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魔獣奉賛士  作者: 柚緒駆
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手札を捨てる

 緑色の小瓶の口が開き、そこから湧き立つ煙の中より、人間を飲み込むほど巨大なイモムシが宙に浮かんでいる。これが魔界医ノスフェラ特製の超高機能虫下しらしい。何とも悪趣味な。イモムシは口から光線のように粘着質の糸の束を吐き出し、暗愚帝ゲンゼルを狙う。


 ゲンゼルは糸をかわしてノスフェラに近付こうとするものの、鈍重そうな見た目のくせにやたら敏捷なイモムシの攻撃のせいで上手く行かず、不満げに口元を歪めている。もっとも、不満なのはノスフェラとて同じである。彼が最高傑作と自負するこの虫下しがゲンゼルを捉えきれないのは、屈辱的と言って良かった。たかが人間が、魔族の力を借りたといってそれほどの力を持つとは思えないのだが。


 そのとき、ノスフェラの脳裏に天啓が降りてきた。もし人間と魔族の力だけでなければどうだろう。それはすなわち。


 だが考えをまとめる暇はなかった。天空に白と青の光が走り、衝撃波が大地を揺らす。そして光は神殿の中に落ちた。



 赤い刀身に黄金の刃。妖人公ゼタの振るう妖刀土蜘蛛が素手でつかみ止められた。もう一人の暗愚帝はニッと歯を剥き出す。


「余は暗愚なれば、危険を知らぬ。差し出されれば手に取るのみ」

「おのれ、うつけが!」


 ゼタは全力で刀を引いた。しかし妖刀はそこに固定されたかの如く、ピクリとも動かない。


「そなたも暗愚でなければ、早々に諦めよ。もはや勝敗は歴然である」

「我らジクリフェルの四賢者が、おまえ如きに屈するとでも思っているのか」


 燃えるような眼でにらみつけるゼタに、暗愚帝は場違いに楽しげな笑顔を見せる。


「思わぬから面白いのであろう」

「痴れ者め」


 と、突然ゲンゼルが地面を踏みにじった。その足の下にはまた足首を狙ったのであろう、毒蛇公スラの分身である小蛇が。ゲンゼルが鼻先で笑う。


「同じ手が通じると」

「思いはしない」


 その声と共に頭上から落ちてきたスラが、ゲンゼルの首に巻き付き締め上げた。黒い手は思わず土蜘蛛を放し、巻き付いた大蛇を外そうとする。


「ゼタ! 討ち取れ!」


 スラの叫びにゼタは突きを放つべく身構えた。そこに。


 天空を駆ける白と青の光、襲い来る衝撃波。そして光は神殿の中に落ちた。



 神殿の床に降り立つまでの一瞬で、ギーア=タムールは状況を把握していた。ルーナは無事、だがもうボロボロだ。対してジクリジクフェルとフーブの巫女には傷一つない。いまのルーナに相手をせよと言うのも無理がある。ならば自分がするしかないのだが、正直ランシャを敵に回しながら他の二人を相手するのは難しい。ザンビエンの力を得たこの小僧には、そう思わざるを得ないだけの存在感があった。しかしそこはギーア=タムール、そんな事はおくびにも出さない。


 長く長く、ムチのように伸びた白い魔剣レキンシェルを手に、ランシャは呼吸を整えている。いささか余裕を与えすぎたか、僅かに反省をしたものの、そこもやはりギーア=タムール、表情の端にすら気配を見せない。


 ジクリジクフェルとフーブがどう動くにせよ、いまはまずこのランシャを排除せねばなるまい。それなくして次はないのだ。大きく振りかざした聖剣リンドヘルドを揺らす事すらなく、矢が放たれるようにギーア=タムールは前に出た。



 敵の動きにランシャはただちに反応する。手首をグルンと回すと、長く伸びたレキンシェルの刃が正面に向かって螺旋を描いた。魔剣の刃が上下左右を同時に斬りつける。だが相手は迷わずリンドヘルドを振り下ろし、白い回転を叩き伏せようとした。けれど螺旋は生き物のように、聖剣の動きに合わせて軌道を変え、すり抜けながら首を狙う。ここで無理に突っ込むほどギーア=タムールは間抜けではなかった。



