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魔獣奉賛士  作者: 柚緒駆
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魔人

 雪と氷は人型に、何体ものゴーレムとなってランシャたちに迫る。しかし人の似姿を取れたのは、ほんの数秒。カーン! 軽く硬質な音と共にゴーレムたちは崩れ、氷の塊に成り果てた。ルーナが鎚とタガネを構えている。目を丸くしたのはライ・ミン。


「おや、助けていただけるでござるか」

「助けるつもりはない。必要も意味も感じない。ただ、ここは聖地だ。精霊魔法のデク人形が歩き回って良い場所ではない」


 だがまた魔剣レキンシェルが振動し、雪と氷はゴーレムの姿となって行く。さっきよりも数を増やして。


「砕くだけではキリがないか」


 腹立たしげなルーナに、ライ・ミンはたずねた。


「ザンビエンは百万の聖騎士に対して百万の氷のゴーレムで立ち向かったという話を伝え聞いてござるが、それは本当にござるか」

「いまそれを聞いている場合か!」


「ふむ、それもそうでござるな」


 そうつぶやくと、自分が腕を押さえるランシャに対して笑顔を向けた。


「ランシャ、何とかするでござる」

「えっ、待て、俺がか」


 慌てるランシャに、ライ・ミンは芝居がかった口調でこう言う。


「ここから離れればゴーレムはやり過ごせるでござるが、御貴殿の右手はレキンシェルを放せないのでござろう。ならばこの魔剣はランシャの命尽きるまで暴れるに違いござらん。大変困った事に」


「俺にレクを押さえ込めと言うのか」

「話が早いのは助かるでござる。御貴殿の意思の力でレキンシェルを屈服させていただきたい」


「そんな簡単に言うが」


「簡単ではござるまいよ。魔剣レキンシェルの向こう側には、あの精霊王ザンビエンが居るのでござるから。されど御貴殿には魔獣奉賛士サイーの遺産がござろう。この状況を何とかできるのは御貴殿だけなのでござる」


 何か本質的な部分で言いくるめられているような気がするが、いまのランシャの頭にそれを指摘する余裕はない。


 カーン! カーン! またゴーレムたちは崩れ去った。そしてさらに数を増やす。


「おいまた増えたぞ、何とかできるなら早くしろ!」


 ルーナの声にやや焦りが感じられる。するとリーリアの体に再び水色の光が宿った。


「ならば時間を稼いでやろう」


 水色のリーリアの左手が、ゴーレムたちに向かって空間をなでるように動いた。その途端、ゴーレムたちの体に亀裂が走り、砕け散る。砕けた氷はまた身を寄せ合いゴーレムになろうとするが、それぞれがツルツルと滑って一体化できない。


 ルーナは怪訝な顔で振り返った。


「何をした」

「たいした事はしておらん。氷の周りに凍らぬ水をまとわせただけだ。いかにザンビエンの呪いの氷であろうと、水との親和性は捨てられぬであろうからな」


 そしてリーリアはランシャに微笑む。


「おまえに一つだけ言っておこう。ビメーリアたちは無事だ。水の精霊の意志を受け継ぐ者だからな、心配は要らぬ。早くせねば、この姫が風邪をひくぞ。急げよ」


 ランシャの腹は決まった。振り上げられた己の右手を見つめる。


(レク、聞こえるか)


 胸の内の問いかけに対し、耳元で声が聞こえた。


「ああ、聞こえてるぜ」


(言う事を聞いてくれないか)


「おいおい、オレたちゃ友達だろ。仲間だろ。おまえ、いつからオレっちのご主人様になったんだ」


(おまえのご主人様はザンビエンなのか)


「主人じゃねえよ。親だ」


(親のためなら友達を切り捨てるのか)


「そりゃ時と場合による。おまえの役目は何だ。お姫様をザンビエンの生け贄にするのが仕事だよな。なのに、いまおまえは何をしてる。役目を忘れてるのは誰だ。裏切り者は誰だ」


(……そうだな、レクの言う通りだ)


「お、おうよ。わかりゃいいんだ。おまえがちゃんと役目を果たすんなら、オレっちも友達としてだな」


(友達として、協力してくれるか)


「あ?」


(もし俺がザンビエンを説得すると言ったら、協力してくれるか)


「なっ、馬鹿かおまえ! んな事できる訳あるか! オレっちが殺されるわ!」


(なら仕方ない)


 ランシャは目を閉じ、一つ息をついた。そして声に出してこう言う。


「レク、おまえを封印する」


 レキンシェルの振動音が大きくなった。周囲で蠢いていた大小様々な氷の欠片たちはゴーレムの姿を取る事を諦め、渦を巻いて上空に舞い上がり、雲の下でとどまり浮かぶ。目的は考えるまでもない。雨あられと降り注ぎ、ランシャたちを打ち据えようというのだ。


