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魔獣奉賛士  作者: 柚緒駆
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氷の右手

 あの魔族と結んだ黒いのは、弱くはない。フーブとジクリジクフェルの勢いを僅かでも削いでくれるのなら重畳と言える。ルーナが無理をしていないか心配ではあるが、いまは呑気に身内を気にしていられる状況でもない。ザンビエンは目覚めている。なのに動かない。何故だ。ギーア=タムールは天使の消えた東の空を見つめていた。


 いますぐザンビエンが動くのならば、この場で待つのが得策である。フーブやジクリジクフェルに要らぬ茶々を入れられずに済む。しかし動かないのであれば、選ばねばならない。先にフーブを片付けるか、それとも氷の山脈にまで出向くか。


 ザンビエンが臆病風に吹かれたとは思わない。その程度の相手なら、どれほど簡単な事か。だが同時に、自分が不利とわかっている状況で動くような間抜けでもない。動かないのは何かが起きている、何かを待っているという事。先んじて動くより有利な何かを見つけたのかも知れない。もしそうなら、時間を与えるのは愚かな選択である。


「出向くしかない、か」


 この決断があと数秒早ければ、事態は別の展開を見せたかも知れない。暗い空に一筋の流星が走ったかと思うと、ギーア=タムールの周囲をドーム型に、水の壁が覆った。しかし動揺はない。


「ほう、水の檻か。まさかラミロア・ベルチアではあるまいな」


 聖剣リンドヘルドが静かに切っ先を空に向け、そこから水平方向に、直角に振り下ろされた。ただそれだけ。それだけで、水の檻の四分の一が弾け飛ぶ。だがその瞬間、水の消え去った隙間から、無数の氷の槍がギーア=タムールに降り注いだ。


 くるり、手首を回してリンドヘルドで円を描く。氷の槍など、この衝撃だけですべて粉砕されるはずであった。それがただの氷ならば。けれど、槍は一本も砕けない。


 ギーア=タムールは稲妻の速度で槍の落下地点から逃れた。ただし本物の稲妻ほど速くはなかったようだ。何故なら移動中の彼を、稲妻が打ったのだから。思わず膝をつきそうになり、しかし堪えた。その頭上に真っ白い刃が迫り、青いリンドヘルドが弾き返す。


 鉄剣ならば砂のように砕け散ったであろう一撃を受けてなお、魔剣レキンシェルは姿を保ち、それを握る右手の主は、群れをなして地面に突き立つ氷の槍の隣に降り立った。灰色のローブをまとったその者にギーア=タムールは射るような視線を向ける。


「貴様ではない」


 ザンビエンの爪を手にしている以上、目の前の敵も油断ならざる相手だ。だが違う。


「氷の槍を放ったのは貴様ではない。誰だ、どこにいる」



 ダリアム・ゴーントレーは舌を巻いていた。いかに精霊王ザンビエンの力を借りているとは言え、さらにはラミロア・ベルチアや(いかづち)の精霊ジャイブルまで動員したとは言え、四聖魔の一角たるギーア=タムールに、こうも見事に不意打ちを食らわせるとは。あのサイーが見込んだだけはあるという事だろうか。


 ただ感心してばかりもいられない。自分はいまそのギーア=タムールの眼前に立たされているのだ。最初に殺されるのが誰かは疑いようもない。


「さあ答えよ! 答えぬのならその口を引き裂き、舌をもぎ取るまで!」


 相手はリンドヘルドの切っ先をこちらに向けて激昂している。しかしそれは計算の内、ダリアムは沈黙を守るしかない。


「良かろう、ならば楽に死ねると思うなよ」


 ギーア=タムールが一歩前に進み出ようとしたとき。ダリアムの隣に突き立っていた無数の氷の槍が砕けた。いや、砕けると同時に移動し、再集結し、形を作った。人の腕のような形を。その先端に握られた拳が唸りを上げる。


 大気を裂く勢いで水平方向に振られた重い裏拳を、聖剣リンドヘルドが受け止めた。ギリギリと氷の軋む音がする。片手でそれを受けながら、青い聖騎士団長は冷静につぶやいた。


