輝きは、いつの間にか立ち上がっていたギーア=タムールの手元に戻り、再び一本の剣を形作る。


「我が背を地に着ける事になるとはな。しかもこちらの反撃まで防ぐとは、何とも腹立たしい小僧よ」

「別に俺の力じゃないけどな」


 そう答えるランシャに、相手は鼻先で笑ってみせる。


「貴様が使える力を、貴様の力と呼ばずして何とするか」

「これについては同意だな」


 頭の中でレクがつぶやいた。それが聞こえた訳でもないだろうが、ギーア=タムールはニヤリと口元で笑う。


「どうだランシャ。天界に来る気はないか。貴様にならそれなりの地位を約束してやってもいい」


 ランシャは剣を構えながら首を振った。


「誰かにも似たような事を言われた気がするけど、断るよ」

「ほう。そんなに人間界が大事か」


「いや、人間界は別にどうでもいい。天界に支配されようがザンビエンに滅ぼされようが、知ったこっちゃないさ。ただな」

「ただ?」


「それでも人間を信じたいと思ってる人がいる。俺はその人のために戦いたい。だから人間の敵には回れない」

「随分と間尺に合わん理屈だな」


「かも知れない。でもそれが俺の出した答だ」


 ギーア=タムールは一つため息をついた。


「もったいない。実にもったいない……だが」


 その目が青く輝く。


「それでこそ」


 面白い、と言いかけた口が止まった。突然ランシャの姿が消えたからだ。当然の如く攻撃に備えたものの、攻め込んでくる気配がない。遠くにも行っていない。あの小僧、何をしている。ギーア=タムールは興味を引かれた。



 夜が明けると共にグアラグアラの戦況も変化する。赤い刀身に黄金の刃、妖刀土蜘蛛が陽光をきらめかせながら漆黒のゲンゼルの胸を貫く。妖人公ゼタの顔には歓喜が浮かんだ。しかし。


「見事!」


 その言葉と同時に黒い右手がゼタの喉を捕まえる。左手にはグッタリとした毒蛇公スラがぶら下げられていた。ゲンゼルの両手が持ち上がる。苦悶に呻くゼタは土蜘蛛を放すまいとするが、強引に引き剥がされた。心臓の位置に妖刀を突き刺したまま、暗愚帝は楽しげに両腕を振り回した。


「何たる爽快! 何たる痛快! 会心の一撃を放ったその武勇を称えよ! それが無意味と知ったときの絶望を崇めよ!」


 為す術もなく振り回されるゼタの首に、黒い指が一層食い込んで行く。


「だが、それももう終わりだ。惜しいな」


 ゲンゼルの右胸が蠢いたかと思うと、そこから三本目の腕が伸び、自らに突き刺さる妖刀土蜘蛛を抜き放った。その切っ先がゼタの胸に突きつけられる。


「では、さらば」


 黒い歯が剥き出されたとき。


 ゲンゼルには振り返る余裕すらなかった。ただその場から離れ、空高くに逃げただけ。暗愚帝は愕然として見つめた。腕が切り取られた己の右半身を。そしてようやく下界に目をやった。そこに立つ白い刃を持った少年。


 ゼタは苦しげに肩で息をつき、目を開けた。


「……おまえ……ランシャ……何故」

「俺が助けた訳じゃない」


 ランシャはそう言うと右手をかざした。レキンシェルを握った、シワだらけの老人の手。そこにゼタは見た。灰色のローブをまとった魔人の姿を。


「ダリアム・ゴーントレーだと。馬鹿な」


 驚愕に目を見開くゼタにランシャは言う。


「ダリアムの宿願は俺が預かっている」

「ダリアムの、願い?」


「炎竜皇ジクスを斬る事」

「待て、どうしてダリアムがそんな事を」


「俺はそこまで知らない。おまえは知ってるんじゃないのか」


 ゼタは絶句した。あれからいったいどれほどの時間が経った。普通の人間の一生を何十回も過ごすだけの時間。なのにまだ忘れていなかったとでも言うのだろうか。


「どうせ俺には斬る以外の選択肢はない」


 ランシャの言葉は当然と言えた。ジクスに問うても同じ答が返ってくるだろう。それを承知で、しかしゼタはこう願う。


「待ってくれ、ならば私を斬れ。それでダリアムの気は済むはずだ」

「もし本当にそうなら、おまえを助けたりはしない」


 その指摘は誰が見ても妥当なものだと思えた。ゼタには返す言葉が見つからない。ただ悲しみに満ちた目を伏せるだけ。


「ダリアムの願いはザンビエンも知っている。知っていて力を貸している。俺に何かを願うのは筋違いだ」

「なるほどな」


 背後から聞こえた声に、ランシャは神殿の入り口を振り返る。


「急に姿を消したと思ったら、こういう事か」


 ギーア=タムールは子供のような無邪気な笑顔を見せていた。


「だったら私にも一枚かませろ」



 魔界医ノスフェラは困っていた。最後の最後の最終手段、ノスフェラ特製超高濃度消毒消臭剤を使ったというのに決着がつかない。と言うか、こちらが一方的に手の内を出し尽くしただけで、相手はピンピンしている。さてどうしたものか。ここで攻め込まれたら為す術がない。