 目にも留まらぬ速さで後退すると、青い聖騎士団長は床に降り立つ。ルーナの隣に。


「団長」


 驚く妹に一瞬笑顔を見せると、ギーア=タムールは聖剣リンドヘルドを横薙ぎに振った。青い閃光が走り、風音が、風切が、風月が弾き飛ばされる。


「やはりな、これが普通の反応というものだ」


 兄は満足げに微笑んだ。そして再びルーナに目をやる。


「まだ戦えるか」

「戦います」


 そう答えた妹に少し心配げな顔を見せたものの、いまのギーア=タムールとしてはこう言うしかない。


「良い返事だ。では聖騎士団をここに集めよ」

「アルハグラの軍勢は良いのですか」


「さっきの氷結で勢いは削がれたろう。それに王は消えた。烏合の衆を恐れる必要もない」

「承知いたしました。では誰を攻めますか」


 さすがに月光の将、飲み込みが早い。


「ジクリジクフェルに波状攻撃を加えよ。どんな被害が出ても構わん。絞り尽くせ」

「ただちに」


 ルーナの両目がおぼろに輝いた。同じ光が彼らの頭上高くを覆い、そこから聖騎士の群れが雪のように降ってくる。


「まずは百。半減すればまた百を追加します」

「任せる」


 そう言った途端である。白い閃光が走ったかと思うと、降り立った聖騎士のおよそ半数が氷の柱に閉じ込められた。ギーア=タムールの面に苛立ちが走る。


「あの小僧だけは」

「団長」


 ルーナは静かに声をかけた。


「ランシャは一瞬で成長します。お気をつけください」

「案ずるな。後れは取らんよ」


 ギーア=タムールは横顔で微笑んでみせた。しかしその視線はすでにランシャに向いている。



 ランシャに半数を氷漬けにされたにも関わらず、聖騎士は一人たりともランシャには向かわない。全員が迷う事なくジクスに襲いかかった。だがそれも一瞬、炎竜皇の炎の左手が一閃すると大半はその身を消滅させ、粒子へと変える。一部分が焼け残った聖騎士はそこから復活するも、ジクスの二撃目で結局消え去った。


 けれどそのときにはもうすでに、次の百名の聖騎士が現れ身構えている。そこに恐怖も躊躇もない。ただ死地へ向かう覚悟のみが見える。ジクスもまた苛立ちを覚えていた。



 魔剣レキンシェルをムチのように使う戦法は効果的だ。ただし、それだけでギーア=タムールが押さえ込めるはずもない。ならばどうする。


「悩んだってしょうがないだろ」


 ランシャの頭の中に声がする。


「作戦立てたって、それが通じる相手じゃない。とにかくぶち当たって、隙があったらそこに突っ込むしかねえよ」


(それは確かにそうだ)


 ランシャもうなずく。


(まあ相手もそう考えてるだろうけどな)


「おまえね。考えすぎたら動きが鈍くなるぞ」


(俺が鈍くても、レクの分だけ早くなる。何となるさ)


「あ、あのな。おだてたって何も出ないからな」


(来るぞ)


 ランシャはまたレキンシェルを回転させた。だがそれに対するギーア=タムールの回答は明快、残像を生むほどの高速の突きを連続で放つ。回転の速度を上げただけで打ち払える突きではない。恐るべきプレッシャーに今度はランシャが後退するしかなかった。それが相手の読み通りとも知らず。


 後退するランシャに距離を与えず、ギーア=タムールは圧力をかけ続ける。力尽くで止められる相手ではないが、かと言って永遠に後退を続ける訳にも行かない。ランシャの動きにほんの僅か、迷いが出た。


 その足首を、床から生えた数本の手がつかむ。


「なっ」


 直後、白い魔剣は床から生えた手を刈り取った。しかしこの一瞬の動きが隙となる。背後の死角に迫る圧倒的な気配。振り返る時間などない。ランシャにできる事は、目の前の何もない空間を切り裂くだけ。


 ギーア=タムールは後退する。胸を押さえながら。ランシャはそちらを振り返らない。だがその千里眼には見えていた。敵の鎧の内側に刻まれた傷が。


「小癪な技を」


 青い聖騎士団長はつぶやき、その目の前の床からは手首を失った聖騎士が続々と湧いて出てきた。なるほど、聖騎士は上から降ってくるとは限らないのだ。彼らはそのまま視線も寄越さずジクスへと向かう。


 ランシャとギーア=タムールの距離は変わらない。千里眼の焦点が合っている限り、距離の長短は関係ないからだ。ただし、ならばランシャが有利なのかといえば、そう良い事ばかりでもない。何せ取っておきの技を使ってしまったのである、もう手札らしい手札は残っていない。あとは丸裸でギーア=タムールに対峙しなくてはならなくなった。


 ランシャの視界の中で、ギーア=タムールの胸の傷は一瞬で消え去る。深手を与えられなかったのが悔やまれた。いかに距離は関係ないとは言え、剣を振らねば斬る事はできない。その短い時間の間に、敵は彼我の間に横たわる距離を飛び越えてくるだろう。同じ技を二度も三度も使えない。結局、正対して剣を打ち合うだけが残された方法と言えた。


 ランシャは振り返り、ギーア=タムールを正面に置いて剣を構える。


「一度は通じた手を躊躇なく捨てるか。つくづくやりづらい相手だな、貴様は」


 呆れたような敵の言葉を賛辞と解釈し、ランシャは一歩踏み出した。



「ランシャはまだ無事だ」


 水色のリーリアはそう言うとため息をついた。


「いかにザンビエンの力を借りているとはいえ、あのギーア=タムールとここまで渡り合うとはな。正直いまだに信じられん」

「ランシャなら何とかできると思ってザンビエンに掛け合ったのではないのか」


 驚いた顔のタルアンに、大精霊が乗り移った妹は首を振る。


「ランシャを助けろとは言ったが、ザンビエンの代わりに戦わせろとは言っていない。そんな事ができるなどと思うはずもない。いくら何でも相手が悪すぎる」


 リーリアは地面に膝をつき、ボロボロになったダリアム・ゴーントレーに触れた。


「こやつもどこかに埋めてやらねばな。放っておく訳にも行くまい」

「……ダリアムはどんな神様を信じてたんだろう」


 タルアンのつぶやきに、水色のリーリアは小さく首を振る。


「信じていなかったのではないかな」


 そして、まるで自嘲するかのような微笑みを浮かべた。


「神は人なくして存在し得ないが、人は神がいなくても生きて行ける。それもまた人の力だ」


 それはかつて神に限りなく近い座にあった者の言葉。東の空を見上げれば、闇が白み始めている。長い長い夜が明けようとしていた。

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