 それを見上げるライ・ミンの表情がピクリと反応した。だがその身は動かない。水色のリーリアも、月光の将ルーナも、顔に緊張は浮かべているものの、動かず何も言わない。


 ランシャの耳元にレクの声が聞こえた。


「これで最後だランシャ、考え直せ。おまえにオレっちを封印なんてできねえよ」


 しかし静かにつぶやき返す。


「俺にはできなくても、サイーにはできる」

「そんなにサイーが好きなら……サイーのところに行けや!」


 降下を始める無数の氷の欠片。そのときランシャの口にした言葉に、ライ・ミンは耳を疑った。


「言霊よ、開け」


 そして落ちて来る氷の大群に向かって右手のレキンシェルを突き上げる。


「糾合!」


 氷の落下速度が上がった。唸りを上げて空を裂き、ランシャめがけて襲い来る。しかしその透き通った歪な多角形の集団がランシャを傷つける事はなかった。止まったのだ。固まったのだ。レキンシェルの周囲を包むように。ランシャはリーリアに顔を向けた。


「ラミロア・ベルチア、水をどけてくれ」

「ふむ、良かろう」


 水色のリーリアはまた氷に向かって手のひらを向け、空をなでるように動かした。ギシリと軋む音と共に氷の集合体は体積を小さくし、一つの氷塊として凝結する。その長球形の氷はランシャの右肘から先を飲み込み宙に浮いている。彼の耳に嘲笑う声が届いた。


「こんな事したって、おまえの手は放さねえぞ」


 ランシャは小さくうなずいた。


「ああ、だから腕を一本くれてやる。友達だからな。レクは俺の腕と一緒に、永遠にこの山頂に封印されるんだ」

「ふ、ふざけんな! てめえ、ふざけんな! ふざけんなよ!」


 それが嘘や虚勢ではない事を理解したのだろう、レキンシェルは慌てて振動し、ランシャの耳元で叫んだ。だが何も起きない。


「おまえ、マジか。マジで封印するつもりかよ、嘘だろ、おい、勘弁しろよ、なあ、ランシャ」

「いままでありがとう、さよなら、レク」


 ランシャは左手の人差し指で、自分の右腕に触れた。だが、それをつかみ止める手が。


「待って!」


 左腕にぶら下がるリーリア。水色の輝きは消え去っていた。


「待ってください、それはあまりにも」


 少し驚いた顔のランシャだったが、すぐにこう言った。


「俺の腕がなくなるのは、嫌ですか」

「あなたの事は髪の毛一本失いたくありません」


 リーリアの即答に、ランシャは嬉しそうに微笑む。


「でも、腕一本なくなったって、俺は俺ですよ。それではダメですか」


 しばし意表を突かれた顔のリーリアだったが、不意に顔を真っ赤にして膨れる。


「ダメじゃありません! ありませんけど、それはズルいです」

「かもしれません。でも、レクは友達なんです。友達だったんです。だからケジメはつけさせてください」


 ランシャの真剣な眼差しを、リーリアは上目遣いに受け止めた。そしていささか不満げではあったが、ランシャの左腕をつかむ両手をほどいた。そのとき。


 上空の雲に巨大な穴が空き、同時に落ちてきた黒い稲妻がレキンシェルを包む氷を打ち砕く。


「要らぬのか、要らぬのだろうな、少年よ」


 見上げれば、いつの間にか宙に灰色の長いローブ姿が浮かんでいた。その手がつまんでいるのは、レキンシェル。


「要らぬのなら、われがもらっても構わぬだろう?」


 ランシャの右手は深く裂け、血がしたたり落ちている。


「誰だ、返せ」

「質問と要求を一時にするものではない」


 ローブから聞こえる年老いた声は、まるで厳しい教師のように言う。そこに。


「掌握」


 ライ・ミンの声と共に灰色ローブの周辺の空間に圧力が加わり、見えない巨大な手で握ったかのように相手を捕らえた。だが。


「解除」


 その一言で、灰色ローブはあっけなく解放された。


「所詮は知識と魔力頼み。まだまだ言霊の本質を理解してはおらぬ」

「……いったい何者にござるか」


 当惑するライ・ミンに、灰色ローブは困ったような声を返した。


「名乗らねば吾が誰か理解できぬか。サイーならばそうは言わなんだろうにな」


 その言い回しでライ・ミンは一瞬理解したかに思えたが、再び慎重な表情になった。


「いや、そんなはずはないでござる」

「なぜそんなはずがないと思う」


「有り得ないからでござるよ」


「笑止。これまで魔法を学んできて、まだわからぬのか。この世に有り得ない事などない。そなたの頭で思いつく物事など、すべてすでに存在し、すでに起こっているのだ」


 愕然と目を剥くライ・ミン。その様子に他の者は声をかけられない。


「それでは……それではあれは何だったのでござるか。拙者と、サイーと、バーミュラと、他の弟子たちが、葬儀を行い、()()に付し、その灰を天に撒いたのは。あの遺体は」


