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魔獣奉賛士  作者: 柚緒駆
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生殺与奪

 誰も居ない。アルハグラの首都リーヌラには、人の声も音も気配もない。ランシャは王宮の中に向かった。もしリーリア姫がこの街に居るとするなら、王宮を目指さないはずがないのだから。しかし正門をくぐっても門番に咎められる事もなく、ただただ無人の静寂が広がっていた。


 そんなはずはない。


 ランシャは気付いていた。もし仮にリーヌラに何らかの異変が発生し、すべての人間が姿を消したのだとしても、この静けさは有り得ない。何故自分の足音まで聞こえないのか。


 歩く、歩く、まっすぐに歩く。正門から随分と歩いたはずだ。なのにまるで夢の中のように、宮殿に近付く様子がない。これには覚えがある。砂漠の中を彷徨ったときに感じた奇妙な感覚。バーミュラは催眠術と言っていたが。


 足は止まった。振り返れば正門はすぐ後ろにある。つまりランシャは進んでなどいなかった。いままでずっと同じ場所で足踏みを続けていたのだ。そんな事があり得るだろうか。あり得る。この世界が、このリーヌラが、実在しない作り物なら。記憶の中で組み立てられた幻ならば。


 ランシャはもう一度振り返る。正門はそこに建っていた。だがその表面に施された彫刻を見つめようとしても、焦点が定まらない。見えるのに見えない。おそらくランシャの頭の中にも、この世界を作った者の記憶の中にも、彫刻の詳細など存在していないのだろう。知らない物は描けない。


 目を閉じた。耳と皮膚感覚に全神経を集中する。もしいまレクが居てくれたら、何と答えた事だろう。だがそんな問いは封じた。迷っている余裕はない。風を、日差しを、視覚以外で感じ取るのだ。


「俺はいま、どこに居る」



 私はいま、どこに居るのだろう。リーヌラの王宮、玉座の間に居たはずなのだが、視界には闇しかない。音は遠くにうわんうわんと響くばかりだ。『外』の世界では、いったい何が起こっているのか。


 いま私の身体は、おそらく水の精霊ラミロア・ベルチアに支配され、動かされているはずだ。たぶんそれは間違いない。彼女の事は信頼している。しているのだが、自分の身体が己の意識から外れて勝手に動いているのは、何度味わっても慣れる事なく気味の悪いものだ。


 ついこの間聞いたところによれば、私はラミロア・ベルチアの子孫になるのだそうだ。この身体がが彼女を受け容れられるのも、血のつながりがあるからなのだろうか。いまそれは重要な事ではないが、ただこうやって何も見えない外界を眺めているだけというのは少々ツラいものがある。


 とは言っても、私には何の力もない。戦うラミロア・ベルチアを手助けする事すらできないのだ。ならばこうして意識の底から応援するくらいがせいぜいなのかも知れない。己の無力さを痛切に感じる。これで良いのだろうか。このままで良いのだろうか。


 いったい私はどこに居るのだろう。



 真っ暗闇の中を真っ黒い稲妻が走った。水色のリーリアの前には空中から透明な水の壁が現れ、黒い稲妻を飲み込む。何も見えずに始まり、見えないまま終わる攻防。ただ薄ぼんやりと輝く水色の光は、前に進んだ。一方的に攻撃を放つ黒山羊公、それを受け続けるラミロア・ベルチア。しかし距離を詰めるのは後者。


 謀略のカーナは歯がみした。やはり自分はフンムのような肉体労働向きではない。無論、人間程度を相手にするのなら問題はないが――聖剣を振り回されてはその限りではないものの――かつて神にも匹敵した大精霊ともなれば、いささか分が悪い。


「悪い事は言わない」


 水色の輝きは口を開いた。


「ただちにここを立ち去るならば、追いはしない」

「ほっほっほ、それはご親切な提案。なれど」


 カーナがそう笑ったとき、不意に暗闇の中、明るい光が差し込む。それは外の陽光。部屋の壁に映し出されたのは王宮の外で働く人々。汗を流し、笑顔を浮かべるリーヌラの住民たち。大人も子供も、男も女も居る。皆その首に赤い糸を巻き付けながら。


