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魔獣奉賛士  作者: 柚緒駆
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白い片翼

 暗い世界。下界に遠く明かりが見える。そこに向かって猛烈な速度で落下する人型の影。


「うあああああああっ!」


 絶叫するルオールのすぐ隣で顔をしかめるのはライ・ミン。


「声が大きいでござるよ」

「おおお落ち、落ち、落ちてる!」


「落ちているように感じるだけでござる。実際に落ちている訳ではござらん。そもそもこんな空間はどこにも存在していないでござるからな」

「落ちるーっ! 落ちるーっ! 死ぬーっ!」


 叫び続けるルオールには、ライ・ミンの話を聞く余裕はない。遠くに見えていた明かりが、もう随分と近付いている。このまま地面に叩き付けられて死んでしまうに違いないと思った。


「ぶーつーかーるーっ!」


 だがそう叫んだとき、ルオールはもう立っていた。


「……あれ?」


 足下には柔らかく輝く雲のような地面。下から上に差すまぶしくない光の中、ルオールはおそるおそる一歩踏み出した。足首まで沈み込むものの、体重は乗せられる。


「何だこれ」

「彼にとっての地面でござるよ」


 いつの間に隣に立っていたのか、ライ・ミンが言う。


「彼には地面がこう感じられているのか、それともこうあって欲しいという願いなのかはわからんでござるがな」

「彼、ってニナリの事か」


 ルオールの問いにライ・ミンはうなずく。


「周りを見てみるでござる。何がござるか」


 ルオールは顔を左右に回した。しかし周囲には何も見えない。ただ闇が広がり、地面が輝いているだけ。


「夜だ……夜しかない」

「そう、ニナリの心は夜に閉ざされているのでござろう。そして」


 ライ・ミンは天を振り仰いだ。


「あれを見るでござる」


 ルオールはライ・ミンを見つめ、そして自分も空を見上げた。


「あっ!」


 そこにあったのは、いや、そこに居たのは、天空を覆うように横たわる巨大な人の姿。大きすぎてしばらくはわからなかったが、その透き通る瞳を見て正体を理解した。


「ランシャ」

「ニナリにとってのランシャは、こういう存在なのでござるな」


「もしかして、ここはニナリの心の中なのか」

「そういう事でござる。ならば御貴殿のせねばならん事もわかるでござろう」


 ルオールは不審げに眉を寄せ、口を尖らせた。


「俺様に何しろっつんだよ」

「もちろん、ニナリの心を救うのでござるよ」


「救うって」


 救うと簡単に言うが、人が人を救えるものなのか。溺れてるヤツを岸に引っ張り上げるだけならどうって事はない。しかし、いま求められているのはその手の話ではあるまい。


「どうやって救うんだよ。いやそもそも、ニナリがどこに居るかわかんねえじゃねえか」


 するとライ・ミンは指を差した。その先に見えるのは、輝く地面が盛り上がった小高い丘。


「おそらくは、ランシャに一番近い場所に居るのではござらんか」



「言霊よ、開け」


 ランシャのその言葉が終わらぬうちに、きらめく赤い刀身。妖刀土蜘蛛の突きが走る。だがそれを待っていたかのように、妖人公ゼタの胸を狙って下から伸びる氷の棘。打ち砕いたのは、魔獅子公フンムの戦斧。ゼタは身を丸めて空中で一回転すると、ランシャたちを飛び越えた。


「詠唱なしだと」


 降り立ったゼタのいまいましげなつぶやき。


「魔剣の力か」


 フンムが戦斧を構える。


「いや、待て」


 注意を促したのは、毒蛇公スラ。


「ザンビエンの気配、しない」


 ゼタもフンムも一歩下がってランシャから距離を取った。一方ランシャは左手を後ろに伸ばし、水色のリーリアの手を握ると小さくささやく。


「ラミロア・ベルチア、力を借りるぞ」


 フンムが吼えた。


「ランシャ、レキンシェルはどうした」

「レクはもう居ない」


 四賢者も呆気に取られるほどの素直な回答だった。


「……居ない? レキンシェルを失ったと言うのか」

「そうだ」


 それを否定するのは黒山羊公カーナ。


「信用できるものですか。どうせ何か策を練っているのでしょう」

「信じたくなければ好きにしろ」


「いいや、信じよう」


 フンムの怒鳴るような笑い声。


「すなわち、いまの貴様は剣士ではなく、ただの魔道士という事だ」


 そして戦斧を振りかぶる。


「いささか残念だがやむを得ん、ひと思いにその首を撥ねてくれようぞ!」

「待てフンム、早まるな」


 ゼタの止めるのも聞かず、魔獅子公は無銘にして無尽たる戦斧をランシャめがけて振り下ろした。それを受け止めるかのように上げられるランシャの右手。次の瞬間、フンムの戦斧は硬い音を立てて宙に止まった。その分厚い刃を食い止めたのは、同じ程度の厚みを持った、白い氷の大剣。


さかしい真似を!」


 フンムは剣ごと打ち砕こうと考えたのだろう、戦斧を再度振り上げた。だがそのとき大剣は水へと姿を変え、戦斧を包み込むように巻き付く。


「何っ」

「氷柱二百本」


 ランシャの言葉と同時に玉座の間に並び立った大小様々なの氷の柱が、四賢者の周囲を取り囲み行動を制限する。だがこの程度ではフンムの足は止まらない。


「笑止!」


 目の前に立ち塞がる氷の柱を斬り倒す勢いで戦斧を振るった。刃を水にくるまれたままの戦斧を。


 ボヨン。戦場には不似合いな音が聞こえ、戦斧は跳ね返された。戦斧の周りにまとわりつく水が、柔らかい緩衝材として機能しているのだ。


「なぁっ……」


 愕然とするフンムに向かって、氷柱の間を縫うように走る影。


「フンム! 行ったぞ!」


 ゼタの声に獅子の目が赤く光った。


「甘いわ小僧!」


 躍り出た影にすかさず拳を叩き付ける。しかし打ち砕かれたのは、人間ほどの大きさの氷柱。ランシャはすでに斜め下、懐深くに入り込んでいる。その右手がフンムの胸に届くと見えたとき。