「その遺体が真に己が師匠の物だと、魔法的に確認したのか」

「何のために! 何故そんな事をせねばならぬでござる!」


「それがいまだにわからぬのは、そなたが魔道士として未熟という証だ」

「本当に師匠なのでござるか。あのダリアム・ゴーントレーでござるのか」


 困惑と懐かしさと怒りの混じり合った感情に揺さぶられるライ・ミンを見て、灰色ローブはため息をついた。


「見たくないのなら目を閉じよ。聞きたくないのなら耳をふさげ。そなたには似合っておる」


 冷酷にそう言い放つと、灰色ローブはランシャに目をやった。リーリアが回復魔法で右手を治療しているが、傷はふさがらず、血が止まらない。しかし少年はその透き通った瞳でまっすぐに見つめている。


「ほう、晶玉しょうぎょくまなこか」


 フードの内側で口元が緩む。


「少年よ、一つ忠告しておこう。そなたがもし魔道士となりたいのであれば、正しい師匠を選ぶ事だ。この場には居ない正しい師匠を」

「だったら一つ聞いていいか」


「何だね」

「アンタには正しい師匠が居たのか」


 灰色ローブから、凍り付くような視線が向けられた。


「頭が回るのは良い事だ。ただし過ぎたるはなお及ばざるが如しと知るが良い」

「そのレキンシェルをどうするつもりだ」


「名高き魔剣と言えど、所詮は道具。道具は道具として使うのみ」


 ランシャは左手を空に向ける。


「氷の剣、三千本」


 ランシャの足下の雪と氷に、放射状の亀裂が走った。その細かい亀裂から次々と宙に浮かび上がる細長い氷の断片。それらは灰色ローブの周囲を取り囲む。


「はて、サイーは言霊を嫌っていたはずだが」

「それはアンタがサイーを理解してなかったって事だろ」


「ふむ……それは面白い見方だ」


 鼻先で笑う灰色ローブに向かい、ランシャは左手で指をさす。


(いかづち)のように刺せ!」


 号令一下、氷の剣の群れは灰色ローブへと飛んだ。しかしその黒い姿が針山となる寸前、白い竜巻が灰色ローブの体を飲み込み、三千本の剣を砕き跳ね飛ばした。竜巻の出所はレキンシェル。ランシャの耳には聞こえていた。狂ったように叫ぶ魔剣の悲鳴が。


 ランシャは血のしたたる右手を振った。空中に浮かび上がる赤い円と正方形。血の呪印。


「取り巻け!」


 そう命じると呪印は広がりながら飛び、竜巻が赤い円と正方形の中心を貫通する形になった。瞬時に竜巻の回転が止まる。見えない何かに絡みつかれたように。その内側に姿を現わした灰色ローブは、感心した声を上げた。


「言霊と呪印を組み合わせたのか。よくぞ思いついた」

「捕縛」


 右手を握りしめるランシャに合わせて、赤い円と正方形は縮小し、灰色ローブを縛り付ける、かに見えた。しかし呪印は動きを止める。驚くランシャの耳に、小さな含み笑いが聞こえた。


「言霊であれ呪文であれ、詠唱を必要とする魔法には、時間を要するという致命的な弱点がある。優れた術者であれば、相手が詠唱している間に対策を打てる。このようにな」


 ジュッという音と焦げ臭いニオイ。赤い円と正方形は、あっという間に黒く変色し、ボロボロと崩れ落ちた。


「されど、さすがに筋は良い。次回会うまでにどれほど成長しているか、楽しみにしていよう」


 そう言うと、灰色ローブの姿はユラリと揺れた。


「あ、待て!」


 しかし、ランシャの声にこう返しただけで、灰色ローブの姿は消え去った。魔剣レキンシェルと共に。


「おまえたちの相手だけをしている訳には行かぬのだ。ああ忙しや忙しや」


 呆然と残されたランシャ。その血まみれの右手をリーリアが握り、再び回復魔法をかけると、一瞬で傷がふさがった。


 月光の将ルーナがライ・ミンにたずねる。


「あれは本当にダリアム・ゴーントレーだったのか」


 向けられたのは複雑な笑顔。


「わからぬでござる。ただ」

「ただ?」


「そうであってもおかしくない人物なのは事実でござろうな」


 雪と氷で覆われた霊峰タムールの頂に、また強い風の音が聞こえた。

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