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魔獣奉賛士  作者: 柚緒駆
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頂にて

 タムールの頂。雲の下は薄暗く、雪と氷と強風の世界。カーン! カーン! カーン! 何かを叩く音が響いている。地面に降りても道はない。なのに踏むべき場所がわかるのか、膝まで埋まる新雪の中を、ピョンピョンと跳ぶライ・ミン。ランシャとリーリアは、同じ場所を踏んでついて行く。


 向かって右手に、ほぼ垂直にそそり立つ氷壁が見える。それを回り込むように進むと、ライ・ミンはある場所で立ち止まった。そして見上げる。


「ご覧あれ、彼が青璧の巨人にござる」


 ランシャは振り仰いだ。首が痛くなるほどの高さに顔がある。雲の上の空のように青い、巨大な人型。カーン! カーン! カーン! 硬い物を叩く音。この音で目覚めて動き出すのではないかと、恐怖に駆られるほどの強烈な威圧感。


「これがギーア=タムール……か?」


 水色のリーリアは首をかしげた。ライ・ミンは笑みを浮かべる。


「ラミロア殿はギーア=タムールをご存じでござったな。いかがでござるか」

「いかがと言われてもな。私の知っているギーア=タムールとは違う」


「しかしギーア=タムールではないとは言えない、でござるかな」


 ライ・ミンの言葉にリーリアが眉を寄せたとき。


「何をしている!」


 女の声が響いた。ランシャたちの前に突然落ちてきた人影。


「ここは聖地である! 人間が立ち入る場所ではない、早々に立ち去れ!」

「聖地だと」


 リーリアの水色が強く輝いた。


「まるでフーブ信徒のような事を言う」

「貴様、いま何と言った」


 大股で歩み寄るその姿、ランシャには見覚えがある。


「アンタは」


 相手も気付いた。


「ランシャか? こんなところでいったい何をして……」


 その目が水色のリーリアをとらえた。しばし困惑し、やがて当惑する。


「おまえは、まさか」

「久しいな、月光の将」


 月光の将ルーナは咄嗟にタガネの先を向け、鎚を構えた。驚愕に目を見開きながら。


「有り得ない、ラミロア・ベルチアだと。死んだはずではないのか」

「もはや死んだも同然だよ。そんなに恐れるものではない」


「恐れてなどいない!」


 しかし冷たい笑みを浮かべたリーリアと、闘志を剥き出しにしたルーナの、どちらに恐怖が見えるかは言うまでもない。


 その間に割って入ったのは、ノンビリとしたライ・ミンの声。


「丁度良いところで会えたでござる。以前より気になっていた事がござってな。(いもうと)()ならご存じでござろう」


 巨人を楽しげに見上げながらこう言う。


「百万の聖騎士は、どこへ消えたのでござるか」


 ルーナはリーリアへの警戒を解かず、だが視線だけはライ・ミンに向けた。


「何者だ、貴様」

「拙者はライ・ミン。魔獣奉賛士サイーのおとうと弟子にござるよ」


「え、そうなのか」


 思わずランシャは振り返る。


「ああ、失敬失敬。跡継ぎ殿には自己紹介がまだでござったな」


 気の抜けた声で笑う男に、場の張り詰めた空気は緩んだ。なし崩し的ではあったが。


「それで」


 リーリアは苦笑しながら問う。


「百万の聖騎士がどうしたと」


 ライ・ミンはうなずいた。


「そう、聖騎士にござる。かつてギーア=タムールが降臨した際、百万の聖騎士軍団を率いていたはずでござるが、その後四聖魔の争いが終わったとき、その聖騎士たちは忽然と姿を消してしまったのでござる。ギーア=タムールの妹御なれば、その辺もご存じやと思ったのでござるが、いかが」


「そんな事を私が話すと思っているのか」


 呆れ返ったルーナにそう言われて、しかしライ・ミンは笑顔を返した。


「いや、話せぬなら結構。ただ拙者が思うに、この青璧の巨人はギーア=タムール一人であって一人ではないのではないかと。百万人の聖騎士を、何らかの形でギーア=タムールと一緒に封じているのではないかと考えたのでござるよ」


