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魔獣奉賛士  作者: 柚緒駆
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弱点

 ランシャの氷の剣が斬撃を放つ。それを受ける聖剣リンドヘルド。ギーア=タムールの背後に白い放射状の氷の華が開く。唸りを上げて振り下ろされるリンドヘルド。氷の剣が受け止めると、ランシャの背後の地面が衝撃に(えぐ)られる。剣の勝負は一進一退、互角に戦っているようにも見える。当の本人たち以外の目で見れば。


 ランシャは考えていた。剣の技術には驚くほどの差はない。だがその僅かな差が埋められない。このまま打ち合い続ければ、差は広がるばかり。それはいずれランシャを追い詰め、飲み込むだろう。差を埋める何らかの要素が求められるところだが、それが何なのかわからない。考えろ、何かあるはずだ、何か。


 ギーア=タムールは迷っていた。ザンビエンを狩る前の座興のつもりだったが、この小僧、なかなかどうしてたいしたものだ。魔獣の力がなくとも、その辺の聖騎士よりも強いだろう。これがもしジクリジクフェルやフーブと結べば、それなりに驚異となる。ならばここで叩き潰しておくべきだ。だが、戦士にも格がある。天界より遣わされた自分の行動が、この先の天界による下界支配の妨げになってはならない。天を畏怖させ、己の行為を悔悟させ、許しを請わせて圧倒的に勝利する事こそ我が使命である。そのために必要であるならば。


 重い音を立てて剣が打ち合わされる。周囲の空間は凍り付き、大地には亀裂が走った。つばぜり合いは上背に勝るギーア=タムールが有利。ランシャはタイミングを見て距離を取らねばならない。だが敵はグイグイと押し込んでくる。


「貴様との戦い、存外に楽しかったぞ」

「そりゃどうも」


「だがいつまでも遊んでいる訳には行かぬのでな」

「ああ、同感だね」


 無論、ランシャの言葉は強がりである。とは言え相手は何かを仕掛けてくるつもりだ。それが何かはわからないが、この状況が動くのなら歓迎したい気分だった。


「貴様には天に刃向かった報いを受けてもらわねばならん」


 何が報いだ、と言い返したくなったものの、ランシャは堪えた。相手の狙いがどこにあるのかわからない。ギーア=タムールの嗜虐的な目が笑う。


「そこで貴様の泣き所を突く事にした」


 泣き所。つまり弱点。その言葉にランシャの全身は総毛立った。脳裏をよぎるリーリアの笑顔。剣を押し込む圧力が一段と強くなった。そこに。


 ギーア=タムールの背後直上から振り下ろされる魔剣レキンシェル。ランシャは見た。目の前の口元に浮かぶ笑みを。そしてその意味を瞬時に理解する。


「逃げ……」


 言葉を発する暇はなかった。聖剣リンドヘルドの上半分が三十二の断片と化し、上空に向かって飛ぶ。ダリアム・ゴーントレーの灰色のローブは、一瞬でボロ雑巾の如く変わった。


 声もなく落下するダリアムの体を、ギーア=タムールは左手一本でつかみ止める。


「貴様の最大の泣き所は、この傲岸不遜な魔道士よ。これがいなければ、もう少し自由に動けたものを」


 右手一本でランシャの動きを止めながら、ギーア=タムールは言った。それは間違ってはいない。ダリアムはレキンシェルを持っている。もし彼にランシャと同じレベルで剣の技術があったなら、戦い方も変わっていただろう。


 ギーア=タムールに魔法による攻撃は意味をなさない。呪印の効果を一瞬で消し去ったのが良い例である。魔法の使えぬ魔道士など、本来連れてくるべきではなかった。だが、ランシャだけでは信頼が置けぬとザンビエンに同行を主張したのはダリアムだ。ギーア=タムールの目を引きつけるための囮としたのも苦肉の策であった。


