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魔獣奉賛士  作者: 柚緒駆
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誘い

――忘れた訳ではあるまい


――我らとの盟約を


「うん、覚えてるよ」


 闇の中、苦しげな声が響く。


――ならば何故、天を握らぬ


――ならば何故、地を()べぬ


「言い訳じゃないけど、強いヤツらがたくさん居たんだ」


 息も絶え絶えな、子供の声。彼の耳元では、大きな声がわめき立てていた。


――我らは天地を支配し得る機会を与えた。貴様が望んだが故に


――我らは貴様に望みを託した。魔族の王道楽土を築かんがために


「だから、ボクも頑張ったじゃないか」


――笑止千万


 と、天を駆け抜けるような高らかな声が言う。


――貴様はただ力を出し惜しみ状況を悪化させた


「そうは言うけどさ、ファニア」


――問答無用


 と、地の底から湧き上がるような暗い声が言う。


――貴様はただ怯えて逃げ回っていただけだ


「それは違うよ、ガニア」


――違わぬ事は結果に明らか


――泣き言ばかり見苦しい


――この天竜ファニアの与えし力と


――この地竜ガニアの与えし力を


 二つの声が重なった。


――使いこなせぬのなら死あるのみぞ、ジクリジクフェル


 炎竜皇ジクスは目を開けた。暗い寝室。ベッドが柔らかすぎるようで動きづらい。いや、ベッドのせいではない。体が重いのだ。まだ全身にダメージが残っている。ランシャから受けたものではない。自らの内側から発せられた、巨大過ぎる力によるダメージである。


 子供の姿とブカブカの鎧は、その恐るべき力を閉じ込める魔術的封印。特殊な結界の内側以外でこの鎧をすべて外せば、皇国ジクリフェルそのものが吹き飛ぶだろう。もちろんそのときには、ジクスの肉体など跡形もなく消滅する。


 ジクスは体を何とか起こし、ベッドの上にへたり込んだ。


「……言うだけなら気楽なんだけどなあ」


 とは言え、すべてはジクスが望んだ事である。あらゆる魔族の未来のために、その身を投げ出し天竜地竜の加護を得たのだ。後悔はない。経緯はどうあれ竜族を率いた者の宿命であったろう。だがそれでも、ときどき思うのだ。自分には荷が重いのではないかと。もしかしたら自分より優れた指導者が居たのではないかと。


 それは幻想であるとわかっている。砂漠を行く商隊に例えるなら、優れた指導者とは無限に水を湧かせる魔法使いではなく、安全な泉の間を無理なく移動できる経路を見つけられる者である。不足のない完全な指導者を待っていたら何も進まない。指導者に求められるのは便利な優秀さではなく、手持ちの力をやりくりして全体を引っ張る強い意志なのだ。


 あのとき、自分よりも強い意志を持って人間たちに対抗した者は、魔族に居なかった。ならば自分が指導者になるより他の選択肢があったろうか。かつて自らが決定した事によって現在がある。そして未来はいま自分が決定しなければ訪れない。当たり前の話である。


 ジクスは顔を上げた。頭が重い。けれど動けないほどではない。


「四賢者は……そっか、リーヌラか」


 一つため息をつき、そっとベッドから下りる。ここからどうするかは、まず動いてから考えよう。気は重い。体も重い。だが世界は再び動き出している。立ち止まってはいられない。前に進むのだ。



 前に進んだランシャは氷の大剣を振り下ろす。黒山羊公カーナの姿が消えた。いまのいままでカーナが居た場所の床には、影だけが残っている。その影が花火のように弾けると、幾重もの弧を描いてランシャに迫った。しかしランシャの足下の影が同様に弾け、カーナの影を迎え撃つ。いや、ランシャの方が大きく速い。カーナの影は瞬時に後退すると、床から音もなく黒山羊が飛び出して天井に逆さに貼り付いた。