 見る限り、糸の存在には誰も気付いていないようだ。糸は人々の首から空に向かって伸びている。そして部屋の天井からは、カーナの足下にまで真っ赤なロープが垂れ下がっていた。それを闇から生じた黒い(ひづめ)が踏みつける。


「これが何を意味するか、おわかりですかな」

「人間たちの生殺与奪の権は、おまえの手の中にあるという事か」


 立ち止まったラミロア・ベルチアの言葉に、山羊の目が(わら)う。


「左様。とりあえず一万人ほどご用意させていただきました。あなたがそこから動けば、一万の人間の首が落ちる事になります。何と素晴らしい」

「しかし天下の四賢者が人質を取るとは、いささか姑息ではないか」


 リーリアの口から出る言葉に動揺はない。だがそれも想定内なのか、カーナは声を上げて笑った。


「ほっほっほ、これは異な事を。姑息な勝利は堂々たる敗北に勝りますよ。ご存じではありませんか」


 その笑い声につられた訳でもあるまいが、水色のリーリアもまた微笑んだ。


「かくも(さと)いおまえの事だ、かつて私が何をしたか知っていよう」

「……は?」


「私がこの世界を滅ぼしかけた事を知っているのだろう、と言っているのだ」

「ほう、まさかこのワタクシを脅されるおつもりですか」


 カーナの口調から余裕が消え、緊張がみなぎる。リーリアは静かにこう言った。


「私の力は大きすぎて細かい調節ができない。おまえを殺すのは簡単だが、その力を使えば、このリーヌラごと滅ぼしてしまうかも知れない。だから立ち去れと申している。それともこの都市に暮らす人間どもを道連れに消滅するか、どちらかを選ぶが良い」


 その言葉にカーナは驚き呆れた。


「なっ、人質を取っているのはワタクシの方なのですよ」

「そうだな、私も無駄に人間を殺したくはない。その点では一致している」


「あなたがその姫を置いて立ち去ればよろしいでしょう」

「何のために」


 何のためにと言われると、さしものカーナも言葉が出て来ない。ラミロア・ベルチアは続ける。


「おまえは我が名を知っている。いま私が立ち去っても、いずれいさかいの渦に巻き込むであろう。ならばここで死んでもらうのが私にとっては最良の選択だ。だがそれは無駄に被害を広げる。故に今回は見逃してやろうと言っているのだ。理解ができない訳ではあるまい」


 明らかに見下されている。その事実は黒山羊公カーナの自尊心を刺激した。


「つまり、このワタクシに勝てるおつもりだと?」

「勝てるかどうかの話などしていない」


 いにしえの水の大精霊は言う。


「おまえに残された選択肢は二つ、負けて逃げるか、負けて死ぬかだ」


――そして貴様は余には勝てぬ。敗北のみが許されていると知れ


 カーナの脳裏をゲンゼルの顔ががよぎる。ふざけるな。もし仮にそれが事実だとしても、二度も続けて敗北などできるものか。そんな事を炎竜皇に報告するくらいなら、あの太陽のような顔を曇らせるくらいならば。


 映し出されていた人々の姿が消えた。窓から外の陽光が差し込み、玉座の間を覆っていた闇は一瞬でその面積を縮小する。部屋の隅の天井へ向かって収束した暗黒は、そこに逆様にぶら下がる、大角で八本足の黒山羊に姿を変えた。


「ほっほっほ、ワタクシは生憎と指図をされるのが嫌いでございまして」


 そして天井から離れ、クルリと回転すると床に降り立つ。八つの蹄がカチャリと小さな音を立てると黒山羊は微笑んだ。


「死なば(もろ)(とも)