「ザンビエンではない」


 さっきの激昂はどこへやらである。


「ザンビエンならば、こうも姑息に、こうも的確に力を使ったりはしない」


 氷の腕の付け根から、肩が現れる。胸が現れ、首が現れ、頭が現れた。巨大な氷のゴーレムがその上半身を形にする。


「このギーア=タムールを試しているのか。力量を見極めようというのか。ザンビエンの力を使う、ザンビエンではない者よ」


 リンドヘルドがゴーレムの腕を押す。静かに、ゆっくりと、しかし余裕を持って。


「面白い。いきなり魔獣の首を狩るのも味気ないと思っていたところだ。相手をしてやろう。結末の見えた運命に抗ってみるが良い」


 これではまるで暗愚帝の言葉だな。ギーア=タムールの口元に苦笑が浮かんだ。



 相手を激昂させたまでは良かった。だがそれ以後はまったくダメだ。感情的になれば暴走してくれるかとも思ったのだが、すぐに平常に戻ってしまった。ただ力を持っているだけではなく、油断や迂闊さが見えない。それでいて神経質さもなく、泰然としている。まるで砂漠の太陽にでも喧嘩を売っている気分だ。


 岩場の陰に隠れているランシャには、ダリアム・ゴーントレーの視界を通してギーア=タムールの姿が見えている。その圧倒的とも言える迫力と存在感。実際に戦ってみなくともわかる。もしザンビエンの後ろ盾がなければ、逃げ出す以外の選択肢はなかっただろう。


「逃げ出したいか」


 ランシャの右側で、水色のリーリアが微笑む。


「気持ちはわからんでもない。尋常な相手ではないからな」

「そ、そんなに凄いのか」


 左側ではタルアンが不安げにのぞき込んでいる。その頭の上では黄色いジャイブルが呆れていた。


「当たり前だ。こなたの本気の稲妻をモロに受けて平然としている化け物だぞ。どう転んでもマトモに戦えるようなヤツではない」

「だからマトモに戦わずに不意打ちを食らわしたんだが、ちょっと想像以上だった」


 ランシャの顔に浮かんだ笑みに明るさはない。それを見てラミロア・ベルチアは一つため息をついた。


「ではどうする。諦めてザンビエンの宿主となるか」

「それでザンビエンもろとも真っ二つにされたんじゃ意味がない。だったら頑張るさ」


 そうランシャが答えたとき。脳裏にダリアムの悲鳴が走った。


――ランシャ!



 ギーア=タムールは氷のゴーレムの拳をはね除け、リンドヘルドを軽く振った。ゴーレムの腕は三つに切り分けられる。しかしこれを構成するのはただの氷ではない。ザンビエンの呪いの氷である。ただちに元通りとなり、再び敵につかみかかった。だがもう相手はそこにいない。


 青い聖剣が唸りを上げてダリアムに打ち込まれる。いかな魔人とはいえ実力差がありすぎる、魔剣レキンシェルをもってしても打ち合うなどできるはずもない。初撃と二撃目をかわしただけで、もはや精一杯。しかしギーア=タムールは流れるように三撃目を繰り出した。首筋を狙った突き。その切っ先がダリアムの皮膚に達しようとした寸前、動きを止める。強制的に止められたのだ。


 リンドヘルドを握り止めたのは、氷の手。だがゴーレムの手ではない。それはダリアムの前に割り込んだ、少年の右肘から生えていた。ギーア=タムールが笑う。


「何故出てきた。非情に徹しきれなかったか、それとも無用な消耗を避けんとする判断か」

「その答がアンタにとって意味があるなら、好きに決めつければいいだろう」


「良い返答だ。貴様、名前は」

「ランシャ」


「とうに知っていようが、我が名はギーア=タムール。貴様の首を斬り落とす者だ」

「そういう訳には行かないね」


 と、不意にリンドヘルドが引かれた。そして今度はランシャの眉間を狙って突きが放たれる。その前に立ちはだかったのは透明な氷の盾。それは聖剣の突きを受け止め、破られる事はなかった。ただし。盾をかざしたランシャの体は、ダリアムと共に後方に吹き飛ばされる。