 ランシャは天井を見つめて言う。


「その戦い方は知っている」


 ミアノステスの赤茶けた砂岩の山で、ニナリの変じた黒いドラゴンが同じ事をしたのだ。偶然だろうか、とランシャは思う。と、そこに響く絶叫。



「くおおおおおおおっ!」


 氷のゴーレムが軋む。魔獅子公フンムが押し込んでいるのだ。だがゴーレムは下がらない。氷のこすれる耳障りな音を立てながら、フンムを押し返した。


「何故だ、何故動かぬ、何故動けぬ!」


 吼えるフンムの背後、黄金色の蜘蛛の巣の内側において、毒蛇公スラが感情のこもらぬ目で見つめている。頬のない口から漏れる声。


「これは、もしや」

「何かわかったのか」


 隣に立つ妖人公ゼタの言葉に、スラの丸い目が動いた。


「おそらく、はめられた」

「はめられた? どういう事だ」


「厄介な相手、策を立てる必要がある」


 スラの口元からは、チロチロと長い舌が神経質に出し入れされていた。



 ランシャはリーリアの体を引き寄せると、左手を腰に回した。そして二人は浮き上がる。天井の高さで逆さに立つ黒山羊を一度にらみつけると、風のように迫った。唸りを上げる氷の大剣。カーナはそれを余裕を持ってかわし、天井を駆けたものの、減速せず進行方向を曲げるランシャたちはすぐに追いつく。


 再び振られた大剣は、首をすくめるカーナの大きな角をかすめた。黒山羊公の口から発せられる不快な奇声。天井に亀裂が走る。しかしランシャは少し顔をしかめただけで、相手の口をめがけて大剣で突いた。カーナの頭が真っ二つに割れる。剣が斬り割ったのではない。自ら二つに別れて切っ先をかわしたのだ。


 ランシャの伸びきった腕を見て、カーナは反撃に出た。全身から無数の黒い触手を伸ばし、敵を貫こうとする。だがランシャはその姿勢のまま高速回転し、触手を弾き飛ばしながら、さらにカーナに迫る。


「ちいぃっ! 何とデタラメな!」


 いかに大精霊ラミロア・ベルチアが力を貸しているとは言え、皇国ジクリフェルの四賢者がまさか人間一人にここまで苦戦するとは。あの聖剣リンドヘルドを手にしたゲンゼルと同等か、それ以上かも知れない。


 こうなってはザンビエンの生け贄を抹殺するだけで話は済むまい。どんな手段を使ってもここでランシャに勝利し、そして息の根を止めなければ、この小僧はいずれジクリフェルにとって大きな脅威となろう。


 そう思った黒山羊公カーナの頭の中に、彼自身とは別の意識が動いた。言い換えれば、誰かの心が見えない手を伸ばし、カーナの心に触れたのだ。それは思念による通話。すると黒山羊は突然身を翻し、全力で逃走した。ランシャも加速し、後を追う。



「鏡の魔法」


 スラは言った。


「相手から向けられた力を、そのまま相手に跳ね返す。だからフンムがいくら押しても、ゴーレムは動かない。おそらくゴーレムのどこかに、氷で作った鏡が埋め込まれている」


 ゼタは応える。


「その鏡を探せ、と?」

「そんな事、何の意味もない」


 スラの感情のこもらぬ声に、ゼタの目が鋭くなる。それに気付かないかの如く毒蛇公は続けた。


「おそらく我らの動きを止め、一人ずつ始末するのがランシャの策。ならば我らを囲む、あの動かない氷柱どもにも、何か仕掛けがあるはず。ゴーレムはフンムに相手をさせればいい」


「では、我らはどう動く」

「蜘蛛の巣を、すべて消せ」


 ほんの一瞬、ゼタは躊躇ったが、すぐに周囲に張り巡らされた黄金色の蜘蛛の巣を消し去った。しかし氷柱の群れは動かない。


「次は」

「じきにわかる」


 そう言うと、スラは沈黙した。カーナに思念を送ったのだ。取り囲む氷柱とゴーレムの巨体に隠れてカーナの動きは見えない。だが気配でわかる。黒山羊公は頭上に迫っていた。


「飛べ」


 言うが早いか、スラは真上に飛び上がる。ゼタも続いたが、飛んだのは二人だけではない。周りに壁を作っていた氷柱の群れまでもが、一斉に宙に舞い上がった。スラは一瞬で天井に到達し、氷柱たちも続々と天井に突き刺さる。決して包囲を解かぬというランシャの固い意志が透けて見えるようだ。しかし。