 ルーナの表情は変わらない。だが空気が変わった。目の奥に警戒感が見え隠れする。容易ならざる相手と認めたのかも知れない。


「もし仮にそうだとしたら、どうする」

「感心するでござる」


 巨人を見上げるライ・ミンの言葉には嘘はないように思える。


「ギーア=タムール一人でも恐るべき力を有していたはず。にもかかわらず、聖騎士軍団と共にまとめて封じたのだとするなら、それが精霊王ザンビエンの力であるとするならば、ザンビエンとは何と常識外れなとんでもない怪物でござろうか」


「そうだ、ザンビエンは四聖魔の中でも力の強大さにおいて傑出した存在だった。しかし百万の聖騎士の力を使い、そのザンビエンと相打ちに持ち込んだのが我が兄上だ」


 ルーナの話をライ・ミンは否定しない。


「左様、ギーア=タムールは光の力でザンビエンを封じ、ザンビエンは氷の力でギーア=タムールを封じた。互いの命ある限り、その封印は解かれないのでござろう。妹御がザンビエンの生け贄をさまたげたい気持ちは理解できるでござる」


「ならば」

「されど」


 ライ・ミンは首を振る。


「ザンビエンが死すれば、ギーア=タムールが復活するのでござろう。それはそれで厄介にござるよ」


 ルーナは眉を寄せる。


「何故だ。神の正義があまねく世を照らす世界となるのだぞ。人間にとっても」


 その言葉をライ・ミンはさえぎった。


「神の正義は、人間には重すぎるのでござる。それはあなた方の神であれ、人間の生み出したフーブであれ同じ事。厳格な神の戒めより、気まぐれな大精霊の仲裁の方が幾分マシだったのではござらんかな」


「だからザンビエンに味方すると言うのか!」


 ルーナは叫ぶ。怒髪天を衝くかの如く。しかし。


「それを決めるのは拙者にはござらんよ」


 そう言ってライ・ミンはランシャを見つめた。


「魔獣奉賛士サイーの後継者殿は、何をどうしたいのでござるか」

「……俺は」


「言っておくでござるが、お姫様の決めた事に従うという答はなしでござる。お姫様には立場というものがござろうからな。結局のところ御貴殿が決断を下さねば、何も変わらないのでござるよ」


 ランシャは戸惑った。戸惑っている自分に戸惑っていた。


「何が正しいのか、俺に決めろと言うのか」


 ライ・ミンは微笑んだ。


「正しくなければ嫌でござるか」


 そしてこう言った。


「御貴殿のその目、晶玉しょうぎょくまなこについて何か説明を受けたでござるか」


 話の急展開にランシャはついて行けない。


「え、いやそれはまだ」


 するとライ・ミンは一つため息をついた。


「やれやれ、兄者殿も姉御殿も無責任でござるな。まあいいでござる。その目は北方の異民族の中でも、巫術師ふじゅつしの家系に見られる特別な目でござってな、この世のすべてを映すと言われておるのでござる」


 それは初めて聞く話。自分をクラム・カラムの村に置き去りにしたという両親は、巫術師だったのだろうか。そう思うランシャを余所にライ・ミンは続ける。


「人間の身でありながら魔法の力を扱える者を魔道士と呼ぶのでござるが、普通の魔道士には得手不得手がござる。サイーは氷の精霊魔法を極めつつ呪印を得意とし、バーミュラは大方の攻撃魔法が使えるものの回復魔法が苦手、というように」


 しかし自分の得意とする魔法については言及しなかった。


「ところが晶玉の眼を持つ者は、この傾向がないと伝えられているでござる。つまり、得手不得手なくどんな魔法でも使えると。何故伝聞なのかと言えば、そもそも晶玉の眼を持つ者は北方の民族にも少ない事、そして巫術師の家系の者は魔道士に近付いてはならぬと禁じられているらしい、という話があるのでござる」


