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魔獣奉賛士  作者: 柚緒駆
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二つの問題

 夜、帝国アルハグラの首都リーヌラは恐怖によって支配された。しかしいま太陽が昇り、第一王子ラハムは温情によって民衆を治めている。露骨なまでにわかりやすいアメとムチだが、支配される臣民の側はこのメリハリを支持した。


 権力に反逆した罪一統をゆるされ、支配者がこちらに笑顔を向ける。ほぼ何のリスクもないように見えた。そこには何かまやかしがあるのでは、と冷静に考えれば感じるであろう状況だが、誰も我が身が可愛いのだ。疑問を口にする者は居ない。それどころか赦された自分たちを特別視し、選民思想を声高に叫ぶ者が現れた。ここまで来れば、あともう一息である。


「ラハムはゲンゼルよりも偉大な王ではないか」


 そういう声が上がって来るまでには。



 国境の村ジヌー、ヒサ、クスカの三箇所に築かれた橋頭堡きょうとうほから、武装したアルハグラ兵が続々とダナラム領内に侵攻する。散発的な伏兵の攻撃もあったのだが、圧倒的な物量がそれを押しのけた。近隣の村や町が次々に攻略されて行く。強固な軍事力を持たない神教国ダナラムに、抵抗する術などない。


 子供は人質兼尖兵として徴発され、金や農作物はすべて略奪される。アルハグラ軍が通過した跡には何も残らない。わずか半日にしてダナラムは一割近くの領土を失った。ただし奪われたのはほぼ平地。ダナラムの領土の大半は峻険なる山地である。砂漠の中のように一列横隊で進軍するという訳には行くはずもなく、縦隊を組んで細い山道をアリの行列のように進むしかなかった。


 隊列の先頭を行くのは、尖兵として徴発されたダナラム人の子供たち。もし伏兵が攻撃を仕掛けてくれば、死ぬのは彼らなのだ。もちろん逃げ出せば背後のアルハグラ兵たちに捕まり殺される。子供たちは怯え、恐れ、泣きながら前に進んだ。しかし、ある地点に差し掛かると、その足が止まる。


 子供たちのすぐ後ろにいたアルハグラ兵が声を荒げた。


「どうした、何故進まない」


 子供たちは震えながら蒼白な顔で振り返る。


「だって、ここから先は神様のお山」

「お祭りのとき以外に入ったら食べられるってお母さんが」


 兵はその言葉に苛立ち怒鳴った。


「そんな神など居るか! さっさと前に進め! 進まねば斬る……」


 しかし兵の言葉は最後まで続けられなかった。上から落ちてきた岩に頭を潰されたために。突如襲いかかった山津波は、長く伸びきったアルハグラ軍の隊列を、見事に子供たちを避けて飲み込んで行く。狭く長い山道には逃げられる時間的余裕も物理的余地もない。


 子供たちは振り仰ぐ。高い山の峰を。薄い雲に隠されたそこに、唸り声を上げる何か巨大な存在が居る事を、彼らは確信していた。



 北方の都市ミアノステスに居た奉賛隊の面々へ吉報が届いたのは昼前の事。姿を消していたリーリア姫が戻ってきたのだ。姫が居なければ奉賛隊はなすべき仕事を失う。いずれ支払われるはずの報奨金も受け取れなくなるかも知れない。ここまで命がけで旅をしてきてそれはない、と皆は思っていた。それだけにリーリア姫の帰還は歓喜をもって迎えられ、さらにランシャが一緒に戻って来たのである、一部の者たちにとってはより一層喜ぶべき事態となった。


 しかし。


「ダリアム・ゴーントレーだって?」


 魔道士バーミュラはライ・ミンの顔を半眼でにらみつけると、頭の横で指をクルクル回した。


「おまえ、大丈夫かい」

「拙者の頭がおかしいだけなら、それに越した事はないのでござるが」


 苦笑するライ・ミンはランシャに目をやり、ランシャは困惑した顔を見せる。


「俺は本人を知らないから何とも言えない。ただ、俺が使える魔法じゃ歯が立たない相手なのは本当だ」


「拙者の言霊でも太刀打ちできぬでござるよ。もし彼がダリアム・ゴーントレーではないのだとしたら、何故あれほどの魔道士がいままで誰にも知られずにいたのか、あまりにも不可解に過ぎるでござろう」