 氷柱の包囲陣に、穴が空いていた。数本の氷柱が、天井に到達する前に動きを止めたのである。そう、そこに居たランシャとリーリアに当たらぬように。


「続け!」


 その穴にスラは突進する。氷の大剣を構えたランシャが立ちはだかろうとするが、スラは体を無数の小蛇に分散させた。後ろには妖刀土蜘蛛を振りかざしたゼタが、さらに後ろにはカーナが続く。どれか一人を相手にすれば、残る二人に首を掻かれるだろう。


「ランシャ、下がれ!」


 ラミロア・ベルチアの声を待つまでもなくランシャは後退し、三体の魔族は氷の包囲陣から抜け出す。次の瞬間、氷柱たちは急降下し、氷のゴーレムと組み合うフンムを幾重にも取り囲んだ。


「賢明な判断」


 再び一体に集合したスラがつぶやく。カーナは呆れた声を上げた。


「敵を褒めている場合ですか。こちらは不利な状況なのですよ」


 その通り。いまランシャの隣には大精霊ラミロア・ベルチアが居て、片や四賢者のうちフンムは動きを封じられている。パワーバランス的に見れば、どちらが有利か考えるまでもない。しかし毒蛇公スラは平然とランシャにたずねた。


「二つ質問がある」

「何だ」


 対するランシャも平然と応える。スラは表情のない顔で、それでいてどこか面白そうにこう言った。


「まず一つ目。あの氷に何を仕掛けていた」

「何も」


「何も?」

「何かを仕掛けていると考えてくれたら儲け物だと思っていた。だがあれはただの氷だ。おまえたちの動きについて回る以外の魔法はかけていない」


 スラの細長く先の割れた舌が、自分の顔をペロリと舐めた。


「では二つ目。仮にいまの言葉が嘘であったとしても、我らには逃げるくらいはできた。それは考えていたか」

「考えていない」


「何故」

「もし俺が逃げたとしたら、おまえたちは追ってきただろう。俺とおまえたちは同じ事を考えている。ならばおまえたちが逃げる心配をする必要はない」


 スラの表情は変わらない。けれどその口からは、意外な言葉が飛び出した。


「ランシャ、おまえ、魔族になる気ないか」


 この言葉に動揺したのはランシャではなく、スラの隣の二人の魔族。


「な、何を言っているのだ。気でも違ったか」


 慌てるゼタに、スラは顔を向ける。


「ランシャの答え、完璧」

「だから何だ」


「この力、この頭脳、ジクリフェルにこそ必要」


 そこにカーナが口を挟む。


「おっしゃりたい事は理解できますが、それはあまりに危険な賭けに過ぎませんか。ゼタ殿とは訳が違います。彼に人間を捨てよというのは無理な話かと」


 そしてランシャに向き直る。ゼタは再び妖刀を構え、最後にスラがランシャを見る。


「無理、か」

「俺は人間が嫌いだ」


 ランシャは言った。


「だからこそ、俺を裏切った連中みたいにはなりたくない」

「良い返答」


 スラの表情は変わらない。巨大な毒蛇の顔には相変わらず動きはなかった。しかし。


「だが、ならば殺すしかない」


 その声の微妙な変化に、隣に立つゼタは気付いた。こいつ、楽しんでいるな、と。


 不意にスラが急降下した。意表を突かれたのか、ランシャは反応しない。毒蛇公は床に到達する前に水平に移動、目指す先にあるのは玉座、いや、その横に腰を抜かしてへたり込んでいる第一王子ラハムか。王子はスラに気付くが、もはや怯えきって悲鳴も上げられない。


 これならランシャも動かざるを得まい。ゼタとカーナに背を向けて、こちらに飛んで来るやも知れない。そうなれば、一気にこちらが有利となる。確証はなかったが、試す価値はある。それがスラの読み。口を開き牙をきらめかせ、惨めな王子に襲いかかる。


 けれどスラの牙がラハムへと届くより早く、彼の喉笛に痛みがあった。ラハムの足下の影から飛び出すのは、氷の彫像。猫とも大型のネズミともつかぬ、尾の長い生物の姿を(かたど)ったそれは、狙いすましたかのようにスラの首に噛み付いていた。


 なるほど、ここまで読んでいたか。戦慄と感嘆がスラの心を震わせる。不可思議な生物の姿をした氷は、軋む音と共に首を振り、毒蛇公を床に叩きつけた。

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