 すると水色のリーリア、すなわちラミロア・ベルチアが口を挟む。


「つまり晶玉の眼を持った魔道士は居ないという事ではないのか」


 ライ・ミンはうなずいた。


「拙者の知る限りでは一人しか居ないはずにござる。その一人こそ我らが師匠、魔人ダリアム・ゴーントレーでござるよ」


 ルーナの表情が少し動いた。その名を知っているのかも知れない。一方のラミロア・ベルチアは、明らかに知っているのだろう、目を丸くした。


「フーブに恐れられ追放されたという万能の魔人か」


「いかにも。知識の量ならばともかく、実際に使える魔法の数では拙者とサイー、バーミュラの三人が束になってもかなわんでござろうな。そのダリアム師匠以来の晶玉の眼の魔道士となるのが、御貴殿にござる」


 ライ・ミンは再びランシャを見つめた。


「御貴殿がその気になれば、帝国アルハグラをひっくり返す事もできるやも知れないでござろうに、王様の言葉がそれほど大事でござるか。それとも民の苦難を見過ごせぬと? 弱者を救うのが自らの役目と心得てござるのか」


「……そこまで傲慢じゃない。俺はただ」

「お姫様を悪者にしたくない、でござるか」


「それが間違っているのか」

「正しいか間違っているかの問題ではござらん。ただし、それは卑怯なのでござるよ」


 ライ・ミンは笑顔を浮かべている。だがそこに楽しみや喜びはない。優しさも嬉しさもない。


「社会を生きる人間にとって、立場というのは恐ろしいものにござる。立場が人を作る側面もござるが、人を縛るものでもござってな、時と場合によっては、立場のせいで死を選ばねばならぬ羽目にも陥るのでござる。ちょうどいまのリーリア姫のように」


 冷徹な微笑みはランシャを射貫いぬかんばかりに見据える。


「御貴殿のやっている事といえば、立場上死ぬしかない者に向かって『立派に死なせてあげましょう』と言ってるだけでござる。なのに、まるで手を差し伸べているかの如き顔をする。それは人として、何かが欠落しているのではござらんかな」


「待ってくれ、俺は」


「御貴殿は結局、人間が嫌いなのでござろう。そもそも他人を好きになるというのがどういう事なのか、わからないのではござらんか。御貴殿が好きなのはリーリア姫ではなく、姫を大事にしている自分自身なのでござるよ」


 何も言い返せなかった。ランシャは愕然と立ち尽くすしかない。ルーナもラミロア・ベルチアも、驚いた顔でライ・ミンを見つめていた。


「姫を大事にしていると言えば聞こえは良いでござるが、要は自分が決めるべき事に対する責任を姫におっかぶせているだけでござる。しかし、御貴殿ももう小さな子供ではござるまい。己のなすべき事は、自身で決めてはいかがでござろうか」


「俺が、決める?」


「いかにも。リーリア姫をザンビエンの生け贄にするのかどうか、いまここで、御貴殿が決めるのでござる。ミアノステスまで戻ってしまったら、もう氷の山脈に行くしか選択肢はござるまいからな。ランシャ、御貴殿は姫様をどうしたいのでござるか」


「俺は……俺は、姫を」


 リーリア姫の全身から、水色の光が消えて行く。ラミロア・ベルチアではないリーリアの本当の顔が、ランシャを見つめていた。


「俺は」


 そのとき、ランシャの右腕が勝手に跳ね上がった。手に握られたレキンシェルの白い刃が音もなく伸びる。だが。その右腕をライ・ミンが捕まえた。動揺し、焦るランシャ。


「違う、これは」


 ライ・ミンはまた笑顔を見せた。だが今度はしてやったりの笑みである。


「わかっているでござるよ。魔剣レキンシェルは魔獣の爪の欠片かけら。ザンビエンの分身にござれば、その敵を許すはずがござらんからな」


 振り上げられたレキンシェルの刃が高周波の音を上げて振動すると、それに合わせて周囲の雪や氷が波打つように盛り上がる。


「よせ、やめろレク!」


 ランシャは右手を開こうとした。だが指が凍り付いたかのように動かない。周囲の雪と氷はやがて何体もの人に似た姿に固まって行く。ライ・ミンはランシャの腕を押さえたまま、感心した様子でこう言った。


「ほう、氷のゴーレムでござるか。これは興味深い」

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