 ライ・ミンの言葉に嘘偽りはない。大袈裟に飾ってもいない。それはバーミュラにもわかるのだが。


「私たちゃ、師匠の死体を見てるんだよ。それを焼いて、灰を撒いた」


 ライ・ミンは首を振る。


「されど我らは彼の死を、魔法を用いて確認した訳ではないでござる」

「そりゃ目の前に死体があるのに、わざわざそんな事をするヤツは居ないだろ」


「普通はそうでござろう。しかし魔道士が普通で良いのかというのが、あの灰色の男の言いたい事ではござらんか」

「確かにあの師匠が言いそうな事ではある。事ではあるが、私ゃ信じられないね」


 バーミュラもまた首を振る。


「だいたい、何でいまなんだ。いまになって姿を現わした理由がわからない。何が目的だい。レキンシェルを持ち去って何をする気なのか」


 その言葉に、ライ・ミンも首をかしげる。


「さすがにそこまでは拙者にもわからぬでござるよ。彼が一人で何かをなそうとしているのか、それとも誰かと組んでいるのか。どちらにせよ、碌でもない事のような気がするでござるが」


 そう言って、深いため息をついた。場を包む沈黙。それを破ったのは、隊長の言葉。


「その話は一旦終わりか」


 バーミュラがうなずく。


「そうだね。一旦終わりでいいだろう。先にそっちの話をしとかなきゃね」


 すると隊長はまずリーリア姫を見つめ、そしてランシャを見つめた。


「姫をザンビエンの生け贄に差し出さないってのはマジか」

「そのつもりだ」


 ランシャは即答し、リーリアは申し訳なさそうにうつむく。隊長は困った顔でため息をつくと、ナーラムとルルとキナンジに目をやった。誰も彼もが困っている。


「問題があるのはわかっている」


 ランシャは言った。


「一つは金の問題。奉賛隊は出発前に報奨金の半金を受け取った。残りの半金は役目を終えて生きて戻ったときに支払われる。役目が果たせなければ、生きて戻っても半金は支払われない。それどころか前金を返せと言われるかも知れない」


 それがわかってんなら、と言いたげな隊長であったが、口には出さない。ランシャは続けた。


「もう一つはザンビエンが認めるかという問題。生け贄を捧げないと言われて、はいそうですかとザンビエンが諦める訳がない。何らかの厄災がアルハグラを襲うだろう。まず水は止められるに違いない。そのとき、誰がどうやって責任を取るのか」


 バーミュラは意地の悪そうな笑顔を見せる。


「責任が取れると思ってるのかい」

「思わない」


 また即答。


「金も責任も、俺には正直どうしようもない。でも同じくらい、いやそれ以上にどうしようもなく、俺は姫を殺したくない。生け贄にしたくない。そのために何と言われようと、恨まれようと憎まれようと構わない」


「自分が何でそう思えるようになったか、それは理解してるかい」


 そう言うバーミュラを、ランシャはまっすぐ見つめた。透き通る眼で。


「力を手に入れたからだ。もしサイーに出会わなかったら、力を持たないただのかっぱらいのままだったら、こんな事は考えなかっただろう」

「だったらそれは、ワガママなんじゃないのかね」


「ワガママかも知れない。自分勝手かも知れない。傲慢かも知れない。それでも、もう自分の気持ちをごまかし切れない」


 それを聞いて、バーミュラは「へっ」と鼻を鳴らした。


「青臭いねえ。嫌だ嫌だ、聞いてるこっちが恥ずかしくなるよ。頭ん中に花でも咲いてるのかね。誰にそそのかされたのか知らないが、それが本当に自分の気持ちだって言い切れるのかい」