 突如現れた黄金色の蜘蛛の巣が、ランシャの右手を遮った。そればかりか蜘蛛の巣は、ランシャを包み込もうと覆い被さる。しかしその真ん中に氷柱の群れが唸りを上げて突っ込んだ。


 さらに別の氷柱たちが横殴りにゼタへと襲いかかるのを、張り巡らされた蜘蛛の巣が防ぐ。動き回る氷の柱に隠れてランシャとリーリアの姿が追えない。ゼタはギリギリと歯がみした。


「また詠唱なしか」


 ランシャは氷の柱を呼び出すために言霊を使った。しかしそれらを動かすためには言葉を用いていない。呪文を使用せずに精霊魔法を組み合わせているのだと考えられるが、こんな子供にそんな高度な魔法の使い方ができるだろうか。いや、できるのだろう。それが魔獣奉賛士サイーの遺産なのだ。ゼタはそう理解し納得した。


 玉座の間を飛び回る二百本の氷の柱は、カーナとスラにも襲いかかる。カーナは影に身を沈め、スラは無数の小さな蛇に分身して部屋中に散らばった。その中の一匹が顔を上げると、そこには水色に輝くリーリアの姿が。だが次の瞬間、蛇の体は四つに斬り分けられた。


 リーリアの隣で手をつなぐのは、氷の大剣を持ったランシャ。二人の周りを取り囲むように、ごうごうと吹き荒れる嵐。二百本の氷柱がぶつかり、倒れ、回転し、鈍い音を響かせながら乱れ飛ぶ。


 氷柱をかわし、押しのけ、手で払いながら、フンムは前進した。まっすぐランシャの方へと進んでいるつもりだったのだが、気付けば目の前にゼタの蜘蛛の巣が。細い黄金の鎖で編まれたそれが広がり、フンムを包み込んだ。蜘蛛の巣の内側にはゼタとスラ、カーナが身を寄せている。


「ほっほっほ、揃いましたな」

「笑い事ではない」


 ゼタがカーナを横目でにらむと、フンムは一つため息をついた。


「まさかヤツがこれほどの魔道士になるとはな」

「三日会わねば、人は変わる」


 スラがつぶやく。外では蜘蛛の巣を圧迫する氷柱同士がぶつかり、ガンガンと音を立てている。それをいまいましげに聞きながら、ゼタは言った。


「あのランシャという小僧が強敵なのは認めよう。魔剣レキンシェルの力を使わずとも、生半可な事で倒せる相手ではすでにない。だが、勝てない相手だとは思えん」

「さすがにそれを認める訳には行かぬな」


 魔獅子公が獰猛に口元を歪ませた。笑っているようにも、悔しがっているようにも見える。


「とは言え、相手にはまだ余裕がございますよ。ここにワタクシども一同が集まったのは、ただの偶然ではありますまい」


 カーナの言葉にスラが感情のこもらぬ目でうなずいた。


「目的が、あるはず」


 と、突然蜘蛛の巣への圧迫感がなくなった。だが氷柱のぶつかる音は続いている。どんどん連続する。二百本あった氷柱の、半分くらいは同時に音を鳴らせたのではないか、そう四賢者が感じたとき。


 蜘蛛の巣の外に、巨大な気配があった。大小の氷柱の組み合わさったその姿は、歪だが人によく似ている。氷の腕が伸び、氷の指が蜘蛛の巣をつかんだ。ゼタが叫ぶ。


「氷のゴーレムだと」



「ランシャの持つ晶玉の眼とは、それはそれは特別な目でござってな」


 ライ・ミンは輝く丘に向かって歩く。


「拙者の師匠の言葉によれば、一度見た魔法の作用機序をすべて理解する事ができるそうにござる。そこにサイーの知識が加われば、この世に使えぬ魔法などござらんのでござろうな」


 ござらんのかござるのか、と思いながらその後ろに、とぼとぼついて行くのはルオール。


「ランシャが(すげ)え魔法使いになったってのはわかったけどよ、イルドットの術には簡単に引っかかったじゃねえか」


 ライ・ミンは振り返ると、意地悪げに笑った。


「催眠術は魔法ではござらんからな。そういう意味ではランシャはまだまだ経験不足でござる」


 そして足を止めて、(ふもと)から丘の頂上を見上げた。


「ほら、やっぱり居たでござる」


 ルオールも隣に立って見上げると、確かに丘の上に座り込んでいる人影らしきものが見える。


「あれがニナリなのか」

「本人に聞いてみればわかるでござろうよ」


 そう言ってまた丘を上りだした。ルオールはその背を追ったが、どうにも気が進まない。何だか嫌な予感がする。とは言えライ・ミンから離れて一人で放り出されても困るので、ついて行くしかない。などと思っていたら、もう丘の頂上に立っていた。


「えっ」


 さっき見上げたときには随分遠くに見えたのに、一瞬で到着してしまった。当惑しているルオールの視界の中で、人影は静かに振り返る。


 ニナリだ、とルオールは思った。髪は赤いし、目鼻立ちに面影がある。だがそれは、輝く丘の頂に立ち上がったその姿は、左の背に片側だけの白い大きな翼が生えた、美しい少女の姿をしていた。

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