 崩れ落ちる巨大な氷の塊。聖剣リンドヘルドに打ち砕かれた山の神の残骸が、うずたかく積み重なる。


「ほえほえ~」

「はえはえ~」


 二人の道化が見上げる隣で、ゲンゼル王は灰色ローブの男を見やった。


「名を申せ」


 一瞬躊躇ためらうような間があったが、灰色ローブは右手を胸に当てると、深々と一礼した。


「……ダリアム・ゴーントレーと申します」

「聞いた名だな」


 ゲンゼルは表情も変えずに言う。


「それも大昔に聞いた名前だ。本物か」

「紛う事なき本人でございます」


「まあ良い。それで、余に何を望む」

「王様に何かを望むなど、畏れ多い。ただ私はお手伝いをさせて頂きたいだけ」


「何の手伝いだ」

「無論、フーブ討伐にございます」


「何のために」

「我が宿願のために」


 ダリアムは顔を上げた。


「私にはなすべき事がございます。そのためにはまず、フーブを排除せねばなりません。されど曲がりなりにも神殺し、一人ではいささか心許ない」

「そのために余を利用しようというのか」


 しかしゲンゼルにそれを責める気配はない。あくまでも泰然としている。ダリアムはうなずいた。


「あなた様のダナラム侵攻は千載一遇の機会。これを逃しては一生の不覚となりましょう」

「その一生にどれほどの重みがあるかは知らぬが、余には関わりなき事。貴様の都合に合わせねばならぬ筋合いはない」


「存じ上げております。されどこの話、あなた様に損はございません。こちらには人間世界の権力も支配も、元より興味はないのです。もしこのガステリア大陸全土がアルハグラの版図に入ったとしても、はたまた帝国の領土がその外にまで広がったとしても、私が邪魔になる事はないでありましょう」


「その言葉を鵜呑みにせよと申すか」

「はい、是非とも」


「良かろう」


 ゲンゼルはあっさりと首肯した。


「ただし目障りになれば問答無用で後ろから首を斬る。せいぜい目立たぬ事だ」

「心得てございます」


 ダリアム・ゴーントレーは、再び頭を深々と下げた。



 赤茶けた世界で砂岩を削った山道を走る影が三つ。先頭を走るのは、人間ほどの大きさの荷物を肩に担いだ、褐色の大男イルドット。その後をルオールが追い、最後尾を駆けるのは赤髪の少年ニナリ。


「おい、待て、待ってくれって、イルドット!」


 疲れ切った顔のルオールが呼び止め、立ち止まって膝に手を付いた。イルドットは軽快に足踏みをしながら振り返っている。


「ダメだよん。今日中に国境を抜けるんだからさん」

「そ、そんな事、言っても、よ」


 もうヘトヘトだと音を上げんばかりのルオールを、ニナリが追い越した。


「急ごうよ、ルオール。誰かが追いかけてくるかも知れない」


 そんなニナリに、ルオールは眉を寄せる。


「そもそも、だ、何でランシャをさらって逃げなきゃ、なんねえんだ」

「ルオールはランシャが居なくなってもいいの」


 ニナリは涙目でにらみつけていた。


「ボクはもう嫌だ。ランシャがまた居なくなるなんて絶対に嫌なんだ」

「いや、そうは言うがな、ランシャの気持ちだってあるだろう」


 その一言に、ニナリの中で何かが音を立てて切れた。


「ランシャの気持ちなら考えたさ! いままでずっと、何度も何度も! だけど、ランシャはボクの気持ちなんて考えてくれなかったじゃないか!」

「ニナリ……おまえ」


「ボクはランシャを連れて行くんだ、ずっと一緒に居るんだ!」


 涙声で叫ぶニナリの肩に、イルドットが手を置いた。


「それでいいんだよん。人間には、力尽くで何かを手に入れなきゃいけない時もあるんだからさん」


 そのとき、イルドットが担ぐ荷物がゴソリと動いた。


「あれあれ、意外と早く目を覚ますかも知れないねん。急いだ方がいいよん」


 だが三人の行く手を塞ぐように影が立つ。


「申し訳ないが、その荷物は置いて行ってもらえぬでござるか」


 魔道博士ライ・ミンがそう言った。

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