「くっ!」


 後ろ向きに倒れなかったのは奇跡と言えるかも知れない。ランシャの脳裏には砂漠で魔獅子公フンムと戦ったときの事がよぎった。もっとも、いま目の前にいる相手はフンムより格段に始末が悪いが。いや、目の前にいない。咄嗟に右手を頭の上にかざした。足が地面に沈み込むほどの衝撃。感覚などないはずの右腕が痺れているのがわかる。だがそんな事に構ってなどいられない。ランシャは左手で宙に呪印を描くと、それを頭の上に突き上げた。


 腹か胸に当たれば、鎧の内側の臓腑を凍り付かせる必殺の呪印。しかしギーア=タムールはそれを膝で蹴ると同時にクルリと回転して地面に降り立ち、そこから低い姿勢のまま、リンドヘルドの切っ先を大地に突き刺した。まるで水に剣を刺すが如く楽々と手首まで潜った右腕の先は見えない。


 剣が見えなければ次の動きを読むのは難しい。下から来るのはわかっているが、突いてくるのか斬り上げるのか。迂闊に前には出られない。


「思った以上にやるな、小僧」


 青い男は楽しげに笑っている。


「ザンビエンの力を小出しにするしか能がないかと思ったが、呪印まで使えるとは恐れ入った。久々にいい気分だ。良かろう、貴様を戦士と認めてやる」

「そりゃどうも」


 ランシャの気のない返事に気分を害した様子もなく、ギーア=タムールは低い姿勢のままで言葉を続ける。


「ただし戦士と認めた上であえて苦言を呈するなら、いささか判断が甘いと言える。貴様の強力な呪印を私は膝で蹴ったのだ。ならばこの膝の内側が何らかの異常をきたしていてもおかしくはないだろう」


 誰が見ても膝に負担のかかる姿勢でそう言った。脳天気なのか、それとも余裕なのか。ランシャは苦々しい笑みを浮かべる。


「で、その膝はもう治ってるんだよな」

「当たり前だ。戦う相手に自分の弱点をペラペラしゃべる間抜けがいるか」


 苦手なタイプだとランシャは思った。口が達者なら、その分調子に乗ってくれればいいものを、口先だけで終わらぬ実力を兼ね備えているのは極めて厄介と言える。無論、相手が嘘をついている可能性もなくはない。実はまだ膝が痛んでいるのに無理をしているのかも知れない。だがそんな僅かな可能性に賭けるのは自殺行為。脅威に対しては最大限、最悪の想定をしておくべきなのだ。


「さて、貴様との思い出もこれくらいあれば良かろう」


 ギーア=タムールの言葉を受けて、ランシャはダリアムに思念を送った。合図をしたら飛べと。


「逃がしはせんよ!」


 それを察した敵の腕に力が入った瞬間、ランシャは氷の右手を地面に叩き付ける。


「行け!」


 大地は厚く氷結した。



 暗愚帝ゲンゼルの伸ばした手が光に包まれる。慌てて引っ込めると、指が三本消失していた。しかし欠損はすぐに復元される。


「おまえの仕業か、ノスフェラ」


 枯れ木の如き魔界医は、赤い小瓶を振りながら鼻高々に笑った。


「いかにもいかにも。このノスフェラ特製超強力消毒剤にかかれば、あなたの体など溶けて流れて消え失せるのです」

「ふむ、それはマズいな」


「そうでしょうそうでしょう、恐れなさい、崇め奉りなさい、この天才医師ノスフェラを!」

「では仕方ない」


 黒いゲンゼルはニッと歯を剥いた。


「体を作り替えよう」

「へ?」


 その瞬間、ゲンゼルの体に無数の小さな幾何学模様が現れたかと思うと、それらは一気に裏返った。もちろん裏返っても漆黒はそのままである。


「……おやおや、これは面白い」


 ノスフェラの目が興味深げに輝く。ゲンゼルは一歩前に出た。


「そんなに面白いか」

「いや、実に面白い。是非それがしの研究材料になっていただきたい」


「それは無理だ。そなたはいますぐ死ぬのだから」

「ところがどっこい、そうは参らぬのでございますよ」


 ノスフェラは何もない空間から、今度は青い小瓶を取り出した。その栓を抜かせまいとゲンゼルが走ったとき。


 大地は厚く氷結した。

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