 しかし黒いゲンゼルは攻め込んで来なかった。不意に空を見上げたかと思うと、そのまま飛んで行ってしまった。


「ああっ、こらどこへ行く!」


 口ではそう言ったものの、内心はホッとしているノスフェラであった。



 空の上、雲の上。ゲンゼルが姿を現すと、そこにはもう一人のゲンゼルが浮かんでいた。右腕を失い、その傷口が凍り付いている。後から来たゲンゼルは黒い歯を剥き出して笑う。


「これはこれは。見事にやられたものだ」


 先に来ていたゲンゼルも笑う。


「まったくまったく。酷い目に遭った」


 二人の暗愚帝は近づき向かい合う。


「ザンビエンの呪いの氷か。厄介な」

「いい加減、遊んでいられる状況でもないようだ」


「暗愚なればこそ、謹厳に」

「暗愚なればこそ、実直に」


 二人の姿が一瞬、空間に溶けたかの如く曖昧になり、そして重なった。氷が砕ける音が小さく聞こえる。次いで何か柔らかい物が湧き出すような音が。


 ゲンゼルは目を開けた。正面についたゲンゼルの顔。しかし顔は一つではない。右後方に黒いソトンの顔、左後方には黒いアトンの顔がある。腕は六本。脚はない。漆黒の三面六臂が悪夢の如く浮かんでいた。


「そこまで行き着くと、もはや王の面影すらないな」


 ゲンゼルの目が上を見上げる。そこに浮かんでいたのは水色の少女。己の末の娘の姿。


「リーリア……いや、ラミロア・ベルチアか」

「何の説明もなしにその名が出てくるのは、あまり褒められた事ではないぞ」


「それは人としてか、それとも化け物としてか」

「そうまでして人を捨てたいのか」


「余が人を捨てたいかどうかなど、どうでも良い事だ。そなたが立場を捨てた事がどうでも良いようにな」

「それが先祖に向かって言う言葉か、可愛げのない」


 ゲンゼルはニッと笑った。


「感謝はしている。人の血と精霊の血を与えてくれた事にはな。そこにいま魔族の力が加わり、余は完璧な存在となった」

(たわ)(ごと)を」


 眉を寄せる水色のリーリアに、黒いゲンゼルは首を振る。


「この世界は人と魔と精霊によって成り立っている。神は要らぬ。フーブも天界も不要だ。この世界が求めているのは四聖魔ではない。余こそがすべての頂点に立つべきなのだ」


「ただの不遜だ」

「いいや、これは余に課せられた責務。言わば天命である」


「神を否定する者が天命を口にするのか。増上慢にも程があるぞ」

「理解しろとは言わぬ。ただし」


 六本の腕が空中に、正六角形の呪印を描く。


「邪魔はさせん」



 もう何人の聖騎士を消し去っただろう。何百、いやとうに千は超えているか。だが敵は相変わらず(うん)()の如く現れ襲いかかってくる。恐怖も悲しみも見せずに。それは天界への忠義か、ギーア=タムールへの心酔故か。何にせよ炎竜皇ジクスを苛立たせるには十分だった。


 自由なき生に何の意味がある。少なくとも自分が支配者でいる限り、配下の魔族にこんな無意味な犠牲を強いる事はない。だから炎竜皇となったのだ。権力が欲しかった訳ではない。ただ魔族の自由を守りたかった。人間と契約せずとも魔族が生きる道を確保したかった。そのための天竜地竜の加護である。


 そんなジクスにとって、こうも安易に死を選ぶ聖騎士は憎むべき存在であり、それを命じるギーア=タムールへの怒りは強い。すべてを滅却せずにはいられないほどに。その幼さとも言い換えられる純粋さこそが、ジクスの強み、そして弱みでもあった。


 しかし、そんな聖騎士の攻撃が不意に止んだ。訝るジクスに、次の瞬間地面を舐めるかの如き低い線を描いて青く輝くリンドヘルドが迫る。天竜の力を持つ暗黒の右手が飲み込まんとするが、聖剣の放つ強大な力が邪魔をした。と、同時に頭上に気配が。振り仰げば白い魔剣レキンシェルを構えたランシャの姿。その間に両手を広げて割って入るのはゼタ。


「炎竜皇!」


 悲痛な叫びをかき消すかのようにランシャは剣を振る。千里眼はすでにジクスを捉えていた。けれどその視界を覆い尽くす銀色の風。振り抜いた剣には手応えがなく、朝の光は消え闇の中、耳にはうわんうわんと反響する無数の声。


――神の意に恭順せよ!!!!!!


 ランシャの頭の中にレクの声が聞こえる。


「目ぇ開けろ! 落ちてるぞ!」


 慌てて空中で踏ん張り、体勢を立て直した。頭上には太陽が昇り、足の下ではジクスの隣に立つ銀色の髪の少女がこちらをにらみつけている。


「いまのは」

「フーブだよ」


 レクが答える。


「おまえはいま、本体に触れちまったのさ。人間の生み出した神様のな」

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