「こやつがいなくなれば、貴様とて自由に動ける。願ったり叶ったりではないか」

「黙れ」


「良い顔だ。そうやって悔いるがいい。悲しむがいい。己の無力さを痛感し、天の裁きに怯えるのだ。それこそが貴様ら人間に許された顔なのだからな」


 それを聞くと、ランシャの鼻先がフンと鳴った。


「へえ、凄いなアンタ。神様にでもなったつもりか」

「……何」


 ギーア=タムールの逆巻く青い髪が怒りに輝く。しかしランシャは怯まない。


「おまえだって泥人形のなれの果てだろうが!」

「貴様ぁっ!」


 白い光と青い光が交錯する。空には黒雲が湧き、大地は鳴動した。高速で打ち合う氷の剣と聖剣リンドヘルド。ランシャの晶玉の眼は、ギーア=タムールの動きに追いついていた。だが、剣がもたない。いかなザンビエンの呪いの氷とは言え、リンドヘルドの攻撃を正面から受け続けて、いつまでも耐えられるはずもない。


「喰らえ!」


 青い聖剣によって必殺の突きが放たれる。それは打ち払おうとした氷の剣を砕き、そのままランシャの氷の右手まで打ち砕いた。万事休すか、そんな言葉がランシャの脳裏をよぎったとき。轟音の中、ギーア=タムールの左手にぶら下げられたダリアム・ゴーントレーの口は、小さく呪文を唱えた。


「魔法など通じぬ!」


 あざ笑うギーア=タムールは視線すら向けない。だから気づかなかった。魔道士の右腕の、肘から先が消えた事に。それは直後、ランシャの右腕の先に現れた。魔剣レキンシェルを握ったままで。


 まさに白い閃光。真下から振り上げられた白い刃は、真上から振り下ろされる青い刃の速度を超え、敵の左腕に斬りつけた。


「くっ!」


 聖騎士団長は慌てて距離を取る。左腕の鎧が()ぜ、肩まで凍り付いていた。放り出したダリアムの傍にはランシャが立つ。いささか呆然とした顔で。


 ランシャは新たに生えた右腕を見つめていた。シワの寄った老人の腕を。


「我が宿願、おまえに託そう」


 ボロボロになって地面に横たわる、かつて魔人と呼ばれた男はそうつぶやいた。


「俺でいいのか」


 ランシャの言葉にダリアムは小さく笑う。


「ないよりはマシだ」

「わかった」


 ランシャは静かに踏み出した。ギーア=タムールを追い詰めるかのように。


――忘れるな。忘れるな。晶玉の眼を持つ者よ。その眼は果てしなくおまえを導き、永遠におまえを縛り付けるだろう


 それはいったい誰の言葉であったか。ダリアム・ゴーントレーには、もうそれを思い出す事はできなかった。



 ランシャは心の中で語りかける。


(レク)


「何だよ」


(おまえって、こんなに軽かったんだな)


「気づくのがおせーよ、バーカ」


 力押しではリンドヘルドには勝てない。だが、速さなら勝てるかも知れない。それが僅かな差を埋められるかどうかはわからないものの。


「やるだけはやってみるさ」


 ランシャの視線の向こうでギーア=タムールが左腕を振った。氷が一気に砕け散り、鎧の破片が地面に落ちる。傷はもう塞がっているようだ。


「さて、それでは気兼ねなくその首を狩らせてもらうとしよう」

「できるならな」


 ランシャは走った。白い魔剣を振りかざして。



 速さだけなら四賢者を上回るが、攻めが軽い。受ける事に徹すれば簡単に捌く事ができる。とは言え遊んでいる時間はない。邪神フーブを信奉する三人の狂信者を排し、フーブと炎竜皇ジクスを倒せないまでも、その力を削がねば。兄のために、天界のために。月光の将ルーナは身を低くして駆けた。



 強い。聖剣リンドヘルドを手にしたゲンゼルも強かったが、目の前の女はそれを上回る。風切は舌を巻いた。何せ風切、風音、風月の三人がかりで足を止められないのだから。さすが月光の将、たった一人の無敵の軍団と呼ばれただけはある。だが感心してばかりもいられない。もはや勝ち負けにこだわっている場合ではない。いまは足を止める事に全神経を集中するのだ。フーブ神のために、そして人類のために。



 ただの剣で斬られた傷なら、とうに塞がっているはずだ。だが四肢を切断された魔獅子公フンムの体からは、血が流れ続けていた。妖人公ゼタが傷口に腕や脚を重ねて治癒魔法をかけても、手足は元通りに復元されはしない。