「言い切れる。少なくとも今の俺の中には他にない」


 断言するランシャをしばらくにらみつけるように見つめると、バーミュラはライ・ミンに目をやった。


「そそのかした方としては、どう思ってるんだい」


 ライ・ミンは平然と笑顔で答えた。


「そもそも生け贄で物事を解決しようという姿勢に無理があったのでござろうよ」

「ここまで来てそもそも論かい。それじゃ動いた物は止まらないよ」


 呆れ返ったバーミュラの言葉を、隊長が引き継ぐ。


「そうだ、人が動いて国が動いてる。それをいきなりなかった事にはできない。いま動いてる物を誰かがどうにかして止めなきゃ、次の話には移れないぞ」


 話に参加していいものか、と遠慮気味にルルがこう言う。


「あのさ、奉賛隊だけなら金さえ用意できれば何とかなるんじゃないかと思うんだけど、水を止められるのはちょっとキツいんじゃないかな。アタシらは傭兵だから余所の国に行きゃ済む話なんだが」


 細身のナーラムがうなずいた。


「まあそうだな、金と水のどっちが厳しいかって言やあ水だろうさ」


 小太りのキナンジがつぶやいた。


「そっか、誰かが水を出してくれたらいいのにな」


 しばしの沈黙の後、部屋に居た一同は同時に一点を見つめた。リーリアの顔を。バーミュラがニンマリ笑った。


「ラミロア・ベルチア」


 しかし、水色の輝きは現れない。リーリアは思わず左手の青い指輪に話しかけた。


「あ、あの」


 すると現れた水色の輝き。リーリアの顔が不満げに歪む。


「何の用だ」

「たいした用じゃないさ。おまえさんくらいの大精霊になれば、泉に水を湧かせるくらいは簡単じゃないかと思ってね」


 バーミュラの笑顔に、水色のリーリアはそっぽを向いた。


「やめておけ。私の名前は(いさか)いと共にある」

「とは言え、できるかできないかで言えば、できるんだろ」


「私の存在が不要な争いの元になると言っているのだ」

「人間の歴史は不要な争いの歴史さ。これまでも、これからもね。おまえさんが姿を隠している間も、争い事が絶えた時代はなかったはずだよ。違うかい」


 それでも顔をそむけたままのリーリアに、ライ・ミンが話しかけた。


「聖騎士の降臨も、フーブの誕生も、あなたの責任ではござらんよ」


 水色のリーリアは鼻先で笑う。


「慰めているつもりなのか、この私を」

「そこまで高慢ではないでござる」


「それは私とて同じだ。ギーア=タムールであれフーブであれ、責任など感じてはいないし、感じる必要があるとも考えてはいない」

「ならば自分を責めねば良いのではないか」


 部屋の隅っこから聞こえた声は、黄色い小さな(いかづち)の精霊のもの。タルアン王子は頭の上に座るジャイブルの口を慌てて抑えようとした。


「こら、ダメだよ口を挟んじゃ」


 しかしジャイブルはその手を逃れる。


「こなたの口が何を話そうと、そなたに文句を言われる筋合いはない」

「いや、だけどさあ」


「精霊というものは自由気ままでワガママ勝手な存在のはず。それが他者の諍いに気を遣って己を隠し身を隠すなど、そんな事をされては他の精霊が迷惑千万。人間や魔族の争いが気になるのなら、人間か魔族にでもなれば良い」


 ジャイブルは切り捨てるかの如く言い放つ。それを静かに見つめ、水色のリーリアはこう話し始めた。


「魔族になった事はないが、人間にはなったさ」


 大精霊の意外な告白に、部屋はしんと静まり返る。


「私はかつて人間の女となり、子を産み育てた。双子の娘をな。やがて二人は成人し、一人は嫁ぎ、一人は婿を取った。婿を取った娘はベルチアの姓を継ぎ、やがて一族は海辺の街ビメイで暮らすようになった。いまのベルチア家の当主の名はビメーリア。海賊だ」


 そしてリーリアは、いや、その中にいる水の大精霊ラミロア・ベルチアは、タルアンと視線を合わせた。どこか懐かしげにも思える目で。


「一方、嫁いだ娘の一族は、やがて砂漠の民となった。場所を転々とし、少しずつ人を集め、いつしか国を作り上げた。嫁いだ家の名前は、グレンジア」


 それを聞いたタルアンは、しばし呆けたような顔。


「……え、グレンジア?」


 ラミロア・ベルチアはうなずき微笑む。


「そう、グレンジア。いまのグレンジア家の当主の名は、ゲンゼル・ダン・グレンジア。砂漠の帝国アルハグラの帝王だ」

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