「無駄だ、ゼタ。おそらくはノスフェラでなければ治せまい」


 フンムの言葉に、ゼタは歯がみする。


「おのれ、あの女」

「いまは急げ。炎竜皇に万が一の事があってはならん」


 一瞬躊躇ったが、ゼタは立ち上がった。


「待っていろ、おまえもカーナも必ず助ける」


 ゼタは毒蛇公スラと共に神殿に向けて走り出した。しかし、その足がすぐに止まる。


「どういう事だ」


 目の前に立っているのは、漆黒の人型。暗愚帝ゲンゼル。スラは慌てて振り返る。そこには魔界医ノスフェラと攻防を繰り広げるゲンゼルの姿が。



 枯れ木の如きノスフェラは、背後の異変に気づいていた。


「はてさて。どういう趣向ですかな」


 ノスフェラの眼前に立つゲンゼルは、黒い歯をニッと剥き出した。


「余は暗愚なれば、工夫を知らぬ。敵が二手に分かれたのなら、我が身も二つに分けるのみ」

「ではその愚行、後悔させて差し上げましょう」


 シワだらけの細い手が、何もない空間から緑色の小瓶を取り出す。


「このノスフェラ特製超高機能虫下しを喰らいなさい!」



 フーブ神殿の中は戦いの気配と音に侵食されている。風の巫女が小さく背後を気にしたとき。


「君は僕が守る」


 ジクスの静かな言葉。振り返りもせず遠い目で何かを見つめながら。風の巫女は口元だけで微笑んだ。


「お優しいのですね」

「僕がこう言う事を見越してフーブはここに招いたんだ。その期待通りにするだけだよ」


 その背中を巫女はしばし見つめる。


「……それは嫌ではないのですか」

「もちろん嫌さ。誰かの思い通りに動かされるなんてね。でも、世の中にはもっと嫌な事もあるから」


「それはたとえば」


 しかし、ジクスはその問いには答えない。答える(いとま)がなかった。


「来るよ」


 巫女は背後を振り返ったものの、まだルーナとの間には距離がある。その瞬間、巨大な衝撃波が神殿を揺さぶった。


 髪を振り乱した風の巫女が思わず見上げた空を、白と青の光が交錯しながら稲妻のように駆け抜ける。


「あれは」

「ランシャとギーア=タムールだよ。凄いや、ランシャ。あのザンビエンの力に耐えるなんて」


 感心する点が間違っているのではないかとも思えるが、ジクスの事情を考えればそこにこそ驚くのだろう。


 何かが爆発するかのような音が空の各所でとどろき、衝撃波が地面を揺らす。そして強烈な閃光が走ったかと思うと、神殿の中に影が二つ増えていた。


「小賢しいな、ランシャ!」


 ギーア=タムールのその声に、ルーナが思わず顔を向ける。風切と風音も、そしてジクスも。彼らの知る、透き通った晶玉の眼を持った少年が立っていた。白い魔剣レキンシェルと共に。


「こんな場所に下りて何をする気だ。フーブやジクリジクフェルに加勢でも頼む気か」

「頼めるんなら頼みたいさ」


 少年は、少なくとも口先ではあのギーア=タムールと対等に渡り合っているように見える。いや、口先だけではあるまい。何よりここまで引っ張り出してきたのだから。無論それはザンビエンの力があっての事なのだが、それを考慮しても、あまりにも馬鹿げたほどにあり得ない光景と言えた。


「まあいい。どうせ全員倒さねばならぬのだ。多少遅いか早いかの違いでしかない」


 青い聖騎士団長は笑い、聖剣リンドヘルドを天にかざす。


「好きにかかって来るがいい」

「じゃあ、遠慮なく」


 ランシャの手にする魔剣の刃が白く伸びる。伸びる。グングンと、まるでムチのように伸びて行く。


「待ったは無しでいいな」

「ほざくな、人間が」


 ギーア=タムールは聖剣を大上段に構え、ランシャは長い長い魔剣を下段に構える。一触即発、(さい)はいま投げられようとしていた。

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